しかしこの問題は、そもそもの出発点に大きな疑問が横たわる。英国は襲撃にロシアが関与していると主張しているが、いまだにその証拠が提示されていないのだ。今から15年前、米英が実際には存在しない大量破壊兵器の保有を口実にイラクを攻撃し、甚大な犠牲と被害をもたらしたイラク戦争の過ちを繰り返しかねない。
事件発生後、英国のメイ首相は「ロシアが関与した可能性が極めて高い」と断じ、ロシア外交官を追放。トランプ大統領率いる米国や、欧州連合(EU)加盟国のうちドイツやフランスなどもこれに追随した。EUは事件にロシアが関与した可能性が高いとする英国の主張を「団結して支持する」との声明を公表している。
しかし、この欧米の行動には批判が少なくない。EU加盟28カ国(離脱を決めた英国を含む)の約3分の1は外交官追放に追随しなかった。「ロシアと対話のルートを絶やしたくない」(オーストリア)、「英国とは連帯したいが、調査も必要」(ギリシャのチプラス首相)と、バタバタ追放を決めた諸国よりむしろ冷静さが目立つ。
それというのも、英国はロシアが事件に関与した証拠を示していないからだ。ロシアのプーチン大統領は、ロシアを非難するのはばかげたことだと否定。ロシアの化学兵器は国際監視の下で廃棄しており、存在しないと強調している。ロシアは事件について英国と協力して捜査する用意があるとしているが、英国側は協力を拒み、国際法に沿った問題解決も拒否している。
神経剤、ロシア製との証明できず
ロシアが関与したという英国の公式見解を信じるには、事件には不審な点が多すぎる。襲撃に使われたとされる軍事神経剤ノビチョクの開発に関わったロシア人科学者によれば、ノビチョクには解毒剤がなく、生命維持装置を外せばスクリパリ氏親子は死ぬといわれていた(3月22日付ニューズウィーク)。
ところが4月5日、娘のユリアさんが事件後初の声明を出し、自身の容体が快方に向かっていることを明らかにした。さらに翌6日、親子が入院する病院が、スクリパリ氏が重体を脱し、「急速に回復」していると述べた。事実であれば、親子が盛られた毒は致命的な軍事神経剤などではなかったことになる(ユリアさんは10日までに退院)。
英政府は、ロシアがノビチョクで親子を襲った可能性が高いというが、根拠は薄弱だ。英国防科学技術研究所は4月3日、使用された神経剤を分析した結果、ロシア製だと証明することはできなかったと明らかにした。
もし使ったのがロシアでないとすれば、誰なのか。旧ソ連崩壊後の1990年代半ば、英国、チェコ、スウェーデン、米国など西側諸国はひそかに化学兵器の研究文書を自国に持ち込み、ロシアを出国した専門家の協力を得て研究を続けたといわれる。これにより開発されたのがノビチョクだとされる。
今回、神経剤を分析した英国防科学技術研究所は、親子が襲撃されたとされるソールズベリーからわずか7キロのポートンダウンにある。過去数十年にわたり、化学有害物質を使った人体実験を行なっていたとされる、いわくつきの軍事施設だ。研究所の所長は、襲撃に使われた毒物がポートンダウンで製造された可能性を否定している。
化学兵器禁止機関(OPCW、本部オランダ・ハーグ)が4月4日、事件を協議するために開いた執行理事会で、ロシアは英国との事件の共同調査を提案したが、賛成国は少数にとどまり却下された。理事会の41カ国中で賛成したのは6カ国で、英国など15カ国が反対、17カ国が棄権した(残り3か国は会合に不参加)。
イラク戦争の二の舞か
国際法に沿った解決を拒み、明確な証拠がないまま相手を一方的に断罪する構図は、15年前のイラク戦争開戦時をいやでも連想させる。
2003年3月に始まったイラク戦争で、主体となった米英が開戦の理由としたのは、(1)イラクは大量破壊兵器を保有している、(2)イラクは01年9月11日の米同時多発テロに協力した疑いがある――の主に2点だった。しかし、これらはいずれも根拠に乏しいもので、米英政府はイラクの脅威を煽るため意図的な情報操作をしたとみられている。
ブレア首相率いる英政府は、ブッシュ政権を上回る宣伝活動を展開し、しかもその内容は米国以上にお粗末なものだった。ブレア政権が03年2月に発表したイラクの大量破壊兵器に関する報告書は、驚いたことに、その大部分が他人の論文や出版物からの引き写し、つまり盗作だった。報告書は英情報機関MI6の諜報員が執筆したとされていたが、じつはブレア首相の側近として知られるアリスター・キャンベル首相補佐官の若手スタッフが作成したものだった。
それでも引き写した部分は大半が情報として正確なものだった。より大きな問題となった箇所は、イラクが国際的テロを支援しているという当時の米英政府の主張を裏づける目的で、報告書の作成者によって勝手に書き直されたり書き加えられたりした部分だった。
ブレア首相の側近たちがこの報告書作成にMI6を使わなかったことには、実は理由があった。当時のMI6の分析官たちは、この問題におけるブレア政権の主張を否定していたのだ。MI6が独自に作成した正式な分析報告では「(米同時多発テロを起こした国際テロ組織アルカイダの指導者)ウサマ・ビンラディンの目的はイデオロギー的に今日のイラクとは相矛盾しているため、イラクとアルカイダの間に確認された接点は存在しない」と明示していた(ジョン・ストーバー、シェルダン・ランプトン共著、神保哲生監訳『粉飾戦争:ブッシュ政権と幻の大量破壊兵器』<インフォバーン>)。
イラク戦争は、こうした公式の偽ニュースともいうべき嘘の情報、不確かな情報を根拠に始められ、イラク市民を中心に数十万人もの命を奪ったのである。今回の襲撃事件に関する英米の行動やそれを支持するマスメディアの報道を見る限り、イラク戦争の教訓を学んだとは思えない。
(Business Journal 2018.04.11)*筈井利人名義で執筆
0 件のコメント:
コメントを投稿