2022-10-20

史上最悪の経済予測とその教訓

経済学者、ウォルター・ブロック
(2022年10月14日)

経済学者は、自分にユーモアのセンスがあると示すために、経済事象の将来の成り行きを予測する。もしそれが正確にできれば、経済学者は皆、大金持ちになっているはずだ。しかし実際にはなっていない。快適ではあるが、すばらしく金持ちではない(陰鬱な科学=経済学=を楽しんではいる)。

なぜ未来を予測できないのか。なぜなら世界は複雑であり、何百万ものことが同時に起こっているからだ。例えば、もし他に何も変化がなく、政府が通貨供給量を増やせば、必ず物価が上昇することはわかっている。しかし、それが経済における唯一の変化だという「他のすべてが一定」の仮定は、実際には起こらない。人々は万一の場合に備えて買い控えをするかもしれない。そうであれば、同じ量の商品・サービスの購入に向かうお金が増えることで物価上昇を誘発する傾向は、いくらか緩和されるだろう。

どの程度緩和されるか。それは買い控えがどの程度進むかによるが、その点について、未来を見通す水晶玉はない。米連邦準備理事会(FRB)や中央銀行が通貨の流通量を増やすかどうかもわからない。インフレが今後どうなるかは、FRB当局者の出方しだいだが、それについてもまったくわからない。おそらく彼ら自身も知らないのだろう。さいわい経済法則は存在するが、未来を見せてはくれない。

別の例を考えてみよう。経済法則によれば、最低賃金の水準が上がれば、他に何も変化がない限り、低技能労働者の失業率は上昇する。しかし、物事は永遠に変化し続ける。最低賃金が上昇するにつれて、非熟練労働者の生産性を向上させる技術革新が起こる可能性は十分にある。その場合、その力が十分強力で、法律で義務付けられた最低賃金水準の上昇が緩やかであれば、最低賃金の上昇によって失業する労働者は一人もいないかもしれない。

ここで私は、オーストリア学派経済学の見解を述べていることを告白しておかなければならない。主流の経済学者は同意しないだろう。ノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマン(オーストリア学派ではない)によれば、「仮説の妥当性を検証する唯一の方法は、予測と経験の比較である」という。つまり、ある主張が真実であれば、それは正確な予測につながるはずだというのである。

しかし経済学の歴史は、誤った予測の歴史である。

ポール・クルーグマンもノーベル経済学賞受賞者である。クルーグマンの1998年の予測は「インターネットの成長は急激に鈍化するだろう」というものだった。おやおや。

これだけではない。

アーヴィング・フィッシャーは株式市場の好況を予測した。しかしフィッシャーの過ちは、1929年の大暴落の直前にそれを実行したことだった。

1968年、『人口が爆発する!』の著者ポール・エーリックが、今後数年間に大量の飢餓が発生すると予測した。しかし、肥満の方がはるかに大きな問題であることがわかった。

1987年、ラビ・バトラはその著書で1990年の世界恐慌を予言した。しかし、そうはならなかった。

オーストリア学派が経済予測を断固拒否するのは、人間の力が限られているためだと思う。経済の現実を説明し、そのかなりの部分を理解することはできるが、「他のすべてが一定」でない限り、少なくとも経済学者の立場では予測することはできない。

知的な謙虚さには大きな価値がある。

私は、いつの日か主流の経済学者がこの点に関し、自分たちのやり方の誤りを理解するようになると予測しているのだろうか。そうなればいい。しかしオーストリア学派経済学者として、予測はやめておこう。

(次を全訳)
What the Worst Economic Predictions in History Can Teach Us about Economics - Foundation for Economic Education [LINK]

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