逮捕されないことや報道上の呼称については、それぞれしかるべき理由があるとして、憶測は否定されているようだ。けれどもこの出来事をきっかけに、一般国民にはない特権を持つ人々(上級国民)の存在がクローズアップされたのは、社会の仕組みを正しく知るために有意義だったといえる。
ネット上の議論を見ていると、上級国民とは根拠のない陰謀論の産物で、現実には存在しないと主張する向きもある。これは明らかに言い過ぎだ。上級国民という呼び名はともかく、国民が一部の特権階級とそれ以外の一般人に分かれることは、あとで詳しく述べるように、古くから学問的にも指摘されてきた事実だからだ。
その意味で、上級国民は本当に存在する。議論を深めるうえで重要なのは、何を基準に上級国民と一般国民を区別するかである。言い換えれば、上級国民の正しい定義とは何かである。
現在、その定義はあいまいだ。ネットの「ニコニコ大百科」では、2015年の東京五輪エンブレム騒動を発端に、権威を振りかざす専門家を皮肉る意味合いで上級国民という言葉が広まった経緯を紹介し、最近では「政治家や役人、資産家などを批判的な意味合いにて指し示すようにも用いられる」と解説するものの、はっきりした定義は述べていない。
ベストセラー作家の橘玲氏が最近出版した『上級国民/下級国民』(小学館新書)は、そのものずばりのタイトルだが、期待外れなことに、上級国民の明確な定義はやはりない。「じゅうぶんな富のある一部の男性」を上級国民と呼ぶ箇所はあるが、あまりに漠然としている。これなら上級国民などという新奇な言葉を使わず、単に「富裕層」と呼べば済むことだ。
階級論
学問の世界では、経済において共通の地位を占める人々の集団を「階級」と呼び、階級に関する研究を階級論という。階級論で一番知られているのは、ドイツの共産主義思想家、カール・マルクスによるものだ。資本主義社会は、機械や土地などの生産手段を所有する支配階級である「ブルジョワジー」と、所有しない被支配階級である「プロレタリアート」に分かれ、両者の間には不断の争い(階級闘争)が繰り広げられると説いた。盟友フリードリヒ・エンゲルスとの共著『共産党宣言』で述べた、「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」という言葉は有名だ。
ところが、マルクスの階級論には問題があった。規模は小さくても自前の工場や店舗を持つ中小の自営業者はブルジョワジーとして支配階級に属することになるし、一方で、国家権力の一端を担うがサラリーマンにすぎない官僚は被支配階級のプロレタリアートになってしまう。
マルクス自身、この問題に気づいていた。死後の1894年に出版された主著『資本論』最終巻の「諸階級」と題した最終章で「しかしながら、(自分の)この立場からすれば、たとえば医者と役人も二つの階級を形成するであろう」などと述べ、自説への不満をにじませている。けれども『資本論』の原稿はここで中断し、続きが書かれることはなかった。
実は、もっと論理的に整合性のある階級論がマルクス以前に存在した。マルクスの階級論が有名なため、階級論そのものがマルクスによって考案されたと誤解されがちだが、それは違う。むしろマルクスは以前の階級論を参考に、自説を組み立てたのである。
その階級論が生まれたのは、1810年代のフランス。ナポレオンの失脚後、ブルボン朝が一時復権した復古王政の時代だ。自由主義派と呼ばれる知識人によって理論が構築された。中心となったのは法律家シャルル・コント、経済学者シャルル・ディノワイエ、歴史家オーギュスタン・ティエリの3人である。
自由主義派の階級論によれば、社会で人間が自分の欲求を満たす方法は2つある。自分で働いて富を生産するか、他人が生産した富を奪うかである。あらゆる社会において、人は生産によって生きる者と、略奪によって生きる者とに区別される。この2つの集団の利害は対立する。マルクスの言葉をもじって言えば、「これまでのすべての社会の歴史は、略奪階級と生産階級の闘争の歴史である」ということになる。
自由主義派によれば、古代ギリシャやローマでは、戦争を通じた兵士の略奪行為が好まれた。中世には武人出身の貴族が台頭し、農民を搾取した。近代になると、露骨な略奪が難しくなったため、別の巧妙な方法が使われるようになる。税金という名の貢ぎ物である。
つまり近代国家の国民は、税金によって生きる支配階級と、税金を取られる被支配階級の2つの集団に分かれる。前者は最近の言葉で言い換えれば、上級国民ということになる。暴走事故を起こした飯塚元院長は税金を収入源としてきた元官僚だから、上級国民と呼ぶのは間違っていない。
自由主義派の階級論は、マルクスと違い、きわめて明瞭で現実に即した階級の区別といえる。日本共産党はマルクスを信奉する社会主義政党だから、中小の自営業者は従業員を搾取するブルジョワジーとして攻撃しなければならないはずなのに、実際の政策では「日本経済の根幹」と持ち上げ、支援策を打ち出したりしている。マルクスの誤った階級論がもたらしたひずみだ。
政治家は、保守か革新かを問わず、自由主義派の階級論を正しいと認めることは難しいだろう。官僚と並び、税金で生きる上級国民の代表格だからだ。政府の顔色をうかがうメディアや知識人も触れたくない事実に違いない。上級国民の話題を茶化し、突っ込んだ議論を避けるのもうなずける。
しかし税金を取られ、搾取される側の一般国民にとって、上級国民の存在に気づいたことは社会を変える第一歩になる。
自由主義派の一人、ティエリは「課税はつねに悪である」という言葉を残した。消費税率の引き上げを控え、社会保険料という名の税負担にも苦しむ一般国民にとって、希望の言葉に聞こえるはずだ。
(Business Journal 2019.09.12)
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