2016-11-30

カストロの実像

Abigail R. Hall Blanco, Make No Mistake: Fidel Castro Was a Horrible Person(間違いなく、カストロはひどい人間だった)より抜粋。

カストロは政権初期の十年、さまざまな「進歩的」(progressive)改革を行った。支持者によれば、国民の読み書き能力を高め、平等を実現しようとしたという。映画監督マイケル・ムーアは愚かにも、キューバの医療制度を映画「シッコ」でほめ称えた。

カストロ支持者が無視しがちなのは、カストロ政権が行った数々の人権侵害(human rights abuses)である。元政府関係者の集団処刑、同性愛者の強制収容、大規模な国民監視はごく一例にすぎない。

1952年5月から今までにキューバ政府によって殺害されたのは推定1万723人。これらの殺害(killings)に加え、およそ7万8000人が国外逃亡を図った際に死亡したとみられる。

現在キューバ人はちょっとした医療措置を受ける際にも、「献血」を求められる。メディアは年中キャンペーンを張り、「命を救う」ため献血を促す。実際には、キューバ政府は血液製剤(blood products)を輸出し続けてきた。

カストロは一人の老人として安らかに死んだ。カストロ政権の暴力によって非業の死を遂げた多数のキューバ人(Cubans)は、そうではない。

2016-11-29

上念司『財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済』

財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済 (講談社+α新書)
財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済 (講談社+α新書)

財政破綻しないのはよいことか


個人や団体が借金で破綻しないことは一般には望ましいものの、いつもそうとは限らない。とくに国の財政の場合、破綻しないのはむしろ悪である場合が少なくない。国の収入源は税であり、税は借金に責任のない国民まで苦しめるからだ。

著者は、財政破綻を避けるために増税が必要とする財務省やマスコミの主張を批判する。またUR(都市再生機構)など政府系法人の業務を縮小し、不要な出資金を政府に返せと述べる。これらの主張は正しい。ところがその後がいけない。

著者は、徴税権と通貨発行権を持つ政府を不死身の「鈴木さん」にたとえ、鈴木さんの仕事は町内会を回って会費を集めることで(徴税権) 、鈴木さんの妻は偽札作りの名人 (通貨発行権)なので借金を返せなくなることはないという。

しかし、考えてもみてほしい。鈴木さんと同じ町内に住む人々は幸せだろうか。無駄遣いされない保証もないのに町内会費を取られ、いつ偽札をつかまされるかわからない。こんな形で鈴木家の破綻が避けられても、他の住民には迷惑でしかない。

むしろ住民にとっては鈴木家が破綻し、夜逃げでもしてくれたほうがましだろう。著者によると、財政破綻で公営医療が崩壊した北海道夕張市では、意外にも老人が元気になり、寿命も延びたという。財政破綻は必ずしも悪いことではない。

2016-11-28

貿易は職を奪わない

Benjamin Powell, Protectionism Will Make America Poor, Not Great(保護主義は米国を偉大にせず、貧しくする)より抜粋。

トランプ米次期大統領はブルーカラー有権者の票を多く集めた。その理由は、「貿易は米国の雇用を破壊する」というよくある誤り(popular fallacy)を有権者が信じていることだ。経済学者なら誰もが知っているとおり、貿易は雇用を生みも壊しもしない。

輸入が増えると、それと競合する国内産業(domestic industries)の雇用はしばしばなくなる。これは有権者に見える。有権者が気づかないのは、まさにその輸入によって他に雇用が生み出されることだ。

輸入の半分以上は部品や原料(raw materials)で、他の製品・サービスの生産に使われる。貿易で部品や原料が値下がりし、手に入れやすくなると、それを使う国内産業は競争力が高まって販売量が伸び、その結果、雇用を生み、増やす。

同じく、外国人(foreigners)が米国に輸出してドルを受け取ると、より多くのものが買えるようになり、米国の輸出市場が広がる。これは米国で輸出産業の雇用を増やす。

国際貿易は国内雇用の数ではなく、組み合わせ(mix)を変える。それによって、米国の労働者も外国の労働者も、それぞれ相対的に生産性の高い仕事を行うことができるようになる。

2016-11-27

水野和夫『株式会社の終焉』

株式会社の終焉
株式会社の終焉

寛容の強制?


「寛容」とは、「心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」(大辞泉)を意味する。この正しい意味であれば、寛容になろうという主張には大賛成だ。ところが本書では逆の意味で使われる。

著者は本書で、近代が終わりを告げる21世紀の原理の一つは「より寛容に」だと述べる。これが正しい意味の寛容であれば、結構なことである。ところが著者によれば、現在求められる寛容とは、具体的には「応分の税を企業も個人も負担すること」だという。

なぜ「応分の税」の負担(つまり増税)が寛容なのか。著者によれば、寛容主義のもっとも象徴的なのは贈与だが、国全体が危機に陥っているとき、個々人の善意に頼っていてはうまくいかないからだという。いわば寛容を強制するわけだ。

しかし強制された寛容は、もはや寛容の名に値しない。カントが述べたように、道徳的行為は自由意志に基づかなければならないからだ。そもそも、これ以上税を払いたくないという考えを否定する著者の発想自体、寛容の精神に反する。

著者はまた、新たな時代に対応するため、企業は減益計画を立て、現金配当をやめて現物給付にせよと提案する。そんな会社に誰が出資するか疑問だが、試すのは自由である。ただし強制だけはやめてほしい。それは寛容の精神に反する。

2016-11-26

ファシズムは社会主義

George Smith, Ayn Rand Predicted an American Slide toward Fascism(アイン・ランドの予言――米国はファシズムに向かう)より抜粋。

米作家アイン・ランドは賢明にも、「社会主義(共産主義)は左翼思想の過激版」「ファシズムは右翼思想(資本主義)の過激版」という従来の二分法(dichotomy)を認めなかった。ランドによれば、ファシズムとは「大企業のための社会主義」である。

社会主義とファシズムはどちらも国家主義(statism)の一種であり、それと対照的なのは、個人の権利と自由放任資本主義に基づく自由な国である。

ランドによると、社会主義とファシズムを政治的立場の両極端に位置づけることは、あるよからぬ目的に役立つ。それは「過激主義」を避け、「混合経済」(mixed economy)という分別ある中道路線を選ばなければならないという考えを強化することである。

ランドによれば、福祉国家を支持する米国人の多くは社会主義者ではない。彼らは私有財産の保全を求める一方で、私有財産に対し政府が支配を強化するよう求める。しかしそれこそがファシズムの基本的特徴(fundamental characteristic)なのだ。

ランドは、米国が完全な(full-blown)ファシズムに陥ったと言ったわけではない。しかし道徳は利他主義、集団主義に基づくという〔誤った〕前提をリベラルも保守主義者も同じように受け入れ、主張していると信じた。

2016-11-25

高橋洋一『これが世界と日本経済の真実だ』

これが世界と日本経済の真実だ
これが世界と日本経済の真実だ

偽りの増税反対

昔、猿回しが猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと喜んだという。目先の違いに気をとられ、実際は同じであるのに気づかない「朝三暮四」の由来だ。

著者は消費増税に反対する。それには賛成だ。だが残念ながら、著者の増税反対は本物ではなく、朝三暮四でしかない。それはこの記述に明らかだ。「消費増税するとしても、増税をする前に経済を立て直してから増税を行うとすればいい」

不況で国民の生活が苦しいときに増税をやめるのは正しい。しかし不況が終わったら結局増税されるのでは、楽になるはずの生活は楽にならない。より正しい政策は、不況時に消費税率を引き下げ、不況が終わっても元に戻さないことだ。

一方で著者は、アベノミクスの金融緩和を高く評価する。だが金融緩和とは国民の持つ現預金の価値をわざと引き下げることで、形を変えた増税である。著者自身、別の場所で「インフレ税」と呼んでいる。財務省の露骨な増税より悪質だ。

さらに著者は、国税庁と年金機構を一体化した「歳入庁」の創設を提案し、メリットとして「税と保険料の歳入増」をあげる。自営業や農家の徴収漏れを苦々しく思うサラリーマンの心情には訴える議論だが、それなら正しい道は自営業などの徴収強化ではなく、サラリーマン減税だろう。

財務省の増税路線に対する著者の批判は正しい。しかし増税そのものに本気で反対するつもりはないのではないか。そんな疑念が強まるばかりだ。

2016-11-24

自由貿易の幻

Scott Lincicome, Don't Blame Free Trade. We Don't Have It.(自由貿易は悪くない。米国は自由貿易ではないのだから)より抜粋。

トランプ氏が次期大統領に決まり、米国で「偉大な自由貿易の時代(free trade moment)は終わろうとしている」という声をよく聞く。一見もっともらしいが、完全に間違っている。

米国の関税率は平均すると約3%と比較的低いものの、さまざまな「政治的に微妙な」(politically-sensitive)(つまり、熱心にロビー活動された)製品には高い関税をかけている。ピーナッツ131.8%、ツナ35%、乳製品20%、軽トラック25%などだ。

米国では非関税障壁(non-tariff barriers)も近年急増している。輸出補助金、差別的規制、国産品購入ルール、フェアトレードの義務づけなどだ。あらゆる形式の貿易障壁を足し合わせると、世界一保護主義的な国は中国でもメキシコでもなく、米国である。

米国は373品目に対し保護主義的な税(protective duties)をかけており、うち90%以上は最近3年間に始まったものだ。中国製品は140品目を占め、関税率はしばしば100%に達する。

米鉄鋼業は反ダンピング関税や相殺関税の半数以上で保護されている。にもかかわらず、トランプ次期大統領らから「無制限な」(unfettered)自由貿易信仰の犠牲者と呼ばれる。鉄鋼、繊維業の不振や労働者の生活苦は、保護が足りないせいではない。

2016-11-23

井出留美『賞味期限のウソ』


食品ロスは不合理か

19世紀フランスの経済学者バスティアは、悪い経済学者は「見えるもの」についてしか考えないが、良い経済学者は「見えないもの」についても考えると強調した。この違いは経済学者だけでなく、経済ジャーナリストにもあてはまる。

本書は残念ながら、「見えるもの」についてしか考えていない。農林水産省の調査によれば、日本の食品ロス量は632万トン(2013年度)。著者は、これは世界の食料援助量の約2倍に達し、「明らかに異常な数字」と警鐘を鳴らす。

しかし日本の食料廃棄量は外国と比べ突出して高くはないとの指摘もあるし、そもそも信頼できる統計が少ない。一歩譲って、かりに日本の食品ロスが世界有数の多さだとしても、それがすなわち「大きな不合理」だということはできない。

スーパーやコンビニで食品が売れ残る一因は、欠品が出ないよう多めに作るからだ。著者は「商品がいつも棚にぎゅうぎゅうに並んでいる必要はあるのでしょうか」と消費者に反省を促す。だが店に商品がなければ、消費者は時間を無駄にする。

消費者は多くの場合、生産者やそれを助ける人々だから、商品探しに時間を浪費すれば、その分生産が減る。生産が減れば、飢餓や貧困はむしろ悪化する。政府が食品ロスをなくそうと税金を使い、規制を強めれば、それも生産性を下げる。

食品ロスは、見切り品の安売りなど市場原理を利用して減らせる。だがそれ以上無理に減らそうとするのはよくない。無理な食品ロス減らしは、目に見えない時間ロスと人々の不幸をもたらすだけだからである。

2016-11-22

最低賃金上げで苦しむ庶民

Brittany Hunter, Can Parents Afford a Higher Minimum Wage?(親は高い最低賃金を払えるか)より抜粋。

米ワシントン州は住民投票で、2020年までに最低賃金(minimum wage)を時給9.47ドルから13.5ドルへ段階的に引き上げることを決めた。最初の引き上げは来年1月だが、地元の雇用主は賃上げ分を捻出する方法をすでに探り始めている。

同州のある託児所では賃上げ分を料金(tuition)に上乗せするしかなく、多くの親たちは驚き、心配している。1月からの値上げ幅は子供1人につき月140ドル。子供の多い親は月数百ドルの負担増となる。

もっと安い託児サービスを探しても、あいにく代わり(alternatives)はなさそうだ。地元の報道機関が地域の託児所を当たったところ、料金引き上げが地域内で一律となるのは今のところ避けられそうにない。

州が値上げ分を払ってくれたらどんなにいいことだろう。しかし州が直接収入(revenue)を得ようとすれば、住民から取るしかない。税金で直接取るにせよ交通違反などの罰金を充てるにせよ、賃上げ分をまかなうのは無理だ。

市場の需要や企業の利益と無関係に、賃金を人為的に引き上げると、必ず経済的な窮乏(financial hardships)をもたらす。誰でも子供のころ、お金は木にはならないと教わる。最低賃金引き上げを支持する人たちは、その教えを忘れてしまったようだ。

2016-11-21

スコット『ゾミア』


脱国家の知恵

国家という政治形態が世界の隅々まで行き渡る現在、国家の外部で生きることなどありえないと私たちは信じている。しかし人類史の大部分において、それは現実的な選択肢だった。本書は東南アジアを舞台に、興味深い事実を詳細に描く。

「ゾミア」とはベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマの5カ国と中国の4省を含む丘陵地帯を指す。ここには国民国家に統合されていない約一億の山地民が住む。彼らは税を払わず、相対的に自由で、国家をもたない人々である(p.19)。

山地民などの「野蛮人」は、原始からの生き残りだと一般に思われている。著者はそれに異を唱える。辺境民の生業、組織、文化は古代からの伝統や慣習ではなく、国家への編入や権力の集中を防ぐため、意図的に設計されたものだという(p.8)。

たとえば焼畑は水稲より古くて非効率というのは誤解にすぎない。焼畑民は鉄斧のおかげで開墾の労力が大幅に減ったし、ハーブや胡椒などの高級品を国際交易で売り、痩せた土地でも育つキャッサバなど新大陸産の作物も入手し栽培した(p.199)。

キャッサバなど根菜類・塊茎類の利点は軍隊や徴税人の収奪から安全なことだ。熟成した実は二年くらいまでならそのまま土の中に置いておけるから、略奪すべき穀物倉庫がなくて済む(p.198)。国家が管理しやすい定住民による稲作とは対照的だ。

「ゾミアが非国家圏であり続けるのもそう長くはないだろう」(p.ix)と著者はいう。しかし一方で、人類史上、国家は恒久不変のものではなく、形成と崩壊を反復してきたとも指摘する(p.7)。

納税や徴兵の負担が限界に達すると、人々は辺境や別の国家にすばやく逃げた。「民衆にとっては逃走という物理的行為こそが自由の源泉であり、逃避こそが国家権力に対する主要な抑制力であった」(p.33)

現代は国家の支配力が強まった半面、交通・通信手段が飛躍的に発展し、ある意味では国家から逃げるチャンスも広がっている。本書に示された「脱国家」の知恵があらためて注目される日は遠くないだろう。

2016-11-20

賃上げ政策の愚

Mark Thornton, Mandating Higher Wages Won't Fix Japan's Economy(賃上げ強制で日本経済は良くならない)より抜粋。

アベノミクス(Abenomics)の考えによれば、賃上げ政策は消費を増やし、経済成長をもたらす。しかし実際には、政治主導の賃上げはむしろ仕事を減らし、雇用創造を遅らせる。何かの値段を上げれば、他の条件が同じなら、需要の量は減るからである。

仕事を増やすのは賃上げではなく、賃下げである。事業家が雇用を増やすのは市場で賃金率が下がったときだ。仕事が増えると生産が増える。生産が増えると、通貨量が変わらない限り、物価が下がる。すると賃金の実質購買力(real purchasing power)が高まる。

ケインズ主義者(Keynesians)とその親戚であるアベノミクス主義者は、デフレ(物価下落)を恐れる。デフレに近づくだけで壊滅的な不況に陥り、二度と立ち直れなくなると恐れる。このデフレに対する恐怖心には、理論や事実の裏づけがない。

大恐慌当時、フーバー米大統領(President Herbert Hoover)は高い賃金を維持させる政策を試み、かえって不況を悪化させた。これは保護貿易、インフレ政策など他の介入政策とともに、大恐慌をもたらした主因の一つである。

もし安倍晋三(Shinzo Abe)首相が日本の実質賃金と雇用を改善させたいのなら、過去に失敗した賃上げ政策を繰り返してはならない。それはいたずらに不況を長引かせるだけだったのだから。

2016-11-19

清武英利『プライベートバンカー』

プライベートバンカー カネ守りと新富裕層
プライベートバンカー カネ守りと新富裕層

苛政は虎よりも猛し

孔子が泰山の近くを通ると、墓の前で泣く女がいた。「舅と夫と子が虎に食い殺された」と言う。孔子が「なぜここを去らないのか」と尋ねると、女は答えて、「重税を課すむごい政治がないから」。本書を読んで、この故事を思い出した。

舞台は課税優遇地のシンガポール。日本から税逃れのため多くの資産家が移住する。一番の望みは子に財産を残すこと。1年の半分以上を現地で暮らし、それを5年間続ければ、海外資産の相続税は払わなくて済むようになるといわれる。

しかし移住した資産家たちは精神が満たされない。多くは一代で財を成した事業家。税逃れのためにただ時間をつぶすのは虚しい。英語ができないと現地で仕事は難しい。関西出身の資産家は酔って「南国の監獄の中にいるようや」と嘆く。

ある元病院長は、何をするにもがんじがらめで自由のない日本を見限り、終身旅行者の人生を選ぶ。問題は、犯罪の多い国では自分の身は自分で守らねばならないこと。彼は信頼していた銀行家の陰謀にかかり、あやうく殺されそうになる。

異国の地がどんなに味気なく、ときに危険を伴っても、資産家が「南国の監獄」を選ぶのは、日本の税がそれだけ苛酷だからだ。精力的な事業家を重税で虐げ、国外に追いやる日本。孔子が聞けば「苛政は虎よりも猛し」と憤るに違いない。

2016-11-18

あなたの国をつくろう

Justin Murray, Secede and Decentralize: An Open Letter to Clinton Supporters(離脱と分権化を――クリントン支持者への公開書簡)より抜粋。

米国各州を今回の大統領選の支持候補別に色分けすると、一部を除き、分離独立(secession)によって少なくとも3つの国(クリントン支持者の多い2カ国とトランプ支持者の多い1カ国)に分かれるのに、おあつらえ向きの分布となっている。

米国がカスカディア(ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、ネバダ、ハワイ州)、ニューイングランド(バージニアからメーンの民主党支持州)、米国(その他)の3カ国(three entities)に分かれても、GDPは世界でそれぞれ2、4、6位と上位だ。

米国が3カ国に分離すれば、貿易慣行、移民政策、外交政策、軍事支出、裁判制度、金融政策などを、より望ましい形で調和させることができる。選挙人制度(Electoral College)の代わりに直接選挙や欧州式議会の導入だってできるだろう。

現状のままだと、クリントン支持者の望みは一つしかない。リベラル思想(your philosophy)が無党派層の支持を再び集め、自分のライフスタイルを他人に押しつけられるようになることだ。それは自分がそうされるリスクと背中合わせである。

米国から離脱すれば、クリントン支持者はトランプ政権の下で暮らさなくて済むし、自分自身の運命を切り拓くことができる。今の米国で選挙のたびに繰り返される対立や不和(strife and divisiveness)から解放されるのである。

2016-11-17

伊東ひとみ『キラキラネームの大研究』

キラキラネームの大研究(新潮新書)
キラキラネームの大研究(新潮新書)

国語政策が壊した日本語

漢字のわかりにくい読み方を用いた「キラキラネーム」は日本語を壊す、という批判がある。しかし著者が指摘するとおり、それは因果関係を取り違えている。日本語の漢字の体系が壊れかけているから、キラキラネームが増殖するのだ。

日本語はやまとことばを中国からの輸入品である漢字で表記する。だから無理な読み方は日本語の宿命でもある。堂々たる正統派の名前である「和子」の「和」を「かず」と読むのも実は無理読みで、江戸時代に本居宣長が嘆いたという。

奇抜な名でも、漢籍の教養が生きていた時代には、漢字の意味はおろそかにされなかった。森鴎外の長男の名「於菟(おと)」は「オットー」というドイツ人風の響きに目が向きがちだが、実は中国の古典『春秋左氏伝』に由来するという。

漢字の体系を崩したのは、明治以来の国語政策だ。とくに戦後、「佛」は「仏」に略されたが、同じ部首の「沸」はそのまま。「訣別」は「決別」としたのに、「秘訣」を「秘決」と書くのはダメ。一時は「お母さん」が認められなかった。

今やパソコンの普及で漢字の整理も使用制限も無意味になった。キラキラネームを行政が規制せよとの声もあるが、著者は現状が「公的権力の介入の結果」だと指摘し、規制に反対する。言葉に必要なのは、自由な使用を通じた進化である。

2016-11-16

トランプと金本位制復活

Larry White, What We Know About Trump's Monetary Views(トランプの通貨構想についてわかっていること)より抜粋。

実は、米政府はフォートノックス(Fort Knox)などの金塊貯蔵所に金本位制の復活に十分な量の金がある。1オンス1280ドルとすると、政府保有の2億6150万オンスは約3350億ドル相当。現在必要な銀行準備金はわずか1680億ドルだ。

見方を変えると、政府の保有する約3350億ドル分の金は、3兆3470億ドルあるM1(現金と要求払預金の合計)の10%強にあたる。これは過去の基準からみて十分すぎるほど健全な準備率(reserve ratio)である。

この点からみて、金本位制の復活(restoration)は大いに実現可能である。連邦準備理事会は量的緩和を終わらせたうえで、民間銀行の支払準備を金に交換し、それをドル紙幣の裏付けにできるだろう。ドル紙幣はかつてのように金との兌換が可能になる。

さらに望ましいのは、政府が民間銀行に対し自前の通貨(own currency)の発行を再び認めることだ(もしすでに法律上可能なら、処罰しないと約束すること)。

トランプ次期大統領はどうやら、低すぎる金利は誤った投資を誘い、資産バブルを生むことに気づいたようだ。(財務長官候補とされる)ヘンサーリング下院議員(Rep. Jeb Hensarling)らが唱える改革案に賛成し、連銀に金融政策のルールを課すかもしれない。

2016-11-15

村上由美子『武器としての人口減社会』

武器としての人口減社会~国際比較統計でわかる日本の強さ~ (光文社新書)
武器としての人口減社会~国際比較統計でわかる日本の強さ~ (光文社新書)

平等強制の誤り

女性は不当に束縛されず、自由に生きる権利がある。なぜなら人間はすべてそうだからである。しかし人間はともすれば、男女を問わず、他人の自由を不当に束縛することに鈍感になりがちだ。本書の著者も、その誤りに陥っている。

著者は、企業で指導的立場に立つ女性が少ない日本の現状を打破するには、男女の待遇差別を罰する制度の強化など「ムチ」に関する議論が必要と述べる。しかし誰を雇い、どのように待遇するかは、事業主にとって大切な自由のはずだ。

著者が女性の自由を大切に思うのなら、事業主の自由も尊重し、それを侵害しかねない法規制には慎重でなければならない。「差別」の処罰強化で事業主の自由が束縛されれば、それは経済全体だけでなく、女性自身の利益にもならない。

待遇の違いが不当な差別に当たるかどうかは微妙なケースが多い。罰則強化で企業が萎縮し、女性差別と受け止められないことを第一に人事を決めるようになれば、規制の緩やかな国の企業との競争で不利になり、払える賃金は少なくなる。

著者の元勤務先であるゴールドマン・サックスでは、性差別で訴えられるのを防ぐため、幹部社員に研修を徹底していたという。だが企業のそうしたコストを負担するのは結局消費者だ。生活費が上がり、低賃金の女性が苦しむことになる。

日本で女性の子育て後の継続就業が難しいのは、長期雇用保障、年功昇進・賃金の日本的雇用慣行が暗黙のうちに「夫は仕事、妻は家事・子育て」という家庭内の役割分担を前提としているからだ(八代尚宏『新自由主義の復権』)。背景には労働組合をはじめ利益団体の既得権があるため、改革が進まない。

著者は労働市場の流動化を高めるよう唱える。これは既得権に踏み込む改革だから賛成だ。しかしせっかく労働を流動化しても、女性「差別」が厳罰の対象となれば、企業は女性の採用に尻込みしかねない。権力によって平等を強制しても、人間は幸せになれない。

2016-11-14

トランプ政権に求める経済政策

Mises Institute, 7 Things Trump Must Do(トランプがなすべき7つのこと)より抜粋。

トランプ政権に求める経済政策。

(1)医療保険制度改革(オバマケア)の撤回。医療保険(health insurance)で州同士の競争を妨げない。医療と医療保険は市場に任せる。

(2)千ページもある国際貿易協定(international trade agreements)を、明確な言葉遣いの一つの段落に書き直すこと。米国のあらゆる企業・消費者が、世界中のあらゆる企業・消費者と互いに満足できる条件で取引できるようにする。

(3)マリファナに対する連邦政府の規制廃止。マリファナなど薬物の規制は州に任せる。理想は「麻薬との戦い」(Drug War)をやめ、成人によるあらゆる薬物の製造・使用を合法化すること。

(4)連邦政府の最低賃金(minimum wage)を現行水準に固定するか引き下げること。最低賃金法は州に任せる。理想はあらゆる最低賃金法の廃止。最低賃金法は職を破壊するから。

(5)法人税率(corporate tax rate)を引き下げ、先進国で最低にすること。理想は法人税の廃止。配当に所得税を払う株主に対する二重課税だから。

(6)連邦準備理事会に対し、あらゆる形式の量的緩和(quantitative easing)と金利規制を法的に禁止すること。預金者と投資家の金利は市場で決めなければならない。また、連邦準備制度の予算は一般の省庁同様、議会の定める予算で決めること。

(7)繰り返す金融危機と不況に対する長期の対策として、現行の膨張したドル紙幣を別の貨幣制度で置き換えるよう真剣に検討すること。それによってたとえば金本位制(gold standard)のような、健全で市場に立脚した商品貨幣を育てる。

2016-11-13

スティグリッツ『ユーロから始まる世界経済の大崩壊』


緊縮財政への不当な非難

ケインズが生んだマクロ経済学は、経済の量的側面だけを重視し、質を無視する。雇用が減るのは問答無用に悪いと考え、雇用を増やす政策は無条件で良い政策だと称える。著者のような政府の覚えめでたい経済学者ほど、その過ちを犯す。

著者は「緊縮財政が国家に押し付けられれば、政府は歳出を削減し、結果として国民は仕事を失う」と述べる。それは正しい。しかし緊縮財政を非難する根拠にはならない。社会にとって重要なのは仕事の量ではなく、仕事の中身だからだ。

公共事業で道路や空港を造り続ければ、たとえほとんど使われなくても、仕事は維持できる。だが社会の利便を高めたことにはならない。仕事は社会を便利にするためのものだ。仕事を維持するために社会に不便を強いては本末転倒である。

著者によれば1929年の株価大暴落の際、フーバー米大統領は「緊縮財政策を採用し、株価暴落を世界大恐慌へと発展させてしまった」という。この俗説は誤りで、実際にはフーバーは積極的に財政出動し、それで経済を悪化させたのだ。

仕事を失うことはもちろん大変だ。だからといって無駄な公共事業で無理に雇用を維持すれば、労働者は将来性のある仕事に転じる機会を逃し、後々かえって苦しむことになる。目先の雇用さえ増えれば満足な著者には、それがわからない。

著者は公共事業は税金の無駄遣いという批判を意識してか、国家を企業にたとえ、政府が借金を原資にインフラや教育や技術に投資すれば、国民の暮らしを上向かせる可能性があるという。もしそれが可能なら、ソ連などの社会主義国では国民の不満もなく、破綻もしなかっただろう。どんなインフラ、教育、技術がどれくらいのコストなら有用かを判断できるのは、市場だけである。

2016-11-12

ヒラリーの敗北、女性の勝利

TJ Brown, Dear Women: A Hillary Clinton Loss Does Nothing To Harm Your Personal Ambitions(女性の皆さんへ――ヒラリー・クリントンが負けても、あなた個人の志は妨げられない)より抜粋。

女性進出を阻む「ガラスの天井」(glass ceiling)は、一人の女性を公職に就ければ破れるものではない。破るのは、自身の幸福を求める個々の女性だ。ヒラリー・クリントンの敗北は女性の敗北だという評論家の言葉を信じてはいけない。真実は正反対だ。

独裁的支配者(authoritarian ruler)の敗北は、それが男であれ女であれ、個人が目標を達成する可能性にとって勝利である。トランプもヒラリーも、ガラスの天井を破るために本当に役立つことには関心がない。それは独立と自由である。

歴史上、女性が最も偉大な業績を実現したのは選挙によってではない。市場で、人間の行動(human action)と個人主義を通じてである。だからヒラリーの敗北はヒラリーだけのものでしかない。

文明の進化は、ヒラリーが政治家をやめた後もずっと続く。それまでに世界中の何十億人もの女性がはるかに重要な役割を果たし、革新を起こし、歴史の流れを導くだろう。彼女たちの99%はそれを政治以外の手段(voluntary means)で成し遂げるだろう。

自分が望む変化を世界に起こしたければ、そのためにただ投票するのではなく、最初の一歩を踏み出そう。大統領になる必要はない。資本主義があらゆる人の創造力と夢への情熱(visionary passions)に機会をもたらす。

2016-11-11

ソミン『民主主義と政治的無知』


政治教育はいらない

メディアはしばしば、国民が政治に無知だと嘆く。たしかに政治的無知は、国民自身の身を危うくしかねない。しかし本書が述べるとおり、政治的無知にはそれなりの合理的理由がある。知識を無理強いするより、すぐれた解決策がある。

大部分の人々にとって、政治的無知は合理的でありうると著者はいう。「政治について最小限の時間と努力を費やすことは利益よりも費用の方が大きい」(p.64)からだ。個人として有権者が選挙結果に影響を及ぼす確率は、ほとんど無である。

だから通念に反し、投票率の上昇は必ずしも望ましくないと著者は指摘する(p.198)。政治的無知が広がる中で投票率を上げれば、投票者の平均的な知識レベルを引き下げ、政治的無知がもたらす危険を悪化させるかもしれないからである。

教育を通じた政治的知識の向上が叫ばれるが、期待はできない。学習から得られる利益が十分大きくないからだ。国民が無知なおかげで当選した政治家にも、人々の知識レベルを向上させるようなカリキュラム改革を行う気はないだろう(p.176-177)。

より賢明な解決策は、自分が望む州や地域に移住する「足による投票」である。移住のコストはかかるものの、投票箱による投票よりも情報獲得の意欲がわくし、判断に必要な情報量も少なくて済む。

「足による投票」の促進には、政府機能を州や地方の政府に分権化することや、もっと多くの争点を始めから政府の外で決定することが鍵となる(p.199)。

2016-11-10

選挙の勝者は憎悪

Jeffrey Tucker, And the Election Winner Is…Enmity(そして選挙の勝者は…憎悪)より抜粋。

ショッピングモール、バー、レストラン、野外パーティー、教会、映画館、コンサート、またスポーツ大会でさえ、心地よい調和(blessed harmony)を感じる。人々はたいていの場合、仲良くやる。他人を国家の敵と呼んだりしないし、よそ者とも助け合う。

一方、大統領選で政治大会に行ったり、家族と政治について議論したりしたときは、様子がまったく違っただろう。NYタイムズのコラムニスト、デビッド・ブルックス(David Brooks)によれば、「今回の大統領選は社会の分断を学ぶ場」だったそうだ。

巨大な政府を作り、派閥争いをすると、問題が起こる。勝つ側と負ける側が出るのだ。選挙の結果にかかわらず、恨み(resentments)が残る。復讐の準備が始まる。しかし忘れてならないのは、これはほとんど政治だけの話ということだ。

政府は大きくなればなるほど、生活の平和な領域(peaceful areas)をしだいに侵す。社会に不要な分断を生み出す。政府自身がもたらした問題を解決するために、政府をもっと大きくしようと唱える。

今私たちは二つの世界に生きている。対立の世界と調和の世界だ。あなたはどちらを信じ、求めるだろうか。日常生活で目にする利益の調和(harmony of interests)を支持するだろうか、それとも大統領選で見せつけられた対立を求めるだろうか。

2016-11-09

植木雅俊『仏教、本当の教え』

日本仏教の権力迎合

すぐれた宗教は、世俗の権力や権威とは異なる価値観を示す。インドで生まれた仏教もそうである。ところが本書によれば、中国を経て日本に渡った仏教は、最初から国家のためという思想で始まった。その影響は現在にも及んでいる。

著者によると、インド哲学者の中村元は常々、「インド仏教では、国王を泥棒と同列に見ていた」と話した。人の物を取り上げる点で変わりないからだ。泥棒が非合法的に取る一方、国王は税金という形で合法的に取るのが違うにすぎない。


中国では、天命を受けた帝王に民衆は服従するものとされた。一切衆上の平等や慈悲を説く仏教とは対立する。北宋の初め、国家は宗教を従属させるが、それでも仏教者は、国家のために積極的に働こうとまではしなかったとされる。

ところが日本の仏教は伝来した当初から、鎮護国家の思想が支配的だった。ここがインドや中国との大きな違いという。また、インド仏教では「人」より「法」を重視するが、日本では聖徳太子信仰や弘法大師信仰など個人崇拝が顕著だ。

国家など帰属する集団を優先し、自己の自覚に乏しい傾向は、仏教用語の意味にまで影響する。「義理」とは本来「ものごとの正しい筋道」を意味するが、日本では「義理を欠く」などと「目上の人に対する義務」という意味で用いられる。

日本でも仏教が政治と違う価値観を貫く時代はあった。元寇や島原の乱の戦死者は「怨親平等」の精神から、敵味方の区別なく弔われたという。明治政府はここから逸脱し、靖国神社には官軍だけが祀られ、賊軍の死体は野ざらしにされた。

世俗権力に迎合し、同じ価値観を説くのであれば、宗教の存在意義はない。国家に対する批判精神の弱さは日本仏教の弱点である。税は合法的な窃盗にすぎないと覚めた目で突き放す、仏教の原点に立ち返る必要がある。

2016-11-08

カール・シュミットの亡霊

Tom G. Palmer, Carl Schmitt: The Philosopher of Conflict Who Inspired Both the Left and the Right(カール・シュミット――左右両翼を奮い立たせた対立の哲学者)より抜粋。

カール・シュミット(Carl Schmitt)はドイツの法学者で、著書『政治的なものの概念』は、自由主義に反対する左翼と右翼に大きな影響を及ぼした。シュミットによれば、政治上の相違をせんじ詰めれば、友と敵(friend and enemy)の関係に行き着くという。

マルクス主義哲学者のスラヴォイ・ジジェクによれば、反自由主義的な左翼・右翼の政治思想家はいずれもシュミットの「友敵関係」説を信奉している。この左右の思想家たちにとって、「生まれつきの敵意」(inherent antagonism)こそが人間の本質である。

近年、「カール・シュミット業界」をにぎわすのは極左だ。シュミットの思想は自由主義と平和への攻撃で中心的役割を果たす。左翼著作家アントニオ・ネグリと文学研究者マイケル・ハートは「新たな共産党宣言」(new Communist Manifesto)として売り込んでいる。

シュミットの政治思想は米国のネオコン(新保守主義)思想とも関係がある。おもにシュミットに影響を及ぼした哲学者レオ・シュトラウス(Leo Strauss)とその一派(ウィリアム・クリストルやNYタイムズのデビッド・ブルックスら)を通じてである。

シュミットにとって自由貿易は戦争に代わる平和的手段ではなく、戦争よりも残忍な搾取をごまかすものにすぎなかった。普遍的人権(universal human rights)という自由主義の考えも、友敵関係を否定するものとして拒絶した。

2016-11-07

トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』

問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)
問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)

国家依存は個人の自立

日本語で「自立」とは、「他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと」(大辞林)を意味する。フランス語でも同じだろう。ところがフランスの高名な知識人であるはずの著者トッドは、それを無視し、おかしな議論を展開する。

核家族は「個人を解放するシステム」だが、「そうした個人の自立は、何らかの社会的な、あるいは公的な援助制度なしにはあり得ません」と著者はいう。自立は援助なしにありえないとは、言葉の定義に反する珍妙な主張である。全体主義を描いたジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する標語「自由は隷属である」を思わせる。

著者は、「ネオリベラル革命」は国家による個人の援助をなくして「個人が家族に頼らざるを得ない状況」を作り出し、「個人の自立」を妨げているという。家族に頼るのは自立に反し、国家に頼れば自立とは、これまたわけがわからない。

家族、親族、部族は個人の自由を縛る場合もある。だからといって、個人が国家に助けてもらう必要はない。そもそも国家は自前の財産がないから、人を助けることはできない。真の自立を築くのは、市場取引を含む個人間の自発的協力だ。

米国で1935年、ルーズベルト大統領が社会保障を導入し、その後の繁栄の礎になったと著者は述べる。因果関係があべこべだ。米国は経済が比較的自由だから繁栄し、そのおかげで社会保障を維持できたのである。政府は富を生まない。

以前の共著『グローバリズムが世界を滅ぼす』では、著者は真の問題がネオリベラリズム(新自由主義)ではなく、官民癒着の縁故資本主義であることを正しく認識していた。ところが今回の本ではそれを忘れたかのように、言葉の定義を無視してまで、俗耳に入りやすいネオリベラリズム批判を繰り返す。残念である。

2016-11-06

悪いのはグローバル化か

Patrick Trombly, Central Banks Have Robbed Us Of the Benefits of Free Trade(中央銀行は自由貿易の利益を盗んだ)より抜粋。

能率が改善すると、通貨量など他の条件が一定なら、物価は必然的に下がる。だが実際には通貨量は一定でなかった。ほとんどの中央銀行は「デフレと戦う」(fight deflation)ために、2%の物価上昇率を目標に、通貨量を大幅に増やした。

もし中央銀行のインフレ政策がなければ、グローバル化で物価は下がり、実質所得(real incomes)を高めただろう。その結果、人々はグローバル化に不満を抱くのではなく、満足したはずだ。

物価が下がらなかったのは、中央銀行がデフレ阻止に成功したことを意味する。しかしそれは実質所得の増加を妨げたということだ。一方、金融緩和政策は世界中で不動産と商品価格のバブル(bubble)、株式・債券相場の高騰を招いた。

中央銀行の主張に反し、デフレは経済にとって脅威ではなく、恩恵である。米ミネアポリス連銀のエコノミストが書いた2004年の論文によれば、歴史上、不況と物価下落の間には相関関係(correlation)がなく、まして因果関係(causal link)の印はなおさらない。

中央銀行はデフレの「死の連鎖」(death spiral)とやらを防ごうと貨幣量を増やしたものの、経済の力学に逆らうことはできなかった。その結果、資産価格が高騰する一方で実質所得は減り、労働者は憤っている。

2016-11-05

山田正彦『アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!』

アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!
アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!

管理貿易の正体

環太平洋経済連携協定(TPP)を巡る議論は混乱している。推進派は「自由貿易だから良い」と主張し、反対派は「自由貿易だから悪い」と批判する。どちらも正しくない。TPPは官民癒着の管理貿易で、だから国民の利益にならない。

本書も混乱している。せっかく経済学者スティグリッツの「TPPは自由貿易協定ではない……管理貿易協定だ」という的を射た発言を紹介しながら、あちこちで自由貿易そのものに対する反対論を繰り広げ、経済への無理解を露呈する。

5キロ1000円前後の安いベトナム産コシヒカリがスーパーで売られたら日本でコメを作る農家はなくなるとして、著者は輸入に反対する。高いコメを買わされる消費者の不利益には触れない。これで貧困層の生活苦を嘆くのはおかしい。

一方、TPPの問題点を正しく指摘する箇所もある。ジェネリック医薬品が特許権を侵害しないか確認できる新制度により、特許権が切れても安価なジェネリックの販売が長期間認められない恐れがある。米製薬大手の圧力が背景にある。

TPPでは著作権や商標の権利期間が50年から70年に延長され、法定賠償制度で侵害時に賠償額が巨額になる恐れもある。そのうえ非親告罪となり、被害者が訴えなくても警察が乗り出す。自由な創作や著作、報道が萎縮しかねない。

政府はTPP加盟国域内での貿易量が増えると強調するが、米タフツ大学の指摘によれば、域外との貿易減少のマイナス面が考慮されていないという。本書は自由貿易に対する誤った反対論が目立つものの、管理貿易の正体を知るうえで有益な情報も多く、一読の価値がある。

2016-11-04

千年前のイノベーター

Jeffrey Tucker, The Greatest Invention of One Thousand Years Ago(千年前の最も偉大な発明)より抜粋。

11世紀初め、カトリックのベネディクト会修道士、グイド・ダレッツォ(Guido d’Arezzo)は楽譜と音階を考案し、音楽の教育と記述を可能にした。グイドの貢献がなければ、現在スマートフォンやユーチューブで聴く音楽は存在しなかっただろう。

昔から音楽教育を担っていたのは、一握りの教師らの傲慢なカルテルだった。音楽教師になるには、このうち誰かの弟子になり、承認(blessing)を得なければならない。教師は同業者の数を増やしたがらないから、おべっかも必要だった。

グイドの発明はカルテルをぶち壊した。グイドが一番やりたかったのはグレゴリオ聖歌(Gregorian chant)を楽譜に記すことである。聖歌がカルテルの口伝によってしか伝えられないことに不満を抱いていたからだ。歌が失われてしまわないか心配だった。

グイドはあらゆる偉大な革新者(great innovator)と同じことをやってのけた。資源を他の用途に解き放ち、しかも生活を向上させた。修道士を一人の音楽教師の下で強いられる果てしない学習から解放し、より純粋な精神生活に時間を割けるようにした。

修道院は発明を祝うどころか、グイドを雪の中に放り出した。権力を失いたくない音楽教師らがそう要求したのである。グイドは発明に感心したローマ教皇(Pope)の紹介でアレッツォの司教を訪ね、そこで仕事を続けることができた。

2016-11-03

ロビンズ『経済学の本質と意義』

経済学の本質と意義 (近代社会思想コレクション)
経済学の本質と意義 (近代社会思想コレクション)

「経済人」の神話

経済学は金儲けと利己心のみに関心がある「経済人」の世界を仮定しているが、それは現実離れしている。人間は金儲けや利己心以外の動機でも動くのだから――。一部の知識人はしばしば、経済学をこう非難する。この非難は正しくない。

本書で著者が説くとおり、経済学が仮定する人間は利己主義者とは限らない。「純粋に利己主義者、純粋に利他主義者、純粋に禁欲主義者、純粋に官能主義者にもなりえて、もっとありそうなことだが、こうした衝動の混合体にもなりえる」(p.88-89)

人はパンを買うとき、損得だけでなく、パン屋の幸福も考えるかもしれない。賃金の多寡よりは、やり甲斐で仕事を選ぶかもしれない。金を貸すとき、名誉や美徳を考慮するかもしれない(p.89)。それでもこれらの行動は経済学の対象になりうる。

かりに人間の大半が聖職者のような利他主義者、禁欲主義者になっても、経済学は不要にならない。ワインを作る葡萄園の地代が下がり、聖職者の石造建築に使う石切場の地代が上がる(p.27)。この現象は、経済学を知らなければ理解できない。

経済学は金儲けが唯一の行動要因とは考えない。そもそも金儲けそのものは目的にならない。目的は儲けた金で何かを買うことである。だから金銭そのものに執着する守銭奴を例外として、金儲けは目的にはならず、単に手段でしかない(p.32)。

2016-11-02

金約款の復活を

Jp Cortez, Bring Back the "Gold-Clause Contracts"(金約款契約を復活せよ)より抜粋。

金約款契約(gold-clause contract)とは、支払いを金や銀で行う旨を明示し、それ以外での支払いを認めない契約である。かつて米国ではよくある契約だった。それがフランクリン・ルーズベルト大統領(任期1933~1945年)の時代に禁止された。

ルーズベルトは大恐慌(Great Depression)から抜け出すため大量の資金を必要としたが、当時政府は紙幣の裏付けとして発行額の40%分の金を保有するよう義務づけられていた。そこでルーズベルトは解決策を講じた。国民から金を没収するのである。

政府が国民の金を手に入れれば、より多くの紙幣を刷ることができる。1933年、ルーズベルトは大統領令6102号を発し、5オンス超の金保有を違法とした。議会は両院合同決議(joint resolution)で、連邦裁判所が金約款を遵守させる権限をなくした。

この非道な大統領令(executive order)は1974年まで有効だった。同年、フォード大統領が署名した法律により、金保有は再び合法になり、連邦裁が金約款契約を遵守させることも認められた。

金約款契約はある意味で、法定通貨(legal tender)の鎖から人々を解き放つ。支払い手段を明示すれば、貸したカネを返してもらう際、(インフレで価値の落ちた)米ドル紙幣で受け取りを強いられずに済む。合衆国法典により、金約款は完全に合法である。

2016-11-01

ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』

資本主義が嫌いな人のための経済学
資本主義が嫌いな人のための経済学

恐慌の犯人は資本主義か

自由放任的な資本主義を批判する知識人はしばしば、それがうまく機能しない「証拠」として金融恐慌をあげ、恐慌を防ぐには政府の介入が必要だと論じる。その議論は正しくない。そもそも金融恐慌をもたらすのは政府の介入だからである。

本書もその誤りを犯す。著者は自由放任を唱えるリバタリアンを批判し、政府の介入が限られた19世紀の資本主義は「ろくに機能しなかった」(p.46)という。たとえば1870〜1900年に米国経済は景気循環を繰り返し、多数の銀行取り付けと5回の金融危機があったと述べる。

そのうえで著者は、米政府が「資本主義制度の大幅な改造」(同)に取り組んだとして、1914年の連邦準備制度創設、1933年の連邦預金保険公社設立を例にあげる。その結果「昔ながらの取り付け騒ぎはほぼなくなった」(同)と高く評価する。

しかしまず、景気循環の主因は政府自身にある。南北戦争(1861~65年)の戦費調達で米政府は1861年に金本位制を停止。バブル景気の反動で1873年恐慌をもたらす。それでも政府の介入が少ないおかげで、回復は早かった。

次に、著者が称える連邦準備制度は1920年代に過剰なマネーを供給し、史上最悪の大恐慌の端緒を開いた。同じく預金保険は銀行のモラルハザード(自己規律の喪失)を誘発し、放漫経営を助長した。その結果が1980~90年代の貯蓄金融機関(S&L)破綻である。救済のコストは納税者がかぶった。

左派の平等主義に対する批判など賛成できる主張はあるものの、上記のようにリバタリアンに対する批判は的外れなものである。著者は哲学者だそうだが、この程度の議論で「政府の介入は絶対に必要」(p.50)などと断言するのは、いささか不用意に思える。