Individualism in Rothbard’s Natural Rights Libertarianism | Mises Institute [LINK]
【海外記事より】リベラルな視点において、個人主義はしばしばナショナリズムと対立し、グローバリズムを支持するものと捉えられています。ニューヨーク・タイムズ紙などは、個人主義を「個人の権利や福祉に焦点を当てることで、集団間の境界を低くし、部外者への寛容さを促す普遍的な視点」と定義しています。彼らによれば、個人主義とは自律や自己表現を重んじることであり、皮肉にもそれが共通の人間性への幅広い理解、すなわち利他主義や寛盛さにつながるというのです。
しかし、マレー・ロスバード氏が提唱する個人主義の概念は、こうしたリベラルな解釈とは一線を画しています。彼は、ジョン・ロックの思想の流れを汲む「自己所有権」と「財産権」に基づいた自然法的な個人主義を擁護しました。ロスバード氏にとっての個人主義とは、人間や世界の性質に由来する「自然権」に根ざしたものです。彼は、行動し、感じ、選択し、動く主体としての「個人」を社会の最小単位と見なし、国家のような強制的な組織とは明確に区別しました。
ロスバード氏の政治哲学において重要なのは、それが個人の単なる主観的な意見ではなく、客観的かつ普遍的に正しい原理に基づいた「道徳科学」であるという点です。ハンス・ヘルマン・ホッペ氏が解説するように、ロスバード氏は経済学と政治哲学を「財産権」という共通の基盤の上に再構築しました。ここでは、ある行為を行う「権利」があることと、その権利をどのように行使するのが「道徳的か」という個人的な判断は厳密に区別されます。例えば、分離独立する権利を哲学的に守ることと、実際に特定の状況で分離を勧める政治運動は別物なのです。
また、ロスバード氏は人間が意識と自由意志を持ち、自ら選択を行う存在であることを自明の理としています。そのため、人間を歴史の必然性や社会構造に動かされる自動人形のように扱う「科学主義」を否定しました。科学主義は個人の意志を否定し、社会を一つの有機体のように扱いますが、ロスバード氏に言わせれば、価値を採用し選択できるのは個人だけであり、集団という実体なきものに意志を認めることはできません。
この文脈において、ロスバード氏は「国家(ステート)」と「国民(ネイション)」を鋭く描き分けています。国家が官僚や政治家による強制的な装置であるのに対し、国民とは文化、伝統、言語、宗教などが織りなす自発的なネットワークを指します。個人主義を貫くことは、必ずしも自分のルーツや伝統を否定することではありません。むしろ、個人の同意に基づいた自発的な結びつきとしての「国民」を重視し、その国や土地を愛する真の愛国者であるからこそ、そこを支配する強制的な「国家」に反対することができるのだと結論づけています。
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