安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相はタカ派の右翼政治家として知られる。だが姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』(講談社学術文庫)が記すように、社会主義の強い影響を受けた。
戦前から戦中にかけ経済統制や総動員計画を立案・推進した、いわゆる革新官僚は、岸をはじめ、だいたい第一次世界大戦後から大正末にかけて帝国大学を卒業し、共産主義の全盛期に学生生活を送っている。岸以外では星野直樹、奥村喜和男、迫水久常らである。
これら革新官僚グループに共通するのは、若き日の彼らが「一般的風潮としてのマルクス=レーニン主義的な社会科学の影響」のもとにあったことだと同書は指摘する。
彼ら革新官僚は、マルクス・レーニン主義に由来する「歴史と時代とを社会科学的に分析する素養」を身につけ、世界史的な「全般的危機」に対応する「全機構的把握主義」の思考様式に慣れ親しんでいた。
後年、「反共の闘士」として名を馳せた岸は、マルクス主義や共産主義にいかれることはなかったと何度も断っている。しかし若き岸がかりにマルクス主義そのものに傾倒しなかったとしても、社会主義から強い影響を受けたのは間違いない。ただし社会主義は社会主義でも、北一輝の国家社会主義である。
岸は北の著作『国家改造案原理大綱』を、夜を徹して筆写したという。発禁となるこの著作は、クーデターによって日本を平等な社会にするシナリオが描かれている。私有財産制度を制限する一方、労働省新設で労働者の待遇を改善し、児童の教育権を保全するなどである。天皇大権を認める点を除けば、普通の社会主義と大差ない。
やがて岸は商工省から満州国に渡り、産業開発を推進する。そこで採られたのは、まさしく北一輝が示したような、国家社会主義的な立場に基づく統制経済モデルだった。「満州国経済建設要綱」は四つの眼目の一つとして、「経済統制(重要産業部門の国家的統制)」をあげている。
しかし利潤追求を否定したために、資本家が投資に尻込みし、産業開発は遅々として進まないという事態を招く。
岸の国家社会主義的な志向は戦後も続く。岸内閣では国民皆年金・皆保険など社会保障の基礎を築く。しかし現在、社会保障が財政危機の元凶となっているのは周知の事実である。
国家主義者は経済の道理に無知で、社会のさまざまな問題は政府が描いた設計図どおりに解決できると信じている。その浅はかさは右翼も左翼も変わりない。
(2017年6月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)
>>騎士コラム
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