The Comey Indictment and Free Speech - The Ron Paul Institute for Peace & Prosperity [LINK]
【海外記事より】アメリカにおける言論の自由の原則と、それに対する政府の介入の危うさについて、元判事で法学者のアンドリュー・ナポリターノ氏が論じています。合衆国憲法修正第1条は「言論の自由を制限する法律を制定してはならない」と定めており、そこには政府が存在する前から自由は人間に備わっているという思想が込められています。1960年代以降、裁判所は政府に対し、たとえ辛辣で脅迫的な内容であっても、広範な言論を許容するよう求めてきました。言論は政府に媚びるものではなく、自由な「思想の市場」において淘汰されるべきものだからです。
しかし現在、トランプ政権の司法省は、元FBI長官のジェームズ・コミー氏を起訴するという異例の事態に至っています。その理由は、コミー氏が自身のSNSに、砂浜に並べられた貝殻で「8647」という数字が描かれた写真を投稿したことにあります。政府側は、この数字が「第47代大統領であるドナルド・トランプ氏を殺害(86)する」という意図を表明したものであると主張しています。「86」という数字は飲食業界で「品切れ」を意味する隠語として使われますが、これを暗殺の脅迫と見なしたのです。
これに対しナポリターノ氏は、この投稿は憲法で保護された言論の範囲内であると明言しています。2023年の最高裁判決では、発言や行動の解釈が複数存在し、そのうち一つでも犯罪に当たらない解釈があれば、被告人に有利な非犯罪的な解釈を優先すべきであるという原則が示されました。これを「寛容の原則」と呼びます。コミー氏の投稿には、具体的な行動が伴っておらず、過去の判例に照らしても、即座に実行可能な手段がない場合の過激な発言は、直ちに処罰の対象にはならないとされています。
また、1969年のブランデンブルク対オハイオ州事件の判決では、他者がその言論に対して反論や挑戦を行う時間がある限り、あらゆる言論は「無害」であり、憲法で保護されるべきであるとの判断が下されました。政府が言論を恣意的に解釈し、起訴の根拠とするならば、憲法が保障する自由は無意味なものになってしまいます。ナポリターノ氏は、政府が言論の自由に介入し続けることは、法治国家としての正当性を損なう重大な脅威であると、冷静に警鐘を鳴らしています。
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