What Is 'Freedom' And Do Iranians Want It? | The Libertarian Institute [LINK]
【海外記事紹介】アメリカのライターであるブラッド・ピアース氏が、現在進行中のイランへの軍事行動の背後にある「自由」という言葉の危うい解釈について論じています。政権交代を画策する際、決まって「抑圧された大衆が自由を渇望している」というプロパガンダが流されますが、氏はモンテスキューの言葉を引用し、「自由」ほど多様な意味を持ち、人々に異なる印象を与える言葉はないと指摘します。
多くの人々にとっての自由とは、抽象的な政治理念ではなく「自国民によって、自国の法律で統治される特権」、つまり「慣れ親しんだ生活を送ることを許されること」に他なりません。アメリカ独自の「自由な政府」という概念を他国の人々も望んでいると考えるのは、好戦主義者が作り上げた神話に過ぎないと氏は切り捨てます。
実際、自由の解釈は国や文化によって大きく異なります。イギリスの伝統を継ぐアメリカでは「徴税」が自由の主要な争点となりますが、フランスでは「経済的安定や過度な労働からの解放」が自由の中核を成しています。また、かつての東欧や脱植民地化した国々では、自由とは「農奴制からの解放」や「食事、教育、職を得る権利」を意味していました。たとえ北朝鮮のような国であっても、外国の支配を受けず独立を保っていることに自由を感じる人々がいる可能性を否定できません。
現代において「民主主義(選挙)」が自由と同義に扱われることも多いですが、歴史的に見れば民主主義は手段に過ぎません。特定のNGOや亡命者が主張する「自由」が、単に西洋資本への市場開放を指している場合もあります。
イランの現状に当てはめれば、国民が宗教的な統治に不満を抱いている可能性はあっても、彼らが望んでいるのは爆撃によってもたらされる「西洋的な自由」ではないはずだと氏は主張します。空爆で殺されないこと、家族を養えるだけの給料を得ること、そして国家の独立が守られること。それこそが、市井の人々にとっての切実な「自由」の本質であると結論づけています。
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