Are Government Services Underfunded? | Mises Institute [LINK]
【海外記事紹介】スペインで発生した悲惨な列車事故をきっかけに、公共サービスの「資金不足」という言葉が議論の的となっています。犠牲者への哀悼の意を表しつつ、私たちは冷静に、政府が提供するサービスのあり方を経済学の視点から見つめ直す必要があります。多くの場合、公共サービスの質が低下すると、関係者は口を揃えて「予算が足りない」と主張しますが、問題の本質は金額の多寡ではなく、公共部門という仕組みそのものに潜んでいます。
まず、資金調達の本質を考えてみましょう。民間市場では、起業家が自らの責任で資金や労働力を確保し、消費者の需要を予測してサービスを提供します。消費者がその価値を認め、支払った対価が費用を上回れば「利益」が生まれ、価値が創造されたことが証明されます。しかし、公共部門は全く異なります。その資金は税金や借金、あるいは通貨発行によるインフレという形で、民間から強制的に徴収されたものです。そこには利益も損失もなく、サービスと収入が切り離されているため、資源が効率的に使われているかを確認する手段がありません。
自由市場において、物の価値を決めるのは個々の消費者の主観的な評価です。起業家は、「価格」という信号を頼りに、人々にとってより価値のあるものを生み出そうと努力します。対照的に、政府が運営する事業には、自発的な取引に基づく「真の価格」が存在しません。価格という情報がなければ、資源を合理的に配分することは不可能です。公共サービスを利用するのは「消費者」ではなく、単なる「利用者」に過ぎず、官僚が勝手に決めた予算の中で運営されるため、その事業が価値を生んでいるのか、それとも資源を破壊しているのかを判断する術がないのです。
公共サービスで常に「資金不足」が叫ばれる理由は、まさにこの計算不能な状況にあります。効率性が測定できないため、無駄が積み重なり、それを補うためにさらなる資源の投入が要求されるのです。また、利益追求の動機がないため、現場には改善のインセンティブが働かず、政治的に決まる賃金体系の中では、より少ない労働で多くの資源を要求することが合理的になってしまいます。
公共サービスは、民間市場に比べて常に高コストで低品質になりがちです。真の解決策は予算を増やすことではなく、公共の独占を縮小し、自由な民間企業による競争と、価格を通じた合理的な資源配分を取り戻すことにあります。
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