【グローバルヒストリーを読む】ユーラシア大陸の東西でネットワークを支えた二つの大帝国、漢帝国とローマ帝国は2世紀まで安定を享受していた。しかし3世紀に入ると、その繁栄は崩壊へと向かう。東アジアでは漢が滅亡して魏晋南北朝の騒乱期に突入し、ローマ帝国では軍人皇帝が乱立する「3世紀の危機」と呼ばれる大混乱の時代を迎えたのである。

この3世紀から6世紀にかけては、世界的な寒冷化が進行した時期でもあった。寒冷化はユーラシア各地の農業や牧畜に甚大な打撃を与え、特に元来厳しい環境にある草原地帯の遊牧民・牧畜民は、生存をかけて周囲の肥沃な農耕地帯へと進出せざるを得なくなった。中央ユーラシアにおける遊牧民の動向は東西で連動しており、4世紀後半には、西進した北匈奴の流れを汲むとされる「フン」がヨーロッパに侵入。これがゲルマン人の大移動を引き起こす引き金となった。
一方、東アジアでは紀元前2世紀後半以来、騎馬遊牧民の匈奴が漢と共存・対立を繰り返していたが、内紛と天災により次第に統合力を失い、東西、次いで南北へと分裂した。南匈奴は後漢に服属して長城以南の華北へ移住し、空いたモンゴル高原では、かつて匈奴に従属していた鮮卑(せんぴ)が台頭する。鮮卑は後のモンゴル民族の源流の一つであり、君主の称号として「カガン(可汗)」を用いた。この呼称は後に「カーン」や「ハーン」へと変化していく。彼ら鮮卑もまた、寒冷化から逃れるように3世紀には複数の集団に分かれ、豊かな華北を目指して南下を開始した。
当時の華北は、漢代以来の移住政策により遊牧集団と漢人が入り混じり、彼らは王朝や地方豪族の軍事力の中核を担っていた。4世紀初め、西晋の内紛を機に南匈奴が匈奴帝国の再興を掲げて自立すると、鮮卑などもこれに追随した。ここに遊牧勢力が割拠する「五胡十六国時代」が幕を開け、以後、隋・唐の統一に至るまで、華北には遊牧系民族による王朝が次々と興亡することになる。
5世紀前半、鮮卑の拓跋(たくばつ)部が北魏を建国して華北を統一した。一方、西晋が滅びると、王族の一部が江南の建康(現・南京)で東晋を再興。華北と江南にそれぞれ北朝と南朝の政権が並び立つ情勢が固定化し、後漢滅亡から約370年に及ぶ「魏晋南北朝時代」が形成された。この時代は①モンゴル高原の遊牧国家②中国式の統治を導入した華北の諸王朝③江南を基盤とする漢人政権(六朝)——という「三重構造」が特徴である。各地で遊牧民と漢人、あるいは北からの移住者と先住民が混交し、新たな政治体制や文化が醸成されていった。
特に江南の南朝は、南海交易で大きな利益をあげていく。百年以上にわたり戦乱が続いた華北に比べて、政権交代はあったものの、江南の漢民族王朝は社会経済的に安定していた。この民族大移動の時代にも海洋ネットワークは順調に発展した。
周辺民族の活発化は、朝鮮半島や日本列島にも国家形成の波をもたらした。新興国家の支配者たちは、中国王朝から官職や称号を授かる「冊封(さくほう)」を受けることで、国内における支配の正当性を固めようとした。また、分裂状態にあった中国の諸王朝も、自らの勢威を示すためにこれら周辺諸国との結びつきを重視した。こうして形成された朝貢と冊封に基づく国際秩序は、東アジアの特有の形式として19世紀半ばまで存続することとなる。
日本の古代国家形成もこの潮流の中にある。3世紀、「倭」と呼ばれた日本列島では多くの小国が分立していたが、有力な邪馬台国の女王・卑弥呼は魏に遣使し、「親魏倭王」の称号を得た。5世紀に入ると、権力を確立したヤマト政権(倭の五王)が南朝へ朝貢し、朝鮮半島における軍事的な影響力の承認を求めた。彼らは渡来人がもたらす高度な技術を吸収すると同時に、中国王朝の権威を背景に国内の強大化を図ったのである。
当時の朝鮮半島は高句麗・百済・新羅が競り合う三国時代であり、ヤマト政権は鉄資源の供給地である「加羅(加耶・任那)」諸国と連携し、半島への進出を試みた。さらに百済との同盟を通じて、漢字、儒教、暦、そして仏教といった、国家統治に不可欠な先進文化を組織的に輸入していった。
魏晋南北朝時代の動乱が生んだこの文化の奔流は、単なる文物にとどまらず、「中華」を世界の中心とする思想までも日本にもたらし、定着させた。その影響は驚くほど息が長い。例えば、安土桃山時代に訪れたスペイン人やポルトガル人を、中国で南方の野蛮人を指す「南蛮」と呼んだことや、幕末に「尊皇攘夷」を掲げて列強を排除しようとした動きも、その根底には古代に伝播した中華思想がある(川本芳昭『中華の崩壊と拡大』)。
かつて排外主義のスローガンであった「尊皇攘夷」という概念そのものが、実は海外由来の枠組みであったという事実は、極めて示唆に富んでいる。それは古代からのグローバルなネットワークを経て伝わった文化が我々の思考に深い影響を及ぼしている事実を物語ると同時に、純粋な「自国のみ」の文化に閉じこもる排外主義が、歴史の必然としていかに困難であるかを教えてくれている。
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