軍事アナリストの小川和久は『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)で集団的自衛権を子供のケンカにたとえ、次のように説明する。
小学校の六年一組にガキ大将がいて、だれかれ構わず暴力をふるっていた。最初はみんな、自分一人で殴り返すなど反撃していた。これは「個別的自衛」である。
しかしガキ大将と一対一でケンカをしても、いつもやられてしまう。そこで一組のある少年が、どうすればよいか考えた末、信頼できそうな仲間を十人募り、六年一組の仲間にこう宣言する。
「今後、十人のうち誰かがガキ大将からいじめられたり殴られたりしたときは、十人全員がいじめられたり殴られたりした、と考えることにする。ガキ大将に対しては、十人全員でやり返すことに決めた」
十人の一人一人を十人全員とみなして、十人の集団としてガキ大将に対抗する。これが「集団的自衛」である――。以上が小川の説明だ。
しかし少し考えればわかるように、これは現実離れした空論である。
ケンカの相手はいつもガキ大将一人だけとは限らない。学校生活を送るうち、十人の仲間にそれぞれケンカの相手ができるだろう。仲間全体では十人分の「敵」を相手にしなければならない。
仲間の誰かがケンカを始めたら、自分に直接関係なくても、助太刀に駆けつけなければならない。その可能性が自分以外に九人分もある。学校の目的は勉強なのに、ケンカに忙しすぎて勉強どころではあるまい。
しかも小川によれば、「十人のうち体の弱い子や風邪気味の子は、『今回はやめておく』と遠くから見ているだけでもよいのです」という。間違いなく仮病が続出し、自衛集団はたちまち機能しなくなるだろう。
そもそも小川のこの方式に本当に効果があるなら、とうの昔に全国の小中学生が多数の自衛集団を作り、日本の学校からいじめはなくなっているはずだ。もちろん現実は異なる。小川の空想と異なり、右に述べたような理由により、学校における「集団的自衛」はうまく機能しないからだ。
学校に限らない。現実の軍事同盟でも、トランプ米大統領が北大西洋条約機構(NATO)などを批判するとおり、タダ乗りが横行しやすい。それ以上に厄介なことに、敵の数をいたずらに増やし、国の安全をむしろ危うくする。
現実を無視した軍事同盟の称賛はたくさんだ。「他国の問題に巻き込まれるような同盟関係をどの国とも結ばない」というトーマス・ジェファーソンの言葉を噛みしめたい。
(2017年5月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)
>>騎士コラム
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