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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2026-02-02

木村貴の経済チャンネル(2026年)

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木村貴の経済の法則!(2026年)

  1. ドルの衰退、ベネズエラ攻撃で拍車 米トランプ政権、「泥沼」の教訓忘れる(2026年1月9日
  2. 積極財政は経済を壊す 株高の陰に3つの病理(2026年1月16日
  3. 民主主義が財政危機を招く バラマキ競う与野党、将来に禍根(2026年1月23日
  4. 米国の傲慢、ドルの黄昏 グリーンランド問題、円もろとも没落加速?(2026年1月30日

2026-02-01

トマス・ペイン、言論の力

アメリカ合衆国は、2026年に建国250周年という大きな節目を迎える。これを機に、アメリカ独立に大きな影響を及ぼしたユニークな思想家について振り返ってみよう。トマス・ペインである。

ペインは1737年、イングランドのノーフォーク州セットフォードで、クエーカー教徒の一家に生まれた。学校に通い始めたが13歳で退学し、コルセット職人見習い、船員、教師、メソジストの説教者、酒税徴収官など、様々な職業を転々とした。特に酒税徴収官としては、政府の腐敗を目の当たりにし、2度解雇されている。2度の結婚も長続きしなかった。食料品店とタバコ屋で生計を立てようとしたが、破産した。

それでもペインは知的好奇心が旺盛で思慮深かった。ロンドンでベンジャミン・フランクリンと出会い、その紹介状を携えて、1774年にアメリカのフィラデルフィアに渡った。アメリカ到着後、雑誌「ペンシルベニア・マガジン」の編集者となり、少なくとも17本の記事を執筆した。特に奴隷制度を激しく非難し、早急な解放を訴えた。

1775年のレキシントンの戦いを機に、ペインはアメリカの自由を守る決意を固め、独立を訴える小冊子の執筆に取り掛かった。3カ月で脱稿はしたものの、出版するのに一苦労した。初めは新聞に連載しようとしたが、どの新聞社からも断られた。内容が明らかに大逆罪に触れるからだった。そのとき、親交のあった医師から共和主義者の印刷屋を紹介され、そこから出すことにした。損失が出ればペインが負担し、利益が出れば折半するという契約だった。こうしてようやく、この歴史的な小冊子『コモン・センス(常識)』は日の目を見ることになった。

『コモン・センス』は1776年1月に出版され、たちまち空前のベストセラーとなった。発売後3カ月以内に12万部以上が印刷されたといわれ、総計で約50万部が売れた。当時のアメリカ植民地の人口は約250万人だったとされ、文字の読める人はほとんどこれを読んだとみられる。

アカデミックな著作ではないので、体系的に整然と叙述されてはいない。しかし、およそ言わんとすることはすべて語り尽くしていると言えるだろう。その内容は大きく5つから成る。第1に、政府を設けた意図や目的を論じ、権力の濫用があるときは破行する権利があると主張した。これはイギリスの哲学者ロックの革命思想を取り込んだと言える。

第2に、自由は議会の機能にかかっているが、王権の強大化によって議会の長所が台なしにされていると論じた。第3に、自然権の思想や聖書の権威に基づいて、王政と世襲制を否定し、共和政こそが自由と平等を最もよく保証する政治体制だと主張した。

第4に、アメリカはイギリスの政治の仕組みの下では二次的存在にすぎず、したがって分離独立しない限り真の繁栄も平和もあり得ないと主張した。第5に、アメリカは独立国となるために十分な力を備えていると強調した。

これらの内容を見ると、ペインはもっぱら有識者を対象にこれを書いたようにも思える。しかし実際はそうではなく、大衆に向かって書いた。そもそもペインは職人の家に生まれ、ついには社会の底辺にまで身を落とした人間である。だから大衆の意欲や感情をよく知っていた。また雑誌の編集者として大衆ジャーナリズムの世界に身を置くことで、大衆の好む言葉や文体を自ずから身につけた。当時の著述家は凝った言い回しで回りくどい文章を書いていたが、「ペインは大衆を頭において、簡潔で力強く、確信に満ちた文章を書いた」と、政治学者の小松春雄氏は岩波文庫版の訳者改題で述べている。

実際、この小冊子には「社会はわれわれの必要から生じ、政府はわれわれの悪徳から生じた」「政府はたとえ最上の状態においてもやむをえない悪にすぎない。そして最悪の状態においては耐えがたいものとなる」といった、忘れがたい名言が散りばめられている。ジョージ・ワシントンは「健全な教義と反駁の余地のない論理」を提供すると称賛した。

『コモン・センス』の刊行前、多くの植民地住民はイギリスとの不満の解決を望むにすぎなかったが、この小冊子が世論を独立へと決定づけた。アメリカ独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンとペインはしばしば会食しており、独立宣言の根底に流れる思想や言葉遣いに『コモン・センス』とよく似た点がある。ペインが宣言起草に直接関係していなかったとしても、思想的な影響を及ぼした可能性はある。

独立戦争が始まると、ペインは民兵隊に入隊した。それまで銃を撃った経験も軍歴もなく、しかも39歳という年齢だったが、60日間の訓練を耐え、副官を命じられた。その任務は主として報告書や手紙の執筆だった。1783年、イギリスがアメリカの独立を承認した。

しかし、ペインの波乱に富んだ人生はこれで終わりではなかった。新式の鉄橋の考案にふけり、建設のアイデアを携えてフランスに渡ったり、イギリスに帰ったりしている。1789年にフランス革命が起こり、イギリスの思想家エドマンド・バークが革命を批判する『フランス革命についての省察』を著すと、これに反論する『人間の権利』を出版した。

『人間の権利』もベストセラーとなったが、イギリス政府はペインを反逆罪で起訴し、死刑の可能性を示唆したため、ペインはフランスへ逃亡した。フランスで国民公会議員となったが、ルイ16世の処刑に反対して投獄され、アメリカに戻る。神の存在を啓示によらず合理的に説明しようとする理神論を唱えて無神論者と誤解され、晩年は不遇だった。1809年、ニューヨークで没した。

ペインは生涯、貧困と不遇に見舞われ、死後も長らく「忘れられた建国の父」とされてきたが、近年再評価が進んでいる。金銭も政治権力も持たない一介の個人が、いかに言論の力で大衆の心を励まして立ち上がらせ、抑圧者を打ち破るよう鼓舞できるかを示した人物といえる。

<参考資料>
  • 『コモン・センス 他三編』ペイン著、小松春雄訳(岩波文庫)
  • 『コモン・センス』ペイン著、角田安正訳(光文社古典新訳文庫)
  • A Right to Rebel: A Biography of Thomas Paine | Libertarianism.org [LINK]