経済学に関する記事を読んでいると、こんな解説によく出くわします。経済学は金儲けと自分の利益のみに関心がある「合理的経済人」の世界を仮定しているが、それは現実離れしている。人間は金銭的損得や利己心以外の動機でも動くのだから――。
その先は立場によって、「だから経済学は役に立たない」という非難と、「それでも経済学は役に立つ」という擁護とに分かれます。でも、どちらも正しくありません。
現代の主流経済学はたしかに、合理的経済人というおかしな前提に基づいています。けれども、経済学がそうなってしまったのは割合最近のことです。
かつて経済学では、合理的経済人の考えをはっきり否定していました。それがよくわかるのは、英国の経済学者、ライオネル・ロビンズが1932年に出版した『経済学の本質と意義』という本です。昨年、邦訳が出ました。
ロビンズは第4章の「経済人の神話」という節で、経済学が仮定する人間は利己主義者とは限らないと強調します。「経済主体は純粋に利己主義者、純粋に利他主義者、純粋に禁欲主義者、純粋に官能主義者にもなりえて、もっとありそうなことだが、こうした衝動の混合体にもなりえる」(小峯敦・大槻忠史訳)
ロビンズはこうも書きます。人はパンを買うとき、損得だけでなく、パン屋の幸福も考えるかもしれない。賃金の多さよりも仕事の中身で労働を選ぶかもしれない。財産を貸すときに、名誉や美徳、恥辱を考慮するかもしれない。経済学は説明を単純にするために金銭的な損得だけに絞ることはあっても、それ以外の動機に基づく行動を対象として分析することは「まったく困難ではない」。
もし金銭的な利得や肉体的な快楽の追求が否定され、宗教的な苦行が奨励される社会になっても、経済学は役に立つとロビンズは第2章で言います。「ブドウ園の地代は下がる。聖職者の石造建築に使う石切場の地代は上がる」。その現象を説明できるのは、経済学の需要と供給の法則だけです。
本物の経済学は、現実離れした前提に頼る薄っぺらなものではありません。それがほとんど忘れられているのは残念なことです。(2017/10/01)
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