2017年4月29日土曜日

高田貫太『海の向こうから見た倭国』


古代日韓の交易ネットワーク

グローバル経済は人間を不幸にすると左右両翼の政治家や知識人は叫ぶ。しかし経済に古代の昔から国境はなかった。現在、政治的に何かと対立の目立つ日本と韓国も例外ではない。

本書によれば、弥生時代から朝鮮半島南部と九州北部の海辺の村に住む人々の間には、互いに往来し交易するような日常的なつながりがあった。そのネットワークは日本列島の河川や陸路を通じ、西日本の内陸や東日本まで広がっていた。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

海村の人びとは優れた航海技術をもっていて…〔朝鮮〕半島南部の海村と西日本の海村の間には、互いに行き来し交易するような日常的なつながりがあった。その交易は、単なる物々交換ではなくて中国銭貨が用いられた可能性もある…。(507)

北部九州の人びとだけではなくて西日本各地の人びとも、海村のネットワークを利用して〔朝鮮〕半島とつながるようになった。…日本列島の河川や陸路とむすびつき、交易の範囲は西日本の内陸はむろんのこと、東日本へも広がっていった。(513)

倭王権と地域社会は時には協調して時には競合して、朝鮮半島のさまざまな社会と政治経済的な交渉を重ねた。…先進文化にかかわるモノ、人、情報をさかんに受け入れて、それにもとづいてさまざまな生産活動や土地開発をおこなった。(2947)

各地の首長層が、みずからの活動を表現し誇示するために、そして倭王権や他の地域社会、ひいては朝鮮半島とのつながりをしめすために、共通のモニュメントや仕組みが必要だった。それが前方後円墳だった。(2949)

遅くとも六世紀中ごろまでには、日本列島各地の地域社会は、それまでつちかってきた朝鮮半島へとつづくルートや多様なコネクションを、積極的であれ消極的であれ、倭王権へ譲りわたした。(2410)

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