TGIF: Immigration and Culture | The Libertarian Institute [LINK]
【海外記事紹介】アメリカの著名なリバタリアン論客、シェルドン・リッチマン氏が、移民問題と文化の変容について極めて示唆に富むコラムを発表しました。リッチマン氏は、近年のアメリカで巻き起こっている「文化的な不快感」を理由とした移民抑制論に対し、自由主義の観点から真っ向から反論しています。
議論のきっかけは、スーパーボウルのハーフタイムショーでスペイン語を操る、プエルトリコ出身の歌手が起用されたことへの反発でした。リッチマン氏は、そもそもプエルトリコ人は100年以上前から米国市民権を持つ「アメリカ人」であることを指摘しつつ、文化を守るために国境を閉ざそうとする試みがいかに無意味であるかを説いています。文化とは、壁にゼリーを釘で打ち付けようとするのと同じで、固定できるものではないというのです。
氏は、高名な経済学者トーマス・ソウェル氏の言葉を引用し、文化の本質を浮き彫りにします。文化とは単なる「アイデンティティの象徴」ではなく、人間が食べ、住み、病を癒やし、他者と共生するための「道具」です。より優れた、あるいは便利な手法が他文化から持ち込まれれば、古い習慣が廃れていくのは自然な淘汰であり、ローマ数字が算用数字に取って代わられたのと同じ現象に過ぎません。特定の時点の文化を「伝統」として琥珀の中に閉じ込めようとする態度は、人類の進歩を妨げるものだと言えます。
また、リッチマン氏はブライアン・カプラン氏の主張を引き、「誰も自分の文化を独占する権利など持っていない」と断じます。文化とは他者との関わりの集積です。誰と結婚し、どんな映画を観て、何を食べるかという個人の選択の総和が文化であり、それを特定派閥が管理しようとするのは、人々の私生活を支配しようとする全体主義的な発想に他なりません。
「完全に同化すべきだ」という同化政策についても、氏はこれを「退屈な社会への道」と批判します。もしイタリア人や中国人の移民が独自の文化を維持しなければ、リトルイタリーもチャイナタウンも存在せず、アメリカの魅力は半減していたでしょう。英語の習得などの最低限のルールは自然と適応されていくものであり、文化は国家の計画ではなく、自由な個人の相互作用によって自律的に形成される「自生的秩序」であるべきです。
多様な文化が混ざり合うことで豊かになってきた歴史を振り返れば、変化を恐れて門戸を閉ざすことは自らを貧しくする行為です。リッチマン氏は、多様な価値観を楽しみ、文化のダイナミズムを許容することこそが、自由な社会を維持する唯一の道であると結んでいます。
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