大塚ひかり『本当はひどかった昔の日本』(新潮社)は、古典文学に描かれた昔の日本人の日常を紹介し、家族をはじめとする「古き良き日本」がいかに美化された虚像であるかを浮かび上がらせる。
江戸時代は子供を大切にするどころか、捨て子が盛んだった。捨て子を育てた者にお上や共同体から養育料が払われる制度があり、これを悪用する「貧困ビジネス」がはびこった。養育費を受け取り、ろくに乳を飲ませずに死なせてしまう。井原西鶴『日本永代蔵』にも「乳呑子を養ひてほし殺し」という「身過」(世渡り)について記述があるという。
児童虐待も日常茶飯事だった。鶴屋南北『東海道四谷怪談』の主人公、民谷伊右衛門の母であるお熊は、わずか五六歳の継孫を一日中蜆売りに出し、売上が少ないと言って怒ったりつねったりする。
このお熊は三度も結婚を繰り返しているが、実は当時は非常に離婚が多かった。それも死別によらない離婚が目立つという。
江戸時代初期、日本のキリスト教信徒向けに書かれた『どちりなきりしたん』で、秘蹟を授けられる際に守るべき七つの決まりのうち、「ひとたび結婚したら離婚してはいけない」という決まりに対してだけ、弟子は「是あまりにきびしき御定也」と他に例を見ないほど強く反発する。
「当時の日本人にとって『離婚』を禁じられることはこれほどまでに納得できないことだったのです」と大塚は述べ、「江戸時代の家族のもろさ」が捨て子や虐待の多さの一因ともなっていたのだろうと記す。
江戸時代の家族が「もろい」というと意外かもしれないが、そもそも結婚して夫婦で子育てするといった「家族」を多くの人が作れるようになったのは17世紀頃(江戸時代初期)からという。それ以前、結婚できる人は限られていた。
『一寸法師』『ものくさ太郎』など多くの物語で、「結婚して子供もたくさんできました、めでたしめでたし」と終わるのは現代人には陳腐に見えるが、特権階級しか家族を持てない時代にあっては「究極のハッピーエンド」だったと大塚は指摘する。
昔から、人が家族を持ち、維持するのは生半可なことではなかったのである。ありもしない「古き良き日本」の偶像に縛られるより、結婚は難しいのがあたり前で、結婚できても夫婦や親子のごたごたはあって当然とわきまえ、肩の力を抜くほうが、幸せな人生が送れるに違いない。
(2016年11月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)
>>騎士コラム
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