まず、伝統はつねに正しいとは限らない。かつて奴隷制は多くの国で大昔から続く伝統だった。次に、巷間いわれる伝統には、近現代の産物にすぎないものが少なくない。今回はこの二番目の問題について記す。
近年喧伝された伝統の一つに、「江戸しぐさ」がある。江戸時代の商人・町人から伝わるとされる作法で、小中学校の道徳教材にも掲載されている。ところがこの江戸しぐさなるもの、たかだか三十数年前に創作されたものだったのである。
江戸しぐさが歴史偽造であることは、歴史研究家の原田実が二冊の著書『江戸しぐさの正体』『江戸しぐさの終焉』(ともに星海社新書)で明らかにしている。
たとえば、江戸しぐさを代表する仕草の一つに、「傘かしげ」がある。雨の日に狭い路地ですれ違うときに、お互いの傘を反対方向に傾けることで雨水が相手にかかるのを防ぐ動作である。
しかし原田によれば、浮世絵や歌舞伎に傘が出てくるのは贅沢品だからで、庶民の雨具はおもに蓑笠や合羽だった。傘にしても、スプリングのある現代の洋傘と違ってすぼめやすいので、傾けるのでなく、すぼめて相手とすれ違うほうが楽だった。
そもそも江戸の商家や職人の家は、店頭や作業場として使う土間が道に面していた。傘かしげをやると、人の家の中に水をぶちまける恐れがある。
また「こぶし腰浮かせ」は、乗合の乗物などで席についてから、こぶし一つ分腰を浮かせて横に動いて席を詰める動作である。渡し舟や茶店の縁台で座る場所を作るための心遣いとされる。
だがこれも歴史的根拠がない。江戸の渡し舟に座席はなかった。現代のバスや電車と異なり、馬や荷物も一緒に運んだからである。茶店の縁台はくつろぐために湯呑や茶菓子を置いたから、きつく詰めて座ることはなかった。
原田によれば、江戸しぐさは1980年代、芝三光という人物によって生み出された。その手本は、芝が米軍施設でアルバイトとして働いた学生時代、将校用クラブで教わった英米式マナーではないかと原田は推測する。日本の古きよき作法の正体が英米式マナーだったとすれば、これ以上の皮肉はあるまい。
ここで思い浮かぶのは、最近議論となっている選択的夫婦別姓制度である。反対する保守派は、同姓は日本の伝統だと主張する。しかし実際には同姓制度は、明治政府が西洋化政策の一環として法律で強制したものである。
ある制度や習慣が大切だと思うのであれば、堂々と理を説けばよい。わざわざ偽造した伝統で権威づけようとするのは、何かやましいことがあるからではないか。
(2016年3月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)
>>騎士コラム
0 件のコメント:
コメントを投稿