国家は財政悪化に直面すると、しばしばマネーの「魔術」に頼る。現代であれば、政府の傘下にある中央銀行にマネーを大量に発行させる。このマネーで政府の借金を肩代わりしてやれば、政府は返済を心配せず、好きなだけ浪費できる。もしこれが永遠にうまくいけば、まるでおとぎ話に出てくる打出の小槌を手に入れたようなものだ。
けれども、そうは問屋が卸さない。たしかにマネーを増やせば、政府は一時、借金返済の圧力から逃れることができる。だが、それは長くは続かない。なぜなら、生産活動の裏付けがないままマネーの量を増やせば物価上昇を招き、マネーの価値は下がってしまうからだ。結局、財政の破綻から逃れられない。
スペイン帝国がたどった道は、まさにそれだった。ただし、スペイン帝国が手にしたと思った打出の小槌は、中央銀行ではなく、アメリカ大陸の銀山だった。
スペインは「大航海時代」を経て、新大陸と呼ばれたアメリカ大陸を中心に、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる広大な植民地帝国を築いた。1516年に即位したハプスグルク家のカルロス1世は、神聖ローマ皇帝にも選出された(神聖ローマ皇帝カール5世)。カルロス1世は、ネーデルランド(オランダ)やオーストリアなどの広大な領土を支配したが、欧州の支配権を巡ってフランスと戦争を続けたため、財政が悪化した。
カルロス1世の退位後、ハプスグルク家はスペインとオーストリアの両家に分かれた。スペイン王を継いで1556年に即位したフェリペ2世は、イスラム勢力に立ち向かい、1571年にはオスマン帝国の海軍をレパントの海戦で破って威信を高めた。また、宗教改革を起こしたプロテスタントに対抗するカトリックの盟主として、諸国の内政に盛んに干渉した。
これらの軍事費を支えたのが、新大陸で発見された銀である。
1545年、スペイン統治下にあった現在のボリビア領で世界最大級のポトシ銀山が発見された。スペイン人はポトシ銀山で現地人(インディオ)を強制労働させて銀を採掘した。
ポトシ銀山はアンデス山中の標高約4000メートルという高地にあり、そこにいるだけで高山病になってしまう。それに加え、採掘は劣悪な環境での過酷な労働だ。精錬に水銀が用いられるようになってからは、有毒な水銀の蒸気によって多大な犠牲者が出た。数百万人が死亡したと言われる。
ポトシ銀山など新大陸から産出する銀の量は、16世紀後半には世界で産出される銀の80〜90%近くを占めた。16世紀から17世紀半ばまでの160年間では、欧州の銀保有量の3倍に匹敵する銀がスペインに運ばれたと推定される。そして、スペインに搬入された銀の5分の1は、スペイン王の取り分となった。
フェリペ2世はこの膨大な富を利用して戦争を繰り返し、版図を広げた。そしていよいよ、反カトリックのエリザベス1世率いる英国を征服するため、無敵艦隊の建造に着手する。大型軍艦127隻と数百隻の輸送船からなる史上空前の大艦隊である。その建造のための木材伐採で、スペインの山が禿げてしまったという。
ところが無敵艦隊は1588年、英仏海峡で英海軍に対し屈辱的な敗北を喫する。スペイン艦隊は敗走の途中、英国北方で嵐に遭遇し、65隻もの船が遭難した。帰還できたのはわずか54隻という、惨憺たる結果だった。
これらの戦費は、前述のように新大陸からの銀で賄っていたのだが、実際にはそれでも不足し、フランドルやドイツ、ポルトガルの資産家や、スペインの商人、イタリアの銀行家など欧州中の投資家から多額の借り入れをしていた。
当時のスペインは、歳入の半分を借金で賄っていた。議会の承認が必要な税収に頼る必要がないため、国王にとってはとくに魅力的だった。
これは将来への教訓になった。米経済学者のグレン・ハバードとティム・ケインは「行政機関の長が国家として資金を借り入れる無制限の権限をもっていると、財政は現実には必ず混乱する」と指摘する(『なぜ大国は衰退するのか』)。
スペインは1550年代に最初の債務危機に陥る。当時王子だったフェリペ2世は父王に宛てた手紙で、財政赤字は米大陸の銀ではカバーできないと述べている。即位と同時に膨大な借金を受け継ぎ、翌1557年に最初の破産宣言をした。これを含め、在位中に3回の破産宣言を行なった。その後の国王の治世においても3回の破産を宣言した。
これほど頻繁に破産しておきながら、貸し手がいなくならなかったのは、スペインが大銀山を持っていたからだ。スペインの膨大な借金は、銀行業を営む欧州各地の名家が、銀は今後さらに増えるという約束と引き換えに貸し付けたものだった。
けれどもその銀の価値は、新大陸から欧州に持ち込まれる銀の量が増えるに従い、急速に落ちていった。つまり、急速な物価上昇(インフレ)をもたらした。
1500〜1550年にかけてほぼすべての商品の価格が2倍になり、1585年までにさらに50%上昇した。1585年に銀貨1枚で買える食料や衣服の数量は、1500年当時に比べて大幅に少なくなったのである。欧州ではそれまで300年にわたって物価が安定していたため、これは実に大きな変化だった。
フェリペ2世は、この物価高に困惑した。古代ローマ帝国と違い、貨幣を改鋳して品位を落としたわけではない。大量の銀を発見し、それを銀貨にしたのだから、本来は豊かになってよいはずだ。それなのに、なぜインフレが起きてしまうのか。なぜ国家破産に追い込まれてしまうのか。彼には理解できなかったに違いない。周囲にマネーの仕組みを理解した有能な助言者がいなかったからだ。
経済学者の野口悠紀雄氏は、こう説明する。マネーの増加は、貨幣改鋳によっても銀の増加によっても起きる。改鋳という邪悪な意図を持っているかどうかは関係ない。そして、経済全体の生産量が増えなければ、物価が上昇してしまう。「マネーが増加し生産量が増加しなければ、価格が上昇する」という事実は、貨幣数量説として定式化されている。
スペインは、発見した銀のおかげで借金が容易になり、王室の購買力は増えた。しかしフェリペは増大した購買力を、膨大な軍事費という非生産的な用途に充てた。その結果、スペインの山は禿げてしまい、産業が発展することはなかった。だからスペインは豊かになれなかった。
野口氏は「もしスペインが銀山を発見していなければ、無敵艦隊の建造などという無謀な試みには乗り出さなかっただろう。スペインは、無知によって衰退したのだ」と述べる(『マネーの魔術史』)。
マネーの魔術は、国家を衰退に追いやる恐ろしさを秘めている。
<参考文献>
- グレン・ハバード、ティム・ケイン、久保恵美子訳『なぜ大国は衰退するのか 古代ローマから現代まで』日経ビジネス人文庫
- 野口悠紀雄『マネーの魔術史 :支配者はなぜ「金融緩和」に魅せられるのか』新潮選書
(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)
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