2017年4月30日日曜日

責任を取らない国

日本人なら日本に誇りを持てという声が喧しい。しかし若者に死を強いた指導者らが責任を取らない国に、誇りなど持てないのは当然である。

小川榮太郎は『「永遠の0」と日本人』(幻冬舎新書)で、特攻の発案者と言われ、終戦時に割腹自殺した中将大西瀧治郎を「西郷隆盛に本当に私淑した、豪の者」と褒めそやす。そして「特攻の英霊に曰す、善く戦ひたり深謝す」で始まる大西の遺書を、「熟慮と断念と若者への激しい愛惜の血で書かれた絶唱である。百遍の熟視、味読に値する」と絶賛する。文芸評論家を名のるとは思えぬお粗末な文章感覚である。

大西の遺書の愚劣は、特攻で友人を失った医師の三村文男が二十年近く前、『神なき神風』(テーミス)で的確に指摘している

「善く戦ひたり深謝す」とは「よくやった、ほめてつかわす」ということである。英霊に対する言葉づかいではない。特攻死した部下たちを本当に英霊と思うのなら、たとえば「かしこみて特攻隊諸士の英霊に申し上げたてまつる。諸士は善く戦はれたり。深く謝したてまつる」と書かねばならない。大西の遺書は「あの世へ行っても司令官と部下の関係を続けるつもりであったような文言」であり、「傲岸不遜、神をおそれぬ態度」である。

それでも大西は腹を切ったのだから、まだ誠実だった。ところがそれ以外、特攻という帰還率ゼロの自殺行為を命じた責任を取り、自決した高級軍人は誰もいなかった。三村が憤るとおり「陸海軍の首脳部はじめ、責任をとるべき人たち」は「免れて恥とせず、戦後を生きのび」るという「厚顔」ぶりを発揮したのである。

小川も「終戦に際して腹を切った指導者の少なさは、戦後の日本の恥の始まりであった」と申し訳程度に書きはする。しかしその後、指導者の責任を問う文章は一切ない。

それどころか、指導者の責任をあいまいにし、免罪しようとする。たとえばこうである。「作戦をめぐる葛藤は……死に赴いた者のみならず、これを立案し、命じた者、特攻要員のまま終戦を迎え、生き延びた者それぞれが、それぞれの仕方で背負うことになる」。特攻を命じた者と命じられた者を同列に扱うことも不適切だし、人を殺しても道義的な「葛藤」を感じさえすればよしと言わんばかりの甘さも問題である。

小川は、特攻隊員の立派な態度を称揚しつつ、平成日本人の「エゴと自己主張」を嘆いてみせる。しかしもし戦後日本人の「エゴと自己主張」が肥大したとすれば、原因の一端は間違いなく、特攻の責任に頬かむりした厚顔な政府・軍高官にある。その罪を誤魔化し、若者の無念を踏みにじる言論人も、同類の恥知らずである。

(2014年3月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月29日土曜日

高田貫太『海の向こうから見た倭国』


古代日韓の交易ネットワーク

グローバル経済は人間を不幸にすると左右両翼の政治家や知識人は叫ぶ。しかし経済に古代の昔から国境はなかった。現在、政治的に何かと対立の目立つ日本と韓国も例外ではない。

本書によれば、弥生時代から朝鮮半島南部と九州北部の海辺の村に住む人々の間には、互いに往来し交易するような日常的なつながりがあった。そのネットワークは日本列島の河川や陸路を通じ、西日本の内陸や東日本まで広がっていた。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

海村の人びとは優れた航海技術をもっていて…〔朝鮮〕半島南部の海村と西日本の海村の間には、互いに行き来し交易するような日常的なつながりがあった。その交易は、単なる物々交換ではなくて中国銭貨が用いられた可能性もある…。(507)

北部九州の人びとだけではなくて西日本各地の人びとも、海村のネットワークを利用して〔朝鮮〕半島とつながるようになった。…日本列島の河川や陸路とむすびつき、交易の範囲は西日本の内陸はむろんのこと、東日本へも広がっていった。(513)

倭王権と地域社会は時には協調して時には競合して、朝鮮半島のさまざまな社会と政治経済的な交渉を重ねた。…先進文化にかかわるモノ、人、情報をさかんに受け入れて、それにもとづいてさまざまな生産活動や土地開発をおこなった。(2947)

各地の首長層が、みずからの活動を表現し誇示するために、そして倭王権や他の地域社会、ひいては朝鮮半島とのつながりをしめすために、共通のモニュメントや仕組みが必要だった。それが前方後円墳だった。(2949)

遅くとも六世紀中ごろまでには、日本列島各地の地域社会は、それまでつちかってきた朝鮮半島へとつづくルートや多様なコネクションを、積極的であれ消極的であれ、倭王権へ譲りわたした。(2410)

2017年4月28日金曜日

デフレは悪くない

次より抜粋。
Randall G. Holcombe, Why is the Fed so Fixated on the Inflation Rate?
(FRBがインフレ率に固執する理由)

価格が示す情報は、商品やサービスを市場に送り出すコストである。価格の上昇は生産がより高くなることを示し、価格の低下は生産がより安くなることを示す。この機能からの逸脱は価格の情報価値を低下させ、経済計算(economic calculation)を困難にする。

技術の進歩(advances in technology)は一般に生産コストを下げるので、価格は総じて低下するはずだ。生産性向上でコストが低下すると、安定した物価水準でさえ誤解を招く。貨幣の価値がより速く低下しない限り、生産性の向上は価格の下落をもたらす。

米国では1865年から連邦準備理事会(FRB)が発足する1913年まで、物価が長期間下落する一方で、工業化経済(industrializing economy)が空前の勢いで成長した。コンピューターの価格は半世紀にわたって低下したが、市場は急成長している。

デフレは経済にとって悪くない。生産性の向上を反映したデフレは、商品とサービスの実際のコストをより正確に示す。FRBが意図的にインフレを作り出そうとすることに、正当な理由(good reason)はない。

FRBが2%のインフレ目標をちょうど達成すれば、物価は36年間で2倍になる。 現在の2.4%のインフレ率なら30年間だ。FRBが物価安定よりもむしろ継続的なインフレ(continual inflation)に固執するのは困ったものである。

2017年4月27日木曜日

産業革命は暗黒だったか

次より抜粋。
John Majewski, The Industrial Revolution: Working Class Poverty or Prosperity?
(産業革命――労働階級は貧しくなったか、豊かになったか)

産業革命に関する悲観的な解釈(pessimistic interpretations)は、広く流布しているにもかかわらず、根拠がない。実質賃金の上昇に伴い、生活の量的(物質的)水準が上昇し、死亡率が低下していることは、生活の質的(社会学的)水準の改善を示す。

実質賃金がどれだけ上昇したかは議論があるが、最近の研究によれば、ブルーカラー(blue-collar)の実質賃金は1810年から1850年に倍増した。1780年の1人あたり11ポンドから1880年に28ポンドまで上昇したとする研究もある。

児童労働(child labor)の存在は否定できないが、ほとんどの悲観主義者は、その規模と子供の健康への影響の両方を誇張している。彼らの根拠の多くは、工場制度を調査した政府委員会の非常に有名な、しかし非常に不正確な報告書に由来する。

〔産業革命による〕進歩を妨げたのは政府の介入だった。その中で最も大きかったのは、長期間にわたる激しい戦争である。1760年から1815年まで、英国はフランスやアメリカ植民地(American Colonies)との間でつねに戦争を行っていた。

戦争は生活の質を低下させる唯一の政府介入の形ではなかった。東インド会社(East India Company)やカトラー名誉組合などの政府独占企業は、経済効率と成長を低下させた。あらゆる外国商取引と貿易は、大規模な政府規制と争うことを強いられた。

2017年4月26日水曜日

アフリカが貧しい本当の理由

次より抜粋。
Marian L. Tupy, How Africa Got Left Behind
(アフリカ経済が遅れた顛末)

アフリカの貧困は、植民地主義(colonialism)、資本主義、自由貿易によって引き起こされたものではない。それは不幸な政策選択の結果であり、その大部分は独立後、アフリカの指導者によって自由に選ばれたものである。

1870年に欧州人はアフリカ大陸(African continent)の10%以下を支配したが、西欧諸国の所得はすでにアフリカの4倍に達していた。 欧州は繁栄するためにアフリカを必要としたのではない。繁栄によって強力になったため、植民地化したのだ。

独立後、アフリカ各国政府は植民地制度の多くを滅ぼそうと決めた。法の支配(rule of law)、責任ある政府、財産権、自由貿易は欧州からの輸入品なので、否定された。代わりに、ある新興国家の正反対な政策を模倣することを選んだ。ソ連である。

ソ連経済の浪費と後進性は1970年代まで明らかにならなかった。そのときには一党政権を選んだアフリカ諸国は社会主義の病原菌(socialist bacillus)に感染し、経済成長を損なった。価格と賃金を統制し、自由貿易でなく輸入代替品と自給自足に頼った。

アフリカは社会主義との恋愛関係(love affair)を長らく続けたが、1990年代になり、やっと世界経済に再び参加し始めた。それでも今なお、経済的に最も不自由で保護主義的な大陸のままである。問題はそのことであり、自由貿易ではない。

2017年4月25日火曜日

ファシズムと共産主義は双生児

次より抜粋。
Michael de Sapio, Fascism and Communism Were Two Peas in a Pod
(ファシズムと共産主義は同じさやの豆)

俗説(popular wisdom)では、ファシズムと共産主義は正反対のものとされる。実際には、2つのイデオロギーはとても似ている。だから生き残るために、互いに正反対だとみずからを定義しなければならなかった。少なくともどちらも社会主義を源泉とする。

ムッソリーニもヒトラーも、伝統的宗教心と道徳への敵愾心を育てた。「科学による救済(salvation by science)」(ナチスの人種差別的な優生学運動)を促し、国家による健康・環境政策(ナチスの標語「栄養は私的な問題ではない!」)を推し進めた。

これらの要素はすべて、20世紀初頭の「科学的」進歩主義から育った。ナチスの民族イデオロギーでさえ、その根本においては、フランス革命にさかのぼる「人民の意志(Will of the People)」なる観念を崇める、世俗的な宗教代用品であった。

ヒトラーとムッソリーニはソ連のスターリンと同じく革命家であり、決して保守主義者でも伝統主義者でもなかった。彼らのイデオロギーの淵源は19世紀後半の前衛的実証主義、進歩主義、プラグマティズム哲学(pragmatic philosophies)である。

フランス革命に始まり20世紀に結実した「ファシズムの時(fascist moment)」は、西洋の道徳・哲学的伝統の放棄を意味する点で「進歩的」だった。そこで具現化した哲学とは、真実の熟考から目をそむけ、ひたすら「行動」を呼びかけるものだった。

2017年4月24日月曜日

金は暴政を生き延びる

次より抜粋。
Stewart Jones, The Great Gold Racket
(金の大強奪)

米連邦政府は1913年に中央銀行を創設した後、金の個人所有を違法とし、銀を課税と規制で攻撃した。1971年に米ドルを金本位制(gold standard)から切り離し、1974年に金の違法化を解除した。米国民から富と真の貨幣を文字どおり奪った。

政府債務に対する基準や抑制と均衡(check and balance)がなくなり、政府は一時的に無制限に支出することができた。なぜ一時的かといえば、歴史が教えるとおり、政府が我を忘れて費消すれば最後は市場の是正が起こり、帝国は瓦解するからである。

金は歴史を通して政府から攻撃されてきたが、時の試練に耐え、多くの独裁政治や寡頭政治(dictatorships and oligarchies)から生き残った。今もなお、政府が無視できない市場の基準として機能している。

米連邦政府が債務20兆ドル、未積立債務(unfunded liabilities)100兆ドルに急接近する間、米ドルは債務証書として増加し続けるだろう。債務を印刷して無制限に支出する政府の能力は、連邦準備制度と、真の貨幣への攻撃によってのみ可能であった。

金、貴金属(precious metals)、市場ベースの通貨は、いかなる政府よりも長生きする力があり、個人に自分の財産を管理する能力を与える。

2017年4月23日日曜日

新自由主義のまぼろし

左派も右派も、今の世界や日本は「新自由主義」に侵されていると憤る。しかしもし新自由主義が経済活動に対する政府の干渉を拒む考えを意味するのであれば、それが世の中を支配しているというのは事実に反する。

左派の佐高信と右派の佐藤優は『世界と闘う「読書術」』(集英社新書)で仲良く対談し、新自由主義をこき下ろす。たとえば佐藤は「新自由主義における自由の主体、これは巨大企業です」と述べ、「だからビル・ゲイツの自己実現はあるんですよ。しかしプロレタリアートの仲間である佐高信や佐藤優の自由ってのは基本的にないんですよ」と言う。

もし佐高や佐藤に自由がないのなら、本を出版し、新自由主義を批判できるはずがない。すでに十分お粗末な議論だが、本題はここからである。

佐高は日本航空の再建に触れ、「公的資金で援助して、法人税を免除してもらって、要するに借金を全部棚上げしただけ」と批判する。これは正しい。しかし、もし世の中で新自由主義が優勢ならば、政府が特定の企業を税金で救済できるわけがない。市場経済への干渉そのものだからである。

事実、佐高の発言を受け、佐藤は日航再建について「新自由主義の理屈ではまったく説明できない」と認める。そして二人は口々に、政府の態度を「国家資本主義そのもの」と言う。しかし、繰り返しになるが、もし日本が反国家的な新自由主義に支配されているならば、政府が「国家資本主義そのもの」の政策を採れるはずがない。要するに、佐高も佐藤も思考が杜選で、混乱した議論を思いつくままに喋っているだけなのである。

混乱はここで終わらない。続けて佐藤が「グローバリズムだ、規制緩和だといいながら、他方で国を挙げて、原発や新幹線とかのインフラを外国にさかんに売りつけようとしている」と言い、これに佐高が「新自由主義といいながら、JAL〔日航〕にしたって東電にしたって、巨額の金を出して助けてね」と同調する。

まるで政府の態度が矛盾しているかのような口ぶりだが、何も矛盾はない。政府は口先では市場経済の重視を唱えながら、現実にはその本性に従い、国家主義に邁進しているにすぎない。新自由主義の総本山のようにいわれる米国でも、政府は潰れかけた金融機関や自動車大手を税金で助けた。

政府、すなわち政治家と官僚が、ときに規制緩和や自由貿易といった自由主義的政策を採るのは、そうしなければ市場経済が衰え、寄生する自分たちの身にかかわることを知っているからだ。しょせんは一時的であり、新自由主義の蔓延などまぼろしにすぎない。さも一大事のように騒ぐのは、無知な左右の評論家だけである。

(2014年2月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月22日土曜日

シュッティンガー/バトラー『四千年の賃金・物価操作』


左翼政権の市民弾圧

南米ベネズエラで激しいインフレと物不足で経済が破綻寸前に陥っている。労組指導者出身のマドゥロ大統領は反政府デモを武力で弾圧し、死傷者が発生したという。

労働者や一般市民にやさしいはずの左派政権が、みずから引き起こした経済混乱をきっかけに市民を弾圧する現象は、近代民主主義の出発点であるフランス革命にさかのぼる。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

1793年5月から1794年12月までの20カ月間に、フランス革命政府は、革命前から試されていた賃金と価格の操作に関するほとんどすべての実験を試みた。(913)

物価抑制を狙った最初の法律は1793年5月3日、公安委員会によって制定された。この最高価格令によれば、穀物と小麦粉の価格は1793年1月から5月までの平均値とされた。代金はアッシニア紙幣で受け取らなければならない。(920)

当然ながら、農家の多くは農産物を売らなくなった。インフレでもそれにふさわしい値段で売ることを許されなかったからだ。数カ所で一揆が発生し、5月に制定されたばかりの法律は8月には死文とみなされた。(924)

食料価格を管理しようとする政府の試みは繰り返され、仏全土で大きな闇市場が育った。特にバター、卵、肉は少量ずつ戸別で、おもに金持ち向けに販売された。結局、金持ちが十分以上の食料を手に入れる一方、貧乏人は飢え続けた。(944)

1794年12月、議会の過激派が敗北し、最高価格令は正式に廃止された。〔過激派ジャコバン派の首領〕ロベスピエールとその一派がパリの通りを処刑台へと向かうとき、群衆はこう野次を飛ばした。「薄汚い最高価格令が通るぞ!」(957)

2017年4月21日金曜日

最低賃金法は人種差別

次より抜粋。
Chris Calton, The Racist History of Minimum Wage Laws
(最低賃金法の人種差別の歴史)

経済学者ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)は1966年、ニューズウィーク誌で「最低賃金法は六法全書で最も黒人差別的な法律だ」と述べた。しかし最低賃金法の人種差別的な影響は19世紀にさかのぼることができるし、今も続いている。

1930年代に黒人蔑視はそれ以前よりほとんど改善されなかった。それにもかかわらず、黒人の失業率は白人よりもわずかに低かった。これは鉄道労働者(railroad workers)のように、白人よりも低い賃金を受け入れる意思があったからである。

1930年代の一連の最低賃金法は、すべてアフリカ系米国人を雇用市場(job market)から閉め出すためのものだった。雇用主に人種差別的でない賃金を払わせるのではなく、黒人を人種差別的な賃金から人種差別的な失業に転じるよう強いただけだ。

1960年代、多くのアフリカ系米国人が農業従事者として雇われていた。一つには、まだ賃金規制の対象でない労働分野だったからだ。1967年、政府が「貧困との戦い(War on Poverty)」の一環として最低賃金法を農民に拡大すると、それが一変する。

最低賃金法のせいで、ミシシッピ・デルタ(Mississippi Delta)地域だけで2万5000人の農業労働者が仕事を失った。「時給1ドルだって価値はあるさ」と日雇い労働者の妻は語った。要するに、最低賃金は生計を立てる能力を破壊したのである。

2017年4月20日木曜日

河村小百合『中央銀行は持ちこたえられるか』

 
日本の無策に戦慄

マネーを無尽蔵に作り出せる中央銀行は、政府にとって打ち出の小槌のように便利な道具である。長期では通貨価値の崩壊が待ち受けているものの、短期では行政の大盤振る舞いを可能にしてくれる。主要先進国はいずれもその誘惑に勝てず、軒並み財政が悪化しているが、それでも程度の違いはある。

本書で紹介されるように、債務危機が直撃した欧州各国はさまざまに工夫し、財政を立て直そうとしている。最悪なのはわが日本である。政府は歳出削減にほとんど何の努力もせず、日銀は近未来の金利上昇リスクに開き直ったかのようだ。あまりの無策に背筋が寒くなる。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

〔諸外国で〕リーマン・ショックと欧州債務危機の打撃は大きく、二〇〇九年にかけて、財政収支、PBとも急激に落ち込んだことがわかりますが、日本と違うのは、懸命の財政運営でその後の財政収支を早期に改善させていることです。(441)

〔財政再建の工夫の〕第一には、財政健全化目標として使用する収支の指標を何にするか、ということです。わが国が利払費を含まないPB〔基礎的財政収支〕であるのに対し、諸外国は軒並み、利払費をも含む財政収支を採用しています。(468)

第二には、中期的な予算編成ルールの強化です。〔略〕ドイツやスペインでは、健全な財政運営を行うことを政府に義務づける条文が憲法に盛り込まれたほか、英国の「財政責任憲章」のように〔略〕ルールを設けている例も多くみられます。(478)

第三には、独立財政機関の設置が挙げられます。選挙によって選出される「議員」に財政拡張志向があるのは、わが国のみならず各国に共通の事情です。ともすれば、立法府で財政再建を軽視した予算運営が決定されてしまいかねません。(483)

今後も自らの資産規模を増やし続け、二〇一七年末頃には名目GDP比で一〇〇パーセントを超えるであろうなどという見通しを示しながらも、先行きの正常化に向けての考え方や見通しを一切示していないのが日銀です。(1051)

2017年4月19日水曜日

国民国家という迷信

次より抜粋。
Dan Sanchez, How Nationalism and Socialism Arose from the French Revolution
(ナショナリズムと社会主義はフランス革命からどのように生まれたか)

「国民の支配(rule by the people)」というものはない。なぜなら「国民」というものは存在しないからだ。個人だけが存在する。「一般意志」のようなものはない。個人だけが意志を持つ。「国民」とは私たちが信じるよう意図的に教えられた、架空の存在だ。

名誉革命からロシア革命に至る一連の革命は、国家正当化(state legitimacy)の基礎となる迷信を新しい迷信に置き換えた。理解不能な神に恵みを受けた国王と聖職者は、「国民」という理解不能な存在の恵みを受けた政治指導者と官僚に取って代わられた。

新しい迷信は古い迷信より強力で危険だ。国家権力に参画することで自己の利益を得られるという、魅惑的な幻想を誘うからである。またこの新しい迷信は、分断統治(to divide and rule)にとって便利な道具になる。

対外戦争を宣言するだけで、ナショナリストは国民国家(people’s state)の周りに集まり、国民の団結を実現しようとするだろう。階級闘争を宣言するだけで、社会主義者は国民国家の周りに集まり、階級の統一を実現しようとするだろう。

ナショナリズムと社会主義の危機と悪は、ナチスドイツとソ連の崩壊で終わらなかった。まだ私たちにつきまとう。ナショナリズムによって戦争や地政学的危機(geopolitical crises)が広がり、社会主義の思い上がりによって経済は機能不全と停滞を余儀なくされる。

2017年4月18日火曜日

姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』


右翼と左翼は同質

右翼と左翼は正反対だと多くの人は信じている。たしかに表面上、異なる部分は多い。しかしその本質は同じだ。一言でいえば、国家主義である。社会のさまざまな問題は国家権力によって解決できるし、解決しなければならないと信じている。

安倍晋三首相の祖父、岸信介はタカ派の右翼政治家として知られる。だから本書によって岸の政治思想にマルクス主義やロシア革命が影響を及ぼしたことを知ると、読者は意外に感じるかもしれない。しかし右翼と左翼は国家主義者という同じ穴のムジナなのだから、右翼が社会主義を信奉しても不思議はないのだ。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

戦前、戦後を通じて有為転変を重ね、にもかかわらず一貫して国家社会主義的な統制経済論に揺るぎない確信を抱き続けた「ミスター統制」岸信介は、官僚主導の日本的経営システムのひな型作りに巨大な足跡を残したのである。(81)

企画院を根城に軍部幕僚層と結びついて高度国防国家への改造を担う、これら革新官僚グループに共通しているのは、若き日の彼らが、「一般的風潮としてのマルクス=レーニン主義的な社会科学の影響」のもとにあったということである。(240)

北一輝の国家社会主義的な日本改造に惹かれていた岸〔信介〕にとって、ソ連邦の「実験」は、脅威であると同時に、日本の危機突破のインスピレーションを与えてくれるものだった。(1853)

最大の眼目は、統制経済にもとづく満州国の国家建設プランを練ることにあった。ロシアとは資本主義の発展段階も〔略〕環境も違う日本で計画的な国家統制による新たな国創りの実験が、満州という場で試されることになったのである。(1873)

〔戦後も〕社会主義、それも国家社会主義的なヴィジョンが生き続けていた。〔略〕国家という管制装置による介入と秩序によって自由主義経済の行き過ぎや混乱を収束させようとする統制思想が、岸の一貫した統治理念になっていた〔。〕(2326)

2017年4月17日月曜日

最低賃金上げを拒否した市長

次より抜粋。
(基本経済学を学んだ後、市長は最低賃金引き上げを拒否)

ある政策案がどれほど選挙の勝利や人気につながろうとも、経済の法則(economic laws)からは逃れられない。案の背景にあるのが善意であってもだ。

米メリーランド州ボルチモア市のキャサリン・ピュー(Catherine Pugh)新市長〔民主党〕は、最低賃金を時給15ドルに引き上げる件について立場を変え、有権者を驚かせた。市長選中、ピュー氏は最低賃金引き上げ立法への支持を明言していた。

しかし当選後、最低賃金引き上げの法律が送付されると、ピュー新市長は法律に署名する(signing the legislation)代わりに、なんと拒否権を発動したのである。

ピュー市長は就任後わずか4カ月で、多くの市長がわざわざやろうとせず、やる勇気もないことを実行した。立法によって実施される経済政策とそれがボルチモア市に及ぼしうる害(potential harm)をみずから調査したのである。

調査の結果、ピュー市長は決心した。もはや良心(good conscience)に従って最低賃金引き上げの立法を支持することも、それに署名することもできない、と。経済的な影響が市全体に害を及ぼしかねないほど危険だからである。

2017年4月16日日曜日

「昔はよかった」の嘘

今年の夏、飲食店で悪ふざけをした写真をインターネット上に公開し社会問題となる出来事が相次いで起こり、若者の「モラル低下」を嘆く声があがった。また、安倍晋三内閣の下で検討が進められている道徳の教科化についても、「家庭の教育力低下」などがその理由として叫ばれている。しかし昔に比べて日本人の道徳心が低下したというこれらの主張には根拠がない。

ライターの大倉幸宏は『「昔はよかった」と言うけれど』(新評論)で、戦前の新聞報道や出版物を調べ、この主張が俗説にすぎないことを明らかにする。

たとえば電車内でのマナーである。昭和十五年七月五日付読売新聞によれば、「集団をなしたハイカーは、とかく群集心理に酔つて粗暴に流れがちになります。始発駅の列車や乗換駅で窓から乗り込み荷物を投込む。最近では窓から荷物を投込んで座席をとつて置くと、先に乗り込んだハイカーがこれをホームに投出して座りこみ、そのため口論が始まる」。日本人を好意的に描いた『東京に暮らす』の著者キャサリン・サンソムが「駅にいると、集団の中の日本人がいかに単純で野蛮であるかがよくわかります」と書いたほどだった。

公共の場でのマナーの悪さは駅に限らない。街には人々が捨てたゴミであふれていた。昭和五年三月二十五日付同紙で、東京家政学院創設者の大江スミはこう嘆いている。「折角きれいに道幅も広々とつくられた立派な道路を、かの紙屑、蜜柑の皮、竹皮などを捨てて汚す悪習がありますから、これを十分きれいにしなくてはならない」。河川は路上よりもひどく、不法に投棄されたと思われるゴミが大量に流れていた。

また俗説と異なり、家庭での子供のしつけは厳格ではなかった。明治四十三年七月三日付同紙では、ある外国人が日本は「子供の威張る国」だと感想を語ったと記し、こう認めている。「客間と云はず応接室と云はず、一家を子供の横行するに任かせ、来客に供したる菓子を子供の奪ひ去ることすらある我国のある種の家庭の状を見せしむれば、あるいは『子供の威張る国』といふ感じを起さざるを得ざる場合あるべし」。サンソムも「子どもを叱っている母親を目にすることはめったにありません」と記した。

大倉が批判するとおり、歴史に学ぶには、根拠の乏しい印象論に走らず「過去の事実を正確に、より客観的に、より多角的に把握する」必要がある。「昔はよかった」という幻想に基づいて歴史の全体像を歪めてはならないし、ましてや政治権力によって、ありもしない「古きよき時代」への回帰を強いられるのはまっぴらである。

(2013年12月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月15日土曜日

商業は偏見を癒す(モンテスキュー)

次より抜粋。
(モンテスキューが考えるに、商業は習俗を改善し、破壊的な偏見を癒す)

商業は破壊的な偏見(destructive prejudices)を癒す。習俗が穏やかなところではどこでも商業が存在しているというのがほとんど一般的な原則である。また商業が存在するところではどこでも、穏やかな習俗が存在するというのもそうである。

だから我々の習俗(our manners)が、かつてそうであったほど残忍でないとしても驚くにはあたらない。

商業はあらゆる国民の習俗についての知識がいたるところに浸透するような働きをなしたのである。人はこれらの習俗を相互に比較したが、そこから大いに有益な成果(greatest advantages)が出てきた。

商業に関する法律(Commercial laws)は、まさにこの法律が習俗を堕落させるのと同じ理由で、習俗を改善することができる。

商業は純真な風俗を腐敗させる。これがプラトン(Plato)の嘆きの種であった。商業は我々が毎日見ているように、最も野蛮な習俗を磨き、これを穏和にする。

*野田良之他訳(『法の精神』岩波文庫、中巻、p.201)を一部変更。

関連記事:商業は偏見を癒す(ラディカルな経済学)

2017年4月14日金曜日

個人は不合理、政府はもっと不合理

次より抜粋。
(政治家がいつもあなたを騙そうとする理由)

政治的なでたらめ(Political balderdash)は、国民の中でも理性に乏しく無知な人々の支持を得るのに特に役に立つ。発言者には情報コストがかからない。矛盾などお構いなしに何でも言うことができる。当然のことながら、事実によって反論されることもない。

おそらく政治的でたらめは、行動経済学の分野で好まれる認知バイアス(cognitive biases)の増大するリストに加えるべきだろう。行動経済学とは新たな経済分析の一種で、認知バイアスによって個人の合理性が制約されるとの認識に基づく。

行動経済学(behavioral economics)には限界がある。行動経済学者が認知バイアスの存在を強調するのは正しい。しかし認知バイアスがあるというだけでは、行動経済学者がよく言うような、政府の介入を求める十分な理由にならない。

政治家や官僚は、認知に限界のある個人の間違った選択(bad choices)を正すよう求められる。しかし彼ら自身、おそらく一般の個人よりも大きく、同様の認知バイアスに左右される。解決しようとするのが自分自身の問題ではなく、他人の問題だからだ。

政治家や官僚には彼ら自身の行動を動機づけるものがある。たとえば他人のための政策が失敗しても、個人として大きな損失をこうむるわけではない。だから政府の介入(government intervention)は個人の認知バイアスを正すのでなく、むしろ増幅する恐れが大きい。

2017年4月13日木曜日

岩崎育夫『入門 東南アジア近現代史』


政治統合より賢明な道

英国の欧州連合(EU)離脱に対し、「欧州で孤立する」「グローバル化に逆行」などという非難が主流メディアで広がっている。しかしそれは的外れだ。EUは政治統合であり、政治のグローバル化にすぎない。政治統合から抜け出しても経済的に孤立するわけではないし、政治のグローバル化は経済のグローバル化とは違う

ある地域の国々が経済的な結びつきを強め、経済のグローバル化を進めたいなら、EU型の政治統合よりも賢明な道がある。それが本書で解説される東南アジア諸国連合(ASEAN)のゆるやかな連携だ。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

ASEANは、EUのように加盟国の義務や行動を細かく規定し、主権の一部が移譲された地域機構ではない。東南アジア研究者のあいだでは「ゆるやかな」地域機構と指摘されている。(2640)

内政不干渉は〔略〕ASEANの代名詞ともなっている〔略〕「憲法に反し民主主義に反する政府の交代を〔略〕黙認しない」と述べているが、実際には、ミャンマーとタイの非民主主義的な状況に対して、何の行動も採っていない。(2651)

決定が加盟国の全会一致、すなわち、同意(コンセンサス)を原則にしている〔略〕加盟国が合意できない分野、まとまることが難しい分野は、ひとまずわきに置いて、合意できる範囲内、まとまれる範囲内で協調・行動する〔略〕。 (2663)

イギリス国民の不満とEUの動揺という状況をみると、加盟国の主権と意向を尊重する「内政不干渉」や「全会一致方式」は〔略〕ASEANの組織と安定を維持するうえで有効な方式とみることも可能なのである。(2686)

一つが、EUのように、加盟国が最終的に一つの国になることをめざす国家統合、もう一つが、投資や貿易の自由化など経済分野で協力する経済共同体である。〔略〕東南アジア諸国の考えは〔略〕後者にあることは明らかである。(2781)

2017年4月12日水曜日

軍事介入の知的傲慢

次より抜粋。
Idan Eretz, Israel, Europe, and the US Cannot Fix Syria
(イスラエルと欧米はシリア問題を解決できない)

〔欧米の〕政府は、自分自身が体現しているという社会を再設計することに関しては、はなはだお寒い実績(track record)しかない。自分たちが完全に理解してもいない、きわめて異質で複雑な社会の形成に、どうやったら成功できるというのだろうか。

西側諸国の政府がシリア問題を解決できるとか、政府軍と反乱軍のどちらを支援する(もちろん納税者のカネで)のがよいか判断できるとかいう想定は、〔ハイエクの言う〕見せかけの知(pretense of knowledge)にすぎない。

中東を「安定化」させるという過去の試みは、イラクとアフガニスタンで悲惨な結果に終わった。いたずらに混乱を増し、最後は「イスラム国」(IS)を生んだ。軍事介入(interventions)はより多くの混乱、流血、戦争や難民を生み出すだろう。

米国の政策がどうあろうと、イスラエルと欧州の政府は、それから距離を置く十分な理由がある。支援したいのであれば、〔戦争でなく〕実際に影響力の大きな組織に寄付する(donating)ことで、確実に行うことができる。

人々がシリア問題に関与すべきだと考える戦争屋(warmongers)は、徴兵された者を含む兵士たちの代わりに、自分で飛行機を予約し、命を危険にさらせばよい。実際にそれをやっている人がいれば、本物の英雄だ。

2017年4月11日火曜日

菊池良生『傭兵の二千年史』

 
違法な略奪、合法な略奪

国家が市民から税金という名目で財産を奪い、抵抗する者には暴力の行使も辞さないことを、多くの人は当然だと思っている。なぜならそれは「合法」だからだ。

しかし略奪が「合法」だろうと「違法」だろうと、悪という本質に違いはない。本書で描かれる傭兵隊長ヴァレンシュタインとその配下らの非道な振る舞いも「合法」だった。権力者がお墨付きを与えたからである。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

傭兵契約が切れ、除隊となった兵たちが生きていくために放火、追いはぎ、強盗、人殺し、略奪とありとあらゆる悪事を行い社会不安を引き起こす〔略〕。だがそれら除隊兵士の群れは、多くてせいぜい二十から三十の集団に過ぎない。(1565)

ところが〔傭兵隊長〕マンスフェルトは、これらの略奪行為を二万の軍隊として組織的に行ったのである。しかもそれは〔略〕日常的に繰り返し行われたのである。マンスフェルト軍の戦う相手は最初から都市や農村の非戦闘員であった。(1571)

マンスフェルトのやり口をもっとはるかに大規模に行い、あげくには略奪行為という兵たちの凶悪犯罪そのものを効率的な合法的収奪機構へと変質させたのが、史上最大にして最後の傭兵隊長ヴァレンシュタインであった。(1586)

ヴァレンシュタインは兵力提供と引き換えに、皇帝フェルディナントから占領地における徴税権を手に入れた。この皇帝のお墨付きにより、軍の非合法的恒常的略奪は合法的恒常的戦争税に化けるのだ。いわゆる軍税である。(1629)

ヴァレンシュタインの軍税は苛斂誅求を極めた。宿営地の住民に兵士の給料を賄える額の税金を割り当てる。〔略〕宿営地に指定された都市や村が兵士たちの略奪を恐れ、その免除を願い出ると、これを許す代わりに免除税を取り立てた。(1631)

2017年4月10日月曜日

キューバ人は資本主義を望む

次より抜粋。
Maximilian Wirth, Cubans Want Capitalism
(キューバ人は資本主義を望む)

キューバは資本主義に対抗するモデルの成功例として、ときに理想化される。 しかしシカゴ大学の全米世論調査センター(NORC)が発表したキューバの世論に関する調査によると、結果は明らかだった。キューバ人は資本主義を望んでいる。

回答したキューバ人の65%が、より多くの企業を民営化し、経済を分権化させたいと述べた。多くは起業家精神(entrepreneurial mindset)があり、今後5年間に56%が事業を始める予定だ。人々は生活を向上させる準備ができているのに、政府がそれを妨げる。

キューバのタクシー運転手は政府の規制のおかげで医者よりも多くの金を稼ぐ。専門家は国を離れるか、技能水準のはるかに低い職に就く。科学者はアイスクリームを売り、大学教授はもぐりの本屋(illegal book vendors)になり、教師は給仕として働く。

高級タバコの代名詞(synonym)だったキューバ葉巻でさえ、競争激化や政府の誤った管理のせいで品質が低下している。 2016年の葉巻ランキングでは、上位25位以内にキューバのブランドは3銘柄しかなかった。ニカラグアは16銘柄あった。

キューバの人々の半数以上が、チャンスさえあれば国を去りたいと望むのは意外ではない。そのうち7割が米国希望だ。共産主義革命(communist revolution)から60年、キューバ人が自由な資本主義社会を忌み嫌うのではなく、切望しているのは明らかである。

2017年4月9日日曜日

資本家憎悪の野蛮

経済が不況になるのは人々がカネを消費に使わないせいであり、その元凶はカネを抱え込んで使おうとしない富裕層にある。したがって不況を克服するには、富裕層から国家が課税によってカネを吸い上げ、代わりに使ってやればよい――。これは左右の国家主義者に共通する、誤った経済論議の一つである。

経産官僚で評論家の中野剛志は『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)において、十九世紀英国の詩人で、政治評論も多く著したコールリッジの主張を持ち上げる。コールリッジはこう書いたという。「租税を通じて、怠惰な富裕層から勤勉で企業家精神に富んだ人々へと、資本が絶えず引き渡されることによって、国富は結果的に増大するでしょう」

また中野によれば、現代米国の経済学者スティグリッツも、コールリッジと同じような観点から、より平等な社会のほうがより需要が拡大し、経済は成長すると論じている。コールリッジとスティグリッツに共通するのは、不況の原因はカネを貯め込んであまり使わない富裕層の存在だという見解である。中野も指摘するとおり、これらは本質的にケインズ経済学の主張と同じである。ケインズは貯蓄を「現在の所得のすべてを消費に充てない、良くない行い」と呼んだ。

しかしこれらの見解は誤っている。富裕層はカネをすべて箪笥にしまうわけではない。多くの場合、銀行に預ける。銀行はこれを企業に貸し出し、企業はその資金で工場や店舗の建設、道具や機器の購入といった投資を行い、生産性を高める。生産性が高まれば、消費者が望む商品やサービスがより多く、安価に提供され、社会は物質的に豊かになる。富裕層がカネを銀行に預けるのでなく、株式や社債を購入した場合も、同じく投資資金、すなわち資本が提供される。

ケインズ主義者は、不況時には企業が投資に尻込みするので、代わりに国家が公共投資をするべきだという。しかし誰もが知るように、消費者の需要を考慮しない公共事業は一部の関係業者を一時潤すだけである。

いずれにせよ、富裕層は「怠惰」な存在などではない。元利金が戻らないかもしれないリスクを取り、資本を提供する社会的役割を担う。つまり資本家である。資本家がいなければ、その名のとおり、資本主義は成り立たず、社会は豊かにならない。

ケインズは、資本主義社会は富と所得の分配が恣意的で不公平だと非難し、金利生活者を安楽死させよと書くほど資本家を憎み、投資は政府がせよと主張した。資本家を悪玉に仕立て上げ、国家に代理を務めさせるケインズ主義は、マルクス主義と同じく国家主義者の発想であり、社会を貧困に追いやる野蛮な思想である。

(2013年11月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月8日土曜日

ブラウン『政府が役立たずな理由』


本質的に非効率

交通事故死を自動車メーカーのせいにする論者があるが、欠陥自動車のせいで死ぬ人はめったにいない。ほとんどは見通しが悪く、歩車分離すらない政府の欠陥道路によるものだ。政府がなければ誰が国民を守るのかと問う論者があるが、政府はむしろ無用の戦争に国民を駆り立て、その生命を危険にさらす。

民間企業ならできることが政府にはできない。なぜか。著者が指摘するように、政府はその本質からして非効率だからだ。以下、表題作のエッセイより抜粋。(数字は位置ナンバー)

政府は役に立たない。道路の効率を維持できず、いつも渋滞ばかりで、幹線道路の死亡事故発生率も下げられない。死亡率は恥ずべき高さで、もし道路が私有だったら、責任者は投獄ものだろう。(1006)

政府は役に立たない。国民を外国の侵略から守ると誓いながら、若者を徴兵して送り出し、他国の敵と戦わせ、戦死させた。米国の海岸に対する脅威はほとんどないのに、多数の米国民が戦争で死傷し、巨額の資金を費やした。(1016)

政府は市場のルールを決め、審判のように振る舞うと思われているかもしれない。しかし実際にはルールは気まぐれ、あいまいで、しょっちゅう変わる。しかも「審判」はいつも、政治力の強いチームをひいきするように見える。(1037)

政府が役立たずだとわかったら、改善の方法はただ一つ。政府の規模を小さくすることだ。法律を廃止し、政策をやめ、政府支出と税を減らし、政府をできるだけ小さくするのだ。(1042)

政府は小さければ小さいほどいい。政府をもっと効率よく、人間らしく、利用者にやさしくしようとしても、改善を遅らせるだけだ。強制は効率的でないし、人間らしくもなければ、もちろんやさしくもない。(1056)

2017年4月7日金曜日

「資源の呪い」のウソ

次より抜粋。
Tyler Bonin, There Is No Such Thing as a "Resource Curse"
(「資源の呪い」なんてものはない)

経済学者によれば、天然資源の豊富な国は「資源の呪い(resource curse)」によって、低い経済成長、民主主義の弱体化、政治的暴力に悩まされるという。だが実際には、資源国でも経済自由度が高ければ、かなりの経済成長と社会発展を達成している。

チリ(世界最大の銅輸出国)は商品価格の変動を克服して雇用を増やし、教育や医療の水準を高めた。同国は経済自由度が高い。 石油備蓄は世界最大だが食糧不足や社会不安を抱えるベネズエラ(Venezuela)と対照的だ。同国は経済自由度が低い。

〔経済の自由を保障する〕政治制度の弱い資源国は、政治的暴力の触媒となる。政府の干渉が過剰だと、親密企業の便を図る恣意的な規制(rent-seeking)がはびこる。参入障壁があると資源産業がらみの腐敗を招き、支配エリートを肥やす。

「イスラム国」にとって、押収した製油所(refineries)からの石油・ガス販売は最大の資金源だ。「イスラム国」は戦闘員に給料を支払う。青少年失業率が20%近くに達するイラクでは、戦闘員は少なくともカネになる仕事であり、失うものは少ない。

国の天然資源は、社会不安や戦争が永久に続く原因ではない。真の原因は、政府が親密企業の便を図る恣意的な規制と汚職である。「資源の呪い」とは、悪い政治制度(political institutions)のことなのだ。

2017年4月6日木曜日

小林章夫『コーヒー・ハウス』


弾圧された私営郵便

経済学の本では、初期投資が巨額で民間企業では負担しきれない公共サービスは政府が行うのが当然だと教える。その例としてよく上がるのは郵便である。しかし本書が記すとおり、17世紀の英国では民間の企業家による私営郵便が立派に市民の役に立っていた。官営郵便を運営する政府はこれを弾圧し、廃業に追い込む。

私営郵便の中継所として機能したのは、これも私営のコーヒー・ハウスである。コーヒー・ハウスはジャーナリズムや保険業の発展の拠点にもなる。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

1680年にウィリアム・ドックラが創設したペニー郵便は、戸別配達制度を取り入れた点で革命的なものであったといってよい。〔略〕市街地からやや離れた地区は局留めが普通だが、1ペニー余計に払えば戸別配達も行なわれる。(2012)

〔民営のペニー郵便によって〕ロンドン市民は大いに手紙のやりとりを行なったのだが、官営の郵便制度を有していた政府の弾圧もあって、1683年には廃業を余儀なくされた。(2020)

船舶郵便というのは、外国向けの郵便物のことだが、普通は官営の郵便船によって運ばれていたものの、船の数が少なく需要に追いつかなかったので、商船や軍艦に託して送られていた。(2015)

政府はこうした〔外国向けの郵便物を商船や軍艦に託す〕方法は、官営の郵便制度を邪魔するものだとして規制したが、その効果もなく、直接船長に郵便を渡す方法がよくとられていた。(2026)

船長は〔略〕コーヒー・ハウスの店のなかに麻の袋を下げて出港日時、行先などを掲示し、郵便物の受付けを行なった。〔略〕コーヒー・ハウスは船舶郵便物を取り扱う〝私設〟外国郵便局として機能し、官営の郵便制度の不備を補完した。(2030)

2017年4月5日水曜日

国防に政府は必要か

次より抜粋。
Robert Higgs, Does National Defense Require the State?
(国防に政府は必要か)

無政府状態(anarchy)に対し、よくこんな異論が聞かれる。「ある国が政府を廃止しても、他の国々が追随するとは限らない。だから他国の政府は政府のない国を自由に乗っ取るだろう。政府がなければ外敵から自らを守る有効な手段もないからだ」

無政府状態に対するこの異論は、少なくとも2つの重要な考え(critical ideas)を前提としている。第1に、国民を守るにはそれを支配する政府が必要だということ。 第2に、もしある政府に他の国を乗っ取る力があれば、そうするだろうということだ。

第1に、中央政府が防衛の手段として役立たずなことは、歴史上の多数の例から明らかだろう。広範囲に散らばる独立したゲリラ集団(guerrilla groups)のような、分散型の防衛手段が外敵の侵略を防ぐうえで有効に思われる。

第2に、弱い政府しかない多くの小国(small countries)が現代でも存続している以上、有効な国防のない国は存続できないという考えは疑問である。

ブラジルにはウルグアイを征服する手段が間違いなくあるが、していない。 独仏にはベルギーを征服する手段があるが、していない。他の多くの国々も同様だ。政府はさまざまな理由から、やりそうな征服(possible conquests)を控えるのだ。

2017年4月4日火曜日

大塚健洋『大川周明』


自給自足論の末路

大川周明は東京帝大で宗教学を専攻し、古今東西の宗教思想・神秘主義思想を深く理解していたといわれる。『国体の本義』の忠君愛国論を否定し、絶対的な天皇崇拝とは一線を画した。

しかしそんな大川は、他の国家主義者たちと同様、正しい経済学の知識を欠いていた。貧困改善には自給自足ではなく、自由貿易が必要であることを理解しなかった。だからアジア主義を掲げつつ、中国侵略を肯定する矛盾に陥る。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

〔一九二六年〕七月に蔣介石の北伐が始まり、その鉾先が日本に向けられるようになると、彼〔=大川〕は満州における我が国の権益を守るために、中国ナショナリズムと全面的に対決することになるのである。(1779)

大正末頃から〔略〕彼〔=大川〕は日本と満蒙を一体とした自給自足的経済圏の建設とその政治的支配が、我が国の生存と世界的使命の遂行のために、必要不可欠であると確信するに至った〔略〕。(1785)

国粋派の論客大川は〔略〕精神の次元では、西洋崇拝に対して日本精神を、内政の次元では、資本主義に対して社会主義もしくは統制経済を、外交の次元では、脱亜外交に対してアジア主義を唱えた。(2412)

大川は、早くも高校時代から、個性の伸長を妨げる資本主義経済の仕組みに痛烈な批判を放ち、社会主義の必要を唱えていた。やがて米騒動の体験は〔略〕資本主義体制とそれを支える金権的民主主義の打倒を決意させた。(2438)

彼〔=大川〕は直訳的社会主義を信奉したわけではない。日本が天皇信仰によって作られた国であり〔略〕天皇が現存する以上、天皇を中心とした錦旗革命こそ、最も現実的な変革手段であると、大川は考えた。(2441)

2017年4月3日月曜日

アイスランドはなぜ寛容か

次より抜粋。
Camilo Gómez, Why Iceland Doesn't Have an Alt-Right Problem
(アイスランドにオルタナ右翼問題がない理由)

最近欧州全域で右派のポピュリスト政党が勢いづく中で、アイスランドは一服の清涼剤となっている。同国は民族主義の言辞(nationalistic rhetoric)にほとんど影響を受けていない。2008年の金融危機後、政界の権力構造に挑む社会運動が台頭したためだ。

パナマ文書問題によるグンロイグソン首相辞任で、海賊党(Pirate Party)が勢いづいた。同党は無政府主義者、ハッカー、リバタリアンの緩やかな集まりである。海賊党のおかげで世論は転換し、寛容で世界に開かれた社会を望むようになった。

有権者は海賊党に加え、明るい未来(折衷的な社会リベラル政党)、改革党(独立党の脱党者が結成した新しいリベラル政党)から選ぶこともできる。 選挙を経て、独立党、改革党、明るい未来による中道右派連合(center-right coalition)が形づくられた。

アイスランド人は移民(immigrants)が起こす問題を非難するのではなく、政治階級に立ち向かい、極右ポピュリズムと異なる政党を生んだ。今や政府ですら、経済のさまざまな需要を満たすために、熟練・非熟練の移民が必要だと認識している。

他の欧州諸国と異なり、アイスランドは小国にもかかわらず難民(refugees)を喜んで受け入れ、移住者の数は年々増え続けている。 移民虐待の時代にあってアイスランドは外国人にやさしい。外国人が繁栄をもたらすこの小国に世界は学んでほしい。

2017年4月2日日曜日

利潤制限の愚論

企業は株主のためだけにあるのではない、社会的な責任をわきまえて経営せよという、もっともらしい主張をよく耳にする。いわゆる「企業の社会的責任」論である。しかしこれは自由主義経済の根本を理解しない愚論でしかない。

元航空幕僚長で軍事評論家の田母神俊雄は『いまこそ情報戦争を勝ち抜け!』(宝島SUGOI文庫)でこう書く。「ある種の公共心で(企業に)資金を投じたのが昔の日本人である。すなわち企業に投資するという行為は、社会的な責任をも背負うという気概を持っていた。……日本の企業は経営責任者のものではない。もちろん株主だけのものでもなく、従業員とその家族、さらには企業が存在する地域社会のものなのだ」

しかしもし田母神が主張するように、「社会的責任」を考慮して株主の利益を制限すれば、何が起こるだろうか。せっかく企業に出資してもそれに見合うだけの利益が得られないのであれば、金を出す者はいなくなってしまうだろう。実際、過去に多くの失敗例がある。

たとえば昭和八年三月一日に発表された満州国経済建設要綱は、「従来の無統制なる資本主義経済の弊害に鑑み、これに所要の国家的統制を加え、資本の効果を活用し、もって国民経済全体の健全かつ発剌たる発展を図らんとす」とし、配当を制限し、利潤追求を否定した。しかしこれでは資本家が投資するはずがない。「王道楽土」を謳った満州国は、関東軍による建国から五年たっても産業開発が進まなかった。

満州生まれの作詞家なかにし礼によれば、「日本政府の用意した土地は未開墾のところが多く、開墾された土地の多くは現地の農民から奪い取ったものだった」。このため「現地では紛争が続出した。土地を奪い返しにくる現地の人を、軍が出動して追い払う。時には撃ち殺す」という有様だった(『歌謡曲から「昭和」を読む』NHK出版新書)。経済の仕組みに無知な関東軍が、社会的正義を実現するには利潤の制限が必要だと浅はかにも信じ、それを実行した結果、社会に無用の混乱をもたらしたわけである。

経済学者ミルトン・フリードマンは、企業の社会的責任などというあやふやな概念に惑わされず、明確にこう言いきっている。「企業経営者の使命は株主利益の最大化であり、それ以外の社会的責任を引き受ける傾向が強まることほど、自由社会にとって危険なことはない」。利潤を否定し制限した社会を待つのは、満州国のような混乱、暴力、貧困である。

「企業の社会的責任」論は、田母神のような右翼だけではなく、左翼も主張する。そして右翼も左翼も、フリードマンを「市場原理主義」の親玉として忌み嫌う。それは左右を問わず国家主義者は経済に無知で、自由を憎んでいるからなのである。

(2013年10月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月1日土曜日

商業は宗教共存のカギ(ボルテール)

次より抜粋。
(哲学者ボルテールいわく、商業と寛容が支配する場所では多様な信仰が平和と幸福のうちに共存しうる)

ロンドンの株式取引所(Royal Exchange of London)に一度入ってみたまえ。ここは多くの高等法院以上に尊敬に値する場所である。そこには人類の利益のためにあらゆる国の代表者たちが集まっているのを見るであろう。

取引所では、ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が、同一宗教に属する人間であるかのように、互いに取引を行い、異教徒(infidel)という名前は破産なんかする連中にしか与えられない。

そこでは、長老派教徒は再洗礼派教徒を信用し、国教徒はクエーカー教徒の約束手形を受け取る。こうして平穏で自由な会合から出て、ある者たちはユダヤ教会堂(synagogue)に行き、ある者たちは一杯飲みに出かける。

一人が父と子と聖霊の御名において大桶の中で洗礼をしてもらいに出かけると、別の一人は自分の子供の包皮を切ってもらい、自分でもわからないヘブライ語の文句(Hebrew words)をその子供に向かってもぐもぐ唱えてもらう。

別の者たちは自分らの教会に出かけて行って、帽子をかぶったままで神の霊感(inspiration)が下るのを待っている。そしてみんな満足している。

*中川信訳(『哲学書簡・哲学辞典』中公クラシックス、p.47)を一部変更。