ノーベル賞の季節がやって来ました。ノーベル賞といえば、いうまでもなく科学の世界で最高の栄誉とされ、受賞者はその道で最高の権威として称賛を集めます。経済学賞は10月9日に発表予定です。
ところで報道ではあまり触れられませんが、経済学賞は厳密な意味ではノーベル賞ではありません。ノーベル賞の公式サイトにも「ノーベル賞ではない(Not a Nobel Prize)」とはっきり書いてあります。
正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」といいます。スウェーデン国立銀行とは、スウェーデンの中央銀行で、日本でいえば日本銀行にあたります。
物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の他の5つの賞がアルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて創設され、1901年に始まったのに対し、経済学賞のスタートは20世紀も後半の1968年。スウェーデン国立銀行が設立300周年を記念してノーベル財団に働きかけ、創設されました。
賞金の出所も、他の部門はノーベルの遺産をノーベル財団が運用して得た利益を充てるのに対し、経済学賞はスウェーデン国立銀行が拠出します。授賞式などの諸行事は他の賞と同列で、一般的には「ノーベル経済学賞」として扱われています。
故意にノーベル賞と紛らわしく設立されたようなやり方に、反発は小さくありません。朝日新聞「ことばマガジン」が伝えるとおり、1997年には文学賞の選考機関であるスウェーデン・アカデミーが経済学賞の廃止を要請。2001年にはノーベルの兄弟のひ孫が地元紙に寄稿し、「経済学賞はノーベルの遺言にはなく、全人類に多大な貢献をした人物に贈るという遺言の趣旨にもそぐわない」などと批判しました。
ノーベル賞を受賞した自然科学者の中にも、経済学賞の設置を快く思わない人々がいたようです。最初の経済学賞が贈られた同じ年、クォーク理論で物理学賞を受賞することを知らされた米物理学者、マレー・ゲルマン氏は「彼らと一緒に授賞式に並ぶということか?」と不満を鳴らしたとされます(矢沢サイエンスオフィス編著『ノーベル賞の科学・経済学賞編』)。
もちろんその後受賞した学問的実績が立派なものであれば、設立の経緯にこだわる必要はないでしょう。ところが困ったことに、そうとはいえないのです。
アルフレッド・ノーベルは遺言書で、ノーベル賞の対象者を「人類のために最も偉大な貢献をした人」としています。物理学をはじめとする自然科学であれば、ノーベルのいう「偉大な貢献」は具体的にイメージがわきます。
たとえば第1回物理学賞を受賞したレントゲンはX線を発見し、医療や工業の発展に大きく貢献しました。同じく物理学賞を共同受賞した赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏が発明した青色発光ダイオード(LED)は、照明や携帯電話用バックライト、大型ディスプレイなど幅広く実用化されています。
これに対し、経済学はどうでしょう。ノーベル経済学賞を受けた経済学者たちのおかげで労働者の生活が楽になったとか、株や土地の資産バブルを防ぐことができたとか、貧困を減らすことができたとかいう話は聞いたことがありません。
それどころか、100年に1度といわれた2008年のリーマン・ショックやその後の世界的な金融危機を事前に予測した経済学者は、ほとんどいませんでした。
1997年に経済学賞を共同受賞したマイロン・ショールズとロバート・マートンの両氏が経営にかかわった投資ファンド、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)は、同年発生したアジア通貨危機による市場の変化を読み誤り、破綻しました。
1980年受賞のローレンス・クラインは、およそ3000もの方程式で構成されるとてつもなく複雑なモデルを構築。受賞講演でこのモデルに基づく長期予測を披露し、米国で石油価格が上昇し、インフレが続き、財政・貿易収支が赤字から均衡に向かうと予想しましたが、ことごとく外れてしまいました(カリアー『ノーベル経済学賞の40年〈上〉』)。
ノーベル賞経済学者のすべてが駄目だというわけではありません。現代の主流経済学が自然科学のうわべだけを模倣した「見せかけの知」でしかないと批判したハイエク(1974年受賞)は、例外の一人でしょう。
『ブラック・スワン』の著者、ナシム・ニコラス・タレブ氏はフィナンシャル・タイムズへの寄稿("The pseudo-science hurting markets")で、ハイエクと同様に、市場の現実と合わない擬似科学のような理論に経済学賞が濫発され、それに対する批判がノーベル賞の権威で阻害されると批判しています。
今年のノーベル経済学賞は、権威に見合った内容になるのでしょうか。(2017/10/02 - 03)
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