2019-09-28

資本家の安楽死

資本家の安楽死
ケインズ経済学の究極の目的は資本家の安楽死である。政府が富を再分配し、低利の資本供給を保証することで、貯蓄と投資を通じ起業家に資本を提供する仕組みは不要になる。政府が資本を支配し、完全雇用を請け負ふ。マルクス主義とは別の社会主義の天国に導くプロパガンダだ。
Hayek Was Right, Keynes Was Not An Economist | Mises Wire

気候変動対策の根拠
世界の平均気温上昇を産業革命前に比べ1.5〜2.0度に抑える国連の政策目標は、査読付きの経済学論文で支持されてゐない。ノーベル経済学賞を受けたノードハウス教授のモデルでも同様だ。国連「1.5度報告書」の共同筆者の1人は昨年の論文で、目標は正当化しにくいと認めてゐる。
The UN's Climate Change Agenda is So Extreme Its Own Analysts Can't Defend It | Mises Wire

不都合な事実
2016年発表の調査では、過去30年、世界で緑の植生は約14%増えた。その要因の70%は大気中の二酸化炭素の増加という。アフリカのサハラ砂漠周辺地域などで砂漠化が食い止められている。緑の増加は良いニュースなのに、報じられない。気候変動の運動家には不都合な事実だからだ。
Rejoice, the Earth Is Becoming Greener - Foundation for Economic Education

気候変動と寿命
マスコミは気候変動が起こす災害で多くの人が命を落とすと言ふけれども、実際には世界で寿命は伸び続けてゐる。豊かになれば防災能力も高まる。地球温暖化を食ひ止めるといふ名目で経済活動に介入したがる連中は、人々の生活水準を高めてきた経済活動を阻害しようとしてゐる。
If Climate Change Is Killing Us, Why Is Life Expectancy Increasing? | Mises Wire

2019-09-26

主戦場は株主総会

主戦場は株主総会
アマゾンの株主は、気候変動への取り組みを含む従業員の提案を否決した。グーグルの株主は、女性や非白人の格差是正を求める提案を拒否した。自由な市場を擁護する人々はこのやうに、株主の圧力を使ひ、自分の意見を社会に反映できる。主戦場は選挙ではなく、株主総会である。
Government Won't Save Us From "Woke" Corporations | Mises Wire

小国と繁栄
欧州が発展したカギは多様性と競争だ。国の小ささは弱さを意味しない。ベニスやジェノバなどの都市国家、ポルトガルやオランダといつた小国は政治経済面で大国となつた。ハンザ同盟やドイツ連邦のやうに小国間の連合はいつでも可能。小国は孤立でなく自治と相互補完への道だ。
What We can Learn from Liechtenstein | Mises Wire

経営者は搾取できない
長期で見れば、労働者に賃金を払ふのは消費者である。経営者は仲介役にすぎない。もし経営者が賃金を過度に低く抑へて利潤をあげれば、競合他社が賃金を引き上げる。自由な市場で利潤は縮小・消失に向かふ。賃金を労働の市場価値以下に抑へ、得た利益も長続きすることはない。
Why Employers Can't Exploit the Workers, Even if They Try | Mises Wire

もう一つの社会主義
百年前、権力層が共産主義に恐怖を抱いたのはブルジョアからすべてを奪ふと脅されたからだつた。ケインズのマクロ経済学は、市場経済を基礎とするやうに見え、歓迎された。しかしそれは、もう一つの社会主義である。通貨の創造を政府と中央銀行に委ねたインフレ主義でもある。
Keynesian Economists Ignore Say's Law. We're Paying the Price. | Mises Wire

2019-09-20

テロリストの勝利

テロリストの勝利
米政府は9/11テロを防げなかつたにもかかはらず、何も失なはず、むしろ欲しいものを手に入れた。より多くの税金に権力。気ままに投獄、監視、課税、捜査、支配する権限。変革も説明責任も免れた。米国の自由を破壊することがテロリストの狙ひだつたとすれば、それは成功した。
America After 9/11: The Terrorists Won | Mises Institute

自由も安全も失ふ
9/11後、戦争で殺された多数の内外市民、愛国者法、違法な行政行為、巨額の政府負債、監視権限の拡大、運輸保安局の空港統制、無用な国土安全保障省、警察の軍隊化。テロとの戦ひは平和も自由も安全ももたらさなかつた。自由と安全のどちらを選ぶかといふ考えは間違つてゐる。
What We Lost on September 11th | Mises Wire

防衛市場の不在
国防や国土安全保障の量は多過ぎるか、それとも少な過ぎるか。競争に基づく価格形成の結果、それらの真の市場価格はいくらになるか。それを知る方法はない。なぜなら消費者である市民と、国防や対テロ安全保障サービスの供給者との間に、直接売買する市場が存在しないからだ。
Public Goods, National Defense, and Central Planning | Mises Wire

軍隊は公共財か
軍隊は新古典派経済学で公共財(public goods)と言はれる。だが当初は純粋な防衛でも、国内外の市民への攻撃に転用されるリスクをはらむ。むしろ公共害(public bad)と見る人もゐるだらう。個人が進んで購入すれば財と言へるが、政府から税で購入を強制されるから財と言へない。
The "Public Goods" Excuse for Big Government | Mises Wire

2019-09-18

憎悪の理由

憎悪の理由
人はなぜ、意見の合はない相手を人でなし扱ひするのか。自分の信念を疑はなくて済むからだ。相手をまともな人間とみなせば、その意見が少なくとも一部正しいと認めなければならないかもしれない。相手が邪悪な人でなしなら、意見に耳を傾け、自分を疑ふ重労働をしなくて済む。
How We Polarize Ourselves | Libertarianism.org

国家は家族ではない
国家や民族を家族とみなすのは、人の心が現代世界の規模、複雑性、多様性に適応できないことによる誤りだ。人類の本能が発達した先史時代には、仲間内の相互依存が生存に欠かせなかつた。この本能に頼り続けるのは危険だ。近代化によつて手に入れた社会的協力と繁栄を脅かす。
Vice in The Virtue of Nationalism | Libertarianism.org

ポストモダン思想と自由
ポストモダン思想は自由主義にとつて脅威ではない。生き方を中央集権化することに懐疑的だからだ。ポストモダン思想は集団主義を嫌ひ、徹底した多元主義を好む傾向がある。ドゥルーズとガタリは「小さい土地」を占有することが重要と説き、フーコーは一般意志の存在を疑つた。
Postmodernism & the Free Society | Libertarianism.org

権力欲といふ悪
政治権力を行使したいといふ欲求はそれ自体、悪である。いつの時代も、権力を役立つやう使ひたいと言ふ人々がゐる。それは権力を行使したいのだ。立派に統治したいといふ人々がゐる。それは統治したいのだ。親切な主人になると約束する人々がゐる。それは主人になりたいのだ。
Do Socialists Mean Well? | Libertarianism.org

2019-09-08

戦争は割に合はない

戦争は割に合はない
戦争を起こすのは資本主義ではなく、資本主義に反する政策である。企業活動や貿易、移民、輸入、外国資本に対する政府の介入が戦争を生み出す。もし政府が市場経済に干渉しなければ、個人は誰も領土の拡大に関心を持たない。外国の征服は採算に合はず、戦争はすたれるだらう。
Economic Nationalism Is a Philosophy of War | Mises Institute

正義の戦争はない
個人間の紛争を行ひ、費用を負担するのは利害関係者だけである。革命も市民によつてたいてい自発的に実行され、費用がまかなはれる。しかし国家間の戦争は納税者の負担なしに実行できない。だから個人の紛争や革命には正義にかなつたものもあるが、戦争はつねに正義に反する。
War, Peace, and the State | Mises Institute

国家と道徳感覚
国家は人の道徳感覚をねぢ曲げる。個人が行へば非道の極みでも、国家は合法的に行へるといふ考へを吹き込まれる。もし私が誰かを恨み、その人物の隣近所まで爆撃したら、誰も私を擁護するまい。死者は「付帯的損害」にすぎないなどと言つたら、頭がおかしいと思はれるだらう。
Rothbard and War | Mises Wire

政策の見えないコスト
政府がたとへば立派で快適な図書館を建てたからといつて、それがただちに称賛に値するとは限らない。図書館建設に使はれた労働や資源によつて、代はりに何ができたかを考へる必要がある。もし他にもつと満足できる選択肢があつたら、たとへ良い図書館でも、相対的には失敗だ。
The Hidden Costs Behind Every Government Program | Mises Wire

2019-09-01

港市国家の伝統

東南アジア諸国連合(ASEAN)は2019年6月下旬に開いた首脳会議で、独自のインド太平洋構想の概要を打ち出した。

議長声明では、インド太平洋地域で「ASEANが中心的かつ戦略的な役割を果たす」と明記。日米が「自由で開かれたインド太平洋構想」を推進する中、その中核に位置する地域として自ら構想に関与する姿勢を示し、存在感の向上を狙っている。

東南アジアは近年、世界経済の中で存在感を増している。最近こそ米中貿易戦争のあおりで輸出が減速しているものの、一方で中国に代わる生産拠点として海外企業から投資が増える動きもある。独自のインド太平洋構想を打ち出す背後には、荒波にも動じない、したたかな経済力に対する自信が感じられる。

こうした中で、東南アジアの歴史にもあらためて注目が集まっている。それを雄弁に物語るのは、最近の世界史教科書の記述ぶりだ。


以前の教科書における東南アジアの扱いは、インドや中国にとっての辺境でしかなかった。その背景には、歴史学会において東南アジア史の扱いがインド史や中国史の延長にあったこと、陸上中心の一国史観ではとらえにくい海域国家の存在があったことがあげられる。

これに対し現在の東南アジア史では、固有な文化が東南アジアにあったことを基調として、陸上の領域国家ではない海域国家を強調するようになった。それだけでなく、古代から現代に至るまでさまざまな世界商品を産出し続けた地域であること、さらにそういった生産を背景に世界中の商人を集めたことなどが強調される。辺境から世界史の中心に躍り出た感すらある(神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分化会編『世界史をどう教えるか』)。

これはグローバル経済の特色でもある。ある教科書の表現を借りれば、東アジアや南アジアの文明世界からみれば東南アジアは辺境だが、東西交易が盛んになると、その辺境が二つの世界を結ぶ中心になるのである。

東南アジアの古い歴史に根付くグローバル経済の伝統を理解するキーワードは、「港市国家」である。