2021-02-28

織田信長、市場原理に敗れたり〜失敗に終わったマネーの規制

戦国大名の経済学 (講談社現代新書)
戦国大名の経済学 (講談社現代新書)

NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』にも登場した織田信長といえば、権威や因習に囚われない革新性の一方、力づくでも相手をねじ伏せ、言うことを聞かせようとする強引な人物のイメージが強い。古くから王城(皇居)鎮護の霊場として絶大な信仰を集めた比叡山をも恐れず、焼き討ちしたことは、信長のこの二面性を象徴する出来事だ。

ところがそんな信長にも、思い通りにならないものがあった。貨幣(お金)だ。

近代以前の日本では、金属製の、円形で中央に四角い穴のある塊が銭(せん、ぜに)と呼ばれ、貨幣として使われた。金貨、銀貨が素材を基準とする語であるのに対し、銭(銭貨)は形状を基準とする語だ。中世の銭はほぼ純銅でできていた。貨幣単位は「文(もん)」である。

銭は原則として、すべて一枚で一文として使う建前だった。しかし銭の品質には物によって違いがあった。このため貨幣のやり取りにあたり、品質の良い銭(良銭)を選び取る行為が広がった。これを撰銭(えりぜに)という。撰銭を禁止するために幕府、大名、社寺などが発した法令を撰銭令と呼ぶ。

信長は1568年(永禄11)9月、暗殺された前将軍足利義輝の弟、足利義昭を立てて京都に入り、占領した。翌年2月28日、信長は貨幣史において重要な銭に関する法令を京都に発布する。信長による撰銭令である。おもな趣旨は次の三つだ。

  • ①品質の良い銭(精銭)と悪い銭(増銭)の換算比を定める。たとえば、焼け銭は二枚で一文、大きな欠損がある銭や摩耗銭は五枚で一文、打平(無文銭)は十枚で一文など。これら以外は精銭(一枚で一文)とする。
  • ②納税や金銀、唐物(中国からの輸入品)、絹布、質物、穀物などの商売ではその時の相場に従い、①の規定に基づいて銭で支払う。銭を受け取る側は、勝手な銭の選別で価格をつり上げてはならない。
  • ③銭を受け渡すときは、精銭と増銭とを半分ずつ取り合わせること。

まず①は、品質の良い銭と悪い銭の換算比を公示した日本で初めての立法である。もっとも、内容は市場の実情を追認したにすぎない。

大きな特徴として、無文銭を十分の一文として通用を許している。それまで室町幕府や大名らが無文銭の通用を禁じてきたのと対照的だ。背景には銭の不足があった。16世紀半ば、中国が海禁政策を一部緩和したことで、日本との密貿易に関わっていた倭寇の多くは東南アジアへの合法的貿易にシフトし、日本への銭の流入が大きく減少した。

次に②のうち、各種の商品価格、とくに五穀の価格を上げるな、という規定は、買い手の購買力を保護している。保護する対象のひとつとみられるのは、信長が京都を占領するにあたり、これに従った軍隊だ。兵たちが携えた銭には品質の悪いものも多かった。

そして③では、取引額のすべてを品質の悪い銭だけで支払うことを禁じ、品質の良い銭を半分含めるよう命じている。

信長の以上の撰銭令は、銭の価値をいくつかに分類して示すなど先例にない特徴があり、強い意欲をもって発されたらしい。法令違反に対しかなり細かい金額の過料まで規定されていることから、ごく庶民的な一般取引にまで介入しようとしていたことがわかる。しかし、実際にどれだけ守られたかとなると、心もとない。

それというのも、先の撰銭令が発布されて約半月後の3月16日付で、京都上京(かみぎょう)にあてて発布した追加令があるからだ。注目されるのは次の二点である。

  • ④米を使って売買してはならない。
  • ⑤一定数量以上の生糸、薬、緞子(絹織物の一種)、茶碗、その他唐物の売買は金銀を交換手段に使うこと。これらの商品以外は、規定の銭を使うこと。

④で米を使った売買を禁止したということは、現場では米を貨幣として使うという実態が横行していたことになる。信長が先の撰銭令で意図したのは、銭での売買のみを認めることだったから、米による売買はその意図に反する。そこで追加令によってわざわざ禁止したのである。

前述のように、撰銭令を発する直前、信長の軍隊が京都に入り、労働者を大量に動員したため、米への需要が急に増えていた。そこで食糧として彼らに分配する米を確保するため、交換手段として使うことを禁じた。

けれども、信長の命令は市場では受け入れられなかった。その後、1570年代に入ると、京都や奈良では米を売買の手段として使用していたことを示す史料や記録がむしろ増加していく。現場では米を使うなと言われても銭不足で銭がなく、米なしではもはや売買が成り立たない切実な状況にあった。

米は品質に極端な違いがなく、潤沢な生産量を維持しており、食糧・兵糧や年貢としてつねに需要が存在した。そのため他の品物よりも相手に受け取ってもらえる可能性が高い。これらの理由から、米は貨幣として使用されるようになった。

⑤の規定も、市場動向に押されて妥協した結果の内容とみなされている。当初発した②では唐物や絹布も含め、あらゆる品目について銭以外で支払ってはならないとしていたが、⑤では高額取引に限って金銀での支払いを認めた。貿易商人らから反発を受けたためとみられる。銭不足が慢性化していた段階では、大量の銭を必要とする高額取引も銭での支払いに限るのは現実的でなかった。

千葉経済大学准教授の川戸貴史氏(日本経済史)は「わずか半月でこのように内容の変更を迫られることになったのは、事前のリサーチが不足していたからにほかならない」と厳しく評価する。そのうえで、撰銭令を信長の経済政策全体にまで敷衍して低い評価をすることは控えなければならないとしても、信長が当時の経済に精通していたとみるのはやはり過大評価だろう」と述べる(『戦国大名の経済学』)。

信長といえば、楽市楽座の推進などにより経済通のイメージがあるが、そうした見方には再考が必要かもしれない。

大阪経済大学教授の高木久史氏(日本中世・近世史)も、信長の撰銭令は必ずしもその効果を発揮しなかったことから「絶対的恐怖政治家である信長が革新的な政策を人々に思うまま従わせたという、創作類にありがちなイメージとは逆の実像も浮かび上がる」と指摘する(『撰銭とビタ一文の戦国史』)。

さすがの信長も市場原理には勝てなかった。マネーの規制は失敗に終わった。

撰銭令に関する歴史書では、上記に引用した二書を含め、当時の銭不足がしばしば強調される。けれども注意が必要なのは、銭が不足しても、市場では代わりの貨幣をすぐに見つけ出している点だ。米がそうだし、金や銀も使われた。1570〜80年代の奈良では、豆や小麦や塩なども交換手段として使われた。

このように、政府・中央銀行が貨幣を供給しなくても、市場は自律的に貨幣を生み出す。そのほうが政府の官僚よりも、刻々と変化する経済情勢に柔軟に対応できる。

経済評論家の上念司氏は、貨幣量の縮小はデフレを招き景気に悪影響を及ぼすとして、信長は当時増加していた銀の生産量を生かし、独自通貨として銀貨を導入すればよかったと論じる(『経済で読み解く織田信長』)。

だがすでに指摘したとおり、当時、銭の不足は米などが貨幣の役割を果たすことで補われていたから、必ずしも貨幣が不足していたとはいえない。かりに不足していたとしても、デフレが長期で経済成長に悪影響を及ぼす証拠はない

もし信長が、上念氏の提案どおり、大量の銀貨を発行していたら、銭不足の悩みは解消したとしても、逆にお金の無駄遣いという、権力者にありがちな過ちを犯したかもしれない。南米で発見した銀を担保に借金を重ねて膨大な軍事費に充て、産業の衰退を招いた同時代のスペイン帝国のようにである。

幸か不幸か、信長は支配下にあった生野銀山を活用することはなく、世界の注目を浴びた石見銀山の利権も毛利氏に奪われていた。 撰銭令を発してから十三年後の1582年(天正10)、京都本能寺で明智光秀の謀反に遭い、命を落とす。

<参考文献>
  • 川戸貴史『戦国大名の経済学』講談社現代新書
  • 高木久史『撰銭とビタ一文の戦国史』(中世から近世へ)平凡社
  • 上念司『経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する』ベストセラーズ

2021-02-27

福祉国家という強制

Against the Tide (English Edition)
Against the Tide (English Edition)

福祉国家と切り離せない強制の原理をいったん受け入れてしまったら、限界はどこにあるのか。コントロールが利かなくなるのではないだろうか。累進課税で起こったように、一度その原理を認めてしまったら、歯止めがなくなるのではないだろうか。

福祉国家を拡大することはたやすいだけでなく、扇動政治家が票と政治的影響力を手に入れるのに最も確かな手段だ。それは身銭を切らずに寛大で親切だという評判を得ようとする、ごくありふれた誘惑でもある。福祉国家とは安っぽい道徳主義のお気に入りの遊び場だ。

きわめて影響力のある人々がいる。特権と権力を求め、福祉国家の拡大に強い関心を持つだけでなく、社会的扇動のために最大限利用しようとする。それは革新派のオピニオンリーダー、社会保障当局の官僚、世論の風向きを読む政治家、革新主義の旗の下に行進するあらゆる人々だ。

福祉国家はその魅力的な名前にもかかわらず、強制で成り立つ。政府の権力で従わない人々を罰する。ならば、福祉国家が自由に対する他の制限と同じく、悪であるのは明らかだ。唯一の問題は、それが必要悪かどうかだ。わずかに許容できる必要悪というのが納得できる答えだろう。

2021-02-26

合法な賄賂、違法な賄賂


賄賂をなくす法
7万円のメシにも興味はあるけれど、問題の核心は、憲法が表現の自由を保障するにもかかわらず、放送事業に国の許認可が必要なこと。世の中の資源はみな有限なのに、電波に限って、限りある「公共財」として国が介入する理由はない。許認可を廃止すれば、接待なんかなくなる。

収賄容疑の背景
元農相の収賄容疑の背景は、国際獣疫事務局の指針案。家畜のストレスを減らす「アニマルウェルフェア(動物福祉)」を振りかざす。せっかく生んだ卵を人間に食べられるのが最大のストレスだろうに。鶏さんのストレスを減らすには鶏舎改修で多額の負担。賄賂も贈りたくなるさ。

贈賄を罰するな
賄賂が悪いかどうかは、刑法ではなく、契約法に基づいて判断するべきだ。賄賂を受け取らない条件で働いているなら、収賄してはいけない。恋人と会うために仕事をさぼってはいけないのと同じだ。しかし贈賄した側を罰するのは、会った恋人を罰するようなもので、間違っている。(ミーゼス研究所創設者兼会長、ルウェリン・ロックウェル)

合法な賄賂、違法な賄賂
ウィキペディアによれば、賄賂とは影響力や行動の見返りに、何か価値あるものをやり取りすることをいう。つまり賄賂はロビー活動や政治献金と変わらない。賄賂と違うのは、ロビー活動や献金は政治家の作った法律によって合法とされ、法律によって政治家が利益を享受する点だ。(ミーゼス研究所)

2021-02-25

貧富拡大の犯人


貧富拡大の犯人
富裕層がさらに富み、貧しい者がさらに困窮する「Kの字」現象を嘆くイエレン米財務長官。でも貧富拡大の一因は、彼女がFRB議長時代に行った金融緩和による株高。今度は「今こそ大胆に動くべきときだ」と財政大盤振る舞い。「大胆」とは、自分のカネを使う時の言葉です、長官。

二つのグローバリズム
経済のグローバリズムは良いグローバリズム。政治のグローバリズムは悪いグローバリズム。これを覚えておこう。米中政府が大喧嘩しようと、両国間の貿易総額は過去最高に迫り、人々を互いにハッピーにする。EUは医療崩壊を招いた伊政府を税金で助け、欧州の人々を反目させる。

明日なき財政
「きのうではなく、きょうとあすの課題に取り組む」と演説上手なバイデン米大統領。財政規律を取り戻すため、富裕層の課税強化を模索するとか。戦時並みに悪化した財政はもはや、そんな方法で何とかなる次元じゃない。国家破産の検討に今すぐ着手を。日本もすぐに追いかける。

さらば学校教育
私的な学習活動「ポッド」がコロナ下の米国で台頭。信頼の置ける隣人や友達同士で教師を雇い、超少人数の授業。朝から画面を6時間も見続ける学校のオンライン授業はもううんざり。わかったのは、既存の公教育のサービスとしてのダメさ加減。優秀な先生、こっちに来ませんか。

2021-02-24

自粛強制のディストピア



自粛強制のディストピア
「いつまで緊急宣言が続くか分からない。ずっと自粛を強いられるのは心理的に無理」と都内の主婦。まったくだ。ところで、「自粛の強制」という言葉、よく考えると矛盾している。まるでオーウェルの小説に出てくる「自由は隷従である」みたいな。ディストピアはもう来ている。

コロナと政治の犯罪
50万人を超えた死者のうち、記事では触れていないけれど、クオモNY州知事が隠蔽していた介護施設での死者が1万5000人にも上るというから、あらためて背筋が寒くなる。英雄気取りの政治家が膨大な数の人々を死に追いやった点では、まさに南北戦争や両大戦に匹敵する犯罪行為。

成果に伴う犠牲
コロナ対策をしっかりやったら、肺炎やインフルの死亡者が減ってよかった! 成果には犠牲が伴う。政府対策メンバーの医師いわく、「自殺者の増加など社会全体への影響も考慮しつつ、引き続き警戒していく必要がある」。昨年自殺者を750人増やしたけれど、これは許容の範囲内?

医療崩壊の真因
やっと出てきたこの指摘。感染者数が他国に比べてケタ違いに少ないのに、どうして医療崩壊が叫ばれるのか。何のことはない、硬直的な医療制度のせいで柔軟に病床を確保できないから。コロナ危機は最初から、病気そのものが問題じゃなかった。福祉国家という官僚組織の問題だ。

2021-02-23

政治運動の素顔


政治運動の素顔
グレタさんと緊密に連携した英環境保護組織XRは、ある研究を参考に勢力を拡大したとか。たとえば標的とする企業などには不作為の汚名を着せ、経済的、社会的なダメージを与えて行動を促す。なんか怖い、イメージ違う…。そう、これが政治運動の素顔。主張の正しさは二の次さ。

多様性と経営力
女性・黒人・ヒスパニック・アジア系の取締役がいるから業績が良好だという明確な証明は見当たらない。好業績の企業だからこそ取締役会のダイバーシティー(多様性)に配慮する余裕があるのかもと正しい指摘。多様性に優れていても経営力で劣っていれば、淘汰される恐れあり。

対中ヒステリーの扇動
中国の台頭におびえるあまり、米国が一種のヒステリー状態に陥りかけていると、もっともな指摘。政治家や情報機関と一緒に対中ヒステリーを煽ってきた共犯者はメディア。コロナと同じで、恐怖を煽るとメディアは売れる。恐怖が増幅され、暴走し始めてから慌てても、もう遅い。

ゾンビ経済の害悪
経済のゾンビ化は、信用の誤配分で生産性の低下につながる恐れがあるため、大きな懸念事項だと欧州中央銀行(ECB)のエコノミストが正しい警告。ゾンビ企業を潰せば不況を招くと心配する声もあるけれど、延命させれば経済正常化が遠のくばかり。日本人が一番よく知っている。

2021-02-22

マルクス主義と環境主義


1960年代頃まで左翼は環境問題に無関心だったが、やがて反資本主義の計画推進に利用できると気づいた。マルクス主義と環境主義の結合はソ連崩壊後に深まる。社会主義の経験がはっきり示すように、環境保護にとって一番大切なのは、左翼が始終攻撃してやまない強固な財産権だ。

国連の生物多様性に関する会議で、ペルー代表がコロナ危機に対し「グリーンレスポンス(環境に配慮した対応)が必要」と述べた。この言葉やバイデン大統領がよく口にする「より良い復興」は、資本主義を社会主義的な体制に変えようとする世界経済フォーラムの計画に結びつく。

風力と太陽光だけに電力のすべてを頼るのは、リスクの高いギャンブルだ。今のところ適当な蓄電手段がないため、天然ガスの利用が求められる。同等かそれ以上の化石燃料発電でバックアップし、風が吹かなかったり太陽が照らなかったりした場合に備えなければならない。

米テキサス州での停電に対し、風力発電業界は、悪いのは自社の風車が寒波で凍ったことではなく、天然ガスが需要に応えられなかったことだと主張した。だが大気浄化法のせいでパイプラインコンプレッサーはガスではなく、電気で動いている。だから停電するとガス発電も止まる。

2021-02-21

芥川龍之介『羅生門 杜子春』

羅生門 杜子春 (岩波少年文庫 (509))
羅生門 杜子春 (岩波少年文庫 (509))

洛陽の繁栄、平安京の闇


唐の都、洛陽。金持ちの息子、杜子春は財産を使い尽くして落ちぶれ、途方に暮れていたところ、不思議な老人から膨大な黄金を与えられ、贅沢三昧にふける。朝夕押しかける客をもてなすため、杜子春は連日豪華な酒盛りを開く。こんな様子だ。

杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生まれの魔法使いが刀をのんで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴を節おもしろく奏しているという景色なのです。

シルクロードを通ってインドや中央アジアから商人や芸人が多数訪れ、繁栄を極めた唐の都らしい、エキゾチックな雰囲気がみごとに描かれている。

一方、日本の平安京。唐の都をモデルとし、天皇の威信を見せつけるため、道幅を必要以上に広大にするなど実用を無視して設計された。やがて災害や財政難で造営がストップし、荒廃する。正門である羅城門(羅生門)では、死者を捨てていく習慣までできた。クビになって行き所のない下人は、門の暗い楼の上でおぞましい光景を目撃する。

その死骸はみな、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口をあいたり手をのばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。〔略〕ぼんやりした火の光をうけて〔略〕永久におしのごとく黙っていた。

平安京の闇を凝縮した、恐ろしい描写だ。シナと日本、二つの都市の対照的な姿を、芥川龍之介の筆力は的確に描き、物語に説得力を持たせている。

石見銀山が支えたグローバル経済〜16世紀の東アジアと欧州をつなぐ

世界遺産石見銀山を歩く (歩く旅シリーズ 街道・古道)
世界遺産石見銀山を歩く (歩く旅シリーズ 街道・古道)

銀は、商品市場で最も活発に取引される貴金属のひとつだ。今年に入り、投稿型のオンライン掲示板「レディット」の書き込みをきっかけに、個人投資家のマネーが流入。国際指標のニューヨーク銀先物が一トロイオンス三〇ドル台と八年ぶりの高値を付けるなど、話題となっている。

銀はかつて金と並んで、通貨として広く使われていた。19世紀の米国で金鉱発見をきっかけに起こったゴールドラッシュは有名だが、それより三百年以上前、16世紀の日本を含む東アジアではゴールドラッシュならぬシルバーラッシュが起きていた。それは17世紀に入っても続く、長期にわたる経済現象だった。

シルバーラッシュが起こったきっかけは、16世紀前半に日本で銀山が発見され、その開発が本格的に進められたことによる。東アジアにおける銀の出現は、銀を国際通貨としていた東アジアの貿易構造に大きな影響を及ぼすことになる。日本で発見されたその銀山とは、石見(いわみ)銀山である。

石見銀山の遺跡は、島根県のほぼ中央に位置する大田市の山間部にあり、2007年に世界遺産に登録されたことで知られる。遺跡の大部分は森林に覆われ、豊かな自然環境が損なわれずに残されている。この点がとくに高く評価され、世界遺産の登録につながったとされる。

石見銀山の発見は1526年(大永6)のことと伝えられる。周防(山口)の戦国大名、大内義興が石見国守護のとき、筑前博多の商人、神屋寿禎(かみやじゅてい)が出雲の鷺銅山に銅を買い付けに行く途中、日本海の沖から南方に山が光るのを見て銀鉱脈の存在を覚ったという。

神屋寿禎は博多ではかなり名の知れた有力商人であるとともに、日明貿易を通じて西国一の大名である大内氏と深く結びついていた。近年の研究では、寿禎自身が発見者だったかどうかには疑問も呈されているが、博多商人の日本海沿岸における広域的な経済活動が石見銀山の発見・開発につながったのは間違いない(本多博之『天下統一とシルバーラッシュ』)。

石見銀山が発見された時代は、東アジアで急激に銀需要が高まる時期だった。とりわけ隣国中国では15世紀以降、銀経済の時代を迎え、土地税や官僚の給料、北方の遊牧民族への戦費に大量の銀が必要になっていた。寿禎ら博多商人は貿易を通じてそうした中国国内の銀事情を察知し、いち早く石見銀山の開発に乗り出したようだ。

採掘された銀鉱石は当初、銀山で製錬は行わず、高品位の鉱石のみを鞆ケ浦(ともがうら)などの港から博多へと送っていたという。やがて現地での製錬の必要性が高まり、1533年(天文2)、寿禎は宗丹・慶寿という二人の技術者を博多から連れてきて、灰吹法(はいふきほう)という銀製錬技術を導入する。

技術者の慶寿は、禅宗を日本に伝えたことで知られる栄西が建立した日本最初の禅宗寺院、博多の聖福寺にある幻住庵という塔頭(たっちゅう)にゆかりの人物だった。幻住庵は朝鮮や琉球との交易に深く関わった拠点とみられ、そのようなネットワークを介して灰吹法が日本へ伝わったと考えられている。

灰吹法は、当時の画期的な製錬技術だった。銀の含まれる鉱石に鉛などを混ぜて熱することで銀と鉛の合金を作り、それを灰に含ませると鉛だけが吸収されるため、銀を取り出すことができる。これによって純度が100%に近い銀を生産できるようになった。

この石見銀の品質の良さが大航海時代を主導していたポルトガルで評判となり、貿易商人が日本へ殺到するようになった。当時、銀山のあった地域は佐摩(さま)村と呼ばれていたことから、銀はポルトガル商人から「ソーマ(Soma)」と呼ばれた(川戸貴史『戦国大名の経済学』)。

採掘・製錬による銀生産が進む石見銀山では、鉱山およびその付近に銀山町が形成される。そこには京都・堺など畿内商人のほか、南九州、備中など瀬戸内地方から多数の商人が到来・居住しており、鉱山の経営や住人相手の商売に従事した。

領域支配者である大名や国人領主らは、一定の運上を納めさせることで商人の鉱山経営を認めた。運上分を除く生産銀は国内各地に流れていった。

当時の日本では、銀はまだ貨幣としては普及していなかった。しかし世界各地の市場では銀は国際通貨だったので、銀さえあれば世界中のあらゆるモノを買うことができた。そのため石見銀は貿易商人の手を介して日本から海外へ流出していった。明で後期倭寇による密貿易が一挙に拡大した背景にも、量産された石見の銀があった。

ポルトガルのアジア貿易は、はじめインド銀を資金に東南アジアで麝香(じゃこう)や香辛料を購入、それを中国へと持ち込んで絹・陶磁器などと交換し、欧州へと持ち帰った。しかし日本との交渉が本格化すると、しだいにポルトガルのアジア貿易は日本銀を軸として展開されるようになる。南米にポトシ銀山を擁するスペインと違い、自前で銀を産出できなかったポルトガルにとって、日本銀は注目の的だった。

中国で生糸を購入したポルトガルは、それを日本に持ち込んで銀と交換。その銀を資本として中国産の絹織物や陶磁器、東南アジアの香辛料を購入し、欧州で販売して巨額の富を得た。この時期、ポルトガル船が日本から持ち出した銀の量は年平均十五〜十八トンに及んだともいわれる。海洋国家ポルトガルを支えた経済力の背景には、日本銀の存在があった(『世界遺産石見銀山を歩く』)。

マルコ・ポーロが伝える「黄金の国ジパング」は、欧州を大航海に向かわせた原動力のひとつだといわれる。そのあこがれの地日本に、ポルトガルは到達した。しかし日本は黄金の国ではなく、むしろ「銀の国」だった。

イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは1552年(天文21)、インドのゴアにいる神父に宛てた書簡に「カスチリア(スペイン)人は、この島々をプラタレアス群島(銀の島)と呼んでいる」と述べている。

石見銀山に続き、1540年代にはペルーのポトシ銀山とメキシコのサカテカス銀山で銀が大量に掘り出された。太平洋を横断してマニラに運ばれた新大陸の銀と、日本の石見の銀が南・東シナ海で大量に流通する、シルバーラッシュの時代を迎える。

17世紀初頭、石見銀山の銀産量は年間四十トン弱に及び、当時の世界の銀産の三分の一を占めたといわれる。新大陸の銀が流入する以前の欧州の銀の年産量が約三十トンといわれるので、石見の銀産量の多さが理解できる。

明で産出された絹、陶磁器などが、ポルトガル人、スペイン人のルートをたどって欧州に運ばれ、東アジアでは銀産国の日本の銀も大量に流通した。16世紀から17世紀に、世界は銀によってひとつながりになった。

今は世界の国々がそれぞれ異なった通貨を使い、国境を越えた貿易にはさまざまな制限が課される。それに比べ、銀が世界の共通通貨だった当時は、ある意味でずっとグローバル化が進んだ、スケールの大きな経済の時代だったといえる。

<参考文献>
  • 本多博之『天下統一とシルバーラッシュ: 銀と戦国の流通革命』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館
  • 川戸貴史『戦国大名の経済学』講談社現代新書
  • 仲野義文監修『世界遺産石見銀山を歩く』(歩く旅シリーズ 街道・古道)山と渓谷社
  • 宮崎正勝『「海国」日本の歴史: 世界の海から見る日本』原書房
  • 北村厚『教養のグローバル・ヒストリー: 大人のための世界史入門』ミネルヴァ書房

2021-02-19

金はなぜ憎まれる

中央集権の政策にはお金の中央集権が必要だ。だが金(きん)はきわめて分権的な性質上、中央集権になじまない。操作・破壊されにくいし、中央銀行が価値を決めることはできない。不変で揺るぎなく、政治的ビジョンとは頑固なまでに相容れない。だから政治エリートは金を憎む。

Why Fed Bugs Really, Really Hate Gold | Mises Wire

米政府はベトナム戦争と福祉政策で財政が悪化。ニクソン大統領は1971年、ドルと金の交換を停止した。ニクソン・ショックだ。ニクソンは国民に停止は一時的で、この政策でドルを安定させると約束したが、どちらも実現しなかった。以来、米国と世界は完全な不換紙幣制度となる。

A Brief History of the Gold Standard, with a Focus on the United States | Mises Wire

ドイツは東西に分裂した国家を再統一する際、米仏英の承認を求めた。フランスは条件としてドイツマルクの放棄とユーロの採用を求めたとされる。ドイツのユーロ脱退とマルク復活を妨げるのは政治要因しかない。経済学的にはマルクの裏付けとして金本位制の採用だってありうる。

The World Needs a Gold-Backed Deutsche Mark | Mises Wire

ロシア中央銀行は2016年から金準備を増やし始め、2020年末にその残高は初めて米ドルを上回った。プーチン大統領はロシア経済の非ドル化を進めている。金は今やユーロに次いで二番目に多い準備資産となり、準備全体(5830億ドル)の3分の1を占める。人民元の割合は12%だ。

The Dollar's Reserve Currency Status Won't Last Forever | Mises Wire

>>翻訳@時事

2021-02-17

福祉国家の起源

Against Leviathan: Government Power and a Free Society (English Edition)

福祉国家の起源は1880年代のドイツ帝国にあるとされる。鉄血宰相ビスマルクは労働者のために義務的な労災保険、疾病保険、老齢年金を創設した。ビスマルクは利他主義者ではなかった。社会政策によって労働者を革命的な社会主義から引き離し、帝国に対する忠誠を買おうとした。

19世紀後半、野心を抱く米国の社会科学者にとって、ドイツの大学に留学しなければ一人前とは言えなかった。多感な若者たちが米国に持ち帰ったのは、ビスマルクの社会政策に対する好意的な見方だ。それは国家を崇拝するドイツの教授の教えから吸収したものだった。

米政府は市民を守って社会の調和を促すふりをしながら、実際は正反対のことをした。アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)は人種間の対立を強めた。環境規制で多額の資金が浪費され、コストは便益を上回った。食品医薬品局(FDA)は公衆衛生を改善するどころか、多数の死と苦痛をもたらした。

半世紀前、仏哲学者ベルトラン・ド・ジュヴネルはこう述べた。「現代の心理的特質は、恐怖が自信に勝っていることだ。あらゆる階級のあらゆる人々が個人の存在を政府の保護に頼り、政府をなんでも与えてくれる存在とみなしている」

2021-02-15

環境問題への賢い対処法


数十年とか数百年は地質学や気象学では短い期間でも、人間にとってはきわめて長い。人間はそれより短い間に、世界一高いビルをいくつも建てられるし、スマートフォンのように情報伝達に革命を起こせる。もし温暖化で海面水位が上がっても、防波堤や防潮壁を築くことができる。

人間という生物は自然の障害を前途から取り除くことに成功し、自然の破壊力から自分を守ってきた。世界人口は1900年から60億人増えたにもかかわらず、自然災害による死者は当時より少ない。人間は自然に影響を及ぼしており、それは喜ばしいことである。

灼熱のような熱波は、気候変動が原因であろうとなかろうと、人体に害を及ぼす。それを直接解決する実用的で効果的な方法は、人々がエアコンを使えるようにすることだ。炭素税とか太陽・風力発電の補助とかいう回りくどい方法でなく、人々にエアコンを買うお金を与えればいい。

バンビ症候群とは、技術の進歩のおかげで自然や動物のもたらす危険を忘れてしまう現象だ。北極熊やマウンテンゴリラ、熱帯雨林に住まいや暮らしを脅かされない都会人にとって、それらの保護は単純な道徳的義務になる。イヌイットは野生の本質が平和などという幻想を抱かない。

2021-02-14

アッペルバウム『新自由主義の暴走』

新自由主義の暴走 格差社会をつくった経済学者たち

政府の暴走


経済の本で何かが暴走するとき、それはたいてい、「新自由主義」「市場原理主義」「資本主義」など市場経済の側に決まっている。まるでブレーキの壊れた機関車か、狂った家畜の大群か何かのようだ。

そうした「暴走本」に、ニューヨーク・タイムズの論説委員が書いたこの本が新たに加わった。電子書籍版で検索してみるとわかるが、本文に「暴走」という言葉は出てこない。キーワードだと思われる「新自由主義」すら一度も出てこない。そもそも原題は『経済学者の時代——間違った預言、自由市場、そして社会の崩壊』であり、『新自由主義の暴走』ではない。

それでも本書の主眼は、市場経済の「行きすぎ」を批判することにあり、日本語版のタイトルは羊頭狗肉というわけではない。原題どおりの『経済学者の時代』ではおとなしすぎて売れないだろうし、本文にあろうがなかろうが、『新自由主義の暴走』というおどろおどろしい言葉をあえてタイトルに据えたのは、資本主義的に正しい判断だ。

さて、海外の経済ジャーナリストが書いた他の分厚い本と同じく、本書は興味深いエピソードが満載だ。今はコロナ戒厳令のせいでなかなかできないけれども、飲み会の席で披露するにはもってこいだろう。こんなのがある。米政府がまだ金本位制を採用していた1960年代後半、ドルの価値に不安を感じた外国政府が金との交換を求めるのに苦慮し、米国は金の試掘を検討した。ある下院議員は、核爆発を利用して金を採掘するよう提案したという(第八章)。

しかし、個々のエピソードは面白いのだが、これも類書と同じく、そこから何かを主張しようとすると、ロジックの弱さをさらけ出す。互いに矛盾していたり、一歩踏み込んだ考察が足りなかったりする。

例をいくつか挙げていこう。1960年代のジョンソン政権は英経済学者ケインズの説に従い、政府支出を急激に増加させた。同時に行った減税の効果もあり、経済は成長し、失業率は低下した。1965年1月、ジョンソンは「景気が避けられないものだとは思わない」と議会で断言し、その年の終わり、タイム誌は表紙にケインズを載せ、「史上もっとも大規模で長期にわたる、広く分配されている繁栄」を、ケインズの考えを採用したおかげとした。

また、ジョンソン政権は「貧困との無条件との戦い」を推進するため、医療保険プログラムのメディケアとメディケイド、フード・スタンプ(低所得者向けの食料費補助プログラム)、貧しい地区の学校に対する助成金を導入した。これら新しい社会福祉プログラムは「成功し、貧困を大幅に削減した」と著者アッペルバウムは称える(第二章)。

アッペルバウムはすぐ後で、「ケインズ主義の勝利は短命に終わった」ことを明らかにする。1965年の後半には、経済は過熱し始め、インフレ率が上昇していた。

ところがアッペルバウムは、ジョンソン政権の福祉政策については、成功したという評価を変えない。わざわざ注を付け、こう書く。

2014年に、当時下院予算委員会委員長だったポール・ライアン(共和党、ウィスコンシン州)は、ジョンソンの貧困への宣戦布告から50周年を記念する日に、あの戦争は「失敗」だったと言い放った。入手できる証拠は異なる結論を示唆している。

アッペルバウムが示す「証拠」とは、コロンビア大学の上級科学研究員クリストファー・ウィマーらによる2013年の論文だ。そこではたしかに、ジョンソン政権の福祉政策は貧困減少に大きな役割を果たしたと述べられている。

けれども、それだけで成功だったと主張するのは無理がある。当時貧困が減ったとすれば、ケインズ主義に基づく景気刺激策の効果を無視できないはずだ。その景気刺激策が短命に終わる失敗だったのに、福祉政策だけはまるで経済全体とは無縁でもあるかのように、成功だったと言うのはおかしい。

なにより、誰もが知るように、メディケア、メディケイドといった福祉政策の費用は現在、米政府の財政を圧迫し、破綻に追いやろうとしている。ジョンソン政権に始まった福祉政策は、今流行りの言葉でいえば、まったくサステナブル(持続可能)でなかった。それを成功と持ち上げるのは、あまりにも説得力に欠ける。

次に、反トラスト法(独禁法)をシカゴ大学の経済学者ジョージ・スティグラーが批判したことに対し、アッペルバウムは近代経済学の父といわれるアダム・スミスの言葉を持ち出す(第五章)。スミスの主著『国富論』には次のような有名な一節がある。「同業者が一堂に会することは、楽しみや気晴らしのためにさえ、めったにないが、まれに集まった場合には、会話は結局、大衆に対する陰謀か値上げのための何らかの計略になる」

独禁法を擁護するアッペルバウムにとって、スミスのこの言葉は心強いもののようだ。けれどもアッペルバウムは、スミスがすぐに続けて書いた次の言葉には、なぜか触れていない。「こうした集まりを法律で禁止しようとしても、取り締まりができないか、そうでなければ自由と公正を侵害する法律になる」

アッペルバウムは、独禁法によって連邦政府が1911年、ロックフェラー家のスタンダード石油を分割したことを高く評価する。しかし当時スタンダード社は石油価格を下げ、品質を高め、むしろ消費者の利益になっていた。事実を言えば、スタンダード社に勝てない競争相手らが連邦政府に働きかけ、分割に追い込んだのだ。

アダム・スミスが恐れたとおり、独禁法は「自由と公正を侵害する法律」になった。その標的とされたのは近年のマイクロソフトなど数多い。アッペルバウムはこうした独禁法の危険にあまりにも無頓着だ。

最後に、アッペルバウムは元連邦準備理事会(FRB)議長のアラン・グリーンスパンについて、金融規制に反対としたと批判する(第十章)。大手銀行による住宅ローンの拡大やデリバティブによる投機を放置したことなど、細かな部分では正しいかもしれない。けれども、大きな構図を見落としている。

グリーンスパンは政府傘下の中央銀行総裁として、経済に巨額の資金を注入し続けた。お金とは本来、政府が無からつくるものではなく、市場で個人間の取引を通じて自然に選ばれる。そうして選ばれた代表的なお金は金(きん)だ。米国が半世紀前に金本位制をやめるまで、金はお金としての地位を保っていた。グリーンスパン自身、若い頃は金本位制を支持していたことで知られる。

しかし中央銀行総裁となったグリーンスパンは、裏付けのないマネーを市場に大量に注ぎ込んだ。現代ではあまりにも当然の行為なので気づきにくいが、本来政府とは無縁に成立する金融市場に対し、これ以上の介入はない。グリーンスパンは何もしなかったのではなく、やりすぎたのだ。

過剰なマネーの注入はバブルを生み、その崩壊から経済危機を起こした。不動産や株式の値上がりによって格差拡大を招いた。さまざまな規制や課税は経済から活力を奪い、貧困の原因となっている。

今の経済・社会問題をもたらしたのは、市場経済の暴走ではない。政府の暴走だ。アッペルバウムのこの本からは、残念ながら、その真実を知ることはできない。

2021-02-13

スチーブンソン『宝島』

カラー名作 少年少女世界の文学 宝島


金貨と銀貨の物語


『宝島』といえば、膨大な財宝だ。「山のような金貨と黄金の箱が積み重ねてあり、たき火の薄い煙をとおして、きらきらと輝いていた」と、昭和の懐かしさあふれる「カラー名作・少年少女世界の文学」版(近藤健訳)では記す。カラー挿絵で描かれた金貨の山の美しさは格別だ。

スチーブンソンがこの物語を出版したのは、金貨が日常でお金として使われていた19世紀後半。今では書けないだろう。金貨は貴金属店や博物館でしかお目にかかれないし、お札はインフレで価値を失う。苦労して見つけた札束の山が五十年前の半分以下の値打ちしかないのでは、話が盛り下がる。

『宝島』の時代は金貨だけでなく、銀貨も使われた。悪役シルバー船長のおうむは「八銀貨! 八銀貨! 八銀貨!」とけたたましく叫ぶ。銀貨をぎっしり積んだ難破船の引き揚げを見ていて覚えたという。ユーモラスだがまがまがしい叫びは、「五百円玉!」ではさまにならない。

主人公の少年ジムは金貨の山をより分ける。欧州の国々のものばかりか、東洋のものも混じっていた。「このよりわける仕事ほど楽しみながらした仕事はないと思う」とジムは語る。金貨は国によってデザインは違っても、重さ当たりの価値は共通だ。

他国のお札を日々揺れ動くレートでいちいち換算しなければならない現代より、真にグローバルな通貨の時代だったといえる。この物語のスケールの大きさは、そんなところからも来ている。

2021-02-12

資本主義と女性の解放

Against the Left: A Rothbardian Libertarianism (English Edition)

今日、自由に対する根源的な脅威は、絶対的な平等を推進しようとする左翼の計画から生じている。その最大にして最も危険な症状は、文明の特質である伝統的家族を破壊しようとする企てである。

フェミニストや左派リバタリアンの主張によれば、家族は抑圧的だという。しかし実際は、ブルジョワ的家族は女性を抑圧から救った。結婚法に契約の概念が取り入れられたことで、男社会のルールが壊され、妻は等しい権利を持つパートナーになった。

女性の地位が改善したのは、資本主義によって財産権が確立したおかげである。マルクス主義者やその他の左翼の主張とは異なり、資本主義は女性を抑圧するどころか、解放したのだ。

法的な平等によって生物学的な違いはなくならない。女性が男性ほど収入が多くなかったり、有力な地位に就いていなかったりするからといって、差別の犠牲になっているわけではない。

2021-02-11

内政干渉の愚かさ


ノーベル平和賞を受けたアウンサンスーチー氏はミャンマーの国家顧問時代、イスラム系住民ロヒンギャの虐殺を放置し、国際司法裁判所でミャンマー政府と軍を擁護した。米国がなぜ聞いたこともない国のそんな女性を権力にとどめるために手間暇かけるのか、国民は戸惑うだろう。

レジームチェンジ(体制転換)はうまくいかない。攻撃にさらされやすい、貧しく罪のない人々を殺し、傷つける。イラクのフセインやリビアのカダフィのように米国の敵は時に悲惨な最期を迎えるかもしれない。しかし米政府によって「解放」されたとき、いつも苦しむのは市民だ。

米国が州の分離独立で分裂したら、世界で中国やロシアの影響力が強まり、侵略されるだろうか。米国が分裂しても、軍事的防衛のために同盟を結ばないと考える理由はない。新しいアメリカ民族国家のどこかひとつが攻撃されれば、すべての民族国家への攻撃とみなされるだろう。

アヘン戦争当時、中国のGDPは英国よりずっと大きかったが、英国は中国を敗った。冷戦時にソ連は人口で米国を上回り、領土も3倍あったが、1990年に事実上敗北した。人口や経済規模の相対的に小さな国は、むしろ戦争で強いことが多い。生産力、組織力、富の力で優位だからだ。

2021-02-10

知的財産権の害悪

Against Intellectual Property (LvMI) (English Edition)

財産権は、客観的に識別できる境界がなければならないし、最初に占有した者が手に入れるという「入植ルール」に従って割り当てられなければならない。適用されうるのは希少な資源だけである。知的財産権の問題は、それによって保護される観念上の対象が希少でないことにある。

発明家で特許の実務家でもあった米大統領ジェファーソンは書いている。「私のアイデアをもらう人は、私の知識を減らすことはない。ちょうど私のろうそくを暗くすることなく、自分のろうそくに火をもらうように」。アイデアの利用で争いは生じない。だから財産権には不向きだ。

有形で希少な資源だけが個人間の争いの対象となりうるし、財産権のルールを適用できる。特許や著作権は、政府の立法によって認められた不当な独占である。特許や著作権の歴史的ルーツは独占的な特権や検閲にある。この特権が、本来存在しなかった希少性を人為的に生み出す。

もし知的財産権の考えが正しいなら、井戸掘りの新技術を発明すれば、世界中の人にそのやり方で井戸を掘るのをやめさせることができるはずだ。大昔、家を発明した人は、他人が自分の土地に自分の丸太で家を建てるのをやめさせたり、特許料を請求したりする権利があったはずだ。

2021-02-09

いびつな物価指数


政府の作成する消費者物価指数には資産価格が含まれない。しかしここ数十年、不動産や株式などの資産価格が一般の商品・サービスと不釣り合いに高騰している。ユーロ圏で体感される物価が政府の統計よりも5%ポイント高いのは不思議ではない。

ユーロ圏の物価上昇圧力は消費財以外の部分で表面化している。とくに株式や不動産などの資産価格だ。政府の公式統計は物価全体の上昇をひどく少なく見積もっている可能性がある。資産価格が上昇すると、すでに資産を持っている人以外、豊かになるのが難しくなる。

ドイツでは資産価格の上昇や税負担の増加を考慮に入れると、実質賃金は2010〜2017年に年2.17%も低下している。影響を大きく受けるのは、労働所得だけに頼り、不動産を持たず、それでも将来に備えて貯蓄に努めようとする世帯だ。とくに親や祖父母の支援のない若者は厳しい。

欧州統一通貨ユーロを維持する費用は、金本位制で金の採掘や鋳造にかかる費用の3倍以上という試算がある。これはある意味で当然だ。ユーロ圏の中央銀行は損益を気にしなくていいし、費用は通貨発行益でまかなえる。そうした官僚組織は無駄遣いや高コストに陥りやすい。

2021-02-08

リベラルという社会主義

After Liberalism: Mass Democracy in the Managerial State (New Forum Books) (English Edition)

経済学者ミーゼスは早くも1927年、自由の時代が過ぎ去ったことを悲しみ、こう述べた。「今の世界はリベラリズムについて何も知らない。英国以外ではリベラリズムはまったく軽蔑されている。英国にはリベラルはいるものの、その大半は名ばかりで、実際には穏健な社会主義者にすぎない」

経済学者ハイエクによれば、ナチスと共産主義は一気に、あらゆる人々を独裁権力のしもべにした。一方、英米の「改革派」は段階を踏んでそうしようとしている。彼らは決して手を休めない。そして不適切にも、自分たちは「リベラル(自由主義者)」だと名乗っている。

社会民主主義者の経済学者ガルブレイスが著書で「リベラルの時」を祝った1960年、政府の行政官による社会計画が真の自由の伝統に反すると批判した識者はいなかった。「リベラル」は革新派を意味するようになり、革新とは官僚が管理し、進化する社会と同義になった。

歴史家ジョン・ルカーチは1990年のエッセイでこう述べた。「伝統的な資本主義は、西洋では消え去った。米国でさえもだ。世界各国共通の特徴は、大規模な官僚制に管理される福祉国家だ。自分でそう呼ぶかどうかはともかく、今や私たちは皆、社会主義者なのだ」

2021-02-07

キリスト教伝来、イエズス会が日本で貿易に励んだ理由

宣教のヨーロッパ-大航海時代のイエズス会と托鉢修道会 (中公新書)

カトリックの最高権威であるローマ教皇はしばしば、資本主義や市場経済を厳しく非難する。CNNの報道によると、教皇フランシスコは回勅で、新型コロナウイルス禍における資本主義は失敗に終わったとの見解を示したという。

キリスト教と自由な経済活動は、昔からあまり馬が合わない。聖書によると、イエスは神殿の境内にいた両替商を怒って追い払ったり、弟子たちに「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」と説いたりしている。初期キリスト教の伝道者で聖人とされるパウロは「金銭を愛することは、すべての悪の根である」と述べている。

けれども一方で、富の追求はキリスト教の信仰と矛盾せず、むしろ奨励されると考える人々もいた。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、宗教改革で生まれたプロテスタントの禁欲的な倫理が西欧における近代資本主義の精神的支柱となったと論じたのは有名だ。プロテスタントに限らず、カトリックの中心だった中世イタリアでも、活発な商業活動を背景に、近代資本主義の根幹をなす複式簿記などの制度が生まれている。

それだけではない。戦国から安土桃山時代にかけて日本にキリスト教を伝えたカトリックの修道会、イエズス会は極東の地で商業活動にいそしんだ。貿易である。清貧のイメージが強い修道会がどうして、何も生産しないと批判されがちな商業にみずから携わったのだろう。

1549年(天文18)、日本布教を志したイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着し、大内義隆、大友義鎮(宗麟)ら大名の保護を受けて布教を開始した。布教を認めた大名領の港には、イエズス会を保護するポルトガルの貿易船が入港したため、大名はポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を望んで宣教師を保護するとともに、布教に協力し、なかには改宗してキリシタン大名となる者もあった。

1560年代に、日本のイエズス会は一ダースほどの欧州人会士を養わなければならなかった。それに三〜四人の日本人会士、さらに同宿(ドウジュク)と称される会士の補助者がいた。宣教活動のため離れた土地に出かける費用も必要だった。

ポルトガル王国は日本のイエズス会に手厚い支援を行っていた。それにもかかわらず、イエズス会の財政状態は余裕があるとは言えなかった。送金が不正や難船で失われたうえ、送金が無事に日本まで到着しても、約30%の税を課されたからだ。17世紀初めの頃は、赤字状態だった。苦境を見かねた徳川家康がイエズス会士に金子を与えたほどだった。

イエズス会は恒常的な財政問題を解決するため、ポルトガル商人の助けを借りて、独自に中国と日本の貿易に乗り出すことにした。貿易へのイエズス会の参入には、二つのやり方があった。

一つは、イエズス会が大名に代わって金の仲買人になることだ。大名はイエズス会士とポルトガル商人が親しい間柄にあるのを利用して、銀を渡してこれを中国で金に交換してもらう。中国は銀本位制のため、日本よりも銀売却が有利だった。

もう一つは、イエズス会が直接に貿易を行うことだ。貿易品の最たるものは絹を織る原料となる生糸だった。イエズス会は中国で良質の生糸を購入し、日本で売りさばいた。当時、とりわけ京の都では高級織物の生産が盛んになり、高価だが良質の中国産生糸が求められた(佐藤彰一『宣教のヨーロッパ』)。

生糸には糸をよった撚糸も含まれた。イエズス会士が作成したと考えられる覚書には、「五から六、一〇箱までの反物と撚糸を取引するのは悪くない。これらは肉厚で良質、深紅色でなければならない。なぜならこれらは銀の吸収がよく、よく売れ、確かな収益が上がるからである」という記述があり、撚糸が売れ筋商品であったことがわかる(岡美穂子『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』)。

1580年(天正8)には、大名の大村純忠が長崎をイエズス会に寄進する。イエズス会はマカオから長崎への生糸輸出に投資するとともに、日本とポルトガル船との交易や投資も仲介して、マカオ—長崎貿易に大きな影響力を持った。南蛮貿易の拡大と並行して日本布教も進展し、1592年(文禄元)には全国の信者数は二十二万人弱にのぼっている。

マカオの当局は、イエズス会に毎年3トンの生糸の購入を許可していた。宣教活動の初期の段階において、ここから上がった収入が実質的に宣教活動の唯一の財源だった。イエズス会宣教師ヴァリニャーノは「実にこの〔日本宣教〕企てを継続するために、我々には現在までのところ中国との船による貿易しか手立てがない」と書いている。

毎年の利益は現在の邦貨換算で、8750万円から1億500万円だった。ヴァリニャーノは、宣教をさらに拡大するためには、イエズス会はもっと本格的に貿易に乗り出すべきだと主張した。

しかし、たとえ宣教活動の財政基盤強化のためであっても、そもそも商取引に関わることに反対の意見を持つイエズス会士もいた。

ザビエルとともに日本に最初に渡来した古参会士コスメ・デ・トレスは1559年(永禄2)、スキャンダルを恐れて、インド支部がこの問題について判断を下さない限りは禁止するとして、一度は取りやめとなった。だが、取引はすぐに再開された。「イエズス会にとって貿易からもたらされる収入は、あまりに大きかったからである」と名古屋大学名誉教授の佐藤彰一氏は指摘する。

修道院で禁欲的に暮らす修道士とは身分が異なるとはいえ、清貧を誓った者が、果たして商業取引に携わることが許されるかどうかは、修道会として根本問題だ。ヴァリニャーノの問い合わせに応じ、イエズス会の第五代総長アクアビバは1596年(慶長元)、日本での布教の経費には収入が必要であり、このために貿易を行うのは許されるとした。教皇グレゴリウス13世もこの意見を支持した。

それでも、日本で宣教活動に従事するイエズス会士の中には、貿易実践に反対する向きはなくならなかった。1570〜81年に日本布教区の責任者になったフランシスコ・カブラル神父は、倫理的、宗教的な規範の点から、貿易をみずから行うべきではないと主張した。だがヴァリニャーノによると、カブラル自身、宣教活動の財源を確保するために、貿易に頼らざるをえなかったという。

1580年に豊後(大分県)で開かれた会議では、会士の間でこの問題が激しく議論された。だが、他に財源を確保する手段を見つけることができなかった(佐藤前掲書)。

イエズス会には財務を担当する、プロクタドールという職名の会員がいた。修道会といえども、地上に設置され、俗世間の中で活動する以上、世俗との関わりをまったく断つことは不可能だ。どうしても、それを職とする会員を必要とする。それがプロクタドールだった。

プロクタドールの仕事は、必需物資や資金の調達・保管・配給、帳簿の記入、信徒らに対する物質的援助などさまざまだが、商業もその一環である。

日本でプロクタドールは当初イルマン(平修道士)が任じられたが、のちにパードレ(神父)、さらに最高位の盛式四誓願司祭が就くようになる。これはプロクタドールが重い役職になっていったことを意味している。その背景には、独自の才覚によって財源を求めなければならない日本の特殊事情があった(高瀬弘一郎『キリシタンの世紀』)。

イエズス会の宣教師たちは極東でキリストの教えを広めるため、宗教倫理との板挟みに悩みながら、当時のグローバル経済の最前線で貿易に奮闘した。資本主義を悪魔のように忌み嫌うローマ教皇は、布教を財政面で支えた市場経済にささやかな感謝を捧げてほしいものだ。

<参考文献>
  • 佐藤彰一『宣教のヨーロッパ 大航海時代のイエズス会と托鉢修道会』中公新書
  • 岡美穂子『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』東京大学出版会
  • 高瀬弘一郎『キリシタンの世紀 ザビエル渡日から「鎖国」まで』岩波オンデマンドブックス
  • 九州国立博物館編『「新・桃山展」公式図録 大航海時代の日本美術』

2021-02-06

四葉夕卜・小川亮『パリピ孔明』

パリピ孔明(1) (コミックDAYSコミックス)

武器によらない平和


戦乱の世を描いたマンガは面白いけれども、ときどき嫌になる。下っ端の敵兵たちがまるでバイ菌のように盛大に殺されるからだ。固いことは言いたくないが、敵兵だって家族はいるだろうし、好きで戦場にやって来たとも限らないだろう。でも、そんなことを気にしていたら話が進まない。

ところが、気にする人物がいた。三国志で有名な天才軍師、諸葛孔明だ。陣中で没する間際、「数々の仲間を失い、幾多の敵を倒してきた…」と回想し、「次の人生は命のやり取りなどない…平和な世界に生まれ変わりたいものだ」と願う。そしてなんと、現代の日本に転生する。『パリピ孔明』の始まりだ。

生まれ変わった孔明のミッションは、すばらしい歌声で感動を与えてくれた歌手の卵、英子の軍師として、クラブ音楽による天下泰平をなしとげること。さまざまな秘策で英子を一歩一歩スターに近づけていくストーリーは、ギャグの楽しさと合わさって、読みだしたら止まらない。

なにより、前世では人を殺(あや)めることに向けられていた孔明の知力が、誰も傷つけずに使われるのがいい。企画の勝敗をめぐって一時対立したグループのメンバーやファンが和解し、ライブハウスで笑顔で楽しむ姿を見て、孔明は思う。「音楽…人…敵も味方もない」

そう、平和は武器ではなく、文化や商業を通じた人の交流がもたらすのだ。

2021-02-05

富の創造と政府の介入


バイデン新大統領の経済政策は、最低賃金の引き上げと絶え間ない金融緩和とが相まって、米経済の基礎に深刻な打撃を与えかねない。経済が長期停滞に陥るのを防ぐには、政府と中央銀行による経済への介入をなくし、企業が実物の富の創造に着手できるようにしなければならない。

企業のコスト削減は、以前の経営判断の誤りを正し、実物資産を再び生み出すために欠かせない。コスト削減は経済減速への対応であり、原因ではない。中央銀行が金融緩和で需要を刺激し、経済活動を支えようとすれば、結果は悲惨だ。金融政策はバブルとその破裂を引き起こす。

政府が誰かに支払うためには、実物の富を生む別の誰かに課税するしかない。結果、政府は富の創造を妨げ、経済の回復を弱める。実物資産の蓄えが減れば、財政支出をどれだけ増やそうと、実体経済は回復できない。財政支出を増やすほど、富を作り手から奪い、経済回復を弱める。

お金に対する需要とは、より多くの量のお金に対する需要ではない。お金の購買力に対する需要だ。自由な市場では、他の商品と同じように、お金の価格は需要と供給で決まる。お金の量が少なければ、交換価値が上がる。多ければ下がる。自由な市場ではお金に多いも少ないもない。

2021-02-04

リンカーンの過ち

The Problem with Lincoln: The False Virtue of Abraham Lincoln (English Edition)

左翼はつねに中央集権の政府権力を平等主義の名の下に擁護してきた。リンカーンは米国史上、誰よりも中央集権の官僚制構築に貢献し、差別反対の美辞麗句で有名なため、左翼から英雄としてもてはやされる。米国共産党はニューヨーク市の「リンカーンの日」まで祝ったものだ。

平等ではなく、政府の強制からの自由こそ、米国における立憲政治の中心テーマである。むしろ自由と平等は正反対のものであり、政治的・社会的に平等を強制しようとすれば、必ず自由の制限につながり、最後は自由を破壊する。

米国以外の諸国では、18〜19世紀に奴隷制を平和のうちに終わらせている。リンカーンの過ちは、他の国と同じように平和な奴隷解放を目指さなかったことにある。代わりに彼は一期目の大統領就任演説で、南部への介入を禁じる憲法修正案を支持し、奴隷制を永遠に守ると約束した。

なぜリンカーンは平和な奴隷解放を追求しなかったのだろう。奴隷解放は本当の目的ではなかったからだ。おもな目的はつねに「合衆国を救う〔州の独立を阻止する〕」ことにあった。新聞編集者への手紙で、もし奴隷を一人も解放しないで合衆国を救えるのなら、そうすると書いた。

2021-02-03

思想の犯罪化


米民主党が成立を目指す国内テロ防止法は、言論、表現、思想をほとんど犯罪化するものだ。情報機関、警察、軍部など支配階級の権限を強め、個人の信仰や思想を取り締まることが可能になる。宗教的過激派とは何なのか。福音派キリスト教徒か。中絶反対派か。根拠がわからない。

暴力に訴えるトランプ支持者をリバタリアン(自由主義者)と呼ぶのは、この言葉の伝統的な意味からかけ離れている。リバタリアンは政府が暴力に基づくことを批判する。米リバタリアン党は綱領で「他人に対して自分から物理的な暴力を振るうことを禁じる」と宣言している。

ワシントンのロシア大使館がトランプ支持者による攻撃に先立ち、議事堂の地図を発行していたら、何と言われただろう。ロシアのメディアが人々にデモを呼びかける記事を掲載していたら、欧米政府は何と言っただろう。ロシアの野党指導者ナワリヌイ氏を巡る騒動はまさにこれだ。

米国の外交政策をつくるのは議会でも大統領でもない。選挙で選ばれていない大企業・金融関係者だ。彼らは業界の総意を政界やメディアに広めるためシンクタンクを利用する。外交問題評議会、ブルッキングス研究所、ランド研究所、戦略国際問題研究所、大西洋評議会などだ。

2021-02-02

南北戦争の真実

33 Questions About American History You're Not Supposed to Ask (English Edition)

リンカーンが南部に侵攻したのは、奴隷制を廃止するためではなかった。本人が繰り返したとおり、暴力で合衆国の結束を維持するためだ。その目的のため多数が死傷した。彼は最初の大統領就任演説で、奴隷制が存在する州に干渉しないよう憲法の修正を支持するとさえ述べていた。

中世社会では、都市などが王の要求、とくに戦争中の支援の要求に抵抗し、自由を確保するのは当然で、美徳でさえあった。しかし近代国家は、市民がそう考えないよう仕向けた。中央政府の侵害に抵抗すれば、それは反逆罪だ。かつて美徳だった行為は、今や最も重い犯罪になった。

かつて合衆国は非中央集権で、州は中央政府に度々抵抗し、自由を守った。それが南北戦争によって中央集権の近代国家となり、あらゆる抵抗は反逆という悪になった。南部の独立を阻止する戦争は、独立という考えそのものに反対し、統一された中央政府を支持する戦争になった。

米南部が独立していれば、独立権で中央政府を牽制する連邦制のモデルとして、近代国家の代替案となっただろう。しかし独伊などの統一運動は昔も今も、申し分ない進歩として描かれる。もし欧州が非中央集権にとどまっていたら、世界は多くの悲しみを味わわずに済んだだろうに。

2021-02-01

政府債務と経済成長


政府債務が増えるほど、経済成長は鈍り、雇用の回復は弱くなる。今年のユーロ圏の経済回復は二つの点から期待外れになりそうだ。まず中央銀行による大量の資金供給は高水準の政府支出を長引かせ、公的債務を増やしている。次に企業の財務が悪化しており、投資の拡大が難しい。

This Time Is Not Different: More Debt, Less Growth | Mises Wire

政府と中央銀行の景気刺激策に強く期待する経済予測は、疑ってかかろう。債務が過去最高水準にあり、生産過剰が広がっている今ならなおさらだ。主流のマクロ経済リポートは、出所が複数でも、結局言っていることは同じ。「政府支出はいつも良いこと。中央銀行はいつも正しい」

Why Mainstream Economic Forecasts Are So Often Wrong | Mises Wire

ユーロ圏で生活コストの上昇に抗議が広がっているのは当然だ。中央銀行は「インフレは起こっていない」と言う。だが金融緩和のせいで金融資産価格は高騰している。消費者物価も公式統計では0.3%低下だが、生鮮食品は4.3%の上昇。ガソリンや電力は物価指数ほど下がっていない。

The ECB’s Latest Big Mistake | Mises Wire

米国は州の独立性が高く、起業家が多様で革新的であることなどから、反企業的な政策は計画どおりには実行されないだろう。米経済はアナリストが思う以上に回復力があり、欧州や中国に負けるとは考えにくい。マスコミをにぎわす政治より、中小企業など経済の現実に注目しよう。

Compared to Europe and China, America Is Still a Safe Bet | Mises Wire

>>翻訳@時事