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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ
インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...
2021-03-01
全体主義のアメリカ
2021-02-28
織田信長、市場原理に敗れたり〜失敗に終わったマネーの規制
- ①品質の良い銭(精銭)と悪い銭(増銭)の換算比を定める。たとえば、焼け銭は二枚で一文、大きな欠損がある銭や摩耗銭は五枚で一文、打平(無文銭)は十枚で一文など。これら以外は精銭(一枚で一文)とする。
- ②納税や金銀、唐物(中国からの輸入品)、絹布、質物、穀物などの商売ではその時の相場に従い、①の規定に基づいて銭で支払う。銭を受け取る側は、勝手な銭の選別で価格をつり上げてはならない。
- ③銭を受け渡すときは、精銭と増銭とを半分ずつ取り合わせること。
- ④米を使って売買してはならない。
- ⑤一定数量以上の生糸、薬、緞子(絹織物の一種)、茶碗、その他唐物の売買は金銀を交換手段に使うこと。これらの商品以外は、規定の銭を使うこと。
- 川戸貴史『戦国大名の経済学』講談社現代新書
- 高木久史『撰銭とビタ一文の戦国史』(中世から近世へ)平凡社
- 上念司『経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する』ベストセラーズ
2021-02-27
福祉国家という強制
2021-02-26
合法な賄賂、違法な賄賂
2021-02-25
貧富拡大の犯人
2021-02-24
自粛強制のディストピア
2021-02-23
政治運動の素顔
2021-02-22
マルクス主義と環境主義
2021-02-21
芥川龍之介『羅生門 杜子春』
洛陽の繁栄、平安京の闇
杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生まれの魔法使いが刀をのんで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴を節おもしろく奏しているという景色なのです。
その死骸はみな、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口をあいたり手をのばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。〔略〕ぼんやりした火の光をうけて〔略〕永久におしのごとく黙っていた。
石見銀山が支えたグローバル経済〜16世紀の東アジアと欧州をつなぐ
- 本多博之『天下統一とシルバーラッシュ: 銀と戦国の流通革命』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館
- 川戸貴史『戦国大名の経済学』講談社現代新書
- 仲野義文監修『世界遺産石見銀山を歩く』(歩く旅シリーズ 街道・古道)山と渓谷社
- 宮崎正勝『「海国」日本の歴史: 世界の海から見る日本』原書房
- 北村厚『教養のグローバル・ヒストリー: 大人のための世界史入門』ミネルヴァ書房
2021-02-19
金はなぜ憎まれる
中央集権の政策にはお金の中央集権が必要だ。だが金(きん)はきわめて分権的な性質上、中央集権になじまない。操作・破壊されにくいし、中央銀行が価値を決めることはできない。不変で揺るぎなく、政治的ビジョンとは頑固なまでに相容れない。だから政治エリートは金を憎む。
Why Fed Bugs Really, Really Hate Gold | Mises Wire
米政府はベトナム戦争と福祉政策で財政が悪化。ニクソン大統領は1971年、ドルと金の交換を停止した。ニクソン・ショックだ。ニクソンは国民に停止は一時的で、この政策でドルを安定させると約束したが、どちらも実現しなかった。以来、米国と世界は完全な不換紙幣制度となる。
A Brief History of the Gold Standard, with a Focus on the United States | Mises Wire
ドイツは東西に分裂した国家を再統一する際、米仏英の承認を求めた。フランスは条件としてドイツマルクの放棄とユーロの採用を求めたとされる。ドイツのユーロ脱退とマルク復活を妨げるのは政治要因しかない。経済学的にはマルクの裏付けとして金本位制の採用だってありうる。
The World Needs a Gold-Backed Deutsche Mark | Mises Wire
ロシア中央銀行は2016年から金準備を増やし始め、2020年末にその残高は初めて米ドルを上回った。プーチン大統領はロシア経済の非ドル化を進めている。金は今やユーロに次いで二番目に多い準備資産となり、準備全体(5830億ドル)の3分の1を占める。人民元の割合は12%だ。
The Dollar's Reserve Currency Status Won't Last Forever | Mises Wire
>>翻訳@時事
2021-02-17
福祉国家の起源
2021-02-15
環境問題への賢い対処法
2021-02-14
アッペルバウム『新自由主義の暴走』
政府の暴走
2014年に、当時下院予算委員会委員長だったポール・ライアン(共和党、ウィスコンシン州)は、ジョンソンの貧困への宣戦布告から50周年を記念する日に、あの戦争は「失敗」だったと言い放った。入手できる証拠は異なる結論を示唆している。
2021-02-13
スチーブンソン『宝島』
金貨と銀貨の物語
2021-02-12
資本主義と女性の解放
2021-02-11
内政干渉の愚かさ
2021-02-10
知的財産権の害悪
2021-02-09
いびつな物価指数
政府の作成する消費者物価指数には資産価格が含まれない。しかしここ数十年、不動産や株式などの資産価格が一般の商品・サービスと不釣り合いに高騰している。ユーロ圏で体感される物価が政府の統計よりも5%ポイント高いのは不思議ではない。
2021-02-08
リベラルという社会主義
2021-02-07
キリスト教伝来、イエズス会が日本で貿易に励んだ理由
- 佐藤彰一『宣教のヨーロッパ 大航海時代のイエズス会と托鉢修道会』中公新書
- 岡美穂子『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』東京大学出版会
- 高瀬弘一郎『キリシタンの世紀 ザビエル渡日から「鎖国」まで』岩波オンデマンドブックス
- 九州国立博物館編『「新・桃山展」公式図録 大航海時代の日本美術』
2021-02-06
四葉夕卜・小川亮『パリピ孔明』
武器によらない平和
2021-02-05
富の創造と政府の介入
2021-02-04
リンカーンの過ち
2021-02-03
思想の犯罪化
2021-02-02
南北戦争の真実
2021-02-01
政府債務と経済成長
政府債務が増えるほど、経済成長は鈍り、雇用の回復は弱くなる。今年のユーロ圏の経済回復は二つの点から期待外れになりそうだ。まず中央銀行による大量の資金供給は高水準の政府支出を長引かせ、公的債務を増やしている。次に企業の財務が悪化しており、投資の拡大が難しい。
This Time Is Not Different: More Debt, Less Growth | Mises Wire
政府と中央銀行の景気刺激策に強く期待する経済予測は、疑ってかかろう。債務が過去最高水準にあり、生産過剰が広がっている今ならなおさらだ。主流のマクロ経済リポートは、出所が複数でも、結局言っていることは同じ。「政府支出はいつも良いこと。中央銀行はいつも正しい」
Why Mainstream Economic Forecasts Are So Often Wrong | Mises Wire
ユーロ圏で生活コストの上昇に抗議が広がっているのは当然だ。中央銀行は「インフレは起こっていない」と言う。だが金融緩和のせいで金融資産価格は高騰している。消費者物価も公式統計では0.3%低下だが、生鮮食品は4.3%の上昇。ガソリンや電力は物価指数ほど下がっていない。
The ECB’s Latest Big Mistake | Mises Wire
米国は州の独立性が高く、起業家が多様で革新的であることなどから、反企業的な政策は計画どおりには実行されないだろう。米経済はアナリストが思う以上に回復力があり、欧州や中国に負けるとは考えにくい。マスコミをにぎわす政治より、中小企業など経済の現実に注目しよう。
Compared to Europe and China, America Is Still a Safe Bet | Mises Wire
>>翻訳@時事
2021-01-31
オスマン帝国と民族の共存
中東とバルカン半島と言えば、現在、民族紛争の巣窟と化している。内戦の続くシリア、イスラエルとパレスチナ人の闘争、トルコ政府とクルド人の武力衝突、そしてコソボ紛争は一応治まったものの、セルビアとコソボ間で対立が続くバルカン。いずれも民族の対立に解を見いだせず、途方に暮れているようだ。
ところがかつて、この広大な地域をある大国が治めていた時代には、激しい民族紛争のるつぼではなかった。差別や反目、小さな紛争はあったものの、そのような火種が果てしない紛争の連鎖へと拡大していくことはなかった。
ある大国とは、オスマン帝国のことだ。この帝国は支配層のイスラム教徒(ムスリム)以外に、民族も宗教も異にする多種多様な人々が、数百年にもわたり平和に共存していた。その秘訣はどこにあったのだろう。
13世紀のモンゴルの進出によって小アジアのルーム・セルジューク朝政権が滅ぶと、小アジアには多くのトルコ系小国家が生まれた。そのうち西北部に形成された国家がオスマン帝国となる。1453年、メフメト2世がコンスタンティノープルを占領してビザンツ帝国を滅ぼし、この地を首都とした。のちにイスタンブールの名で知られる。君主はスルタンと呼ばれる。
広大な版図を持つオスマン帝国には、イスラム教徒とともに多数の異教徒が暮らしていた。16世紀半ばのイスタンブールでは、人口40万のうち、約3割がキリスト教徒、約1割がユダヤ教徒であったといわれる。
イスラム教徒以外の人々の処遇は、イスラム法の中で細かく決まっている。それはオスマン帝国以前にすでに成熟した体系となっていたので、オスマン帝国はそのルールに従って統治したにすぎないとも言える。
ルールの原則は、イスラム教と同じ一神教を奉じるキリスト教徒、ユダヤ教徒を「啓典の民」とみなして一定の制限の下で庇護を与え、生命、財産、信仰の自由を保障する、というものだ。一定の制限とは、人頭税の支払い、政治参加の制限、教会の新築禁止、非イスラム教徒とわかる印を身につけること、などである。
こうした制限があったとはいえ、共存の条件が明示されていたことは、異教徒にとって相対的に住みやすい社会であったのは間違いないようだ。
たとえば中世欧州で、キリスト教政権の下、多数のイスラム教徒が居住していた国として、シチリア王国がある。しかしシチリアでは、最終的にイスラム教徒は放逐と同化の道をたどった。キリスト教徒、ユダヤ教徒の共同体が消滅することなく近代まで継続したイスラム世界とは、明確な違いがある(小笠原弘幸『オスマン帝国 英傑列伝』)。
15世紀末、レコンキスタ(国土回復運動)の完遂に伴い、キリスト教徒によってスペインからユダヤ人が追放されたとき、ユダヤ人が安住の地に選び移住したのは、オスマン帝国だった。彼らはセファルディムと呼ばれ、独特のスペイン語(ラディーノ)を用いていた。
ノーベル文学賞受賞者である作家エリアス・カネッティは、その子孫の一人だった。彼は、かつてはオスマン領だったブルガリアのルスチュクに生まれ、ユダヤ人差別の存在をまったく知らずに育った。スイスの学校に入って初めて自分が差別される存在であることを知ったと、その自伝で述べている(鈴木董『オスマン帝国』)。
また、スペインからの移住と同じ頃、迫害の強まったドイツやハンガリーからも多くのユダヤ教徒がオスマン帝国に移住した。彼らはアシュケナジムと呼ばれた。加えて、オスマン帝国内にはもともと在地のユダヤ教徒(ロマニオット)もいたので、ユダヤ教徒の構成は非常に複雑なものとなった。
これら欧州方面から移住したユダヤ教徒は、それまで培ってきた金融ネットワークを使って、オスマン帝国下で活躍した。
移住者の第一世代の中には、スルタンの信頼を得て、大きな活躍をした者もあった。なかでもポルトガル、ベルギーを経て1553年頃にイスタンブールに移住したヨセフ・ナスィは、その経済力を背景に政治や外交にも関与。またボスフォラス海峡を通るワインの関税請負収入などからさらに富を築いた(林佳世子『オスマン帝国500年の平和』)。
ユダヤ教徒と同じく異教徒とされたキリスト教徒も、オスマン帝国内には多く住んでいた。アナトリア(小アジア)とバルカンには、かつてビザンツ帝国の国教だったギリシャ正教徒が多数住んでいた。アナトリアには、アルメニア教会派も少なくなかった。レバノンの山地には、マロン派が固まって分布していた。エジプトには、土着のキリスト教徒であるコプト教徒が多数残っていた。
このほか、東アナトリアからシリア、イラクにかけては、ネストリウス派など東方諸教会に属する多くの宗派の人々が少数ながら存在していた。加えて、イスラム世界に敵対する西欧の公認の信仰である、ローマ・カトリック教会に属する人々さえ、存在を許容されていた。
支配的宗教だったイスラム教の場合も、大多数を占めるスンナ派のほか、シーア派、ドールーズ派の人々がいた。
オスマン帝国の人々は宗教だけでなく、民族も多種多様だった。
イスラム教徒の諸民族の中で、オスマン帝国を建設する主導力となったのは、トルコ人である。オスマン朝発生当初にはごく少数だったとみられるが、東方からの流入と、異民族がイスラムに改宗しトルコ語を母語として受容することで、しだいに増加した。
16世紀以降、アラブ地域がオスマン領となり、大多数がイスラム教徒からなるアラブ人が、帝国の臣民に加わった。アラブ人はトルコ人と並んで、帝国のムスリム臣民の二大集団となった。
アラブ人から見れば、トルコ人は同じイスラム教徒とはいえ、イスラム世界への新来者、北方の異民族の征服者であり、反感もあったと思われる。しかしその反感も、近代西欧の影響の下にナショナリズムが生じるまでは、それほど決定的なものではなかった。
より少数だが主としてイスラム教徒からなる民族として、イラク北部からアナトリア東部にかけてクルド人が住んでいた。トルコ人とクルド人の関係も、前近代においては良好だった。
キリスト教徒が多数を占める民族では、最も重要なのは、バルカンだけでなくアナトリアにも住んでいたギリシャ人だった。彼らの大多数は近代ギリシャ語を母語にしていたものの、オスマン朝の人々は彼らを何よりもビザンツ帝国(東ローマ帝国)のギリシャ正教徒と考え、「ルーム(ローマ人)」と呼んだ。
ギリシャ人自身の意識も同じだった。彼らが異教徒である古代ギリシャ人を自分たちの直接の祖先と考え、ギリシャ民族意識をアイデンティティーの根源とするようになるのは、18世紀以降のことである。
アナトリア方面にはアルメニア人もいた。彼らは帝国各地の都市にも居住し、とくに商業で活躍した。なかには建築請負業者としてオスマン帝国と深い関係を持つ者もあった。少なくとも前近代においては、アルメニア人とトルコ人との関係は良好だった。両者の関係が悪化するのも、近代それも19世紀末葉以降のことである(前出『オスマン帝国』)。
オスマン社会は決して平等ではなかった。非ムスリムは、イスラム教のきまりに従い、不利な立場に置かれていた。それでも、宗教・民族の共存をある程度実現していた。宗教・民族の対立に苦しむ現代に、貴重な示唆を与えてくれるはずだ。
<参考文献>
- 鈴木董『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』講談社現代新書
- 小笠原弘幸『オスマン帝国 英傑列伝 600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち』幻冬舎新書
- 林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史)講談社学術文庫
(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)
2021-01-30
太宰治『走れメロス 太宰治 名作選』
2021-01-29
企業が左傾化する理由
2021-01-28
マスクとファシズム
2021-01-27
支配階級の形成
2021-01-26
金本位制の規律
2021-01-25
結束の強制
2021-01-24
池上彰・的場昭弘『いまこそ「社会主義」』
いまこそ無政府主義
アナキストの社会主義は、一方で新自由主義に近いところがあるんです。国家の関与を極力否定しますからね。(強調は引用者)




























