日経電子版の記事によれば、日米両政府は北朝鮮が北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射したことを受け、国連安全保障理事会で石油禁輸措置を提起する方針だといいます。しかしこれは記事自体が指摘するとおり、リスクを伴う一手であり、そのリスクは小さくありません。
日本の近現代史を学んだ人であれば、石油禁輸と聞いて連想するのは、1941年8月の対日石油禁輸でしょう。日本の南部仏印(フランス領インドシナ南部)への侵攻に対して、米国が7月の対日資産凍結に続き発動した経済制裁措置です。
石油禁輸は日本経済の首を絞め、対米戦争に追い込んでいきます。同年11月、東条英機首相は指導者を集めた会議で「軍事に使える石油は2年間で一滴もなくなる」と述べ、「このまま座していれば日本は2、3年の後には三等国に成り下がることを恐れる」と憂慮を表明します。真珠湾攻撃に踏み切ったのはその翌月、つまり石油禁輸から4カ月後でした。
日本との戦争で米国も多大な犠牲を払うことになります。米国の軍事専門家には、石油禁輸をはじめとする対日経済制裁は誤った措置だったという批判があります。
米空軍大学教官のジェフリー・レコード氏はこう述べます。「経済封鎖は戦争を抑止するためにとるべき方法ではない。なぜなら日本はわが国の経済封鎖を戦争行為そのものと理解し、それに反撃せざるを得ないと思い込んだ。日本がそう思わざるを得ない理由も十分に存在した」(『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』、草思社)
上記の「日本」を「北朝鮮」に置き換えれば、今回の石油禁輸方針の危うさがわかります。経済封鎖は武力行使に比べ穏やかな印象がありますが、レコード氏がいうように、決して「戦争を抑止するためにとるべき方法ではない」のです。日経電子版の記事も、石油の全面禁輸は北朝鮮の暴発につながる恐れがあると指摘しています。(2017/09/02)
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