2021-01-31

オスマン帝国と民族の共存

中東とバルカン半島と言えば、現在、民族紛争の巣窟と化している。内戦の続くシリア、イスラエルとパレスチナ人の闘争、トルコ政府とクルド人の武力衝突、そしてコソボ紛争は一応治まったものの、セルビアとコソボ間で対立が続くバルカン。いずれも民族の対立に解を見いだせず、途方に暮れているようだ。

ところがかつて、この広大な地域をある大国が治めていた時代には、激しい民族紛争のるつぼではなかった。差別や反目、小さな紛争はあったものの、そのような火種が果てしない紛争の連鎖へと拡大していくことはなかった。

ある大国とは、オスマン帝国のことだ。この帝国は支配層のイスラム教徒(ムスリム)以外に、民族も宗教も異にする多種多様な人々が、数百年にもわたり平和に共存していた。その秘訣はどこにあったのだろう。

13世紀のモンゴルの進出によって小アジアのルーム・セルジューク朝政権が滅ぶと、小アジアには多くのトルコ系小国家が生まれた。そのうち西北部に形成された国家がオスマン帝国となる。1453年、メフメト2世がコンスタンティノープルを占領してビザンツ帝国を滅ぼし、この地を首都とした。のちにイスタンブールの名で知られる。君主はスルタンと呼ばれる。

広大な版図を持つオスマン帝国には、イスラム教徒とともに多数の異教徒が暮らしていた。16世紀半ばのイスタンブールでは、人口40万のうち、約3割がキリスト教徒、約1割がユダヤ教徒であったといわれる。

イスラム教徒以外の人々の処遇は、イスラム法の中で細かく決まっている。それはオスマン帝国以前にすでに成熟した体系となっていたので、オスマン帝国はそのルールに従って統治したにすぎないとも言える。

ルールの原則は、イスラム教と同じ一神教を奉じるキリスト教徒、ユダヤ教徒を「啓典の民」とみなして一定の制限の下で庇護を与え、生命、財産、信仰の自由を保障する、というものだ。一定の制限とは、人頭税の支払い、政治参加の制限、教会の新築禁止、非イスラム教徒とわかる印を身につけること、などである。

こうした制限があったとはいえ、共存の条件が明示されていたことは、異教徒にとって相対的に住みやすい社会であったのは間違いないようだ。

たとえば中世欧州で、キリスト教政権の下、多数のイスラム教徒が居住していた国として、シチリア王国がある。しかしシチリアでは、最終的にイスラム教徒は放逐と同化の道をたどった。キリスト教徒、ユダヤ教徒の共同体が消滅することなく近代まで継続したイスラム世界とは、明確な違いがある(小笠原弘幸『オスマン帝国 英傑列伝』)。

15世紀末、レコンキスタ(国土回復運動)の完遂に伴い、キリスト教徒によってスペインからユダヤ人が追放されたとき、ユダヤ人が安住の地に選び移住したのは、オスマン帝国だった。彼らはセファルディムと呼ばれ、独特のスペイン語(ラディーノ)を用いていた。

ノーベル文学賞受賞者である作家エリアス・カネッティは、その子孫の一人だった。彼は、かつてはオスマン領だったブルガリアのルスチュクに生まれ、ユダヤ人差別の存在をまったく知らずに育った。スイスの学校に入って初めて自分が差別される存在であることを知ったと、その自伝で述べている(鈴木董『オスマン帝国』)。

また、スペインからの移住と同じ頃、迫害の強まったドイツやハンガリーからも多くのユダヤ教徒がオスマン帝国に移住した。彼らはアシュケナジムと呼ばれた。加えて、オスマン帝国内にはもともと在地のユダヤ教徒(ロマニオット)もいたので、ユダヤ教徒の構成は非常に複雑なものとなった。

これら欧州方面から移住したユダヤ教徒は、それまで培ってきた金融ネットワークを使って、オスマン帝国下で活躍した。

移住者の第一世代の中には、スルタンの信頼を得て、大きな活躍をした者もあった。なかでもポルトガル、ベルギーを経て1553年頃にイスタンブールに移住したヨセフ・ナスィは、その経済力を背景に政治や外交にも関与。またボスフォラス海峡を通るワインの関税請負収入などからさらに富を築いた(林佳世子『オスマン帝国500年の平和』)。

ユダヤ教徒と同じく異教徒とされたキリスト教徒も、オスマン帝国内には多く住んでいた。アナトリア(小アジア)とバルカンには、かつてビザンツ帝国の国教だったギリシャ正教徒が多数住んでいた。アナトリアには、アルメニア教会派も少なくなかった。レバノンの山地には、マロン派が固まって分布していた。エジプトには、土着のキリスト教徒であるコプト教徒が多数残っていた。

このほか、東アナトリアからシリア、イラクにかけては、ネストリウス派など東方諸教会に属する多くの宗派の人々が少数ながら存在していた。加えて、イスラム世界に敵対する西欧の公認の信仰である、ローマ・カトリック教会に属する人々さえ、存在を許容されていた。

支配的宗教だったイスラム教の場合も、大多数を占めるスンナ派のほか、シーア派、ドールーズ派の人々がいた。

オスマン帝国の人々は宗教だけでなく、民族も多種多様だった。

イスラム教徒の諸民族の中で、オスマン帝国を建設する主導力となったのは、トルコ人である。オスマン朝発生当初にはごく少数だったとみられるが、東方からの流入と、異民族がイスラムに改宗しトルコ語を母語として受容することで、しだいに増加した。

16世紀以降、アラブ地域がオスマン領となり、大多数がイスラム教徒からなるアラブ人が、帝国の臣民に加わった。アラブ人はトルコ人と並んで、帝国のムスリム臣民の二大集団となった。

アラブ人から見れば、トルコ人は同じイスラム教徒とはいえ、イスラム世界への新来者、北方の異民族の征服者であり、反感もあったと思われる。しかしその反感も、近代西欧の影響の下にナショナリズムが生じるまでは、それほど決定的なものではなかった。

より少数だが主としてイスラム教徒からなる民族として、イラク北部からアナトリア東部にかけてクルド人が住んでいた。トルコ人とクルド人の関係も、前近代においては良好だった。

キリスト教徒が多数を占める民族では、最も重要なのは、バルカンだけでなくアナトリアにも住んでいたギリシャ人だった。彼らの大多数は近代ギリシャ語を母語にしていたものの、オスマン朝の人々は彼らを何よりもビザンツ帝国(東ローマ帝国)のギリシャ正教徒と考え、「ルーム(ローマ人)」と呼んだ。

ギリシャ人自身の意識も同じだった。彼らが異教徒である古代ギリシャ人を自分たちの直接の祖先と考え、ギリシャ民族意識をアイデンティティーの根源とするようになるのは、18世紀以降のことである。

アナトリア方面にはアルメニア人もいた。彼らは帝国各地の都市にも居住し、とくに商業で活躍した。なかには建築請負業者としてオスマン帝国と深い関係を持つ者もあった。少なくとも前近代においては、アルメニア人とトルコ人との関係は良好だった。両者の関係が悪化するのも、近代それも19世紀末葉以降のことである(前出『オスマン帝国』)。

オスマン社会は決して平等ではなかった。非ムスリムは、イスラム教のきまりに従い、不利な立場に置かれていた。それでも、宗教・民族の共存をある程度実現していた。宗教・民族の対立に苦しむ現代に、貴重な示唆を与えてくれるはずだ。

<参考文献>

  • 鈴木董『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』講談社現代新書
  • 小笠原弘幸『オスマン帝国 英傑列伝 600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち』幻冬舎新書
  • 林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史)講談社学術文庫

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

>>経済で読み解く世界史

2021-01-30

太宰治『走れメロス 太宰治 名作選』

走れメロス 太宰治 名作選 (角川つばさ文庫 F た 1-1)

名作は児童書レーベルで読むのがいい。絵が多くて楽しいし、活字は読みやすく、解説もわかりやすい。本屋や図書館でまとめて置いてあるので探しやすく、買っても安い。この太宰治アンソロジーは角川つばさ文庫版。夕陽を背景に駆けるメロスがかっこいい。

その「走れメロス」は、メロスが本人に断りもなく親友を王への人質に差し出すのがどうかと思うけれど、名文につい酔ってしまう。齋藤孝氏の解説によると、太宰治は、口で話した文章を奥さんに書き取ってもらうなど、時には実際に語って作品を書いていたそうだ。

「申し上げます。申し上げます。」で始まる「駈込み訴え」も、声に出して読みたくなる日本語だ。イエスに愛されなかった商人ユダの悲しみ。聖書からベニスの商人、転売ヤーに至るまで、商人はいつの時代も蔑まれる。

そして何といっても、「眉山」。ただのユーモア短編かと思って読み進めると、結末で一転して胸を突かれ、みごとな伏線に驚く。

2021-01-29

企業が左傾化する理由

Beyond Woke (English Edition)

企業が左傾化する理由①経営者自身が左傾化しているから。ビジネススクールで教える経営学の教授は、同じ文系の社会科学や人文科学の教授たちと親しくなりやすい。彼らは名うての左翼である。左翼思想に染まった経営学者はそれを学生に広め、学生は企業を経営することになる。

企業が左傾化する理由②顧客に迎合したいから。可処分所得の多い25〜54歳、米東西海岸に住んでいそうな人々を喜ばせる。この年齢層は左傾化で名高いミレニアル世代を含む。内陸部の貧しい「哀れな連中」よりも、豊かな「沿岸エリート」をお客として選ぶのはわかりきった話だ。

企業が左傾化する理由③社員の給料を上げるより安上がりだから。意識の「目覚めた」社長の宣言、目覚めた広告、目覚めた活動のコストは、賃金引き上げや福利厚生の向上、顧客向けの値引きよりずっと安く済む。しかもお人好しはこの手に何度も引っかかる。

企業が左傾化する理由④政府からの攻撃を避けたいから。左傾化した資本主義は政治エリートをなだめる。企業は左派議員のご機嫌を取り結び、力添えを期待する。左派議員は厳しい規制や独禁法強化に乗り出す恐れが大きい。ご機嫌を取っておくに越したことはない。

企業が左傾化する理由⑤左翼流の「意識の目覚め」はグローバリズムの一環だから。左翼とグローバル巨大企業の目標は対立しない。グローバリズム(マルクス主義用語でインターナショナリズム)は以前から左翼の目標であり、多国籍企業の目標にもなった。

2021-01-28

マスクとファシズム


バイデン新大統領によるマスク着用の義務化は憲法違反だ。憲法上、州をまたぐ取引の規制権限があるのは大統領ではなく議会だ。マスクやソーシャルディスタンスの命令、政府による私企業への指図、市民の接触追跡などの政策はまるでファシズム国家で、立憲国家のものではない。

コロナに対する各国政府の悲惨な決定は、知識と理解の違いを浮き彫りにした。権力を持つ者の多くは職業政治家や技術官僚で、政策の影響を受ける社会の実情を知らない。彼らが頼る専門家は、知識は多いが適切な統治を知らない。誰も自分の限界を知らず、最新技術に幻惑される。

歯止め効果」とは、危機を受けた政府の一時的拡大が省庁や慣例として永続化される現象で、政治エリートや大衆は当然だと思っている。特別利益団体や官僚の力が背景にある。最近の米国の例では、9/11同時テロ後の政府による監視拡大、リーマン・ショック後の金融規制がある。

米国でコロナの死者は40万人を超え9/11テロの100倍以上という比較は、コロナへの恐怖を正当化しようとする。しかし昨シーズンにインフルエンザの死者は6万2000人だったが、誰も騒がない。背景を無視してテロと比べるのは、コロナが意図的に起こされた悲劇と言うようなものだ。

2021-01-27

支配階級の形成


米国では他国同様、政府の企業に対する規制は、政府と企業の一体化を意味した。そのような自由な社会の再編は、1926年にファシスト政権下イタリアの協調法で初めて立法化された。第二次大戦の勃発までには米国のニューディール政策を含め、欧米諸国で同様の立法がなされた。

アイゼンハワー米大統領は軍産複合体に警鐘を鳴らしたことで知られる。それは単に軍国主義への注意ではない。政府と企業の力が一体化し、自己の利益を国の利益よりも優先するようになることへの警告だ。教育、貧困、人種問題に関する官民一体の権力は今や軍産複合体をしのぐ。

1960年代半ば以降、米国で支配階級が成長した。きっかけは政府自ら貧困撲滅と人種融和に乗り出し、国民所得の多くを動かし始めたことだ。大卒者の増加とともに、支配階級はしだいにその権力を大卒の専門家の意見に基づくようになった。専門家は政府とのコネで富と名声を得る。

ソ連、キューバ、中国、ベネズエラなどの社会主義国では、政府権力に接触できることが、成功への最高の手段である。才能や冒険心はあってもいい。しかし誰かが成功していたら、権力とよくつながっているのは間違いない。社会主義の下で成功と権力は表裏一体だ。例外はない。

2021-01-26

金本位制の規律


グリーンスパン元FRB議長が若いころ述べたとおり、政府が借金する際、担保は将来の税収で返すという約束しかない。金本位制は政府の借り入れを制限する。金は紙幣と違い、印刷できないからだ。金本位制の下でお金を増やすと、国際収支が赤字になって金が国外に流出してしまう。

金約款は債務の支払いを金(きん)または同価値の紙幣で行う契約で、19世紀後半から20世紀初めの米国で普及していた。政府の起こすインフレから財産を守るためだ。ニューディール政策を行ったルーズベルト大統領は、金約款を無効にした。国債を好き勝手に増やせないからだ。

1970年代初め、米国が金本位制を停止した際、経済学者フリードマンは金の価格が急落すると予言した。金の価値はドルとの関係から生じ、金がドルの裏付けでなくなれば、その需要は激減すると考えた。それは間違いだった。価値が急落したのはドルのほうで、金価格は急騰した。

米国でハイパーインフレは来ないかもしれない。ドルは向こう数年、他国通貨に対して上昇するかもしれない。外為相場とは相対的なものでしかない。だがどこかで実体経済が成長しないと、生活水準は保てない。お金を刷っても商品・サービスの量は増えないし、質は良くならない。

2021-01-25

結束の強制


バイデン新大統領は就任演説で「結束」を繰り返したが、実際の政策は、結束を調和ではなく同一化と考えているようだ。中央権力で強制するしかない画一的な政策だ。コロナ対策は原則州と自治体で講じてきたが、新たに「コロナ対応調整官」という中央の高級官僚が調整にあたる。

バイデン新大統領はマスク着用を義務づける大統領令に署名した着任初日、リンカーン記念堂で家族ともどもマスクなしでいる姿を目撃された。報道官は「歴史的な日を祝っていたから」とコメント。でも祝賀は例外に入っていない。政治家は他人への命令を自分では守らなくなってきた。

バイデン新大統領は環境保護の一環として、カナダの油田と米メキシコ湾岸の製油所を結ぶパイプライン「キーストーンXL」の建設認可を取り消した。同パイプラインは再生可能エネルギーの使用を約束していたうえ、鉄道など他の輸送手段を使うとCO2の排出量はむしろ多くなる。

バイデン新大統領の経済対策は経済悪化の根本原因を無視している。政府によるロックダウン(都市封鎖)と経済規制だ。カリフォルニアやニューヨークなど経済中心地では店舗が閉鎖、人は在宅を強いられている。連邦政府が多額の対策を行なっても、地方政府の規制に縛られた経済は回復できない。

2021-01-24

池上彰・的場昭弘『いまこそ「社会主義」』

いまこそ「社会主義」 混迷する世界を読み解く補助線 (朝日新書)

いまこそ無政府主義


社会主義をもてはやす昨今の風潮を苦々しく思っている者にとって、『いまこそ「社会主義」』(池上彰・的場昭弘共著、朝日新書)などという本の出版は、それだけでもう、血圧を上げるのに十分である。しかもその共著者の一人が、知名度絶大なジャーナリストときては、「ああ、これでまた悪の思想が日本に広まってしまう……」と、リバタリアンの無名週末ライターは無力感にとらわれそうになる。

しかし、本は読んでみないとわからないものだ。この対談本で、かねてマルクスに入れ込んでいる有名ジャーナリスト池上彰の発言に目新しさはないのだが、その一方で、お茶の間ではあまり有名でない(失礼)大学教授、的場昭弘の主張がすこぶる面白い。

的場はすでに多くの著書を出しており、名前は以前から知っていた。けれども、その多くが『復権するマルクス』だの、『マルクスだったらこう考える』だの、悪の教祖マルクスを持ち上げるようなタイトルばかりで、読む気にならなかった。実際、的場はマルクス経済学の専門家(神奈川大学副学長)であり、マルクスを否定するようなことを言うわけがない。

ところが今回初めて知ったのだが、的場は単純なマルクス礼賛者ではない。マルクスが激しく批判した、フランスの無政府主義者プルードンについても高く評価する。あとで触れるように、プルードンに関する著作も最近立て続けに出版している。

さて今回の対談本で的場は、19世紀に社会主義が形成された際、大きく二つの流れがあったと指摘する(第二章)。経済の自由を優先させる流れと、国家権力の介入を優先させる流れだ。

国家優先は、ルイ・ブランやエティエンヌ・カベーなどによる主張であり、一般に知られているマルクスが提唱した社会主義も、国家を優先するほうに属する。国家的中央管理によって規制していく方向だ。その考え方の淵源には、マルクスの盟友エンゲルスの発想があったという。

これに対し経済の自由優先は、プルードンやピエール・ルルー、フェリシテ・ド・ラムネーなどの社会主義者が考えた。プルードンはアナキスト(無政府主義者)と紹介されることが多いが、人々の自由な運営を重視した社会主義者でもあったと的場は述べる。

しかし、この自由主義的な社会主義は1840〜50年代にかけて力を失っていく。その最大の原因は、コロナ騒動の今から考えると興味深いことに、コレラの流行だった。防疫のために国家管理が強化され、フランスではルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)、ドイツではビスマルクといった強権主義者が国家権力を握っていく。

社会主義の理論でも最終的に力を持つに至ったのは、国家主義的な社会主義だった。その典型が、1917年のロシア革命で誕生したソ連だ。ソ連はその後崩壊し、今では反面教師のような国になってしまった。「肥大化した国家権力がわれわれの自由を奪うからです」と的場は正しく指摘する。

そのうえで的場は「理論としてはもっと違う社会主義もありえた」として、経済の自由を重視したプルードンの思想に注意を喚起する。

プルードンはマルクスのライバルで、マルクスとまったく違う社会主義を提唱した。それは中央集権国家がなく、小さなアソシアシオン(団体。営利・非営利を問わない)に分かれて、それぞれが水平的に民主的合意形成をしていく社会主義である。そこには国家権力がそもそも想定されていない。「言い方を換えれば、これはアナキズム(無政府主義)というやつです」

プルードンが目指した社会主義は、ソ連が体現したものとは真逆のものだった。「だからこそマルクス、エンゲルスたちはアナキストを大変恐れて、アナキスト的な社会主義を嫌っていた」と的場は解説する。

それにしても無政府主義とは、国家権力を排除することといい、国家主義的な社会主義を信じるマルクスやエンゲルスから嫌われたことといい、まるで自由放任的な資本主義のようではないか。じつは、ある意味でそのとおりなのだ。的場はここで驚くべき発言をする。

アナキストの社会主義は、一方で新自由主義に近いところがあるんです。国家の関与を極力否定しますからね。(強調は引用者)

的場はすぐに「新自由主義は資本家の利益を中心に置き、アナキストの社会主義は民衆の利益を大事にする」と両者の違いを強調するものの、国家関与の否定という共通点の指摘は、大胆であり鋭い。自分が共感を寄せる無政府主義と、忌み嫌っているだろう新自由主義の類似を率直に語る姿勢にも好感が持てる。

的場は、プルードンを正面から論じた『未来のプルードン』(亜紀書房、2020年)の前書きで、マルクスも若い頃は、プルードンと同じく国家権力の解体を目指していたと述べたうえで、「プルードンを批判するあまり、人間分析が不十分になり、機械論的な唯物論の罠にはまってしまった」という。マルクスを手放しに称賛せず、その過ちをきちんと指摘している。

また、マルクスがプルードンを批判した『哲学の貧困』の新訳版(作品社、2020年)でプルードンの思想について解説し、こう述べる。「ソ連崩壊とともに、国家権力を肥大化させたマルクス主義が崩壊したことにより、〔プルードンが唱えた〕労働者参加型、垂直型ではなく水平型の連合的、相互主義的社会主義という概念が求められるようになってきた」(第三部)

この分析は、コロナ騒動の現在によくあてはまる。今回の対談本に戻ろう。コロナ騒動をきっかけに、感染症の流行に対処するには国家権力による統制が必要との見方が増えている。だが、それは「あまりにも単純」だと的場は異を唱え、「むしろ、下からのアソシアシオン的なあり方のほうがいいのではないかという議論も出てきます」と語る(第二章)。

的場が述べるとおり、ロックダウン(都市封鎖)をした欧米では、強権に対する反動としての民衆運動が盛り上がっている。日本では対応が原則として地方に委ねられているほか、民衆が自分で注意して、国家による至上命令を避けさせている。結果として、死亡者数はロックダウンを行った欧米よりも低く抑えられている。

コロナについて、的場はさらに踏み込んだ発言をする(第三章)。コロナ禍によって、戦争でもないのに鎖国をし、あたかも戦争状態のようになった。海外に行けないし、海外からも来ない。「こういう状態をつくることを政府に自由にさせていいのか」

的場の住む静岡県では、県境で、神奈川県の人は来ないでくれ、と言っていたという。このままでは排外主義がどんどん広がり、たとえば海外からの供給が減ったマスクを国産にしても、それを作ったその町でしか使えないことになる。限られたマスクをどこかが先に使ってしまえば、内乱状態の争奪戦にもなってしまう。

「そんな争いをやめて、むしろ交易を拡大して国交の扉を閉ざさないで、外交努力で何とか協力して切り抜ける、ということも考えていく必要があります」。このまっとうな主張は、ほとんど自由主義者(リバタリアン)と言っていい。

的場の主張にすべて同意できるわけではない。それでも本書は、リバタリアンにとって貴重な示唆に富む。国家主義的な社会主義ではなく、無政府主義的な社会主義(あるいは無政府主義そのもの)を高く評価するのがミソなのだから、タイトルは『いまこそ「社会主義」』ではなく、『いまこそ無政府主義』のほうがふさわしかった。それじゃ売れないか。

2021-01-23

バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽

異様な迫力に満ちた「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。バルトークのこの曲はスイスの異色の富豪、パウル・ザッハーの依頼で書かれました。ザッハーはワインガルトナーに指揮を学んだ後、製薬大手ロシュ社オーナーの未亡人と結婚して巨万の資産を手中に収め、同時代の作曲家への作品委嘱を盛んに行います。なかでもバルトークは、元恋人といわれるヴァイオリニスト、シュテフィ・ゲイエルがザッハーの創設したバーゼル室内管弦楽団でコンサートマスターを務めた縁もあり、ザッハーと親しい関係にありました。ザッハーが同管弦楽団の創立十周年演奏会に新作を書いてくれないかと手紙を送ったところ、バルトークはすぐさま承諾の返事を送り、わずか二カ月で書き上げたといいます。難解とされる現代音楽も、政府に頼らず、民間の力で世に送り出せるという証拠です。さらに後日、この曲はスタンリー・キューブリック監督の映画「シャイニング」で使われ、ファンの裾野を広げることになります。


<参考文献>
「特集=パトロンと音楽」(モーストリー・クラシック 2020年12月号)

2021-01-22

ヨハン・シュトラウス1世:ラデツキー行進曲

ヨハン・シュトラウス1世「ラデツキー行進曲」は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートで最後を飾る曲として有名。軽快な曲調や明るい手拍子と裏腹に、政治的な因縁に彩られた曲でもあります。北イタリアの独立運動を鎮圧したオーストリアのラデツキー将軍を称えて作曲されましたが、イタリア側から見れば悲劇の歴史で、この曲をタブー視する向きもあるといいます。一方、オーストリアではその後ナチス・ドイツに併合された際も、国家を象徴する曲として尊ばれました。ナチスは国を奪われたオーストリア人の不満を和らげるため、シュトラウス家のユダヤ系の出自に細工までして同家の音楽を利用したのです。そして2020年、ウィーン・フィルはニューイヤーコンサートで使用する同曲の楽譜を一新しました。それまでの版の編曲者であるオーストリア出身の作曲家ベーニンガーがナチスに入党し、党の文化・音楽活動に協力していたことを問題視したためです。


<参考文献>
「特集=ウィンナ・ワルツとニューイヤー・コンサート」(モーストリー・クラシック 2021年2月号)

警察サービスは民間で


民間による法の執行は歴史の実績がある。17〜19世紀の英国で被害者はたいてい盗賊捕方(盗賊を捕まえて盗品を回収することを職業にした者)に代金を払い、容疑者を探し当て、捕まえた。司法当局は重罪人を捕らえた者に賞金を出し、共犯者の居所を知らせた者に恩赦を与えた。

開拓時代の米西部では、公的な法執行機関はほぼ存在しなかったが、人々は反馬泥棒協会、ロッキーマウンテン探偵協会といった防犯組織をつくった。その結果、政府の介入が始まるまで、西部で暴力は非常に少なかった。白人の開拓民は先住民と話し合い、その土地を平和に通った。

米連邦捜査局(FBI)の創設は、法執行のニーズを満たすためではなかった。有能な民間警察サービスの地位を不当に奪うためだ。その民間警察とはピンカートン探偵社。FBIはピンカートンの組織と手法を手本に作られた。そもそも政府の警察が無能なので民間探偵社が発達したのだ。

警察の暴力をなくすには、政府をなくさなければならない。すると政府の法律がなくなる。法律を暴力で強制しなくてよい。強制に従わないことを理由に殺される者はいなくなる。民間による非暴力の法執行のほうが優れている。村八分、同業者からの絶交、店への出入り禁止などだ。

高いコストと劣悪なサービスしか政府の機関には期待できない。競争にさらされず、収入を税金に頼れるからだ。民間企業に警察の仕事は任せられないという意見はあるだろう。そう言う前に、今の警察が多額の税金にもかかわらず、犯罪の摘発に役立っていない現実を考えてほしい。

2021-01-21

ペルト:主よ、平和を与えたまえ

「主よ、平和を与えたまえ」は2004年にペルトが作曲した男女混声合唱曲。エストニア出身のペルトは同年3月11日にスペインのマドリードで起こった列車爆破テロ事件の2日後、犠牲者をしのんで作曲に取りかかったと言います。同年7月1日にバルセロナで開いた平和コンサートで披露されました。ラテン語の歌詞は聖書に基づく6〜7世紀の賛美歌で、「主よ、平和を与えたまえ、我らが日々に/他に誰がいましょう/我らがために戦う方/あなた以外に、我らが神よ」と歌います。のちにオーケストラ伴奏付き、器楽版など他のバージョンも作られていますが、やはりオリジナルのアカペラ版の味わいは格別です。191人が死亡、2000人以上が負傷した列車爆破テロ事件は、スペインでは2001年9月11日の米同時多発テロと並び、「3・11事件」と呼ばれるほど衝撃的な出来事で、毎年、ペルトのこの曲が追悼のために演奏されているそうです。

ここにあるファシズム


ファシズムは、政府が民間部門をカルテル化する。経済を中央管理して生産者に補助金を与える。警察を秩序の源として称える。個人に基本的な権利と自由を認めない。行政国家が社会の何でもし放題の支配者となる。これは欧米政治の大勢だ。ありふれていて、もはや気づかれない。

米国の海外における帝国主義政策と、国内における腐敗や暴力は結びついている。戦争は究極の政府計画だ。戦争にはすべてがある。政治宣伝、検閲、監視、縁故契約、貨幣増刷、政府支出の急増、債務の増大、中央計画、思い上がり……。最悪の経済介入でおなじみのものばかりだ。

国家主義の基礎をなす思想が衰える様は目に見えるとは限らない。変化は一夜で起こりうるし、後にならないとわからない。1985年に普通のロシア人に、五年後にソ連はなくなると言っても、頭がおかしいと思われただろう。米国の国家主義は滅びる。それを早めるよう努力しよう。

トランプ大統領は国民に「ともに集まろう」と呼びかけるのではなく、分離独立を支持するべきだ。トランプ氏を支持する州や自治体は、バイデン氏、ハリス氏の支持者や人種問題を口実に街を破壊する者と同じ国に住みたくはないだろう。聖書の言葉どおり、光と闇は共存できない。

2021-01-20

ヴィヴァルディ:グローリア

「グローリア」(作品番号 RV 589)はヴィヴァルディの宗教作品でとくに有名な楽曲。カトリック教会のミサ曲のうち、グローリア(栄光頌)と呼ばれる歌詞に曲をつけたものです。冒頭部分は新約聖書「ルカによる福音書」の「いと高き神に栄えあれ、地に平和あれ、人に恵みあれ」に由来します。この言葉はキリスト生誕の際、天使の大軍が発したとされ、古くから平和思想を表す言葉として有名なようです。たとえば、ヴィヴァルディよりおよそ二百年前の哲学者エラスムスは聖書のこの言葉を引用し、「キリスト生誕の際、天使が歌ったのは戦争の栄光でも勝利の歌でもなく、平和の賛美歌だった」と述べています。影響は文化にも及び、日本でも、最近再評価の機運が高まる作家、小松左京が戦争をテーマとしたSF短編「地には平和を」を残しています。ヴィヴァルディのこの楽曲で、「地に平和あれ」と歌う第2楽章は、とりわけ美しく、平和の祈りにふさわしいものです。

連邦主義と平和

Socialism and International Economic Order (English Edition)

無政府主義者プルードンは、自分を共産主義者とはっきり区別した。共産主義者は所有権を破壊したがるからだ。社会主義者とも区別した。社会主義者は平等を称えるあまり、自由を無視するからだ。

無政府主義者プルードンは中央集権に反対し、連邦主義を唱えてこう述べる。連邦の人々は平和に組織されている。同盟も通商条約もいらない。自由な国同士なら慣習法で十分だ。互いの法の範囲内での取引の自由、流通の自由、居住の自由。これが連邦の考え方であり、その結果である。

無政府主義者プルードンは、経済の領域と政治の領域をはっきり区別した。彼によれば、社会問題を解決するには、不適切な人物から権力を取り上げ、大幅に強化し、「完璧」な知識と知恵の持ち主に与えてもダメだ。政治と経済を分離し、なおかつ政治権力を水平・垂直に分断しなければならない。

もし本当の民主主義を求めるのなら、社会の基礎は中央集権ではなく、プルードンが描いたような連邦主義と意思決定の分権でなければならない。しかし、この政治秩序を実現するためには、それに対応する経済秩序が欠かせない。すなわち、競争に基づく市場経済である。

2021-01-19

プーランク:平和への祈り

シャルル・ドルレアン(オルレアン公)は15世紀フランスの王族で詩人。ジャンヌ・ダルクが活躍した百年戦争のさなか、聖母マリアに「平和への祈り」を捧げます。「すべてを破壊し尽くす戦争をなくしてくださいますよう/祈りに倦まれませぬよう/平和の祈りを、平和の祈りを/平和こそ喜ばしい真の宝なのですから」。プーランクがフランスの新聞でこの詩を読んだ1938年9月29日は、折しもミュンヘンで主要国首脳会議が開かれ、ヒトラー率いるドイツと戦争の緊張が高まっていました。プーランクはさっそく詩に曲をつけます。彼自身の日記によれば、情熱と、それから何よりも謙虚さの表現に苦心したといいます。敬虔なカトリック信者を両親に持つ彼にとって、謙虚さこそは「祈りの最もすばらしい特質」だったからです。しかしその祈りも虚しく、一年後、ドイツのポーランド侵攻とそれに対する英仏の宣戦布告により、世界は未曾有の戦禍に引き込まれていきます。

狂った規制


政府とその支持者は正気を失ったかのようだ。物理学者アインシュタインが言ったとされる言葉のように、コロナ対策で何度も同じような規制を繰り返し、次こそは良い結果が出ると期待している。いや、もっと悪い。そもそも合理的な根拠のない駄目な規制を何度も繰り返している。

法律、規則、規制で人の暮らしは本当には良くならない。預金保険制度によって大恐慌型の銀行取り付け騒ぎはなくなるかもしれない。だが取り付けの心配がなくなった銀行は、規律が働かず、それまでより大きなリスクを取るようになる。預金者は楽になっても納税者は苦しくなる。

真の政治指導者なら、議事堂乱入を口実に市民の自由をさらに侵害してはいけない。むしろ不満を抱く人々が非暴力の抗議活動に参加するよう促すべきだ。たとえば抗議する相手の人形を火あぶりにする。メッセージ付きの雑貨やソーシャルメディアへの投稿よりもスッとするだろう。

既存のソーシャルメディアが左派の投稿しか載せなくなったら、左派と右派のメディアに分かれるかもしれない。しまいには人種隔離のように、水飲み場、映画館、道路、銀行、学校まで左右に分かれるかもしれない。それも一つの考えだが、もっと良いのはあらゆる人同士の協力だ。

2021-01-18

ヘンデル:組曲「王宮の花火の音楽」

1748年、八年に及んだオーストリア継承戦争がようやく終結し、英王室は翌年、盛大な祝典を催します。祝典の花火大会のためにヘンデルが作曲したのがこの音楽です。本番の一週間前にヴォクソール庭園で行った公開リハーサルに一万二千人以上が詰めかけるほどの話題となりましたが、残念なことに、4月27日にグリーンパークで開いた本番は、イベントとしてはさんざんでした。花火の打ち上げにもたついたうえ、パビリオンに火がつき、焼け落ちてしまったのです。ヘンデルは祝典の一カ月後、孤児院の慈善演奏会で再びこの曲を演奏します。初演では国王ジョージ二世の意向に従い、勇壮な響きを出すため管楽器と打楽器のみが使われましたが、慈善演奏会ではヘンデルの望みどおり弦楽器を加えた編成で演奏されました。第三楽章「平和(La paix)」の穏やかな調べは、長い戦争が終わった喜びを静かに噛みしめるようです。

反逆と扇動


treason(反逆、裏切り)という言葉で信じ込まされるものがある。市民が政府に対して何か義務を負っているとか、政府による独占の強制は政府と市民との間に交わされた何かしら自由で自発的な合意(想像上の「社会契約」)に基づくといった神話だ。そのような神話は嘘である。

1918年の米扇動防止法は第一次大戦中の狂乱の中で成立し、2000人以上の人を起訴するのに使われた。多くは戦争反対を唱えた人だった。扇動罪は政府が政敵をつぶし、反対意見を封じ込めるのに利用されてきた。今、扇動という言葉を振り回す人々も同じ動機からではないだろうか。

「暴動の扇動」は犯罪だろうか。Aが群衆に向かい「行け! 焼け! 略奪しろ! 殺せ!」と呼びかけ、暴徒がそのとおりのことをしたとする。人は誰でも行動の自由があるから、Aが暴徒を犯罪行動に向けて決定したとは言えない。「暴動の扇動」は発言の自由であり、犯罪ではない。

不正と戦うためなら暴力は手段として正当化できるという考えは、必ず果てしない争いを招く。非暴力は不正に対する唯一普遍の答えかと聞かれ、キング牧師はこう答えた。「間違いない。非暴力の組織的な抵抗は、虐げられた人々が束縛から解き放たれるために使える最強の武器だ」

2021-01-17

ヴォーン・ウィリアムズ:われらに平和を与えたまえ

「われらに平和を与えたまえ(ドナ・ノビス・パーチェム)」の歌詞には19世紀英国の政治家、ジョン・ブライトの議会演説の一節が使われています。ブライトはリチャード・コブデンとともに「反穀物法同盟」を結成し、自由貿易の拡大に力を注いだことで有名ですが、同時に熱心な反戦活動家でもありました。演説は戦争の惨禍を「死の天使」にたとえ、クリミア戦争への英国の参戦を批判したものです。「死の天使が国中を飛んでいる。その羽ばたきがほとんど聞こえるだろう。古来、死の天使が見逃し、通り過ぎた者は誰もいない」。緊張感あふれる音楽から戦争の恐怖が伝わってきます。ヴォーン・ウィリアムズは、陶工から身を起こした実業家ウェッジウッド、進化論を唱えたダーウィンの子孫であり、その自由主義的な出自から、同じく自由主義者のブライトに注目したのかもしれません。

琉球王国の大交易時代〜壮大な貿易ルートの要、海洋アジアを結ぶ

在日米軍基地の7割が集中する沖縄県は、基地の集中で経済発展が制約を受けており、基地経済から脱却し、自立した沖縄をつくることは地元の大きな願いとなっている。

古琉球 海洋アジアの輝ける王国 (角川選書)

今後の産業の柱として、観光、IT(情報通信)などと並んで期待されているのは、貿易である。政府は同県に全国で唯一の特別自由貿易地域を設定するなど、支援に力を入れる。

けれども沖縄にはもともと、アジア各地とのスケールの大きな交易によって発展した古い歴史がある。

室町幕府の三代将軍、足利義満が中国と日明貿易(勘合貿易)を始めた15世紀初め、沖縄では北山、中山、南山の三勢力が争っていたが、1429年、首里の中山王が三山を統一し、明の冊封を受けて琉球王国を成立させた。ここから琉球は貿易立国の道を歩んでいく。

その際、大きな影響を及ぼしたのは、明帝国の対外政策である。明は民間人の対外交易と渡航を禁止する海禁政策を採り、認可を受けた国が朝貢のために派遣してきた使節との貿易(朝貢貿易)だけを認めた。日本では足利義満が日本国王に冊封され、倭寇(前期倭寇)の取り締まりを条件に勘合貿易に参加した。

明の三代皇帝、永楽帝はイスラム教徒の宦官、鄭和(ていわ)に命じて南海大遠征を実行させ、遠くはアラビア半島やアフリカ東海岸に及ぶ国々に対し、これからは中国と交易をしたいのであれば、必ず朝貢を行って冊封を受けるよう知らせ、承認させた。その結果、明への朝貢国は五十以上にのぼった。

ところが、明帝国のほうがこの体制を維持できなくなる。朝貢国の貢物に対する皇帝の返礼品(回賜)は、皇帝からの恩恵という意味があるために、貢物より多く与えるのが通例だった。朝貢国にとっては利益となるが、五十カ国以上の朝貢に対する回賜は、さすがに明の財政を圧迫した。

このため、永楽帝の没後、朝貢の制限回数が徐々に厳しくされていった。しかし朝貢が制限されれば交易も衰える。海禁・朝貢体制を放棄することなく、交易を維持するために、明が目をつけたのが琉球王国だった。

琉球は朝鮮と並んで明への模範的な朝貢国とされ、朝貢回数が多めに設定されていた。とくに琉球は明への最大の朝貢国であり、その回数は日本や朝鮮と比べてもケタ違いに多かった。明代の進貢回数は、琉球が一位で百七十一回。二位のベトナムが八十九回だから、断然群を抜いていた。六位のシャム(タイ)が七十三回、十位の朝鮮が三十回、十三位の日本は十九回にすぎない(高良倉吉『琉球王国』)。

明は、この琉球を中継交易国として育成しようと考えた。そのために異例の優遇措置を施す。

まず、三十隻もの大型ジャンク船を進貢船として無償で与えた。これは中古の軍艦の払い下げだった。琉球史研究家の上里隆史氏によると、中国が明朝の初期、倭寇対策として沿岸に多数の軍艦を配備していたため、琉球に無償提供できるだけの十分な軍艦があったという。

中古とはいえ、当時の中国の造船技術は世界一。前述のように、鄭和が大艦隊を率いてインドやアフリカまで遠征している。琉球は世界最高の技術で造られた中国式の船を活用することで、アジア各地への長距離航海を可能にした。

次に、明は交易活動に欠かせない職能者を琉球に居住させた。前述のように明は海禁政策で民間人の渡航を禁じていたから、その例外といえる。

那覇港近くの久米村に福建省から多数の中国人が移住し、居留区を形成した。琉球側の要請で技術指導のために訪れた人だけでなく、解禁を犯して移住した人々も多かったようだが、明が琉球にクレームをつけたという事実はあまりみられない。久米村人は「閩人(びんじん)三十六姓」と呼ばれた。閩は福建省の俗称である。

琉球側は久米村人を歓迎し、重く用いた。久米村人は技術先進国・中国の出身者だったから、彼らのノウハウは琉球の海外貿易にとって決定的な意味を持っていた。造船、船舶修理、航海術、通訳、外交文書作成、商取引方法、海外情報など、職能者としての彼らの技術・知識は海外貿易の経営上、なくてはならないものだった。

歴史学者の高良倉吉氏によると、進貢船に乗って諸国に派遣される使節団のうち、副団長クラスの人物や通訳官、貿易船を実際に操縦する主要スタッフの多くも、久米村人で占められる場合が多かったという。

こうして絹や陶磁器など多くの中国の物産が琉球に集まり、その中国商品を求めてアジア海洋諸国が琉球に押し寄せた。東シナ海の日本や朝鮮のみならず、南シナ海のアユタヤ朝、ルソン、マラッカ王国などの商船が那覇港をにぎわした。これらの諸国の物産は、琉球の朝貢品として進貢船に積み込まれ、福建の福州へと向かった。琉球王国は、15世紀の海洋ネットワークを結びつける要になった。

琉球の中継貿易は国営事業で、民間主体とはいいにくい。それでもなお、明への進貢品の買い付けという琉球船の目的はあくまで看板で、民間ベースの商取引が主流となりつつあった。その証拠に、琉球が東南アジアから買い付けた南海産品のすべてが、明への進貢にあてられたのではなかった。

たとえば当時、朝鮮に渡航した倭人勢力が携えた南海産品には、犀角(さいかく)、麒麟血(きりんけつ)、陳皮(ちんぴ)、丁香(ちょうこう)、草菓(そうか)、黄芩(おうごん)、霍香(かっこう)、蘇号油(そごうゆ)、蘇木(そぼく)などが含まれていた。これらはほぼ間違いなく、倭人勢力が琉球から入手したものだ。

また、琉球はシャムとの貿易取引で、いずれかの国の政府が権力を振り回すことを排除し、「四海一家」「両平(両者平等に利益があること)」をスローガンに、「市場価格での取引でこそ双方が潤う」と主張。シャムにこれを受け入れさせた(村井章介『古琉球』)。

琉球人は貿易ルートに乗り、アジア各地に訪れた。室町時代の水墨画家、雪舟が中国に留学中、スケッチしたといわれる「国々人物図巻」には、高麗人や天竺人などさまざまな民族とともに、琉球人が描かれている。ゆったりとした服にはだし、頭の左側に結ったまげに特徴がある。雪舟は中国に朝貢してきた琉球人と出会い、彼らの姿をスケッチしたのかもしれない。

琉球の大交易時代は、16世紀に入って明の密輸に対する取り締まりが緩み、密貿易商人が広範な交易を行うようになると一挙に衰退した。1609年、薩摩の島津氏の進攻を受け、薩摩藩に服属するようになる。

陸だけの面積でみれば、沖縄県は大阪府より若干大きいくらいだ。しかし島とその周りの海をひとつの「海域世界」としてとらえれば、沖縄諸島を含む南西諸島の範囲は、じつに東京から福岡あたりまでの広さに匹敵する。琉球王国はこの海域を統治する巨大な海洋国家であり、日本、明、朝鮮、南シナ海諸地域を結ぶ壮大な交易ネットワークの要でもあった。

アジアの経済が急速に発展する今こそ、沖縄が貿易立国としてかつての輝きを取り戻すチャンスだろう。

<参考文献>
  • 高良倉吉『琉球王国』岩波新書
  • 上里隆史『島人もびっくりオモシロ琉球・沖縄史』角川ソフィア文庫
  • 村井章介『古琉球 海洋アジアの輝ける王国』角川選書
  • 北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』ミネルヴァ書房
  • 宮崎正勝『「海国」日本の歴史: 世界の海から見る日本』原書房

2021-01-16

グレーバー『ブルシット・ジョブ』

ブルシット・ジョブの犯人


先日発表された「紀伊國屋じんぶん大賞2021」で、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)が一位に選ばれた。四百頁を超す大冊であるにもかかわらずベストセラーにもなった。それだけ読者の共感を集めたということだろう。

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

たしかに、この本で取り上げられる、さまざまな腹立たしい、あるいは情けない「クソどうでもいい仕事」には、誰しも思い当たるふしがありそうだ。けれども結局のところ、そうした「クソどうでもいい仕事」を生み出しているのは何なのだろうか。

訳者の一人である大阪府立大学教授の酒井隆史(社会思想)は、講談社現代新書ウェブサイトの2020年8月5日付記事(「なぜ『クソどうでもいい仕事』は増え続けるのか?」)で、「現在の金融化した資本主義システムが作動するとき、必然的に、この壮大な『ブルシット機械』も作動をはじめる」と述べる。「現在の金融化した」という限定付きではあるものの、ブルシット・ジョブを生む原動力は「資本主義システム」だという。

また、経済思想家の斎藤幸平も「資本主義に緊急ブレーキを!」と題する同じサイトの記事で本書に言及し、ブルシット・ジョブを批判している

どうやらブルシット・ジョブの犯人は資本主義のようだ。

ところが、そう思って本書を読み始めると、いきなり第一章の冒頭から意外な記述に出くわす。著者の人類学者グレーバーは、ブルシット・ジョブの「ある典型的な事例」を紹介するのだが、その事例というのが、ドイツ軍の下請業者の話なのである。

その会社では、たしかにバカバカしい無駄な仕事をやっている。兵士が兵舎の隣の部屋に移る際、わざわざレンタカーで出かけて行き、パソコンを取り外し、梱包し、物流業者に部屋まで運んでもらう。部屋に着いたら開封、設置。書類に記入し、署名をもらい、レンタカーで帰宅する。「兵士が自分でパソコンを五メートル運ぶかわりに、二人の人間が合わせて六時間から一〇時間も運転して、書類を一五枚も埋めて、四〇〇ユーロという額の血税が浪費されている」という。

あれれ、「クソどうでもいい仕事」を生むのは資本主義という話かと思ったら、軍隊の話ではないか。軍隊は政府の一部門であり、自由な市場経済に基づく資本主義とは関係ない。

すると著者は急いでつけ加える。この逸話は、軍事的官僚手続きのバカバカしさにまつわる古典的な事例とは違う。なぜならこの逸話で、実際に軍隊に属して働いている人間はほとんど誰もいない。厳密にいえば、かれら全員が民間部門の一員なのだ。昔と違い、今の軍隊は通信、装備輸送、人事といった部門を民間に外部委託している。この逸話が示すとおり、「私有化(民営化)は〔略〕それ特有の、しばしば、はるかに体裁の悪い多様な狂気を生み出している」と。

なるほど民間企業でも官僚主義がはびこることはある。いわゆる大企業病だ。しかし大企業病が治らなければ、やがて市場から淘汰される。官僚主義が招く不効率のせいで競争相手に比べサービスが低下したり、値段が高くなったりして、顧客が離れてしまうからだ。だから、たいていの民間企業では官僚主義がそこまで悪化しないうちに自浄作用が働く。

もし自浄作用が働かないとしたら、それは官僚主義にうつつを抜かしていても、顧客に逃げられる心配がないからだ。そんな心の広い顧客がいるだろうか。いる。政府だ。

政府と企業の契約はたいてい、何らかの政治的理由で決まる。だからサービスの質が悪かろうと、値段が高かろうと、契約を打ち切る理由にはならない。さきほどの事例で、無駄な作業で血税を浪費してもドイツ軍から契約を切られないのは、契約が経済的理由によるものではないことを逆説的に物語る。

そう考えると、ブルシット・ジョブを生むのは、市場原理に基づく自由な資本主義ではなく、政府と企業の政治的癒着ではないだろうか。

読み進むにつれ、その疑念は確信に変わる。

著者がブルシット・ジョブの例として挙げるのは、ロビイスト、政策アナリスト、企業の顧問弁護士、ヘッジファンド・マネージャー、プライベート・エクイティ・ファンドの経営者、マーケティングの教祖、広報調査員、電話勧誘員などだ。なんとなく、いかにも現代資本主義らしい職業のようだ。

けれどもよく見ると、その多くは政府と密接に関係する仕事だ。ロビイストや政策アナリストは言うまでもないし、企業の顧問弁護士もその仕事の多くは政府の規制や税務に関する相談だろう。著者グレーバーも「企業コンプライアンスのような産業全体が、政府による規制がなければそもそもいっさい存在しないであろう」(第五章)と述べる。

とりわけ著者がブルシット・ジョブの「範例」とみなすのは、金融業である。複数の巨大国際銀行にリスク管理担当として雇用されてきたサイモンという人物の「控えめな見積もり」によれば、「銀行の六万人のうちの八〇%が不必要」(同)だったという。

だが金融業は、政府とのつながりが最も強い産業の一つだ。さまざまな規制を受ける一方で、保護によって守られてもいる。普通の企業が経営危機に陥っても政府が税金で救ってくれることはめったにないが、銀行ならたいてい助けてもらえる。万が一、破綻しても、預金は公的な預金保険で守られ、預金者に迷惑はかけない。

これでは少しでも経営の無駄を削って競争に勝とういう気にはならないだろうし、その必要もないだろう。逆に、金融業が一般の産業並みに競争にさらされていれば、あきれるような無駄を放置する余裕はないはずだ。

著者グレーバーも「競争の激しい市場においては、不必要な労働者を雇い入れる資本家たちは生き残りの見込みがない」(同)と認める。

そうだとすれば、ブルシット・ジョブの原因はいったい何か。ここで著者は、それは資本主義だろうという先入観を完全に打ち砕く。

もしブルシット・ジョブの存在が資本主義の論理に逆らっているようにみえるとすれば、ブルシット・ジョブの増殖に対するただひとつのありうる説明は、いまのこのシステムが資本主義ではないからということになる。あるいは少なくとも、アダム・スミスやカール・マルクス、さらにいえばルートヴィヒ・フォン・ミーゼスやミルトン・フリードマンの著作から認めることのできるような資本主義ではないということになる。(同。強調は引用者)

ブルシット・ジョブを生んでいるのは資本主義ではない。少なくとも「新自由主義」の元凶とされるミーゼスやフリードマンが語るような、自由放任的な資本主義ではないと著者は言い切っている。そしてブルシット・ジョブを生む今の経済体制について、さらにこう述べる。

そこでは経済の命法と政治の命法とが大幅に融合をはじめているがゆえに〔略〕資本主義とはまったく異なっているということになる。たしかに、多くの点で、それは古典的な中世封建制に類似している。貴族や封臣、従者たちからなるヒエラルキーをはてしなくつくりだす傾向も同じである。(同)

ブルシット・ジョブの本当の犯人は近代的な資本主義ではない。中世封建制にも似た、経済と政治が融合した体制なのだ。その体制の名前を著者は記していないが、他の専門家からは「縁故主義」「縁故資本主義」「政治資本主義」などと呼ばれているものだろう。

そうだとすれば、ブルシット・ジョブをなくすには、「経済に対する政治の介入を排除し、近代的な資本主義を取り戻せ!」と叫ばなければならないはずだ。ところが、本書がせっかくベストセラーになっても、賞をとっても、そんな声はどこからも聞こえてこない。グレーバー自身、そこまで踏み込んではいない。

けれども読む人が読めば、本書の主張は政府の経済介入の縮小と自由な資本主義の擁護に行き着かざるをえないことに気づくはずだ。グレーバーは第七章でベーシックインカム(最低所得保障)の導入を提唱しているが、その目的は「官僚制の規模の大幅な縮小」である。もっとも、ベーシックインカムが官僚制の縮小につながるとは思えない

アナキストを自認する著者グレーバーには今後、もっと思索を深めてほしかった。残念ながら彼は昨年9月に急逝し、その望みはもうかなわない。

2021-01-15

政府は暴力である


法律は国民へのお願いではない。命令だ。命令に従わなければ、武装した政府職員に連れ去られ、牢屋に入れられる。抵抗すれば叩きのめされ、殺されるかもしれない。支配者が政治的な暴力に反対するのは、それが不正だからではない。暴力を使うのが自分ではないからにすぎない。

政府は暴力だ。政府が生活の多くを支配するに従い、人々は選択肢が二つしかないことに気づく。食う方になるか、食われる方になるかだ。食う方を選んだら、自分と家族を守るために何でもする。殺伐とした政治が嫌なら、政治の役割を小さくしよう。政府を自由で置き換えよう。

バイデン次期大統領を含め、現代の米大統領は「人民の意思」という言葉を多用する。これに同調する評論家たちは、強大な国家もまた賛美する。彼らが称える「民主的」手順はしばしば、政治家がほとんど無制限の政府権力を手に入れ、エリートの喜ぶ政策を押しつけるのに役立つ。

米議会はコロナ経済対策を含む5593頁もの法案を、読む時間もなく可決した。こうした無茶な立法は、ここ三十年近く珍しくない。ギングリッチ下院議長とクリントン大統領が成立させた1998年予算は4000頁あった。上院の長老バード議員いわく、「この怪物の中身は神のみぞ知るだ」

2021-01-14

言論規制の二重基準


米議会乱入が言論封殺と保守派への報復に利用される中、学者や記者の多くは口を閉ざしている。マッカーシズムと赤狩りの暗黒時代について長年語ってきた人の多くが、この検閲を支持するか、沈黙を守っている。標的が保守派なら当然だし、むしろ賞賛に値すると言わんばかりだ。

ツイッター社は数万もの保守派のアカウント凍結について「暴力扇動、組織的攻撃、選挙結果に関する誤解を招く情報の共有から会話を守る」と説明した。奇妙なことに、昨夏、全米の都市が無数の暴力的な抗議と度重なる暴動で文字どおり炎上した際には、こうした配慮はなかった。

なんとも皮肉なことに、いつも社会には「多様性」が必要だと言っている人の多くが、ソーシャルメディアにおける「意見の多様性」については強く反対している。言論の自由が完全に失われたら最後、他のあらゆる権利も遠からずなくなる。もはや守る手段がないからだ。

英政治家でEU離脱を推進したファラージ氏はこう指摘する。米民主党は数千万の米国民の価値観を憎んでいる。トランプ大統領が国民を過激化させたわけではない。彼らは以前から主流メディアに憤り、ソーシャルメディアを信じなくなり、中央政府とそのやり口に嫌悪を抱いていた。

2021-01-13

狭まる言論の自由


米議会への行進を支持者に呼びかけたトランプ大統領の発言は、言論の自由の範囲内だ。乱入を扇動したと弾劾すれば、悪い前例をつくることになる。第一次大戦中、徴兵に反対した社会主義者ユージン・デブスは扇動罪で逮捕された。民主党がトランプ氏に着せようとしている罪だ。
Turley: Swift new impeachment would damage the Constitution | TheHill

ソーシャルメディアのアカウント停止は、民主党による共和党への攻撃ではない。両党の主流エリートが許容する範囲を外れた、あらゆる意見に対する攻撃だ。バイデン次期政権のネオコン色の濃い軍事介入政策に対し、左翼や反戦団体から予想される批判もまた封じ込める狙いだ。
The Ron Paul Institute for Peace and Prosperity : The ‘War On Terror’ Comes Home

ウィキリークスのアサンジ氏が流出メール公表でリベラルの支持を失う以前から、オバマ政権の副大統領だったバイデン氏はアサンジ氏を「ハイテク・テロリスト」と呼んだ。オバマ政権こそ無人機で、イスラム過激派幹部の米国民アウラキ師と16歳の息子を裁判もせず殺害した。
Wednesday's Other Story - TK News by Matt Taibbi

英ロンドンのバライツァー裁判官は、ウィキリークス創始者アサンジ氏の米国移送こそ認めなかったものの、米国が同氏や他のあらゆるジャーナリストを起訴する権限を認めた。米国が国家の犯罪を暴露した外国人ジャーナリストを捕らえ、スパイとして起訴する前例を作ったのだ。
The US and UK Are Making Assange's Death More Likely - Antiwar.com Original

2021-01-11

奴隷制と資本主義


アダム・スミスは資本主義哲学の源泉とされる『国富論』で、英国の植民地主義とそれを支える重商主義思想を槍玉にあげることで、奴隷制を批判した。その他の著作でも、奴隷制がなくならないのは奴隷主が議会を支配し、補助金や政治的保護を確保しているからだと論じた。

NYタイムズ紙は「1619プロジェクト」の検証委員を務める歴史学者に次の主張の確認を求めた。「アメリカ植民者が英国からの独立を宣言した重要な理由は、巨富を生む奴隷制を守ることだった」。検証委員は、奴隷制は独立戦争の主要な原因ではなかったと警告したが、無視された。

英経済学者ケインズは晩年、優生学を「最も重要重大で、いわば現存する社会学の純血種」だと述べた。名誉副会長を8年務めた英国優生学会の晩餐会でのことだ。同学会はケインズが役員や顧問を務めた優生学組織の最後のもので、古くはケンブリッジ大学の学生時代にさかのぼる。

19世紀英国の社会学者スペンサーは、ロンドン市の保健委員会は官僚的で、公衆衛生を妨げると批判した。委員会は、コレラは汚水付近の空気から広がるという誤った理論を信じ、下水道工事に熱中した。政府と親しい業者を儲けさせ、テムズ川に汚物を捨て、飲み水で感染を広げた。

2021-01-10

ファシズムの復活

ナチスドイツでは生産手段の多くは国有化されなかったものの、価格、賃金、生産に対する規制によって政治と一体化していた。私企業のオーナーは名目だけで、その経営判断や行動は制限されていた。ドイツの企業家は誰でも自分の行動がナチスの目標の範囲内にあると知っていた。

Why Hayek was Right About Nazis Being Socialists – AIER

ステークホルダー資本主義の下では、企業経営者は彼を雇った株主の利益のために働くのではなく、ステークホルダーの規範や基準を強いる当局の命令に従う管理者になる。20世紀には、このように民間の経営者が政府の命令・指示に従う体制は「経済ファシズム」として知られた。

Stakeholder Fascism Means More Loss of Liberty – AIER

社会保障制度を創設したドイツの宰相ビスマルクは、こう語った。私の考えは労働者階級の買収だ。つまり労働者を味方につけ、政府は彼らのために存在し、彼らの幸福に関心を持つ社会組織だと思わせるのだ。人の苦しみや不幸で儲けるのは道徳的でない。民間に任せてはいけない。

American Progressives are Bismarck’s Grandchildren – The Future of Freedom Foundation

多数派は、権力を握る少数派と同じく、暴虐でありうる。人数の多さで正しいかどうかは決まらない。もしもある社会で、男性がある女性と性交渉を持つことが投票で決められたとしても、彼女にその「民主的」決定を強要することはできない。彼女の身体は彼女自身のものだからだ。

Opponents of Liberty Remain Misguided Sore Winners – AIER

>>翻訳@時事

2021-01-08

米議会乱入の波紋


わずか数カ月で様変わりだ。昨夏には黒人を虐げる警察は解散しろと主張していた人々が、今回の議会乱入に対する警察の対応は手ぬるいと言って怒り狂っている。極左団体アンティファの支持者は、議会デモ参加者の氏名を特定し、FBIにテロリストとして逮捕させようとしている。

Violence in the Capitol, Dangers in the Aftermath - Glenn Greenwald

トランプ氏支持者による米議会乱入事件をきっかけに、SNS規制論が広がってきた。NYタイムズのフレンケル記者は、オンラインでの政治運動がもたらした暴力だと批判した。しかし同記者は2018年の記事で、イラン政府がデモの参加者によるSNSの使用を制限したことを非難していた。

Caitlin Johnstone: The two-faced mainstream media is already using the Washington riot to call for more social media censorship — RT Op-ed

クーデターとは、軍隊など政府組織内のエリートが現職の政府高官を公然と追放しようとする違法な試みである。だから政府への抗議活動はクーデターではない。トランプ氏支持の帽子をかぶり、旗を振る無名の人々は政府エリートではないから、その意味でもクーデターではない。

The Capitol Riot Wasn’t a Coup. It Wasn't Even Close. | Mises Wire

トランプ時代は終わったか、劇的に異なる形に変化するかのどちらかだろう。トランプ氏は自分の政党をつくるか、政治的に忘れ去られるかのどちらかだろう。彼の支持者にとって彼は第一級の英雄であり続けるだろう。トランプ氏に触発された支持者層がすぐに屈するとは思えない。

Capitol riot spells the end for Trump with the Republicans. But he’s still a hero to many, so why not start a party of his own? — RT Op-ed

>>翻訳@時事

2021-01-06

米国式の社会主義


社会主義の下では、市場で決まる価格は存在しない。市場が存在しないからだ。価格は単に政府の命令で決まる。市場価格に基づく経済計算ができないから、政府が始める事業のコストを計算できないし、価格も決められない。だから社会主義経済が大混乱に陥るのは避けられない。

社会保障は給付金に対する「資格」だと言われるが、法的には何ももらえる資格はない。社会保障によって政府と市民の間に契約関係は生じない。制度そのものを続ける義務もない。もし議会が今日、社会保障の廃止を決議しても、契約違反で訴え、補償を求めることはできない。

1960年代、ジョンソン政権が公的医療保険を導入するまで、米国の医療水準は技術革新のおかげで急上昇していた。公的医療保険がそれを台無しにした。公的医療保険のアイデアは社会保障と同様、19世紀末にドイツの社会主義者の間で生まれ、米国の左翼が20世紀前半に持ち込んだ。

米国では教育バウチャー(利用券)の導入によって、国営教育は終わりに近づくどころか、逆に国家が教育に対し、より深く組み込まれた。バウチャーを受け取る私立学校への影響が大きい。私立校は流れ込んでくるバウチャー収入で教職員を増やし、校舎を新築し、機器を購入した。

米国では金貨・銀貨本位制のおかげで、19世紀に高い経済成長と繁栄を享受した。人々はインフレで貯蓄の価値が吹き飛ぶことはないと知っていたので、収入からまとまった額を貯めた。よく買われたのは百年物の社債だ。金貨で支払われるので、価値が損なわれないとわかっていた。

移民の規制を支持する人は、国には国境を守る権利があると言う。しかし国には権利はない。権利があるのは人だけだ。人は自分の私有地を不法侵入から守る権利はあるけれども、他人が生活や幸福追求のために国境を越えるのを止める権利はない。

2021-01-04

公益は私益、私益は公益


経済ニュースで「公益」という言葉をよく目にする。

日経の連載記事「コロナと資本主義」によると、環境配慮型の養鶏所を運営する米食品会社バイタル・ファームズは、株式上場の際、投資家向けの書類で「株主よりも公益」と異例の宣言をした。設備投資や買収提案を判断する際、短期的な株主利益だけではなく協力する農家や従業員の立場も考えるという。

この事例に限らず、今の世の中では、株主利益に代表される私益と、環境や雇用、地域社会といった公益は、対立するものという見方がほとんど当たり前になっているようだ。

いつからこうなってしまったのだろう。市場経済の世界では、公益と私益を対立するものとは考えないのが原則だったはずだ。

経済学者は、私益の追求こそが公益につながると説いてきた。アダム・スミスが『国富論』で、「われわれが食事ができるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、自分の利益を追求するからである」と書いたのは有名だ。

別の言い方をしよう。市場経済での自由な取引では、売り手と買い手の双方が利益を得る。もしそうでなければ、そもそも取引は起こらない。

株主が、所有する企業を通じ、人々に製品・サービスを売れば、株主だけでなく、買った人々も利益を得る。さまざまな製品・サービスで社会のすべての人々に利益を届ければ、それはすなわち社会全体の利益、つまり公益と言っていい。株主は自分の利益を追求することによって、公益に貢献している。

企業経営者の中には、「税金を払うのが企業の社会貢献」と口にする人がいる。それは正しくない。製品・サービスを売り、人々を満足させた時点で、すでに社会に貢献しているのだから。

消費者が環境への配慮を企業に望めば、企業はすばやく対応する。スーパーなどの店舗にはすでにそのような商品があふれている。

「株主より公益」と宣言したバイタル社は、経営方針が投資家の共感を呼び、上場時に2億ドルの資金を集めたという。その中には、短期の利益狙いの投資家もいるかもしれない。それでも不都合はない。

同社が頭で考えていることとは違い、私益と公益は対立しない。市場経済の社会では、公益とは私益であり、私益はすなわち公益なのだ。

2021-01-03

スペイン帝国とマネーの魔術

国家は財政悪化に直面すると、しばしばマネーの「魔術」に頼る。現代であれば、政府の傘下にある中央銀行にマネーを大量に発行させる。このマネーで政府の借金を肩代わりしてやれば、政府は返済を心配せず、好きなだけ浪費できる。もしこれが永遠にうまくいけば、まるでおとぎ話に出てくる打出の小槌を手に入れたようなものだ。

けれども、そうは問屋が卸さない。たしかにマネーを増やせば、政府は一時、借金返済の圧力から逃れることができる。だが、それは長くは続かない。なぜなら、生産活動の裏付けがないままマネーの量を増やせば物価上昇を招き、マネーの価値は下がってしまうからだ。結局、財政の破綻から逃れられない。

スペイン帝国がたどった道は、まさにそれだった。ただし、スペイン帝国が手にしたと思った打出の小槌は、中央銀行ではなく、アメリカ大陸の銀山だった。

スペインは「大航海時代」を経て、新大陸と呼ばれたアメリカ大陸を中心に、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる広大な植民地帝国を築いた。1516年に即位したハプスグルク家のカルロス1世は、神聖ローマ皇帝にも選出された(神聖ローマ皇帝カール5世)。カルロス1世は、ネーデルランド(オランダ)やオーストリアなどの広大な領土を支配したが、欧州の支配権を巡ってフランスと戦争を続けたため、財政が悪化した。

カルロス1世の退位後、ハプスグルク家はスペインとオーストリアの両家に分かれた。スペイン王を継いで1556年に即位したフェリペ2世は、イスラム勢力に立ち向かい、1571年にはオスマン帝国の海軍をレパントの海戦で破って威信を高めた。また、宗教改革を起こしたプロテスタントに対抗するカトリックの盟主として、諸国の内政に盛んに干渉した。

これらの軍事費を支えたのが、新大陸で発見された銀である。

1545年、スペイン統治下にあった現在のボリビア領で世界最大級のポトシ銀山が発見された。スペイン人はポトシ銀山で現地人(インディオ)を強制労働させて銀を採掘した。

ポトシ銀山はアンデス山中の標高約4000メートルという高地にあり、そこにいるだけで高山病になってしまう。それに加え、採掘は劣悪な環境での過酷な労働だ。精錬に水銀が用いられるようになってからは、有毒な水銀の蒸気によって多大な犠牲者が出た。数百万人が死亡したと言われる。

ポトシ銀山など新大陸から産出する銀の量は、16世紀後半には世界で産出される銀の80〜90%近くを占めた。16世紀から17世紀半ばまでの160年間では、欧州の銀保有量の3倍に匹敵する銀がスペインに運ばれたと推定される。そして、スペインに搬入された銀の5分の1は、スペイン王の取り分となった。

フェリペ2世はこの膨大な富を利用して戦争を繰り返し、版図を広げた。そしていよいよ、反カトリックのエリザベス1世率いる英国を征服するため、無敵艦隊の建造に着手する。大型軍艦127隻と数百隻の輸送船からなる史上空前の大艦隊である。その建造のための木材伐採で、スペインの山が禿げてしまったという。

ところが無敵艦隊は1588年、英仏海峡で英海軍に対し屈辱的な敗北を喫する。スペイン艦隊は敗走の途中、英国北方で嵐に遭遇し、65隻もの船が遭難した。帰還できたのはわずか54隻という、惨憺たる結果だった。

これらの戦費は、前述のように新大陸からの銀で賄っていたのだが、実際にはそれでも不足し、フランドルやドイツ、ポルトガルの資産家や、スペインの商人、イタリアの銀行家など欧州中の投資家から多額の借り入れをしていた。

当時のスペインは、歳入の半分を借金で賄っていた。議会の承認が必要な税収に頼る必要がないため、国王にとってはとくに魅力的だった。

これは将来への教訓になった。米経済学者のグレン・ハバードとティム・ケインは「行政機関の長が国家として資金を借り入れる無制限の権限をもっていると、財政は現実には必ず混乱する」と指摘する(『なぜ大国は衰退するのか』)。

スペインは1550年代に最初の債務危機に陥る。当時王子だったフェリペ2世は父王に宛てた手紙で、財政赤字は米大陸の銀ではカバーできないと述べている。即位と同時に膨大な借金を受け継ぎ、翌1557年に最初の破産宣言をした。これを含め、在位中に3回の破産宣言を行なった。その後の国王の治世においても3回の破産を宣言した。

これほど頻繁に破産しておきながら、貸し手がいなくならなかったのは、スペインが大銀山を持っていたからだ。スペインの膨大な借金は、銀行業を営む欧州各地の名家が、銀は今後さらに増えるという約束と引き換えに貸し付けたものだった。

けれどもその銀の価値は、新大陸から欧州に持ち込まれる銀の量が増えるに従い、急速に落ちていった。つまり、急速な物価上昇(インフレ)をもたらした。

1500〜1550年にかけてほぼすべての商品の価格が2倍になり、1585年までにさらに50%上昇した。1585年に銀貨1枚で買える食料や衣服の数量は、1500年当時に比べて大幅に少なくなったのである。欧州ではそれまで300年にわたって物価が安定していたため、これは実に大きな変化だった。

フェリペ2世は、この物価高に困惑した。古代ローマ帝国と違い、貨幣を改鋳して品位を落としたわけではない。大量の銀を発見し、それを銀貨にしたのだから、本来は豊かになってよいはずだ。それなのに、なぜインフレが起きてしまうのか。なぜ国家破産に追い込まれてしまうのか。彼には理解できなかったに違いない。周囲にマネーの仕組みを理解した有能な助言者がいなかったからだ。

経済学者の野口悠紀雄氏は、こう説明する。マネーの増加は、貨幣改鋳によっても銀の増加によっても起きる。改鋳という邪悪な意図を持っているかどうかは関係ない。そして、経済全体の生産量が増えなければ、物価が上昇してしまう。「マネーが増加し生産量が増加しなければ、価格が上昇する」という事実は、貨幣数量説として定式化されている。

スペインは、発見した銀のおかげで借金が容易になり、王室の購買力は増えた。しかしフェリペは増大した購買力を、膨大な軍事費という非生産的な用途に充てた。その結果、スペインの山は禿げてしまい、産業が発展することはなかった。だからスペインは豊かになれなかった。

野口氏は「もしスペインが銀山を発見していなければ、無敵艦隊の建造などという無謀な試みには乗り出さなかっただろう。スペインは、無知によって衰退したのだ」と述べる(『マネーの魔術史』)。

マネーの魔術は、国家を衰退に追いやる恐ろしさを秘めている。

<参考文献>

  • グレン・ハバード、ティム・ケイン、久保恵美子訳『なぜ大国は衰退するのか 古代ローマから現代まで』日経ビジネス人文庫
  • 野口悠紀雄『マネーの魔術史 :支配者はなぜ「金融緩和」に魅せられるのか』新潮選書

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)

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2021-01-01

金本位制という選択


1971年8月、ニクソン米大統領は金本位制の廃止(ドルと金の交換停止)を抜き打ちで発表した。ニクソン・ショックだ。その歴史的出来事から半世紀を迎える2021年は、世界の通貨制度にとって転機の年になるかもしれない。

2020年は世界的な株高となった。報道によると、世界の上場企業の株式時価総額は100兆ドル(約1京円)を超え、1年間で約15兆ドル増えた。支えとなったのは、新型コロナウイルスの経済影響を抑えるためとして世界の中央銀行がとった金融緩和策だ。主要9中銀の資産は9.7兆ドル膨らんだ。

しかし株価が高騰し、株を多く保有する富裕層を潤す一方で、人々の持つお金の価値は確実に薄まっている。

中央銀行が金融緩和でお金の量を増やすと、その分、1ドル、1円などお金一単位あたりの価値は薄まる。今はコロナの影響などで物価は下落気味だが、それでもお金の価値は実質薄まっている。もしお金の量を増やしていなければ、物価はもっと下がっていた(お金の価値が上がっていた)はずだからだ。

けれども今後、物価が上昇に転じれば、つまりインフレになれば、お金の価値は名目的にも薄まる。目に見える形でお金の価値が落ちるということだ。

政府・中央銀行は、小幅のインフレは経済にプラスだと根拠のない主張をしてきたが、都市封鎖や自粛要請で経済の足腰が衰えるなか、小幅でもインフレが起これば、国民の暮らしをじわじわと圧迫するだろう。インフレが事実上の税であることに、人々はようやく気づくことになる。

好き勝手にお金の量を増やせる今の通貨制度が続く限り、インフレの脅威はなくならない。経済にバブルをもたらし、政府債務を際限なく膨張させるといった弊害も消えない。

それに危機感を抱き、歯止めをかけようとする動きはある。米国の中央銀行である連邦準備理事会(FRB)理事に、金本位制復帰論者であるジュディ・シェルトン氏が指名されたことは、その象徴といえる。

金本位制は、政府・中央銀行が保有する金の量に応じてしか、お金の発行を認めない。有権者にばらまくお金を野放図に増やせない。だから五十年前、それを嫌ったニクソン政権は金本位制を廃止し、福祉や軍事予算の大盤振る舞いに道を開いた。日本など他の先進国もおおむね同じ道を歩み、今では政府の借金を高々と積み上げ、踏み倒す算段を巡らしている。

シェルトン氏を指名したトランプ大統領がホワイトハウスを去ることになり、彼女が理事になれるかどうかは微妙だ。けれどもそれが実現しなくても、バブルの破裂、財政危機の深刻化、インフレの発生といった痛みをきっかけに、今の通貨制度に対する反省機運が高まる可能性はある。

そのとき、金本位制は現実的な選択肢として再び輝きを増すだろう。米国はまだ金本位制の下にあった1950〜60年代にかけて戦後の繁栄を築き、それに先導されて世界経済も高度成長を成し遂げたのだから。