2018-11-11

言論の自由は守れるか

神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった事件を受け、菅義偉官房長官は10日、再発防止策としてツイッターの規制について検討の対象になるだろうという見通しを述べました

しかしツイッターを規制すれば、自殺願望に関するやり取りは規制されない地下サイトなどに移り、かえって異常を発見しにくくなるだけです。

ツイッターをはじめとするインターネット上でも「意味がない」「事件を利用し言論の自由を剥奪しようとしてる」「殺人者が死体の解体にのこぎりを使ったら、のこぎりの使用を規制するのか? 」と批判の声が相次いでいます。きわめてまっとうな反応といえます。

多くの人々がネット上で自由な発言を楽しむようになった結果、規制に反発する意見が増えたと感じます。心強いことです。

実際、政府側もこうしたネット世論を無視できなくなっています。菅官房長官の言い回しは「ツイッターの規制について、検討の対象に今後はなるだろうと思いますけれど、現段階で予断を持ってお答えすることは控えたい」と慎重なものでした。

けれども、これだけで言論の自由が安泰だとはいえません。残念ながら市民の中には、別の場面では規制を求める人々も少なくないからです。

その典型は今年9月、同じツイッターに対し行われた抗議活動です。差別表現を伴う投稿を放置しているとして、市民らが東京都内の日本法人前に投稿を印刷した紙を敷き詰め、「ヘイトツイートは表現の自由にあたらない」などと書かれたポスターを掲げました。

ヘイトスピーチやヘイト投稿が言論・表現の自由にあたらないという主張は海外でも一部支持を集めていますが、善意に発したものだとしても、あやうい考えといわざるをえません。何をヘイト表現とするかは線引きが難しく、自由の抑圧に悪用されかねないからです。

本来、言論のプロであるメディアは規制を求める市民をたしなめ、それを機に議論を深める役割があるはずです。ところがツイッターへの抗議活動に関しては、皮肉なことに、いつもは言論の自由を守れと叫ぶリベラルなメディアほど、市民側に同調した報道ぶりでした。

言論の自由は本当に守れるのか、心もとないといわざるをえません。(2017/11/11

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