2019-07-30

闇市は命綱

闇市は命綱
政府が経済活動の一部を禁止・規制すると、闇市が人々に必要な物資の入手を可能にする。不安定な政府ほど価格統制や重税、投獄の脅しまで使つて体制の崩壊を防がうとする。事態悪化につれ、ベネズエラやギリシャのやうに、地下経済は危機を生き抜くうへできはめて貴重になる。
How the Black Market Is Saving Two Countries from Their Governments - Foundation for Economic Education

北朝鮮を救ふもの
北朝鮮では1990年代以降、政府が国民に食料を十分支給できなくなると、国中に闇市が広がり始めた。国家の経済介入に反発するチャンマダン(闇市)世代と呼ばれる若者たちが台頭。今日、闇市は北朝鮮人の生存に重要な役割を果たす。国民の5人に1人が直接間接に闇市に依存する。
In North Korea, Black Markets Are Saving Lives - Foundation for Economic Education

フランスの闇市
終戦直後のフランスにとつて、闇市は経済学的観点から非常に良いものだつた。闇市のおかげで社会は無秩序を免れたし、闇市で物価上昇が保たれたため、生産が完全にストップせずに済んだ。仏政府が価格統制と物資割当を徹底し、闇市がなければ、経済回復はもつと遅れただらう。
Black Markets Were a Lifeline for Postwar France - Foundation for Economic Education

有事こそ市場経済
終戦直後の英国では多くの経済統制が敷かれた。その背景には、自由な市場と価格システムは平時のためのものであり、豊かな国だけに適してゐるといふ考へである。しかし多数の異なる商品をその不足に応じ、利潤をテコに速やかに供給することこそ、まさに市場経済の本領である。
England vs. the Price System | Mises Institute

2019-07-22

政府は経営できない

政府は経営できない
政府を民間企業のやうに運営できるといふ考へは間違ひだ。政府はその収入を刑罰の脅しによつて集めるのに対し、企業は顧客との自発的な取引によつて収入を稼がなければならない。企業経営者の目的は利潤をあげることだが、官僚にとつての「成功」はほとんど定義不可能である。
You Can't Run a Government "Like a Business" | Mises Wire

政府の「事業」
行政サービスを民間企業のやうに運営することはできない。政府は資本を納税者から徴収できる。民間企業はコストをできる限り削減することで利益を得ようとするが、政府はその必要がない。サービスを減らすか価格を上げればよい。行政サービスはどれも独占かそれに近いからだ。
The Business of Government | Mises Institute

政府の目的?
民間企業の最大の目的は利潤の獲得だ。顧客になるかどうかは自由である。資本は私的に所有される。一方、政府の資産は理屈上は納税者のものだが、事実上、官僚と政治家に支配される。目的は建前上、各省庁の根拠法に定めてはあるが、達成できてゐるかどうかを知る方法はない。
Why Government Cannot Be Run Like a Business | Mises Wire

官民連携の正体
官民連携とは古い中身に新しい呼び名をつけただけだ。大きな政府とは、政府とそのお気に入りの企業の双方が得をするやう連携すること。16〜18世紀欧州の重商主義では、消費者への重税や多くの商工業者への規制により、気に入つた企業の独占やカルテルを助け、助成金を与へた。
The "Partnership" of Government and Business | Mises Institute

2019-07-18

国家の幻想


出典:Hans-Hermann Hoppe, The Great Fiction
(数字はKindle版の位置No.)*現在はペーパーバック版のみ販売中。

少数の人間が社会の多数を長く支配するには、暴力だけでは無理だ。進んで支配を受け入れさせねばならぬ。国家は正当だと信じさせ、多くの政策が失敗しても、国家そのものを疑わせないようにしなければならぬ。それには知識人の助けが必要だ。(ハンス・ホッペ) 147

人々に教育を強制するには、誰もが平等に教育可能だと言わなければならぬ。知識人はそんな平等主義が嘘だと知っている。だが十分な教育さえ受ければ誰もがアインシュタインになれるとデタラメを言えば、大衆は喜び、知的サービスの需要は天井知らずとなる。(ハンス・ホッペ) 162

大衆は哲学的な事柄についてあれこれ考えない。日々の暮らしで手いっぱいだ。大衆が国家を支持するのは、国家が今存在し、記憶する限りずっと存在してきたからにすぎない。(ハンス・ホッペ) 178

ある人物が紛争の調停役に名乗り出たとする。ところがその人物自身、紛争の当事者になるかもしれないという。そんな申し出はふざけている。国家を紛争の調停役にするという考えは、まさにこれなのである。(ハンス・ホッペ) 245

2019-07-14

効率改善の落とし穴

効率改善の落とし穴
起業家による価値創造とは、未来に向けた行動である。一方、効率改善とはすでに存在するものを対象とする。改善できるのは確立された手順だけだから。破壊を伴ふ価値創造でなく効率改善に固執すれば、古い経営体質を強化するばかりだ。効率改善は未来でなく過去の価値に頼る。
Why Modern Economics' Fixation with "Efficiency" Is Dangerous | Mises Wire

ノルウェー脱出
ノルウェーのベンチャー企業が新鮮なアイデアと資本を携へ、次々とニューヨークに移つて来てゐる。地元より税率が低く規制が緩やかなためだ。ノルウェーは高税率と厳しい規制に苦しんでゐる。このため米国はノルウェーのベンチャー企業が育つうへで、より恵まれた土地なのだ。
Norwegian startups flocking to New York for lower tax rates

偽りの経済回復
2008年以降の米経済回復は、景気対策と量的金融緩和による偽りの回復だ。本物の経済成長ではない。株高は富の創造に見えるが、国の生産力は弱いままだ。未曾有の金融緩和にもかかはらず実体経済の成長は貧弱で、その結果、物価水準は大きく上昇せず、比較的安定を保つてゐる。
Phony Economic Growth Stats Conceal Deep Problems on Main Street | Mises Wire

前近代への逆行
社会主義国は工業化と資本主義の利点を突き崩さうとする。経済において個人の選択と資本の蓄積は自然なことなのに、それを抑圧してきた。私有財産を侵し、経済を支配し、個人の意思決定を集団に従はせる。人口に十分な食糧を生産できず飢餓を招く前近代に社会を逆戻りさせる。
Socialism: A Man-Made Malthusian Trap | Mises Wire

2019-07-06

問題は格差か?

問題は格差か?
富の格差はそれ自体が問題だといふ主張に反論するのはたやすい。Aさんの年収が200万円、Bさんが500万円だつたとする。所得格差は300万円だ。もし2人の年収がそれぞれ倍増し、400万円と1000万円になつたら、メディアはそれを祝ふのでなく、「所得格差が600万円に拡大」と書く。
Escaping Poverty — Not Inequality — Is What Matters | Mises Wire

ゾンビ経済の恐怖
市場経済では、経営資源は儲かる分野に配分される。その結果、資源は効率良く利用される。だが赤字企業を政府が低金利などで生き永らへさせ、ゾンビ企業が増えれば、資源は誤つて配分され、経済全体の成長を妨げる。そして1990年代の日本のやうに、経済は停滞に向かふだらう。
The Zombie (Company) Apocalypse Is Here | Mises Wire

市場経済は死なず
意外かもしれないが、社会主義国でも市場経済は生き延びた。地下に潜り、闇市場になつたのである。非合法な商品だけを扱つた資本主義国の闇市場と異なり、ほとんどあらゆる種類の日用品が売り買ひされた。しかるべき時と所に、瓶の蓋からトイレットペーパーまで売られてゐた。
Black Markets Show How Socialists Can't Overturn Economic Laws | Mises Wire

利権としての軍隊
政府の軍隊がひとたび設立されると、政治家、官僚、市民はそれぞれ行動に影響を受ける。軍関係の仕事をしてゐる者は、その仕事を失ふまいとする。権限の拡大と収入の増加を望む。これらの目的を達するうへで戦争の支持は理想的な政策となる。職を守るために戦争を正当化する。
The Standing Army: A Threat to Peace | Mises Institute

2019-07-01

唐帝国の多様性社会

人種、宗教、性別、性的指向などによる差別をなくし、多様な人々が共存する社会を目指そうという声が強まっている。いわゆる多様性(ダイバーシティー)の議論だ。その一方で、今年3月、ニュージーランド・クライストチャーチのモスク(イスラム教礼拝所)で銃乱射事件が起こるなど、多様性に逆行する動きも目立つ。

出自を異にする多様な人々が平和に共存するためには、何が必要なのだろうか。この問題について格好のヒントを与えてくれるのは、中国で栄えた唐王朝(618~907年)である。

前王朝の隋が滅んだ後、武将・李淵(高祖)が長安に入り、唐を建てた。2代目の太宗、3代目の高宗の時代までに、中央アジアまで勢力を伸ばし、朝鮮半島にも進出したため、唐は7世紀後半、ユーラシア東方のほとんどを覆う大帝国となる。

唐の都、長安は総面積84平方キロメートルの都城の中に、盛時には百万の人口を擁する世界最大の活気あふれる都市だった。そこには世界各地からさまざまな人々が集まった。ただ集まったばかりでなく、出自を問わず、何の分け隔てもなく交わることができた。

人の集まるところに、異国の商人が交易のためにやって来たり、宗教家が伝道に訪れたりするのは、いつの時代もあることだろう。しかし唐朝ではそれにとどまらず、外来者もその社会の成員となって、中央・地方を問わず、役人として政務に携わり、武将として国の守りにつき、宦官となって宮中奥深くに仕える者までいた。

中国史学者の稲畑耕一郎氏は「ここでは、誰であれ、努力しさえすれば、遺憾なく本文を発揮でき、活躍する場が無限に広がっていると感じられた。いわゆる外国人としての治外法権もなければ、そのことだけによる差別もなかった」(『隋唐 開かれた文明』)と述べる。


それではなぜ、唐ではそうした開放的な社会の形成が可能だったのだろう。それは唐王朝自身が外来の政権で、少なくともその最盛期までは、外から来る者を排除しなかったためである。