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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ

インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2021-01-20

連邦主義と平和

Socialism and International Economic Order (English Edition)

無政府主義者プルードンは、自分を共産主義者とはっきり区別した。共産主義者は所有権を破壊したがるからだ。社会主義者とも区別した。社会主義者は平等を称えるあまり、自由を無視するからだ。

無政府主義者プルードンは中央集権に反対し、連邦主義を唱えてこう述べる。連邦の人々は平和に組織されている。同盟も通商条約もいらない。自由な国同士なら慣習法で十分だ。互いの法の範囲内での取引の自由、流通の自由、居住の自由。これが連邦の考え方であり、その結果である。

無政府主義者プルードンは、経済の領域と政治の領域をはっきり区別した。彼によれば、社会問題を解決するには、不適切な人物から権力を取り上げ、大幅に強化し、「完璧」な知識と知恵の持ち主に与えてもダメだ。政治と経済を分離し、なおかつ政治権力を水平・垂直に分断しなければならない。

もし本当の民主主義を求めるのなら、社会の基礎は中央集権ではなく、プルードンが描いたような連邦主義と意思決定の分権でなければならない。しかし、この政治秩序を実現するためには、それに対応する経済秩序が欠かせない。すなわち、競争に基づく市場経済である。

2021-01-19

プーランク:平和への祈り

シャルル・ドルレアン(オルレアン公)は15世紀フランスの王族で詩人。ジャンヌ・ダルクが活躍した百年戦争のさなか、聖母マリアに「平和への祈り」を捧げます。「すべてを破壊し尽くす戦争をなくしてくださいますよう/祈りに倦まれませぬよう/平和の祈りを、平和の祈りを/平和こそ喜ばしい真の宝なのですから」。プーランクがフランスの新聞でこの詩を読んだ1938年9月29日は、折しもミュンヘンで主要国首脳会議が開かれ、ヒトラー率いるドイツと戦争の緊張が高まっていました。プーランクはさっそく詩に曲をつけます。彼自身の日記によれば、情熱と、それから何よりも謙虚さの表現に苦心したといいます。敬虔なカトリック信者を両親に持つ彼にとって、謙虚さこそは「祈りの最もすばらしい特質」だったからです。しかしその祈りも虚しく、一年後、ドイツのポーランド侵攻とそれに対する英仏の宣戦布告により、世界は未曾有の戦禍に引き込まれていきます。

狂った規制


政府とその支持者は正気を失ったかのようだ。物理学者アインシュタインが言ったとされる言葉のように、コロナ対策で何度も同じような規制を繰り返し、次こそは良い結果が出ると期待している。いや、もっと悪い。そもそも合理的な根拠のない駄目な規制を何度も繰り返している。

法律、規則、規制で人の暮らしは本当には良くならない。預金保険制度によって大恐慌型の銀行取り付け騒ぎはなくなるかもしれない。だが取り付けの心配がなくなった銀行は、規律が働かず、それまでより大きなリスクを取るようになる。預金者は楽になっても納税者は苦しくなる。

真の政治指導者なら、議事堂乱入を口実に市民の自由をさらに侵害してはいけない。むしろ不満を抱く人々が非暴力の抗議活動に参加するよう促すべきだ。たとえば抗議する相手の人形を火あぶりにする。メッセージ付きの雑貨やソーシャルメディアへの投稿よりもスッとするだろう。

既存のソーシャルメディアが左派の投稿しか載せなくなったら、左派と右派のメディアに分かれるかもしれない。しまいには人種隔離のように、水飲み場、映画館、道路、銀行、学校まで左右に分かれるかもしれない。それも一つの考えだが、もっと良いのはあらゆる人同士の協力だ。

2021-01-18

ヘンデル:組曲「王宮の花火の音楽」

1748年、八年に及んだオーストリア継承戦争がようやく終結し、英王室は翌年、盛大な祝典を催します。祝典の花火大会のためにヘンデルが作曲したのがこの音楽です。本番の一週間前にヴォクソール庭園で行った公開リハーサルに一万二千人以上が詰めかけるほどの話題となりましたが、残念なことに、4月27日にグリーンパークで開いた本番は、イベントとしてはさんざんでした。花火の打ち上げにもたついたうえ、パビリオンに火がつき、焼け落ちてしまったのです。ヘンデルは祝典の一カ月後、孤児院の慈善演奏会で再びこの曲を演奏します。初演では国王ジョージ二世の意向に従い、勇壮な響きを出すため管楽器と打楽器のみが使われましたが、慈善演奏会ではヘンデルの望みどおり弦楽器を加えた編成で演奏されました。第三楽章「平和(La paix)」の穏やかな調べは、長い戦争が終わった喜びを静かに噛みしめるようです。

反逆と扇動


treason(反逆、裏切り)という言葉で信じ込まされるものがある。市民が政府に対して何か義務を負っているとか、政府による独占の強制は政府と市民との間に交わされた何かしら自由で自発的な合意(想像上の「社会契約」)に基づくといった神話だ。そのような神話は嘘である。

1918年の米扇動防止法は第一次大戦中の狂乱の中で成立し、2000人以上の人を起訴するのに使われた。多くは戦争反対を唱えた人だった。扇動罪は政府が政敵をつぶし、反対意見を封じ込めるのに利用されてきた。今、扇動という言葉を振り回す人々も同じ動機からではないだろうか。

「暴動の扇動」は犯罪だろうか。Aが群衆に向かい「行け! 焼け! 略奪しろ! 殺せ!」と呼びかけ、暴徒がそのとおりのことをしたとする。人は誰でも行動の自由があるから、Aが暴徒を犯罪行動に向けて決定したとは言えない。「暴動の扇動」は発言の自由であり、犯罪ではない。

不正と戦うためなら暴力は手段として正当化できるという考えは、必ず果てしない争いを招く。非暴力は不正に対する唯一普遍の答えかと聞かれ、キング牧師はこう答えた。「間違いない。非暴力の組織的な抵抗は、虐げられた人々が束縛から解き放たれるために使える最強の武器だ」

2021-01-17

ヴォーン・ウィリアムズ:われらに平和を与えたまえ

「われらに平和を与えたまえ(ドナ・ノビス・パーチェム)」の歌詞には19世紀英国の政治家、ジョン・ブライトの議会演説の一節が使われています。ブライトはリチャード・コブデンとともに「反穀物法同盟」を結成し、自由貿易の拡大に力を注いだことで有名ですが、同時に熱心な反戦活動家でもありました。演説は戦争の惨禍を「死の天使」にたとえ、クリミア戦争への英国の参戦を批判したものです。「死の天使が国中を飛んでいる。その羽ばたきがほとんど聞こえるだろう。古来、死の天使が見逃し、通り過ぎた者は誰もいない」。緊張感あふれる音楽から戦争の恐怖が伝わってきます。ヴォーン・ウィリアムズは、陶工から身を起こした実業家ウェッジウッド、進化論を唱えたダーウィンの子孫であり、その自由主義的な出自から、同じく自由主義者のブライトに注目したのかもしれません。

琉球王国の大交易時代〜壮大な貿易ルートの要、海洋アジアを結ぶ

在日米軍基地の7割が集中する沖縄県は、基地の集中で経済発展が制約を受けており、基地経済から脱却し、自立した沖縄をつくることは地元の大きな願いとなっている。

古琉球 海洋アジアの輝ける王国 (角川選書)

今後の産業の柱として、観光、IT(情報通信)などと並んで期待されているのは、貿易である。政府は同県に全国で唯一の特別自由貿易地域を設定するなど、支援に力を入れる。

けれども沖縄にはもともと、アジア各地とのスケールの大きな交易によって発展した古い歴史がある。

室町幕府の三代将軍、足利義満が中国と日明貿易(勘合貿易)を始めた15世紀初め、沖縄では北山、中山、南山の三勢力が争っていたが、1429年、首里の中山王が三山を統一し、明の冊封を受けて琉球王国を成立させた。ここから琉球は貿易立国の道を歩んでいく。

その際、大きな影響を及ぼしたのは、明帝国の対外政策である。明は民間人の対外交易と渡航を禁止する海禁政策を採り、認可を受けた国が朝貢のために派遣してきた使節との貿易(朝貢貿易)だけを認めた。日本では足利義満が日本国王に冊封され、倭寇(前期倭寇)の取り締まりを条件に勘合貿易に参加した。

明の三代皇帝、永楽帝はイスラム教徒の宦官、鄭和(ていわ)に命じて南海大遠征を実行させ、遠くはアラビア半島やアフリカ東海岸に及ぶ国々に対し、これからは中国と交易をしたいのであれば、必ず朝貢を行って冊封を受けるよう知らせ、承認させた。その結果、明への朝貢国は五十以上にのぼった。

ところが、明帝国のほうがこの体制を維持できなくなる。朝貢国の貢物に対する皇帝の返礼品(回賜)は、皇帝からの恩恵という意味があるために、貢物より多く与えるのが通例だった。朝貢国にとっては利益となるが、五十カ国以上の朝貢に対する回賜は、さすがに明の財政を圧迫した。

このため、永楽帝の没後、朝貢の制限回数が徐々に厳しくされていった。しかし朝貢が制限されれば交易も衰える。海禁・朝貢体制を放棄することなく、交易を維持するために、明が目をつけたのが琉球王国だった。

琉球は朝鮮と並んで明への模範的な朝貢国とされ、朝貢回数が多めに設定されていた。とくに琉球は明への最大の朝貢国であり、その回数は日本や朝鮮と比べてもケタ違いに多かった。明代の進貢回数は、琉球が一位で百七十一回。二位のベトナムが八十九回だから、断然群を抜いていた。六位のシャム(タイ)が七十三回、十位の朝鮮が三十回、十三位の日本は十九回にすぎない(高良倉吉『琉球王国』)。

明は、この琉球を中継交易国として育成しようと考えた。そのために異例の優遇措置を施す。

まず、三十隻もの大型ジャンク船を進貢船として無償で与えた。これは中古の軍艦の払い下げだった。琉球史研究家の上里隆史氏によると、中国が明朝の初期、倭寇対策として沿岸に多数の軍艦を配備していたため、琉球に無償提供できるだけの十分な軍艦があったという。

中古とはいえ、当時の中国の造船技術は世界一。前述のように、鄭和が大艦隊を率いてインドやアフリカまで遠征している。琉球は世界最高の技術で造られた中国式の船を活用することで、アジア各地への長距離航海を可能にした。

次に、明は交易活動に欠かせない職能者を琉球に居住させた。前述のように明は海禁政策で民間人の渡航を禁じていたから、その例外といえる。

那覇港近くの久米村に福建省から多数の中国人が移住し、居留区を形成した。琉球側の要請で技術指導のために訪れた人だけでなく、解禁を犯して移住した人々も多かったようだが、明が琉球にクレームをつけたという事実はあまりみられない。久米村人は「閩人(びんじん)三十六姓」と呼ばれた。閩は福建省の俗称である。

琉球側は久米村人を歓迎し、重く用いた。久米村人は技術先進国・中国の出身者だったから、彼らのノウハウは琉球の海外貿易にとって決定的な意味を持っていた。造船、船舶修理、航海術、通訳、外交文書作成、商取引方法、海外情報など、職能者としての彼らの技術・知識は海外貿易の経営上、なくてはならないものだった。

歴史学者の高良倉吉氏によると、進貢船に乗って諸国に派遣される使節団のうち、副団長クラスの人物や通訳官、貿易船を実際に操縦する主要スタッフの多くも、久米村人で占められる場合が多かったという。

こうして絹や陶磁器など多くの中国の物産が琉球に集まり、その中国商品を求めてアジア海洋諸国が琉球に押し寄せた。東シナ海の日本や朝鮮のみならず、南シナ海のアユタヤ朝、ルソン、マラッカ王国などの商船が那覇港をにぎわした。これらの諸国の物産は、琉球の朝貢品として進貢船に積み込まれ、福建の福州へと向かった。琉球王国は、15世紀の海洋ネットワークを結びつける要になった。

琉球の中継貿易は国営事業で、民間主体とはいいにくい。それでもなお、明への進貢品の買い付けという琉球船の目的はあくまで看板で、民間ベースの商取引が主流となりつつあった。その証拠に、琉球が東南アジアから買い付けた南海産品のすべてが、明への進貢にあてられたのではなかった。

たとえば当時、朝鮮に渡航した倭人勢力が携えた南海産品には、犀角(さいかく)、麒麟血(きりんけつ)、陳皮(ちんぴ)、丁香(ちょうこう)、草菓(そうか)、黄芩(おうごん)、霍香(かっこう)、蘇号油(そごうゆ)、蘇木(そぼく)などが含まれていた。これらはほぼ間違いなく、倭人勢力が琉球から入手したものだ。

また、琉球はシャムとの貿易取引で、いずれかの国の政府が権力を振り回すことを排除し、「四海一家」「両平(両者平等に利益があること)」をスローガンに、「市場価格での取引でこそ双方が潤う」と主張。シャムにこれを受け入れさせた(村井章介『古琉球』)。

琉球人は貿易ルートに乗り、アジア各地に訪れた。室町時代の水墨画家、雪舟が中国に留学中、スケッチしたといわれる「国々人物図巻」には、高麗人や天竺人などさまざまな民族とともに、琉球人が描かれている。ゆったりとした服にはだし、頭の左側に結ったまげに特徴がある。雪舟は中国に朝貢してきた琉球人と出会い、彼らの姿をスケッチしたのかもしれない。

琉球の大交易時代は、16世紀に入って明の密輸に対する取り締まりが緩み、密貿易商人が広範な交易を行うようになると一挙に衰退した。1609年、薩摩の島津氏の進攻を受け、薩摩藩に服属するようになる。

陸だけの面積でみれば、沖縄県は大阪府より若干大きいくらいだ。しかし島とその周りの海をひとつの「海域世界」としてとらえれば、沖縄諸島を含む南西諸島の範囲は、じつに東京から福岡あたりまでの広さに匹敵する。琉球王国はこの海域を統治する巨大な海洋国家であり、日本、明、朝鮮、南シナ海諸地域を結ぶ壮大な交易ネットワークの要でもあった。

アジアの経済が急速に発展する今こそ、沖縄が貿易立国としてかつての輝きを取り戻すチャンスだろう。

<参考文献>
  • 高良倉吉『琉球王国』岩波新書
  • 上里隆史『島人もびっくりオモシロ琉球・沖縄史』角川ソフィア文庫
  • 村井章介『古琉球 海洋アジアの輝ける王国』角川選書
  • 北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』ミネルヴァ書房
  • 宮崎正勝『「海国」日本の歴史: 世界の海から見る日本』原書房

2021-01-16

グレーバー『ブルシット・ジョブ』

ブルシット・ジョブの犯人


先日発表された「紀伊國屋じんぶん大賞2021」で、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)が一位に選ばれた。四百頁を超す大冊であるにもかかわらずベストセラーにもなった。それだけ読者の共感を集めたということだろう。

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

たしかに、この本で取り上げられる、さまざまな腹立たしい、あるいは情けない「クソどうでもいい仕事」には、誰しも思い当たるふしがありそうだ。けれども結局のところ、そうした「クソどうでもいい仕事」を生み出しているのは何なのだろうか。

訳者の一人である大阪府立大学教授の酒井隆史(社会思想)は、講談社現代新書ウェブサイトの2020年8月5日付記事(「なぜ『クソどうでもいい仕事』は増え続けるのか?」)で、「現在の金融化した資本主義システムが作動するとき、必然的に、この壮大な『ブルシット機械』も作動をはじめる」と述べる。「現在の金融化した」という限定付きではあるものの、ブルシット・ジョブを生む原動力は「資本主義システム」だという。

また、経済思想家の斎藤幸平も「資本主義に緊急ブレーキを!」と題する同じサイトの記事で本書に言及し、ブルシット・ジョブを批判している。

どうやらブルシット・ジョブの犯人は資本主義のようだ。

ところが、そう思って本書を読み始めると、いきなり第一章の冒頭から意外な記述に出くわす。著者の人類学者グレーバーは、ブルシット・ジョブの「ある典型的な事例」を紹介するのだが、その事例というのが、ドイツ軍の下請業者の話なのである。

その会社では、たしかにバカバカしい無駄な仕事をやっている。兵士が兵舎の隣の部屋に移る際、わざわざレンタカーで出かけて行き、パソコンを取り外し、梱包し、物流業者に部屋まで運んでもらう。部屋に着いたら開封、設置。書類に記入し、署名をもらい、レンタカーで帰宅する。「兵士が自分でパソコンを五メートル運ぶかわりに、二人の人間が合わせて六時間から一〇時間も運転して、書類を一五枚も埋めて、四〇〇ユーロという額の血税が浪費されている」という。

あれれ、「クソどうでもいい仕事」を生むのは資本主義という話かと思ったら、軍隊の話ではないか。軍隊は政府の一部門であり、自由な市場経済に基づく資本主義とは関係ない。

すると著者は急いでつけ加える。この逸話は、軍事的官僚手続きのバカバカしさにまつわる古典的な事例とは違う。なぜならこの逸話で、実際に軍隊に属して働いている人間はほとんど誰もいない。厳密にいえば、かれら全員が民間部門の一員なのだ。昔と違い、今の軍隊は通信、装備輸送、人事といった部門を民間に外部委託している。この逸話が示すとおり、「私有化(民営化)は〔略〕それ特有の、しばしば、はるかに体裁の悪い多様な狂気を生み出している」と。

なるほど民間企業でも官僚主義がはびこることはある。いわゆる大企業病だ。しかし大企業病が治らなければ、やがて市場から淘汰される。官僚主義が招く不効率のせいで競争相手に比べサービスが低下したり、値段が高くなったりして、顧客が離れてしまうからだ。だから、たいていの民間企業では官僚主義がそこまで悪化しないうちに自浄作用が働く。

もし自浄作用が働かないとしたら、それは官僚主義にうつつを抜かしていても、顧客に逃げられる心配がないからだ。そんな心の広い顧客がいるだろうか。いる。政府だ。

政府と企業の契約はたいてい、何らかの政治的理由で決まる。だからサービスの質が悪かろうと、値段が高かろうと、契約を打ち切る理由にはならない。さきほどの事例で、無駄な作業で血税を浪費してもドイツ軍から契約を切られないのは、契約が経済的理由によるものではないことを逆説的に物語る。

そう考えると、ブルシット・ジョブを生むのは、市場原理に基づく自由な資本主義ではなく、政府と企業の政治的癒着ではないだろうか。

読み進むにつれ、その疑念は確信に変わる。

著者がブルシット・ジョブの例として挙げるのは、ロビイスト、政策アナリスト、企業の顧問弁護士、ヘッジファンド・マネージャー、プライベート・エクイティ・ファンドの経営者、マーケティングの教祖、広報調査員、電話勧誘員などだ。なんとなく、いかにも現代資本主義らしい職業のようだ。

けれどもよく見ると、その多くは政府と密接に関係する仕事だ。ロビイストや政策アナリストは言うまでもないし、企業の顧問弁護士もその仕事の多くは政府の規制や税務に関する相談だろう。著者グレーバーも「企業コンプライアンスのような産業全体が、政府による規制がなければそもそもいっさい存在しないであろう」(第五章)と述べる。

とりわけ著者がブルシット・ジョブの「範例」とみなすのは、金融業である。複数の巨大国際銀行にリスク管理担当として雇用されてきたサイモンという人物の「控えめな見積もり」によれば、「銀行の六万人のうちの八〇%が不必要」(同)だったという。

だが金融業は、政府とのつながりが最も強い産業の一つだ。さまざまな規制を受ける一方で、保護によって守られてもいる。普通の企業が経営危機に陥っても政府が税金で救ってくれることはめったにないが、銀行ならたいてい助けてもらえる。万が一、破綻しても、預金は公的な預金保険で守られ、預金者に迷惑はかけない。

これでは少しでも経営の無駄を削って競争に勝とういう気にはならないだろうし、その必要もないだろう。逆に、金融業が一般の産業並みに競争にさらされていれば、あきれるような無駄を放置する余裕はないはずだ。

著者グレーバーも「競争の激しい市場においては、不必要な労働者を雇い入れる資本家たちは生き残りの見込みがない」(同)と認める。

そうだとすれば、ブルシット・ジョブの原因はいったい何か。ここで著者は、それは資本主義だろうという先入観を完全に打ち砕く。

もしブルシット・ジョブの存在が資本主義の論理に逆らっているようにみえるとすれば、ブルシット・ジョブの増殖に対するただひとつのありうる説明は、いまのこのシステムが資本主義ではないからということになる。あるいは少なくとも、アダム・スミスやカール・マルクス、さらにいえばルートヴィヒ・フォン・ミーゼスやミルトン・フリードマンの著作から認めることのできるような資本主義ではないということになる。(同。強調は引用者)

ブルシット・ジョブを生んでいるのは資本主義ではない。少なくとも「新自由主義」の元凶とされるミーゼスやフリードマンが語るような、自由放任的な資本主義ではないと著者は言い切っている。そしてブルシット・ジョブを生む今の経済体制について、さらにこう述べる。

そこでは経済の命法と政治の命法とが大幅に融合をはじめているがゆえに〔略〕資本主義とはまったく異なっているということになる。たしかに、多くの点で、それは古典的な中世封建制に類似している。貴族や封臣、従者たちからなるヒエラルキーをはてしなくつくりだす傾向も同じである。(同)

ブルシット・ジョブの本当の犯人は近代的な資本主義ではない。中世封建制にも似た、経済と政治が融合した体制なのだ。その体制の名前を著者は記していないが、他の専門家からは「縁故主義」「縁故資本主義」「政治資本主義」などと呼ばれているものだろう。

そうだとすれば、ブルシット・ジョブをなくすには、「経済に対する政治の介入を排除し、近代的な資本主義を取り戻せ!」と叫ばなければならないはずだ。ところが、本書がせっかくベストセラーになっても、賞をとっても、そんな声はどこからも聞こえてこない。グレーバー自身、そこまで踏み込んではいない。

けれども読む人が読めば、本書の主張は政府の経済介入の縮小と自由な資本主義の擁護に行き着かざるをえないことに気づくはずだ。グレーバーは第七章でベーシックインカム(最低所得保障)の導入を提唱しているが、その目的は「官僚制の規模の大幅な縮小」である。もっとも、ベーシックインカムが官僚制の縮小につながるとは思えない。

アナキストを自認する著者グレーバーには今後、もっと思索を深めてほしかった。残念ながら彼は昨年9月に急逝し、その望みはもうかなわない。

2021-01-15

政府は暴力である


法律は国民へのお願いではない。命令だ。命令に従わなければ、武装した政府職員に連れ去られ、牢屋に入れられる。抵抗すれば叩きのめされ、殺されるかもしれない。支配者が政治的な暴力に反対するのは、それが不正だからではない。暴力を使うのが自分ではないからにすぎない。

政府は暴力だ。政府が生活の多くを支配するに従い、人々は選択肢が二つしかないことに気づく。食う方になるか、食われる方になるかだ。食う方を選んだら、自分と家族を守るために何でもする。殺伐とした政治が嫌なら、政治の役割を小さくしよう。政府を自由で置き換えよう。

バイデン次期大統領を含め、現代の米大統領は「人民の意思」という言葉を多用する。これに同調する評論家たちは、強大な国家もまた賛美する。彼らが称える「民主的」手順はしばしば、政治家がほとんど無制限の政府権力を手に入れ、エリートの喜ぶ政策を押しつけるのに役立つ。

米議会はコロナ経済対策を含む5593頁もの法案を、読む時間もなく可決した。こうした無茶な立法は、ここ三十年近く珍しくない。ギングリッチ下院議長とクリントン大統領が成立させた1998年予算は4000頁あった。上院の長老バード議員いわく、「この怪物の中身は神のみぞ知るだ」

2021-01-14

言論規制の二重基準


米議会乱入が言論封殺と保守派への報復に利用される中、学者や記者の多くは口を閉ざしている。マッカーシズムと赤狩りの暗黒時代について長年語ってきた人の多くが、この検閲を支持するか、沈黙を守っている。標的が保守派なら当然だし、むしろ賞賛に値すると言わんばかりだ。

ツイッター社は数万もの保守派のアカウント凍結について「暴力扇動、組織的攻撃、選挙結果に関する誤解を招く情報の共有から会話を守る」と説明した。奇妙なことに、昨夏、全米の都市が無数の暴力的な抗議と度重なる暴動で文字どおり炎上した際には、こうした配慮はなかった。

なんとも皮肉なことに、いつも社会には「多様性」が必要だと言っている人の多くが、ソーシャルメディアにおける「意見の多様性」については強く反対している。言論の自由が完全に失われたら最後、他のあらゆる権利も遠からずなくなる。もはや守る手段がないからだ。

英政治家でEU離脱を推進したファラージ氏はこう指摘する。米民主党は数千万の米国民の価値観を憎んでいる。トランプ大統領が国民を過激化させたわけではない。彼らは以前から主流メディアに憤り、ソーシャルメディアを信じなくなり、中央政府とそのやり口に嫌悪を抱いていた。

2021-01-13

狭まる言論の自由


米議会への行進を支持者に呼びかけたトランプ大統領の発言は、言論の自由の範囲内だ。乱入を扇動したと弾劾すれば、悪い前例をつくることになる。第一次大戦中、徴兵に反対した社会主義者ユージン・デブスは扇動罪で逮捕された。民主党がトランプ氏に着せようとしている罪だ。
Turley: Swift new impeachment would damage the Constitution | TheHill

ソーシャルメディアのアカウント停止は、民主党による共和党への攻撃ではない。両党の主流エリートが許容する範囲を外れた、あらゆる意見に対する攻撃だ。バイデン次期政権のネオコン色の濃い軍事介入政策に対し、左翼や反戦団体から予想される批判もまた封じ込める狙いだ。
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : The ‘War On Terror’ Comes Home

ウィキリークスのアサンジ氏が流出メール公表でリベラルの支持を失う以前から、オバマ政権の副大統領だったバイデン氏はアサンジ氏を「ハイテク・テロリスト」と呼んだ。オバマ政権こそ無人機で、イスラム過激派幹部の米国民アウラキ師と16歳の息子を裁判もせず殺害した。
Wednesday's Other Story - TK News by Matt Taibbi

英ロンドンのバライツァー裁判官は、ウィキリークス創始者アサンジ氏の米国移送こそ認めなかったものの、米国が同氏や他のあらゆるジャーナリストを起訴する権限を認めた。米国が国家の犯罪を暴露した外国人ジャーナリストを捕らえ、スパイとして起訴する前例を作ったのだ。
The US and UK Are Making Assange's Death More Likely - Antiwar.com Original

2021-01-11

奴隷制と資本主義


アダム・スミスは資本主義哲学の源泉とされる『国富論』で、英国の植民地主義とそれを支える重商主義思想を槍玉にあげることで、奴隷制を批判した。その他の著作でも、奴隷制がなくならないのは奴隷主が議会を支配し、補助金や政治的保護を確保しているからだと論じた。

NYタイムズ紙は「1619プロジェクト」の検証委員を務める歴史学者に次の主張の確認を求めた。「アメリカ植民者が英国からの独立を宣言した重要な理由は、巨富を生む奴隷制を守ることだった」。検証委員は、奴隷制は独立戦争の主要な原因ではなかったと警告したが、無視された。

英経済学者ケインズは晩年、優生学を「最も重要重大で、いわば現存する社会学の純血種」だと述べた。名誉副会長を8年務めた英国優生学会の晩餐会でのことだ。同学会はケインズが役員や顧問を務めた優生学組織の最後のもので、古くはケンブリッジ大学の学生時代にさかのぼる。

19世紀英国の社会学者スペンサーは、ロンドン市の保健委員会は官僚的で、公衆衛生を妨げると批判した。委員会は、コレラは汚水付近の空気から広がるという誤った理論を信じ、下水道工事に熱中した。政府と親しい業者を儲けさせ、テムズ川に汚物を捨て、飲み水で感染を広げた。

2021-01-10

ファシズムの復活

ナチスドイツでは生産手段の多くは国有化されなかったものの、価格、賃金、生産に対する規制によって政治と一体化していた。私企業のオーナーは名目だけで、その経営判断や行動は制限されていた。ドイツの企業家は誰でも自分の行動がナチスの目標の範囲内にあると知っていた。

Why Hayek was Right About Nazis Being Socialists – AIER

ステークホルダー資本主義の下では、企業経営者は彼を雇った株主の利益のために働くのではなく、ステークホルダーの規範や基準を強いる当局の命令に従う管理者になる。20世紀には、このように民間の経営者が政府の命令・指示に従う体制は「経済ファシズム」として知られた。

Stakeholder Fascism Means More Loss of Liberty – AIER

社会保障制度を創設したドイツの宰相ビスマルクは、こう語った。私の考えは労働者階級の買収だ。つまり労働者を味方につけ、政府は彼らのために存在し、彼らの幸福に関心を持つ社会組織だと思わせるのだ。人の苦しみや不幸で儲けるのは道徳的でない。民間に任せてはいけない。

American Progressives are Bismarck’s Grandchildren – The Future of Freedom Foundation

多数派は、権力を握る少数派と同じく、暴虐でありうる。人数の多さで正しいかどうかは決まらない。もしもある社会で、男性がある女性と性交渉を持つことが投票で決められたとしても、彼女にその「民主的」決定を強要することはできない。彼女の身体は彼女自身のものだからだ。

Opponents of Liberty Remain Misguided Sore Winners – AIER

>>翻訳@時事

2021-01-08

米議会乱入の波紋


わずか数カ月で様変わりだ。昨夏には黒人を虐げる警察は解散しろと主張していた人々が、今回の議会乱入に対する警察の対応は手ぬるいと言って怒り狂っている。極左団体アンティファの支持者は、議会デモ参加者の氏名を特定し、FBIにテロリストとして逮捕させようとしている。

Violence in the Capitol, Dangers in the Aftermath - Glenn Greenwald

トランプ氏支持者による米議会乱入事件をきっかけに、SNS規制論が広がってきた。NYタイムズのフレンケル記者は、オンラインでの政治運動がもたらした暴力だと批判した。しかし同記者は2018年の記事で、イラン政府がデモの参加者によるSNSの使用を制限したことを非難していた。

Caitlin Johnstone: The two-faced mainstream media is already using the Washington riot to call for more social media censorship — RT Op-ed

クーデターとは、軍隊など政府組織内のエリートが現職の政府高官を公然と追放しようとする違法な試みである。だから政府への抗議活動はクーデターではない。トランプ氏支持の帽子をかぶり、旗を振る無名の人々は政府エリートではないから、その意味でもクーデターではない。

The Capitol Riot Wasn’t a Coup. It Wasn't Even Close. | Mises Wire

トランプ時代は終わったか、劇的に異なる形に変化するかのどちらかだろう。トランプ氏は自分の政党をつくるか、政治的に忘れ去られるかのどちらかだろう。彼の支持者にとって彼は第一級の英雄であり続けるだろう。トランプ氏に触発された支持者層がすぐに屈するとは思えない。

Capitol riot spells the end for Trump with the Republicans. But he’s still a hero to many, so why not start a party of his own? — RT Op-ed

>>翻訳@時事

2021-01-06

米国式の社会主義


社会主義の下では、市場で決まる価格は存在しない。市場が存在しないからだ。価格は単に政府の命令で決まる。市場価格に基づく経済計算ができないから、政府が始める事業のコストを計算できないし、価格も決められない。だから社会主義経済が大混乱に陥るのは避けられない。

社会保障は給付金に対する「資格」だと言われるが、法的には何ももらえる資格はない。社会保障によって政府と市民の間に契約関係は生じない。制度そのものを続ける義務もない。もし議会が今日、社会保障の廃止を決議しても、契約違反で訴え、補償を求めることはできない。

1960年代、ジョンソン政権が公的医療保険を導入するまで、米国の医療水準は技術革新のおかげで急上昇していた。公的医療保険がそれを台無しにした。公的医療保険のアイデアは社会保障と同様、19世紀末にドイツの社会主義者の間で生まれ、米国の左翼が20世紀前半に持ち込んだ。

米国では教育バウチャー(利用券)の導入によって、国営教育は終わりに近づくどころか、逆に国家が教育に対し、より深く組み込まれた。バウチャーを受け取る私立学校への影響が大きい。私立校は流れ込んでくるバウチャー収入で教職員を増やし、校舎を新築し、機器を購入した。

米国では金貨・銀貨本位制のおかげで、19世紀に高い経済成長と繁栄を享受した。人々はインフレで貯蓄の価値が吹き飛ぶことはないと知っていたので、収入からまとまった額を貯めた。よく買われたのは百年物の社債だ。金貨で支払われるので、価値が損なわれないとわかっていた。

移民の規制を支持する人は、国には国境を守る権利があると言う。しかし国には権利はない。権利があるのは人だけだ。人は自分の私有地を不法侵入から守る権利はあるけれども、他人が生活や幸福追求のために国境を越えるのを止める権利はない。

2021-01-04

公益は私益、私益は公益


経済ニュースで「公益」という言葉をよく目にする。

日経の連載記事「コロナと資本主義」によると、環境配慮型の養鶏所を運営する米食品会社バイタル・ファームズは、株式上場の際、投資家向けの書類で「株主よりも公益」と異例の宣言をした。設備投資や買収提案を判断する際、短期的な株主利益だけではなく協力する農家や従業員の立場も考えるという。

この事例に限らず、今の世の中では、株主利益に代表される私益と、環境や雇用、地域社会といった公益は、対立するものという見方がほとんど当たり前になっているようだ。

いつからこうなってしまったのだろう。市場経済の世界では、公益と私益を対立するものとは考えないのが原則だったはずだ。

経済学者は、私益の追求こそが公益につながると説いてきた。アダム・スミスが『国富論』で、「われわれが食事ができるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである」と書いたのは有名だ。

別の言い方をしよう。市場経済での自由な取引では、売り手と買い手の双方が利益を得る。もしそうでなければ、そもそも取引は起こらない。

株主が、所有する企業を通じ、人々に製品・サービスを売れば、株主だけでなく、買った人々も利益を得る。さまざまな製品・サービスで社会のすべての人々に利益を届ければ、それはすなわち社会全体の利益、つまり公益と言っていい。株主は自分の利益を追求することによって、公益に貢献している。

企業経営者の中には、「税金を払うのが企業の社会貢献」と口にする人がいる。それは正しくない。製品・サービスを売り、人々を満足させた時点で、すでに社会に貢献しているのだから。

消費者が環境への配慮を企業に望めば、企業はすばやく対応する。スーパーなどの店舗にはすでにそのような商品があふれている。

「株主より公益」と宣言したバイタル社は、経営方針が投資家の共感を呼び、上場時に2億ドルの資金を集めたという。その中には、短期の利益狙いの投資家もいるかもしれない。それでも不都合はない。

同社が頭で考えていることとは違い、私益と公益は対立しない。市場経済の社会では、公益とは私益であり、私益はすなわち公益なのだ。

2021-01-03

スペイン帝国とマネーの魔術

国家は財政悪化に直面すると、しばしばマネーの「魔術」に頼る。現代であれば、政府の傘下にある中央銀行にマネーを大量に発行させる。このマネーで政府の借金を肩代わりしてやれば、政府は返済を心配せず、好きなだけ浪費できる。もしこれが永遠にうまくいけば、まるでおとぎ話に出てくる打出の小槌を手に入れたようなものだ。

けれども、そうは問屋が卸さない。たしかにマネーを増やせば、政府は一時、借金返済の圧力から逃れることができる。だが、それは長くは続かない。なぜなら、生産活動の裏付けがないままマネーの量を増やせば物価上昇を招き、マネーの価値は下がってしまうからだ。結局、財政の破綻から逃れられない。

スペイン帝国がたどった道は、まさにそれだった。ただし、スペイン帝国が手にしたと思った打出の小槌は、中央銀行ではなく、アメリカ大陸の銀山だった。

スペインは「大航海時代」を経て、新大陸と呼ばれたアメリカ大陸を中心に、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる広大な植民地帝国を築いた。1516年に即位したハプスグルク家のカルロス1世は、神聖ローマ皇帝にも選出された(神聖ローマ皇帝カール5世)。カルロス1世は、ネーデルランド(オランダ)やオーストリアなどの広大な領土を支配したが、欧州の支配権を巡ってフランスと戦争を続けたため、財政が悪化した。

カルロス1世の退位後、ハプスグルク家はスペインとオーストリアの両家に分かれた。スペイン王を継いで1556年に即位したフェリペ2世は、イスラム勢力に立ち向かい、1571年にはオスマン帝国の海軍をレパントの海戦で破って威信を高めた。また、宗教改革を起こしたプロテスタントに対抗するカトリックの盟主として、諸国の内政に盛んに干渉した。

これらの軍事費を支えたのが、新大陸で発見された銀である。

1545年、スペイン統治下にあった現在のボリビア領で世界最大級のポトシ銀山が発見された。スペイン人はポトシ銀山で現地人(インディオ)を強制労働させて銀を採掘した。

ポトシ銀山はアンデス山中の標高約4000メートルという高地にあり、そこにいるだけで高山病になってしまう。それに加え、採掘は劣悪な環境での過酷な労働だ。精錬に水銀が用いられるようになってからは、有毒な水銀の蒸気によって多大な犠牲者が出た。数百万人が死亡したと言われる。

ポトシ銀山など新大陸から産出する銀の量は、16世紀後半には世界で産出される銀の80〜90%近くを占めた。16世紀から17世紀半ばまでの160年間では、欧州の銀保有量の3倍に匹敵する銀がスペインに運ばれたと推定される。そして、スペインに搬入された銀の5分の1は、スペイン王の取り分となった。

フェリペ2世はこの膨大な富を利用して戦争を繰り返し、版図を広げた。そしていよいよ、反カトリックのエリザベス1世率いる英国を征服するため、無敵艦隊の建造に着手する。大型軍艦127隻と数百隻の輸送船からなる史上空前の大艦隊である。その建造のための木材伐採で、スペインの山が禿げてしまったという。

ところが無敵艦隊は1588年、英仏海峡で英海軍に対し屈辱的な敗北を喫する。スペイン艦隊は敗走の途中、英国北方で嵐に遭遇し、65隻もの船が遭難した。帰還できたのはわずか54隻という、惨憺たる結果だった。

これらの戦費は、前述のように新大陸からの銀で賄っていたのだが、実際にはそれでも不足し、フランドルやドイツ、ポルトガルの資産家や、スペインの商人、イタリアの銀行家など欧州中の投資家から多額の借り入れをしていた。

当時のスペインは、歳入の半分を借金で賄っていた。議会の承認が必要な税収に頼る必要がないため、国王にとってはとくに魅力的だった。

これは将来への教訓になった。米経済学者のグレン・ハバードとティム・ケインは「行政機関の長が国家として資金を借り入れる無制限の権限をもっていると、財政は現実には必ず混乱する」と指摘する(『なぜ大国は衰退するのか』)。

スペインは1550年代に最初の債務危機に陥る。当時王子だったフェリペ2世は父王に宛てた手紙で、財政赤字は米大陸の銀ではカバーできないと述べている。即位と同時に膨大な借金を受け継ぎ、翌1557年に最初の破産宣言をした。これを含め、在位中に3回の破産宣言を行なった。その後の国王の治世においても3回の破産を宣言した。

これほど頻繁に破産しておきながら、貸し手がいなくならなかったのは、スペインが大銀山を持っていたからだ。スペインの膨大な借金は、銀行業を営む欧州各地の名家が、銀は今後さらに増えるという約束と引き換えに貸し付けたものだった。

けれどもその銀の価値は、新大陸から欧州に持ち込まれる銀の量が増えるに従い、急速に落ちていった。つまり、急速な物価上昇(インフレ)をもたらした。

1500〜1550年にかけてほぼすべての商品の価格が2倍になり、1585年までにさらに50%上昇した。1585年に銀貨1枚で買える食料や衣服の数量は、1500年当時に比べて大幅に少なくなったのである。欧州ではそれまで300年にわたって物価が安定していたため、これは実に大きな変化だった。

フェリペ2世は、この物価高に困惑した。古代ローマ帝国と違い、貨幣を改鋳して品位を落としたわけではない。大量の銀を発見し、それを銀貨にしたのだから、本来は豊かになってよいはずだ。それなのに、なぜインフレが起きてしまうのか。なぜ国家破産に追い込まれてしまうのか。彼には理解できなかったに違いない。周囲にマネーの仕組みを理解した有能な助言者がいなかったからだ。

経済学者の野口悠紀雄氏は、こう説明する。マネーの増加は、貨幣改鋳によっても銀の増加によっても起きる。改鋳という邪悪な意図を持っているかどうかは関係ない。そして、経済全体の生産量が増えなければ、物価が上昇してしまう。「マネーが増加し生産量が増加しなければ、価格が上昇する」という事実は、貨幣数量説として定式化されている。

スペインは、発見した銀のおかげで借金が容易になり、王室の購買力は増えた。しかしフェリペは増大した購買力を、膨大な軍事費という非生産的な用途に充てた。その結果、スペインの山は禿げてしまい、産業が発展することはなかった。だからスペインは豊かになれなかった。

野口氏は「もしスペインが銀山を発見していなければ、無敵艦隊の建造などという無謀な試みには乗り出さなかっただろう。スペインは、無知によって衰退したのだ」と述べる(『マネーの魔術史』)。

マネーの魔術は、国家を衰退に追いやる恐ろしさを秘めている。

<参考文献>

  • グレン・ハバード、ティム・ケイン、久保恵美子訳『なぜ大国は衰退するのか 古代ローマから現代まで』日経ビジネス人文庫
  • 野口悠紀雄『マネーの魔術史 :支配者はなぜ「金融緩和」に魅せられるのか』新潮選書

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

>>経済で読み解く世界史

2021-01-01

金本位制という選択


1971年8月、ニクソン米大統領は金本位制の廃止(ドルと金の交換停止)を抜き打ちで発表した。ニクソン・ショックだ。その歴史的出来事から半世紀を迎える2021年は、世界の通貨制度にとって転機の年になるかもしれない。

2020年は世界的な株高となった。報道によると、世界の上場企業の株式時価総額は100兆ドル(約1京円)を超え、1年間で約15兆ドル増えた。支えとなったのは、新型コロナウイルスの経済影響を抑えるためとして世界の中央銀行がとった金融緩和策だ。主要9中銀の資産は9.7兆ドル膨らんだ。

しかし株価が高騰し、株を多く保有する富裕層を潤す一方で、人々の持つお金の価値は確実に薄まっている。

中央銀行が金融緩和でお金の量を増やすと、その分、1ドル、1円などお金一単位あたりの価値は薄まる。今はコロナの影響などで物価は下落気味だが、それでもお金の価値は実質薄まっている。もしお金の量を増やしていなければ、物価はもっと下がっていた(お金の価値が上がっていた)はずだからだ。

けれども今後、物価が上昇に転じれば、つまりインフレになれば、お金の価値は名目的にも薄まる。目に見える形でお金の価値が落ちるということだ。

政府・中央銀行は、小幅のインフレは経済にプラスだと根拠のない主張をしてきたが、都市封鎖や自粛要請で経済の足腰が衰えるなか、小幅でもインフレが起これば、国民の暮らしをじわじわと圧迫するだろう。インフレが事実上の税であることに、人々はようやく気づくことになる。

好き勝手にお金の量を増やせる今の通貨制度が続く限り、インフレの脅威はなくならない。経済にバブルをもたらし、政府債務を際限なく膨張させるといった弊害も消えない。

それに危機感を抱き、歯止めをかけようとする動きはある。米国の中央銀行である連邦準備理事会(FRB)理事に、金本位制復帰論者であるジュディ・シェルトン氏が指名されたことは、その象徴といえる。

金本位制は、政府・中央銀行が保有する金の量に応じてしか、お金の発行を認めない。有権者にばらまくお金を野放図に増やせない。だから五十年前、それを嫌ったニクソン政権は金本位制を廃止し、福祉や軍事予算の大盤振る舞いに道を開いた。日本など他の先進国もおおむね同じ道を歩み、今では政府の借金を高々と積み上げ、踏み倒す算段を巡らしている。

シェルトン氏を指名したトランプ大統領がホワイトハウスを去ることになり、彼女が理事になれるかどうかは微妙だ。けれどもそれが実現しなくても、バブルの破裂、財政危機の深刻化、インフレの発生といった痛みをきっかけに、今の通貨制度に対する反省機運が高まる可能性はある。

そのとき、金本位制は現実的な選択肢として再び輝きを増すだろう。米国はまだ金本位制の下にあった1950〜60年代にかけて戦後の繁栄を築き、それに先導されて世界経済も高度成長を成し遂げたのだから。

2020-12-31

仮想通貨の運命


代表的な暗号資産(仮想通貨)ビットコインが30日、過去最高値を更新した。アジア時間の取引で一時2万8600ドルに迫った。今年、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の中、ビットコインは4倍近くに値上がりした。機関投資家の間にビットコインを投資対象に組み入れる動きが広がっており、これがさらなる価格上昇への期待感を強めているようだ。

当初は得体の知れない存在として一部の個人投資家しか売買していなかった仮想通貨が、主流の機関投資家や大手企業からも市民権を獲得し、投資対象に加えられていけば、相場を一段と押し上げる可能性はある。しかしそれは一方で、仮想通貨の魅力を失わせるきっかけになるかもしれない。

仮想通貨が個人を引きつけてきた魅力の一つは、プライバシーの確保にある。ビットコインの場合、取引内容はすべて公開されているものの、取引を行った個人や組織は明らかにしていない。このためプライバシーが危うくなることは基本的にないとされる。その利点を生かし、税を逃れる手段にもなっているといわれる。

けれども大手の金融機関や企業にとって大切なのは、プライバシーよりもコンプライアンス(法令遵守)だ。税逃れなんてとんでもない。税務当局から見た「透明性」を高めるために仮想通貨への規制が強化されても、経営体力があるから対応できる。

遠からず、仮想通貨はもはや日陰者でなくなり、お天道様の下、健全な資産として大手を振って歩けるようになるだろう。しかし、その結果、本来持っていた魅力は失われていく。プライバシーは税務当局に対して事実上ないも同然となる。将来、仮想通貨に対する資産課税が導入されれば、政府はボタン一つで税率を引き上げることもできるかもしれない。

仮想通貨がこれまで魅力的だったのは、政府の目の届きにくい異端の存在だったからだ。しかし多くの楽観論者は、同時に政府公認の主流の存在にもなりうると信じているようだ。経済学者タイラー・コーエンはブルームバーグへの寄稿で「それは至難の技だ」と警告している。

2020-12-30

池田清彦『環境問題の噓 令和版』

科学は多数決で決まらない


著者 : 池田清彦
エムディエヌコーポレーション
発売日 : 2020-10-06

菅義偉首相は10月に行った所信表明演説で、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにする目標を掲げた。その方針の前提とされるのは「地球は温暖化しており、それは代表的な温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の増加による」という説だ。

この説はメディアを通じ、絶対に正しい「常識」として通用している。けれども、その「常識」はほんとうに正しいのか。本書は疑問を投げかける。

メディアでは最近、台風の勢力が強くなり、数も多くなり、被害も甚大になったのは温暖化のせいだと喧伝する。これに対し著者の池田清彦氏は「台風の数はこの半世紀を通じて微減傾向にあるし、勢力も1960年代や70年代のほうが強かった」と、気象庁のデータを示しながら反論する。

20世紀後半になって地球の温度が急激に上がったことを示す、ホッケースティック型の有名なグラフがある。米気象学者マイケル・マンが作成したもので、 温暖化CO2犯人説の有力な根拠の一つとされてきた。

ところが2019年8月、グラフはデタラメだと批判したカナダの元大学教授ティム・ボールをマンが名誉毀損で訴えた裁判で、マンは完全敗訴した。被告が求めた、マンがグラフを作成するために使用した原データを開示せよ、という請求を拒んだことが、敗訴の大きな理由だった。

池田氏はこの一件を紹介し、「もともと捏造したのだから、原データを開示できるわけがない」と述べたうえで、「この裁判も日本のマスコミ(少なくとも朝日新聞やNHK)は全く報じなかった」とメディアの姿勢を批判する。

温暖化そのものに関する池田氏の議論には、多数派から異論もあることだろう。しかし次の指摘は、間違いなく問題の本質を衝いている。

政治的な決定は多数決によって決まる。科学的事実は多数決によっては決まらないから、ここには必然的に齟齬が生じることになる。

そして「一度始めてしまった政策が、新たに判明した科学的事実に整合的でないことが分かったとしても、この政策はなかなか廃絶されない」。問題の根元には政治による科学の利用があることを、池田氏は見抜いている。

本書は、物々交換のすすめなど賛同できない主張もあるけれども、多数派の「常識」に流されないことの大切さを教えてくれる。

2020-12-29

官僚離れの解決法


若者の官僚離れが進んでいる。嘆くことはない。良い解決法がある。

記事によると、省庁の幹部候補である国家公務員総合職試験の申込者は2013年度は2万2248人いたが、20年度は過去半世紀で最低水準の1万6730人まで減少した。省庁を辞める官僚も急増しており、20代の総合職の職員の自己都合退職は、13年度の21人から19年度は87人に増えた。

国会や官邸への対応に伴う長時間勤務が、理由の筆頭に挙げられている。記事は「このままでは日本の行政機能が維持できないのではないか」と危機感を募らせる。

問題をなくすには、その原因を取り除けばよい。それもその場しのぎの対症療法ではなく、根本的な対策でなければならない。

公務員が長時間労働を強いられる根本の原因は、国会(立法府)や官邸(行政府)の業務、つまり政府の仕事が多すぎることにある。「日本の行政機能」がそもそも過大であり、維持できないのは当然なのだ。

仕事量の目安として、国の予算を見てみよう。2020年度当初予算のうち、歳出額の多くを占めるのは、社会保障関係費(34.9%)、公共事業関係費(6.7%)、文教及び科学振興費(5.4%)などだ。これらの仕事を思い切って減らせばいい。

乱暴に聞こえるかもしれないが、これらの仕事は政府がやる必要はないし、やらせないほうがいい。

社会保障のうちおもな業務は年金と医療だが、年金は年金財政の悪化や「消えた年金」問題で、政府は能力の限界が明らかだ。医療も以前からの医療費膨張に加え、今回のコロナ問題では欧米よりも感染者数が少ないのに医療崩壊寸前に追い込まれるなど、無能をさらけ出している。

公共事業は無駄な工事で自然を破壊し、保守管理を怠ってインフラ崩壊の危機を招いた。官営教育は学級崩壊や学力低下をもたらしている。

どの仕事も民間に任せたほうがいい。そうすれば政府の業務は大きく減り、公務員は今より仕事が楽になる。国民にも税負担軽減の恩恵があるだろう。一方、官僚をやめた人々は民間で力を発揮し、国民の幸福に貢献するだろう。それは彼らが官僚を目指した志にもかなうに違いない。

2020-12-28

グリーン戦略と灰色の未来


政府が2050年の温暖化ガス排出ゼロに向けた実行計画「グリーン成長戦略」をまとめた。菅義偉首相は記者会見で「成長の制約ではない。経済と環境の好循環を生み出す」と語ったという。もしその「好循環」とやらが実現するのなら、慶賀の至りだ。

けれども、とてもそうは思えない。

そもそも前提となる「温暖化二酸化炭素(CO2)犯人説」が正しいかどうかの検証が必要だが、今それをやる余裕はないので、かりに正しいとしよう。それでも、政府の計画には問題がある。

今回の計画の目玉の一つは、洋上風力発電だ。報道によると、今はほぼ手つかずだが、2040年までに一気に3000万~4500万キロワットを目指すという。漁業者や住民らとの調整も必要だが、最大の課題はコストだ。

政府の計画では、2030~35年に1キロワット時あたり8~9円と国際平均並みを目指す。海外では風力発電のコストは下がり続けているという話を聞く。ところが実態は違うらしい。キヤノングローバル戦略研究所の杉山大志研究主幹によると、欧州では実際には風力発電のコストは上昇しているという。

とくに洋上風力は陸上風力に比べて故障しやすく、信頼性が著しく低い。最近になるほど海岸から遠く、深い立地場所を余儀なくされ、コストが上昇している。2030年までに大量の洋上風力を新規に建設すれば、建設ラッシュで事業費用も急騰するだろうと杉山氏は記事で述べる。

今回の戦略で「キーテクノロジー」と位置づける水素も、コスト引き下げが課題だ。2050年には化石燃料に対して十分な競争力を持つ水準にするという。政府(経済産業省)の発表資料を見ると、水素産業の工程表に「導入支援」の文字がいくつも躍る。「支援」とは税金を投じるという意味だ。コスト引き下げのために一体いくらコストをかけるつもりだろう。

政府はコロナと戦うためと言って国民に自粛を迫り、失業や収入減を招いている。温暖化との戦いも国民にコストを強いることで、灰色の未来をもたらしかねない。

2020-12-27

日本中世、政府が通貨を発行しなくても困らなかった理由〜民間で製造、中国から輸入も

現代では、政府がそれぞれ独自の通貨を発行する「一国一通貨制度」が常識だと思われている。そうでなければ、お金の量をコントロールできず、経済は成長できないとも信じられている。


しかし、それは現代人の思い込みにすぎない。歴史をさかのぼれば、政府が自国の通貨を発行しないケースは珍しくなかった。

たとえば、18世紀にオーストリア政府が発行した、女帝マリア・テレジアの肖像を刻んだ銀貨は、本国ではとうに使われなくなった20世紀に至るまで、遠く離れたアフリカ・西アジアの特定地域で流通を続けた。この地域はオーストリアの植民地でも勢力範囲でもなく、むしろ英国やフランスの植民地ないしはその勢力下にあった(黒田明伸『貨幣システムの世界史』)。

さらに身近なところにも実例がある。日本の中世だ。

院政期・平氏政権期の12世紀半ばから戦国期の16世紀にかけての四百年近くにわたって、日本国内では渡来銭(宋や明が発行した銭貨)やそれを模倣した私鋳銭(中国や日本国内で宋・明銭を模して作られた貨幣)が、貨幣としての役割を担った。

古代の日本政府(朝廷)は、日本最古の流通貨幣とされる和同開珎以降、10世紀半ばまで皇朝十二銭と呼ばれる貨幣を鋳造し流通させたが、その後、鋳造された貨幣の利用は途絶えていた。それが再開するのは、中国貨幣の本格的な流入が始まる12世紀半ばである。

この時期に中国銭が流入した理由として、かつては、宋との間の交易で決済手段として宋銭が用いられたためと説明されることが多かった。しかし、同時期の宋との貿易は金や銀の地金で決済されていたようだ。また、中国大陸との民間貿易は894年の遣唐使中止以降も続いており、急に中国銭の国内使用が拡大した理由としては十分でない。

鎌倉大仏の原材料は宋銭?


経済学者の飯田泰之氏によると、現在ではむしろ貨幣以外での用途で日本に持ち込まれたと考える研究が注目されている(『日本史に学ぶマネーの論理』)。

たとえば、貿易船のバラスト(船を安定させるための重り)として持ち込まれたという説がある。日宋貿易における輸出品である金や硫黄に対し、おもな輸入品である陶磁器の比重は軽い。大陸からの帰途に船に陶磁器を満載しただけでは軽すぎて船が安定しないため、底荷として宋銭が用いられたという。

また、銭としてではなく、銅製品の原材料として輸入されたという説もある。鎌倉大仏の原材料は宋銭であると言われる。宋銭と鎌倉大仏はともに銅70%、鉛20%、スズ10%ほどの組成となっている。同者の類似は偶然とは考えにくい。

同時期の日本国内では、銅地金が金・銀やその他の商品に対して非常に高価になっていたとする指摘もある。その原因としては、国内銅山の枯渇や、仏教信仰の広がりによって仏像・仏具原料としての銅需要が増大したことなどが考えられるという。

船底に積む重りが必要だとしても、まったく無価値な物よりは、それ自体が日本国内で価値を持つ物を用いたほうが効率的だ。

現代の経済では、通貨が流通するためには、権力による強制や政府の負債としての性格を持つことが必要といわれる。しかし、中世日本の場合、初期の渡来銭は一定の重量の銅の持つ価値が裏付けになっていたと考えられる。そうだとすれば「権力による強制や政府負債としての役割なしに流通したことは不思議ではない」(飯田氏)。

これは日本だけの現象ではなかった。当時、中国銭貨やそれを模した貨幣の流通は、西日本から中国沿岸部を経て東南アジアへ至るシナ海を囲む、中華帝国の周辺社会に浸透していた。歴史学者の黒田明伸氏は、行政権力から乖離した、この緩い集合体を「環シナ海銭貨共同体」と名づける。

室町時代には、日中政府間の貿易である勘合貿易を通じ、銭が輸入された。しかし、輸入全体に占める量はさほど大きくなかった。むしろ中心は密貿易だったとみられる。

民間が貨幣を自律的に作り出す


日本国内で利用された銭は、中国からの輸入品だけではなく、民間で作られたものもあった。すでに触れたように、これらは中国の銭の模造であり、私鋳銭と呼ばれる。

民間が銭を模造したというと、通貨偽造だと眉をひそめる向きもあるだろう。けれども、これも現代人の感覚でしかない。歴史学者の高木久史氏はこう指摘する。「歴史をみると、政府やそれに準じる機関が貨幣を供給しないために民間が自律的につくりだす現象がしばしばある」(『撰銭とビタ一文の戦国史』)

15世紀以来、好都合にも日本で銅の産出が増え、銭の生産を促した。15世紀末から16世紀にかけて、室町幕府や大名など地方政府が定めた法は、「日本せに(銭)」「地銭」など日本産であることを意味する銭の名を記している。

室町幕府は銭を輸入したが、結果的に、自らは発行しなかった。その理由として有力な説は「必要がなかったから」というものだ。封建制度は臣下に地方支配を任せるので分権的であり、中央政府の行政費は相対的に小さい。国防も、地方に領地を持つ武士に実質的に委ねていた。

室町幕府自身の財政を補填するにしても、自ら銭を発行するのと、銅などを輸出して銭を輸入するのとであれば、後者の方が費用的に有利だったようだ。「だから、銭をつくる動機が働かなかった」と高木氏は推測する。

政府の通貨発行、再考のとき


中世の日本では、政府の統制に関係なく、人々がお金に関する秩序を自律的に作り上げた。それによって経済に支障が生じることもなかった。

前出の飯田氏によると、室町期の総生産(GDP)成長率は年平均0.33%、さらに戦国期に至っては0.48%と江戸期に匹敵する成長を遂げている。前近代社会に限定しての話ではあるが、これは他国と比較しても「明確な高度成長」である。

オーストリア出身の経済学者ハイエクは、政府に貨幣発行を独占させず、民間で自由に発行し、競争させようと唱えた。政府が貨幣を発行せず、輸入銭や私鋳銭が流通した中世日本の歴史は、ハイエクの提案が決して現実離れしたものではないことを示している。

現代の先進国は、政府が中央銀行を通じて大量の通貨を独占的に発行し、みずからの負債を事実上引き受けてきたことで、債務膨張と財政危機を招いている。現代人が常識だと信じている政府の通貨発行を、歴史に照らして再考してみるべきだろう。

<参考文献>
黒田明伸『貨幣システムの世界史』岩波現代文庫
飯田泰之『日本史に学ぶマネーの論理』PHP研究所
高木久史『撰銭とビタ一文の戦国史』(中世から近世へ)平凡社

2020-12-25

毎日がクリスマス

筑摩書房の公式ツイッターで、『ムーミン谷のクリスマス』を勧めていたのを見かけて、買ってしまった。「人間関係に戸惑っている人へのクリスマスプレゼント」におすすめらしい。自分で読むんだけどね。


ツイートに、良い文があった。「相手も自分も幸せになる、そんな視点にぜひ触れてみてください」

筑摩の人はもしかすると、「相手も自分も幸せになる」という表現に、プレゼントを贈ることによって相手も自分も幸せになる、という意味も込めているのかもしれない。そうだとすれば、買い手の心理にさりげなく訴える、心憎い文章術と言わねばならぬ。

ところで最近、「贈与」がちょっとした流行語になっている。何事もギブアンドテイクで割り切る冷たい市場経済と違い、贈与(贈り物)は一方的に与えるものだから、人間らしい温かみがある、といった議論でこの言葉をよく見かける。

けれどもこの議論は残念ながら、経済の仕組みをよく知らない人が考えたものだ。

自由な市場経済で、Aさんが千円を払ってBさんから本を買うとき、Aさんはその本に千円の価値があると思っているわけではない。もし本と千円の価値が等しいなら、わざわざ千円を手放して、それと同じ価値しかない本を手に入れる理由はない。

同じくBさんのほうも、もし本に千円の価値があるのなら、わざわざ本を手放して、それと同じ価値しかない千円を手に入れる理由はない。

二人の間で売買が成立するのは、Aさんは「本の価値は千円より大きい」と考え、Bさんは逆に「本の価値は千円より小さい」と考えるからだ。同じ物でもその価値は人によって異なり、だからこそ売買が発生するのだ。

ということは、売買が成立するとき、売り手と買い手はともに、自分が手放した価値よりも大きな価値を手に入れる。その差し引き分は言ってみれば、相手からの贈り物だ。

贈り物というと、多くの人はクリスマスや誕生日にしかあげないものだと思っている。けれども実際には、何でもない普通の日でも、ショッピングで品物を買ったり、仕事でお客さんに商品を売ったりするたびに、私たちは相手に価値という贈り物をしている。毎日がクリスマスのようなものだ。

ムーミン谷の仲間のように「相手も自分も幸せになる」ためには、特別なことをしなくてもいい。コンビニやアマゾンで買い物をするだけだっていい。そう考えれば、人間関係も少しは楽になるかもしれない。

2020-12-24

持続不可能な財政


最近、国連の音頭の下、持続可能性ということがやかましく叫ばれる。将来世代の暮らしを持続可能な形で改善するために、環境の保護、貧困・飢餓の撲滅、ジェンダー平等の実現などが必要だと訴える。

ところがそこでは、将来世代の暮らしにとって環境や平等に劣らず重要な、ある課題については決して触れない。財政だ。

報道によると、巨額の新型コロナウイルス対策で政府の借金が膨れ上がり、2021年の先進国の政府債務は国内総生産(GDP)比125%に達する見通し。リーマン危機直後(89%)はもちろん、戦費支出で世界の債務が急増した第2次世界大戦直後の1946年(124%)も超すという。

ちなみに日本は足元で266%と先進国中、断トツで最悪の水準にあるのはご存じのとおりだ。国の借金は一人当たり約900万円。

こんな風に書くと、一部の人から「国の借金は国民の資産だぞ」と怒られるかもしれない。理屈はそのとおりだ。うちには家族4人分、計3600万円の資産があるんだと無邪気に信じられれば、毎日を大船に乗ったような気分で過ごせるに違いない。

けれども、その資産が不良資産だったら目も当てられない。なになに、ちゃんと利息は払われるし、元本も返ってくるから大丈夫? それはよかった。でも、国はそのお金をどこから持ってくるの? まさか増税?

話題の現代貨幣理論(MMT)によると、国の借金を返すのに増税する必要はない。中央銀行が無からお金を作り出せばいい。でも、そんなことしたらインフレになるのでは? 「安心しろ、インフレになったら奥の手を出すから」「奥の手とは?」「増税」

要するに八方ふさがり。先進国の財政は持続不可能だ。とくに日本は、将来世代どころか現役世代ですら、巨大な財政破綻から逃れることはできないだろう。今さら回避するのは無理だとしても、せめて政府にこれ以上の浪費をやめさせ、「その日」の痛みを少しでも小さくしたい。

2020-12-23

AI批判のあさはかさ


人工知能(AI)の普及につれ、その「影の部分」が問題視されるようになってきた。AIによる差別だ。

ソニーは2021年春にも、AIを使うすべての製品について倫理面での安全性を審査するそうだ。不適切と判断された製品は基準に合うよう改善したり開発を止めたりするらしい。

このことを報じた記事では、ソニーが審査で具体的に何を「不適切」と判断するのかはわからないが、米アップルの事例が紹介されている。2019年、クレジットカードの与信限度額を決める同社製のアルゴリズムが、女性より男性を優遇しているとの指摘を受け、カードの運用会社を米金融当局が調査したという。

こうした「AIの倫理」に関する報道のパターンはいつも決まっている。差別は無条件で悪いという前提に立ち、差別を行うAIを断罪する。そのうえで、AIの欠陥を人間が正してやらなければならないと、上から目線で決めつける。

じつにわかりやすい。けれども、物事はそれほど単純ではない。

たとえば、モテる男の必須条件は「3高(高学歴・高身長・高収入)」といわれる。これはどう考えても、低学歴・低身長・低収入の男性に対する差別だ。3高には含まれないが、イケメンかどうかも重要な条件だろう。ブサメンに対する心ない差別だ。

もし大手結婚相談所がAIを駆使し、「3高」やイケメンの男性をひそかにおすすめする仕組みを導入したら、差別は無条件に悪いと信じるメディアや政府は当然、差別を助長するものとして廃止を求めなければならないだろう。

だが廃止されて困るのは、婚活で「3高」やイケメンを探したい女性たちだ。少子化対策として結婚を奨励する政府自身の方針にも逆行する。

このように書くと、「差別と好みは違う」「差別と区別は同じではない」などと反論されそうだ。しかし、差別と好み、差別と区別がどう違うのか、明確な根拠を見たことはない。

AIによる差別はけしからんと声高に批判するメディアや識者自身、差別とは何かについて深く考えているとは思えない。AIは「マッタク人間テヤツハ……」とあきれていることだろう。

2020-12-22

デジタル庁はいらない


政府が2021年9月のデジタル庁発足に向け、民間人材を4月に先行採用するらしい。非常勤の国家公務員とし、兼業やテレワークなど柔軟な働き方や待遇も認めるという。識者が「兼業など柔軟にするというのは良い方向性」「人材の利活用の観点でもプラス」などと歓迎のコメントをしている。

ここで身も蓋もない疑問を呈したい。デジタル庁って、そもそも必要なのだろうか。

冷静に振り返ってもらいたいのだが、農林水産省は日本の農林水産業を良くしただろうか。文部科学省は日本の教育を良くしただろうか。観光庁は「Go To トラベル」で混乱を招いているが、日本の観光を良くしただろうか。これら省庁の関係者でさえ、胸を張って「良くした」とはとても答えられないはずだ。

いやデジタル庁は違う、と言う人がいるかもしれない。デジタル庁のおもな目的は、政府自身のデジタル化推進だ。自分のことだから真剣にやるだろうし、国民も便利になるよ、と。

そうは思えない。理由は二つある。まず、農水省や文科省、観光庁など政府の省庁がなぜダメかを考えよう。それは本来の目的よりも、政治的なしがらみや都合を優先してしまうからだ。

農業を自由化すれば競争力が高まり、長い目でプラスなのに、選挙や利権の都合でそれができない。デジタル庁も同じように、政治的な思惑や利権で本来の目的がゆがめられたり、過大なコストがかかったりするのは目に見えている。

次に、行政のデジタル化って、国民にとって本当にプラスだろうか。役所の手続きが迅速になれば便利かもしれないが、そもそもの問題は、行政手続きが多すぎることにある。政府の仕事を断捨離し、行政手続きを大幅に減らせば、わざわざ税金を投じてデジタル化などする必要はない。

政府はデジタル政策の一環としてマイナンバーの普及を推進するそうだが、そうなるとプライバシーが脅かされる恐れもある。確定申告などしなくても、政府が勝手に銀行口座から税金や社会保険料、NHK受信料まで引き落としてくれれば、たしかに便利かもしれないが、暮らしが楽になるとはとても思えない。

いまさら言っても仕方ないかもしれないけれど、デジタル庁って、やっぱりいらない。

2020-12-21

ワクチン反対は悪くない


米製薬大手ファイザーの新型コロナウイルスワクチンに関し、ジャーナリストの池上彰氏がこんな趣旨のコメントをしている。「ワクチンなど打ちたくない」という「ワクチン恐怖症」の人が多数いる限り、国家としての集団免疫が獲得できない、と。

「ワクチン恐怖症」というのは池上氏自身の表現だが、これは池上氏にしては、うかつな言葉遣いだと言わざるをえない。

国語辞書によれば、「恐怖症」とは、「そう感じることが無意味であると思いながら、特定の事物や状況に対して強い不安や恐怖を感じる神経症」のことだ。けれども「ワクチンなど打ちたくない」という人は、「無意味であると思いながら」接種を拒んでいるわけではあるまい。

言うまでもなく、一番の懸念は副作用だ。通常のワクチンが開発着手から承認まで数年から十年はかかるのに対し、ファイザー製ワクチンは米国での接種開始までわずか十カ月。臨床試験で強いアレルギー反応も報告されたそうだし、今後、予測できなかった重篤な副作用が発生するのではと恐れる人がいても不思議ではない。

ワクチンを過剰に恐れているように見える人々を「恐怖症」だと切り捨てるのはたやすい。けれども、リスクをどれだけ大きく見積もるかは、結局のところ一人一人の主観による。リスクを冒すことに慎重な人には、その意思を尊重するのが自由社会の原則のはずだ。それを否定すれば、中国と変わらない。

そもそもの問題は、ワクチンの接種を含め、個人・民間で対応できる医療を、政府が福祉の名目で仕切ることにある。政府の他のあらゆる政策と同じく、政府の医療政策は画一的で、個人の都合や好みをほとんど無視する。従いたくない人が出るのは当然だろう。

ワクチンを恐れる人々は、医学知識に乏しいだけなのかもしれない。ワクチンを打つほうが結局は正解なのかもしれない。しかし少なくとも現時点では、その逆の可能性も否定できない。ワクチン反対派は、危険を知らせるカナリヤの役目を果たしてくれているかもしれないのだ。「恐怖症」などとレッテルを貼るのはよくない。

2020-12-20

高杉尚孝『論理的思考と交渉のスキル』

タフ・ネゴシエーターは優しい


交渉に従事する人の中には、交渉プロセスの本質を「いかに相手を欺いて、自分のみの利益を確保するか」と信じている向きもある。しかし、それは間違った思い込みだと著者は指摘する。良い交渉とは、「自分と相手方、双方の満足度が高まる交渉のこと」(第一章)という。


著者のこの指摘は、経済学の原理からも正しい。そもそも取引とは、互いに利益になるときしか成立しない。Aさんはリンゴを手放してオレンジを手に入れたいと思い、Bさんはオレンジを手放してリンゴを手に入れたいと思ったとき、初めて取引が成立し、双方がハッピーになる。

「弱肉強食の世の中で、双方の満足度を高めるなんて、単なる理想論だ」と思うかもしれない。それは違う。もし買い手がつねに騙されたと感じたら、売り手から離れていってしまうだろう。「うちにはどうせ一見客しか来ないから、長期的な視野などいらない」と考えても、悪い噂が流れて客足が途絶えるだろう。

だから「単なる理想論ではなく、実利的にも、双方の満足度を高めることを念頭においた交渉が求められるのです」(同)と著者は強調する。

そうだとすれば、優秀な交渉人(タフ・ネゴシエーター)に求められる資質も、一般に流布される「絶対に譲歩しない頑固なネゴシエーター」のイメージとは違ってくる。

頑固を通すことによって、もしかしたら相手が根負けし、短期的には得をするかもしれない。しかし譲歩した側は将来、何かしらの形で仕返ししてくる恐れがある。これは良い交渉ではない。

ネゴシエーターに求められる「タフさ」とは、「双方に全く譲歩の余地がないように思われる交渉においても、粘り強く考え続け、双方が歩み寄れる提案を搾り出す柔軟な思考力を意味するのです」と著者は述べる(第六章)。

探偵フィリップ・マーロウのせりふではないが、本当にタフな交渉人とは、相手の満足度を思いやる優しい人間なのだ。

「交渉が相手を欺いたり、根負けさせたりすることだとしたら、とても自分にはできない……」。そう悩む心優しい人を、この本は元気づけてくれる。

2020-12-19

ケルトン『財政赤字の神話』

経済を悪化させるMMT


最近話題の現代貨幣理論(MMT)によれば、政府の財政赤字はインフレをもたらさない限り問題ではない。したがって財政危機が叫ばれる米国でも日本でも、政府はインフレが脅威になるまでは財政支出をさらに拡大し、国民のために役立てることができるし、そうすべきだという。

しかし、一部の人々を熱狂させているこの主張は、正しくない。MMTの第一人者といわれる著者が持論を述べた本書に基づき、その理由を述べよう。

著者によれば、政府が支出を賄うためには、増税も借り入れもする必要はない。お金は中央銀行がコンピューターを使って銀行口座の預金を増やし、必要なだけ作り出すことができるからだ。この事実は正しい。けれども、何の問題も起こさないかといえば、そんなことはない。

著者自身が用いるバスケットボールの例(第一章)で考えるとわかりやすい。選手がスリーポイントラインの外側からシュートを決めれば、チームは3点を獲得する。このとき点をつけるスコアキーパーは、どこからも点を調達してくる必要はない。あたかも中央銀行が無からお金を作り出すように、単にスコアボードの数字を修正し、増やすだけだ。

著者はここでたとえ話を終える。しかしMMTの主張を正確に表現するには、これだけでは十分でない。

実際のバスケットボールでは、選手がゴールを決めない限り、スコアキーパーが点を増やすことはない。ところがMMTは、中央銀行が必要なだけお金を増やすことを認める。バスケットボールにたとえれば、スコアキーパーが「必要」と考えれば、いつでも点を増やせるようなものだ。

A高校とB高校が95対100で競っている試合で、もしスコアキーパーが「両チームに5点ずつ増やしてやろう」と思いつき、突然100対105にしたら、選手も観客も面食らい、戸惑うだろう。それでもこの場合、点差は5点のままだから、まだしも問題は小さい。

けれども、もしスコアキーパーが「A高校のチームには大物政治家の息子がいるから、10点増やしてやろう」と考え実行したら、105対100で逆転してしまう。これでは試合は滅茶苦茶だ。

そして現実の経済でも、中央銀行が無から生み出したお金は、社会の全員に平等に行き渡ることはない。政治的コネの強さにより、つねに不平等に分配される。

その事実は著者自身、こう認めている。「あらゆる財政赤字が幅広い国民の利益になるわけではない。財政赤字は毒にも薬にもなる。ほんのひと握りの層を富ませ、お金と権力のある人々の豪華ヨットを新たな高みに浮上させる一方、数百万人を置き去りにすることもある」(第四章)

そのうえで著者は、医療、教育、公共インフラなどへの投資を通じ、財政赤字を低所得層や中所得層に手厚く分配するよう求める。しかし、かりにそれが政治的に可能だとしても、経済に生じる問題は解決しない。

バスケットボールのたとえを思い出そう。スコアキーパーがA高校をひいきする理由が「大物政治家の息子がいるから」ではなく、たとえば「貧しい家庭の子供が多くてかわいそうだから」であっても、勝手に点を増やせば、試合が台無しになることに変わりはない。

試合がまともに成立するためには、その理由にかかわらず、スコアキーパーに勝手に点を増やさせてはならない。同様に、経済が正常に機能するためには、政府・中央銀行に勝手にお金を増やさせ、政治的理由によって分配させてはならない。

誰がどのような商品・サービスと引き換えに、どれくらいのお金を手に入れるのが経済的に適切かは、政府には判断できない。それを導くことができるのは、無数の人々が生産者、消費者として参加する自由な市場取引だけだ。

著者は「すべての国民に質の高い医療を提供する。すべての労働者に十分かつ適切な高等教育や職業教育を提供する。低炭素化ニーズに対応した質の高いインフラを整備する。あらゆる人に心地よい住居を確保する」(第八章)といった理想の経済を思い描く。

けれどもそれを実現するには、市場経済が十全に機能しなければならない。政府が金融と投資に介入すればするほど、市場経済の働きは妨げられ、その結果、消費者のニーズに応じた多様な医療、教育、インフラ、住居の供給は困難になる。

すでに日米政府は長期にわたる金融・投資への介入で市場機能を阻害し、バブルやそれに伴う格差拡大、庶民の生活水準低下といった弊害をもたらしている。MTTはそれに歯止めをかけるどころか、火に油を注ぎ、弊害を悪化させるだけだろう。

2020-12-18

民間オンライン教育の成長

コロナ下の米国では公立学校のリモート教育は不評だが、民間オンライン教育の多くは生徒数が増えている。マイテックハイは生徒数が昨年の2.5倍になり、8つの州で2万人近くが学ぶ。引っ越しの多い軍関係の家族に好評で、一貫性があり組み替えやすい教育課程が評価されている。

米国ではこの秋、少なくとも20の州で公立学校の生徒が減った。カリフォルニア州オレンジ郡では8000人、フロリダ州マイアミ・デイド郡では1万6000人が減少。コロナ期間中、家族はしだいに公立学校を避け、民間教育の選択肢を選びつつある。この傾向はコロナ後も続きそうだ。

米国ではコロナで公立学校が対面授業を停止する中、ホームスクーリング(在宅教育)が急増している。マサチューセッツ州では今年、7188人の生徒が公立校からホームスクーリングに移った。昨年はわずか802人だった。コロナ期間中、ホームスクーリングを選んだのは、低所得層の家庭が多い。

ケンブリッジ大学の最近の調査によると、英政府が強制したロックダウン(都市封鎖)は、子供のメンタルヘルスに重大な害を及ぼしている。7歳半から11歳半の子供168人を対象に調べたところ、子供のうつ症状は大幅に増えた。これは学校の一部・完全閉鎖などロックダウンと直接の関連がある。

2020-12-16

暴政を支持する人々

暴政はつねにその犠牲者から広く支持を得るから、人々の多くは自分の恐ろしい運命に気づかない。今日の衛生社会主義の暴政もそうだ。都市封鎖、マスク着用、学校閉鎖は多数の命を救うために必要と信じ、人々は従う。法の支配についてあら探しをしている場合ではないという。

すべての人を高齢者と同じくコロナ感染症にかかりやすいかのように扱う今のやり方は狂っている。その結果生じる集団ヒステリーも狂っている。もっと狂っているのは、集団ヒステリーに対応し野放しの独裁的権力を振るう行政府の高官たちを、多くの人々が信頼していることだ。

ロックダウン(都市封鎖)で救われたのは正味で一体何人の命なのか。その数が少なければ、政府の権限拡大は正当化できない。ロックダウンで救われた命の数は、収入減による自殺や病気・怪我、コロナ以外の医療の妨げなど、ロックダウンによって失われた命の数と比較しなければならない。

自由な個人主義は個人を孤立した利己主義者としかみなさないと批判される。しかし自由な個人主義から集団主義に向かうと、皮肉なことに、他者とのつながりや相互依存は薄れる。人々が政府とつながり、政府に依存するほど、人々は社会とのつながりや社会への依存を失っていく。

2020-12-14

失業増を招くもの

米国が賃金を上げ、失業を減らすには、ギリシャ、スペイン、フランスなどを真似してはいけない。これら欧州諸国の労働市場は非常に硬直的で、労働組合の介入が多く、そのため失業率が高い。欧州連合(EU)の失業率はかつて米国並みだったが、規制や重税のせいで今や2倍近くになった。

政府の消費者物価指数は石油や旅行の値下がり、技術の進歩で見かけ上、低く抑えられている。一方で医療、住宅、教育、保険、生鮮食品のコスト上昇は名目賃金や公式物価統計より大きい。コロナで需要の増えた衣食住関連の比重を高めると、物価上昇は公式統計の2倍以上になる。

政治家は公共医療と政府支出がコロナ危機の解決策だと言うが、事実に反する。ベルギーは世界で最も政府支出比率の高い国の一つだが、百万人当たりの死者は米国より36%多い。一方、韓国は政府規模と1人当たり医療支出が小さいが、5180万人の国民のうち死者は457人にとどまる。

持続可能な経済は、政府に押しつけてもらう必要はない。今この瞬間も競争と技術によって実現しつつある。政府に市民の自由、貯蓄、実質賃金を奪わせてはならない。消費者はすでに企業に対し、持続可能性や環境に配慮した経営を行わせている。これは政府の介入より優れている。

2020-12-13

貿易禁止が生んだ密貿易集団「倭寇」〜アジアにネットワーク、鉄砲伝来にも一役

「商品が国境を越えなければ、兵士が越える」という西洋の格言がある。19世紀フランスのエコノミスト、フレデリック・バスティアの言葉ともいわれるが、実際は出所不明のようだ。いずれにせよ、その意味は重い。「貿易を禁じれば、国家間の対立が強まり、戦争になる」というのだから。


この格言を思わせる現象が、日本の戦国時代、東アジアの海に出現した。倭寇(わこう)である。

倭寇とは14世紀から16世紀にかけて、朝鮮・中国沿岸で密貿易を行ったり、物や人を略奪したりした武装集団を指す。活動の時期によって前期と後期に分かれる。

多種多様な民族構成


日本の南北朝動乱のさなかに現れた前期倭寇は、壱岐・対馬・北九州地域を根拠地に、おもに朝鮮半島で活動した。これに対し、戦国時代に出現した後期倭寇は、構成メンバーや活動地域がかなり異なっていた。

後期倭寇は圧倒的多数を占める中国人を核に、日本人や東南アジアの人々、さらにはアジアに進出してきたポルトガルをはじめとする欧州勢力を含む、多種多様な民族が加わり、中国南部で密貿易を行った。出現の背景となったのは、海禁政策と呼ばれる明の貿易規制である。

モンゴル族が支配する元と対抗するなかで成立した明は、漢族の文化を再興しようとした。その一環として農業の重視を打ち出す一方で、商業は邪魔だと考え、民間商人の私的な海外渡航と貿易を禁止した。これが海禁政策である。

しかし、自由な海外貿易を志向する広東、福建、浙江省など中国沿岸部の商人たちは、官憲の目を盗んで密貿易に手を染めるようになる。商品流通経済がかなり進んだ段階で、貿易規制を強行することは、初めから無理なことだった。

経済史学者の川戸貴史氏は「明の海禁政策による自由貿易の制限が、ハイリスク・ハイリターンを求める密貿易集団たる倭寇を生み出すことになった」(『戦国大名の経済学』)と指摘する。

取り締まり強化で凶暴化


後期倭寇は東アジア海域に独自の航路を開拓し、各地の貿易港を結ぶ密貿易のネットワークを築いていった。中国、日本、東南アジア諸国を包含するそのネットワークから膨大な利益を獲得した。彼らは国家や民族の「境界域」に生きる存在であり、「複数の地域、国家、民族を結びつけることで、活動した空間に繁栄をもたらした」と歴史学者の村井章介氏は述べる(『分裂から天下統一へ』)。

もちろん倭寇には平和な商取引の側面だけではなく、暴力の側面もあった。もともと密貿易は海上に船を出して平和的に行われたが、明政府はこれを犯罪として厳しく取り締まったため、密貿易者のほうもそれに抵抗して武装集団を結成するようになる。取り締まりが強化されるにつれて、かえって凶暴化していった。

こうして倭寇は、条件次第では殺戮をなりわいとし地域に惨害をもたらす海賊集団にもなった。したがって、「自由貿易を求めた新興商人」として手放しには評価できない。けれども凶暴化の背景には、貿易の禁止という理不尽な政策があったことを忘れてはならない。

後期倭寇の頭目の一人に、王直という人物がいる。商業の盛んな徽州(きしゅう)の出身。早くから任侠の徒に交わり、密貿易で巨万の富を築くが、1548年、拠点としていた双嶼(そうしょ、リャンポー)の密貿易基地が明の官憲によって壊滅し、難を逃れて日本の五島列島に本拠を移す。

やがて王直は、海の豪族である平戸藩主・松浦隆信の勧めを受け入れ、博多に近くて便がよい平戸島に二千人の部下を従え移住した。平戸湾を見下ろす地に唐風の豪華な居館を建て、王者さながらの生活を送り、つねに贅沢な緞子(どんす)を身につけていたという。

王直は博多や薩摩の日本人と密接な連絡をとっていたばかりでなく、大内義隆、大友宗麟などの有力大名とも交渉があった。三百人を乗せる大船で明の各地と交易し、平戸は密貿易の新拠点になっていく。日本やアジアの商人が集まったほか、のちにポルトガル船、英国船も入港する。

ポルトガル人を乗せた密貿易船


話はややさかのぼる。ポルトガル人を乗せた船が九州南方の種子島に漂着し、鉄砲を伝えたのは1543年とされるが、1542年などとする説もある。いずれにしても、この船はポルトガルの船ではなく、王直の所有するジャンク船だった。この密貿易船には百余人が乗り込み、王直自身もその中にいた。

王直が村役人と浜の砂で筆談したところでは、船客は「西南蛮種」(東南アジア方面から来た異人種)で、貿易のために来たという。その中の二人の長が鉄砲を持っていた。彼らが火薬と鉛弾を中に詰めて発射してみせると、光と雷のような轟音を発し、どんな的でも命中した。そこで領主の種子島時尭は大金を出して二挺を買い取った。よく知られる鉄砲伝来の経緯である。

その後、鉄砲は日本国内で製造されて急速に普及し、戦国時代の戦い方を一変させていく。日本の歴史に転機をもたらした鉄砲伝来は、倭寇の密貿易ネットワークによって可能になった。

のちに王直は、郷里の母と妻子を人質に取った明政府に投降し、殺された。2001年、五島列島の福江市(当時)の商工会議所が安徽省にある王直の荒れ果てた墓を整備し、日中友好の先駆者として顕彰碑を建てた。ところが2005年、南京師範大学の教員ら二名が墓碑の王直の名と顕彰碑の一部を削り取るという出来事があった。

保護主義への教訓


教師は、王直は日本の武士、商人と結託して、中国の沿海を荒らし回った漢奸(売国奴)であるからと自己の行為を説明し、中国のネットなどではそうした行為が愛国的として評価されたという。

歴史学者の宮崎正勝氏はこの出来事に触れつつ、倭寇についてこう述べる。

国法に反する「密貿易商人」というとらえ方は、東アジア交易の成長を歴史の前進とみなす歴史評価とは異なる見方であり、「倭寇」という呼称にも権力に抗する者はすべて「賊」と見なすという体制的な歴史観が投影されている。(『「海国」日本の歴史』)

ついに明政府は、弾圧では倭寇を抑えきれないことを悟り、1567年、二百年にわたって実施してきた海禁政策を放棄する。倭寇の元凶とされた日本を除き、海外への出航と貿易を許したのである。これにより、倭寇は終息する。

利益追求の平和的な手段である貿易を禁じれば、暴力的な手段である略奪や戦争をもたらす。倭寇の歴史は、保護主義に傾く現代の世界に教訓を投げかける。

<参考文献>
  • 村井章介『分裂から天下統一へ』(シリーズ日本中世史)岩波新書
  • 村井章介『なぜ、大航海時代に戦国の世は統一されたのか 富と野望の外交戦略』 (NHKさかのぼり日本史 外交篇)NHK出版
  • 川戸貴史『戦国大名の経済学』講談社現代新書
  • 田中健夫『倭寇―海の歴史』講談社学術文庫
  • 池上裕子『戦国の群像』(日本の歴史)集英社
  • 岡田英弘他『紫禁城の栄光―明・清全史』講談社学術文庫
  • 宮崎正勝『「海国」日本の歴史: 世界の海から見る日本』原書房

2020-12-11

コロナ対策のお粗末

総額2兆ドル超のコロナウイルス支援・救済・経済安全保障法(CARES法)で、1人1200ドルの小切手が多くの米国民に送られるはずだった。しかし政府が古い納税者情報を利用したため、小切手は収入減に本当に苦しむ人に届かなかったり、死亡した人に届いたりしている。米国に住んでもいないスウェーデンの市民にまで届いた。

米カリフォルニア州ではコロナ対応で拡大した失業手当を狙った詐欺で、20億ドル以上を騙し取られた。手当を受け取るためのデビットカードを同じ住所に複数枚(数百枚の場合も)送ったケースが多数。働いているとは思えない幼児や百歳以上などの高齢者にも失業手当が払われた。

ロサンゼルス市はコロナ再拡大を受け、外出制限令を出した。ところが多くの例外があり、それらに一貫性がなく、混乱に拍車をかけている。美容室やショッピングモールは営業を続けていいのに、遊園地は休業。保育所やデイキャンプはOKでも、公立・私立学校での対面授業はダメ。

ロックダウン(都市封鎖)や日常生活の規制が再び広がるなか、米国民のメンタルヘルスはすでに過去20年で最悪となっている。ギャラップ調査によると、精神状態が「きわめて良好」と答えたのは34%で、2019年より9ポイント低下。「良好」または「きわめて良好」は85%から76%に低下した。

2020-12-09

中央銀行デジタル通貨の脅威

中国式の社会信用評価システムと中央銀行デジタル通貨(CBDC)が組み合わさるとどうなるか。ウィキリークスのような「悪い」非営利組織に寄付をすると、電車の切符を買えなくなるかもしれない。アダルトグッズを買うと評点が下がり、政府の仕事をもらえなくなるかもしれない。

人々がビットコインなどの暗号通貨を保有するのは、中央銀行デジタル通貨(CBDC)の代替手段としてではない。マイナス金利を押しつけられたり、不換紙幣の価値が下落したりするリスクを避けるためだ。CBDCの導入はそれらのリスクを和らげるどころか、むしろ高めてしまう。

中央銀行デジタル通貨(CBDC)が導入されると、経済は金融緩和という麻薬にますます中毒しやすくなる。経済危機のたびに薬を打たれ、中毒は治りにくくなる。ジンバブエやベネズエラほどではなくても、健康ではなくなる。日銀がもたらした日本の失われた30年を見ればわかる。

金や銀を通貨として使うのを妨げている要因の一つは、政府の税だ。しかし変化は起こりつつある。テキサス、アリゾナ、ユタ、ワイオミングなど米国のかなりの州では、貴金属に対する売上税やキャピタルゲイン課税を廃止し、代替通貨としてドルと対等に競争させる条件を整えた。

2020-12-07

黒人社会と政治

米国の黒人が直面する諸問題への解決策は、黒人社会の中にしかない。政治は解決にならない。フィラデルフィア、デトロイト、ボルチモア、シカゴ、ワシントン、ニューオーリンズなどで黒人は政治的に高い地位にあるが、これらの都市の教育水準、犯罪率、家庭崩壊は全米最悪だ。

黒人住民の多い米メリーランド州ボルチモア市での調査によれば、同市の3804人の高校生のうち、数学に習熟しているのはわずか14人だった。19世紀末から20世紀半ばは、今より黒人は貧しく、差別も激しかったが、サーグッド・マーシャル最高裁判事ら優れた人物を輩出していた。

米天文学協会の会員のうち82%は白人で、黒人は2%しかいない。物理学の学士号を得る黒人は3%だけだ。科学分野に黒人が少ないのは人種差別とは関係がない。原因は学力だ。高校を卒業しても数学の最低限の習熟度にも達していなければ、理系の高報酬のキャリアに進むのは難しい。

人は情報を得るのにかかるコストを節約しようとする。ドアを開けて虎がいたら、急いで逃げる。その虎に関する詳しい情報に基づいてではない。虎は凶暴だと決めてかかっている。人も同じだ。黒人や女性というたやすく得られる情報は、一部の人にとっては意思決定に十分なのだ。

2020-12-06

インカ帝国はなぜ滅びたか

国際的な考古学者のチームはこのほど、南米ボリビアとペルーにまたがるチチカカ湖で水中調査を行い、500年以上前に沈められた石箱を発見した。ナショナルジオグラフィックの記事によると、箱には、インカ帝国の貴族が腕にはめたブレスレットとみられる金の円筒などが入っていた。


インカ帝国はペルー南部のクスコを中心に、15世紀から栄えた国だ。全土に道路網と宿駅制度を設けてコロンビアからチリ中部に及ぶ広大な地域を支配し、各地に巨大な石造の神殿や要塞を建設した。皇帝は太陽の子とみなされ、絶大な宗教的権力を振るった。

インカ帝国はしかし、スペイン人の侵略によりあっという間に滅びてしまう。1532年11月16日、スペインの征服者ピサロはペルー北部の高地カハマルカの戦いで、インカの皇帝アタワルパを捕らえる。アタワルパがピサロに処刑され、帝国が滅亡したのは8カ月後のことだ。

栄華を極めた帝国がなぜ、もろくも崩れ去ってしまったのだろうか。

2020-12-05

不屆きな會員

本協議會〔國語問題協議會〕の設立に盡力された福田恆存氏の『私の國語教室』を初めて讀んだのは、高校生の頃だつたと思ふ。理路整然とした漢字制限批判・現代假名遣批判に感銘を受けた。大學を卒業し、新聞記者になつた頃、福田氏に師事した英文學者・評論家、松原正先生(故人)の熱心な讀者になつた。けれどもこの頃はまだ、自分が正漢字・正かなで文章を書いてみようといふ氣はなかつたし、その機會も手段もなかつた。

その機會と手段を整へてくれたのは、インターネットの普及である。仕事で海外赴任中だつた二〇〇〇(平成十二)年、「地獄の箴言」といふホームページを手作りで開設し、正假名遣ひと技術的に可能な限りの正漢字で、國語問題や文化、思想を題材にエッセイを書き始めた。ちなみに「地獄の箴言」といふタイトルは、松原先生の著作で知つた英國の詩人、ウィリアム・ブレイクの作品から取つてゐる。

その後、松原先生と親しく接する機會をいただき、その御縁で、本協議會に入れていただいた。協議會の初代理事長が勤務先の大先輩、小汀利得氏だつたことにも何か縁を感じた。協議會では會員の皆樣と樂しく交流し、ホームページやブログ開設のお手傳ひもできた。

二〇一〇(平成二十二)年、新たに「自由の騎士が行く」(今は「自由主義通信」に改稱)といふブログをこれも正字・正かなで始めた。以前から共感を抱いてゐたリバタリアニズムの思想を前面に押し出したものだ。

リバタリアニズムは「自由至上主義」などと譯されるが、要するに民間の活動に政府が介入することを極力退けようとする考へである。ここでは詳しく述べないけれども、昨年、慶應義塾大學教授の渡邊靖氏が『リバタリアニズム――アメリカを搖るがす自由至上主義』(中公新書)といふ本を出してゐるので、興味のある方は讀んでほしい。

國語問題も、元をただせば、民間の文字表記に對する政府の要らざる介入から起こつたものだ。

さて、それでは私は今現在、ブログを正字・正かなで書いてゐるかといふと、恥づかしながらさうではなく、途中から新字・新かなに切り替へた。これについて申し開きをしておきたい。

最大の理由は、檢索されにくいことだ。ネット上に公開した文章を多くの人に讀んでもらふためには、グーグルをはじめとする檢索エンジンで探しやすくなつてゐる必要がある。殘念ながら正字・正かなではその可能性が小さくなつてしまふ。加へて、正字・正かなを見ただけで拒絶反應を示す讀者の存在も、考慮せざるをえない。

また、ブログで書いた文章を本にしたい氣持ちが強まり、電子書籍化したことがあるのだが、表記を新字・新かなに變換する際に變換ミスが多發した。このときは自費出版だつたが、運よく商業出版できさうな場合、表記の變更は必至で、變換ミスを修正する手間は馬鹿にならない。その後どこからも出版の話は來てゐないのだが、これもブログで正字・正かな表記をやめるきつかけになつた。

最近、『三浦老人昔話』など岡本綺堂のいくつかの作品が中公文庫から正かなで出版されてゐる。すばらしい試みだと思ふ。けれども綺堂と違つて無名ライターの私の場合、正かなで出版させてくれる殊勝(無謀?)な版元が現れるとは考へにくい。

そんなわけで、今のブログ「自由主義通信」は志に反し、新字・新かなで書き連ねてゐる次第である。せめてもの罪滅ぼしに、自己紹介欄だけは以下の内容を正字・正かなで書いてゐる。

「木村貴(きむら・たかし) 一九六四年熊本縣生まれ。新聞社勤務のかたはら、歐米の自由主義的な經濟學や政治思想を獨學。經濟、政治、歴史、文化などをテーマに個人で著作活動を行ふ。現在、關聯會社勤務」

最近は協議會の催しもさぼつてばかり。まことに不屆きな會員ではありますが、今後ともどうぞよろしくお願ひいたします。

(國語問題協議會會報「國語國字」第二一四號に寄稿。ブログの自己紹介は現在一部變更)

2020-12-04

社会主義の不合理

オーストリアの経済学者ミーゼスは1920年の論文で社会主義が本来不合理であることを示した。社会主義者で経済思想史が専門のロバート・ハイルブローナーはベストセラー『世俗の思想家たち』でミーゼスを無視。だが1990年、ソ連崩壊に直面し「ミーゼスは正しかった」と認めた。

マルクスにとって分業とは諸悪の根源だった。人を仲違いさせ、階級格差を生み、人類の団結を破壊する。しかし実際には分業は、人に集団的な画一性を強いることなく、社会の統合を促す。人や地域には違いがあることを認め、人間の根源的な条件を直視して最善の解決法を探る。

インターネットの発達とともに、社会の変化はボトムアップで起きつつある。この事実はアダム・スミスの市場経済思想に合致し、エドマンド・バークの反革命思想にも通じる。国民国家の命脈が尽きるとともに、トップダウンの革命という大いなる実験は終わりを迎えるだろう。

もし政府が国債の元利保証をしなければ、人は国債を買うはずだったお金を消費に使うか、生産に回すかのどちらかだろう。なぜこれら二つの選択肢は、政府の官僚にお金を使わせるよりも、経済にとって悪いことだと言えるのか。ケインズ経済学はこの問いに答えることができない。

2020-12-03

危機をもたらしたもの


「コロナ危機」という言葉を毎日のように各種報道で目にする。しかし正確には、その多くは「コロナ対策がもたらした危機」のはずだ。

日本経済新聞の連載記事「コロナと資本主義」は、ベーシックインカム(最低所得保障)制度を取り上げ、世界の動きについてこう書く。「コロナ危機で若者や非正規雇用など経済的な弱者が深刻な痛手を被り、新たなセーフティーネット(安全網)として導入を模索する動きが相次ぐ」(太字は引用者)

この「コロナ危機」も、正確には「コロナ対策がもたらした危機」のはずだ。コロナ対策のやり方は国によって異なるが、欧米などで中央・地方政府によるロックダウン(都市封鎖)の強制が経済に深刻な打撃を与え、そのあおりで経済弱者が解雇や失業の憂き目を見ている。

日本では建前上、強制力のある措置は採られていない。営業時間の短縮やイベント開催の自粛を都道府県知事が事業者に「要請」し、従わない場合は「指示」できるにとどまり、指示に罰則はない。それでも公権力を背景とした指示は、事実上の強制力を持つと言える。

「コロナ危機」以外にも、メディアが「コロナ対策の影響」とはっきり言うべきところを「コロナの影響」としか言わないのは、単に文字数の節約のためだけとは思えない。コロナ対策が経済に打撃を与え、経済弱者を苦しめているとしたら、当然、政府の責任を問い、対策の見直しや中止を求めるのが筋だ。しかしそれは、政府のコロナ対策を基本的に支持するメディアの立場に反し、都合が悪い。

政府自身の政策が危機を引き起こしているのであれば、ベーシックインカムなど新たな政策を持ち出す前に、効果に疑問のあるコロナ対策そのものをまず見直すべきだろう。

2020-12-02

マスク着用という儀式

病原菌の多くは目に見えず、謎めいているため、歴史上、伝染病の予防は儀式的な振る舞いに頼ってきた。同意しない者は他人の健康まで脅かすとされた。現代でも、公の場でのマスク着用は自他をコロナ感染から守る証拠がないにもかかわらず、団結の名の下に支持されている。

政府のコロナ感染症対策で人の命が救われるとき、必ずその引き換えに、経済・社会への悪影響などで犠牲になる人がいる。これでは「公共善(common good)」の促進とは言えない。公共善とはその名のとおり、国民全員に共通の(common)善でなければならないからだ。

人間生活の社会的側面はそれなしで済む贅沢品ではなく、人間生活そのものだ。休日の家族での食事、教会での礼拝、結婚式はもちろん、日常のありふれた付き合いでもそうだ。人がコロナ禍を乗り切る方法は自由でなければならない。自分しか知らない身近な情報はその武器になる。

フランスは欧州で最も厳しいロックダウン(都市封鎖)を長く続けているにもかかわらず、コロナによる百万人あたりの死者数は急増している。チェコも同様で、世界でも最も速いペースで死者が増えている。他の東欧諸国も同じく死者が増えているが、ロックダウンはチェコほど厳しくない。