原子力を例にとりましょう。初期の原子力研究の大半は政府の予算に頼らず、民間財団や大学の資金で賄われていました。
原子物理学の父と呼ばれ、1908年にノーベル化学賞を受賞したアーネスト・ラザフォードが研究に携わったのは、英国のマンチェスター大学。現在は他の大学と統合して国立大学となりましたが、もとは19世紀半ば、地元の繊維商ら実業家の寄付により設立されました。マンチェスターは産業革命後、綿織物工業の中心地として発展した商工業都市として有名です。
ラザフォードに学び、量子力学を確立したニールス・ボーアが母国デンマークに設立した研究機関、ニールス・ボーア研究所は、1920~30年代に原子物理学研究の中心地となります。この研究所の財政を支えたのも、ビール醸造大手カールスバーグの財団を中心とする民間の資金です。
一方、1940年代になると第二次世界大戦に伴い米国やドイツの政府が原爆開発に乗り出し、研究資金が政府予算で賄われるようになります。これは原子力の平和利用研究をかえって妨げました。厳しい秘密主義により、研究者間の自由な情報交換が規制されたためです。
原子力研究に対する政府の介入は、科学全般にも悪影響をもたらします。米政府は戦後も原子力に過剰な期待を抱き、他分野の研究者や技術者まで動員したため、それらの分野で人材不足を招きました。
政府が特定の技術に肩入れすると、人材や物資が他の産業分野に回らず、健全な経済発展ができなくなります。
極端な例が、かつてのソ連の宇宙開発です。1957年、ソ連は人類初の人工衛星の打ち上げに成功し、先を越された米国など西側諸国に「スプートニク・ショック」と呼ばれる衝撃を与えます。しかし食料品や日用品を作ったり輸入したりする経済力は育たず、結局、国は崩壊しました。
日経ヴェリタスの記事「量子コンピューター革命」で、東京工業大学教授の西森秀稔氏は、政府の予算が乏しい中、民間金融の活力を生かすことが重要だと指摘します。苦肉の策かもしれませんが、政府に頼らない民間主導の研究はむしろ量子コンピューターの未来を明るくするはずです。(2017/11/20)
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