2017年4月23日日曜日

新自由主義のまぼろし

左派も右派も、今の世界や日本は「新自由主義」に侵されていると憤る。しかしもし新自由主義が経済活動に対する政府の干渉を拒む考えを意味するのであれば、それが世の中を支配しているというのは事実に反する。

左派の佐高信と右派の佐藤優は『世界と闘う「読書術」』(集英社新書)で仲良く対談し、新自由主義をこき下ろす。たとえば佐藤は「新自由主義における自由の主体、これは巨大企業です」と述べ、「だからビル・ゲイツの自己実現はあるんですよ。しかしプロレタリアートの仲間である佐高信や佐藤優の自由ってのは基本的にないんですよ」と言う。

もし佐高や佐藤に自由がないのなら、本を出版し、新自由主義を批判できるはずがない。すでに十分お粗末な議論だが、本題はここからである。

佐高は日本航空の再建に触れ、「公的資金で援助して、法人税を免除してもらって、要するに借金を全部棚上げしただけ」と批判する。これは正しい。しかし、もし世の中で新自由主義が優勢ならば、政府が特定の企業を税金で救済できるわけがない。市場経済への干渉そのものだからである。

事実、佐高の発言を受け、佐藤は日航再建について「新自由主義の理屈ではまったく説明できない」と認める。そして二人は口々に、政府の態度を「国家資本主義そのもの」と言う。しかし、繰り返しになるが、もし日本が反国家的な新自由主義に支配されているならば、政府が「国家資本主義そのもの」の政策を採れるはずがない。要するに、佐高も佐藤も思考が杜選で、混乱した議論を思いつくままに喋っているだけなのである。

混乱はここで終わらない。続けて佐藤が「グローバリズムだ、規制緩和だといいながら、他方で国を挙げて、原発や新幹線とかのインフラを外国にさかんに売りつけようとしている」と言い、これに佐高が「新自由主義といいながら、JAL〔日航〕にしたって東電にしたって、巨額の金を出して助けてね」と同調する。

まるで政府の態度が矛盾しているかのような口ぶりだが、何も矛盾はない。政府は口先では市場経済の重視を唱えながら、現実にはその本性に従い、国家主義に邁進しているにすぎない。新自由主義の総本山のようにいわれる米国でも、政府は潰れかけた金融機関や自動車大手を税金で助けた。

政府、すなわち政治家と官僚が、ときに規制緩和や自由貿易といった自由主義的政策を採るのは、そうしなければ市場経済が衰え、寄生する自分たちの身にかかわることを知っているからだ。しょせんは一時的であり、新自由主義の蔓延などまぼろしにすぎない。さも一大事のように騒ぐのは、無知な左右の評論家だけである。

(2014年2月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月22日土曜日

シュッティンガー/バトラー『四千年の賃金・物価操作』


左翼政権の市民弾圧

南米ベネズエラで激しいインフレと物不足で経済が破綻寸前に陥っている。労組指導者出身のマドゥロ大統領は反政府デモを武力で弾圧し、死傷者が発生したという。

労働者や一般市民にやさしいはずの左派政権が、みずから引き起こした経済混乱をきっかけに市民を弾圧する現象は、近代民主主義の出発点であるフランス革命にさかのぼる。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

1793年5月から1794年12月までの20カ月間に、フランス革命政府は、革命前から試されていた賃金と価格の操作に関するほとんどすべての実験を試みた。(913)

物価抑制を狙った最初の法律は1793年5月3日、公安委員会によって制定された。この最高価格令によれば、穀物と小麦粉の価格は1793年1月から5月までの平均値とされた。代金はアッシニア紙幣で受け取らなければならない。(920)

当然ながら、農家の多くは農産物を売らなくなった。インフレでもそれにふさわしい値段で売ることを許されなかったからだ。数カ所で一揆が発生し、5月に制定されたばかりの法律は8月には死文とみなされた。(924)

食料価格を管理しようとする政府の試みは繰り返され、仏全土で大きな闇市場が育った。特にバター、卵、肉は少量ずつ戸別で、おもに金持ち向けに販売された。結局、金持ちが十分以上の食料を手に入れる一方、貧乏人は飢え続けた。(944)

1794年12月、議会の過激派が敗北し、最高価格令は正式に廃止された。〔過激派ジャコバン派の首領〕ロベスピエールとその一派がパリの通りを処刑台へと向かうとき、群衆はこう野次を飛ばした。「薄汚い最高価格令が通るぞ!」(957)

2017年4月21日金曜日

最低賃金法は人種差別

次より抜粋。
Chris Calton, The Racist History of Minimum Wage Laws
(最低賃金法の人種差別の歴史)

経済学者ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)は1966年、ニューズウィーク誌で「最低賃金法は六法全書で最も黒人差別的な法律だ」と述べた。しかし最低賃金法の人種差別的な影響は19世紀にさかのぼることができるし、今も続いている。

1930年代に黒人蔑視はそれ以前よりほとんど改善されなかった。それにもかかわらず、黒人の失業率は白人よりもわずかに低かった。これは鉄道労働者(railroad workers)のように、白人よりも低い賃金を受け入れる意思があったからである。

1930年代の一連の最低賃金法は、すべてアフリカ系米国人を雇用市場(job market)から閉め出すためのものだった。雇用主に人種差別的でない賃金を払わせるのではなく、黒人を人種差別的な賃金から人種差別的な失業に転じるよう強いただけだ。

1960年代、多くのアフリカ系米国人が農業従事者として雇われていた。一つには、まだ賃金規制の対象でない労働分野だったからだ。1967年、政府が「貧困との戦い(War on Poverty)」の一環として最低賃金法を農民に拡大すると、それが一変する。

最低賃金法のせいで、ミシシッピ・デルタ(Mississippi Delta)地域だけで2万5000人の農業労働者が仕事を失った。「時給1ドルだって価値はあるさ」と日雇い労働者の妻は語った。要するに、最低賃金は生計を立てる能力を破壊したのである。

2017年4月20日木曜日

河村小百合『中央銀行は持ちこたえられるか』

 
日本の無策に戦慄

マネーを無尽蔵に作り出せる中央銀行は、政府にとって打ち出の小槌のように便利な道具である。長期では通貨価値の崩壊が待ち受けているものの、短期では行政の大盤振る舞いを可能にしてくれる。主要先進国はいずれもその誘惑に勝てず、軒並み財政が悪化しているが、それでも程度の違いはある。

本書で紹介されるように、債務危機が直撃した欧州各国はさまざまに工夫し、財政を立て直そうとしている。最悪なのはわが日本である。政府は歳出削減にほとんど何の努力もせず、日銀は近未来の金利上昇リスクに開き直ったかのようだ。あまりの無策に背筋が寒くなる。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

〔諸外国で〕リーマン・ショックと欧州債務危機の打撃は大きく、二〇〇九年にかけて、財政収支、PBとも急激に落ち込んだことがわかりますが、日本と違うのは、懸命の財政運営でその後の財政収支を早期に改善させていることです。(441)

〔財政再建の工夫の〕第一には、財政健全化目標として使用する収支の指標を何にするか、ということです。わが国が利払費を含まないPB〔基礎的財政収支〕であるのに対し、諸外国は軒並み、利払費をも含む財政収支を採用しています。(468)

第二には、中期的な予算編成ルールの強化です。〔略〕ドイツやスペインでは、健全な財政運営を行うことを政府に義務づける条文が憲法に盛り込まれたほか、英国の「財政責任憲章」のように〔略〕ルールを設けている例も多くみられます。(478)

第三には、独立財政機関の設置が挙げられます。選挙によって選出される「議員」に財政拡張志向があるのは、わが国のみならず各国に共通の事情です。ともすれば、立法府で財政再建を軽視した予算運営が決定されてしまいかねません。(483)

今後も自らの資産規模を増やし続け、二〇一七年末頃には名目GDP比で一〇〇パーセントを超えるであろうなどという見通しを示しながらも、先行きの正常化に向けての考え方や見通しを一切示していないのが日銀です。(1051)

2017年4月19日水曜日

国民国家という迷信

次より抜粋。
Dan Sanchez, How Nationalism and Socialism Arose from the French Revolution
(ナショナリズムと社会主義はフランス革命からどのように生まれたか)

「国民の支配(rule by the people)」というものはない。なぜなら「国民」というものは存在しないからだ。個人だけが存在する。「一般意志」のようなものはない。個人だけが意志を持つ。「国民」とは私たちが信じるよう意図的に教えられた、架空の存在だ。

名誉革命からロシア革命に至る一連の革命は、国家正当化(state legitimacy)の基礎となる迷信を新しい迷信に置き換えた。理解不能な神に恵みを受けた国王と聖職者は、「国民」という理解不能な存在の恵みを受けた政治指導者と官僚に取って代わられた。

新しい迷信は古い迷信より強力で危険だ。国家権力に参画することで自己の利益を得られるという、魅惑的な幻想を誘うからである。またこの新しい迷信は、分断統治(to divide and rule)にとって便利な道具になる。

対外戦争を宣言するだけで、ナショナリストは国民国家(people’s state)の周りに集まり、国民の団結を実現しようとするだろう。階級闘争を宣言するだけで、社会主義者は国民国家の周りに集まり、階級の統一を実現しようとするだろう。

ナショナリズムと社会主義の危機と悪は、ナチスドイツとソ連の崩壊で終わらなかった。まだ私たちにつきまとう。ナショナリズムによって戦争や地政学的危機(geopolitical crises)が広がり、社会主義の思い上がりによって経済は機能不全と停滞を余儀なくされる。

2017年4月18日火曜日

姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』


右翼と左翼は同質

右翼と左翼は正反対だと多くの人は信じている。たしかに表面上、異なる部分は多い。しかしその本質は同じだ。一言でいえば、国家主義である。社会のさまざまな問題は国家権力によって解決できるし、解決しなければならないと信じている。

安倍晋三首相の祖父、岸信介はタカ派の右翼政治家として知られる。だから本書によって岸の政治思想にマルクス主義やロシア革命が影響を及ぼしたことを知ると、読者は意外に感じるかもしれない。しかし右翼と左翼は国家主義者という同じ穴のムジナなのだから、右翼が社会主義を信奉しても不思議はないのだ。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

戦前、戦後を通じて有為転変を重ね、にもかかわらず一貫して国家社会主義的な統制経済論に揺るぎない確信を抱き続けた「ミスター統制」岸信介は、官僚主導の日本的経営システムのひな型作りに巨大な足跡を残したのである。(81)

企画院を根城に軍部幕僚層と結びついて高度国防国家への改造を担う、これら革新官僚グループに共通しているのは、若き日の彼らが、「一般的風潮としてのマルクス=レーニン主義的な社会科学の影響」のもとにあったということである。(240)

北一輝の国家社会主義的な日本改造に惹かれていた岸〔信介〕にとって、ソ連邦の「実験」は、脅威であると同時に、日本の危機突破のインスピレーションを与えてくれるものだった。(1853)

最大の眼目は、統制経済にもとづく満州国の国家建設プランを練ることにあった。ロシアとは資本主義の発展段階も〔略〕環境も違う日本で計画的な国家統制による新たな国創りの実験が、満州という場で試されることになったのである。(1873)

〔戦後も〕社会主義、それも国家社会主義的なヴィジョンが生き続けていた。〔略〕国家という管制装置による介入と秩序によって自由主義経済の行き過ぎや混乱を収束させようとする統制思想が、岸の一貫した統治理念になっていた〔。〕(2326)

2017年4月17日月曜日

最低賃金上げを拒否した市長

次より抜粋。
(基本経済学を学んだ後、市長は最低賃金引き上げを拒否)

ある政策案がどれほど選挙の勝利や人気につながろうとも、経済の法則(economic laws)からは逃れられない。案の背景にあるのが善意であってもだ。

米メリーランド州ボルチモア市のキャサリン・ピュー(Catherine Pugh)新市長〔民主党〕は、最低賃金を時給15ドルに引き上げる件について立場を変え、有権者を驚かせた。市長選中、ピュー氏は最低賃金引き上げ立法への支持を明言していた。

しかし当選後、最低賃金引き上げの法律が送付されると、ピュー新市長は法律に署名する(signing the legislation)代わりに、なんと拒否権を発動したのである。

ピュー市長は就任後わずか4カ月で、多くの市長がわざわざやろうとせず、やる勇気もないことを実行した。立法によって実施される経済政策とそれがボルチモア市に及ぼしうる害(potential harm)をみずから調査したのである。

調査の結果、ピュー市長は決心した。もはや良心(good conscience)に従って最低賃金引き上げの立法を支持することも、それに署名することもできない、と。経済的な影響が市全体に害を及ぼしかねないほど危険だからである。

2017年4月16日日曜日

「昔はよかった」の嘘

今年の夏、飲食店で悪ふざけをした写真をインターネット上に公開し社会問題となる出来事が相次いで起こり、若者の「モラル低下」を嘆く声があがった。また、安倍晋三内閣の下で検討が進められている道徳の教科化についても、「家庭の教育力低下」などがその理由として叫ばれている。しかし昔に比べて日本人の道徳心が低下したというこれらの主張には根拠がない。

ライターの大倉幸広は『「昔はよかった」と言うけれど』(新評論)で、戦前の新聞報道や出版物を調べ、この主張が俗説にすぎないことを明らかにする。

たとえば電車内でのマナーである。昭和十五年七月五日付読売新聞によれば、「集団をなしたハイカーは、とかく群集心理に酔つて粗暴に流れがちになります。始発駅の列車や乗換駅で窓から乗り込み荷物を投込む。最近では窓から荷物を投込んで座席をとつて置くと、先に乗り込んだハイカーがこれをホームに投出して座りこみ、そのため口論が始まる」。日本人を好意的に描いた『東京に暮らす』の著者キャサリン・サンソムが「駅にいると、集団の中の日本人がいかに単純で野蛮であるかがよくわかります」と書いたほどだった。

公共の場でのマナーの悪さは駅に限らない。街には人々が捨てたゴミであふれていた。昭和五年三月二十五日付同紙で、東京家政学院創設者の大江スミはこう嘆いている。「折角きれいに道幅も広々とつくられた立派な道路を、かの紙屑、蜜柑の皮、竹皮などを捨てて汚す悪習がありますから、これを十分きれいにしなくてはならない」。河川は路上よりもひどく、不法に投棄されたと思われるゴミが大量に流れていた。

また俗説と異なり、家庭での子供のしつけは厳格ではなかった。明治四十三年七月三日付同紙では、ある外国人が日本は「子供の威張る国」だと感想を語ったと記し、こう認めている。「客間と云はず応接室と云はず、一家を子供の横行するに任かせ、来客に供したる菓子を子供の奪ひ去ることすらある我国のある種の家庭の状を見せしむれば、あるいは『子供の威張る国』といふ感じを起さざるを得ざる場合あるべし」。サンソムも「子どもを叱っている母親を目にすることはめったにありません」と記した。

大倉が批判するとおり、歴史に学ぶには、根拠の乏しい印象論に走らず「過去の事実を正確に、より客観的に、より多角的に把握する」必要がある。「昔はよかった」という幻想に基づいて歴史の全体像を歪めてはならないし、ましてや政治権力によって、ありもしない「古きよき時代」への回帰を強いられるのはまっぴらである。

(2013年12月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月15日土曜日

商業は偏見を癒す(モンテスキュー)

次より抜粋。
(モンテスキューが考えるに、商業は習俗を改善し、破壊的な偏見を癒す)

商業は破壊的な偏見(destructive prejudices)を癒す。習俗が穏やかなところではどこでも商業が存在しているというのがほとんど一般的な原則である。また商業が存在するところではどこでも、穏やかな習俗が存在するというのもそうである。

だから我々の習俗(our manners)が、かつてそうであったほど残忍でないとしても驚くにはあたらない。

商業はあらゆる国民の習俗についての知識がいたるところに浸透するような働きをなしたのである。人はこれらの習俗を相互に比較したが、そこから大いに有益な成果(greatest advantages)が出てきた。

商業に関する法律(Commercial laws)は、まさにこの法律が習俗を堕落させるのと同じ理由で、習俗を改善することができる。

商業は純真な風俗を腐敗させる。これがプラトン(Plato)の嘆きの種であった。商業は我々が毎日見ているように、最も野蛮な習俗を磨き、これを穏和にする。

*野田良之他訳(『法の精神』岩波文庫、中巻、p.201)を一部変更。

関連記事:商業は偏見を癒す(ラディカルな経済学)

2017年4月14日金曜日

個人は不合理、政府はもっと不合理

次より抜粋。
(政治家がいつもあなたを騙そうとする理由)

政治的なでたらめ(Political balderdash)は、国民の中でも理性に乏しく無知な人々の支持を得るのに特に役に立つ。発言者には情報コストがかからない。矛盾などお構いなしに何でも言うことができる。当然のことながら、事実によって反論されることもない。

おそらく政治的でたらめは、行動経済学の分野で好まれる認知バイアス(cognitive biases)の増大するリストに加えるべきだろう。行動経済学とは新たな経済分析の一種で、認知バイアスによって個人の合理性が制約されるとの認識に基づく。

行動経済学(behavioral economics)には限界がある。行動経済学者が認知バイアスの存在を強調するのは正しい。しかし認知バイアスがあるというだけでは、行動経済学者がよく言うような、政府の介入を求める十分な理由にならない。

政治家や官僚は、認知に限界のある個人の間違った選択(bad choices)を正すよう求められる。しかし彼ら自身、おそらく一般の個人よりも大きく、同様の認知バイアスに左右される。解決しようとするのが自分自身の問題ではなく、他人の問題だからだ。

政治家や官僚には彼ら自身の行動を動機づけるものがある。たとえば他人のための政策が失敗しても、個人として大きな損失をこうむるわけではない。だから政府の介入(government intervention)は個人の認知バイアスを正すのでなく、むしろ増幅する恐れが大きい。

2017年4月13日木曜日

岩崎育夫『入門 東南アジア近現代史』


政治統合より賢明な道

英国の欧州連合(EU)離脱に対し、「欧州で孤立する」「グローバル化に逆行」などという非難が主流メディアで広がっている。しかしそれは的外れだ。EUは政治統合であり、政治のグローバル化にすぎない。政治統合から抜け出しても経済的に孤立するわけではないし、政治のグローバル化は経済のグローバル化とは違う

ある地域の国々が経済的な結びつきを強め、経済のグローバル化を進めたいなら、EU型の政治統合よりも賢明な道がある。それが本書で解説される東南アジア諸国連合(ASEAN)のゆるやかな連携だ。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

ASEANは、EUのように加盟国の義務や行動を細かく規定し、主権の一部が移譲された地域機構ではない。東南アジア研究者のあいだでは「ゆるやかな」地域機構と指摘されている。(2640)

内政不干渉は〔略〕ASEANの代名詞ともなっている〔略〕「憲法に反し民主主義に反する政府の交代を〔略〕黙認しない」と述べているが、実際には、ミャンマーとタイの非民主主義的な状況に対して、何の行動も採っていない。(2651)

決定が加盟国の全会一致、すなわち、同意(コンセンサス)を原則にしている〔略〕加盟国が合意できない分野、まとまることが難しい分野は、ひとまずわきに置いて、合意できる範囲内、まとまれる範囲内で協調・行動する〔略〕。 (2663)

イギリス国民の不満とEUの動揺という状況をみると、加盟国の主権と意向を尊重する「内政不干渉」や「全会一致方式」は〔略〕ASEANの組織と安定を維持するうえで有効な方式とみることも可能なのである。(2686)

一つが、EUのように、加盟国が最終的に一つの国になることをめざす国家統合、もう一つが、投資や貿易の自由化など経済分野で協力する経済共同体である。〔略〕東南アジア諸国の考えは〔略〕後者にあることは明らかである。(2781)

2017年4月12日水曜日

軍事介入の知的傲慢

次より抜粋。
Idan Eretz, Israel, Europe, and the US Cannot Fix Syria
(イスラエルと欧米はシリア問題を解決できない)

〔欧米の〕政府は、自分自身が体現しているという社会を再設計することに関しては、はなはだお寒い実績(track record)しかない。自分たちが完全に理解してもいない、きわめて異質で複雑な社会の形成に、どうやったら成功できるというのだろうか。

西側諸国の政府がシリア問題を解決できるとか、政府軍と反乱軍のどちらを支援する(もちろん納税者のカネで)のがよいか判断できるとかいう想定は、〔ハイエクの言う〕見せかけの知(pretense of knowledge)にすぎない。

中東を「安定化」させるという過去の試みは、イラクとアフガニスタンで悲惨な結果に終わった。いたずらに混乱を増し、最後は「イスラム国」(IS)を生んだ。軍事介入(interventions)はより多くの混乱、流血、戦争や難民を生み出すだろう。

米国の政策がどうあろうと、イスラエルと欧州の政府は、それから距離を置く十分な理由がある。支援したいのであれば、〔戦争でなく〕実際に影響力の大きな組織に寄付する(donating)ことで、確実に行うことができる。

人々がシリア問題に関与すべきだと考える戦争屋(warmongers)は、徴兵された者を含む兵士たちの代わりに、自分で飛行機を予約し、命を危険にさらせばよい。実際にそれをやっている人がいれば、本物の英雄だ。

2017年4月11日火曜日

菊池良生『傭兵の二千年史』

 
違法な略奪、合法な略奪

国家が市民から税金という名目で財産を奪い、抵抗する者には暴力の行使も辞さないことを、多くの人は当然だと思っている。なぜならそれは「合法」だからだ。

しかし略奪が「合法」だろうと「違法」だろうと、悪という本質に違いはない。本書で描かれる傭兵隊長ヴァレンシュタインとその配下らの非道な振る舞いも「合法」だった。権力者がお墨付きを与えたからである。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

傭兵契約が切れ、除隊となった兵たちが生きていくために放火、追いはぎ、強盗、人殺し、略奪とありとあらゆる悪事を行い社会不安を引き起こす〔略〕。だがそれら除隊兵士の群れは、多くてせいぜい二十から三十の集団に過ぎない。(1565)

ところが〔傭兵隊長〕マンスフェルトは、これらの略奪行為を二万の軍隊として組織的に行ったのである。しかもそれは〔略〕日常的に繰り返し行われたのである。マンスフェルト軍の戦う相手は最初から都市や農村の非戦闘員であった。(1571)

マンスフェルトのやり口をもっとはるかに大規模に行い、あげくには略奪行為という兵たちの凶悪犯罪そのものを効率的な合法的収奪機構へと変質させたのが、史上最大にして最後の傭兵隊長ヴァレンシュタインであった。(1586)

ヴァレンシュタインは兵力提供と引き換えに、皇帝フェルディナントから占領地における徴税権を手に入れた。この皇帝のお墨付きにより、軍の非合法的恒常的略奪は合法的恒常的戦争税に化けるのだ。いわゆる軍税である。(1629)

ヴァレンシュタインの軍税は苛斂誅求を極めた。宿営地の住民に兵士の給料を賄える額の税金を割り当てる。〔略〕宿営地に指定された都市や村が兵士たちの略奪を恐れ、その免除を願い出ると、これを許す代わりに免除税を取り立てた。(1631)

2017年4月10日月曜日

キューバ人は資本主義を望む

次より抜粋。
Maximilian Wirth, Cubans Want Capitalism
(キューバ人は資本主義を望む)

キューバは資本主義に対抗するモデルの成功例として、ときに理想化される。 しかしシカゴ大学の全米世論調査センター(NORC)が発表したキューバの世論に関する調査によると、結果は明らかだった。キューバ人は資本主義を望んでいる。

回答したキューバ人の65%が、より多くの企業を民営化し、経済を分権化させたいと述べた。多くは起業家精神(entrepreneurial mindset)があり、今後5年間に56%が事業を始める予定だ。人々は生活を向上させる準備ができているのに、政府がそれを妨げる。

キューバのタクシー運転手は政府の規制のおかげで医者よりも多くの金を稼ぐ。専門家は国を離れるか、技能水準のはるかに低い職に就く。科学者はアイスクリームを売り、大学教授はもぐりの本屋(illegal book vendors)になり、教師は給仕として働く。

高級タバコの代名詞(synonym)だったキューバ葉巻でさえ、競争激化や政府の誤った管理のせいで品質が低下している。 2016年の葉巻ランキングでは、上位25位以内にキューバのブランドは3銘柄しかなかった。ニカラグアは16銘柄あった。

キューバの人々の半数以上が、チャンスさえあれば国を去りたいと望むのは意外ではない。そのうち7割が米国希望だ。共産主義革命(communist revolution)から60年、キューバ人が自由な資本主義社会を忌み嫌うのではなく、切望しているのは明らかである。

2017年4月9日日曜日

資本家憎悪の野蛮

経済が不況になるのは人々がカネを消費に使わないせいであり、その元凶はカネを抱え込んで使おうとしない富裕層にある。したがって不況を克服するには、富裕層から国家が課税によってカネを吸い上げ、代わりに使ってやればよい――。これは左右の国家主義者に共通する、誤った経済論議の一つである。

経産官僚で評論家の中野剛志は『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)において、十九世紀英国の詩人で、政治評論も多く著したコールリッジの主張を持ち上げる。コールリッジはこう書いたという。「租税を通じて、怠惰な富裕層から勤勉で企業家精神に富んだ人々へと、資本が絶えず引き渡されることによって、国富は結果的に増大するでしょう」

また中野によれば、現代米国の経済学者スティグリッツも、コールリッジと同じような観点から、より平等な社会のほうがより需要が拡大し、経済は成長すると論じている。コールリッジとスティグリッツに共通するのは、不況の原因はカネを貯め込んであまり使わない富裕層の存在だという見解である。中野も指摘するとおり、これらは本質的にケインズ経済学の主張と同じである。ケインズは貯蓄を「現在の所得のすべてを消費に充てない、良くない行い」と呼んだ。

しかしこれらの見解は誤っている。富裕層はカネをすべて箪笥にしまうわけではない。多くの場合、銀行に預ける。銀行はこれを企業に貸し出し、企業はその資金で工場や店舗の建設、道具や機器の購入といった投資を行い、生産性を高める。生産性が高まれば、消費者が望む商品やサービスがより多く、安価に提供され、社会は物質的に豊かになる。富裕層がカネを銀行に預けるのでなく、株式や社債を購入した場合も、同じく投資資金、すなわち資本が提供される。

ケインズ主義者は、不況時には企業が投資に尻込みするので、代わりに国家が公共投資をするべきだという。しかし誰もが知るように、消費者の需要を考慮しない公共事業は一部の関係業者を一時潤すだけである。

いずれにせよ、富裕層は「怠惰」な存在などではない。元利金が戻らないかもしれないリスクを取り、資本を提供する社会的役割を担う。つまり資本家である。資本家がいなければ、その名のとおり、資本主義は成り立たず、社会は豊かにならない。

ケインズは、資本主義社会は富と所得の分配が恣意的で不公平だと非難し、金利生活者を安楽死させよと書くほど資本家を憎み、投資は政府がせよと主張した。資本家を悪玉に仕立て上げ、国家に代理を務めさせるケインズ主義は、マルクス主義と同じく国家主義者の発想であり、社会を貧困に追いやる野蛮な思想である。

(2013年11月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月8日土曜日

ブラウン『政府が役立たずな理由』


本質的に非効率

交通事故死を自動車メーカーのせいにする論者があるが、欠陥自動車のせいで死ぬ人はめったにいない。ほとんどは見通しが悪く、歩車分離すらない政府の欠陥道路によるものだ。政府がなければ誰が国民を守るのかと問う論者があるが、政府はむしろ無用の戦争に国民を駆り立て、その生命を危険にさらす。

民間企業ならできることが政府にはできない。なぜか。著者が指摘するように、政府はその本質からして非効率だからだ。以下、表題作のエッセイより抜粋。(数字は位置ナンバー)

政府は役に立たない。道路の効率を維持できず、いつも渋滞ばかりで、幹線道路の死亡事故発生率も下げられない。死亡率は恥ずべき高さで、もし道路が私有だったら、責任者は投獄ものだろう。(1006)

政府は役に立たない。国民を外国の侵略から守ると誓いながら、若者を徴兵して送り出し、他国の敵と戦わせ、戦死させた。米国の海岸に対する脅威はほとんどないのに、多数の米国民が戦争で死傷し、巨額の資金を費やした。(1016)

政府は市場のルールを決め、審判のように振る舞うと思われているかもしれない。しかし実際にはルールは気まぐれ、あいまいで、しょっちゅう変わる。しかも「審判」はいつも、政治力の強いチームをひいきするように見える。(1037)

政府が役立たずだとわかったら、改善の方法はただ一つ。政府の規模を小さくすることだ。法律を廃止し、政策をやめ、政府支出と税を減らし、政府をできるだけ小さくするのだ。(1042)

政府は小さければ小さいほどいい。政府をもっと効率よく、人間らしく、利用者にやさしくしようとしても、改善を遅らせるだけだ。強制は効率的でないし、人間らしくもなければ、もちろんやさしくもない。(1056)

2017年4月7日金曜日

「資源の呪い」のウソ

次より抜粋。
Tyler Bonin, There Is No Such Thing as a "Resource Curse"
(「資源の呪い」なんてものはない)

経済学者によれば、天然資源の豊富な国は「資源の呪い(resource curse)」によって、低い経済成長、民主主義の弱体化、政治的暴力に悩まされるという。だが実際には、資源国でも経済自由度が高ければ、かなりの経済成長と社会発展を達成している。

チリ(世界最大の銅輸出国)は商品価格の変動を克服して雇用を増やし、教育や医療の水準を高めた。同国は経済自由度が高い。 石油備蓄は世界最大だが食糧不足や社会不安を抱えるベネズエラ(Venezuela)と対照的だ。同国は経済自由度が低い。

〔経済の自由を保障する〕政治制度の弱い資源国は、政治的暴力の触媒となる。政府の干渉が過剰だと、親密企業の便を図る恣意的な規制(rent-seeking)がはびこる。参入障壁があると資源産業がらみの腐敗を招き、支配エリートを肥やす。

「イスラム国」にとって、押収した製油所(refineries)からの石油・ガス販売は最大の資金源だ。「イスラム国」は戦闘員に給料を支払う。青少年失業率が20%近くに達するイラクでは、戦闘員は少なくともカネになる仕事であり、失うものは少ない。

国の天然資源は、社会不安や戦争が永久に続く原因ではない。真の原因は、政府が親密企業の便を図る恣意的な規制と汚職である。「資源の呪い」とは、悪い政治制度(political institutions)のことなのだ。

2017年4月6日木曜日

小林章夫『コーヒー・ハウス』


弾圧された私営郵便

経済学の本では、初期投資が巨額で民間企業では負担しきれない公共サービスは政府が行うのが当然だと教える。その例としてよく上がるのは郵便である。しかし本書が記すとおり、17世紀の英国では民間の企業家による私営郵便が立派に市民の役に立っていた。官営郵便を運営する政府はこれを弾圧し、廃業に追い込む。

私営郵便の中継所として機能したのは、これも私営のコーヒー・ハウスである。コーヒー・ハウスはジャーナリズムや保険業の発展の拠点にもなる。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

1680年にウィリアム・ドックラが創設したペニー郵便は、戸別配達制度を取り入れた点で革命的なものであったといってよい。〔略〕市街地からやや離れた地区は局留めが普通だが、1ペニー余計に払えば戸別配達も行なわれる。(2012)

〔民営のペニー郵便によって〕ロンドン市民は大いに手紙のやりとりを行なったのだが、官営の郵便制度を有していた政府の弾圧もあって、1683年には廃業を余儀なくされた。(2020)

船舶郵便というのは、外国向けの郵便物のことだが、普通は官営の郵便船によって運ばれていたものの、船の数が少なく需要に追いつかなかったので、商船や軍艦に託して送られていた。(2015)

政府はこうした〔外国向けの郵便物を商船や軍艦に託す〕方法は、官営の郵便制度を邪魔するものだとして規制したが、その効果もなく、直接船長に郵便を渡す方法がよくとられていた。(2026)

船長は〔略〕コーヒー・ハウスの店のなかに麻の袋を下げて出港日時、行先などを掲示し、郵便物の受付けを行なった。〔略〕コーヒー・ハウスは船舶郵便物を取り扱う〝私設〟外国郵便局として機能し、官営の郵便制度の不備を補完した。(2030)

2017年4月5日水曜日

国防に政府は必要か

次より抜粋。
Robert Higgs, Does National Defense Require the State?
(国防に政府は必要か)

無政府状態(anarchy)に対し、よくこんな異論が聞かれる。「ある国が政府を廃止しても、他の国々が追随するとは限らない。だから他国の政府は政府のない国を自由に乗っ取るだろう。政府がなければ外敵から自らを守る有効な手段もないからだ」

無政府状態に対するこの異論は、少なくとも2つの重要な考え(critical ideas)を前提としている。第1に、国民を守るにはそれを支配する政府が必要だということ。 第2に、もしある政府に他の国を乗っ取る力があれば、そうするだろうということだ。

第1に、中央政府が防衛の手段として役立たずなことは、歴史上の多数の例から明らかだろう。広範囲に散らばる独立したゲリラ集団(guerrilla groups)のような、分散型の防衛手段が外敵の侵略を防ぐうえで有効に思われる。

第2に、弱い政府しかない多くの小国(small countries)が現代でも存続している以上、有効な国防のない国は存続できないという考えは疑問である。

ブラジルにはウルグアイを征服する手段が間違いなくあるが、していない。 独仏にはベルギーを征服する手段があるが、していない。他の多くの国々も同様だ。政府はさまざまな理由から、やりそうな征服(possible conquests)を控えるのだ。

2017年4月4日火曜日

大塚健洋『大川周明』


自給自足論の末路

大川周明は東京帝大で宗教学を専攻し、古今東西の宗教思想・神秘主義思想を深く理解していたといわれる。『国体の本義』の忠君愛国論を否定し、絶対的な天皇崇拝とは一線を画した。

しかしそんな大川は、他の国家主義者たちと同様、正しい経済学の知識を欠いていた。貧困改善には自給自足ではなく、自由貿易が必要であることを理解しなかった。だからアジア主義を掲げつつ、中国侵略を肯定する矛盾に陥る。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

〔一九二六年〕七月に蔣介石の北伐が始まり、その鉾先が日本に向けられるようになると、彼〔=大川〕は満州における我が国の権益を守るために、中国ナショナリズムと全面的に対決することになるのである。(1779)

大正末頃から〔略〕彼〔=大川〕は日本と満蒙を一体とした自給自足的経済圏の建設とその政治的支配が、我が国の生存と世界的使命の遂行のために、必要不可欠であると確信するに至った〔略〕。(1785)

国粋派の論客大川は〔略〕精神の次元では、西洋崇拝に対して日本精神を、内政の次元では、資本主義に対して社会主義もしくは統制経済を、外交の次元では、脱亜外交に対してアジア主義を唱えた。(2412)

大川は、早くも高校時代から、個性の伸長を妨げる資本主義経済の仕組みに痛烈な批判を放ち、社会主義の必要を唱えていた。やがて米騒動の体験は〔略〕資本主義体制とそれを支える金権的民主主義の打倒を決意させた。(2438)

彼〔=大川〕は直訳的社会主義を信奉したわけではない。日本が天皇信仰によって作られた国であり〔略〕天皇が現存する以上、天皇を中心とした錦旗革命こそ、最も現実的な変革手段であると、大川は考えた。(2441)

2017年4月3日月曜日

アイスランドはなぜ寛容か

次より抜粋。
Camilo Gómez, Why Iceland Doesn't Have an Alt-Right Problem
(アイスランドにオルタナ右翼問題がない理由)

最近欧州全域で右派のポピュリスト政党が勢いづく中で、アイスランドは一服の清涼剤となっている。同国は民族主義の言辞(nationalistic rhetoric)にほとんど影響を受けていない。2008年の金融危機後、政界の権力構造に挑む社会運動が台頭したためだ。

パナマ文書問題によるグンロイグソン首相辞任で、海賊党(Pirate Party)が勢いづいた。同党は無政府主義者、ハッカー、リバタリアンの緩やかな集まりである。海賊党のおかげで世論は転換し、寛容で世界に開かれた社会を望むようになった。

有権者は海賊党に加え、明るい未来(折衷的な社会リベラル政党)、改革党(独立党の脱党者が結成した新しいリベラル政党)から選ぶこともできる。 選挙を経て、独立党、改革党、明るい未来による中道右派連合(center-right coalition)が形づくられた。

アイスランド人は移民(immigrants)が起こす問題を非難するのではなく、政治階級に立ち向かい、極右ポピュリズムと異なる政党を生んだ。今や政府ですら、経済のさまざまな需要を満たすために、熟練・非熟練の移民が必要だと認識している。

他の欧州諸国と異なり、アイスランドは小国にもかかわらず難民(refugees)を喜んで受け入れ、移住者の数は年々増え続けている。 移民虐待の時代にあってアイスランドは外国人にやさしい。外国人が繁栄をもたらすこの小国に世界は学んでほしい。

2017年4月2日日曜日

利潤制限の愚論

企業は株主のためだけにあるのではない、社会的な責任をわきまえて経営せよという、もっともらしい主張をよく耳にする。いわゆる「企業の社会的責任」論である。しかしこれは自由主義経済の根本を理解しない愚論でしかない。

元航空幕僚長で軍事評論家の田母神俊雄は『いまこそ情報戦争を勝ち抜け!』(宝島SUGOI文庫)でこう書く。「ある種の公共心で(企業に)資金を投じたのが昔の日本人である。すなわち企業に投資するという行為は、社会的な責任をも背負うという気概を持っていた。……日本の企業は経営責任者のものではない。もちろん株主だけのものでもなく、従業員とその家族、さらには企業が存在する地域社会のものなのだ」

しかしもし田母神が主張するように、「社会的責任」を考慮して株主の利益を制限すれば、何が起こるだろうか。せっかく企業に出資してもそれに見合うだけの利益が得られないのであれば、金を出す者はいなくなってしまうだろう。実際、過去に多くの失敗例がある。

たとえば昭和八年三月一日に発表された満州国経済建設要綱は、「従来の無統制なる資本主義経済の弊害に鑑み、これに所要の国家的統制を加え、資本の効果を活用し、もって国民経済全体の健全かつ発剌たる発展を図らんとす」とし、配当を制限し、利潤追求を否定した。しかしこれでは資本家が投資するはずがない。「王道楽土」を謳った満州国は、関東軍による建国から五年たっても産業開発が進まなかった。

満州生まれの作詞家なかにし礼によれば、「日本政府の用意した土地は未開墾のところが多く、開墾された土地の多くは現地の農民から奪い取ったものだった」。このため「現地では紛争が続出した。土地を奪い返しにくる現地の人を、軍が出動して追い払う。時には撃ち殺す」という有様だった(『歌謡曲から「昭和」を読む』NHK出版新書)。経済の仕組みに無知な関東軍が、社会的正義を実現するには利潤の制限が必要だと浅はかにも信じ、それを実行した結果、社会に無用の混乱をもたらしたわけである。

経済学者ミルトン・フリードマンは、企業の社会的責任などというあやふやな概念に惑わされず、明確にこう言いきっている。「企業経営者の使命は株主利益の最大化であり、それ以外の社会的責任を引き受ける傾向が強まることほど、自由社会にとって危険なことはない」。利潤を否定し制限した社会を待つのは、満州国のような混乱、暴力、貧困である。

「企業の社会的責任」論は、田母神のような右翼だけではなく、左翼も主張する。そして右翼も左翼も、フリードマンを「市場原理主義」の親玉として忌み嫌う。それは左右を問わず国家主義者は経済に無知で、自由を憎んでいるからなのである。

(2013年10月、某ミニコミ誌に寄稿)

2017年4月1日土曜日

商業は宗教共存のカギ(ボルテール)

次より抜粋。
(哲学者ボルテールいわく、商業と寛容が支配する場所では多様な信仰が平和と幸福のうちに共存しうる)

ロンドンの株式取引所(Royal Exchange of London)に一度入ってみたまえ。ここは多くの高等法院以上に尊敬に値する場所である。そこには人類の利益のためにあらゆる国の代表者たちが集まっているのを見るであろう。

取引所では、ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が、同一宗教に属する人間であるかのように、互いに取引を行い、異教徒(infidel)という名前は破産なんかする連中にしか与えられない。

そこでは、長老派教徒は再洗礼派教徒を信用し、国教徒はクエーカー教徒の約束手形を受け取る。こうして平穏で自由な会合から出て、ある者たちはユダヤ教会堂(synagogue)に行き、ある者たちは一杯飲みに出かける。

一人が父と子と聖霊の御名において大桶の中で洗礼をしてもらいに出かけると、別の一人は自分の子供の包皮を切ってもらい、自分でもわからないヘブライ語の文句(Hebrew words)をその子供に向かってもぐもぐ唱えてもらう。

別の者たちは自分らの教会に出かけて行って、帽子をかぶったままで神の霊感(inspiration)が下るのを待っている。そしてみんな満足している。

*中川信訳(『哲学書簡・哲学辞典』中公クラシックス、p.47)を一部変更。

2017年3月31日金曜日

政府が医療をダメにする

次より抜粋。
Alice Salles, How the Government Ruined US Healthcare — and What Can Be Done
(政府がダメにした米国医療とその再生法)

1910年にタフト大統領(共和党)が米国医師会(American Medical Association)の圧力に屈して以来、大半の政権は医療に新たな規制を認めてきた。医療市場に対する法律や規制が増えた結果、1980年代のある時点で、国民は医療費の急騰に気づき始めた。

1972年、ニクソン大統領は必要証明制度(certificate-of-need)を導入して病院の新設を規制した。2年後、同大統領は医療労働組合の力を強めるため年金制度を見直し、病院経営者と納税者のコストを高めた。これは個人医院の合併と医療の寡占化を促す。

オバマケア(Affordable Care Act)によって医療コストはさらに上昇した。その結果、新たな医療プロ集団が近年の米国史上、最も大きな自由をもたらす革命を起こそうとしている。プライマリケア事業である。

プライマリケア医院(direct primary care clinics)の会員は平均でわずか月60ドル、夫婦で150ドル。規制による複雑な制度がないおかげで、患者は自分の健康にいくら払っているかはっきり知ることができる。医師と知り合いになることで、心の平安も得られる。

政府が医療に関与すると、すべてが数字や統計でしかなくなる。しかし官僚(bureaucrats)が正しい答えを知っていると思うのは間違いである。患者一人一人をうまく手助けできるのは、注意深い医師だけだ。数千もの新たな規制ではない。

2017年3月30日木曜日

吉川幸次郎『杜甫ノート』


兵役・重税への怒り

漢詩というと俗世を離れ、花鳥風月を優雅にめでるようなイメージが何となくある。しかしよく考えてみれば、中国最大の詩人といわれる杜甫は、そのような風流とは対照的な、きわめて社会的・政治的な題材を繰り返し取り上げた。

唐の繁栄をもたらした自由な市場経済は、やがて政府と商人が癒着する縁故主義に変質し、兵役や重税で庶民を苦しめる。本書が述べるとおり、杜甫はその社会悪を詩で告発した。訳知り顔の文化人などにならず、不正に対する怒りを生涯持ち続けたのである。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

杜甫の年齢でいえば三十ごろまでの時期は、唐王朝の最盛期であった。〔略〕国内の治安はよく保たれて、物価は安く、長安その他の都市は繁栄し、農村は平和であったと、杜甫は追憶している。(247)

宮廷を中心とする贅沢な都市の生活は〔略〕広東、四川など遠方の物資の輸入をうながしたが、それによって巨利を博した商人は、政商として官僚と結託し、政界を腐敗させた。(270)

「富民」たちは、王侯をもしのぐ生活をいとなんでいたが、科挙試験が開かれるたびごとに、受験生たちをわが邸にとめて歓待したという。それは有利な投資であった。受験生たちは、未来の大官の卵であったからである。(278)

無際限にひろがった唐の領土、乃至(ないし)は勢力範囲を維持するためには、大量の国境守備部隊が必要であった。そのため、農村は労働力をうばわれて、いよいよ疲弊し、軍需商人はいよいよ私腹をこやした。(280)

〔杜甫の〕自覚にあるものは、かずかずの社会悪への、詩による抗議であった。〔略〕長詩「兵車行」には、国境の守備にかり出される兵士とその家族たちの悲しみを、露骨に歌う。(301)

2017年3月29日水曜日

キャピタルゲイン課税の蛮行

Drew Armstrong, The Medieval Geniuses Who Invented Carried Interest and the Modern Barbarians Who Want to Tax It(中世の天才は成功報酬を発明し、現代の野蛮人はそれに課税したがる)より抜粋。

中世ベネチアで考案されたコレガンツァ(colleganza)とは、世界初の共同出資会社の一つである。投資家が仕入れと用船の資金を出し、商人が航海に出て商品を売り、外国製品を買って戻ってベネチアで売る。利益は契約に従い投資家と商人で分ける。

責任と報酬を分かち合うことで、ベネチア市民の多くが貿易で財を成すようになった。コレガンツァの仕組みがなければ、ベネチアの成功はなく、人々は階級制度(class system)に縛られたままだったろう。富は働けば手に入れられるようになった。

ベネチアの商人と同じく、今の米国企業もリスクを取る投資家がいなければ成長が止まるだろう。スタートアップ企業(start-up businesses)への投資はリスクが高い。過去百年以上、そのリスクはキャピタルゲインや成功報酬への軽い課税で相殺されてきた。

政府には成功報酬に普通の所得として課税を考える人々がいるが、それはおかしい。ベネチアの投資家(Venetian investors)のように、投資家は利益を得るまでに何年も待たされ、損をすることもある。キャピタルゲイン課税の税率が低ければリスクを取る意欲が強まる。

キャピタルゲイン課税の税率を一般の所得税並みに引き上げるのでなく、どちらの税率も下げなければならない。そうすれば投資家は米国企業に対する出資の意欲(incentive)が高まり、あらゆる人々に、より多くの雇用と富を生み出すだろう。

2017年3月28日火曜日

川上泰徳『「イスラム国」はテロの元凶ではない』


混乱の原因でなく結果

欧米でも日本でも、過激派組織「イスラム国」(IS)が中東の混乱をもらたす最大の原因のように思われている。しかしそれは正しくない。本書が指摘するように、「イスラム国」は混乱の原因ではなく、結果にすぎない。

混乱のそもそもの原因は、米政府が開戦理由をこじつけて始めたイラク戦争にある。「イスラム国」を武力で倒そうとすれば、同じ轍を踏むだろう。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

イラク戦争は大義のない戦争であり、中東と世界を不安定にしたという認識は、米国内でさえ広く受け入れられている。〔略〕いままた欧米は「イスラム国」への対応で決定的に間違っているのではないか〔略〕。(624)

「イスラム国」がすべての問題を主導しているかのように、欧米や日本では受けとめられた。だが、「イスラム国」はイラク戦争後に起こった中東の混乱の産物だ、ということを忘れてはならない。(1884)

いま、欧米でも日本でも、「イスラム国」が中東の混乱を引き起こしている最大の原因のように思われているが、〔略〕「イスラム国」は第一義的には混乱の原因ではなく、混乱の結果なのである。(2665)

「イスラム国」が世界のイスラム教徒にテロを呼びかけるのは、米欧が「イスラム国」に対して「グローバルな対テロ戦争」として空爆を始めた後なのである。(2673)

「イスラム国」は、殊更に自分たちが欧米と敵対する構図を示すことによって、世界を分裂させようとしている。〔略〕米欧も安易な軍事的手段に訴えることによって「イスラム国」の肥大化に手を貸している。(2680)

2017年3月27日月曜日

資本主義の創造的刷新

Marco den Ouden, Don’t Call It Creative Destruction, Call It Creative Renewal(創造的破壊ではなく、創造的刷新と呼ぼう)より抜粋。

1967年、英労働党政権(British Labour government)は鉄鋼産業を「強欲な資本家ども」の手から取り上げ、国有化した。〔1980年代に〕サッチャー首相が再民営化してようやく、鉄鋼業は国際競争に復帰した。

生産性向上と国際競争の激化で、英米の鉄鋼業はひどく衰退したものの、世界の鉄鋼生産量(worldwide production of steel)は1967年以来、3倍になった。中国のシェアは2.8%から50.3%に拡大。米国の生産量は31.4%、英国は55.3%それぞれ減った。

各国鉄鋼業の盛衰は経済学者シュンペーター(Joseph Schumpeter)が名付けた「創造的破壊」という現象をくっきりと映し出す。シュンペーターの選んだ言葉は惜しまれる。「破壊」は否定的な意味合いが強く、富の創造という概念にふさわしくない。

酸素炉(oxygen furnace)の技術革新で多くの雇用が失われたが、鉄鋼生産は増加した。貧しかった国々が鉄を盛んに生産するようになった。取るに足りなかった中国、インド、ブラジル、トルコ、メキシコなどが大生産国になった。世界の富が増えた。

悲観論にもかかわらず、技術と市場経済は富全体を増やす。さもなければ、私たちは今でも馬車に乗り、ランプで読書をし、まきを割って家を暖めていただろう。資本主義はたゆみない創造的刷新(creative renewal)である。ありがたいことだ。

2017年3月25日土曜日

ガットマン編『なぜ平和か』


人道的戦争も人を殺す

米国がイラク戦争などで武力を使って非民主的政権を倒したのは、人道的に正しいとして擁護する意見がある。しかし戦争と人道は結局のところ相容れない。戦争によって殺されるのは非道な権力者だけではないからだ。

しかも本書に収録された論文で独立研究所のチャールズ・ペーニャ(Charles V. Peña)が指摘するように、国際法上は正当とされる、一般市民を攻撃対象としない戦争であっても事情は変わらない。以下、同論文より抜粋。(数字は位置ナンバー)

軍事力を使って人道的目的を達成しようとするのは、結局のところ逆効果である。なぜなら「戦争は人を殺す」という不変の事実を無視しているからだ。この事実は、軍隊が優れた能力で任務を果たした場合も当てはまる。(3776)

かりに米軍が完璧そのもので、誤爆や流れ弾、砲撃ミスで無辜の市民に一人の犠牲者も出さなかったとしても、戦争に勝てるかどうかはイラク軍の兵士をどれだけ殺傷するかにかかっている。(3783)

この点を人道的軍事介入の支持者はすっかり見落としている。独裁政権を倒すための「完璧」な戦争で、軍の攻撃対象を権力の源泉だけに絞ったとしても、人々は死ぬ。(3785)

死ぬのはすべて兵士だけで、武力紛争の伝統的な規範によれば「正当」な攻撃対象かもしれない。しかし兵士たちは父親であり、兄や弟であり、息子である。しかもその多くは徴兵され、自分の意志に反して兵役に服している。(3788)

米国が軍事力を使って非民主的な政権を倒すのは、偉大で道徳的な使命だと信じる人もいる。しかし当然ながら、戦争で父親や兄弟、息子を失った人々はそう考えないかもしれない。(3792)

2017年3月24日金曜日

機械化は労働者を助ける

David Waller, The Luddites Were Wrong Then and They're Wrong Now(機械打ち壊し運動は昔も今も間違い)より抜粋。

1820年代半ば、英マンチェスターの技師リチャード・ロバーツ(Richard Roberts)が自動のミュール紡績機を発明した。この機械には「アイアンマン(鉄人)」というあだ名がついた。まるで人間のように動き、考えるように見えたからだ。

アイアンマンを求めたのはマンチェスターの工場主(mill-owners)たち。仕事を人質代わりに賃上げを要求する労働者にうんざりしていたのだ。今と同じく、新技術開発の動機の一つは、コスト削減と厄介な労働者に頼らず済むようにすることだった。

大量生産で物価は劇的に下がり、社会全体に恩恵をもたらした。生活必需品(staple goods)は安くなり、労働者は余暇の時間が増え、骨の折れる手作業が減った。技術によって労働者には新たにより良い仕事が生まれ、賃金は上昇した。

作家カーライル(Thomas Carlyle)やディケンズ、カール・マルクスらは機械化を非人間的で精神の貧困につながると考えた。しかし人口は増加する一方で生活水準は改善が続き、経済は空前のピッチで成長し始めた。

技術革新(technological innovation)は大きな痛みを伴うかもしれないが、長期で雇用や豊かさを犠牲にするとは限らない。それどころか、新技術はさらなる革新につながり、まったく予想しなかったようなやり方で富と雇用を生み出す。

2017年3月23日木曜日

オースティン『高慢と偏見』


富の不平等、精神の平等

仏経済学者ピケティは著書『21世紀の資本』でオースティンの小説にしばしば触れ、そこで描かれた富の不平等を問題視する。しかしこのオースティンの代表作を素直に読めば、富の不平等は人間にとって真の問題でないと気づくはずだ。

舞台は18世紀末頃の英国の田舎。主人公エリザベスの一家は、父が地主だが大金持ちではなく、貴族より格下のジェントリー階級に属する。二十歳のエリザベスは聡明で正義感が強い。身分違いや家柄違いという言葉には怒りを燃やす。

この作品で最も感動する場面の一つは、甥との結婚を阻止しようと乗り込んできた貴族キャサリン・ド・バーグ夫人に対し、エリザベスが一歩も退かず渡り合うところだ(下巻、第56章)。「実際に結婚するかどうかを決めるのは〔略〕結婚する当事者です」

結婚しないと約束せよという夫人の要求を、エリザベスは毅然として「いくら脅されても、そんなばかな約束は致しません」と拒否する。夫人に干渉の権利はないと反論し、自分が幸せになる道を進むのに他人の指図は受けないと言い切る。

この場面が感動的なのは、若いエリザベスが身分や富の違いに臆することなく、対等な精神で夫人に立ち向かうからだ。オースティンは作中で富の不平等を問題にしない。人間にとって大切なのは精神の平等だと知っていたからに違いない。

2017年3月22日水曜日

ユダヤ人差別の警鐘

Steven Horwitz, Jews As the Enemies of the Enemies of Liberty(ユダヤ人は自由の敵の敵)より抜粋。

左右両翼によるユダヤ人差別(anti-Semitism)の原因は複雑だ。しかし共通するのはユダヤ人が歴史的にみて、資本主義、企業家精神、世界主義、移民の自由といった自由の重要な概念に関連付けられてきたことにある。

右翼左翼どちらにせよ、古典的自由に基づく社会秩序(social order)に大きな欠陥があると考える人々から、ユダヤ人は敵と見られやすい。ユダヤ人に対する脅威はたいてい、自由主義の基礎に対する脅威でもある。

ユダヤ人の多くは仲買人(middlemen)として働いた。生き方が遊牧民的で、世界のさまざまな地域に親しんだからだ。仲買人は昔から、経済に無知な人々に、形ある物を何も作らずに儲けていると疑われてきた。特に金融業者の場合はそれが甚だしい。

今日世界で経済ナショナリズム(economic nationalism)が台頭し、またぞろユダヤ人は勢いづく右翼の標的にされている。ユダヤ人はいつも根なし草の商人の象徴だった。移民、国際貿易、市場制度に対する反対がユダヤ人差別と結びつくのは不思議でない。

社会がユダヤ人をどう扱うかを見れば、寛容(openness)と自由の尊重の目安になる。炭鉱でカナリアを殺す有毒ガスは目に見えないが、ユダヤ人と自由主義に対する脅威は見える。自由社会の市民がその脅威を軽く見れば、ツケは自分に跳ね返る。

2017年3月21日火曜日

小黒一正『預金封鎖に備えよ』


政府のむきだしの暴力

政府の暴力性は日常ではあまり目立たない。だが財政破綻という非常事態に直面すると、それがむきだしになる。終戦直後の預金封鎖、通貨切り替え、財産税といった緊急措置がそれだ。しかも政府はぎりぎりまで財政は大丈夫と嘘をつく。

本書は一連の緊急措置を詳しく記す。ハイパーインフレに直面した政府は1946年、預金封鎖と通貨切り替えに着手。5円以上の旧銀行券をすべて銀行など民間金融機関に預けさせ、生活や事業に必要な額だけを新銀行券で引き出させた。

新たな税も導入する。柱の一つが財産税だ。国内に在住する個人を対象に、一定額を超える財産(預貯金、株式などの金融資産及び宅地、家屋などの不動産)に課税。最低税率25%で、1500万円超の財産には実に90%も課税された。

さいわい、「抜け道」はあった。預金封鎖を事前に察知して預貯金を大量に引き出して株券などに替えておき、新銀行券に切り替わって安定してから現金化した人々もいたらしい。財産税による資産没収も、貴金属なら隠せないことはない。

政府は開戦前夜の1941年に作成した小冊子で、「国債がこんなに激増して、財政が破綻する心配はないか」という問いに対し「全部国民が消化する限り、すこしも心配は無いのです」と答えている。著者が言うとおり、「強烈な嘘」だ。

著者は上記の歴史の教訓を踏まえ、現在の財政危機に警鐘を鳴らす。それはもっともだ。しかし、財政を健全化するため消費税増税が必要との主張には賛成できない。消費税を含むあらゆる税は、預金封鎖や財産税ほど衝撃的でないかもしれないが、暴力による財産権の侵害である点に変わりないからだ。

財政再建は歳出削減のみによらなければならない。それが無理なら潔く破綻するしかない。痛みは避けられまいが、先延ばしすれば将来の痛みはさらに大きくなるだろう。

2017年3月20日月曜日

マーケティングと自由な社会

Eileen L. Wittig, Marketing Isn't Evil, It Makes Things Pretty(マーケティングは悪ではない。物をすてきにする)より抜粋。

マーケティングはいつもいわれのない非難(bad rap)を浴びる。テレビドラマで描かれるマーケティングとは、おとなしい消費者に欲しくもない物を欲しいと思い込ませ、できるだけ多くのカネをふんだくろうとする悪だくみでしかない。

人は誰でも買い物をしなければならない。完全な自給自足生活でない限り、生きるには物を買わなければならない。しかしいくら必要でも、見苦しい物(ugly things)は買いたくない。こうして必要と欲望が交わるとき、マーケティングの出番になる。

あらゆる販売には2つの段階がある。まず潜在顧客(potential customer)の目をとらえる。次に実際の顧客になってお金を払ってもらう。マーケティングが役立つのは第1段階だけだ。お客の注意を引くことしかできない。

マーケティングで何かを買うよう強制することはできない。したくないことをさせることはできない。もし何かいらない物(something unnecessary)を買ってしまったら、それは残念ながらマーケティング担当者のせいではない。買うのを決めるのは自分だ。

企業がお金を稼ごうと、マーケティングを通じて互いに競争するのは喜ばしい。マーケティングは自由な社会(free society)、市場競争、消費者主権の象徴である。

2017年3月18日土曜日

怖ろしいのは国内の敵(プライス)

Richard Price on how the “domestic enemies” of liberty have been more powerful and more successful than foreign enemies (1789)
(英哲学者プライス、自由の敵は国外より国内の方が強く抜け目ないことについて)より抜粋。

国には二種類の敵(enemies)がいる。内なる敵と外なる敵。すなわち、国内の敵と国外の敵である。国内の敵のほうが国外の敵よりも危険で、たいてい抜け目がない。

国民は政府の役人に従う義務がある。しかし、それはやみくもな隷従(submission)であってはならない。

権力者はつねにみずからの権力を強めようとする。権力者が大嫌いなのは、権力は国民の信託(trust)によるもので、権力者自身に与えられた権利ではないという考えである。

あらゆる政府は暴政に向かう。国民に政府を警戒し、警告を発し、腐敗が始まればただちに抵抗する心構えがなければ、最善の政府は終わるしかない。だから政府に対する警戒(vigilance)は国民が果たすべき義務である。

国民が政府警戒の義務を放棄し、自分の権利の侵害に目を光らせなくなれば、必ず隷従の危機に瀕する。そして国民のしもべ〔政府〕が主人(masters)となるだろう。

2017年3月17日金曜日

周藤吉之・中嶋敏『五代と宋の興亡』


和平がもたらす繁栄

外交交渉で和平のために妥協すると、強硬派から「弱腰」と批判され、「売国奴」と貶められる場合すらある。だが平和は社会の繁栄にとって、民族のプライドなどよりはるかに望ましい選択肢である。宋の三百余年の歴史はそれを物語る。

北方の契丹は宋との交渉で領土の割譲を要求。宋はこの要求を退け、銀と絹を毎年贈る条件で和平を結ぶ(澶淵の盟)。宋は契丹を臣服させることができず、中華的自尊心を損なったが、大局からみれば利益をもたらしたと本書は評価する(p.125)。

約四十年後、契丹は西夏の宋侵入に乗じ、再び領土割譲を求める。宋は贈る銀絹を増やすことで和平を保つ。弱腰との非難もあったが、西夏との両面作戦がとうてい不可能であったことを思えば、相当に評価すべきであろうと本書は述べる(p.127)。

金の侵入で北宋は滅び(靖康の変)、江南に南宋が再建される。宰相秦檜は金に臣従する形で和平を結び、屈辱的と非難する者を弾圧した。後世、売国奴とも貶められたが、秦檜の死後も和平は維持され、南宋の文化・経済が著しく発展する基盤となる(p.360)。

北宋は北方に強敵を控えて絶えずその重圧に苦しめられたとはいえ、国内はおおむね平和が維持され、首都開封は商業で栄えた。南宋の経済力発展は北宋を超える。首都臨安の繁栄は開封をしのぎ、人口百五十万を超える大都市に成長する(p.444)。

平和繁栄の社会を基盤として開花した宋の文化は、伝統の貴族的文化に対し、新時代を担う官僚と士人層、および商人庶民層の文化だった。東洋史学者の宮崎市定は、その姿を西洋のルネサンスに対比したという(p.445)。

2017年3月16日木曜日

レナード『自由を憎む改革者』


本当は怖い最低賃金

最低賃金は経済弱者を救うと、多くの人は思い込んでいる。もちろんそれは間違いだ。経済の原理上、最低賃金はむしろ技能や経験に乏しい非熟練労働者を市場から排除する。

本書によれば、そもそも米国で20世紀初め、左翼の政治圧力により最低賃金法が導入された際、その目的は、技能・経験に乏しい代わりに低賃金を強みに働く移民や非白人を排除し、白人労働者の賃金を高く保つことだった。排除の背後には当時流行の優生学思想があったという、背筋の凍るような事実も描かれる。以下は第9章より抜粋。(数字は位置ナンバー)

1910年代米国で経済学者たちは最低賃金について論争し、賛否は別として、次の点で意見が一致した。すなわち最低賃金規制が成功すれば、生産性の低い労働者は仕事がなくなる。非熟練労働者は雇うコストが上がると雇われなくなる。(3335)

米国の左翼進歩派知識人の多くは、最低賃金法を支持した。(移民や非白人など)生産性の低い労働者が職を失い、雇われなくなることは承知のうえである。彼ら改革者はそれを犠牲ではなく、社会への利益と考えたのである。(3356)

米国の左翼進歩派知識人は、能力の劣った者が最低賃金で仕事を失っても不都合はないと考えた。それによって他の労働者の賃金が高くなり、米国の賃金水準が守られるし、アングロサクソンの人種統合も保たれるからだ。(3359)

最低賃金は、劣った労働者を見つけ、科学的に取り扱う役目を果たすとされた。英国の社会主義者でフェビアン協会の中心人物であるウェッブ夫妻によれば、文明社会は最低賃金によって「産業上の病人」を労働力から取り除いたという。(3363)

最低賃金による隔離では不十分な場合、能力の劣った人々に避妊手術を強制せよとシカゴ大学の神学者兼社会学者ヘンダーソンは提案した。能力の優れた人々に子供をもっと多く生むよう求めるのは、不公正で非現実的だからという。(3373)

2017年3月15日水曜日

進藤榮一『アメリカ帝国の終焉』


資本主義はアジアで蘇る

資本主義は終焉しつつあると一部の論者は語る。しかしそれは神話にすぎないと著者は言う。欧米主導の資本主義は衰退の危機に瀕しているかもしれないが、「もう一つの資本主義が誕生し、蘇生し、興隆しつづけている」。その舞台はアジアだ。

これまで後発国の発展は、先進国を追い上げるのがせいぜいとされてきた。しかし最近は生産のモジュール化で、一気に追い抜く戦略が可能になった。先端技術を選択的に利用しながら後発技術を全稼働させ、膨大な人口のニーズを満たす。

代表は中国の山寨企業だ。広告や流通にカネをかけず、先端技術は日本企業から部品として入手。特許の縛りを巧みに回避し、庶民に商品を安く早く売り込む。精巧だが値段が高く、巨大な途上国市場に食い込めない日本製品とは対照的だ。

勃興するアジアを牽引する中国の躍進は、中華帝国の再来ととらえがちだ。しかし、それは誤りだと著者は言う。なぜなら中国の興隆は単体としてではなく、アジアの他の国々と相互に連鎖・依存・補完することで可能になっているからだ。

中国で人民解放軍と資源エネルギー産業との軍産複合体が生まれ、南シナ海での膨張主義的行動につながっているのは事実。だが資源開発を日本など周辺諸国とともに進めれば、膨張主義の拡大を防ぐ抑止力になると著者は正しく指摘する。

米政府・中央銀行によるマネー濫造が生んだ「カジノ資本主義」を規制緩和のせいにするなど、俗説をそのまま受け入れた誤りも散見されるものの、「資本主義の終焉でなく、資本主義の蘇生だ」という洞察の鋭さに比べれば瑕瑾にすぎない。

2017年3月14日火曜日

戦争は支配階級を潤す(モリナリ)

Molinari on the elites who benefited from the State of War (1899)
(仏経済学者モリナリ、戦争状態で潤うエリートについて)より抜粋。

国家には支配する階級(governing class)と支配される階級(governed class)がいる。支配階級の関心は、自分たちの雇用を早く大幅に増やすことにある。国家に害悪を及ぼすか、利益をもたらすかにかかわらずである。そしてできるだけ高い報酬を求める。

しかし国の多数を占めるのは支配される階級であり、彼らが政府当局者(officials)の報酬を支払う。支配される階級のただ一つの望みは、必要最小限な人数の政府当局者を養うことである。

戦争状態(State of War)とは、支配される階級の生命と財産に無制限の権力を行使できることを意味する。支配する階級は、政府の雇用を思いのままに増やせるようになる。つまり、自分たちの雇用を増やせる。

政府雇用のかなりの部分を占めるのは、文明国家(civilised State)において破壊行為を担う組織〔=軍隊〕である。この組織は、敵国が力を増すたびごとに成長する。

戦時になると、兵士は報酬が増え、より栄光に包まれ、昇進の望みが高まる。これらの利点(advantages)は、耐え忍ばなければならない危険を補って余りある。戦争状態は支配層全体にも、軍隊を管理・指揮する当局者にも利益をもたらす。

2017年3月13日月曜日

アトキンソン『新・所得倍増論』


政府の関与は有害無益

経済に問題があると、多くの人はすぐ「政府が何とかしろ」と主張する。それも一般人だけでなく、本書の著者のように、経済の専門家にも少なくない。しかしそれは正しくない。政府の関与は問題を改善するのでなく、むしろ悪化させる。

アナリスト出身の著者は、日本は生産性が低いと指摘し、改善には改革が必要だと訴える。ここまでは賛成だ。ところがその先の議論がおかしい。政府は公的年金などを通じ、経営者に株式時価総額向上のプレッシャーをかけろと言うのだ。

著者が政府に圧力を求める背景には、企業経営者に対する不信感がある。生産性を上げる改革には反発が多くて面倒なうえ、実現しても経営者の給料は増えない。だから現状維持を望むのは当然と言う。しかし、これは原因を見誤っている。

経営者が改革に不熱心なのは、政府に保護され、消費者を満足させなくても淘汰される心配がないからだ。その典型は、窓口が午後3時に閉まると著者が憤慨する銀行だ。経営が傾いても政府が救済してくれるなら、必死になる理由はない。

経営者の尻を叩きたいなら、規制や保護をやめ、自由に競争させればよい。政府が株価を上げろと圧力をかければ、企業は安易な金融緩和や既得権益を守る規制強化を求め、政治家・官僚は喜んで応えるだろう。経済活性化どころではない。

なお著者は、京町家を壊してビルやマンションを建てる京都人を批判し、政府はなぜ規制に動かないのかと嘆く。しかし町家はもともと職人・商人の住まいであり、著者が引き合いに出すベネチアの美しい街並みと同様、自由な市場経済によって築かれたものだ。規制を厳しくすれば、社会は文化を生む活力を失うだろう。政府の介入はつねに有害無益である。

2017年3月11日土曜日

自由の戦士が自由を滅ぼす(コンスタン)

Benjamin Constant on the dangers to liberty posed by the military spirit (1815)
(仏作家コンスタン、軍隊の精神が自由にもたらす危険について)より抜粋。

戦時の政治(politics of war)は、社会にある種の人々を大量に生み出す。彼らの考え方は国民全体とは大きく異なる。

市民生活(civil life)の型、司法の組織、あらゆる人の権利の尊重、いかなる形式の政府の下でも侵してはならない平和と秩序ある自由の原理。戦時の政治が生み出す人々の習性は、危ういことに、これら諸原理と対照的である。

古今東西を問わず、軍隊で長期間過ごした人々は、国民全体から切り離される。ほかならぬ自由の戦士(soldiers of freedom)が、自由のために戦ううちに、暴力の行使に敬意の念を抱くようになる。自由という目的のために戦っているにもかかわらずである。

兵士が知らず知らずのうちに感染する道徳、理念、習慣は、彼ら自身が守る大義〔=自由〕を破壊する。戦争の勝利を確実にする政策は、法の崩壊(collapse of the law)を導く。

軍隊の精神(military spirit)は横柄で、迅速で、高慢である。法は穏やかで、しばしば緩やかで、保護をもっぱらとする。軍隊の精神は、考える能力を無規律の始まりとして嫌う。

2017年3月10日金曜日

小川和久『戦争が大嫌いな人のための 正しく学ぶ安保法制』


軍事同盟のモラルハザード

事故のコストを他人がかぶるとわかっていると、人はリスクを避けようとする意識が薄れ、故意や不注意で事故を起こす危険がかえって高まる。この現象をモラルハザード(規律の喪失)と呼ぶ。軍事同盟の信奉者は、この危険に無頓着だ。

著者は集団的自衛をたとえ話で説明する。乱暴な男を撃退するため、商店街のどれか1つの店が因縁をつけられたら、商店街全体への攻撃とみなして反撃すると宣言する。「男は暴れることなく引き上げるしかありませんね」と著者は書く。

しかし現実には、話はそこで終わらないだろう。もし「敵」に商店街全体で反撃してくれるのなら、無謀な争いに手を出しやすくなる。ある店のドラ息子が隣の商店街で狼藉を働いて追われ、守ってもらおうと逃げ帰ってくるかもしれない。

他の店はいい迷惑だが、取り決めなので仕方なく、仕事の手を休めてドラ息子の加勢に出て行く。だがドラ息子は味をしめ、同じ悪さを繰り返す。商売どころではない。自分の店だけを守るほうがましと考え直す店主が増えるかもしれない。

ところで最初の乱暴者は商店街で店主に因縁をつけたり、商品を勝手に持って行ったり、暴れて店の物を壊したりする。現実でこんな国は、世界で戦争を繰り返す米国しか思いつかない。軍事同盟で支えれば、無謀な行動に油を注ぐだろう。

2017年3月9日木曜日

2つのグローバル化

Thorsten Polleit, Economic Globalization Is Not Political Globalization(経済的グローバル化は政治的グローバル化ではない)より抜粋。

グローバル化を諸悪の根源だと拒否する人が増えている。しかしグローバル化をひとまとめに非難するのは大きな問題だ。なぜならグローバル化には経済と政治の2つの側面(two dimensions)があるからだ。

経済的グローバル化とは、国境を越えた分業(division of labor)と同じ意味だ。自由貿易によって生産性を高める。経済的グローバル化なしでは、過去数十年間、世界の貧困がここまで減ることはなかっただろう。

政治的グローバル化は最初から、経済的グローバル化とは何の関係もない。政治的グローバル化の目的は、世界中の人々のあらゆる関係を専制的支配(authoritarian rule)によって管理・決定することにある。

政治的グローバル化の核となる主張によれば、かつてなく複雑になる世界の諸問題に取り組むには、中央による意思決定過程(decision-making process)が必要だという。もちろんその背後にある思想は、まぎれもなく社会主義であり集団主義である。

政治的グローバル化は欧州連合(EU)の基盤でもある。究極の目的は欧州超国家(super state)の創出だ。見通せる将来に関する限り、この夢は終わった。EUは英国の離脱決定で激変しつつあり、崩壊の可能性もある。

2017年3月8日水曜日

布目潮渢・栗原益男『隋唐帝国』


重税国家の末路

重税は民を苦しめ、国を亡ぼす。世界帝国として栄えた唐も、その例外ではなかった。すでに盛唐の時代、詩人・杜甫は「朱門には酒肉臭(くさ)れど、路には凍死の骨あり」(p.240)と社会に忍び寄る影を認めた。その背後には苛酷な税があった。

唐で庶民に課された税は物納と役務があり、物納を役務で代替すると年150日、つまり1年の42%を拘束される「驚くべき強い規制」(p.201)だった。免税の代わりにほぼ同日数の兵役が課される場合もある。負担を嫌い逃亡する農民が相次ぐ。

唐衰亡に大きな影響を及ぼしたのは、塩の専売だ。塩をすべて国で買い上げ、官許の塩商人だけに売る。その際、それまで1斗10文にすぎなかった塩価に10倍の専売税を加え、110文で売り渡した。のちに300文程度に引き上げる(p.322)。

重労働に携わる農民には、塩は生理的に欠かせない。高価格の押しつけは打撃となった。専売の裏で、官憲の目をかすめて闇ルートで塩を流す多くの塩密売商人(私塩の徒)が活躍し始める。国に入る専売収入は、晩唐には半分以下になる(p.431)。

塩を安く売る闇商人は、庶民の人気を集める。そんな商人の一人、黄巣は仲間に呼応し蜂起する。黄巣の乱である。貧農や群盗を吸収し数十万の勢力となり、黄巣は首都長安に入り帝位に就く(p.442)。まもなく唐は約300年の歴史に幕を閉じる。

2017年3月7日火曜日

タバコ規制の愚

Bill Wirtz, Five Reasons to End Government Smoking Bans(タバコ規制をやめるべき5つの理由)より抜粋。

タバコ規制に関する議論はまず、私有財産権(private property rights)に重点を置かなければならない。バーでタバコを吸っていいかどうかを決めるのは、バーの所有者でなければならない。他人がどう生きればいいか知っているつもりの、おせっかいな役人ではない。

米国立がん研究所(National Cancer Institute)によると、受動喫煙とがんの間に有意な関係はない。7万6000人以上の女性を調べたところ、喫煙と肺がんの間には強い関連性があるものの、受動喫煙との間にはなかった。

英国で屋内喫煙(smoking inside)が全面規制された後、2010年の研究では心臓発作の減少はわずか2%にとどまった。これでは規制のおかげとは言えまい。2008年のニュージーランドでの研究では関係性は全然なかった。米国でも同様の結果がある。

規制で喫煙は減らない。2008年にタバコ規制(smoking ban)を導入したフランスのデータによると、タバコの消費量に関係があるのは価格だけである。それどころか規制するとすぐ、タバコの販売量は増えている。

喫煙バーに行けと強制されることはない。音楽、料理、演出などが嫌いで行かないバーやレストランは誰にでもある。自由な社会(free society)がすばらしいのは、そうした好みを変えなくてもよいことだ。だから人にも好きにさせよう。

2017年3月6日月曜日

友野典男『行動経済学』



心理の法則は経済の法則ではない

最近脚光を浴びる行動経済学は、標準的経済学が前提とする、完全に合理的・自制的・利己的な「経済人」は非現実的だと批判する。それは正しい。だがもしそれだけなら、あえて新奇な学問に頼る必要はない。過去の経済学に学べばよい。

著者によれば行動経済学は、人間はすべて物質的私益追求型だという標準的経済学の前提を否定する。現実には利己的・利他的人間が共存し、同じ人間が場合や状況により利己的だったり利他的だったりもするという。それはそのとおりだ。

だがその批判は今の標準的経済学にしか当てはまらない。昔は違った。英経済学者ロビンズは1932年の著書で、経済主体は純粋な利己主義者、利他主義者、禁欲主義者、官能主義者、およびその混合体のどれにもなりうると述べている。

人が目的に向け行動するとき、曲げられない法則がある。それを探るのが経済学である。目的自体や動機は関心外にある。家計のためだろうと慈善のためだろうと、フリーマーケットで商品が売れなければ、値段を下げてみなければならない。

ところが行動経済学の関心は、心や動機にある。これでは心理の法則はわかっても、経済の法則はわからない。行動経済学は心理学の一部にすぎないとの見方を著者は否定するが、説得力はない。標準的経済学への根源的批判は、経済学自身の中にある。

2017年3月5日日曜日

エベリング他編『アメリカ対外戦争の失敗』


「正しい戦争」への異議

建国時の理念に基づき国外での軍事介入を戒めてきた米国は、歴史が下るにつれ、その禁を破っていく。それが決定的になったのは二度の世界大戦である。米政府はそれらを「正しい戦争」だったと主張し、体制派の歴史家を通じ国民にそのように教え込む。本書はそうした公式の歴史観に異議を唱える。

序文でリチャード・エベリングは、歴史における「もし」はあくまで推測にとどまるとしながらも、将来同じ過ちを繰り返さないためには過去の行動に学ぶ必要があるとして、以下のような「もし」を例示する。(数字は位置ナンバー)

もし米国が第一次世界大戦に参戦する確信が英国になかったら、1916年か1917年初めに交戦国は和解できなかっただろうか。そうすれば大戦後のドイツ情勢は現実と大きく異なり、ヒトラーの権力掌握を防げたのではないだろうか。(275)

もしチャーチル英首相が米国の第二次世界大戦参戦にあれほど熱心でなく、ルーズベルト大統領が米国を戦争に仕向けなければ、(米参戦のきっかけとなった真珠湾攻撃の前年の)1940年夏に和解が成立していなかっただろうか。(279)

米国が参戦しなければ、ヒトラーは欧州の中央を一時支配しただろうが、ナチ党は「最終的解決」の当初案どおり、欧州のユダヤ人をマダガスカル島に移送できたかもしれない。野蛮だが、死の収容所の現実よりましではないだろうか。(280)

さらに、もしヒトラーのドイツがスターリンのソ連に対し攻撃に転じていたら、両全体主義大国は消耗し、自滅したのではないだろうか。そして両国の占領地域に住む人々は、いずれ自由になったのではないだろうか。(283)

ルーズベルトが1941年に日本と和解していれば、真珠湾攻撃はなかったのではないだろうか。日本は東アジアで力を増しただろうが、和解で日中戦争が終われば、中国社会は安定し、毛沢東の共産党による征服はなかったのではないか。(286)

2017年3月4日土曜日

川勝義雄『魏晋南北朝』


シルクロードの自生的秩序

道は政府が作るものだと現代人は思い込む。しかし魯迅の小説ではないが、もともと道のない地上に歩く人が多くなれば、それが道となる。つまり道とは本来、道徳や言語と同じく、人々の自由な行為を通じ自然に形成される自生的秩序だ。

自生的秩序としての道の典型例は、有名なシルクロードだ。本書によると、シルクロードは漢帝国崩壊後の六朝の大混乱期も、きわめて活発に利用された。背景には、沿線諸国が東西貿易を中継することで経済的基盤を得ていたことがある(p.75)。

沿線諸国は中継貿易による利潤と通行税を得たほか、国民も通行するキャラバンに物資を売り、生活が豊かになった。貿易路を円滑に働かせることこそ国の維持・繁栄に必須の条件だったので、政治的混乱の中でもルートは途絶えなかった(同)。

シルクロードを巡る「国際緊張」もなかった。北方の遊牧民は沿線のオアシス農業国家に略奪を試みることもあったが、家畜・畜産品と農産物の交換を通じ共存共栄関係にあった。キャラバンを護衛して通行の安全を保障し、保護料を得た(p.76)。

シルクロードによる東西貿易と文化交流は、さまざまな国家の興亡にもかかわらず、大きな障害を受けることなく続いていった。六朝から隋唐にかけ中国文明が華やかなコスモポリタン文明として咲き誇るのも、この貿易路のおかげである。

2017年3月3日金曜日

民主主義は道具にすぎない

Jason Brennan, What Is Democracy Worth?(民主主義の価値とはどのようなものか)より抜粋。

民主主義の価値とは、どのような種類のものだろうか。金づち(hammers)のように、それが役に立つかどうかで評価するべきだろうか。それとも絵画や人間のように、それ自体で評価するべきだろうか。

手続主義(proceduralism)という考えによれば、ある政治体制はそれ自体で正しい(あるいは正しくない)。突き詰めると、民主主義が行うことは、それだけの理由ですべて正しいことになる。これは馬鹿げている。多数決で子供の強姦も許されてしまう。

一方、道具主義(instrumentalism)という考えによれば、(1)少なくともある種の政治問題には、手続きがどうかとは無関係に正しい答えがある(2)ある権力構造や意思決定方法が正しいかどうかは、正しい答えを選ぶ傾向があるかどうかで決まる。

民主主義は金づちのようなものでしかない。目的のための手段(means)であり、目的そのものではない。それ自体が正しいわけではない。純粋に道具としての価値しかない。もし他にもっと良い金づちがあれば、そちらを使わなければならない。

(民主主義の代わりになる)「より良い金づち」(better hammer)がどのようなものかは、ちゃんと知ることができる。そろそろ新たな政治体制を試し、より良いものを見つけなければならない。

2017年3月2日木曜日

宇佐美寛・池田久美子『対話の害』

著者 : 宇佐美寛
さくら社
発売日 : 2015-07-07

人気教授の化けの皮

NHKのテレビ放送で評判となったマイケル・サンデルの「ハーバード白熱授業」。番組サイトは「ソクラテス方式(講義ではなく、教員と学生との闊達な対話で進められる授業形式)の教育の最高の実例」とほめそやす。本当だろうか。

「白熱授業」を厳しく批判する本書は、そもそも対話とは「哲学的思考の方法としては、かなり劣った第二級の方法」(p.18)と指摘する。哲学的思考はゆっくり静かに考えることが必要だ。対話では、自分一人で静かに長時間思考する自由がない。

サンデルの授業の特徴は4点あるという。(1)口頭でのやりとりに限定(2)学生には質問させない(3)学生に考える時間を与えない(4)何を考え、何を考えないかの制約条件を一方的に決める――。これは尋問だと本書は断じる(p.55)。

サンデルは正義を考える授業で「路面電車のジレンマ」を話し、5人を殺すか、1人を殺して5人を助けるか二者択一を迫る。学生に質問させず、与えられた条件の中だけで考えさせる。具体状況が不明では、行為の正しさは判断できない。

あきれたことにサンデルは、路面電車の話について自分の選択を問われると、電車がひき殺そうとする人々は誰なのかと、与えられた以外の条件を知ろうとする(p.52)。これでは学生に問う資格はない。人気教授の化けの皮がはがれた瞬間である。

ハーバードの権威に目がくらみ、にぎやかなだけで底の浅い白熱教室をありがたがる日本人は、ぜひ本書を読み、思考とは何か、一人静かに考えてみるとよい。