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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2018-11-11

言論の自由は守れるか

神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった事件を受け、菅義偉官房長官は10日、再発防止策としてツイッターの規制について検討の対象になるだろうという見通しを述べました。

しかしツイッターを規制すれば、自殺願望に関するやり取りは規制されない地下サイトなどに移り、かえって異常を発見しにくくなるだけです。

ツイッターをはじめとするインターネット上でも「意味がない」「事件を利用し言論の自由を剥奪しようとしてる」「殺人者が死体の解体にのこぎりを使ったら、のこぎりの使用を規制するのか? 」と批判の声が相次いでいます。きわめてまっとうな反応といえます。

多くの人々がネット上で自由な発言を楽しむようになった結果、規制に反発する意見が増えたと感じます。心強いことです。

実際、政府側もこうしたネット世論を無視できなくなっています。菅官房長官の言い回しは「ツイッターの規制について、検討の対象に今後はなるだろうと思いますけれど、現段階で予断を持ってお答えすることは控えたい」と慎重なものでした。

けれども、これだけで言論の自由が安泰だとはいえません。残念ながら市民の中には、別の場面では規制を求める人々も少なくないからです。

その典型は今年9月、同じツイッターに対し行われた抗議活動です。差別表現を伴う投稿を放置しているとして、市民らが東京都内の日本法人前に投稿を印刷した紙を敷き詰め、「ヘイトツイートは表現の自由にあたらない」などと書かれたポスターを掲げました。

ヘイトスピーチやヘイト投稿が言論・表現の自由にあたらないという主張は海外でも一部支持を集めていますが、善意に発したものだとしても、あやうい考えといわざるをえません。何をヘイト表現とするかは線引きが難しく、自由の抑圧に悪用されかねないからです。

本来、言論のプロであるメディアは規制を求める市民をたしなめ、それを機に議論を深める役割があるはずです。ところがツイッターへの抗議活動に関しては、皮肉なことに、いつもは言論の自由を守れと叫ぶリベラルなメディアほど、市民側に同調した報道ぶりでした。

言論の自由は本当に守れるのか、心もとないといわざるをえません。(2017/11/11)

2018-11-10

自由が失われるとき

定価1000円の古本をアマゾンに出品し、5700円で売れたら詐欺罪で逮捕され、有罪に——。さいわい、本の世界ではそんな悪夢のような話はありません。ところがコンサートやイベントの世界では、現実になっています。

今年9月のことですが、人気ロックバンド、サカナクションのコンサートの電子チケットを転売目的で取得したなどとして詐欺罪に問われた男性に対し、神戸地裁は懲役2年6月、執行猶予4年を言い渡しました。

男性は今年2月、インターネットのチケット販売サイトを通じて、サカナクションの電子チケット2枚(販売価格計1万3000円)を転売目的で購入。入場券となる二次元コードを表示するスマートフォンを貸し出すことで2枚を計7万4000円で転売したそうです。

チケットの高値転売を非難する人々はよく、「異常な高値」といいますが、この事件の場合、転売価格は販売価格の約5.7倍。絶版になった古本だとこれくらいの値段はざらですから、もしチケットと同じルールが導入されたら、逮捕者が続出することでしょう。くわばらくわばら。けれども笑いごとではありません。

あらゆる転売を禁止したら市場経済が成り立たないことは明らかなので、チケット転売を批判する人々も、転売そのものは認めます。その代わり、「高値転売」を非難します。「異常な高値」がよくないというのです。

しかし「異常」の基準は何でしょうか。そんなものはありはしません。売り手と買い手が互いに納得して取引し、そこで成立した価格は、すべて正当なものです。他人から見て「異常」だからといって取引を否定したら、市場経済は成り立ちません。

音楽ファンの中には、チケット転売をなりわいとする転売屋が厳しい摘発でいなくなれば、一般のファンに回るチケットが増えると期待する人がいます。けれどもこれまで転売屋を通じて買っていた人が一般販売に回りますから、買えずに悔しい思いをする人は減りません。

日経電子版の記事によれば、ヤフーが「ヤフオク」のガイドラインを改定し、転売目的とみられるチケットの出品を禁止しました。ヤフーがそう判断し、実行するのは自由です。しかしそれは本当に利用者のメリットになるのでしょうか。2020年東京五輪を控え、政府がチケット転売規制を強める気配があるのも気がかりです。

自由が失われるとき、それは大衆の支持を得やすい、ささいなところから始まるものです。古本転売の悪夢が現実にならないことを祈ります。(2017/11/10)

2018-11-09

ロシア革命の亡霊

11月7日はロシア革命からちょうど100年でした。1917年にレーニン率いる急進的な社会主義勢力が帝政ロシアの当時の政権を奪取し、世界初の社会主義国家、ソビエト連邦(ソ連)の樹立につながった革命です。

資本家に搾取されず、労働者が豊かな生活を送るはずだったソ連は、飢饉や弾圧などで膨大な犠牲者を出した末、1991年に崩壊しました。

けれども「ソ連は社会主義だから滅びた。資本主義の日本には関係ない」と考えたとしたら、それは誤りです。ソ連が滅びたのは、政府が市場経済の原理に無知だったからです。日本に無縁の話ではありません。

松戸清裕『ソ連史』によれば、ソ連の最高指導者だったフルシチョフは1957年、3〜4年のうちに国民1人あたりの食肉・牛肉・バターの生産量で米国に追いつき、追い越せと号令しました。これは非現実的でした。畜産物の政府買付価格は安くて生産コストに満たず、農民が生産増大に積極的に取り組もうとしないからです。

農民の生産意欲を高めるには、買付価格の引き上げが必要です。それには小売価格を上げざるをえません。平均30%引き上げたところ、肉製品の不足が続いていた不満もあって、国民は強く反発しました。ある州では数千人が抗議し、軍の発砲で数十人が死傷します。

またフルシチョフは、安価で供給されるパンを餌に家畜を飼う都市住民が少なくないことが、パン不足を招いているとみて、都市住民による家畜の飼育を禁止しました。この結果、都市は食肉不足に陥ります。農家の付属地削減で野菜も不足しました。

環境破壊は資本主義の病だという俗説に反し、社会主義のソ連で環境は大規模に汚染されていました。利潤の最大化への無関心が罰金や悪評をいとわぬ態度につながったとも、生産計画達成のため環境対策を後回しにしたともいわれます。

今の日本はソ連のような独裁国家ではありませんし、ソ連ほど厳しい経済統制を行なっているわけでもありません。けれども財政危機に瀕しているにもかかわらず、政府の規模拡大をやめようとせず、市場経済への介入を改めない傾向は、ソ連と同じ道をゆっくりたどっているように見えます。ロシア革命の亡霊はそばにたたずんでいます。(2017/11/09)

2018-11-08

代表民主制の虚構

政治のまやかし
「選挙とは盗品を前もって売り出す競りのようなもの」「善良な政治家なんてものは正直な強盗と同様ありえない」「政治の目的は大衆を怖がらせ、安全を求めさせること。そのために怪物を次々に登場させるが、すべてまやかしにすぎない」。ジャーナリスト、H.L.メンケンの名言。
12 Naughty Quotes from H.L. Mencken on Government, Democracy, and Politicians - Foundation for Economic Education

代表民主制の虚構
代表民主制の虚構。政治家がたとえ選挙区の有権者を誠実に代表しようとしても、不可能である。有権者全員の考えを知ることはできないからだ。有権者が多様化すればするほど、全員に平等に役立つ法律の制定はできなくなる。少なくとも有権者が何十万人もいる選挙区では無理だ。
No Matter How You Vote, The New Congress Won't Represent You | Mises Wire

政治のカネを減らす法
政治にかかる金を本気で減らしたければ、良い方法がある。地方分権を進め、行政区を小さくすることだ。米国での研究によれば、大きな選挙区の議員がマスメディアでの宣伝活動に巨費を投じる一方、小さな選挙区の議員は催し物や説明会で有権者と対面で交流し、安い費用で済む。
Get Rid of Campaign Finance Laws — Decentralize to Make Campaigns Cheaper | Mises Wire

政府への同意にあらず
選挙で投票しても、政府のすることすべてに同意したことにはならない。中小企業に高い税をかける公約を掲げる候補者Aと、それより低い税を公約する候補者Bしかいないときに中小企業主が投票したからといって、そんな選択肢しか与えない政治制度を支持したことにはならない。
No, Voting Doesn't Mean You "Support the System" | Mises Wire

経済に「反日」はない

歴史認識や領土問題で何かにつけて反目し合う日本と韓国。けれどもそれは所詮、政治の話です。経済には大昔から国境はありません。

高田貫太『海の向こうから見た倭国』によれば、早くも弥生時代後半から、日本列島と朝鮮半島の間で交易が本格化していました。その主役は日朝の沿岸や島々に住む、漁労をなりわいとし、優れた航海技術をもつ人々(海民)です。

かつて交易の対象はおもに青銅とみられていましたが、近年の研究により、鉄も対象だとわかったそうです。

韓国・釜山のトンネネソン遺跡からは鉄器を作る当時の工房が発見されましたが、そこから出土した土器の多くは、日本列島の弥生土器やそれをまねて現地で作られた土器でした。これらを弥生系土器と呼びます。大半は北部九州でみられる壺や甕(かめ)です。

工房で使っていた土器が弥生系土器ということは、そこで鉄器を作っていた人々の中に北部九州から渡ってきた弥生人が含まれていた可能性が高いと高田氏は指摘します。

弥生人は沿岸にある港町を利用し、鉄を求めて海峡を往来していたとみられます。さらに沿岸にとどまらず、鉄鉱石を産出する半島南部の内陸にまで鉄器を求めてやってきた形跡があるといいます。

一方、この交易ネットワークを利用し、朝鮮半島南部からも北部九州に盛んに人々が渡ってきていました。その活動は両地域の間にとどまらず、紀元前108年に中国前漢によって楽浪郡が設置された後には、中国から半島南部、北部九州から、西日本の内陸、驚くことに東日本まで及びます。

たとえば神奈川県海老名市の河原口坊中遺跡では、朝鮮半島中南部で製作されたとみられる、全長28.5センチの長大な板状の鉄斧が出土しています。

このように古代の日本列島と朝鮮半島は交易でつながり、盛んに人々や物が往来していました。

今も庶民は変わりません。日本人は韓国製のスマートフォンや韓流ドラマを楽しみ、韓国人は日本の化粧品や医薬品を愛用する。「反日」「反韓」とは無縁のこのつながりがある限り、両国関係は大丈夫です。(2017/11/08)

2018-11-07

規制は弱者を助けない

政府の規制は弱者を守るためにあると信じられています。けれども実際には、政治力のある企業や団体の既得権を守るために導入される規制もあります。弱者を守るために導入された規制であっても、結果的に弱者を苦しめる場合が少なくありません。

日経電子版の大幅刷新を機に連載が始まった産業内幕ルポによると、フリマアプリ大手、メルカリが年内に計画していた東京証券取引所への上場の延期が濃厚になりました。金融庁や警察庁が難色を示しているといいます。

記事には、規制について興味深い指摘があります。資金決済法が定める資金移動業者に登録すると、ユーザーが口座を開設するときに免許証のコピーなど身分証明書を郵送して本人確認をしなければなりません。

なんとも時代遅れで面倒な手続きですが、記事によれば、法制化の過程で銀行からの圧力があり、無意味な規制がかけられたそうです。政治を動かせる強者の既得権を守るための規制です。

実際、2012年に日本でスマホ決済サービスを始めたペイパルが4年後に撤退したのは、資金移動業者に登録した結果、本人確認の手続きが煩雑でユーザーが集まらなかったのが一因といいます。

メルカリはペイパルの二の舞にならないよう、資金移動業者の登録を避けようとしています。しかし物品を販売して得た売上金を預けておくことができるメルカルのしくみは、資金移動業者にあたるとの指摘があるそうです。

記事では触れていませんが、メルカリのこのしくみは、生活保護受給者の助けになっているともいわれます。売上金を出金しなければ、銀行口座を定期的にチェックするといわれる役所に収入を知られず、生活保護を打ち切られる恐れがないからです。

ルール違反かもしれません。けれども、生活費の不足を補うためやむをえずという場合も少なくないでしょう。

メルカリでは以前、額面以上の現金が出品され、問題とされました。借金に苦しむ人がクレジットカードで現金を購入し、急ぎの返済に充てているといわれました。今は禁止されています。

企業がさまざまに工夫するサービスは、法的には微妙な逃げ道を含め、弱者を助けます。何か弊害があっても市場の自律的なルールで解決できる場合が大半です。政府の画一的な規制はむしろ弱者を苦しめかねません。(2017/11/07)

2018-11-06

クールジャパンの真の教訓

官民ファンドのクールジャパン(CJ)機構で、損失リスクを抱える事例が相次いでいます。日経電子版の記事によると、発足から丸4年の投資24件中、決定後1年を超す事業の過半が収益などの計画を達成できていないそうです。

誰もがその経営判断の甘さと不効率にあきれることでしょう。けれども、CJ機構や官民ファンドだけが悪いのではありません。政府のかかわる事業すべてに共通する問題であることが、記事を注意深く読めばわかるはずです。

記事では「まず投資ありき」の姿勢がCJ機構の戦略なき膨張を招いていると指摘します。正しい指摘です。けれども、「まず投資ありき」はCJ機構や官民ファンドに限った話ではありません。政府の公共事業はすべて、「まず投資ありき」で決まっています。予算を消化しなければならないからです。

経済学者ケインズを教祖とするマクロ経済学では、公共事業は雇用を生むから正しいと主張します。たしかに公共事業は雇用を生みます。しかしそれをいうなら、CJ機構などの官民ファンドだって、伝統工芸の食器や衣類、食品などを作るため、それなりの雇用を生んでいます。

もし雇用を生むという理由で公共事業を擁護するなら、CJ機構だって擁護しなければならないはずです。そんなことにならないのは、CJ機構の損失リスクが国民に伝わり、納税者のコストが意識されるからです。

一方、一般の公共事業は官民ファンド以上に採算が不透明で、納税者のコストが意識されません。むしろ納税者にコストを意識させないよう、わざと採算をわからなくしているふしがあります。その結果、官民ファンドほど批判されないにすぎません。

記事では、CJ機構の投資先決定に経営陣の不透明な関与があると指摘します。これまた官民ファンドに限った話ではありません。一般の公共事業では、政治家が陰に日に大きく関与しています。

CJ機構は日本の経済政策の例外ではありません。縮図です。世耕弘成経済産業相は「CJ機構の抜本的な見直しを指示した」と5月の国会で答弁しましたが、抜本的見直しが必要なのは、政府が当然のように市場に介入する姿勢そのものです。(2017/11/06)

2018-11-04

愚かな税の大迷惑

観光庁が出国税の導入を検討しています。訪日外国人の増加を背景に、国内の観光資源を整える財源に充てるのが狙いだそうです。ところが実際には、日本人の海外旅行や出張の旅客も対象といいます。来日客でもないのにどうして払わなければならないのか、理解に苦しみます。

1人あたりの徴収額は1000円を見込むそうです。観光庁はこれくらいなら大丈夫と考えているようですが、格安航空会社(LCC)の利用客や若者の旅行者には無視できない金額でしょう。肝心の来日客が減ってしまったら元も子もありません。

出国税は欧米にもあるそうですが、税金の場合、欧米でやっているからまともだとはいえません。歴史上、日本顔負けの愚かな税を数多く導入してきたからです。英ニュースサイト、キャップXで英国史上有数の愚かな税を紹介しています。

1712年に導入された「壁紙税」。当時、上流・中産階級の間で人気となった、色や模様付きの壁紙を標的にしました。

税導入の結果、非課税の無地の紙を買い、自分で彩色・彩画する人が続出。税は壁紙作りに余計な時間を取らせ、経済全体の効率を悪化させました。

1696年に導入され、150年以上も続いた「窓税」。これも富裕な市民が標的です。窓が10個以上ある建物が課税の対象となりました。税を逃れるため、多くの家が窓をれんがで塞ぎます。

政府の意図に反し、窓税で一番苦しむことになったのは借家人として入居する貧困層でした。小さい家、窓の少ない家が増えた結果、暗くて狭い住環境を強いられたのです。

「帽子税」もあります。1784年から1811年まで、特別売上税の対象になったのです。当時、帽子は壁紙や窓と同じく、金持ちの贅沢品とみられていました。

帽子屋は課税を逃れるため、帽子の呼び名を「かぶり物(headgear)」に変えました。政府は帽子の法的な定義を見直さざるをえなくなります。法律専門家が大まじめで帽子の定義に貴重な時間を割かなければならないとは、どうみても無駄です。

日本の出国税にも、海外旅行は贅沢だから課税するという時代錯誤な感覚を感じます。愚かな税として社会に迷惑を及ぼし、将来恥をかかないよう、今のうちに撤回してはどうでしょうか。(2017/11/04)

第3の道はない

農業支援策の欺瞞
トランプ米政権は、米国の高関税措置への報復で中国などが米農産物にかけた関税の影響を和らげるため、農業支援策を講じる。これは問題解決にならない。支援額は農家が貿易戦争で被る損失には満たないし、大手の農業関連企業を潤すばかりで、小規模な農家の助けにはならない。
Protectionism Abroad and Socialism at Home | Mises Wire

幼稚産業を保護するな
将来有望な「幼稚産業」を自由貿易から保護せよとの意見がある。しかし将来どの産業・企業が成長するかは、政治家や官僚にもわからない。かりにわかったとして、その産業が成熟したとき政治家が保護をやめるとは思えない。建前がどんなに立派でも、保護主義は腐敗をもたらす。
'Infant Industry' Argument Does Not Justify Trade Barriers | Competitive Enterprise Institute

介入政策の末路
もし政府が命じ、より安全に運転できる自動車を造らせたなら、人々は安全運転をしなくなり、その結果、交通事故の死亡率は期待したほど下がらないだろう。一見正しそうな政府の介入政策に賛成するのは賢明でない。この警告を繰り返し発することがエコノミストの重要な役目だ。
Economics Is the Best Mythbuster in History - Foundation for Economic Education

第3の道はない
金融緩和は経済危機と不況をもたらす。信用膨張はあらゆる商品とサービスの価格を高騰させる。市場実勢を上回る水準に賃金を無理やり上げれば、大量の失業が続く。価格に上限を設けると商品の供給が落ち込む。だから資本主義と社会主義を混ぜ合わせた「第三の道」は失敗する。
The Bigotry of the Literati | Mises Wire

2018-11-03

王道の企業、邪道の企業

企業には2種類あります。一つは、魅力ある商品・サービスで顧客を満足させ、その対価で自分も富を築く企業。もう一つは、権力と結託して不公正な取引で潤う企業です。いうまでもなく企業としては前者が王道、後者は邪道です。厄介なことに、同じ企業が王道から邪道に道を踏み外す場合もあります。

昔からそうでした。清水廣一郎『中世イタリア商人の世界』によれば、イタリア商人は13世紀、フランドル特産の上質毛織物やイングランドの羊毛をフランスのシャンパーニュの市で取引し、台頭していきます。欧州各地に支店網も巡らしました。

その一方で、王侯貴族ら権力者と結びつきます。権力者にとって、イタリア商人は資金力だけでなく、優れた事務能力や金融の知識も大きな利用価値がありました。

イタリア商人は宮廷の財政を管理する財務官のような役割を担い、貨幣の発行にも知恵を貸します。フランス王フィリップ4世がしばしば行った貨幣の悪鋳の責任は、イタリア商人にあると非難されたほどです。

こうして当初は市場で頭角を現したイタリア商人は、清水氏が述べるように、権力者に密着してさまざまな特権を獲得する典型的な「特権商人」の道を歩みます。

経済力に加え、政治力まで手中にしたのですから、イタリア商人の地位は盤石に見えます。しかし、むしろもろさが潜んでいました。14世紀半ばに英仏間で百年戦争が起こり、両国の王から資金を求められたイタリア商人は、多額の貸し付けを余儀なくされます。その原資には各地の顧客から預かったお金も含まれていました。

結局、英国王に対する過度の貸し付けは取り立て不能となります。一方でフランス王からは敵の英国王に貸し付けを行ったかどで社員が逮捕され、商品は没収、信用が失墜しました。栄華を誇ったイタリア商人は相次いで破産します。

最初は王道を歩んでいた企業が、規模が大きくなるにつれ権力と癒着し、規制や補助金で守られる邪道に陥る例は、近現代の日本でも少なくありません。しかし最後に残るのは、政治に頼らず、顧客に支持される王道の企業です。(2017/11/03)

男女格差の真実

CEOと囚人
男性はノーベル賞受賞者、著名企業CEOのそれぞれ95%、STEM(科学・技術・工学・数学)専攻学生の68%を占める。だが一方で囚人の93%、自殺者の80%弱、ホームレスの70%を占める。男性が囚人になるのは本人のせいだとしたら、CEOになるのも本人のおかげと言わなければならない。
Your "Privilege" Level: How Much We Can Steal From You in the Name of Equality | Mises Wire

男女格差の真実
男女の賃金格差の原因は差別ではなく、おもに家事と育児に割く時間の違いによる。だから結婚せず子供のない男女の間に賃金格差はほとんどない。男女の能力は平均すれば同等だが、男性は女性よりばらつき(ノーベル賞、チェス名人、ホームレス、犯罪、精神疾患など)が大きい。
Racism, Sexism, and Slavery - LewRockwell

選択とは差別
料金が安くて評判も良い庭師に仕事を発注せず、代わりに高い報酬で友人に頼む人は、高いコストという罰を市場から受けているのか? そんなことはない。自分が取引したい相手以外を「差別」することで得られる、より大きな利益のために進んで追加の金銭コストを払うのだから。
The Market Isn't a Schoolmarm: The Austrian School versus Chicago | Mises Wire

女性のきこりを増やそう?
女性の割合が低いのはテック企業だけではない。むしろ他の職業の男女差が大きい。きこり(男性94.9%)、屋根職人(98.3%)、ごみ収集人(91.4%)、製鉄所工員(98%)、鉱夫(99.9%)、漁師(99.9%)、トラック運転手(94%)など。なぜか女性の割合を高める運動はないようだ。
7 Non-Tech Jobs That Underrepresent Women (And the Story They Tell) - Foundation for Economic Education

2018-11-02

少子化対策に大幅減税を

安倍晋三首相は第4次安倍内閣の発足を受けた記者会見で、少子高齢化の克服に向けた新たな政策パッケージを来月上旬に取りまとめるとともに、待機児童の解消などを目的に今年度の補正予算案を編成する考えを表明し、政策の推進に全力をあげる考えを強調しました。

政府はこれまでも少子高齢化を食い止めようと、結婚・妊娠・出産・育児などの支援策をあれこれと打ち出してきました。しかし効果は疑問ですし、私生活への干渉になりかねません。歴史を振り返ると、もっとスマートな人口増加策が見えてきます。それは市場経済の拡大です。

鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』によれば、日本は過去1万年に人口の波が4つあります。①縄文時代②弥生時代以降③14~15世紀以降④19世紀~現代――です。①②④の時期はそれぞれ気温上昇、水稲農耕、工業化を支えに人口が増えました。

興味深いのは、室町時代に始まる③の波です。人口成長を支えた原動力は「市場経済の展開」だと鬼頭氏は指摘します。具体的には、隷属農民の労働力に依存する名主経営が解体し、家族労働力を主体とする小農経営への移行が進んだことです。

室町時代には貨幣の普及とともに利潤獲得の機運が高まり、農民はより良い生産方法を求めて選択的に行動するようになります。隷属農民に依存する旧来の名主経営は、衣食住などの費用がかさむうえ、勤勉な労働が期待できず、生産効率が悪かったのです。

晩婚や生涯独身の多かった隷属農民が自立することで、社会全体の有配偶率が高まり、出生率が上昇しました。一方で、食生活の充実や住生活の向上により死亡率も改善します。この背景にも、生産力向上や流通の拡大など市場経済の発展がありました。

現代の隷属農民といえば、稼ぎの多くを税金(社会保険料を含む)で取り上げられる企業家や労働者でしょう。新内閣には市場経済を活性化する規制緩和とともに、大幅な減税を期待します。小手先の少子化対策よりも、はるかに効果が大きいはずです。(2017/11/02)

2018-11-01

政府が格差を是正できない理由

「政府は富の格差拡大を是正しなければならない」という意見を毎日のように目にします。けれども、いくつか疑問があります。

まず、そもそも格差は本当に拡大しているのかどうか。次に、かりに本当だとして、是正が必要なのかどうか。特に見落とされやすいのは3点めの疑問です。それは、政府に富の格差拡大を是正するインセンティブ(誘因)があるかどうかです。

考えてもみましょう。政府を動かす政治家・高級官僚の多くは、富のピラミッドの上位に入る金持ちです。だとすれば、わざわざ自分の富を減らすような格差是正策を実行したがるでしょうか。むしろ逆ではないでしょうか。

日経電子版の記事によれば、安倍晋三首相が表明した3~5歳の保育所の無償化に対し、与党内から「所得再分配に逆行する」との批判があるそうです。高所得者層への恩恵が大きいからです。

無償化が全額補填を意味するなら、高額所得世帯は年間100万円以上もの負担減になります。金額にして、年収約1130万円以上の世帯は年収約260万円未満の世帯の17倍もの恩恵を受けるそうです。一方、生活保護世帯では恩恵はゼロです。

格差拡大を批判する人たちは、自己の利益を追求する市場経済では格差は是正されないので、政府に任せるべきだといいます。しかし政府を動かす政治家や官僚は、聖人君子でも天使でもありません。やはり自己の利益を追求する生身の人間です。

著名な知識人でも、この当然の事実を忘れがちです。英文記事にあるように、米哲学者のジョン・ロールズは、自由放任的な資本主義は公正な機会の平等などを受け入れないとして、政府の介入を求めます。ところがその一方で、金持ちは教育で培った知性や財産を利用して政治権力を手に入れ、法体系を作って経済を支配するとも述べます。

おかしな意見です。金持ちが政府を支配していると認めながら、政府は金持ちに不利な政策を実行せよと求めるのですから。(2017/11/01)

2018-10-31

社会主義は救世主か

英国で空前の社会主義ブームが巻き起こっています。最大野党労働党のジェレミー・コービン党首の支持率はメイ首相の保守党と逆転し、次期首相の座も現実味を帯びてきたようです。

コービン氏は行く先々でロックスターのような歓迎を受け、若年層の圧倒的な支持を集めています。今月初めの日経電子版によれば、イニシャルの「J・C」にちなみコービン氏を「ジーザス・クライスト(イエス・キリスト)」とまで呼ぶ支持者もいるというから驚きます。

英国は金融危機後の格差拡大や緊縮財政を背景に、中低所得層の不満が蓄積しているといいます。けれども、英国であれ他のどの国であれ、社会主義は救世主にはなりえません。

今年はマルクスの主著『資本論』第1巻刊行から150年、レーニンが率いたロシア革命から100年にあたります。世界で社会主義の誤りをあらためて記憶に刻む好機のはずです。ところが英国の熱狂的なコービン人気が示すように、社会主義の誤りは忘れられ、むしろ美化が進もうとしています。

マルクスは『資本論』で、あらゆる価値は労働者が生み出すという「労働価値説」をもとに、利潤はすべて資本家による労働者の搾取から生まれると主張しました。

労働価値説は、近代経済学の父といわれる英国のアダム・スミスも信じていた説です。けれどもその後、誤りだとわかりました。同じ労働力をかけて作った製品でも市場で価値が異なる事実を説明できないからです。

しかしマルクスは誤った労働価値説をもとに『資本論』第1巻を書き、その後、考えが行き詰まったのか、なかなか続きを出さないまま死んでしまいました。第2巻、第3巻はマルクスの死後、遺稿をもとに盟友エンゲルスが編集・刊行したものです。

土台から間違ったマルクスの経済学は、現実を説明できなくなります。マルクスの思想をロシア革命で実現しようとしたレーニンですら、各国で資本家が労働者を搾取するという考えは誤りだと認めました。工業国の多くで労働者の生活水準が向上する事実に反したからです。

社会主義はかつて民衆を熱狂させ、その民衆を苦しめて終わりました。歴史の悲劇を繰り返さないためには、熱狂でなく理性が必要です。(2017/10/31)

2018-10-30

脱デフレ政策の疑似科学

相関関係と因果関係が別物だというのは統計学のイロハです。AとBという現象が同時に起こった(相関関係)からといって、AがBの原因(因果関係)だとは限りません。ところが過去5年近く、政府・日銀は両者を混同し、脱デフレ政策の根拠としてきました。

たとえば、内閣官房参与としてアベノミクスを支える浜田宏一エール大名誉教授は「世界経済の奇跡といわれる日本の高度成長は、緩やかなインフレとともに達成された」(『アメリカは日本経済の復活を知っている』)として、白川方明前日銀総裁時代の末期に始まった物価目標政策を支持してきました。

しかし、ある時期に物価上昇と経済成長という2つの現象が同時に起こった(相関関係)からといって、物価上昇が経済成長の原因(因果関係)だとはいえません。それはたとえば、米国で資本主義が急速に発展した1870〜80年代、物価がほぼ一貫して下落した(デフレだった)ことからも明らかです。

昔から、科学を表面的にしか理解しない人々は相関関係と因果関係を混同し、的外れな主張をしていたようです。鋭い批評家でもあった英作家チェスタトンは、名探偵ブラウン神父を主人公とする短編推理小説シリーズの中で、そうした疑似科学の思考を批判しています。「機械のあやまち」という作品です(『ブラウン神父の知恵』所収、中村保男訳)。

ネタバレになるので詳しくは書きませんが、導入部にこんな場面があります。心臓の反応を利用した新しい精神測定法が米国で評判になっていると聞かされたブラウン神父は、あきれてこう叫びます。「それじゃまるで、女の人が顔を赤くしたからおれはその人に愛されているんだと考える男とちっともかわらないセンチメンタリストだ」

女性が男性を見て顔を赤くした(相関関係)からといって、それが恋愛感情によるもの(因果関係)だとは限りません。男性のズボンのファスナーが開いていたからかもしれません。

ブラウン神父は、科学を自称する測定法についてこんな含蓄ある言葉も発します。「なにかをぴたりと指しているステッキには一つ不便な点がある。ステッキの反対の端が正反対の方向を指すということだ」

脱デフレを唱える人々は、インフレだから経済成長できたといいます。けれども実際は、インフレにもかかわず経済成長できたのかもしれません。だとすればステッキの意味を正反対に解釈したことになります。

2018年4月に任期が切れる黒田東彦日銀総裁の後任は、黒田氏続投が本命視されるそうです。疑似科学に基づく金融政策がさらに続くのでしょうか。(2017/10/30)

2018-10-29

中国経済を笑えるか

ナショナリズムは理性を曇らせます。その一例は、中国経済に対する日本人の見方です。中国経済の先行きに黄信号がともると、ざまあみろとばかりに喜ぶ人たちがいます。けれども中国経済が抱える問題の本質は、日本にも共通したものです。

日経の連載記事「習近平の支配」によれば、中国の習近平総書記は1期目の当初、「資源配分で市場が決定的な役割」を果たす改革を進めると公言したにもかかわらず、実際は国有企業を大きくする道を選びました。

1~8月の製造業などの利益は国有企業が46%増に対し、民営企業は14%増にとどまっています。効率を高める改革は滞り、借金や投資に過度に頼る「古い中国」がゾンビのように温存されているといいます。

別の海外記事で、スウェーデン出身の若手経済学者、ペール・ビュールンド氏は最近中国を訪問した経験を踏まえ、中国経済は国家プロジェクトに依存し、入居者のいない高層ビルなど大きな無駄が生じていると指摘します。そして最近の中国経済の奇跡とは「根本から偽物」と厳しく批判します。

中国政府が推進する「一帯一路」構想も、同様の国家プロジェクトです。どれほど無駄な政府支出でも経済成長にカウントする国内総生産(GDP)の仕組み上、当初は成功とみなされるかもしれません。しかし市場経済に基づかないため、結局は悲惨な失敗に終わるだろうとビュールンド氏は予測します。

けれども、これらは決して日本経済と縁遠い話ではありません。

ビュールンド氏は、中国経済とは「とんでもない規模のケインズ流雇用政策」だと表現します。経済学者ケインズの主張に従い、雇用を生み出すため、無駄でもいいので政府が公共事業をどんどん行うというものです。

これは日本のアベノミクスによる「機動的な財政政策」と変わりません。日本の保守政権と中国共産党の経済政策が同じとは、皮肉な話です。

中国経済が臨界点に向かっているとしたら、笑いごとではありません。日本経済も同様の困難が待ち受けるでしょう。(2017/10/29)

2018-10-28

人はみな起業家

起業家支援のおせっかい
経済の自由度が大きな国ほど、起業家活動は盛んになりやすい。起業を増やしたければ、起業家活動を妨げる政策をなくさなければならない。米国では起業支援に熱心な州ほど起業は低調という調査結果。政治がしゃしゃり出るほど起業は衰える。たとえ政府にそのつもりはなくても。
Don't Mix Politics and Entrepreneurship | Mises Wire

起業家と経営者
起業家と経営者は違う。経営者の役割は経費を下げ、赤字にならないようにすることだが、起業家の役割は消費者に提供する価値とその価格を考えることだ。経費節減のことばかり考える起業家は経営者であり、起業家ではない。価値と価格を確立する前に経費を気にする余裕はない。
Most Entrepreneurs Are Bad Entrepreneurs | Mises Wire

人はみな起業家
経済学者ミーゼスによれば、起業家の本質は、すでに存在して他人が気づかないものを発見することではなく、不確実な未来に目を凝らすことにある。広い意味で、あらゆる人間は起業家である。自分の努力が望むとおりの結果をもたらすかどうか、決して確実にはわからないからだ。
Entrepreneurial Discovery: Who Needs It? | Mises Wire

規制より賢い方法
「ながらスマホ」を法律で規制せよという意見がある。しかし法律が正しい解決策とは限らない。UXデザイナーは政治家よりはるかに人間行動を理解している。政治家は特定のやり方を人に押しつける。UXデザイナーは人の求めに注意を払い、それをより良くかなえるやり方を考える。
A Better Way to Reduce Texting-Related Driving Deaths - Foundation for Economic Education

ケネディはなぜ死んだのか

陰謀論と聞くと、それだけで冷笑する人が少なくありません。たしかに、陰謀論には荒唐無稽なものもあります。けれども、すべてを頭から「トンデモ」と決めつけるのも理性的な態度とはいえません。

ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件を巡る機密文書の一部が米国立公文書館のウェブサイトで公開され、話題となっています。

日経電子版が伝えるように、ケネディが米テキサス州ダラスでのパレード中に狙撃され、死亡したのは54年前の1963年11月。米政府の調査委員会(ウォーレン委員会)は元海兵隊員のリー・オズワルド容疑者(移送中に射殺)による単独犯行と断定しましたが、証拠は乏しく、外国政府や米情報機関が黒幕との陰謀論が今も絶えません。

暗殺の真相をめぐっては議論が百出し、謎解きに挑戦した本は数えきれないほどです。その中で興味深いのは、2014年に邦訳が出たジェイムズ・ダグラス『ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか』です。

学生の反戦運動に参加しハワイ大学神学教授の職を辞した異色の経歴の持ち主であるダグラス氏が焦点を合わせるのは、冷戦の頂点でケネディが踏み出した外交政策の転換です。

ケネディは冷戦の戦士として登場し、大統領就任演説では、共産主義陣営に対抗するには十分な武力が必要との考えを表明しました。しかし核戦争寸前までいったキューバ危機を経て、軍縮と平和に方向転換します。

1963年5月、同年末までに南ベトナムから米軍関係者1000人を撤退させる具体的な計画を作成するよう命令。さらに、核実験禁止条約締結と全面的かつ完全な軍縮政策を同時にめざすよう命じた国家安全保障行動覚書第239号を発令します。

同年6月にはワシントンのアメリカン大学で卒業式のスピーチを行い、「軍事力によって米国が世界に強制するパクス・アメリカーナ」を拒否し、事実上、冷戦終結を提案します。凶弾に斃れたのはその5カ月後でした。

ケネディが敵である共産主義者との和平に向かったため、米中央情報局(CIA)や統合参謀本部、軍産複合体の反発を買い、これら国内勢力から暗殺されたというのがダグラス氏の考えです。

ダグラス氏は、具体的に誰が暗殺を計画し、命じたかまで特定はしていません。政府が情報をすべては明らかにしていない以上、やむをえないことです。重要なのは仮説をやみくもに否定せず、事実に基づき検証することです。今後の究明が待たれます。(2017/10/28)

2018-10-27

一番大事な金融リテラシー

政府の暴力性は日常ではあまり目立たちません。しかし財政破綻という非常事態に直面すると、それがむき出しになります。終戦直後に強行された預金封鎖、通貨切り替え、財産税といった緊急措置がまさにそれでした。しかも政府はぎりぎりまで、財政は大丈夫と嘘をつきました。

法政大学教授の小黒一正氏は著書『預金封鎖に備えよ』で、一連の緊急措置を詳しく記します。ハイパーインフレに直面した日本政府は1946年、預金封鎖と通貨切り替えに着手。5円以上の旧銀行券をすべて銀行など民間金融機関に預けさせ、生活や事業に必要な額だけを新銀行券で引き出させました。

新たな税も導入します。柱の一つが財産税です。国内に在住する個人を対象に、一定額を超える財産(預貯金、株式などの金融資産及び宅地、家屋などの不動産)に課税。最低税率25%で、1500万円超の財産には実に90%も課税されました。

政府は太平洋戦争開戦前夜の1941年に作成した小冊子で、「国債がこんなに激増して、財政が破綻する心配はないか」という問いに対し「全部国民が消化する限り、すこしも心配は無いのです」と答えています。小黒氏が言うとおり、なんとも「強烈な嘘」です。

私たち国民にとってせめてもの慰めは、こんな非道な政府の暴力からも、多少は逃れる余地があったことです。預金封鎖を事前に察知して預貯金を大量に引き出して株券などに替えておき、新銀行券に切り替わって安定してから現金化した人々もいたようです。財産税による資産没収も、貴金属なら隠せないことはありませんでした。

最近、金融リテラシーに対する関心が高まっているのはよいことです。ただし今から学ぶのであれば、運用商品の利回りがどうこうという細かい話ではなく、非常時に政府から資産を守る知恵こそ一番大事でしょう。政府は教えてくれそうにありませんしね。(2017/10/27)

2018-10-26

規制を疑わない国

規制は何らかの目的を達成するための手段です。だから、ある規制が目的の達成にふさわしくなければ、変更や廃止を考えるのが当然のはずです。ところが日本では不思議なことに、そういう意見がほとんど出てきません。

日産自動車の不正検査が問題になっています。無資格の従業員が新車の完成検査をしていたためです。日産はこれまでに約120万台のリコール(回収・無償修理)を決め、車両の出荷を一時停止。テレビコマーシャルや新車キャンペーンも中止しました。大変なことです。

ところが報道では申し訳程度にしか触れられないのですが、これはすべて国内向けの車だけの話です。同じ工場で、同じように無資格者が検査していても、海外向けの車なら何の問題もありません。現に日産は海外向けの車の生産は続けています。

なぜなら、海外では安全性を審査する制度が異なるため、無資格者が検査しても問題とされないからです。

これはおかしな話です。もし有資格者による完成検査が安全のためにそれほど重要なら、海外でも必要とされるはずです。

この点についてジャーナリストの井上久男氏が現代ビジネスで詳しく解説しています。それによると、完成検査とは「儀式」の工程にすぎず、何のノウハウもないといっても過言ではないといいます。

そのうえで同氏は、国土交通省が主管の「型式認証制度」は一部が時代遅れになりつつあり、安全上問題がないのであれば、有資格者による検査制度は廃止にすればいいし、逆に問題があるのならば、今はあいまいな有資格者を厳密に定義せよと述べます。今回の問題の本質は、まさにこういうことでしょう。

お上の決めた規制を金科玉条のように奉って時代遅れになろうと疑わず、破った者はけしからんと有無を言わさず叩く。日本人の一番醜い姿ではないでしょうか。(2017/10/26)

2018-10-25

北朝鮮の資本主義

市場経済は世界に平和と繁栄をもたらします。これは環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の最中、日本政府も盛んに強調した真実です(政府によってガチガチに管理されたTPPが市場経済かどうかは別として)。そうだとすれば、朝鮮半島の緊張が緩和に向かうかもしれない良い兆しがあります。北朝鮮で市場経済が成長しつつあるのです。

北朝鮮経済は社会主義経済と経済制裁で壊滅状態かと思っていましたが、日経「経済教室」で三村光弘・環日本海経済研究所調査研究部主任研究員は「たびたび訪問して肌で感じる変化からすれば、ここ5年程度は毎年3~7%〔略〕ぐらいのプラス成長だったように思われる」と述べています。

北朝鮮は公式には社会主義計画経済のままです。しかし黙認ベースで存在する非国営部門や、国営部門と非国営部門の協働などから成長が生まれていると三村氏は推定します。

金正恩時代に入り、全国の協同農場で自らが担当する田畑の収穫高が分配に大きく反映されるなど、市場経済的な改革が実施されています。国営企業でも生産ラインごとに様々な工夫がなされ、さながら「社内起業ブーム」の様相を呈している企業も多いというから驚きます。

北朝鮮にひそかに生まれつつある資本主義はまだ小さなものかもしれません。しかしその成長を邪魔せず、「国全体を変える原動力」(三村氏)にすれば、朝鮮半島と周辺地域の平和と繁栄に道を開くでしょう。報復を招くだけの軍事圧力や経済制裁よりもずっと賢明な方法です。(2017/10/25)

2018-10-24

右翼と左翼は変わらない

インターネットの世界では日々、ネット右翼とネット左翼がののしり合っています。国政選挙ともなると大変です。なんだかばかばかしくなってきます。だって、右翼と左翼が正反対に見えるのは表面だけの話で、本質は同じなのですから。

右翼と左翼に共通する本質を一言でいえば、国家主義です。どちらも社会のさまざまな問題は国家権力によって解決できるし、解決しなければならないと信じています。

右翼と左翼の同質性を象徴する人物がいます。安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相です。岸氏はタカ派の保守派政治家として知られます。けれども姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』が述べるように、政治思想は社会主義の強い影響を受けていました。

戦前、企画院を根城として軍部幕僚層と結びつき、国家改造をめざす「革新官僚」と呼ばれる官僚グループがいました。商工省出身の岸氏はその有力メンバーです。彼らに共通するのは、若い頃、当時インテリの間で流行していたマルクス・レーニン主義的な社会科学の影響を受けたことです。

一方で岸氏は東京帝国大学の学生時代、日本の国家社会主義者である北一輝に心酔していました。北の著書『国家改造案原理大綱』を夜を徹して筆写したといいます。

官僚として出世し満州国に渡った岸氏は、ロシア革命で誕生したソ連の統制経済をモデルに、国家建設の実験に取り組みます。けれども企業の利潤追求を制限したため、開発は思うように進みませんでした。

敗戦でA級戦犯となった岸氏はやがて政界に復帰し、戦後も国家社会主義的な政策の実現に努めます。第二次岸内閣のときに最低賃金法や国民年金法が成立し、社会保障制度の充実が図られたのはその表れです。

現在、社会保障が弱者に満足のゆくサービスを提供できず、財政を危機状況に追い込んでいることを考えると、岸氏の国家社会主義的な経済政策は厳しく評価されなければならないでしょう。右翼と左翼のもう一つの共通点は、経済の道理に無知なことです。(2017/10/24)

2018-10-23

棄権したら政府に文句はいえない?

衆院選の投票率は小選挙区、比例代表ともに約54%で、台風の影響もあってか、戦後2番目の低さでした。有権者の半分近い約46%の人々が棄権したわけです。

ところで、棄権は悪いことだとよくいわれますが、それは正しいでしょうか。

棄権を批判する人はよく、「投票しなければ政府に文句はいえない」といいます。けれども、これはどうみてもおかしな意見です。

第1に、もしこの意見を大まじめに法的な意味に取れば、政府を批判する人は、投票した証明書をいつも首からぶら下げていなければなりません。もちろん、そんなことをする人はいません。投票したかどうかにかかわらず、政府に文句をいう自由は誰にでもあります。

第2に、「投票しなければ政府に文句はいえない」が法的な意味ではなく、「投票した人だけが政府に文句をいう倫理的な資格がある」という意味だとしたらどうでしょう。これも成り立ちません。

むしろ逆ではないでしょうか。政府が何か問題を起こしたら、その政府を選んだ有権者こそ、文句をいう倫理的な資格がないはずです。だって、自分が良いと思って選んだ政府なのですから。一方で、政府を選ばなかった棄権者は堂々と文句をいえるはずです。

参政権は読んで字のごとく、国民の権利です。権利である以上、行使しない選択肢もあるはずです。投票を強いるような世論はよくありません。そして棄権しても、政府を批判する資格はあるのです。(2017/10/23)

2018-10-22

仮想通貨の官営化

先日、ロシアが独自の仮想通貨「クリプトルーブル」の発行を決めました。GIGAZINEによれば、プーチン大統領が非公開の政府閣僚会議で指示し、ニキフォロフ通信情報相が明らかにしたとのことです。

プーチン大統領はかねて、ビットコインなどの仮想通貨はマネーロンダリング(資金洗浄)や脱税、テロ資金の調達に利用されるとして批判していました。それが今回、みずからその発行に乗り出すわけです。

クリプトルーブルは通常の通貨であるルーブルといつでも交換できますが、出所が証明できない場合、13%の税を課されるもようです。マネーロンダリングなど不正行為の手段として使われないようにするためです。

ニキフォロフ通信情報相によれば、仮想通貨導入を決めた一つの理由は「もしロシアがやらなければ、ユーラシア経済共同体に加盟する近隣諸国が2カ月後に行うため」といいます。同共同体はロシアのほか、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタンなどが加盟しています。

ロシアによる政府公認の仮想通貨導入は、中国に続く動きです。中央銀行である中国人民銀行は7月、政府公認の仮想通貨の導入を検討すると表明しました。サンケイビズによると、同銀系の金融時報は9月19日付で、政府公認での早期発行を期待するとの評論を掲載し「ビットコインなどが国家の通貨発行権に挑戦することは許されない」と断じています。

日本ではロシアや中国の経済政策というと、「社会主義」「全体主義」と馬鹿にする声が多いのですが、仮想通貨に関する限り、考えに大差はありません。1円でも多く税金が欲しいときに国民に財産上のプライバシーは許したくないでしょうし、誰もがビットコインしか使わなくなればリフレ政策などできなくなります。

中ロにならって仮想通貨が政府の管理下に置かれる日は、そう遠くないかもしれません。(2017/10/22)

2018-10-21

共産主義のファンタジー

市場から暴力へ
社会主義の経済政策の誤りは、資本主義に取って代わった後も変わらず事業を運営できるという考えにある。党員を役員に送り込んでも、正しい経営判断はできない。私有財産に基づく価格体系がもはや存在しないからだ。市場の導きがなければ、財の配分は力づくで決めるしかない。
4 Reasons Why Socialism Fails | Mises Wire

ここにある社会主義
米国人はベネズエラの社会主義の失敗に騒ぎながら、トランプ大統領が1.3兆ドルもの歳出法案に署名しても何の心配もしない。これはベネズエラが想像すらできない規模の社会主義だ。この額だけで同国GDPの3倍にもなる。この戦争福祉国家社会主義に米国で誰か抗議しただろうか?
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : Venezuela's Socialism...And Ours

共産主義のファンタジー
あなたが一番好きなファンタジー作家は『ハリー・ポッター』のJ・K・ローリング? 『指輪物語』のJ・R・R・トールキン?『ナルニア国物語』のC・S・ルイス? 『氷と炎の歌』のジョージ・R・R・マーティン? それとも『資本論』のカール・マルクス? 共産主義を笑うジョーク。
8 Funny Memes that Skewer Communism

労働者の友?
歴史家ポール・ジョンソンによれば、カール・マルクスは工場や鉱山など労働現場を生涯一度も訪れたことがなく、誘いを受けても断った。金のために働くことを拒否したので金がなく、金をくれない者を呪った。母親いわく、「資本を少しは集めればいいのに。書くだけじゃなく」。
A Historian Explains Perhaps the Biggest Lesson of the 20th Century - Foundation for Economic Education

2018-10-20

仮想通貨に監視の影

ビットコインなど仮想通貨のメリットの一つは、お金に関するプライバシーが守られることだといわれてきました。政府や銀行に預金残高や取引記録を把握されないからです。けれども、それが将来も続く保証はなさそうです。

金融情報サイト、マーケットウォッチの動画で、ブロックチェーン技術会社ノード40の最高経営責任者(CEO)、ペリー・ウッディン氏が解説するように、米トランプ政権は仮想通貨に強い関心を示しています。

行政管理予算局長となったミック・マルバニー下院議員は、仮想通貨とその中核技術であるブロックチェーンの熱心な支持者として知られます。しかし民間で発達したサービスが政府の関心の的となるのは、利用者にとって必ずしもいい兆しではありません。

日経電子版が報じたように、仮想通貨技術を使った資金調達(ICO=イニシャル・コイン・オファリング)について、米証券取引委員会(SEC)が7月、条件次第で証券法上の有価証券にあたるとの見解を出したのに続き、米国商品先物取引委員会(CFTC)も今月、ICOで発行される「トークン」が監視対象になる可能性があるとの見解を示し、ビットコイン相場が一時急落しました。

動画の解説によれば、日本の国税庁にあたる米内国歳入庁(IRS)はブロックチェーンの分析に力を入れ始めています。税務調査に利用するためです。税当局がブロックチェーンの分析ノウハウを習得すれば、仮想通貨を利用する個人のプライバシーには脅威となります。

ウッディン氏は、ブロックチェーンは透明性が高いだけに、政府にとって現金よりも規制がたやすいと指摘しています。(2017/10/20)

2018-10-19

輸出奨励の勘違い

政治家は盛んに輸出を奨励します。まるで輸出は良いことで、輸入は悪いことだと言わんばかりです。一般の人にも政治家に影響されて「輸出は善、輸入は悪」と漠然と信じている人が少なくありません。

けれども、以前(6月30日付投稿「輸入を許したら『負け』なのか」)も書いたように、その考えは正しくありません。

米経済学者でジョージ・メイソン大学教授のドナルド・ブードロー氏がウォールストリート・ジャーナル紙に投書し、輸出を奨励するトランプ大統領の貿易政策を次のように批判しています。

トランプ大統領によれば、米国民が貿易から多くの利益を得るには、輸出を増やし、輸入を減らせばいいという。しかし、それは誤りである。

輸出とは、製品やサービスを輸入する代償である。トランプ大統領が得意の交渉術で米国の輸出を増やし、輸入を減らせば、それはわざわざ米国民の支払いを増やし、受け取るものを減らすことを意味する。

嘘だと思う人は、家財道具をすべて海外に売り払い、受け取った外貨をマットレスに詰め込んで一切使わないでみてほしい。それで貧しくなるのが嫌なら、トランプ大統領の貿易政策はおかしいということだ——。

わかりやすい解説です。政府が輸出をやたらに奨励し、輸入を制限するのは、貿易の目的を見失った勘違いなのです。ブードロー氏のこの解説から、たとえば輸出を増やすために自国通貨を安くする政策がおかしいこともわかるでしょう。

経済の正しい知識を身につけるコツが一つあるとしたら、それは経済に関する政治家の言葉を真に受けないことかもしれません。(2017/10/19)

2018-10-18

宴が終わるとき

経済の状態には好景気と不景気があります。好景気は良いことで不景気は悪いことだと、たいていの人は思っています。でもそうではありません。好景気には悪いものもありますし、不景気には良いものもあります。

景気が良いことと、経済が健全であることは、必ずしも一致しません。マネーの注入によって人為的に演出された好景気は、経済の健全な発展をむしろ妨げます。逆に、人為的な好景気が限界を迎えた後に訪れる不景気は、経済が健康を取り戻す過程です。

だから不景気を和らげるために市場にマネーを注入するのは、せっかくアルコールを断とうとしているアル中患者に酒を飲ませるようなもので、経済の正常化を遅らせます。

経済学者ハイエクは「強制的な信用拡大によって不況に対処することは、その災害をもたらしたまさに同じ手段によってそれを治療しようとすることである」と批判しました。信用拡大とは金融緩和のことです。そのうえで「そのような方法は、信用拡大が終わるやいなや、もっと深刻な恐慌を導くにすぎない」と指摘しています(古賀勝次郎他訳『貨幣理論と景気循環/価格と生産』)。

しかし今、ハイエクの言葉に耳を貸す政府はありません。経済を元気に見せたい政治家にとって、マネーは強壮剤のように便利です。中央銀行にしても、かつては「パーティーが盛り上がっているときにパンチボウルを片づけるのが仕事」といわれ、バブルの歯止め役を期待されましたが、最近ではパーティーが盛り下がる気配を見せると景気づけに新しいシャンパンの栓を抜くのが仕事のようです。

いつになるかはわかりませんが、宴は終わります。しかし、悲しむ必要はありません。それは経済が健全さを取り戻す第一歩だからです。(2017/10/18)

2018-10-17

政治家は信頼できるか

国政選挙になると、「信頼できる人を選ぼう」「日本を導くにふさわしいリーダーを選ぼう」といった呼びかけをよく目にします。政治家が自分のことをそのように売り込むのは商売上当然です。けれどもそれを真に受けるのは、危ういことです。

政治の本質をよく知っていた昔の思想家は、政治家には立派な人物がいるなどという甘い見方をしませんでしたし、信頼もしませんでした。その一人、英哲学者ジョン・スチュアート・ミルは著書『自由論』でこう書いています。

「社会の弱者たちが無数のハゲタカの餌食になるのを防ぐには、並はずれて獰猛な一羽のハゲタカが、ほかのハゲタカたちを抑えつけてくれるとありがたい。しかし、このハゲタカの王様もやはりハゲタカであり、弱者の群れを餌食にしようとすることに変わりはない。その鋭いくちばしや爪にたいして、民衆はたえず防御の構えをとりつづけねばならない」(斉藤悦則訳)

ミルはまず、社会の弱者を餌食にする無数のハゲタカがいるといいます。これは犯罪者のことです。犯罪者を抑えつける仕事は、並はずれて獰猛な一羽のハゲタカにやらせればいい。このハゲタカの王は、権力を持つ政府です。

ミルが偉いのは、ハゲタカの王もまたハゲタカであり、「弱者の群れを餌食にしようとすることに変わりはない」ことを忘れないところです。ハゲタカの王は人格が立派だとか、一国のリーダーにふさわしいとかいう幻想を抱きません。

ハゲタカ呼ばわりとは失礼極まると、政治家の皆さんはさぞ腹を立てることでしょう。しかし彼らが権力という「鋭いくちばしや爪」を持つ以上、ミルの叡智に従うのが賢明です。獰猛なハゲタカを信頼はできないし、立派な人格も期待できません。(2017/10/17)

労働は目的でなく手段

労組不加入の自由
結社の自由が不可侵の人権なら、意に反する結社を拒否する自由も含まれるはずだ。求婚の自由があれば、それを拒む自由もあるし、離婚する自由もある。同じく、企業は条件に同意する労働者を雇う自由がある。労働組合には入らないという条件で互いが合意するのは自由なはずだ。
Union-Free Contracts and the Freedom of Association

労働は目的でなく手段
労働は経済発展の目的ではない。価値ある目的を達成するための手段にすぎない。理想は働かなくてもほしいものが何でも手に入る状態だ。投資で経済が発展すればその理想に近づく。重要なのは労働そのものではなく、労働の成果だ。それを忘れて雇用だけを増やしても意味がない。
Economic Myths #3 – We Need More Jobs! | The Ludwig von Mises Centre

雇用増は良いことか
個人の幸福にとって本当に重要なのは、雇用そのものではなく、質の良い商品やサービスを多く購入できるかどうか、つまり購買力の高さである。収入が増えても、購買力が下がっては意味がない。購買力を高めるには、優れた生産設備を整え、経済の生産力を高めなければならない。
Does a Fall in Unemployment Lead to Stronger Economic Growth? | Mises Wire

賃上げと生活水準
相対価格が変わると人は行動を変える。住宅の食品に対する価格が相対的に高くなれば、前より狭い部屋に住み、相対的に安くなった肉を多く買うだろう。賃金を生活コストに合わせ一律に引き上げても、以前の生活水準を保てるとは限らない。個人の消費パターンとその変化次第だ。
Relative Prices Matter: Why Cost-of-Living Indexes Don't Tell Us Much | Mises Wire

2018-10-15

企業の不正は顧客が罰する

日産自動車の無資格者検査、神戸製鋼所のデータ改ざんなど有名企業の不祥事が相次ぎ発覚し、問題となっています。こういう事態になると必ず出てくるのが、政府による監督、規制、罰則を強化せよという意見です。けれどもそこは冷静に考える必要があります。

企業が不正を行なった場合、政府がわざわざ罰するまでもなく、顧客から厳しい罰を受けます。第1に、内容次第で損害賠償を求められます。第2に、信用をなくし、自社の製品・サービスを買ってもらえなくなります。

このような事態を招いては大変ですから、企業は政府から命じられなくても、不正を防止しようとします。もちろん大勢の人が働く場ですから、完全に防ぐことはできません。けれども、それは政府が監督や規制、罰則を強化しても大して変わりません。

規制や罰則の強化にはコストがかかります。そのコストは結局、税金や経済的便益の低下という形で消費者が負担しなければなりません。コストに見合ったメリットはあるでしょうか。かりに不正防止の確度を多少高めることができたとして、わざわざ余分なコストを払う価値があるでしょうか。いや、そもそも高められるかどうか疑問です。

日経電子版の記事によると、神鋼のデータ改ざん問題について経産省が悩んでいるそうです。法律に基づく強力な指導権限がないからです。非鉄金属産業を所管するものの、その主な役目は産業振興策の立案で、電気事業法による指導・監督のように法律に基づく権限はアルミの製造にはないといいます。

けれども経産省が電気事業法によってみっちり指導・監督してきたはずの東京電力は、福島第一原子力発電所で必要な津波対策を怠り、甚大な被害をもたらしました。その責任の半分は対策を命じなかった国にあると、福島地方裁判所は10日の判決で示しました。政府の関与が企業の不正防止に有効とはとてもいえません。

企業の不正を罰する仕事は顧客に任せましょう。それは政府の画一的な罰則や政治的な指導と違い、本当に悪質な不正には厳しく、顧客の利益に関係ないルール逸脱には寛容に、きめ細かく実行されるでしょう。それが自由な市場経済にふさわしい罪と罰のあり方です。(2017/10/15)

2018-10-14

株高とマネー膨張

株式相場の上昇に弾みがついています。13日、日経平均株価は終値でおよそ21年ぶりに2万1000円台に乗せました。一般に株価の上昇は経済の良い状態を示すといわれます。私自身、現役記者時代はそう考えて記事を書いていました。けれども今思うと、その考えは必ずしも正しくなかったようです。

米経済教育団体、ミーゼス研究所の記事を参考に説明しましょう。

かりに株式市場にA社、B社という2つの企業しか上場していないとしましょう。投資家がA社よりもB社のほうが有望と考え、A社の株を売ってB社の株を買えば、A社の株価は下落し、B社の株価は下落します。

このとき、株式相場全体は上昇も下落もせず、横ばいのままなはずです。これでは、相場は長期間上昇を続けることはできません。

株式相場全体が上昇を続けるためには、何が必要でしょうか。資金の流入です。

オーストリア出身で米国で活躍した経済学者、フリッツ・マハループはこう述べます。「銀行の融資が柔軟に増えなければ、株価の高騰(boom)は長続きしない。融資が膨張しなければ、株式を買う人々に貸す資金はすぐ底を尽きてしまうだろう」

中央銀行が金融政策を緩和し、民間銀行が多くの資金を投資家に供給できなければ、相場全体が長期間上昇することはできません。

逆にいえば、資金さえ増えれば、投資家に買う意思がある限り、株式相場は上昇します。極端な話、経済の状態が良かろうと悪かろうと、中央銀行が金融を緩め、株式を買う資金が増えさえすれば、相場は高くなるということです。

こう言うと、「株式相場が経済の状態と無関係なはずはない。その証拠におおむね国内総生産(GDP)の伸びと連動している」と思うかもしれません。表面はそう見えます。けれども株式相場と同じく、GDPもお金の量に左右されます。株式相場とGDPが連動するのでなく、どちらもお金の量に連動しているにすぎません。

日銀が同日発表した9月のマネーストック(通貨供給量)速報によると、「M3(現金、銀行などの預金)」の残高は1305兆9000億円となり、2カ月ぶりに過去最高を更新しました。22日投開票の衆院選で与党優勢との情勢調査が相次ぎ、アベノミクスによる金融緩和が続く可能性が高まったことも、株高の材料として指摘されています。

しかしマネーの膨張は永遠には続きません。いつかは出口に向かいます。株高はもろいものだと用心しておいたほうがよいでしょう。(2017/10/14)

2018-10-13

現金主義は悪くない

世界でキャッシュレスの流れが強まるなか、日本の「現金主義」は時代遅れだとよく批判されます。けれども、そう簡単に決めつけてよいものでしょうか。

現金のメリットを再確認させる出来事が最近ありました。米自治領プエルトリコを襲った巨大ハリケーンの被害です。全土が停電し、クレジットカードが使えなくなりました。

ブルームバーグの報道によれば、スーパーマーケットやコンビニエンスストアは店頭に「現金払いのみ」と表示を掲げました。

銀行の店頭には現金を求める人々で長蛇の列ができました。64歳の音楽教師の男性はこう話します。「食料やガスを買うお金がいるのです。いつもはカードで払うのですが」

ブルームバーグの別の記事によれば、現地の銀行家の求めに応じ、ニューヨーク連邦準備銀行のウィリアム・ダドリー総裁がジェット機に現金を積み、運ばせたそうです。

クレジットカードや仮想通貨などキャッシュレス決済の弱みは、電力を確保できなかったり、スマートフォンなど電子機器がなかったりすると使えないことです。現金はその点、安心です。

一方で、現金はかさばり、盗難の恐れがあるといった弱点もあります。メリットとデメリットを勘案し、現金とキャッシュレスのどちらをどれだけ選ぶかは、個人の判断に任せればよいことです。政府が一方的に押し付けるべきではありません。

日本人の現金主義は世界の主要国でも突出しているそうです。しかしそれが人々の自由な選択の結果であれば、時代遅れだとか不合理だとかと決めつけず、それなりの合理的な理由があると考えるべきです。

現金は取引の匿名性が確保され、マイナス金利政策によって銀行から利息を取られる恐れもありません。現在の日本の経済・政治情勢から考えて、これらのメリットは決して小さくないはずです。(2017/10/13)

2018-10-12

どこが不合理なの?

リチャード・セイラー教授のノーベル経済学賞受賞で脚光を浴びる、行動経済学。10月10日の投稿「行動経済学の矛盾」でその主張に対し、恐れ知らずにも疑問を呈しましたが、もう少し書いておきます。

行動経済学者が明らかにする人間行動の偏り(バイアス)は、衝撃的とはいわないまでも、それなりに興味深いと思います。問題は、彼らがそれを「不合理」と呼ぶことにあります。

米デューク大学の行動経済学者、ダン・アリエリー教授のベストセラー『予想どおりに不合理』を見てみましょう。タイトルどおり、アリエリー教授は、人間の不合理さを示すというエピソードを次々にこれでもかと紹介します。

実験で高級チョコの値段を15セント、大衆向けチョコを1セントに設定すると、お客の73%が高級チョコ、27%が大衆チョコを買いました。ところが、それぞれ1セント値下げして高級チョコを14セント、大衆チョコを無料にしたところ、無料チョコに人々が殺到し、69%が選んだといいます。

従来の経済理論によれば、どちらのチョコも1セントずつ安くなっただけなのだから、お客の行動に大きな変化はないはずなのに、無料になったとたん需要が急増するのは「奇妙」だとアリエリー教授は驚いてみせます。

そんなに奇妙でしょうか。アリエリー教授は経済学の基本を忘れています。商品の価値を決めるのは人の主観です。無料が人の主観にとって特別な意味を持つのであれば、欲しがる人が急増しても不思議はありません。

現にアリエリー教授自身、無料が人の心をそそる理由をこう述べます。「人間が失うことを本質的に恐れるからではないかと思う。〔略〕無料!のものを選べば、目に見えて何かを失う心配はない」

つまり、ちゃんと理由があるのです。理由がある行動を不合理と呼ぶのは間違いです。

なおアリエリー教授は、人間は不合理なので売買や取引によって個人の幸せを最大にすることはできないと述べ、政府がもっと大きな役割を果たす考えに賛同します。

あれれ、政府を動かすのは人間なのに、政府の不合理な行動は心配しなくていいのでしょうか。同教授はナイーブにも「願わくば分別のある思慮深い政府」と条件を付けますが、不合理な人間でも思慮深くなれるのでしょうか。もしそうなら、市場でも人は思慮深くなれるはずです。(2017/10/12)

2018-10-11

ロゴフ教授の不吉な予言

仮想通貨ビットコインの価格が騰勢を強め5000ドルに近づくなか、米ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授が不吉な「予言」をしています。長期ではビットコインの価格は崩壊するだろうというのです。

ロゴフ教授といえば、現金は脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)に悪用され、金融政策の妨げにもなるとして、現金廃止を唱えていることで有名です。今回、プロジェクト・シンジケートのサイトに寄稿した「予言」は、その持論を踏まえたものです。

同教授は仮想通貨の隆盛に触れた後、「ビットコインが中央銀行の発行する貨幣に取って代わると考えるのはばかげている」と切り捨てます。政府が仮想通貨で小口の匿名取引を認めることは望ましい。けれども大口の取引は別の話だと言います。徴税や犯罪対策がきわめて難しくなるからです。

そのうえでロゴフ教授は「もしビットコインが匿名性を奪われたら、現在の価格水準を正当化するのは難しいだろう」と突き放します。

まるで大口の匿名取引を利用する者は全員犯罪者だと言わんばかりの、ロゴフ教授のいつもの調子には辟易します。それでもその主張が冷厳な事実を含むことは否定できません。

同教授によれば、中央銀行が自分の仮想通貨を作り、規制を都合よく利用して勝者の座に収まる可能性も大いにあります。歴史上、民間が新たな通貨を考案するたびに、政府はそれを規制し、やがて乗っ取ってしまいました。「仮想通貨が同じ運命をたどらない理由はない」

仮想通貨のメリットの一つである匿名性は、少しでも多くの税金を取りたい政府にとってしゃくの種です。できることなら民間の仮想通貨を駆逐し、たとえばマイナンバーと紐づいた、プライバシーなどないに等しい官製仮想通貨に置き換えたいことでしょう。ただし、それが国民の幸せかどうかは別の話ですが。(2017/10/11)

2018-10-10

行動経済学の矛盾

2017年のノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)に米シカゴ大学のリチャード・セイラー教授が選ばれました。同教授は行動経済学の研究で有名です。しかし最近ブームになっているこの学問は、大きな矛盾を抱えます。

行動経済学の特徴は、授賞理由でも述べられているように、「人は完全に合理的には行動しない」と強調することです。しかしここには少なくとも2つの疑問があります。

第1に、行動経済学が「不合理」とみなす人の行動は、本当に不合理なのかという点です。

たとえばセイラー教授は、すぐに1万円をもらえるのと、2年後に2万円をもらうのとでは、たとえ2年後の方が得だったとしても、人はすぐ1万円をもらうことを選びやすいといいます。しかしこれは不合理といえるでしょうか。

今後2年間の金利水準など諸条件を仮定し、今の1万円より2年後の2万円のほうが計算上は実質金額が大きいとしても、それはあくまで机上の試算にすぎません。現実に選択する時点では、2年後のほうが「得」かどうかは誰にもわかりません。だとすれば、確実にもらえる今の1万円を選んでも不合理とはいえません。

第2に、人の「不合理」な行動を正すには、政府が働きかければよいという主張にしばしば結びつく点です。

セイラー教授は著書『行動経済学の逆襲』で、税の滞納、駐車違反、臓器提供などにまつわる行政上の問題を解決するため、政府にさまざまな知恵を授けます。しかしそこには、そもそも政府が定める税制や道路計画は合理的か、政府が臓器提供の権限を握ることは合理的かという視点がまったくありません。

当たり前のことですが、政府を構成する政治家や官僚は人です。もし行動経済学が主張するように人の行動が不合理ならば、政府が不合理な政策を決め、実行する恐れは小さくないはずです。

ところが行動経済学者はその肝心の部分は問題にせず、不合理かもしれない政策をうまく実行する知恵をあれこれ絞るのです。大きな矛盾といわざるをえません。(2017/10/10)

2018-10-09

銃規制を叫ぶ前に

米ラスベガスで58人が死亡した米史上最悪の銃乱射事件を受け、銃規制を強化すべきだとの声が内外であらためて高まっています。けれども、それは正しいでしょうか。いくつか考えたい点があります。

まず、ヤフーニュースで上智大の前嶋和弘教授が指摘するように、米国で銃が殺人件数を増やしている証拠はありません。銃の販売数が増加するにつれ、殺人率はむしろ低下しています。

次に、これも前嶋教授が述べるとおり、徹底した規制を行なっても、結局従うのはまともな人だけです。ギャングなどの組織犯罪は法の網をかいくぐります。高所得者だけが闇で取引される高価な銃を手に入れ、それほどお金のない人は自衛の手段を事実上奪われます。

3つめに、かりに市民の銃保有を禁止し、警察など政府組織だけに認めたとして、本当に市民の安全を守れるのでしょうか。元裁判官でコラムニストのアンドリュー・ナポリターノ氏が言うように、米政府は憲法で禁止されているはずの大量監視を行っているにもかかわらず、今回のラスベガスを含め、銃乱射事件の未然防止にしばしば失敗しています。

最後に、政府が銃保有を独占し、市民が丸腰になることの危険です。スペインのカタルーニャ州の独立を問う住民投票に対し、スペイン政府の警官隊は銃で市民を脅かし、阻止に動きました。政府の銃はつねに市民を守るために使われるとは限らないのです。

合衆国憲法修正第2条が保障する銃所持権の根底には、政府が暴走して市民の自由を抑圧した場合、市民は武装してそれと戦う権利があるという、英哲学者ジョン・ロックに由来する「抵抗権」の考えがあります。銃規制を叫ぶ前に、その背景にある歴史や思想をきちんと理解する必要があります。(2017/10/09)

2018-10-08

80年前の内部留保課税

希望の党が衆院選公約で検討を掲げた内部留保課税と同様の税は、およそ80年前、米国で導入されたことがあります。

1936年にこの税を導入したのは、大恐慌を受けてニューディール政策を推進したフランクリン・ルーズベルト大統領です。留保利潤税(undistributed profits tax)と呼ばれました。

同年初めに最高裁が農産物加工税に違憲判決を出し、一方で退役軍人へのボーナス即時払い法が議会で成立したことで、6億2000万ドルもの歳入欠陥が発生すると見込まれていました。留保利潤税はその穴埋め財源として新設されます。

経営が順調な時期に蓄えた内部留保は、経済環境が厳しくなった際に損失を相殺し、業績のぶれを小さくする役割を果たします。内部留保が手薄だと業績が不安定になるし、従業員の解雇にもつながります。

しかしルーズベルト大統領は、大恐慌から立ち直れるかまだ微妙な時期に、課税でその備えを奪おうというのです。産業界は猛反発しますが、最高税率の引き下げなど一部修正されただけで導入されます。税率は7〜27%と定められました。

ところが運悪く、米国は導入の翌年、1937年恐慌と呼ばれる厳しい不況に襲われます。企業は留保利潤税を嫌って配当を大幅に増やしており、その分、資金に余裕がなくなっていました。心配されていたように解雇が増え、1937年5月に12.3%だった失業率は、1年後の1938年5月に20.1%まで急上昇します。

同じく懸念されたとおり、企業は内部留保が減った結果、設備投資を縮小します。エコノミストのロバート・ヒッグス氏によれば、大恐慌で急減した民間設備投資は1930年代後半に入り回復の兆しを見せていましたが、1938年に再び8億ドルの純減(減価償却分を差し引いたネットベース)に落ち込みます。

不況を悪化させた原因がすべて留保利潤税にあるわけではありませんが、大きな影響を及ぼしました。

やがて留保利潤税は、企業経営者らを証人として招いた議会証言で「企業内の原資を取り上げて企業投資を阻害し、不況への耐性を失わせた」と批判されます。議会は1939年、ルーズベルト大統領の反対を押し切り、同税を廃止します(諸富徹『私たちはなぜ税金を納めるのか』)。創設から3年後のことでした。

希望の党の小池百合子代表(東京都知事)は内部留保課税の公約に修正もありうるとの認識を示しました。歴史の教訓を踏まえ、賢明な判断をしてもらいたいものです。(2017/10/08)

2018-10-07

政治の魔法を信じる人たち

選挙になると政治家たちは右派と左派に分かれて互いに非難し合います。けれども、それは表面だけのことでしかありません。提案する経済政策は驚くほど似たり寄ったりです。

ステファニー・ケルトン氏は米国の経済学者で、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校教授。昨年の米大統領選で民主党左派のバーニー・サンダース上院議員が党候補指名を争った際、経済政策顧問を務めました。

そのケルトン教授が最近、2つの有力紙上で立て続けに、財政問題に関する楽観的な持論を披露しました。ジャーナリストのロバート・ウェンゼル氏がブログで紹介しています。

ケルトン教授はまず9月28日のロサンゼルス・タイムズで、議会にはドルを合法的に作り出す特権があると指摘。「政府は何もないところから魔法のようにお金を取り出すことができるのかって? そのとおり」と強調しました。

次に10月5日のニューヨーク・タイムズでは、財政赤字が拡大しても国の資金調達に支障はないと主張しました。なぜなら「政府の赤字はつねに、他部門の黒字と同額だから」。

これらの主張は問題だらけです。ドルを大量に刷って大幅なインフレになったらどうするのでしょう。同教授は「政府がインフレを制御する方法はたくさんある。たとえば課税によってお金を取り去ればいい」といいますが、インフレで生活が苦しくなったうえに増税までされたら、国民は踏んだり蹴ったりです。

政府の赤字を民間の黒字が埋め合わせ、金額上は釣り合っても、そこには大きな不公平があります。政府は課税(通貨発行に伴うインフレ税を含む)によって民間から力ずくでお金を奪うからです。

政府の通貨発行の特権を強調し、財政赤字を問題視しない点で、ケルトン教授の意見は日本のアベノミクスそっくりです。そしてアベノミクスの信奉者と同様、政府の行為は権力の行使であり、たとえ合法でも個人から自由を奪い、不幸にするという認識が完全に欠落しています。

社会主義寄りのサンダース上院議員と保守を標榜する安倍晋三首相とでは、政治的立場は正反対です。それにもかかわらず、財政政策に関する限り、考え方はほとんど変わりません。どちらのブレーンたちも、政治の力で「魔法のように」無から有を生み出せると浅はかにも信じているからです。(2017/10/07)

2018-10-06

内部留保課税の逆効果

小池百合子東京都知事が代表を務める希望の党の政策原案に、大企業の内部留保への課税検討が盛り込まれ、話題となっています。「内部留保を雇用創出や設備投資に回すことを促し、税収増と経済成長の両立を目指す」とのことですが、思惑どおりにいくのでしょうか。

内部留保とは誤解されやすい言葉です。企業が社内に貯め込んだ現預金と勘違いしやすいのですが、多くの会計専門家が指摘するように、それは誤りです。

企業のバランスシート(貸借対照表)で内部留保にあたるのは、右側の純資産の部にある「利益剰余金」です。利益剰余金とは、過去または当期の利益のうち、配当していない部分をいいます。

一方、現預金はバランスシートの左側の資産の部にある「現金及び預金」です。バランスシートは右全体(負債・純資産)と左全体(資産)では同額となり釣り合いますが、個別の項目は基本的に無関係です。内部留保(利益剰余金)が多いからといって、現預金をたくさん抱えているとは限りません。

たとえば東レの利益剰余金は今年6月末時点(連結決算ベース)で7048億円ありますが、現預金は1337億円しかありません。原材料の買い付けや研究開発、土地・建物の購入など他のさまざまな用途にも充てているからです。

逆に、内部留保が少ない会社でも、借金をすれば現預金を増やすことができます。このように内部留保と現預金の多い少ないは無関係ですから、内部留保に課税をしても、企業が現預金を設備投資や雇用に回すきっかけにはなりません。

それでは内部留保ではなく、現預金そのものに課税をすればどうでしょうか。

慶応大ビジネス・スクールの太田康広教授がYahoo!ニュースで述べるように、投資機会がふんだんにある企業やリスクの高いビジネスをしている企業ほど、現預金を多く持とうとします。投資チャンスを逃さなかったり事業に失敗した場合に備えたりするためでしょう。

そうだとすると、課税によって現預金が持ちにくくなれば、企業はリスクを取ることに慎重になり、投資に消極的になるでしょう。設備投資や雇用を増やし、経済成長を牽引するどころか、逆効果です。

内部留保課税に限った話ではありませんが、税で経済が元気になることなどないのです。(2017/10/06)

2018-10-05

顧客軽視をもたらしたもの

顧客本位は企業経営の基本です。自由な競争で成り立つ資本主義経済では、顧客をないがしろにする企業は顧客から見放され、生き残れません。もし顧客本位でないにもかかわらず生き残っている企業が多くあるとしたら、その業界で資本主義が機能していない証拠です。

金融庁は最近、顧客本位を掲げたフィデューシャリーデューティー(受託者責任)を金融業界に求めています。けれども自由な競争があれば、わざわざ言われるまでもなく、自然に顧客本位になるはずです。何がそれを妨げているのでしょうか。

それは金融業界が過剰な規制でがんじがらめにされ、自由な競争がないことです。

官庁が規制の策定や運用を通じ、ある業界に対して絶大な権限を握ると、経営者は顧客よりも官庁の顔色をうかがうようになります。金融庁と金融業界の関係はその典型です。

銀行員出身の作家、池井戸潤さんの小説『ロスジェネの逆襲』には、顧客本位を忘れてしまった銀行の体質を厳しく指摘する場面があります。

証券子会社に出向中の主人公・半沢直樹は、今の銀行組織はなぜダメなのかと若手から尋ねられ、こう答えます。「自分のために仕事をしているからだ」「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる」

「仕事は客のためにする」という大原則を忘れた責任は、金融機関だけにあるとはいえません。業界の秩序維持を名目に箸の上げ下ろしまで注文をつけ、見返りに保護という特権を与えてきた政府にも、責任の一端、あるいはそれ以上の責任があります。

金融庁に言われたから顧客を重視しますというのでは、役所の顔色をうかがう体質は何も変わりません。政府が金融業界に真の顧客本位を望むなら、規制や保護を廃止し、自由に競争させればよいのです。(2017/10/05)

2018-10-03

さらば学校教育

公立学校の市場独占
アマゾンやグーグルを独占企業と批判するなら、それ以上に教育市場を独占する公立学校も批判しなければおかしい。米国で義務教育に占める公立学校のシェアは90%に達する。アマゾンは市場を支配し続けるには消費者の需要に応えなければならないが、公立学校にその必要はない。
What if We Treated Public Schools as Monopolies?

起業家の素質
起業家は現状を拒否し、新たな方法を工夫する。アンスクーリング(非学校教育)出身者の多くが起業家になるのは不思議でない。勉強を強制されることなく、将来の職業につながる興味を養う。大衆教育で好奇心を潰されない。学校で厄介がられる活力は、事業に必要な元気となる。
Why Unschoolers Grow Up to Be Entrepreneurs

さらば学校教育
ギグエコノミーは自由とチャンスにつながると考える労働者が増えるにつれ、子供にも多くの自由を与えたいと思うだろう。民間の学習センターが増えれば、アンスクーリングに切り替える家族が増えるだろう。旧来の職場と同様、旧来の教室はやがて過去のものになるかもしれない。
How the Gig Economy Empowers Unschoolers - Foundation for Economic Education

教育に政府はいらない
どの職業でも教育を受けた働き手を求める。だから人は自分の利益のために学習するし、教育機関をつくって学ぶツールを提供する。実際、コーセラ、カーン・アカデミー、リンダといった民間教育機関がすでに存在し、手ごろな価格で需要の大きなスキルを身につけることができる。
Education Is Not a Right | Mises Wire

独立は孤立ではない

国際法上の自己決定権とは、すべての人民が外部からの介入を受けず、その政治的地位を自由に決定する権利です。民族自決権とも訳され、かつては植民地の人々が独立を果たす根拠とされました。現在は既存の国家から少数民族などが分離独立する権利として注目されています。

スペイン北東部カタルーニャ州の独立問題もそうです。スペインからの独立の賛否を問う住民投票で、独立賛成が圧倒的多数を占める見通しとなり、州政府は独立に向けた動きを加速させる構えです。

これに対しスペインの中央政府側は、独立に向けた動きはすべて憲法違反で無効だと主張。強硬手段で阻止に動いています。日経電子版が伝えるように、住民投票では警官隊が投票箱を一部撤去し、住民との衝突も発生しました。地元メディアは頭から血を流す女性の写真などを報じています。

この問題について内外のメディアは総じて、カタルーニャ州の独立に好意的です。中央政府の強権発動に対する反発も一因でしょうが、根底には州住民の自己決定権に対する理解があると思われます。

けれども、もしそうだとすれば、首尾一貫していないといわざるをえません。英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)に対する論調と違いすぎるからです。

英国のEU離脱に対し、大半のメディアは批判的です。とくに昨年6月、国民投票で離脱が決まった直後は「国際社会から孤立する」とたいへんな騒ぎでした。

しかし住民(国民)の意思によって、ある政治共同体からの離脱を選ぶという点で、英国のEU離脱は、カタルーニャ州のスペインからの独立と変わりません。もしブレグジットを「孤立」だと批判するなら、カタルーニャ州の独立も同じように批判しなければ筋が通りません。

実際には、独立は孤立ではありません。政治的に別々の集団になっても、経済的な関係を結ぶことはいくらでも可能だからです。

英国民がEU離脱を選ぶのは自由だし、その英国からスコットランドが独立を選ぶのも自由です。もし住民が望むなら、たとえば沖縄が日本から独立するのも自由でなければなりません。それが自己決定権の本質です。(2017/10/03)

2018-10-02

ノーベル経済学賞の虚像

ノーベル賞の季節がやって来ました。ノーベル賞といえば、いうまでもなく科学の世界で最高の栄誉とされ、受賞者はその道で最高の権威として称賛を集めます。経済学賞は10月9日に発表予定です。

ところで報道ではあまり触れられませんが、経済学賞は厳密な意味ではノーベル賞ではありません。ノーベル賞の公式サイトにも「ノーベル賞ではない(Not a Nobel Prize)」とはっきり書いてあります。

正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」といいます。スウェーデン国立銀行とは、スウェーデンの中央銀行で、日本でいえば日本銀行にあたります。

物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の他の5つの賞がアルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて創設され、1901年に始まったのに対し、経済学賞のスタートは20世紀も後半の1968年。スウェーデン国立銀行が設立300周年を記念してノーベル財団に働きかけ、創設されました。

賞金の出所も、他の部門はノーベルの遺産をノーベル財団が運用して得た利益を充てるのに対し、経済学賞はスウェーデン国立銀行が拠出します。授賞式などの諸行事は他の賞と同列で、一般的には「ノーベル経済学賞」として扱われています。

故意にノーベル賞と紛らわしく設立されたようなやり方に、反発は小さくありません。朝日新聞「ことばマガジン」が伝えるとおり、1997年には文学賞の選考機関であるスウェーデン・アカデミーが経済学賞の廃止を要請。2001年にはノーベルの兄弟のひ孫が地元紙に寄稿し、「経済学賞はノーベルの遺言にはなく、全人類に多大な貢献をした人物に贈るという遺言の趣旨にもそぐわない」などと批判しました。

ノーベル賞を受賞した自然科学者の中にも、経済学賞の設置を快く思わない人々がいたようです。最初の経済学賞が贈られた同じ年、クォーク理論で物理学賞を受賞することを知らされた米物理学者、マレー・ゲルマン氏は「彼らと一緒に授賞式に並ぶということか?」と不満を鳴らしたとされます(矢沢サイエンスオフィス編著『ノーベル賞の科学・経済学賞編』)。

もちろんその後受賞した学問的実績が立派なものであれば、設立の経緯にこだわる必要はないでしょう。ところが困ったことに、そうとはいえないのです。

アルフレッド・ノーベルは遺言書で、ノーベル賞の対象者を「人類のために最も偉大な貢献をした人」としています。物理学をはじめとする自然科学であれば、ノーベルのいう「偉大な貢献」は具体的にイメージがわきます。

たとえば第1回物理学賞を受賞したレントゲンはX線を発見し、医療や工業の発展に大きく貢献しました。同じく物理学賞を共同受賞した赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏が発明した青色発光ダイオード(LED)は、照明や携帯電話用バックライト、大型ディスプレイなど幅広く実用化されています。

これに対し、経済学はどうでしょう。ノーベル経済学賞を受けた経済学者たちのおかげで労働者の生活が楽になったとか、株や土地の資産バブルを防ぐことができたとか、貧困を減らすことができたとかいう話は聞いたことがありません。

それどころか、100年に1度といわれた2008年のリーマン・ショックやその後の世界的な金融危機を事前に予測した経済学者は、ほとんどいませんでした。

1997年に経済学賞を共同受賞したマイロン・ショールズとロバート・マートンの両氏が経営にかかわった投資ファンド、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)は、同年発生したアジア通貨危機による市場の変化を読み誤り、破綻しました。

1980年受賞のローレンス・クラインは、およそ3000もの方程式で構成されるとてつもなく複雑なモデルを構築。受賞講演でこのモデルに基づく長期予測を披露し、米国で石油価格が上昇し、インフレが続き、財政・貿易収支が赤字から均衡に向かうと予想しましたが、ことごとく外れてしまいました(カリアー『ノーベル経済学賞の40年〈上〉』)。

ノーベル賞経済学者のすべてが駄目だというわけではありません。現代の主流経済学が自然科学のうわべだけを模倣した「見せかけの知」でしかないと批判したハイエク(1974年受賞)は、例外の一人でしょう。

『ブラック・スワン』の著者、ナシム・ニコラス・タレブ氏はフィナンシャル・タイムズへの寄稿("The pseudo-science hurting markets")で、ハイエクと同様に、市場の現実と合わない擬似科学のような理論に経済学賞が濫発され、それに対する批判がノーベル賞の権威で阻害されると批判しています。

今年のノーベル経済学賞は、権威に見合った内容になるのでしょうか。(2017/10/02 - 03)

2018-10-01

中央銀行という道具

キャッシュレスの問題点
キャッシュレス社会は危険をもたらす。銀行口座のない人々は社会の隅に追いやられ、支えとなっていた現金取引のインフラを奪われる。監視社会と化す恐れもある。推進派は現金を犯罪や税逃れに結びつけ、負の側面を強調するが、デジタル決済の良くない面にはほとんど触れない。
The cashless society is a con – and big finance is behind it | Brett Scott | Opinion | The Guardian

お金という商品
お金に購買力があるのは、お金がもとは商品だったからだ。紙幣に購買力があるのも、もとは金(きん)という商品の裏付けがあったからだ。商品の裏付けを失った紙幣がお金として通用するのは、中央銀行がお金の発行を独占し、より価値のあるお金との競争にさらされないからだ。
Why Do People Assign Value to Paper Money? | Mises Wire

銀行は資本主義か
今の銀行は政府と強く結びつき、資本主義とは縁遠い。形こそ民営だが、官営カルテルの隠れ蓑だ。カルテルの柱は、発券銀行という特権を持つ中央銀行。銀行が強欲の権化とみなされるのは、中央銀行がマネーを供給する経路だから。金融緩和による景気拡大の恩恵を一番に受ける。
Economic Myths #5 – Banking is Capitalist | The Ludwig von Mises Centre

中央銀行という道具
昔も今も、中央銀行を設立する最大の理由は、政府の財源を手に入れることである。国王や民主政府の資金源を増やすため、インフレを誘発する巧妙な手口を駆使する。中央銀行という道具によって、支配層は国民から大々的に財産を巻き上げ、それをばらまいて人々の自立心を奪う。
Central Banks Enrich a Select Few at the Expense of Many | Mises Wire

合理的経済人の神話

経済学に関する記事を読んでいると、こんな解説によく出くわします。経済学は金儲けと自分の利益のみに関心がある「合理的経済人」の世界を仮定しているが、それは現実離れしている。人間は金銭的損得や利己心以外の動機でも動くのだから――。

その先は立場によって、「だから経済学は役に立たない」という非難と、「それでも経済学は役に立つ」という擁護とに分かれます。でも、どちらも正しくありません。

現代の主流経済学はたしかに、合理的経済人というおかしな前提に基づいています。けれども、経済学がそうなってしまったのは割合最近のことです。

かつて経済学では、合理的経済人の考えをはっきり否定していました。それがよくわかるのは、英国の経済学者、ライオネル・ロビンズが1932年に出版した『経済学の本質と意義』という本です。昨年、邦訳が出ました。

ロビンズは第4章の「経済人の神話」という節で、経済学が仮定する人間は利己主義者とは限らないと強調します。「経済主体は純粋に利己主義者、純粋に利他主義者、純粋に禁欲主義者、純粋に官能主義者にもなりえて、もっとありそうなことだが、こうした衝動の混合体にもなりえる」(小峯敦・大槻忠史訳)

ロビンズはこうも書きます。人はパンを買うとき、損得だけでなく、パン屋の幸福も考えるかもしれない。賃金の多さよりも仕事の中身で労働を選ぶかもしれない。財産を貸すときに、名誉や美徳、恥辱を考慮するかもしれない。経済学は説明を単純にするために金銭的な損得だけに絞ることはあっても、それ以外の動機に基づく行動を対象として分析することは「まったく困難ではない」。

もし金銭的な利得や肉体的な快楽の追求が否定され、宗教的な苦行が奨励される社会になっても、経済学は役に立つとロビンズは第2章で言います。「ブドウ園の地代は下がる。聖職者の石造建築に使う石切場の地代は上がる」。その現象を説明できるのは、経済学の需要と供給の法則だけです。

本物の経済学は、現実離れした前提に頼る薄っぺらなものではありません。それがほとんど忘れられているのは残念なことです。(2017/10/01)

2018-09-30

産業革命と児童労働

産業革命と児童労働
産業革命時代、英国の工場で働く児童は二つに分かれた。自由な児童は親または保護者と住み、親らが同意する条件で日中働く。親は過酷で危険すぎる仕事の場合は子供を行かせるのを拒んだ。一方、行政の施設に住む児童は、工場との間で事実上売買され、最悪の労働を強いられた。
Redeeming the Industrial Revolution | Mises Institute

児童労働規制の真実
若年層が働くと労働組合員の仕事を奪うため、労組は政府に「児童労働」を禁じる法律をつくらせ、若者から働く権利を奪ってきた。その結果、現在の途上国の若者は「児童労働」として非難される普通の仕事を禁じられ、その代わりに物乞い、売春、犯罪、果ては餓死を強いられる。
Markets, Not Unions, Gave us Leisure | Mises Institute

資本主義がかなえた望み
マルクスが生まれた1818年から死去する1883年までの間に、英国民は平均で3倍豊かになった。マルクスは誤った考えにとらわれ、自分の周りで実際に起きていることが目に入らなかった。労働時間の短縮と同時に所得を増やすというマルクスの望みをかなえたのは、資本主義である。
Market capitalism has achieved what Karl Marx always wanted - CapX

中産階級の時代
2020年までに世界人口の半分以上は中産階級になる見通しだ。中産階級はインド、中国、東南アジアを中心に急増中。歴史上、最も驚くべき人口動態の変動だろう。1830年代に始まった産業革命以前、中産階級はほとんど存在せず、王族と小作農だけだった。それが今や多数派になる。
The Growth of the World’s Middle Class May Be the Greatest Story of Our Age - Foundation for Economic Education

教育は国家の仕事か

安倍晋三首相が打ち出した教育無償化に対し、野党やメディアの批判は及び腰です。野党・民進党はもともと消費税率引き上げによる増収分を教育無償化などに使うと主張していましたし、メディアの多くは財源不足を指摘したり改憲の突破口に利用されることを心配したりはしても、教育無償化そのものにはむしろ肯定的です。

けれども9月28日の投稿「タダより高いものはない」で書いたように、教育無償化とは教育の費用を税金で賄うことです。それは教育に対する国家の支配を強めます。国歌・国旗問題などでは教育に対する国家の干渉に強く反発する野党やメディアが、教育無償化にほとんど何の警戒も示さない姿には、危ういものを感じます。

かつて国家の教育関与に強く警鐘を鳴らした思想家がいました。18〜19世紀ドイツの人文学者、ウィルヘルム・フォン・フンボルトです。フンボルトペンギンで有名な博物学者、アレクサンダーの兄で、文学者のゲーテやシラーとも交流がありました。

フンボルトが教育の目的と考えたのは、ドイツ語でいうBildung(ビルドゥング)です。日本語で「教養」とも「陶冶」とも訳されます。つまりフンボルトにとって教育とは、教養の習得であり、人格の陶冶でした。

公教育は国家の安定を目的とし、市民・臣民の育成をめざします。しかしこれは個人の人格育成には役に立たないどころか、有害ですらあるとフンボルトは考えました。

なぜなら人間は自身の決断にもとづく行動のみを通じて、自分を鍛えることができるからです。もしどのように行動すべきかを国家が決定することになれば、人間はつねに他人の知識や意思に依存してしまいます。

フンボルトはこう強調します。「概して、教育はただ、特定の、人間に与えられる市民的形式を考慮することなしに、人間を形成しなければならない。だから国家は不要なのだ」(吉永圭『リバタリアニズムの人間観』より)

最近日本でも教養の復権が叫ばれます。もし俗物根性からでなく、本気で教養が大切だと考えるなら、フンボルトがいうように、教育から国家を排除しなければなりません。自立した教養ある人間を育てることと、国家が統治しやすい人間をつくることとは相容れないからです。(2017/09/30)

走れフードトラック

東京・大手町のオフィス周辺で、フードトラック(移動式屋台)をよく見かけるようになりました。東京の他の街でも同じことが起こっているようです。

ビジネスインサイダー・ジャパンの記事によれば、都内でフードトラックの数は右肩上がりで増えています。2009年、都の規制緩和でオフィスビルが貸し出せる公開スペースが広がり、敷地内でイベントの開催やオープンカフェ、フードトラックの出店が増えたのです。

都心のオフィスビルは賃料が高く、店舗を構えられるのはチェーンの飲食店かコンビニがほとんどです。フードトラックなら、100万〜200万円の初期費用で比較的簡単に開業できるといいます。ビルを運営する不動産会社は使われないスペースを数時間単位で賃貸でき、お客は毎日違う味を安価で楽しめます。

米国でも同様のようです。ウォールストリート・ジャーナルによると、首都ワシントンは2013年にフードトラックの駐車規制を緩和。交通量の多い地区の一部でも販売できるようになり、ランチの選択肢が大幅に広がっています。

いい話ばかりではありません。米教育団体、自由の未来財団の記事によれば、今月フロリダ州を大型ハリケーン「イルマ」が襲った際、同州グリーンコーブスプリングスをフードトラックが訪れ、飢えた市民にランチを販売し、清掃作業員には無料で振る舞おうとしたところ、警察から立ち退きを命じられたそうです。無許可だという理由からです。

今の世界では、自由主義経済を標榜する国でさえ、規制が原則、自由は例外でしかありません。起業家はせっかく良い製品・サービスを届けようとしても、規制の壁にしばしば阻まれます。しかしそれに負けず、がんばってほしいものです。消費者という強い味方がついています。(2017/09/30)

2018-09-29

社会主義の憎悪

社会主義の憎悪
社会主義の本質的特徴は、他者を人間扱いしないことである。ポル・ポトのカンボジアや毛沢東の中国と同じように、北朝鮮の人々は他者を憎めと教わった。「敵性階級」とされた人々は飢え、虐げられ、殺された。社会主義は同じ結果を生む。次の社会主義は違うとなぜ言えるのか。
Socialism is Not Built on Compassion. It's Built on Dehumanizing Others - Foundation for Economic Education

災いの前兆
ショスタコービッチ(Dimitri Shostakovich)が曲をつけたシェイクスピアの詩の一節「学芸が時の権力に口をふさがれ」。歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」はスターリンの不興を買い、上演禁止に。ソ連の作曲家たちは政治的に正しくない難解な作品を避けるように。それは大粛清の前触れだった。
Shostakovich Quotes Shakespeare - LewRockwell

生き延びる資本主義
商売を厳しく取り締まるベネズエラと対照的に、社会主義を標榜するボリビアでは起業の自由が認められている。かつて植民地支配者に土地を奪われた先住民の子孫は紡績工場を建て、富を手にできる。ボリビアの繁栄は社会主義のおかげではなく、資本主義が生き延びているからだ。
Why Bolivia Is Not a Socialist Success Story

凋落の理由
ベネズエラの経済は1960年頃まで自由だった。規制は少なく、税は軽く、財産権は守られ、金融政策は安定していた。1950年代に1人当たりで最も豊かな国の一つとなる。しかし1958年に軍事独裁から民主体制になると石油産業の国有化をテコに福祉政策に乗り出し、没落が始まった。
The Pundits Still Don’t Understand Venezuela | Mises Wire

債務超過の日本政府

債務の総額が資産の総額を超えている状態を債務超過といいます。言い換えれば、財産をすべて売り払っても借金を返しきれない状態です。企業の場合、債務超過がきわめて深刻な状態であることは想像がつくでしょう。

東芝は米原発事業の巨額損失で2017年3月期末に5816億円の債務超過に陥り、2018年3月期でそれを解消できなければ上場廃止にすると、日本取引所グループ(JPX)から言い渡されています。破綻リスクの大きい会社の株式を、投資家に買わせるわけにはいかないからです。

非上場会社でも同じです。銀行は通常、債務超過に陥った企業には新規の融資をしません。経営が破綻すれば、融資を回収できない恐れが大きいからです。

ところが世の中には、債務超過を何年も続けていながら、堂々と借金を増やしている組織があります。日本政府です。

財務省が公表している政府の貸借対照表(バランスシート)をみると、2015年度末で債務1423兆円に対し、資産は958兆円しかありません。差し引き465兆円の債務超過です。

実際には、明治大学の田中秀明教授が指摘するように、政府の資産には米国債、地方公共団体や政府出資会社への貸付金、空港、防衛施設、国会、刑務所、裁判所、庁舎・宿舎といった公用の土地など外交上・行政上の理由から売却が困難なものもあります。それらがすべて額面どおりに売れたとしても、465兆円の借金が残るのです。

論者によっては、上記のバランスシートには日銀が含まれないので、日銀を含む「統合政府」ベースでみるべきだという意見もあります。そうすれば政府の負債である国債と、日銀が資産として保有する国債を相殺でき、その分負債が減るというのです。

これは乱暴な議論です。単純化していうと、日銀が保有する国債(349兆円)は民間銀行からの借金(民間銀行が日銀に預けた預金)で買ったものです。政府との間で国債を相殺すれば、日銀は民間銀行に借金を返せなくなります。民間銀行のお金は私たち国民の貯蓄ですから、それが返らないということは、政府に貯蓄を没収されるのと同じです。

かりに国民をそんなひどい目にあわせたとしても、統合政府ベースの負債は349兆円減るだけで、依然として116兆円の債務超過であることに変わりはありません。

収入を得るには消費者に製品を買ってもらうしかない東芝と違い、政府は課税で国民のお金を無理やり召し上げることができます。せっぱ詰まれば貯蓄の没収だってやらないとはいえません。だから債務超過でも危機感がないのです。

すごいぞ、日本政府。でも、それは日本国民にとって喜ばしいことでしょうか。(2017/09/29)

決闘のすすめ

米国と北朝鮮の緊張が高まっています。最近はトランプ米大統領が北朝鮮の金正恩委員長を「ちびのロケットマン」と罵ったのに対し、金委員長が「米国の老いぼれの狂人」と応じるなど、両国首脳の悪口合戦がエスカレートしています。

このように侮辱されたとき、昔の政治家がとった方法があります。決闘です。

昔といっても、騎士が馬を乗り回していた中世の話ではありません。近代以降に有名な例があります。

米国の建国の父の一人で、初代財務長官となったアレクサンダー・ハミルトンは1804年、政敵アーロン・バーと拳銃で決闘し、命を落とします。ハミルトンがバーを好ましからざる人物として非難したことに対し、バーが決闘を申し込んだのでした。

鉄血宰相として知られるドイツの政治家、ビスマルクは連邦議会のプロイセン代表だった1852年、自由主義者のフィンケ議員にからかわれたのに腹を立て、拳銃で決闘します。さいわいどちらもけがはありませんでした。ビスマルクは若い頃、非常に決闘好きで、ゲッティンゲン大学に在籍した1年半の間に25回も行ったと伝えられます。

イラク戦争突入前夜の2002年10月にはこんなことがありました。イラクのラマダン副大統領が米国に対し、戦争の代わりにブッシュ大統領がイラクのフセイン大統領と、チェイニー副大統領が自分とそれぞれ決闘して片を付けようと提案したのです。「そうすれば米国とイラクの人々を救える」と。

もちろん米国は、まじめに答えるに値しないと無視しました。ラマダン副大統領がどこまで本気だったのかはわかりません。けれども米コラムニスト、ジェフリー・タッカー氏が言うとおり、イラク戦争がもたらした多数の犠牲や今も続くイラクの混乱、難民危機、テロ組織イスラム国(IS)の台頭といった甚大なコストからすれば、まじめに考える価値は大いにあったといえます。

決闘や果し合いを私たちは野蛮だと笑います。しかし無関係な多数の人々を巻き添えにする戦争のほうが、よほど野蛮です。

トランプ大統領と金委員長は、決闘で片を付けてはどうでしょう。血を流す必要はありません。タッカー氏は、ゲームによる仮想決闘を提案しています。(2017/09/29)

2018-09-28

タダより高いものはない

「タダより高いものはない」。庶民の堅実に生きる知恵を示す言葉です。なぜ政府は、庶民にその知恵を忘れさせるような罪深い政策を売り込むのでしょうか。

教育無償化に政府は熱心です。しかしこの世に無償のものなどありません。必ず誰かがコストを払う必要があります。日経電子版の記事によれば、3~5歳児を完全に無償化するには年7300億円、0~2歳児だと4400億円かかるそうです。

コストがかかるのに「無償」とは、言葉の矛盾です。表面上は費用を払わずに済んでも、その費用は税金から払われるのですから、国民の大部分はなにがしかの費用を負担することになります。そこには子供のない人も含まれます。

表面上にすぎなくても、政府が押しつける「無償」は厄介な問題を引き起こします。これも日経電子版の記事が指摘するように、幼稚園や保育施設が無料で入れるとなれば、想定より入所希望者が増える可能性があります。そうなると、さらに費用が膨らんだり、保育施設に入れない待機児童が増えたりする恐れも出てきます。

タダだと思って喜んだら、膨らんだ費用を賄うために増税されたり、保育施設に子供が入れなくなったりというコストが降りかかってくるわけです。これこそ「タダより高いものはない」です。

国民を「タダ」で釣る政策は今に始まった話ではありません。米山隆一新潟県知事がブログで指摘するとおり、1973〜83年には70歳以上の医療費が無料にされました。その結果、高齢者医療費の急増が財政を圧迫し、10年で幕を閉じたのです。

経済的弱者を助ける正しい道は、政府への依存心を強めることではありません。経済の自由度を広げ、生産活動を活発にして物価を引き下げる。最低賃金などの制限を取り払い、働くチャンスを増やす。税制を見直し、寄付や贈与をしやすくする——。これです。

残念ながら、衆院選でこんな政策を掲げる政党はないようです。(2017/09/28)

金持ち優遇は悪くない

トランプ米大統領は個人所得税の最高税率や連邦法人税率の引き下げを盛り込んだ税制改革案を正式に発表しました。これに対し野党・民主党は「富裕層優遇だ」と批判しています。金持ち優遇であることは事実です。けれども、それは悪いことではありません。

お金持ちの多くは大小の企業のオーナーです。事業で得た利益が減税によって多く手元に残るようになれば、事業意欲が高まり、製品・サービスの供給増につながります。これは社会全体を豊かにします。

繁栄を誇った1920年代米国で実行された大型減税が参考になります。推進したのは当時のアンドリュー・メロン財務長官です。財閥出身で米国有数の大富豪。その点、不動産王のトランプ大統領と似ています。

1921年に所得税の税率区分上限は73%という高率でしたが、メロン長官は25年までに25%にまで引き下げました。24年に次のように語っています。

「課税の歴史をみると、仮に税率が高すぎると税収は減少していることが分かる。納税者は、税率が高いと、必ず資金を生産的な事業から引き上げようとする」(マーフィー著、シェフナー他訳『学校で教えない大恐慌・ニューディール』)

メロン長官の考えは正しいものでした。富裕層に対する大幅な減税で税収が減るどころか、逆に所得税収入は10年間にわたり増加しました。いわゆる自然増収です。

大富豪のメロン長官自身、減税の恩恵にあずかったことでしょう。しかしそれ以上に、減税は経済に活力をもたらし、中間・貧困層を含む国民全体を潤したのです。

今回のトランプ減税が米国ひいては世界の経済に活力をもたらし、人々の暮らしを楽にする見込みは十分あります。

カギは政府支出の削減です。支出を減らさないまま減税を実施すれば、国債頼みとなり、結局将来の増税につながりかねません。

メロン長官は税収が増えても財布のひもを安易にゆるめず、第一次世界大戦中に膨らんだ軍事費をはじめ、削減に努めました。

トランプ大統領も海外で不必要な軍事介入をやめ、軍事費を削ることが、減税策を成功させるうえで課題です。(2017/09/28)

2018-09-27

良い財政再建、悪い財政再建

衆院解散を前に、財政問題の議論が活発になってきました。巨額の借金を抱えた日本の財政は深刻な状況で、再建が重要な課題とされるのは理解できます。しかしその場合重要なのは、やり方です。

借金を返す方法は①収入を増やす②支出を減らす——の2つしかありません。国の場合、①の収入は税しかありません。

普通の税のほか、国債も将来税によって返済しなければなりませんし、通貨の増発で得られる通貨発行益は別名「インフレ税」と呼ばれるとおり、財布の中のお金の価値を知らないうちに引き下げる「見えない税」です。

問題は、どのような形であれ、税は経済の活力を奪うことです。とくに重要なのは企業活動への影響です。

普通の税で現在、本命とされるのは消費税の増税です。消費者の財布の紐が固くなれば、企業の売り上げは減り、研究開発や設備投資に回せるお金が減り、将来の成長への土台が崩れます。

いわゆるリフレ派の人々は、消費増税に反対し、代わりに通貨の増発、つまり一段の金融緩和で景気を刺激して税収アップを図ればいいと主張します。増税に反対して「見えない税」を推奨するのもおかしな話ですが、経済的にも問題です。

金融緩和をすれば、1980年代のバブル経済がそうであったように、景気は一時良くなります。しかし人材や資源が建設・不動産や金融業など一部の業種に偏り、経営資源が無駄遣いされます。一見華やかでも、健全な経済を蝕みます。しかも結局は反動が避けられず、深刻な不況に見舞われます。

要するに、政府が財政再建のために税収(「見えない税」を含む)を増やそうとすれば、どうやっても経済に良い影響はありません。収入増による財政再建は「悪い財政再建」です。それならやらないほうがましです。

「良い財政再建」は②の支出削減によるものです。弱者を幸せにしない不効率な官営福祉をやめるのは、その第一歩でしょう。(2017/09/27)

2018-09-26

非戦の将軍

1867年(慶応3)10月、第15代将軍の徳川慶喜が朝廷に政権返上を申し出て受理され、260年以上続いた江戸時代が終わりを迎えました。大政奉還です。今年は150周年にあたります。

大政奉還翌年の1868年1月に起こった鳥羽・伏見の戦いから1869年5月に箱館戦争が終わるまで、新政府軍と旧幕府軍は1年5カ月にわたる内戦(戊辰戦争)を繰り広げます。

死者は両軍合わせて推定約1万3000人。少ない数ではありませんが、同時代に米国が南北戦争(1861~65年)で計61万8000人と同国史上最大の死者を出したのに比べると、犠牲は小さかったといえます。

幕臣の勝海舟、山岡鉄舟らとともに功労者の1人とされるのが将軍慶喜です。慶喜は鳥羽・伏見の戦いで応戦したのを最後に、一切の武力行使を行わなかったうえ、朝廷への恭順の意を示して謹慎までしました。

慶喜が非戦を貫いたのは、天皇の神聖性を強調する水戸学を幼い頃から叩き込まれ、朝廷と敵対することを何より恐れたからだと、思想史学者の森田健司氏は言います(『明治維新という幻想』)。

幕府に肩入れしていたフランスの公使ロッシュは、謹慎した慶喜に再挙を強く勧めます。しかし慶喜は「たとえ首を斬らるるとも、天子に向かって弓を引くこと能(あた)わず」とこれを拒否します。尊皇攘夷の論拠にもなった水戸学ですが、ここでは非戦の原理として働いたわけです。

もし慶喜がロッシュの意見に動かされ、抗戦を開始していたら、フランス軍は旧幕府軍に加わり、表面上は中立を旨としていた英国は新政府軍に加わっただろう。両軍が死力を尽くして戦う恐るべき規模の内戦が繰り広げられ、その結果、日本の分裂と植民地化が起こったに違いない--。森田氏はこう見ます。

たしかに外国勢力の介入で内戦が大規模化、泥沼化することは、朝鮮戦争やベトナム戦争、現在のシリア内戦をみれば明らかです。

徳川幕府の統治が理想的だったというつもりはありませんが、260年間続いた平和は高く評価すべき実績です。最後を締めくくった慶喜は内戦の拡大を防ぎました。ところが明治以降の日本は対外戦争にひた走っていきます。大政奉還150周年は、その意味をあらためて考える好機でしょう。(2017/09/26)

2018-09-25

戦争民営化のウソ

それは正しい戦争か
化学兵器を使用した証拠がないのに行う攻撃。自国の安全が脅かされていないのに行う攻撃。人道的な行為のふりをした、政治的影響力を高めるための攻撃。和平の努力を省いた攻撃。事態を改善させると言いながら、むしろ悪化させる攻撃。これらは正しい戦争(just war)の条件を満たさない。
Just War Theory and the US Attack on Syria | Mises Wire

イラクからロシアへ
かつて国民に嘘をつきイラク戦争に導いた同じメディアが今、合衆国大統領はロシアの工作員だという。信じられるだろうか。ジャーナリストは権力を監視する代わりに権力に協力し、政治階級の特権と「専門知識」を擁護しながら、自分自身が支配構造の一部になってしまっている。
The Enemy of the People - Antiwar.com Original

徴兵という奴隷制
ベトナム戦争当時、作家アイン・ランドが述べたように、徴兵は明白な人権侵害である。政府であれ誰であれ、個人に奉仕を強制すれば奴隷である。徴兵を命じる政府の長は選挙で選ばれたかもしれない。だがそれは民主主義であっても政府が自由を脅かすことを意味するにすぎない。
Libertarian Lessons: Conscription - The Future of Freedom Foundation

戦争民営化のウソ
本当の市場経済では、商品・サービスの購入代金は市場価格に基づき顧客が自発的に支払う。米政府によって「民営化」された戦争の代金は依然として納税者が支払いを強制される。これは市場経済ではない。企業の手際は消費者の満足ではなく、政治家を喜ばせることに発揮される。
Mercenaries: A "Privatized" Army Is Still an Army | Mises Wire

2018-09-24

文明は衝突しない

イスラム過激派によるテロや難民問題をきっかけに、かつて米政治学者ハンチントンが唱えた「文明の衝突」は避けられないとの説が勢いを増しています。しかし、それは本当でしょうか。

現在最も深刻な国際問題の一つであるアラブとイスラエルの対立は「イスラム教とユダヤ教の宗教的対立」「聖書時代に遡る宿命」などといわれます。けれどもそれは間違っていると、中東政治を専門とする臼杵陽氏は『世界史の中のパレスチナ問題』で指摘します。

1948年のイスラエル建国以前、アラブ世界の圧倒的多数派はアラビア語を話すスンナ派イスラム教徒でしたが、少数派の中に同じくアラビア語を話すユダヤ教徒が存在しました。つまり同じアラブ人(アラビア語を話す者)でも異なる宗教を信仰する者がおり、しかも暴力的な紛争につながることはなかったのです。

臼杵氏によれば、現在の対立をもたらしたのは、近代ナショナリズムのイデオロギーによって形成された民族意識です。

パレスチナの中心都市、エルサレムにはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の共通の聖域がありますが、7世紀にイスラム教徒がエルサレムを訪れたとき、この聖域は荒れ放題でした。ユダヤ教の信仰によれば、聖域に入ることは神によって禁じられていたからです。

敬虔なユダヤ教徒からすれば、聖域を排他的に占有することは意味のないことでした。このため聖地を巡る争いが現在のような領土問題的な紛争をもたらすことはありませんでした。

ところが民族と領土を結びつける19世紀的な新しい考え方であるナショナリズムが登場すると、特定の土地は特定の民族や国家に属さなければならないと考えられるようになります。これが現代のアラブとイスラエルの対立をもたらしたと臼杵氏は指摘します。

文化の違いが暴力的な衝突を引き起こすわけではありません。真の原因は、土地を領土として排他的に囲い込むナショナリズムです。文明の衝突と呼ばれる現象は、じつは政治の衝突にすぎません。

日経電子版のインタビュー記事で、トルコのノーベル文学賞作家、オルハン・パムク氏が「『文明の衝突』を信じる人たちは、何かが起きるたびに(ハンチントンの)仮説に沿うような材料を集め、やはり起きてしまったとあおり立てる」と批判し、代わりに「文明の平和共存」を説いています。それは決して夢物語ではなく、歴史的裏付けのある現実論です。(2017/09/24)

政治の虚構

第5回日経「星新一賞」の作品が9月30日まで募集されています。同賞は日本で初めて創設された「理系文学」の賞で、SF作家、星新一氏にちなみます。

1997年に死去した星氏は、生涯に1000篇を超えるショートショート(超短編)を生み出しました。子供にもわかるやさしい言葉で書かれていますが、ユーモアに包み、理系らしい明晰な論理で政治の虚構を暴く作品が少なくありません。

「マイ国家」はその一つです。預金勧誘の銀行員がある家を飛び込みで訪ねると、家の主人からしびれ薬を飲まされ、お前は捕虜だと言い渡されます。とまどう銀行員に主人は宣言します。「ここは独立国なのだ」

主人は大まじめに語ります。「領土とはこの家、国民とはわたし、政府もわたし。小さいといえども、立派な国家だ」

主人は銀行員に日本の最近の国情を尋ねます。政府は生活保護や健康保険、年金などに金を出していると答えると、主人は「まったく、ばからしくてならない」と言い、社会保障の不効率と偽善をこう暴きます。

「政府とは、ていさいのいい一種の義賊なんだな。しかも、おっそろしく能率の悪い義賊さ。大がかりに国民から金を巻きあげる。その親分がまずごっそりと取り〔略〕末端まで来る時には、すずめの涙ほどになる。それを恩に着せながら、貧民や病人や気の毒な人にめぐんでやるというしかけだ」

そのうち主人は刃物を持ち出します。銀行員がぶっそうな凶器などしまってくださいと懇願すると、こう答えます。「凶器とはなんだ。軍備と言え。自衛権は国家固有のもので、そのためには必要な軍備の所持と行使とがみとめられている」

国民の代理にすぎない政府が武力を独占し、国民自身が丸腰を強いられる矛盾を衝いています。

この「マイ国家」、あながち現実離れした話でもありません。国際的に国家と承認されてはいないものの、欧州の北海に浮かぶ「シーランド公国」は人口4人。1967年、英国の退役軍人が公海上にある英国の海上要塞を占拠し、独立を宣言した「国家」です。

文系の代表格である法学部出身の官僚たちが作り上げた政治の虚構を暴く。そんなスケールの大きい「理系文学」の出現を心待ちにしています。(2017/09/24)

2018-09-23

何のための戦争か

トランプ米大統領は、国連総会にあわせてアフガニスタンのガニ大統領と会談し、米軍兵士の増派などで「テロとの戦い」に全力を挙げる考えを強調しました。しかしテロの撲滅にはつながりそうにありません。政治にとってテロとの戦いは権力闘争や利権確保の名目にすぎず、むしろ新たなテロリストを育てる温床になるからです。

シリアの例をみましょう。米国が主導する有志連合は2014年8月から9月にかけて、テロ組織イスラム国(IS)を殲滅するとして、イラク、シリア領内で空爆を開始しました。しかし青山弘之『シリア情勢』(岩波新書)によれば、欧米諸国は最初からイスラム国に対し厳しい姿勢で臨んだわけではありません。イスラム国は前年からアサド政権に対抗し活発に活動していましたが、同政権を退陣に追い込みたい欧米諸国はこれを黙認しました。

欧米諸国がイスラム国への対処に本腰を入れたのは、イスラム国がシリアから石油供給地のイラクへと勢力を拡大し、2014年6月に北部の都市モスルを制圧して以降でした。米国はイスラム過激派以外の武装集団を「穏健な反体制派」と呼び、イスラム国と戦うよう積極支援します。

ところがこの「穏健な反体制派」は、戦う相手であるはずのイスラム過激派と共闘関係にありました。米国の政策はテロとの戦いのためにテロ組織を支援するという「マッチポンプ」だったと青山氏は批判します。

もしイスラム国が滅びても、テロの脅威は消えません。欧米が支援した「穏健な反体制派」から新たな脅威が生まれる恐れがあるからです。かつて米中央情報局(CIA)がソ連に対抗するためアフガニスタンで育てたムジャヒディン(イスラム聖戦士)が、テロ組織アルカイダになったようにです。

16年間続き、米史上最長の戦争といわれるアフガニスタン紛争。テロとの戦いがテロをなくさないのなら、一体何のための戦争かと問わずにいられません。NHKでは、米軍の増派によって治安が改善に向かうかは不透明な情勢と伝えています。(2017/09/23)

他山の石

「他山の石」という言葉があります。他人の間違った言動でも自分の反省の材料とすることができるというたとえです。しかし実際には、ただあざ笑い、ゆがんだ優越感に浸る人が少なくありません。

中国の地方政府が域内総生産を水増ししているとの疑念が深まっています。日経電子版では8月21日付の記事で、東北部、遼寧省の1~6月期の名目域内総生産が前年同期比マイナス20%に急減したと報じ、9月22日付の記事では域内総生産の水増しや改竄はかなり広がっているようだと分析します。

8月21日付の記事を共有したNewsPicks(ニューズピックス)のコメント欄を見ると、「所詮インチキな国」「社会主義、一党独裁の弊害」「中央集権的国家あるある」などと冷笑するコメントが並んでいます。

けれども、日本人に中国を笑う資格があるのでしょうか。

国内総生産(GDP)はもともと水増しされやすい統計です。8月16日付の投稿で書いたように、大規模な公共事業を行えば、たとえ生産の向上に役立たなくてもGDPにカウントされ、定義上、経済成長を押し上げるからです。

たしかに公共事業は数字の上でGDPを増やす効果があります。しかしそれは計算式がそうなっているからにすぎません。どのような公共事業を行うかは、国民の自由な選択でなく、政治判断で決まります。日本は「社会主義、一党独裁」でこそありませんが、「中央集権的」であることは中国と変わりません。

NewsPicksのコメントで鋭かったのは、経営コンサルタント、波頭亮氏のものです。中国の経済統計を「残念」と評したうえで、日本の不透明な特別会計も「決して自慢できたものではない」と指摘し、「他国の批判よりもわが国の改善の方がより重要」と強調しています。

特別会計は、財源も支出も正確には誰もわからない制度といわれます。なんという無責任でしょう。これでは中国を「インチキな国」とばかにする資格はありません。(2017/09/23)

2018-09-18

選挙で不満はなくせない

今月28日に召集される予定の臨時国会の冒頭にも衆議院が解散される方向となり、世の中はにわかに選挙一色となりました。選挙はお祭りですから、楽しみましょう。ただし、選挙によって経済や社会に対する不満がなくなるという幻想さえ抱かなければ、ですが。

なぜ選挙によっては不満をなくすことができないのか、理由は簡単です。今、選挙の争点がたとえば現政権への評価、経済政策、福祉政策、少子化対策、安全保障、憲法改正の6点だとしましょう。かりに各争点に対する選択肢が「無条件賛成」「無条件反対」の2つしかないとしても、全部で64通り(2の6乗)の選び方があります。

有権者に全選択パターンの受け皿を用意するには、最低でも投票対象として64の政党が必要です。争点や「条件付き賛成」「条件付き反対」など選択肢が多くなれば、必要な政党数は文字どおり乗数的に急増します。

ところが現実に国政選挙に出馬する候補者の政党は、20にも達しません。国民の多様なニーズを満たすにはとても足りません。

メディアはことあるごとに有権者の選択を尊重せよと訴えますが、本気でそう考えるなら、政党は星の数ほど必要だと言わなければ筋が通りません。しかしそんなメディアはありません。それどころか「泡沫政党」の増加にはどちらかといえば否定的です。

たとえば前々回の衆院総選挙が決まった2012年11月、毎日新聞のコラム「憂楽帳」は政党数について「今度は14。7年前に比べるとほとんど3倍に増殖している」と、たかだか10やそこらで早くも音を上げていました。

もちろん現実には、有権者のあらゆる選択パターンに対応する無数の政党が出現することなどありえません。言い換えれば、全争点に関する選択が既存政党の方針と完全に一致する希有な有権者を除き、国民の大半は、満足する政党を選ぶことができません。

満足度を多少落としても、選択の単位を政党でなく個々の候補者にしても、選びたい政党や候補者がない状況はほとんど変わらないでしょう。

選挙における投票を市場経済における買い物にたとえる人がいます。しかし市場経済が提供する無数の商品・サービスに比べ、選挙で「購入」できる政党は質量ともにあまりに貧弱です。それでもお祭りの景品だと割り切れば腹も立ちません。さあ、楽しみましょう。もし他に何もすることがなければ。(2017/09/18)

2018-09-17

文化に国籍はない

近代以前、国と国の境は今ほどきっちりしていませんでした。国が国境の内と外をはっきり分けて管理する発想がなかったからです。ところが今では世界が国境線によって明確に区切られ、人々はおおむね特定の国に籍を置き、「日本人」「中国人」などと国の名前で呼ばれます。

国民に国籍があるのは事実ですから、国籍に基づいて呼ぶのは間違いではありません。しかし、文化はどうでしょう。

もちろん文化には、国民のような法で定められた国籍はありません。だから、さまざまな有形・無形の文化財を機械的に「日本文化」「中国文化」などと切り分けることはできません。

「そうはいっても、その国に典型的な文化というものはあるだろう」と思うかもしれません。本当にそうでしょうか。

シャトル大聖堂といえば、最もフランス的とされる歴史的建造物の一つです。ところが作家のジャン・ジュネは、むしろきわめて非フランス的な産物だと指摘しました。聖堂の建設者たちは今のドイツやベルギーからやって来た外国人で、当時スペインを統治していたイスラム教徒の貢献もおそらくあったからです(早尾貴紀『国ってなんだろう?』、平凡社)。

日本の法隆寺も、南北朝時代の中国や朝鮮半島の高句麗、百済の文化の影響を多く受けたものです。遣隋使が持ち帰った技術や、渡来人によって作られました。政府が国際文化交流の必要性を叫ぶまでもなく、文化とは大昔からグローバルなものだったのです。

文化のこうした歴史を知ると、文化を特定の国家と結びつけ、「これは○○文化」「あれは△△文化」などとレッテルを貼るのが、いかに文化の本質に反するかわかります。

経済産業省が提供するウェブサイト「FIND/47」では、日本各地の自然や歴史的建造物、祭りなどの地方文化を写真で紹介し、「まだ見ぬ日本の美しさを、あなたに、世界に届ける」とうたっています。しかし自然はともかく、文化はもともと世界からやって来たものです。

そのことを知れば、国と国との文化の優劣などという意味のないこだわりから解放され、世界の中の「日本文化」にさらに深い興味がわくことでしょう。(2017/09/17)

規制の説明責任

規制側も理解できない規制
EUの個人情報保護新ルール、GDPRを遵守しようにも、新興企業はそれを理解できる法務チームさえないし、多大な時間を費やして複雑きわまる情報を丹念に調べなければならない。あまりに複雑で、規制当局自身ですら規制を守らせる自信がない。新ルールの理解は不可能なようだ。
Data Privacy at a Price – Plain Text

規制の説明責任
もし政府が何もしなかったら教育、健康、福祉、安全、環境はどうなるかと詰め寄る人々がいる。それに答える責任は、政策を強制する政府の側にある。政治家や官僚は誰も、自分たちの命令で市場による解決を妨げた結果についてまともに語らない。よくて夢物語、ときには悪夢だ。
What Would Happen If Government Didn’t Handle That?

家賃規制の害悪
経済学者は家賃規制が有害との見方で一致する。ノーベル経済学賞を受賞した左派のミュルダールによれば「勇気と先見性のない政府による、おそらく最もお粗末な政策例の一つ」であり、社会主義者のリンドベックによれば「空爆を除き、都市を破壊する最も効果的な技術」である。
Rent Control and Inclusionary Housing Policies are Self-Interested and Harmful: News: The Independent Institute

ナッジの落とし穴
行動経済学に基づくナッジ(小さな誘導)政策によって、政府の思うように消費者行動を「是正」できるとは限らない。ニューヨーク市は住民の喫煙を減らそうとひどく重いタバコ税をかけたが、値上げしてもタバコをやめない喫煙者が多く、タバコ代の負担を増やすだけに終わった。
Nudging: Should We Be Wary of the Latest Fad in Behavioral Economics? - Foundation for Economic Education

2018-09-16

都市は環境にやさしい

海ガメを救うには
海のプラスチック廃棄物の大半は日米など先進国ではなく、中国やインドネシアといった中進国から出る。プラ製品を大量に消費し、ゴミ収集のインフラがなく川に流してしまう。先進国で海ガメが本当に心配なら、プラ製ストロー禁止ではなく、動物保護団体に寄付したほうがいい。
Debunking the (Plastic) Straw Man Arguments | Competitive Enterprise Institute

都市は環境にやさしい
人口が集中する都市は環境にやさしい。1人当たり電力使用量は田舎より少なく、居住空間がコンパクトなおかげで自然を保全しやすい。不動産の価値が高いため、空間が無駄なく利用される。道路が混雑するので自家用車より公共交通機関が愛用され、二酸化炭素の放出量が少ない。
Cities are central to human flourishing - CapX

人が住めない環境都市
米国サンフランシスコの異常な住宅価格高騰の原因は政治である。湾岸地域には十分な土地があるのに、市当局は反成長政策を採り、建築を厳しく規制している。1970年代に成立したカリフォルニア環境政策法など厳格な州の環境規制とあいまって、新規の建築はほぼ不可能である。
How Liberal Housing Policies Made San Francisco Unaffordable for All but the Rich

環境を守る財産権
ノーベル賞経済学者オストロムらの研究によれば、1920年まで米メーン州沿岸のロブスター漁場は非公式に分割され、漁師の財産権が認められていた。漁場に立ち入る権限や漁のやり方は、財産権を持つ漁師たちによって決定された。おかげで他地域のような乱獲を防ぐことができた。
Preserve Our Fisheries by Expanding Private Property Rights | Mises Wire

苛政は虎よりも猛し

中国の古典『礼記』にこんなエピソードがあります。孔子が泰山の近くを通りかかると、墓の前で泣く女性がいました。わけを聞くと「夫と子供としゅうとが虎に食い殺された」といいます。孔子が「なぜここを去らないのか」と尋ねると、女性はこう答えます。「重税を課すむごい政治がないから」

「苛政(かせい)は虎よりも猛(たけ)し」(悪政は人を食い殺す虎よりも恐ろしい)という故事成語の由来です。このエピソードが示すとおり、昔から悪政の中でもとくに恐ろしいものの一つは重税でした。

今でもそれは変わっていません。所得税や相続税、キャピタルゲイン課税などの負担が軽いシンガポールには、日本の富裕層が節税目的で多く移住します。1年の半分以上を現地で暮らし、それを5年間続ければ、海外資産の相続税は払わなくて済むようになるといわれます。

日本を脱出する富裕層に対し、多くの日本人は白い目を向けます。しかし人は親しんだ故国を理由もなく去り、言語も環境も違う異国で暮らそうとは思わないものです。

清武英利『プライベートバンカー』(講談社)は、シンガポールに移住した資産家たちの苦悩を描きます。多くは一代で財を成した事業家。税逃れのためただ時間をつぶすのでは精神が満たされません。けれども英語ができないと現地で仕事は難しい。関西出身の資産家は酔って「南国の監獄の中にいるようや」と嘆きます。

ある元病院長は、何をするにもがんじがらめで自由のない日本を見限り、終身旅行者(納税義務が生じないよう複数の国を渡り歩く人)の人生を選びます。しかし問題は、犯罪の多い国では自分の身は自分で守らなければならないこと。元病院長は信頼していた銀行家の陰謀にかかり、あやうく殺されそうになります。

異国の生活がどんなに虚しく、ときに危険さえ伴っても、資産家が「南国の監獄」を選ぶのは、日本の税がそれだけ苛酷だからです。精力的な事業家を重税で虐げ、国外に追いやる日本。孔子が聞けば「苛政は虎よりも猛し」と憤るに違いありません。(2017/09/16)

2018-09-14

公共サービスと押し売り

経済が停滞するのは、国民がお金を使わないせいである。だから景気を良くするには、政府が国民になり代わって使ってやればよい--。ケインズ経済学を信奉する政治家やエコノミストはこう主張します。本当でしょうか。

「日本のケインズ」として人気の高い元首相・蔵相の高橋是清は、政府の国防費についてこう述べています。

「国防のためには、材料も要る、人の労力も使われる。それらの人の生活がこれによって保たれる。だからこしらえた軍艦そのものは物を作らぬけれども、軍艦を作る費用は皆生産的に使われる」(『随想録』、中公クラシックス。表記を一部変更)

軍事支出は非生産的かもしれないけれど、それで需要が刺激され、雇用も生まれるからいいではないか、というわけです。でも高橋是清は経済にとって肝心のことを忘れています。

商品・サービスの目的は、人を満足させることです。そのためには人が商品・サービスの値段を知ったうえで、買うか買わないかを自由に選べなければなりません。ところが政府が提供する公共サービスは、これらの条件を満たしません。

第1に、値段が不明朗です。安全保障、教育、インフラ整備といったサービスの代償として課される税金は、サービスの質に応じて決まるのでなく、支払う側の所得や資産の額に応じて一方的に決められます。

第2に、購入を拒否することができません。将来もらえるかどうかわからない年金の保険料など払いたくないと言っても、許してもらえません。

このような商売のやり方を、もし民間でやったら何と呼ばれるでしょうか。そう、押し売りです。

もし押し売り屋が人から金を巻き上げるのに成功したら、 高橋是清が言うとおり、押し売り屋の生活は「保たれる」でしょう。けれどもその陰で、買わされた人は不幸になります。

欲しくないものを無理に買わせても、人は幸せになりません。その前提を忘れ、非生産的な政府支出で水増しされた国民総生産(GDP)を喜ぶのは無邪気すぎます。(2017/09/14)

2018-09-13

ルールは必要、規制は不要

多くの人は、ルールは政府が作るものだと信じています。しかしそれは正しくありません。スポーツのルールがそうであるように、ルールとは本来、関係者の間で自然に生み出され、柔軟に修正されていくものです。官僚が設計し、法律で押しつける規制は、むしろ社会や経済の秩序を乱します。

政府による立法が広まったのは近代以降で、人類史では比較的最近にすぎません。それ以前の法は、部族の慣習、先例に基づくコモン・ローの裁判、商事裁判所の商慣習法、船荷主が設置した法廷で形成された海事法など、政府以外の制度から生み出されるルールでした。

歴史家フリッツ・ケルンによれば、近代以前、法を「創造」するという考えはありませんでした。法とは、慣習や判決の積み重ねから理性によって発見される法則でした。だから法とは古いものであり、新しい法とは言葉の矛盾です。ケルンは「中世の観念にしたがえば、新しい法の制定はそもそも不可能」と述べています(『中世の法と国制』、創文社 )。

このように、政府の力がなければルールは作れないという考えは誤りです。それどころか、経済合理性より政治的事情を優先する政府の規制は、社会・経済をしばしば混乱させます。ルールと規制は違います。ルールは必要でも、だから規制が必要だとはいえません。

ところがこの事実は、ほとんど認識されていません。ルールは政府が作るものだとたいてい頭から信じています。朝日新聞は自動車産業をテーマにした最近の社説で「企業など民間が競争を通じて創意工夫を重ね、行政はインフラやルールの整備で後押しする」うんぬんと書いていました。

もし民間が創意工夫にたけているなら、ルールの整備も得意なはずです。社会が複雑で多様になればなるほど、中央集権的な規制は時代遅れになっていきます。(2017/09/13)

2018-09-12

経済に奇跡はない

科学の役割の一つは、不可能を教えることにあります。たとえば近代以前、金以外の金属から金をつくる錬金術が盛んに試みられましたが、現代の自然科学により、それは不可能であることが明らかになっています。

経済学も社会科学という科学の一翼を担います。ところが自然科学と違い、経済学を生業とする経済学者やエコノミストはあまり不可能について語りません。それどころか、まるで錬金術師のように、奇跡は可能だと語る人が少なくありません。

「穴を掘って埋め戻すだけで経済は良くなる」「お札を刷ってばらまけば経済は回復する」「増税してベーシックインカムに充てれば貧困はなくなる」--。経済学者やエコノミストの中にもこう主張する人がいます。しかしこれらの政策はせいぜい一時の効果しかありません。無から有は生まれないからです。

けれども腐っても鯛です。できないことはできないとはっきり言う、本物の経済学者はいます。ZUU onlineによると、「最低賃金の引き上げが産業をロボット化に追いやり、結果的に失業者を生みだしている」との報告書を、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)などの経済学者が発表したそうです。

政府関係者を含め、最低賃金の引き上げは貧しい人を救うと信じる人が少なくありません。しかしそれは誤りです。最低賃金を義務づければ、熟練労働者は高い賃金を得られますが、未熟練労働者は労働市場から排除されます。またLSEの経済学者がいうように、機械化が進み失業が増えます。

米ジョージ・メイソン大学人文研究所が運営するウェブサイト、ラーン・リバティの記事が述べるように、経済学者の仕事は、市民を啓蒙し、無知から守ることです。「タダ飯なんて虫のいいものはない」と言われて、喜ぶ人はいません。だからこそ嫌われ役を引き受け、経済に奇跡はないと説き続けることが、経済学者やエコノミスト、経済ジャーナリストの使命でしょう。(2017/09/12)

2018-09-11

世界が変わった日

2001年9月11日の米同時テロから16年。同じ年月、「テロとの戦い」も続いたことになります。しかし世界でテロはなくならないどころか、むしろ広がっています。何がいけなかったのでしょうか。

同時テロ直後に発行された、英経済誌エコノミストのカバーが鮮烈でした。ニューヨークの空にもうもうと立ち上る巨大な白煙を背景に掲げた文字は、「世界が変わった日(The day the world changed)」。ジャーナリズムの歴史に残るレイアウトでしょう。

ところが肝心の記事のほうは、今読み返してみると、的外れなものだったといわざるをえません。

「米国が盾の背後に逃げ込むことを選ぶ恐れはないか。ミサイルを防ぐ盾ではなく、世界を締め出す盾の後ろに。(略)答えはノーだと信じるし、そう熱望する。米国のおかげで世界は過去数十年、それまで想像だにしなかった自由とチャンスを享受したのだから」

エコノミスト誌が恐れたのは米国の孤立主義です。孤立主義とは、他国と同盟を結ばず、孤立を保つ外交方針を指します。世界が「自由とチャンス」を失わないために、米国は孤立主義に陥ることなく、果敢にテロとの戦いに打って出よというわけです。

どうなったかは知ってのとおりです。米国は孤立主義でおとなしくするどころか、対外介入の姿勢を強め、同盟国や友好国とともに世界各地で対テロ戦争に繰り出します。その結果、現地の反感や憎しみを買い、欧米人はテロの標的になりました。国内では監視社会化が進み、自由が失われました。世界はたしかに変わりましたが、エコノミスト誌の見通しとは正反対です。

後知恵でこれ以上批判するのはやめます。問題はこれからです。介入主義が間違っていたとすれば、捨て去られた孤立主義を見直すのが最初の一歩でしょう。

エコノミスト誌は孤立主義の典型として「世界のいかなる国とも恒久的な同盟を結ばない」とする米初代大統領ジョージ・ワシントンの言葉を挙げました。同盟は戦争を防ぐのでなく、むしろ多数の国を無用の戦争に巻き込むことが明らかになった今、ワシントンの先見の明は輝きを増して見えます。(2017/09/11)

2018-09-10

商業はなぜ嫌われる

グローバル経済がこれだけ発展した現代でも、人々が経済の道理を正しく理解しているとは限りません。それはやむをえない面もあります。私益の追求が社会を良くするという経済の道理は、人間の直感に反するからです。

フリマアプリのメルカリで読書感想文や夏休みの自由研究などの宿題が販売され、問題になりました。宿題を家族が時間を割いて助けてあげるのはほほえましく語られるのに、お金を払って他人に助けてもらうと批判されるのは、理屈で考えるとおかしなことです。

仲立ちをしたメルカリも、金儲けのために宿題をさぼる手助けをしたと非難されました。けれども助けてもらった側と助けてあげた側の双方が満足し、進んで対価を払ったのですから、周囲がとやかく言う必要はないはずです。

理屈はそうでも、納得できないかもしれません。それはオランダのマンデビルや英国のアダム・スミスといった18世紀の経済学者が明らかにした「私的な悪徳こそが実は公益につながっている」という逆説が、人間の直感に反するからです。

キリスト教社会ではかつて利子が禁じられ、イスラム教社会では今も禁止されています。江戸時代には士農工商の序列がありました。経済学者の蔵研也氏によれば、これらの背景には、商業は卑しく劣った活動だという人間に普遍的な感覚があります(『18歳から考える経済と社会の見方』、春秋社)。

普通の人には、私益の追求が良い社会を作るという論理は不道徳だと感じられます。だからこうした論理は近代になるまで一般化しなかっただけでなく、学校で経済学を教わったはずの現代人も内心では納得していません。その感情が宿題販売やチケット転売などの問題をきっかけに噴き出すのです。

感情的な商業批判は、しばしば政府による規制の口実とされます。それは規制で利益を得る一部の関係者を除き、個人の幸福を妨げます。商業が非難されたときには、頭を冷まして理性的に考えたいものです。(2017/09/10)

2018-09-09

自由主義の倫理

自由主義の倫理
自由主義の倫理は、同意なしに人の身体や財産を侵さないこと。これはきわめて実践しやすい。たった今、誰もが家でくつろいだまま実行可能だ。不可能なのはむしろ、最低賃金を強いつつ完全雇用を達成するとか、紙幣を印刷することで貧困をなくすとかいった政府の政策のほうだ。
Is Libertarianism Utopian? | Mises Wire

消費社会は悪くない
市場経済はあらゆる人に選択を任せる。上下水道の整った家に住むより丸木小屋で暮らし、スーパーで売る野菜より自分で育てた実を食べたければ、そうする権利がある。でもそれを消費社会の否定などと言わないでほしい。生きるには売買が必要だ。消費社会の否定は人生の否定だ。
In Defense of Consumerism | Mises Institute

民主主義と自由
社会正義や再分配を支持する人々はこんなごまかしを言う。自分たちが主張し、政府に求める政策は、国民の多数派による民主的な意思である。反対し抵抗する人物は民主主義の敵であり、自由の敵である、と。この考えは、自由な個人同士による平和な選択と交流を否定し、脅かす。
How Democracies Turn Tyrannical - Foundation for Economic Education

賢い差別対策
メキシコ系、アジア系米国人の起業家は差別的な企業に対抗し、自分で店を開き、同胞を受け入れた。事業は成功した。同じく、特定の集団がソーシャルメディアプラットフォームによる差別に直面しているのであれば、正しい対策は政府による規制強化ではなく、競争の強化にある。
Ann Coulter Comes Out in Favor of Anti-Discrimination Laws | Mises Wire

仮想通貨のディストピア

民間で運営されるオープンな分権システムか、政府・中央銀行が独占管理する究極の中央集権か——。8月8日付の投稿で、仮想通貨は夢と悪夢の分かれ目にさしかかっているようだと書きました。気がかりなことに、現実は悪夢に向かって少しずつ近づいています。

日経電子版の記事によると、世界の中央銀行が、法的な裏付けを持つデジタル通貨の発行を相次ぎ検討し始めています。日銀のリポートによれば、狙いは「金融政策の有効性を守る」ことです。立派な大義名分です。けれどもそれが国民にとって良いこととは限りません。

金融政策の大前提は、国民が中央銀行の発行するお金(法定通貨)を使うことです。民間の仮想通貨のほうが多く利用されるようになれば、法定通貨の金利の上げ下げや発行量の増減で物価や消費をコントロールできなくなります。中央銀行が面白くないのは当然です。

しかし忘れてならないのは、もし円などの法定通貨から民間仮想通貨に利用がシフトしたら、それは国民の選択の結果だということです。

銀行に預けても利息がほとんどつかない。ATMからは1日50万円しか引き出せない。外国に送金するとべらぼうな手数料を取られる。そのうえ税務署に情報が筒抜けかもしれない。まだ一部の人々にせよ、国民はそんな法定通貨や、政府・中央銀行の支配下にある銀行システムに愛想を尽かし、民間仮想通貨を選ぼうとしているのです。

もし中央銀行の発行するデジタル法定通貨が、上記のような現行の法定通貨の欠点をなくしたものなら結構なことです。ATMの引き出し制限はなくなり、外国送金手数料も安くなるかもしれません。

しかし超低金利とプライバシーの不安は変わらないか、むしろ悪化するでしょう。デジタル法定通貨はそもそも金融政策という名のゼロ金利やマイナス金利から逃がさないために導入するのだし、あらゆる取引履歴を捕捉されてしまうからです。仮想通貨の未来が暗鬱なディストピアに転じてよいはずはありません。(2017/09/09)

2018-09-08

古代ローマの財政破綻

インフレは国を滅ぼす
ローマ帝国の衰退が訪れたのは3〜4世紀、皇帝が通貨の品質を引き下げてから。物価統制と相まって食品の生産・販売を麻痺させた。政府が物価に上限を課そうとしたため食品の取引は消滅。人々は飢えを逃れようと都会を脱して田舎に移り、穀物や油、ワインを自作しようとした。
How Mises Explained the Fall of Rome - Foundation for Economic Education

物価統制の結末
古代ローマ時代、ディオクレティアヌス帝は物価統制令を発し、主要な商品・サービスに上限価格を定める。独占業者が市場に商品を出さず、値段を釣り上げると批判した。統制はたちまち失敗。商人は商品を隠し、品不足はかえって深刻になった。暴動が起こり統制は緩和された。
How Imperial Socialism Shattered the Roman Empire and Led to Feudalism - Foundation for Economic Education

古代ローマの財政破綻
古代ローマでデクリオネスと呼ばれた地方都市の参事会員は、中央政府から徴税を任される。仕事は困難で、税収はしばしば不足。政府は法律で、不足分は自腹を切れと命じる。たまりかねたデクリオネスは身分を捨て、よその土地に。すると政府はまた法律を作り故郷に連れ戻した。
Inflation and the Fall of the Roman Empire | Mises Institute

暴君の積極財政
ローマ帝国第3代皇帝のカリグラは、財政危機に際し大量の無利子公債を発行し、経済をゆがめた。公共事業に巨費を投じたが、多くは自分を偉く見せるためで、税負担と借金を増やした。税収不足を補うため、人に言いがかりをつけて罰金を科したり殺害したりして財産を没収した。
Which Roman Emperor Was the Worst? Thumbs Down to... - Foundation for Economic Education

健全な懐疑心

民主主義の立派なところは、理性的な討議を通じて政治決定を行うことだとよくいわれます。最近流行の言葉でいえば「熟議」です。しかし現実には、政治にとって冷静な討議は邪魔でしかないのかもしれません。政治は理性よりも感情を養分として栄えるからです。なかでも好物は、恐怖という感情です。

米著述家コナー・ボヤック氏によれば、米国でテロリストに殺害される確率は年間2000万人に1人といいます。これに対し、交通事故による死亡は1万9000人に1人、浴槽での溺死は80万人に1人、ビル火災は9万9000人に1人、落雷は550万人に1人。つまり、雷に打たれる確率はテロで死ぬより4倍以上も大きいわけです。

ところが政府は落雷防止に何十億ドルもの予算を費やしたりはしません。一方で、落雷よりリスクの小さいテロ対策には莫大な税金を投じます。政府がしきりに強調するテロの恐怖によって、国民がテロ対策を支持するからです。合理性に乏しい政策でも、恐怖という感情に訴えることによって可能になるのです。

恐怖にはこのような効能があるので、政治はそれを最大限に活用したがります。恐怖による支配です。しばしば偽りの情報や誇張した情報を流し、世論を操作しようとします。イラク侵攻の口実とされ、実際には存在しなかった大量破壊兵器はその典型でしょう。政府を発信源とするフェイク(偽)ニュースに人はたやすく騙されがちです。

恐怖による支配に世間が飲み込まれそうになる昨今、政治の嘘に騙されないためには、ボヤック氏がいうように、まず権力者に対する健全な懐疑心(healthy skepticism)を養ったうえで、情報源を多様化し、信頼できる情報を選ぶことが必要です。インターネットの発達とメディアの多様化は市民にとって心強い味方となるでしょう。(2017/09/08)

2018-09-07

財政破綻しないのは良いことか

個人や団体が借金で破綻しないことは一般には望ましいものの、いつもそうとは限りません。とくに国の財政の場合、破綻しないのはかえって良くないとさえいえます。破綻を避けるために増税すれば、借金に責任のない国民まで苦しめるからです。

財務省ホームページの「日本の財政を考える」は日本の財政を家計にたとえて解説しています。このたとえ話には批判があります。9月2日付日本経済新聞の「大機小機」は「国と家計は異なる。家計は徴税できないが国はできる。通貨発行権という形の徴税権もある」と批判しています。これは正しい事実の指摘です。

けれども問題は、その事実が国民にとって喜ばしいかどうかです。

あえて家計にたとえてみましょう。ある町内に鈴木さんという借金漬けの夫婦がいます。夫の鈴木さんは町内の各家庭から強制的に町内会費を取り立てることができます。妻の鈴木さんは地域通貨を無制限に刷ることができます。だから鈴木家は借金を返せなくなることはありません(上念司『財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済』<講談社+α新書>を参考にしました)。

さて、鈴木家と同じ町内に住む人々は幸せでしょうか。借金返済のために町内会費を取られ、通貨の価値がどんどん下がってしまう。こんな形で鈴木家の破綻が避けられても、迷惑でしかありません。むしろさっさと破綻し、夜逃げでもしてくれたほうがましでしょう。

財政破綻で公営医療が崩壊した北海道夕張市では、意外にも高齢者が元気になり、寿命も延びたといいます。政府は潔く財政破綻し、責任者を処分し、夕張市を見習って規模を大幅に縮小し、税収の範囲内で仕事をしてもらう(残念ながら夜逃げはしてくれないので)。痛みは大きくても、国民の幸せにはそれが一番ではないでしょうか。(2017/09/07)

2018-09-06

ブラック企業のなくし方

今、世間で一番嫌われ、叩かれているものの一つといえば、ブラック企業です。ふだんは政府の経済介入や権力による自由の抑圧に批判的な人たちも、ブラック企業の話になると態度が一変し、政府に規制や摘発の強化を求め、政府がそれに応えると拍手喝采します。

しかし、そのようなやり方で、肝心の労働者は幸せになるでしょうか。ブラック企業についてメディアなどでしばしば問題視されるのは、長時間労働です。今の労働基準法がそうであるように、法定労働時間を一律に定め、それを超える労働を規制すれば、話は簡単です。

けれども労働とは、そのように単純なものではありません。人がどの程度の長時間労働を受け入れるかは、健康状態やライフスタイル、家計の状況、報酬の水準、仕事のやりがいなどにより千差万別です。それにもかかわらず、労働時間を一律に制限すれば、それ以上働きたい人たちの意志を無視し、幸福追求の権利を侵すことになります。

幸福とは主観的なものです。他人には「休みもろくに取らず、あんなに長く働いて、何が幸せなのだろう」と思えても、本人にとっては夢の実現に必要な努力かもしれないし、苦しい家計を支える貴重な仕事かもしれません。

労働のように個人によってさまざまに事情が異なる事柄に、法律による画一的な対処はなじみません。そんなときこそ、市場の出番です。

雇用に伴う数多くの規制や公的負担をなくし、企業がもっと自由に人を雇えるようにしましょう。そうすれば、やりたくない長時間労働を無理強いするブラック企業をさっさと去り、もっとまともな企業に移ることができます(ただし、その企業が従業員として望んでくれればですが)。起業の規制をなくすことも同様の効果があります。

SNSがこれだけ発達した時代に、わざわざ税金を使って厚生労働省にブラック企業の実名を公表してもらう必要はありません。日々社内で働く労働者の情報のほうがずっとスピーディーで有益です。

その結果、誰もが逃げ出すブラック企業はつぶれるでしょう。これが自由主義経済にふさわしい、ブラック企業の正しいなくし方です。(2017/09/06)

2018-09-05

ねたみの時代

「出る杭は打たれる」ということわざは、才能・手腕に抜きん出た人がとかく憎まれる日本独特の社会のありようを示すといわれますが、外国でもさほど変わりはありません。

米国のマイケル・ミルケン氏は1980年代に高利回り社債市場の先駆けとなり、「ジャンク債の帝王」として名を馳せました。ジャンクは「くず」という意味。利回りは高いけれども発行企業が無名などで信用度の低い社債をさげすんで呼んだ言葉です。

それまで社債の発行は超優良の大企業に限られ、それ以外の企業は事実上資本市場から締め出されていました。ミルケン氏は、高利回り債はリスクを差し引いても高い収益を稼ぐことに目をつけます。

1977年、ミルケン氏が働く投資銀行ドレクセル・バーナム・ランバートは7社の新発高利回り社債を引き受け、「ジャンク債革命」が始まります。

新たな資金調達手段でとくに恩恵を受けたのは、新興企業です。携帯電話のマッコーセルラー、ケーブルテレビ向け放送局のターナー・ブロードキャスティング、ケーブルテレビネットワークのバイアコム・インターナショナルなどが相次いでジャンク債で多額の資金を集め、成長の糧にしました(アレン他『金融は人類に何をもたらしたか』、東洋経済新報社)。

ジャンク債は、敵対的な企業買収の資金調達にも使われました。敵対的買収と聞くとまゆをしかめる人が少なくありませんが、社内政治だけがとりえで能力のない経営者をやめさせ、株主の利益を高めるうえで、有効な手段です。

こうして金融市場に劇的な変化を起こしたミルケン氏は、財界エリートの反発を買います。企業が融資に頼らなくなると銀行は商売あがったりですし、敵対的買収は経営者の地位を脅かすからです。マスコミは巨額の報酬を稼ぐミルケン氏を強欲だと叩きました。

出る杭が打たれるときがやってきました。1989年、ミルケン氏は詐欺など98の罪で起訴されます。結局、有罪となったのはわずか6つで、それまで投獄の対象になったことのない、ささいな罪ばかりでした。それにもかかわらず、ミルケン氏は禁錮10年の判決(2年に減刑)を受け、1年10月の刑に服します。

ミルケン氏は証券界を永久追放され、近年は慈善活動のほか、自身の名を冠した「ミルケン研究所」の運営に注力しています。同研究所が主催する国際経済会議「ミルケン・グローバル・コンファレンス」は盛況で、今年5月には麻生太郎副総理・財務相も参加しました。それでも汚名が完全に晴れたとはいえません。

ところが先日、米モルガン・スタンレーのマネージングディレクターだったデ-ビッド・バーンセン氏が、ミルケン氏の恩赦をトランプ米大統領に求めました。

ブルームバーグの報道によれば、バーンセン氏は大統領宛ての書簡で、ミルケン氏に対する起訴は「集団的なねたみが手に負えなくなった時代」の結果だと主張。恩赦すれば「ニュースの見出しを飾ることを意識し、企業社会で働く人間にダメージを与える起訴」に歯止めをかけることを示唆すると訴えたそうです。

恩赦が実現するかは疑問です。しかしこの話題が名誉回復のきっかけになれば、現在71歳のミルケン氏に多少の慰めになるかもしれません。

既得権益に挑戦する風雲児に対する政府や大企業、マスコミの敵視は、とくにこの十数年、日本でも強まったと感じます。ねたみが支配する時代に、経済・社会の発展は望めません。(2017/09/05)

2018-09-04

核は手放せない

北朝鮮による核実験を受け、日米首脳は3日深夜、北朝鮮に対し「これまでになく強い圧力」をかけていくことで一致したと報じられています。これまで何度となく「圧力」という言葉を目にしましたが、事態はまったく好転しませんでした。どんなに圧力をかけようと、北朝鮮が命綱である核を手放すとは思えません。

北朝鮮が核に固執するのは、それが超大国である米国に屈しない唯一の手段だと考えているからです。背景の一つは、8月29日の投稿で述べた1962年のキューバ危機ですが、それだけではありません。もっと最近、核を持たず敗れた権力者たちが悲惨な最期を遂げたことがあります。

イラクのフセイン元大統領は2006年12月、死刑確定からわずか4日後に絞首刑に処され、死刑制度に反対する欧州連合(EU)各国や人権団体などから非難の声が上がりました。逮捕や裁判が米中間選挙の直前に行われたことから、劣勢だった共和党政権の選挙対策に利用されたとの見方もあります。

リビアの最高指導者だったカダフィ大佐は2011年10月、欧米の支援を受けた反政府勢力に身柄を拘束された直後、死亡します。死亡の経緯はよくわかっておらず、惨殺されたとの情報もあります。意図的に殺害したとすれば捕虜に対し拷問や処刑を禁じたジュネーブ条約違反だとして、批判されました。

金正恩委員長をはじめとする北朝鮮の支配層にしてみれば、悲惨な末路をたどった独裁者らの轍は決して踏みたくないはずです。「窮鼠猫を噛む」という言葉もあります。圧力一辺倒がじつはポーズで、水面下で冷静な対話の道が探られていることを祈るばかりです。(2017/09/04)

市場の声を聞こう

利潤は経済に不可欠
利潤が存在するのは資本主義だけではない。社会主義でも利潤はなくならない。どんな仕組みの経済でも、少しでも豊かになりたければ、消費を上回る生産が必要だ。それには余剰資金(利潤)を投資し資本財を製造し、生産を拡大しなければならない。利潤は経済に欠かせぬ血液だ。
Economic Myths #4 – Profits are Evil! – The Ludwig von Mises Centre

贈与経済の限界
完全な贈与経済では交換が行われないから市場価格が存在しない。市場価格はどの商品をつくればいいか判断する目安になるが、贈与経済では誰かの優れた判断に頼るしかない。そんな才能の持ち主は滅多にいないし、贈与経済では才能が報われないから、才能が磨かれることもない。
Charity Needs Markets | Mises Institute

市場の声を聞こう
あなたが画家の卵で、絵の具とキャンバスを1万円で買い、それで描いた絵が5000円でしか売れなかったら、市場経済に腹を立てるかもしれない。しかし市場は現実を伝えるにすぎない。早く現実を知れば、その分早く軌道修正でき、他人のために価値を創造し富を築く方法を学べる。
Don't Hate Market Signals. Use Them.

価格のない社会
私有財産が廃止された社会主義の下では、何も売買できない。何も売買できない社会では、商品やサービスの価値を伝える価格がなくなる。価格がなければ、すべてを知っているはずの政府は、生産の効率を最大にするために資本や労働をどう配置すればよいか、知るすべがなくなる。
Want a Socialist Society? First, Abandon Your Hopes and Dreams | Mises Wire

2018-09-03

自然の驚異、市場の驚異

先月21日、米国の広い範囲で太陽が月と重なって見えなくなる皆既日食が起き、話題となりました。真昼の闇に浮かび上がる日輪は神秘的で、まさに自然の驚異です。

米国で皆既日食が観測されるのは38年ぶり、日本で観測できる次の皆既日食は2035年9月2日で、前回から26年ぶりになるそうです。いずれにせよ、そうそう起こるものではありません。

けれども、がっかりすることはありません。自然の驚異に劣らないすばらしい驚異を、私たちは日々目にしているからです。それは市場経済の驚異です。

非日常的な大自然や大宇宙と違い、市場経済はせわしない日常そのものです。しかし、そんな平凡な営みに、目を見張るような驚きが隠されています。

米実業家で教育団体の創設者、著作家でもあったレオナード・リード氏は「私は鉛筆」という物語風のエッセイを1958年に発表しました。1本のありふれた鉛筆がこう語り始めます。「私は神秘です。木や夕焼け、稲妻よりも」

鉛筆はさらに意外なことを言います。「私をどうやってこしらえるのか、知っている人は1人もいません」。なぜなら、なんの変哲もない鉛筆でも、できあがるまでには想像以上に多くの人々がさまざまな形でかかわっているからです。

まず最初に、カリフォルニア州の北部やオレゴン州に生えている1本の真っすぐなヒマラヤ杉が材料の材木となります。この木を伐採して、鉄道の引き込み線があるところまで材木を運んでいくためには、のこぎりやトラックやロープや、その他にも数えきれないほど多様な道具や用具が必要になります。

のこぎりや斧やエンジンをこしらえるためには、鉱石を採掘し、鉄鋼をこしらえ、これらをさらに精錬し精製しなければなりません。リード氏はさらに鉛筆の口を借りて、木部のほか、黒鉛の芯、真鍮の環、消しゴムなどの製造に、いかに世界中の多くの人々がかかわっているかを描いていきます。

驚くべきなのは、想像以上に多くの人々が製造過程にかかわっている事実だけではありません。誰かが中央集権的な本部から命令を下しているわけでもないのに、鉛筆がちゃんと生産されることです。市場経済の「見えざる手」と言ってもいいでしょう。

米経済学者のミルトン・フリードマン氏は著書でこのエッセイを紹介し、感嘆を込めてこう記します。「何千人もの人びとは、あちらこちらの諸国に住んでいて、異なった言語をしゃべり、いろいろな違った宗教を信仰しているだけでなく、ひょっとするとお互いに憎悪し合っている可能性さえある。そうだというのに、このような相互間の相違は、鉛筆を生産するためお互いが協同するのに、なんの障害にもなっていない」(『選択の自由』、日本経済新聞出版社)

もちろん鉛筆だけではありません。1冊の本、1台のスマホ、1本のペットボトル……。私たちが日々目にし、利用するあらゆる製品に、市場の神秘が潜んでいます。

お互いに顔も知らない、もしかすると憎み合ってさえいるかもしれない人々が、平和のうちに協力し合う市場経済。この不思議な仕組みにもっと驚き、畏敬の念を持ってもよいのではないでしょうか。(2017/09/03)

2018-09-02

経済制裁のリスク

日経電子版の記事によれば、日米両政府は北朝鮮が北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射したことを受け、国連安全保障理事会で石油禁輸措置を提起する方針だといいます。しかしこれは記事自体が指摘するとおり、リスクを伴う一手であり、そのリスクは小さくありません。

日本の近現代史を学んだ人であれば、石油禁輸と聞いて連想するのは、1941年8月の対日石油禁輸でしょう。日本の南部仏印(フランス領インドシナ南部)への侵攻に対して、米国が7月の対日資産凍結に続き発動した経済制裁措置です。

石油禁輸は日本経済の首を絞め、対米戦争に追い込んでいきます。同年11月、東条英機首相は指導者を集めた会議で「軍事に使える石油は2年間で一滴もなくなる」と述べ、「このまま座していれば日本は2、3年の後には三等国に成り下がることを恐れる」と憂慮を表明します。真珠湾攻撃に踏み切ったのはその翌月、つまり石油禁輸から4カ月後でした。

日本との戦争で米国も多大な犠牲を払うことになります。米国の軍事専門家には、石油禁輸をはじめとする対日経済制裁は誤った措置だったという批判があります。

米空軍大学教官のジェフリー・レコード氏はこう述べます。「経済封鎖は戦争を抑止するためにとるべき方法ではない。なぜなら日本はわが国の経済封鎖を戦争行為そのものと理解し、それに反撃せざるを得ないと思い込んだ。日本がそう思わざるを得ない理由も十分に存在した」(『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』、草思社)

上記の「日本」を「北朝鮮」に置き換えれば、今回の石油禁輸方針の危うさがわかります。経済封鎖は武力行使に比べ穏やかな印象がありますが、レコード氏がいうように、決して「戦争を抑止するためにとるべき方法ではない」のです。日経電子版の記事も、石油の全面禁輸は北朝鮮の暴発につながる恐れがあると指摘しています。(2017/09/02)

2018-09-01

関東大震災と企業救済

94年前の1923年(大正12)9月1日、相模湾北西部を震源地とするマグニチュード7.9の大地震が関東地方南部を襲いました。関東大震災です。

政治の世界では、震災時のデマが原因で虐殺された朝鮮人犠牲者に対する追悼文を小池百合子東京都知事が断ったことが問題となっていますが、関東大震災は経済的にも大きな教訓を残しました。震災手形です。

関東大震災の震災手形は、震災によって悪影響を受けた企業が手形を銀行に割り引いてもらえ、また銀行がその手形を日銀に持って行くと、さらにそれを割り引いてくれるというものでした。

ところが震災手形の中には、震災以前に、振出人が第一次世界大戦終結後の「反動恐慌」などのために打撃を受け、焦げ付いていた手形も便乗していました。このため回収が進まず、不良債権が日本経済の重しとなっていきます。最後は1927年(昭和2)の金融恐慌を引き起こしました。

本当に実力のある企業であれば、災害で一時苦境に陥っても、やがて自力で立ち直るはずです。しかし政治が介入すると、往々にして実力のない企業まで救済することになり、経済を不効率にします。そのツケはいつか誰かが払うことになります。多くの場合、それは納税者です。これが震災手形の教訓です。

関東大震災から一世紀近くがたとうとする今、日本は震災手形の教訓を忘れつつあるようです。

2011年の東日本大震災を受け、政府は、被災した企業の復旧費用を公費で助成するグループ補助金制度を特例として新設しました。今年4月時点で、東日本大震災では5000億円近くの交付が決定。2例目となる熊本地震では熊本・大分両県で500億円近い交付が決まりました。

けれども補助金が本当の意味で復興に役立っているかは疑問です。今年4月の日経電子版の記事は、東北では補助金を受けながら、過大投資などが響いて経営破綻した企業も出始めていると伝えています。

「震災前から経営が苦しかった企業も、大多数は補助金を得て設備を復旧した。本来なら赤字企業は事業を縮小し、収益力の高い企業に集約すべきだった」。宮城県内の経営コンサルタントが指摘する実態は、震災手形で企業を救済して問題を先送りし、破綻に向かった、かつての日本の姿そのものです。(2017/09/01)