Epstein and the Structure of Impunity | The Libertarian Institute [LINK]
【海外記事紹介】エプスタイン事件に関する機密文書の公開を巡り、現在アメリカでは「司法の不処罰」という深刻な構造的問題が浮き彫りになっています。この記事の著者は、世間の関心が個人のスキャンダルや名声の失墜にばかり向いている現状を危惧し、真の問題は「法律が権力者にとって不都合になったとき、政府機関がいかに容易にそれを無視できるか」という統治の仕組みにあると指摘しています。
2025年11月、米議会は「エプスタイン・ファイル透明性法」を成立させました。これは司法省に対し、30日以内にすべての記録を公開するよう命じた極めて明確な法律です。名誉毀損や政治的理由での黒塗り(非公開)を禁じるなど、これまでの曖昧さを排除した設計になっていました。しかし、司法省は期限を過ぎても一部の記録しか公開せず、広範な黒塗りを継続したまま、一度公開した文書を削除することまでありました。法的な義務があるにもかかわらず、不履行に対する罰則がないため、当局は「都合の良い範囲でのみ公開する」という対応を選択したのです。
著者は、これが単なる官僚的な遅延ではなく、米国のエリート層が享受している「免責」の構造そのものだと主張します。エリートたちの信頼性は道徳的な高潔さによって保たれているのではなく、情報操作や法的特権、恣意的な法執行といった「制度的な緩衝材」によって守られてきました。今回、司法省が法律を軽視して自己保護に走ったことで、こうした保護メカニズムが図らずも可視化されてしまったのです。信頼の失墜は、不快な事実が明らかになったからではなく、法律という絶対的な命令が「コストなしで無視できる」ことが証明されたために起きています。
行政機関を監視するはずの議会の対抗手段も、現実には形骸化しています。不服従に対する刑事告発を処理するのは司法省自身であり、民事訴訟は特権の壁に阻まれて遅々として進みません。その結果、行政側は「適当に時間を稼ぎ、部分的に公開して体裁を整える」ことが合理的な戦略だと学習してしまいました。この記事は、この構造を正さない限り、どんなに立派な透明性法を作っても、それは単なる象徴的なジェスチャーに終わり、権力の暴走を止めることはできないと鋭く批判しています。真の問題は個人の不道徳ではなく、チェック・アンド・バランスが機能しなくなったシステムの機能不全にあるのです。
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