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2026-02-02

米憲法制定の政治闘争

Why the Federalists Hated the Bill of Rights | Mises Institute [LINK]

アメリカ合衆国憲法が批准され、新たな政府が動き出そうとしていた頃、アメリカは激しい政治的対立の渦中にありました。連邦派、いわゆるフェデラリストたちは、強力な中央政府の樹立を目指していましたが、批准を勝ち取るために「憲法修正条項を追加する」という約束を各地の州議会で渋々交わしていたのです。しかし、勝利を収めた連邦派の本音は、そのような約束など早く忘れて、財政問題などの実務に没頭したいというものでした。

これに対し、パトリック・ヘンリーら反連邦派は、政府の権限を根本から制限するための「第二憲法制定会議」の開催を求めて激しく突き上げました。もし会議が再び開かれれば、中央政府の権力構造そのものが作り直され、連邦派が築き上げた強力な統治機構が弱体化させられる恐れがありました。これこそが、連邦派が何としてでも阻止しなければならない事態だったのです。

ここで、天才的な政治戦術家であるジェームズ・マディソンが登場します。彼は内心では権利章典を嫌悪していましたが、反対派の勢いが増すのを防ぐため、あえて自ら修正案を主導するという戦略に出ました。これは、個人の自由に関する条項を先に認めることで、政府の構造改革を求める声を封じ込め、反対派を分断するという巧妙な駆け引きでした。

当時提案されていた修正案は、大きく二つの種類に分かれていました。一つは言論の自由や陪審裁判といった「個人の権利」に関するもので、もう一つは課税権の制限など「政府の構造」を変えるものでした。連邦派にとって、前者(個人の権利)は政府の権力基盤を揺るがさないため許容できましたが、後者(政府の構造改革)は中央政府の生命線を絶つものであり、断固として拒否すべきものでした。結局、マディソンは前者の「個人の権利」を中心とした権利章典を素早く成立させることで、構造改革の芽を摘み取ることに成功したのです。

特に興味深いのは、第十修正条項と第九修正条項の扱いです。第十修正条項は「連邦政府に委ねられていない権限は州や国民に留保される」と定めていますが、マディソンは意図的に「明示的に」という言葉を外しました。これにより、後の裁判官が政府の権限を広範に解釈する抜け穴を残したのです。また、憲法に記されていない権利も国民が保持していると定めた第九修正条項は、その後百七十五年もの間、歴史の闇に埋もれることとなりました。

アメリカ国民が今日、自由の守護神として称える権利章典は、純粋な理想だけで作られたものではありません。それは、強力な中央政府を守り抜こうとした連邦派と、それを制限しようとした反対派との激しい政治闘争、そしてマディソンによる計算し尽くされた妥協の産物だったのです。

(Geminiで要約)

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