法律は国民へのお願いではない。命令だ。命令に従わなければ、武装した政府職員に連れ去られ、牢屋に入れられる。抵抗すれば叩きのめされ、殺されるかもしれない。支配者が政治的な暴力に反対するのは、それが不正だからではない。暴力を使うのが自分ではないからにすぎない。
政府は暴力だ。政府が生活の多くを支配するに従い、人々は選択肢が二つしかないことに気づく。食う方になるか、食われる方になるかだ。食う方を選んだら、自分と家族を守るために何でもする。殺伐とした政治が嫌なら、政治の役割を小さくしよう。政府を自由で置き換えよう。
バイデン次期大統領を含め、現代の米大統領は「人民の意思」という言葉を多用する。これに同調する評論家たちは、強大な国家もまた賛美する。彼らが称える「民主的」手順はしばしば、政治家がほとんど無制限の政府権力を手に入れ、エリートの喜ぶ政策を押しつけるのに役立つ。
米議会はコロナ経済対策を含む5593頁もの法案を、読む時間もなく可決した。こうした無茶な立法は、ここ三十年近く珍しくない。ギングリッチ下院議長とクリントン大統領が成立させた1998年予算は4000頁あった。上院の長老バード議員いわく、「この怪物の中身は神のみぞ知るだ」
>>翻訳@時事
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