それというのも、ジョンソンはケネディ暗殺の黒幕だったという衝撃的な陰謀説が以前からくすぶり続けているからだ。
犯罪には(1)動機、(2)手段、(3)機会の3要素が存在するとされる。ジョンソン黒幕説のポイントを紹介しながら、点検してみよう。
動機
まずジョンソンには、合衆国大統領という強大な権力への並外れた欲望と、通常の方法ではその望みをかなえられないという動機があった。テキサス州の農村で生まれ育ったジョンソンはまだ小学校低学年のとき、将来大統領になると初めて宣言した。これだけなら子供によくある話だが、ジョンソンの場合、大統領になる夢は一生を賭けた執念となる。そのためには手段を選ばなかった。
ジョンソンは民主党に籍を置き、1948年、上院議員に初当選する。これは水増し投票による不正なものだったといわれる。ジョンソンの顧問弁護士を務めたバー・マクレラン氏の著書『ケネディを殺した副大統領-その血と金と権力』によれば、投票終了後、有権者を捏造し、その名前を登録有権者名簿に書き加え、開票結果にその数を上乗せしたという。
実質的な党代表である上院院内総務にまで出世したジョンソンは1960年、大統領選に出馬するが、党指名候補争いでケネディに敗れ、屈辱を味わう。大統領になる執念を実現するには2つの選択しかなくなった。次の大統領選挙まで待つか、不慮の事態を期待してケネディの副大統領候補に甘んじるかである。ジョンソンは後者を選び、新聞記者に意味深長な言葉を語った。
「大統領の4人に1人は在職中に死亡している……一か八かやってやろうじゃないか!」
ジョンソンには大統領を目指すのにゆっくり時間をかけていられない理由があった。健康問題だ。ジョンソンのおじは57歳の若さで心臓発作で死亡し、父親もやはり60歳のときに心臓病で死んだ。ジョンソン自身もすでに47歳の若さでひどい心臓発作に襲われ、危うく死にかけている。これでは長寿は望めず、あと5〜10年の猶予しかないという焦りがあった。
駄目押しとなったのがスキャンダルである。副大統領在職中、ジョンソンの身辺にはカネにまつわる問題が相次いだ。有力な支援者である事業家ビリー・ソル・エステスが綿花の作付け割り当てで不正を働いた事件、腹心の民主党上院院内総務秘書ボビー・ベーカーによる収賄事件などだ。
これらのスキャンダルも一因となり、1964年の大統領選が近づく頃には、ジョンソンは民主党の公認候補にはなれないとの見方が広がっていた。決定打として、ケネディ本人が「ジョンソンは副大統領候補にならないだろう」と発言したと伝えられる。このままではジョンソンに「次がない」ことは誰の目にも明らかだった。
手段
次に、ジョンソンにはケネディ暗殺の手段もあった。地元テキサスの司法に対する支配力と殺し屋である。
前述のビリー・ソル・エステス事件を例に取ろう。テキサスで1961年、エステスの不正を調査していたヘンリー・マーシャルという農務省の調査官が自分の車の中で射殺体で発見された。遺体の横には手動式のライフルが置かれていた。検死の結果、マーシャルは頭部に5発の銃弾を受けて死亡したことが明らかになったが、驚いたことに、テキサスの郡の検視官はこれを自殺と判定し、それが認められたのである。
前述のマクレラン氏は、テキサスの司法界に強い影響力を持つジョンソンの顧問弁護士、エドワード・クラークが背後で手を回したと指摘する。事件から20年以上たった1984年、マーシャルの死を調査するため大陪審が召集され、マーシャルの死は自殺ではなく他殺であり、ジョンソン、クリフトン・カーター(クラークの友人。民主党全国委員会でジョンソンの配下で活動)、マック・ウォレス(殺し屋)が共同謀議者として殺人に関わったと結論づけた。この衝撃的な結論が出されたとき、ジョンソンら3人はすでに死亡していたため、裁かれることはなかった。
米政府の公式見解では、ケネディ暗殺はリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行とされる。ところがオズワルドがケネディを狙撃したとされるテキサス教科書倉庫ビルで発見された指紋の一つが、ウォレスの指紋と一致したという。
機会
最後に、ケネディがテキサスでの遊説を決めた瞬間、ジョンソンはケネディ暗殺の機会を手に入れた。
長年にわたりケネディ暗殺を研究した米法律家のクレイグ・ジーベル氏の著書『テキサス・コネクション-JFK暗殺 ジョンソンの最も危険な賭け』によれば、ジョンソンは率先してケネディにテキサス遊説を勧め、旅程を計画した。
暗殺前日の夜、ジョンソンはホテルのスイートルームにケネディを訪ね、大統領と激しく口論した。自分の友人で大統領と同乗する予定のジョン・コナリー・テキサス州知事を自分と同じ後続の車に移し、代わりに政敵であるラルフ・ヤーボロー上院議員をケネディと同乗させるよう主張したのである。ケネディがこれを拒否すると、逆上したのだった。ジョンソンは明らかに、翌日に何かが起こることを知っていたのである。
そして暗殺当日、ジョンソンはさらに不可解な行動をとる。最初の銃弾が撃たれるより30〜40秒も前から、車の中で身をかがめ始めたのだ。ジョンソンの車が暗殺現場のエルム通りに入ったところを撮った写真を見ると、ジョンソンはすでに視界から完全に消えている。後部座席の他の人々の表情はみな冷静で、明らかに銃撃はまだ認識されていないのにである。
ケネディが撃たれた後の行動も不可解だ。ジョンソン自身が次の標的になる恐れがあり、警護スタッフからすぐダラスを離れるよう要求されたにもかかわらず、ジョンソンはケネディの死が確認されるまで、搬送先の病院を離れようとしなかった(映画では「大統領が闘っているのに離れるわけにはいかない」という情緒的な理由で片づけられる)。
大統領となったジョンソンは、ケネディがまだ埋葬されてもいないうちに、ケネディがパレードで乗ったリムジンをデトロイトに送り、完全に修理させる。車体と窓は新品と交換され、内装もすべて外されたため、弾痕や血痕などあらゆる証拠が失われてしまった。一般人が行えば証拠隠滅罪に問われかねない行為である。ジョンソンが暗殺に関与していないなら、なぜそんなことをしたのか。
怪優ウディ・ハレルソンが柄にもなく善人のジョンソンを演じる『LBJ』ではもちろん、暗殺の黒幕であることを示すようなエピソードは出てこない。ただし一つだけ意味深長な場面がある。ジョンソンがシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』から「シーザーよりローマを愛した」というブルータスの台詞を引用してみせるのだ。
ブルータスはいうまでもなく、古代ローマの元首シーザーを殺した暗殺者である。ジョンソンを美化する映画に誰かが忍び込ませた、隠れたメッセージだろうか。
<参考文献>
バー・マクレラン、赤根洋子訳『ケネディを殺した副大統領——その血と金と権力』(文藝春秋)
クレイグ・ジーベル、石川順子訳『テキサス・コネクション——JFK暗殺 ジョンソンの最も危険な賭け』(竹書房文庫)
Phillip F. Nelson, LBJ: The Mastermind of the JFK Assassination, Skyhorse Publishing.
(Business Journal 2018.11.15)*筈井利人名義で執筆
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