2024-03-10

自由を奪った政府の責任

韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は3月1日、日本の植民地支配に抵抗した1919年の「三・一独立運動」の記念式典で演説し、日本との安全保障協力を推進する姿勢を示す一方で、日韓の歴史問題については「歴史が残した難しい課題」と抽象的な表現にとどめ、徴用工問題など具体的には言及しなかった。日本の主要紙はおおむね前向きに受け止めているが、甘いといわざるをえない。戦時下で個人の自由を奪った行為を真に反省・批判しないまま、安保協力というきな臭い「日韓友好」を推し進めれば、日本人自身、いつかそのツケを払うことになる。
尹大統領の演説に対し、韓国の革新系紙ハンギョレは「これまで癒やされず、清算されていない日本軍「慰安婦」と強制動員被害者問題など日帝強占(日本の植民地支配)をめぐる韓日の歴史認識の違いに関して、「加害者日本」の省察と責任、義務については触れず、「痛ましい過去」、「歴史が残した難題」というあいまいな言葉を並べた」と手厳しい。強制動員被害者問題とは徴用工問題を指す。

一方、日本の新聞はおおむね前向きに受け止める。なかでも保守系の読売新聞は3月4日の社説で「日韓改善の流れを不可逆的に」と題し、「韓国で反日感情が刺激されがちな独立運動記念日に、大統領が日本と未来志向の関係を築く重要性を国民に訴えた意義は大きい」と持ち上げ、「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)問題への言及もなかった」と評価する。

題名の「不可逆的」とは、2015年12月28日、当時の岸田文雄外相らが発表した、軍慰安婦問題に関する「日韓合意」の「最終的かつ不可逆的に解決される」という文言を意識したものだろう。ようするに、徴用工にしろ軍慰安婦にしろ、韓国との歴史問題はすでに解決済みなのだから、二度と蒸し返すなというメッセージだ。これは日本政府の見解を踏まえたものでもある。

日本政府は、1965年に結んだ日韓請求権協定により、徴用工問題などは解決済みと主張する。しかし同協定で放棄された請求権に、個人の賠償請求権は含まれない。そもそも法理論上、不法行為に対する個人の賠償請求権を消滅させることはできないからだ。この事実は外務省も認めている(2018年11月衆院外務委員会)。

それにもかかわらず、2018年10月に韓国大法院(最高裁)が元徴用工に慰謝料の賠償請求権があることを認める判決を下すと、当時の安倍晋三首相は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決している」と従来の見解を繰り返し、「国際法に照らせば、ありえない判断」と反発した。しかし同協定で個人請求権は消滅していないのだから、韓国最高裁の判断は国際法に照らして十分ありうる判断だ。2005年に国連が採択した基本原則は、重大な人権侵害の被害者は、真実、正義、賠償、再発防止を求める権利を持つとしている。

さらに安倍政権は、韓国に進出している日本企業を集めて政府の立場を説明した。日本製鉄や三菱重工業は政府の見解に同調し、原告側と対話することを拒んだ。政府が事実上、企業と原告との協議に介入し、和解に進む道を閉ざしたといえる。2019年7月に政府は韓国への輸出規制を始め、8月には韓国を輸出優遇措置の対象となる「ホワイト国(現「グループA」)」の指定から外した(2023年7月に再指定)。表向きは否定したものの、これらは徴用工判決への報復措置とみるべきだろう。自由な貿易を妨げる迷惑かつ不当な行為だ。

昨年3月、尹政権は日本企業の代わりに韓国政府傘下の財団が原告に判決金を支払い、賠償を肩代わりする仕組みを発表した。原告・遺族の多くは財団から判決金を受け取ったものの、他の原告・遺族はあくまで日本政府・企業からの謝罪と賠償を求め、受け取りを拒否している。

歴史研究者の竹内康人氏は「日韓の友好は日本が植民地責任をとることからはじまります」(『韓国徴用工裁判とは何か』)と指摘する。政府同士が被害者の頭越しに「手打ち」をしても、真の友好への道は開けない。戦時の動員を口実に過酷な労働を強い、個人の自由を踏みにじった日本政府の責任をあいまいに済ませれば、やがて日本人自身が報いを受けることになるだろう。

2024-03-06

核とリベラル派の堕落

米ソ冷戦下の1954年3月1日、米国の水爆実験で太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁は壊滅的な被害を受けた。現地住民だけでなく、周辺海域で操業していた日本のマグロ漁船、第五福竜丸も空から灰状の放射性降下物を浴び、23人の乗組員全員が被曝する。事故から70年を迎えたのを機に朝日新聞は3月2日の社説で取り上げ、「世界のヒバクシャらと連帯を強め、核なき世界へ歩みを進めねばならない」と訴えた。その言やよしだが、もし日頃、核大国間の紛争激化を煽るような戦争報道をしていなければ、もっと説得力があっただろう。
実験された新型水爆「ブラボー」の破壊力は広島原爆の1000倍もあった。第五福竜丸の乗組員は全員、放射線でやけどの状態になり、頭痛、吐き気、目の痛みなどを訴え、顔はどす黒く変わり、歯ぐきからは血がにじみ出、髪の毛を引っ張ると根元から抜けてしまうなど、急性放射能症にかかった(川崎昭一郎「第五福竜丸」)。このうち無線長の久保山愛吉さんは半年後、40歳の若さで死亡した。死因は「急性放射能症とその続発症」と発表されたが、現在では、急性放射線障害と治療の輸血に伴う劇症肝炎が多臓器不全を引き起こしたとされる(小沢節子「第五福竜丸から「3.11」後へ」)。第五福竜丸だけでなく、外国船を含め1万人を超える乗組員が被爆したといわれる。だが朝日が指摘するように、日本政府は米側からの見舞金で政治決着を図り、被曝の影響を否定して健康調査もしなかった。

実験場とされたマーシャル諸島の人々も痛ましい運命をたどった。オンラインマガジンのディプロマットが述べるように、米政府は実験に先立ち、ビキニ環礁の住民に対し「一時的に」故郷を離れるよう求めたが、その後ビキニは居住不可能なままで、元住民は今も戻れていない。ビキニに近いロンゲラップ環礁などの住民はまったく避難させておらず、子供たちは降灰の中で遊んでいた。米軍は3月3〜4日に住民を避難させたが、すでに多くの人が放射線で体調を崩していた。米政府は今も一部を除く島々について放射性降下物の範囲や深刻さを認めておらず、何千人ものマーシャル人が米国の医療対策の対象となっていない。

朝日はビキニ事件の反省を踏まえ、「すべての核被害者の先頭に立ち、核廃絶への道を切り開くのは被爆国・日本の使命である」として、核兵器禁止条約と距離を置く姿勢をただちに改めるよう、政府に強く求めた。正論だが、核兵器の恐ろしさをそれほど理解しているのならなぜ、たとえば2月24日の社説ではウクライナ戦争について、即時停戦を訴えるのでなく、「息長くウクライナを支えていく責務がある」などと書くのだろうか。戦争当事者であるロシアも、ウクライナを支援する米国も核大国であり、戦争が長引けばその分、核戦争の可能性が強まるというのに。

2月21日にはリベラル派の国際政治学者、藤原帰一氏が朝日の連載コラムで、イスラエルのガザ攻撃については攻撃のすべてとヨルダン川西岸への入植の即時停止を求めながら、ウクライナについては「ロシアとウクライナとの停戦ではなく、ウクライナへの軍事・経済支援を強化し、侵攻したロシアを排除することが必要」だと主張した。ロシアの攻撃が軍人と文民を区別しない「国際人道法に反する攻撃」であることが理由だという。その理屈でいけば、ウクライナがそれこそ人道に反し、自国のロシア系住民を迫害・殺傷してきたことに対して、ロシアが軍事的手段に訴えたことを批判できないはずだ。いずれにせよ戦争は長引き、核戦争のリスクは高まる。

朝日新聞の混迷ぶりは、日本のリベラル派の限界と堕落を象徴している。

2024-03-03

永田町の特権集団

衆院政治倫理審査会が2日間にわたって開かれ、岸田文雄首相と安倍、二階両派の幹部が出席し、自民派閥の政治資金パーティー収入不記載事件について弁明した。主要各紙の社説はいずれも、政府・自民に批判的ではある。ところが、国民にとって最大の問題がなぜか論じられていない。税の問題だ。
たとえば、産経新聞は3月1日の社説で、岸田首相の弁明について「還流資金の政治資金収支報告書への不記載をいつ、だれが、どのような理由で開始したのか、またその使途など、肝心な点は明らかにならなかった」と述べる。政治資金規正法に違反し、収支報告書に記載しなかったことはたしかに問題だが、国民、つまり納税者にとって「肝心な点」はそこではない。数億円単位の裏金を「政治資金」として届ければ課税されない、という制度そのものが問われているのだ。

市民グループの12人が2月1日、東京地検に告発状を提出した。自民党安倍派の議員10人が2018〜22年に、派閥主催のパーティー券の売上金を税務署に申告せずに脱税したとする内容だ。東京新聞は「こちら特報部」(2月2日)でこの件を取り上げ、告発した市民グループ代表の「庶民なら厳罰を科されるのに、政治家なら2000万円を懐に入れても、収支報告書の修正で済まされる」というもっともな怒りの声を紹介。元官僚の政策アナリスト古賀茂明氏の「国民からは1円でも厳しく税を徴収するのに、権力者なら許されるというのは、明らかな差別」という発言を伝えた。

一部の人々は、政治家の税の特権には目もくれず、ありもしない特権を躍起になって糾弾する。いわゆる在日特権だ。在日コリアンへの憎悪をあおるデマとして知られるが、一部の保守派政治家や活動家はいまだに固執する。自民党の杉田水脈衆院議員はX(旧ツイッター)に、在日特権は「実際には存在します」と投稿し、批判を招いた。

2月28日の衆院予算委員会分科会では、日本維新の会の高橋英明議員が在日特権を取り上げ、税制面の優遇措置といった特権はあるのかと質問。国税庁は「対象者の国籍であるとか、特定の団体に所属していることをもって特別な扱いをすることはない」と否定した。

この問題についても東京新聞が「こちら特報部」(3月1日)で扱い、税以外にも在日特権は存在しないと指摘している。たとえば、入国審査時の顔写真の撮影や指紋採取などが免除される「特別永住資格」だ。日本は1910年に日韓併合で朝鮮人を「日本国民」にして、労働力として日本で炭鉱労働などに従事させ、終戦後に日本国籍を剥奪した。韓国政府と議論の結果、子孫を含め、安定的な生活が送れるように整備されたのが特別永住資格だ。出入国在留管理庁は「日本への定住性が強いことや、日本国籍を失わせてしまったことへの配慮は必要で、結果的に一般の永住者と違いが生じた」と説明する。日本の植民地支配という歴史的な背景があるのだ。

日本における最大の特権集団は、永田町にいる政治家たちだ。メディアは日頃、さまざまな差別問題を取り上げ、差別はよくないと叫ぶけれども、政治家の巨大な特権や庶民との差別には、気づかないか、気づかないふりをする。

2024-03-02

靖国神社という政治の道具

靖国神社に自衛隊の幹部や隊員が集団参拝し、議論を呼んでいる。1月9日には陸上幕僚副長らが靖国神社に集団参拝し、公用車の使用が不適切だったとして計9人が処分された。また2月には、海上自衛隊の幹部候補生学校の卒業生が昨年5月、練習艦隊の当時の司令官らとともに参拝していたことが明らかになった。これについて産経新聞が参拝擁護の持論を展開しているが、ついていけない。
コラム「産経抄」は2月26日、「靖国神社に参拝してなぜ悪い」と題し、参拝を問題視する朝日新聞を批判。「弊紙は首相をはじめ、靖国神社に参拝しないほうがおかしいと主張している」と述べた。

産経の主張の内容を、1月16日の社説で確かめよう。宗教の礼拝所を部隊で参拝することなどを禁じた1974年の防衛事務次官通達について、産経は「靖国神社や護国神社は近代日本の戦没者追悼の中心施設で、他の宗教の礼拝所と同一視する次官通達は異常だ」としたうえで、「戦没者追悼や顕彰を妨げる50年も前の時代遅れの通達は改めるべきだ」と批判する。

靖国神社が「近代日本の戦没者追悼の中心施設」だという主張にはごまかしがある。幕末・維新の内戦では官軍の戦死者だけが祀られ、幕府側や西南戦争の西郷隆盛などの戦死者は天皇にそむいた「賊軍」だとして祀られていないし、対外戦争についても基本的には軍人・軍属だけで、原爆や空襲などで死んだ民間人は合祀されていない。

静かに「追悼」するだけならまだしも、「顕彰」(靖国神社ホームページの表現では「事績を永く後世に伝える」)は問題が大きい。旧日本帝国は、支那事変(日中戦争)や大東亜戦争(アジア太平洋戦争)以前にも、日清戦争、台湾征討、北清事変、日露戦争、第一次世界大戦、済南事変、満州事変と数年ごとに対外戦争を繰り返し、勝利して多くの植民地を獲得するとともに、抵抗運動を弾圧した。これが侵略戦争でないというのは無理がある。その「事績」を永く後世に伝えたいという靖国神社の姿勢は、侵略戦争を肯定していると見られても仕方がない。

靖国神社の死者の圧倒的多数を占めるアジア太平洋戦争の「英霊」たちは、「日本を守るため尊い命をささげた」と産経はいう。尊い命を本当に自発的に「ささげた」のかという問題を別にしても、兵士たちが守ろうとした日本とは、それ以前の多くの戦争によって築かれた植民地帝国であり、それ自体が日本軍のアジア侵略の産物にほかならない。

靖国神社が一宗教法人としての信念から、いわゆるA級戦犯を含め、侵略戦争や植民地支配に責任のある人々であっても、その霊を鎮めたいというなら、そうすればいい。しかし首相や閣僚、自衛隊幹部らによる参拝は、引退後ならともかく、少なくとも現役中は(たとえ「私人」の立場だと強弁しようと)認めるべきではない。部下の自衛官に圧力をかけて、見せかけだけの「個人の自由意志」で参拝させることも同様だ。

なぜなら、国家が宗教を利用して過去の戦死者を称えることは、現在の国民の戦争に対する嫌悪や抵抗を弱め、将来の戦争に協力させるための常套手段だからだ。それが過去の侵略戦争を否定しない、あるいは積極的に肯定しさえする宗教・宗派だとすれば、戦争への歯止めはさらに弱くなるだろう。

「国内左派の批判や外国の内政干渉におびえ、首相や閣僚の参拝が近年減ったのは残念だ」と産経は嘆くけれども、戦争は御免だと願う普通の日本人として、首相や閣僚の靖国参拝が減るのはまったく残念ではないし、むしろ喜ばしい。宗教を、戦争を煽る政治の道具として利用させてはならない。国民に重税を課し、自分たちは裏金によって課税を不当に免れるような、平時から国民をないがしろにする政治家たちであれば、なおさらだ。

ところで産経は、北方領土を占領し、ウクライナに攻め込んだロシアを「侵略者」と呼んでしきりに非難している。よほど侵略戦争が許せないらしい。その報道のおかげで日本人の間に「侵略戦争は許せない」という感情が広まり、日本の過去のアジア侵略を反省する人が増えれば、靖国参拝を安易に支持する人は減るだろう。呵呵。

2024-02-28

領土問題で対立を煽るな

2月は領土問題にまつわる出来事が相次いだ。1日には、尖閣諸島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内に中国が設置したとみられるブイを先月発見したと政府が発表した。7日は「北方領土の日」、22日は「竹島の日」だった。保守派の産経、読売新聞がそれぞれ社説でこれらの話題の全部または一部を取り上げたが、その多く、とりわけ北方領土については、相手国との対立を無用に煽り立てるものだ。
北方領土について、産経新聞は7日の社説を「ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵略を始めてから2度目の「北方領土の日」を迎えた」と書き出し、北方領土とウクライナを同列に論じた。「ウクライナはロシア軍に侵攻され、領土を占領されている。北方領土とウクライナは同じ構図の問題といえる」としたうえで、「領土を取り戻すために日本とウクライナは連帯を強め、侵略者ロシアに立ち向かいたい」と勇ましく主張する。読売新聞の8日の社説も同様の趣旨だ。

ロシアのウクライナ侵攻は、戦争という手段に訴えたことが良いとはいえないものの、ウクライナ政府から暴力による迫害を受けたロシア系住民を救うという目的があった。ロシアが侵略者だとすれば、ウクライナは自国民を殺傷した迫害者だ。産経は岸田文雄政権に対し「日本はウクライナと同様に、ロシアに領土を不法に奪われている被侵略国だ―という事実を内外に強く発信する」よう求めるけれども、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国を中心として、ロシアを一方的に侵略者と非難する米欧の主張を信じない国は多い。産経が政府に求めるような「発信」は、世界で失笑を買うだろう。

たしかに、ソ連時代のロシアが第二次世界大戦の末期、降伏交渉に入った日本に対し、中立条約に反して攻撃を加え、北方四島を占領したり、日本がサンフランシスコ講和条約で、連合国の「領土不拡大原則」に反する千島列島の放棄に同意させられたりしたことは、日本のアジア侵略の問題とは別に、不当きわまりない。

もっとも、ソ連の占領や千島列島放棄の起源は、米国がソ連の対日参戦の見返りに千島列島を引き渡すとひそかに約束した「ヤルタ密約」にある。侵略をそそのかした米国には何も言わず、ロシアだけを居丈高に非難するのは、これまた世界の笑い物だ。

なにより、相手国と対立すれば問題の解決はむしろ遠ざかるし、最悪の場合、武力行使に発展すれば、たとえ小さな島を手に入れたとしても、犠牲ははかりしれない。戦争は高くつく。紛争は平和的に解決しなければならない。

領土問題は国民感情を揺さぶり、ナショナリズムを高揚させやすい。だからこそジャーナリズムによる冷静な議論が必要だ。売るために対立を煽るメディアはいらない。

2024-02-24

戦争をやめさせない新聞

ロシアがウクライナに侵攻して2月24日で丸2年となった。新聞各紙は一斉に社説で取り上げたが、たいていの論調はこれまでとまったく変わらない。ウクライナはあくまで戦い続けろ、という勇ましい主戦論だ。戦況がウクライナに不利となり、多数の兵が戦場で日々命を落としているにもかかわらず、戦争をやめるなという主張は、ウクライナ人はもっと大勢死ねと言うに等しい。
とくに目に余るのが、日ごろは日本国憲法の平和主義を守れと唱える、朝日新聞のタカ派ぶりだ。24日の社説で「ロシアが一方的に始めた戦争を終わらせられるのは、ロシアだけだ」と決めつけ、あらためてプーチン露大統領に対し「ただちに停戦し、ウクライナ領土から全軍を撤退させよ」と、中身に全然進歩がない。

朝日の「ロシアが一方的に始めた戦争」という言葉に読者は、ウクライナとの戦争は2年前の侵攻で突然始まったと思い込むだろう。しかし今回の戦争は、激化はしたものの、長期の紛争の一局面にすぎない。紛争は2014年2月にウクライナで起こったクーデター「マイダン革命」から断続的に続いている。親露派の大統領を倒し、親米派を据えたクーデターで、米国が関与していた。

民族主義色の濃い新政権は、ロシア語の使用禁止などロシア系住民差別政策を打ち出し、このため東・南部で大規模な抗議デモが起こる。政府はこれを暴力で弾圧し、その後も度重なる砲撃で女性や子供を含む多数が死傷してきた。2年前にロシアが侵攻に踏み切った際、ロシア系住民の保護を目的としたのはそのためだ。内戦への武力介入という選択が最善だったかどうかはともかく、経緯を無視して断罪するのは乱暴すぎる。他国への人道的介入は米国もたびたび行っている。

別の背景として、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授が指摘するように、米欧が北大西洋条約機構(NATO)をそれこそ一方的に東方に拡大し、ロシアの安全を脅かしてきたことも見落とせない。

朝日はプーチン大統領に対し「ただちに停戦」せよと求めるが、ロシアはこれまで停戦を探っており、それを米欧が阻んできたというのが事実だ。2022年3月、ロシアとウクライナはトルコのイスタンブールで停戦について会談し、ほぼ合意した。ところが米英が介入してウクライナのゼレンスキー大統領に合意を破棄させ、長期戦に踏み切らせた。仲介を務めたイスラエルのベネット元首相らが明らかにしている。

また、今月13日のロイター通信の報道によれば、昨年末から今年初めにかけて、ロシアが米国に接触し、停戦の可能性を探ったものの、米国に拒否されたという。

プーチン大統領は今月、米国人記者タッカー・カールソン氏のインタビューで、停戦に向けた対話について聞かれ、イスタンブール会談が中断された以上、ロシアから最初の一歩を踏み出すつもりはないとして、こう答えた。「なぜ、他人の過ちをわざわざ正さなければならないのか」。当然の言い分だろう。

朝日は「侵略者が得をする事態に至れば、模倣する勢力が後に続き、力と恐怖が支配する世界が現出しかねない」と書く。そのご高説を、徴兵され前線に送られるウクライナの兵士やその家族に聞かせてやればいい。きっと喜んで犠牲になってくれるはずだ。

2024-02-23

騒がれる獄中死、無視される獄中死

ロシアの野党活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏が、獄中で急死した。これに対し米欧政府は、死因もまだ定かでないのに、プーチン露大統領に責任があると非難した。日本の主要紙はその尻馬に乗るかのように、一斉にナワリヌイ氏をほめたたえてその死を悼み、ロシアを叩いている。
朝日新聞は2月19日の社説で「直接の死因は不明だが」と断りつつ、「過酷な環境で自由を奪われていたことを考えれば、プーチン政権による弾圧が引き起こした悲劇であることに間違いはない」と決めつける。苦しい屁理屈だ。もし朝日のこの理屈が正しいのなら、同じ「過酷な環境」の刑務所で自由を奪われて過ごす囚人たちがバタバタ倒れていなければおかしいが、そんな情報はない。

朝日の主張は、「何が起きたのか正確には分からないが」と前置きしつつ、「プーチンと彼の悪党たちがしたことの結果であることに疑いはない」となぜか自信満々断言した、バイデン米大統領の無責任な発言と大した違いはない。

朝日は続けて、ナワリヌイ氏の経歴について「2000年代から、政府高官の隠し資産や豪邸などを暴露するブロガーとして人気を集めた」とだけ述べる。間違いではないが、これだけでは同氏がどんな人物かわからない。

ナワリヌイ氏がロシア政界で頭角を現したのは2006年、極右の年次集会「ロシアの行進」(同年モスクワで禁止)を支持してからだ。同氏はイスラム地域からの移民を「虫歯」にたとえ、移民の自由に反対した。12年には、「ロシアの外交政策はウクライナやベラルーシとの統合に最大限向けるべきだ」と説いた

つまりナワリヌイ氏は、進歩的な朝日が忌み嫌うはずの、ヘイトスピーチを行う極右だったうえ、ウクライナのロシア統合を説く民族主義者だったのである。実際、ウクライナではロシアの民族主義者として非難された。ロシアの「侵略」と戦うウクライナを応援する日本のメディアが、そんな人物をほめたたえるのは筋が通らない。

その後、ナワリヌイ氏の発言は穏やかになったが、それは純粋な信念の変化というよりも、西側諸国の支持を得たり、自らを「反プーチン」と称したりするためだったとみられている。朝日など日本のメディアが同氏を持ち上げるのも結局、「反プーチン」なら誰でもいいからだろう。

大騒ぎされるナワリヌイ氏の死と対照的なのは、先月ウクライナの刑務所で死去した米国人ジャーナリスト、ゴンザロ・リラ氏だ。ウクライナ東部ハリコフ州に住み、ブログや動画で情報発信してきたリラ氏は昨年5月、ウクライナ保安局(SBU)に逮捕され、ウクライナの指導部と軍の「信用を失墜させた」として訴えられていた。

同氏の父親によれば、リラ氏は獄中で重い肺炎にかかったのに刑務所から無視された。父親は「息子の死に方を受け入れることはできない。拷問され、恐喝され、8カ月と11日間も隔離されていたのに、米大使館は息子を助けるために何もしなかった」と嘆いた

リラ氏の非業の死について、日本のメディアがウクライナ政府に対し怒りを表明することはなかった。同じ獄中死でも、政治的な事情によって、騒がれたり無視されたりする。これがジャーナリズムの現実なのだ。