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2026-02-08

シルクロードの終着駅・日本

上野の森美術館(東京)で先日開いた展覧会「正倉院 THE SHOW」は、奈良の正倉院の宝物の魅力に最新の技術で迫る試みだった。なかでも見応えがあったのは、再現模造でよみがえった「螺鈿紫檀五絃琵琶」などの宝物だ。現物を精密に調査し、同じ素材や伝統的な技法を用いて、古代の姿を忠実に作り直したこれらの宝物からは、当時の最高の工芸技術がうかがえた。


正倉院は「シルクロードの終着駅」と呼ばれる。その宝物には、はるか西方から伝わった異国風のデザインや技術が用いられたものが多く含まれる。これら国際性に富む宝物は、当時の日本列島が東西文化交流の集積地であったことを物語っている。 

16世紀の「大航海時代」に世界の一体化が始まるはるか以前から、ユーラシア諸地域では、いくつかのルートを通じて、経済的・文化的交流が行われていた。ルートには大きく3つあった。中央ユーラシア北部を東西に結ぶ「草原の道」、その南の砂漠地域に点在するオアシス諸都市を結ぶ「オアシスの道」、南方の海上を船で往来する「海の道」である。

このうちオアシスの道は、シルクロード(絹の道)とも呼ばれる。シルクロードとは、ドイツの地理学者リヒトホーフェンが19世紀後半に、タリム盆地(現中国新疆ウイグル自治区南部)を東西に横断する古代の諸交通路を指して用いた語だが、現在ではより一般的に、近代以前の東西交流ルートを指して用いることも多い。

ユーラシア大陸の東西を結ぶ中央アジアの道は、世界有数の高山とその間に広がる砂漠の道である。その砂漠の周辺に点在する河川や湧水地が、オアシスと呼ばれる。紀元前一千年期に、山麓の地下水脈から水を引き、灌漑に利用する地下水路(カナート)を作る技術が確立すると、灌漑農業が発達してオアシス農村集落が点々と形成されていった。オアシス集落は基本的に農村だが、手工業生産や交易の拠点としても発達し、市場や防御施設を備えていく。

オアシスの道の中心となるのは、タリム盆地とソグディアナ(ほぼ現ウズベキスタン)のオアシス諸都市だった。紀元前2世紀後半、漢の武帝が張騫を西域に派遣したとき、張騫は中央アジアのオアシス国家がすぐれた馬を産出することや、インドと交易していることなどを朝廷に報告した。これをきっかけに西域方面に対する漢の関心は高まり、漢は匈奴の勢力を排除してタリム盆地のオアシス諸都市を西域都護の監督下に置き、通商の利益の確保に努めた。

後漢の時代には、「大秦」という名で中国に知られるようになっていたローマ帝国への使節の派遣が試みられた。西域都護となった班超は、西域のオアシス国家など50余国を服属させ、部下の甘英をローマ帝国に派遣しようとしたが、地中海方面の航海に関する危険などの情報から失敗したとされる。

オアシス周辺の可耕地は限られるため、長距離交易はオアシス経済にとって重要な意味を持った。砂漠地帯の交易は、ラクダを連れた隊商(キャラバン)によって行われ、オアシス諸都市には隊商のための宿泊施設が作られた。隊商によって運ばれるのは、シルクロードという呼び名の起源となった絹織物のほか、毛皮、金・銀などの貴金属、香料などの贅沢品だった。

中央アジアのイスラーム化以前、オアシスの道の主役として長距離交易を担ったのは、ゾロアスター教やマニ教を信仰するイラン系の商業民族ソグド人だった。ソグド人の本拠である地域はソグディアナといわれるが、その中心都市サマルカンドは、紀元前から有力なオアシス国家として知られていた。ソグド人の隊商は唐の長安にも多数往来したが、当時多く作られた陶器、唐三彩の「胡人」像は、彫りの深い異国風の風貌を持ち贅沢品を商う彼らに対する、中国の人々の強い興味を示している。ソグド人は、ウイグルなど遊牧国家の中でも経済的な力を握り、アラム文字に起源を持つソグド文字からウイグル文字が作られるなど、文化的にも大きな影響を与えた。

中国の史料がサマルカンドの風俗として記すところによれば、サマルカンドでは「子供が生まれれば氷砂糖を口に含ませ、手のひらに膠(にかわ)を置く。成長してから、口がうまくなり、銭が膠に粘りつくように手の中に集まることを願うのである」という。これは、ソグド人の商売上手が周囲の諸民族にも有名だったことを示している。ソグド人の書いたソグド語の手紙も残っており、彼らが広いネットワークを持って商業情報を収集していたことがわかる。

オアシスの道は、商品のみならず、宗教や文化の伝播する道でもあった。仏教がインドから伝わったのもオアシスの道を通じてであり、タリム盆地と中国内地をつなぐ交通路上のオアシス都市・敦煌では、大規模な石窟寺院が造営された。

元宮内庁正倉院事務所長の杉本一樹氏は「われわれが自国の文化の源流を考える際には、シルクロード全体を考えなくてはならない」と指摘する(『正倉院』)。日本で危うい排外主義が高まりを見せる現在、日本文化を形づくってきた古代以降の国際交流の歴史をたどることは、それなりに重要な意味を持つに違いない。

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