Freedom at the Extremes: Why Liberty Attracts Both the Brilliant and the Plain | Mises Institute [LINK]
【海外記事紹介】自由主義や自由を尊ぶ運動には、ある奇妙な特徴があります。それは、知能指数の分布(ベルカーブ)において、極めて明晰な頭脳を持つ層と、ごく平凡で素朴な層の両極端から熱烈な支持を集めるという点です。左派勢力は、自由主義を支持する一部の人々の知的な不十分さを揶揄し、それを右派への攻撃材料にしようとします。しかし、そこには人間社会の本質に対する重大な見落としがあります。
人類の文明を築き上げてきたのは、決して高名な哲学者や数学者だけではありません。読み書きすらできない農民たちが、直感と度胸、そして「交換と公平性」という本能的な理解を武器に、幾多の困難を乗り越えて文明を支えてきました。自由市場という概念は、机上の空論ではなく、人間の本性に深く刻まれた「直感的なもの」なのです。自分が働いた証としての「貨幣」が、寄生的な振る舞いを抑制し、500人程度の小さなコミュニティを超えた大規模な協力関係を可能にしました。特別な理論を知らなくとも、勤勉で誠実な普通の人々がささやかな富を築ける場所、それが自由市場なのです。
一方で、階級のない社会を約束する社会主義の幻想は、現実の意思決定の場では即座に崩壊します。社会主義が語らない不都合な真実とは、「自由市場の競争プロセスによって発見された階級」を、「官僚による独裁的な階級」に置き換えるだけに過ぎないという点です。市場は常に能力をテストし、報酬と罰を与え続けますが、官僚組織には能力を検証する独立したメカニズムが存在しません。ただ「任命」があるだけなのです。
最近では、AIによる全方位の監視と膨大なデータ処理によって、資源の最適な配分が可能になると信じるテクノクラート(技術官僚)も現れています。しかし、たとえAIが合理的な配分をシミュレートできたとしても、なぜ私たちは、誰もが参加でき、コストもかからない「市場」という精密な仕組みを捨てて、莫大なエネルギーを消費する国家の独占システムに依存しなければならないのでしょうか。何より、結果の平等が強制される退屈な檻の中では、人間の精神は窒息してしまいます。自由とは単に効率的なだけでなく、私たちが「生きている」ことそのものの証なのです。
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