Rothbard and Eminent Domain: Confused History and Legal Sleight of Hand | Mises Institute [LINK]
【海外記事紹介】マレー・ロスバード(リバタリアニズムの思想家)による「収用権(Eminent Domain)」への批判を軸に、私有財産を強制的に没収する国家権力が、いかに「歴史的混乱」と「法的な手品」によって正当化されてきたかを分析しています。現代の法学において、国家が「正当な補償」と引き換えに私有地を強制収用する権利は、主権に固有の属性として当然視されていますが、ロスバードはその道徳的・歴史的基盤がいかに脆いものであるかを暴いています。
盗みを正当化する「法的手段」
ロスバードの論理は明快です。正当な財産権は「最初の占有(ホームステッド)」か「自発的な交換」によってのみ成立します。個人に他人の財産を奪う権利がない以上、個人の集合体である政府もそのような権利を持ち得ません。したがって、収用権は本質的に「合法化された窃盗」であり、強制的な徴収である点において課税や徴兵と同じカテゴリーに属します。
歴史的なすり替え:特例から原則へ
興味深いのは、収用権がアメリカ法において「当然の権利」となった経緯です。
コモン・ロー(英米法)の誤読: 本来、中世イギリスの法やマグナ・カルタは王権による財産没収を厳格に制限していました。道路建設などのための収用は、主権固有の権利ではなく、個別の「議会法」による例外的な政治判断でした。
ウィリアム・ブラックストンの影響: アメリカの法学者たちは、ブラックストンの注釈書を誤読し、例外的な「緊急避難的措置」を、法の下の「一般的原則」へと変換してしまいました。
憲法修正第5条のトリック: 「正当な補償なしに私有財産を公共のために収用してはならない」という規定は、収用権を「授与」しているのではなく、その存在を「前提」として規制しているに過ぎません。これにより、「収用してよいか」という道徳的問いが、「補償額はいくらか」という実務的・価格的な問いへとすり替えられたのです。
「公共の利益」という名の際限なき拡大
かつては道路や橋といった「公共の利用」に限定されていた収用対象は、時代とともに再開発や、さらには「経済成長や税収増が見込める」という広範な「公共の目的」へと拡大しました。2005年のケロ対ニューロンドン市事件判決(民間企業の利益のために私有地を収用することを認めた)は、突飛な逸脱ではなく、収用権の論理がたどり着くべくして到達した終着点であると著者は指摘します。
結論:主権という名の「世俗的な神権」
擁護派は「インフラ整備には不可欠だ」と主張しますが、ロスバードはこれを一蹴します。交渉の不便さやコストを理由に窃盗を正当化することはできません。市場には自発的な合意や契約という解決策が存在します。
「収用権」というドメインは、国家を一般の道徳ルールから免れさせるためのレトリックであり、主権という概念を「世俗的な王権神授説」のように利用したものです。ロスバードの功績は、この蓄積された偽りの正当性を剥ぎ取り、収用権が「社会秩序の必然」ではなく、国家が正義を標榜しながら権利を侵害するための「都合の良いフィクション」であることを明らかにした点にあります。
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