今月28日に召集される予定の臨時国会の冒頭にも衆議院が解散される方向となり、世の中はにわかに選挙一色となりました。選挙はお祭りですから、楽しみましょう。ただし、選挙によって経済や社会に対する不満がなくなるという幻想さえ抱かなければ、ですが。
なぜ選挙によっては不満をなくすことができないのか、理由は簡単です。今、選挙の争点がたとえば現政権への評価、経済政策、福祉政策、少子化対策、安全保障、憲法改正の6点だとしましょう。かりに各争点に対する選択肢が「無条件賛成」「無条件反対」の2つしかないとしても、全部で64通り(2の6乗)の選び方があります。
有権者に全選択パターンの受け皿を用意するには、最低でも投票対象として64の政党が必要です。争点や「条件付き賛成」「条件付き反対」など選択肢が多くなれば、必要な政党数は文字どおり乗数的に急増します。
ところが現実に国政選挙に出馬する候補者の政党は、20にも達しません。国民の多様なニーズを満たすにはとても足りません。
メディアはことあるごとに有権者の選択を尊重せよと訴えますが、本気でそう考えるなら、政党は星の数ほど必要だと言わなければ筋が通りません。しかしそんなメディアはありません。それどころか「泡沫政党」の増加にはどちらかといえば否定的です。
たとえば前々回の衆院総選挙が決まった2012年11月、毎日新聞のコラム「憂楽帳」は政党数について「今度は14。7年前に比べるとほとんど3倍に増殖している」と、たかだか10やそこらで早くも音を上げていました。
もちろん現実には、有権者のあらゆる選択パターンに対応する無数の政党が出現することなどありえません。言い換えれば、全争点に関する選択が既存政党の方針と完全に一致する希有な有権者を除き、国民の大半は、満足する政党を選ぶことができません。
満足度を多少落としても、選択の単位を政党でなく個々の候補者にしても、選びたい政党や候補者がない状況はほとんど変わらないでしょう。
選挙における投票を市場経済における買い物にたとえる人がいます。しかし市場経済が提供する無数の商品・サービスに比べ、選挙で「購入」できる政党は質量ともにあまりに貧弱です。それでもお祭りの景品だと割り切れば腹も立ちません。さあ、楽しみましょう。もし他に何もすることがなければ。(2017/09/18)
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