しかし政治の力で無理に賃金を引き上げると、労働コストの上昇を受けて企業が雇用に慎重になり、労働者は職を得るチャンスが小さくなってしまいます。悪くすると、多数の失業者が生じかねません。労働もサービスの一種である以上、価格と需要の法則からは逃れられません。
賃上げ圧力は経済史上、最悪の事態の一因となったことがあります。有名な大恐慌です。
大恐慌当時、米国の失業率が25%にも達したことはよく知られます。この原因について、当時のハーバート・フーバー大統領が自由放任主義者で、必要な不況対策を何も打たなかったからとよく説明されます。しかし近年、事実は逆であることがわかってきました。
大恐慌の発端となったニューヨーク株暴落から1カ月後の1929年11月21日、不況の色が濃くなる中で、フーバー大統領はホワイトハウスに自動車王ヘンリー・フォードをはじめとする米産業界の大物たちを集め、こう提案しました。
「苦しい企業は最悪でも労働時間を削減して雇用を共有してほしい。しかし、一般的な方向は高賃金を維持しつつ雇用を押し上げることにある」(シュレーズ『アメリカ大恐慌』上巻、田村勝省訳)
強制ではありませんでしたが、大統領の要請を受け、会議に出席した経営者らは賃下げをしないと誓い、全米の経営者に同調を呼びかけます。
その結果、米失業率は急上昇していきます。なかでも技能や経験の乏しい労働者は、高い賃金では雇ってもらえず、もろに打撃を受けました。1931年1月時点で、デトロイトでは黒人女性の失業率が約75%(全国平均は14%)に達します。
けれどもフーバーは、自らの賃上げ圧力のせいで大量の失業が発生し、不況が深刻になったことを理解しませんでした。1932年秋、再選を目指す大統領選での演説で、政策の成果を誇らしげにこう強調します。「不況の歴史上初めて、企業の配当、利益、生活費が減少しても、賃金は下がりませんでした」。もちろん再選は果たせませんでした。
賃上げ圧力は、好景気だと弊害が目に見えにくいかもしれません。けれども将来景気が悪化したとき、賃金が柔軟に下がらないと経済的な惨事をもたらしかねません。(2017/11/21)
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