経済史家、クリス・カルトン
(2018年9月15日)
保守派の間で、ロナルド・レーガン(元米大統領)は神格化されている。多くのリバタリアン(自由主義者)の間でさえ、レーガンは最も偉大な大統領の一人だとみなされている。
Reagan's rhetoric on freedom and free markets was excellent. The policies he supported as president weren't nearly as great. | Chris Caltonhttps://t.co/kzyAg8TlM1
— Mises Institute (@mises) September 25, 2018
レーガンがロマンチックに語られる理由は、理解しがたい。しかしロナルド・レーガンは、保守とリバタリアンの問題に関する気の利いた言い回しでは最高なものがあり、おそらくそれが魅力の理由なのだろう。しかし大統領としてのレーガンの政策を見ると、保守派、そしてとくにリバタリアンが反対するものをすべて代弁しているように思える。言葉と政策を比べてみよう。
レーガンはある一般教書演説で、連邦政府の財政赤字を激しく非難した。そこで述べた警句が、「カネを使って金持ちにはなれない」というものだ。この言葉は、保守派やリバタリアンの間でよく引用されるフレーズの一つである。
民主党は偽善的にも、レーガン政権下で行われた大規模な歳出増を指摘するのが大好きだ。しかし、たとえそれが間違った理由からであったとしても、民主党のその観察は正しい。レーガンはカネを使って米国人を金持ちにしようとはしていなかったかもしれないが、たしかに支出はしていた。
1982〜1989年度(レーガンが予算に署名したとみられる年度)に、連邦政府の支出は60%以上増加し、1兆1790億ドルから1兆9040億ドルになった。
その言い訳としてよく言われるのが、冷戦の軍拡競争である。かりにこれを連邦赤字急増のもっともな理由として受け入れても(一方で前任大統領たちの同じ行為を非難するのは偽善だが)、軍事費の増加は全体の増加の一部を占めるにすぎない。
教育への支出は、教育省の廃止というレーガンの果たせなかった選挙公約にもかかわらず、68%も増えた。医療費は71%増だ。レーガンは政府補助金やその他無数の種類の国内支出も増やした。
ここでよくある言い訳は、軍事費大幅増の「必要性」を受け入れた(国防総省という財政のブラックホールに対し予算削減を提案しようものなら、共和党は選挙に負けるという破壊的な前例を作った)後に、それと引き換えに国内支出で妥協を強いたのは民主党の支配する議会だ、というものだ。
たとえそれがいくばくかは真実だとしても(たしかにそうだろうが)、それは保守の原則に多くの妥協を許し、レーガンの連邦赤字に関する偽善を広めることに言い訳をしているだけだ。その言い訳は、レーガン派がよく口にする、レーガンの軍事支出はソ連を崩壊させる戦略であって、社会主義の支出論理(政府機関、この場合は軍隊に金をつぎ込む)をそっくり真似たのだという称賛に触れもしない。それはほとんどジョージ・W・ブッシュ(元米大統領)の仰天するような発言、「自由市場の制度を守るために自由市場の主義を捨てた」の前触れにしか見えない。
しかし、レーガンは政府支出に関してどんな欠点があったにせよ、減税でそれを補ったはずだ、という反論がある。
この主張は、保守派によってさらに神話化されているようだ。保守派はレーガン時代の支出については言い訳をするが、レーガンの税制についてはまったくの誤りを信じがちである。
レーガンは就任1年目の(1981年)8月、経済回復税法に署名している。これはレーガンの遺産の中で、実際に支持できるものである。所得税の適正税率は0%だというロン・ポール(元米連邦下院議員)の意見には賛成だが、経済学者ミルトン・フリードマンの言葉を借りれば、いついかなる理由であれ減税を支持したい。この法案はそれを実現した。
保守派が忘れがちなのは、レーガンの他の税制法案である。その翌年、レーガンは「税制公平・財政責任法(TEFRA)」に署名した。この法律により、多くの税金が引き上げられ、またある種の控除も廃止された。ここで留意すべきは、保守派は「民主党支配の議会」のような言い訳はできないということである。この法案の増税は、上院がまだ共和党に支配されていたときに上院の修正で追加された。この事実は、レーガンが10年後に全米不動産協会で語った「1兆ドルの負債があるのは課税が足りないからではない。支出が多すぎるからだ」という別の有名な警句に真っ向から対立する。
まだ共和党が優勢だった1982年、レーガンはトラック業界とガソリンへの増税も行い、それはむしろ32万人の雇用を生む経済刺激策だと言った。この種の税と支出の政策は、ケインズ(介入主義を唱える経済学者)の作戦帳からそのまま出てきたものだが、保守派は偉大なオーストリア学派の経済学者を読んだレーガンの言葉を思い出したいのだ。「いつもむさぼるように読んでいるよ。——ミーゼスやハイエク、バスティアの経済論を読んだ」。読んだかもしれない。ミーゼス研究所には、『ヒューマン・アクション』(ミーゼスの主著)を送ってくれたマルギット・フォン・ミーゼス(ミーゼスの妻)宛のレーガン大統領の感謝状もある。だがレーガンがそれらの本を読んだとしても、無視したと思われる。
同様に、翌年の給与税(日本の社会保険料)引き上げも、レーガンに強制されたものではない。むしろレーガンが要求したのである。1984年の赤字削減法も可決したが、これも増税によって赤字を減らそうという矛盾した試みであった。
1981年の減税と並んで、保守派はレーガンの1986年の税制改革法案を高く評価しがちだ。よく称賛される法律で、個人所得の最高限界税率を50%から28%に引き下げた。しかしこの法案は減税というより、納税義務の再編成であった。個人所得税の引き下げに加え、多額の税額控除を廃止し(これ自体が事実上の増税)、退職金に関する制限を強化した。また代替ミニマム税(AMT。節税対策で導入された制度)の基準を拡大し、税負担の傘を広げて多くの中産階級の納税者に影響を与えた。
保守主義、そしてとくにリバタリアニズムが、多額の支出と課税に反対する思想だと主張する限り、レーガンはありえない英雄のように思われる。いわゆる「レーガン共和党」がこれらの問題について口にする言い訳は、根拠に乏しく誤った情報でしかない。レーガンはその言葉と行動を比較すると、他の政治家と何ら変わりはなく、明らかな偽善者に見える。
(次より抄訳)
Romanticizing Reagan | Mises Wire [LINK]
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