2023-07-30

謝謝! 中国人の土地買収

国内の土地が外国人に自由に売買されるのは問題だという声が、政治やメディア界隈で強まっている。事実上、警戒の的とされているのは中国人だ。
国民民主党は先日、自衛隊の基地周辺などを規制する今の制度だけでなく、研究施設や日本文化に関わる土地についても必要な規制を検討するとした法案を国会に提出した。

自衛隊の基地や原発など、安全保障上、重要な施設の周辺の土地をめぐっては、2022年に利用を規制する法律(重要土地利用規制法)が施行されている。しかし国民民主党は、今の法律だけでは不十分で、国内の土地が外国人によって自由に売買されるのは問題だとしている。

国民民主党は今回の法案提出について、特定の外国名に触れていないが、同党の玉木雄一郎代表は2020年5月、安倍晋三首相(当時)への国会質疑で「中国や韓国が日本の企業や土地を買収する可能性がある。経済安全保障の観点から防御策をしっかりとるべきではないか」と指摘している。

さて、中国人を事実上の標的としたこの土地売買規制案、保守系文化人らには受けがいいようだが、まったくの愚策としか言いようがない。

かりに極端な話、日本と中国が戦争(あるいは米中戦争に伴う事実上の交戦状態)になったとしよう。日本国内に中国が保有する土地はどうなるだろうか。有事となれば、土地は即座に日本政府の管理下に置かれ、日本の「国益」のために使われることになる。中国は投資したお金が無駄になる。

戦争にならなくても、中国人が日本の土地をどんどん買い占めたら由々しい事態だと心配する向きもある。産経新聞の宮本雅史編集委員は講演で、「土地を手放し、国土を守ろうとしないわれわれに問題がある。このままでは日本の領土がなくなっていく」と警鐘を鳴らしたという。

だが、「日本の領土がなくなっていく」とは取り越し苦労にすぎない。もし中国がそんな勢いで土地を大量に買い占めれば、日本政府による監視の目が一気に強まるのは間違いない。それこそ土地売買の規制や国有化が行われ、中国の手から土地が完全に奪われてしまうだろう。これも中国は大損だ。

中国は土地を失うだけでなく、おそらく日本との対立によって、貿易の利益も失うことになるだろう。

要するに、中国人が土地を買ったり、他の資産を手に入れたりして日本に投資すればするほど、それらの土地や資産は、中国の侵略や脅威に対する担保として日本が保有する「人質」として機能するのだ。

中国政府は他の集団と同じく、合理的な人間で構成されているから、何事もリターンとコストに基づいて判断する。戦争は国際世論の非難なども含め、コストが高いから、売買によって平和に土地を入手できるのであれば、そちらを選ぶだろう。これは土地を購入する中国人にとっても、売却する日本人にとっても、お互いに有益だ。

日本は土地という「人質」を取ることで、安全保障を強化することにもなる。これが真の「経済安全保障」といえる。逆に、土地買収を妨げれば、中国は武力によってしか日本の土地を手に入れられなくなり、戦争のリスクが高まることになる。

経済学者の池田信夫氏は「中国人が日本の土地を所有しても、中国政府が支配するわけではない。統治権は日本にあり、固定資産税も日本政府が徴収する。国内投資の不足している日本にとっては歓迎すべきことだ」と指摘する。そのとおりだろう。

日本はただでさえ、海外からの対内直投が極端に少ない。2020年時点の対内直投残高の対国内総生産(GDP)比率は4.9%にとどまり、201カ国・地域中の198位。日本より下はジンバブエ、北朝鮮、イラクだけという惨状だ。

投資してくれる中国人を敵視するなどもってのほか。むしろ感謝しなければならない。

<参考資料>
  • China Should Be Allowed to Buy American Farmland | The Libertarian Institute [LINK]

2023-07-27

中国依存を深めよう

経済の「中国依存」はよくない、「脱中国」を図れ、という声が政府やメディアの間でかまびすしい。


内閣府は報告書「世界経済の潮流」で、日本は米国やドイツに比べて中国からの輸入に頼る品目がより多いと分析し、「中国で何らかの供給ショックや輸送の停滞が生じ輸入が滞った場合には(略)日本ではより多くの品目でほかの輸入先国への代替が難しく、金額規模的にも影響が大きい」と警告する。

また、政府の「国家安全保障戦略」は、「グローバリゼーションと相互依存のみによって国際社会の平和と発展は保証されない」として、「特定国への過度な依存を低下」させるよう取り組むとしている。「特定国」が事実上、中国を指していることはいうまでもない。

しかし、政府のこうした主張は的外れだ。

そもそも個々の企業が、様々なリスクを含めて合理的に判断した結果、中国からの輸入を増やしているのであれば、その品目や金額がどれだけ多くなろうと、横から政府にあれこれ言われる筋合いはない。

たとえるなら、同じ町にセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートの店舗があって、売り上げのシェアがセブン6割、ローソン3割、ファミマ1割だったとしても、町長が住民に向かって「セブンに過度に依存するのはやめなさい」などと説教するのは、大きなお世話でしかない。

ところが永田町や霞が関では、この大きなお世話が大手を振ってまかり通る。政治家や官僚は、どの国といくら取引するのが適切かを自分たちは正しく判断できると信じ、企業や消費者に指図する。よくいってお節介、ありのままにいえば傲慢そのものだ。自由な資本主義の国にふさわしくない。

政府の「脱中国」政策を批判する理由はまだある。もし「国際社会の平和と発展」を本当に望むのであれば、中国依存をやめるのではなく、むしろもっと深めなければならない。

たとえば、近所の八百屋の店主が何かの理由で私を嫌い、商品を売らなくなるかもしれないとしよう。どうすればいいか。先手を打って「脱八百屋」に乗り出し、実家の庭で野菜や果物を育てることもできなくはない。だがその戦略にかかるお金や労力、時間といったコストは馬鹿にならない。

もうひとつの戦略がある。その八百屋の最大のお得意の1人になり、売り上げの5%、10%、15%を占めるようになればいい。私が買えば買うほど、八百屋は私に依存するようになり、取引をやめれば失うものも大きくなる。店主はたとえ私と付き合うのが嫌でも、商品を売る強いインセンティブ(誘因)を持つようになり、私は自分で食料を作らなくて済むというメリットを享受する。

貿易も同じだ。互いに依存を強めれば強めるほど、争いを起こしにくくなる。戦争を絶対に防ぐとまではいわないが、強い歯止めになるのは確かだ。したがって、中国との間で平和を望むのであれば、「脱中国」をあおるのではなく、むしろ「中国依存」をさらに深めるべきだ。

そのために日本政府に何かやってもらう必要はない。余計なお節介をやめれば、企業がこれまでどおり、勝手に進めるだろう。もし中国ビジネスのリスクが本当に高くなれば、自然に「脱中国」に向かうだろう。

フランスのエコノミスト、バスティアの言葉とされる格言がある。「商品が国境を越えなければ、兵士が越える」。自由な貿易を妨げれば、戦争が起こるという意味だ。逆もまた真である。商品が国境を越えれば、兵士は国境を越えない。貿易を自由にすれば、戦争は起こりにくくなる。

自由貿易は国同士の相互依存を生み出し、相互依存は平和を維持する。戦争を防ぐには完璧ではないかもしれないが、何かにつけて対立をあおる政府に比べれば、「国際社会の平和と発展」に資する力ははるかに大きい。さあ、中国依存を深めよう。

<参考資料>
  • The Case for Being Economically Dependent on China - Foundation for Economic Education [LINK]

2023-07-24

不毛な半導体戦争

政府の推し進める「経済安全保障」が、いかに経済の現実を無視した乱暴な政策であるかは、最重要の戦略物資とされる半導体をめぐる攻防を描いた、最近の二冊の本から知ることができる。

半導体戦争――世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防

そもそも主要国が半導体サプライチェーン(供給網)の抱え込みに動いたのは、新型コロナウイルスの感染拡大でロックダウン(都市封鎖)による供給網の寸断が世界に広がり、そのせいで半導体不足に陥ったと考えたからだ。

しかし、それは誤解だった。米経済史家クリス・ミラー氏は著書『半導体戦争』(2023年)で、「実際には、半導体不足の主な原因は、半導体サプライ・チェーンの問題にあるわけではなかった」と指摘する。

ミラー氏によれば、半導体不足のより大きな原因は、パンデミック(世界的大流行)が勃発して以降の半導体注文の大きな変動にある。無数の人々が在宅勤務に備えてコンピューターを新調すると、PCの需要が2020年に急増した。生活のオンライン化が進むと、データセンターのサーバーの需要も上昇した。

さらには「新型のPC、5G対応の携帯電話、AI(人工知能)対応のデータ・センター」への需要も増えており、「突き詰めれば、計算能力を求める私たちの飽くなき欲求」が半導体の需要を突き上げていたとミラー氏はいう。

供給側にマレーシアのロックダウンで現地の半導体パッケージング業務に支障が生じるなどの混乱があったのは事実だ。だが2021年の世界全体の半導体デバイスの生産量は、1・1兆個以上と過去最高だった。2020年比で13%増だ。

「2020年と2021年の両年に半導体生産が大幅に増加したのは、多国籍のサプライ・チェーンが機能不全に陥っている証などではない。その逆で、有効に機能しているという証なのだ」とミラー氏は強調する。

ミラー氏は触れていないが、そもそも経済に混乱を招いたロックダウンそのものが、感染防止効果に疑問があるにもかかわらず、政治家たちによって強引に実行された政策だった。その政治家たちが今度は半導体不足の原因を見誤り、供給網の抱え込みという新たな誤りを犯そうとしている。困ったものだ。

一方、半導体技術者出身のジャーナリスト、湯之上隆氏は『半導体有事』(2023年)で、日本を含む各国政府の対応を厳しく批判する。

半導体について、「経済安全保障を担う戦略物質」「サプライチェーンの強靭化が必要」「地政学的リスクがある」などといわれる。しかし湯之上氏は、このような発言をする人たちが「経済安全保障」「サプライチェーン」「地政学」について正しく理解しているとは思えないと述べる。なぜなら「半導体は一国や一地域で閉じて生産できるものではないからだ」。

ところが、2021年初頭に起きた半導体不足をきっかけとして、世界の各国・各地域が巨額の補助金を出して、半導体製造能力を抱え込もうと「常軌を逸した競争」を始めた。また、2022年10月7日、米国は中国半導体産業を封じ込めるために異例の厳しい輸出措置を課した。

これら各国・各地域の「クレイジーな行動」は、半導体産業の健全な事業サイクルを破壊してしまう。また、半導体の製造は、一国や一地域で閉じて行えるものではないので、各国・各地域による抱え込みは「いずれ破綻する」。税金の無駄遣いに終わる可能性が強いわけだ。

巨額の補助金をもとに行なう半導体製造能力構築競争は「資本主義に反するもの」だと湯之上氏は批判し、「半導体産業が成り立たなくなる危機」だと警鐘を鳴らす。

米国が中国に厳しい禁輸措置を課してまもない2022年12月6日、半導体受託製造の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)の米アリゾナ工場で開設式典が行われた際、同社創業者の張忠謀(モリス・チャン)氏は「グローバリズムはほぼ死んだ。自由貿易もほぼ死んだ」と述べたという。

もしグローバリズムや自由貿易が本当に死ねば、現代文明を支える半導体産業のみならず、世界経済そのものが衰退に向かうだろう。いびつなナショナリズムによる半導体戦争は不毛の極みだ。

<参考資料>
  • ミラー『半導体戦争 世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』(千葉敏生訳、ダイヤモンド社、2023年)
  • 湯之上隆『半導体有事』(文春新書、2023年)

2023-07-21

経済安保が国を滅ぼす

「経済安全保障」が大はやりだ。経済安全保障推進法が2022年5月に成立し、段階的に施行が始まってから火がついた。12月に決定された国家安全保障戦略は冒頭で「グローバリゼーションと相互依存のみによって国際社会の平和と発展は保証されない」と強調し、初めて「経済安全保障」という章を立てた。しかし実際には、グローバリゼーションと国同士の相互依存に逆行する保護主義的な政策こそが、国を危うくする。


経済安保推進法は①供給網の構築②基幹インフラの安全確保③先端技術の官民研究④特許の非公開――の4本柱で構成し、いずれも国が経済活動に深く関与する。

日本経済新聞の要約によれば、①は「半導体など戦略物資の国内調達を財政支援。調達先や保管状況を国が管理」するといい、②は「電気や金融など14業種で国が導入設備を事前に審査。サイバー攻撃のリスク軽減」につなげる。③は「人工知能(AI)や量子の開発に国が資金支援。官民協議会を設け情報共有」するといい、④は「軍事転用の恐れがある技術の流出を防ぐ目的で一部の特許情報を公開せず」としている。

「国が」「国が」のオンパレードに辟易する。曲がりなりにも自由な市場経済を標榜する国の政策だとは、とても思えない。

さすがに一部の大手メディアも面食らったようだ。経済安保推進法が成立した前後の社説で、東京新聞は「企業の取引先は経済合理性を優先して決められる。国が恣意的な介入を常態化させれば、企業側に無用な忖度が生まれ自由な貿易環境を失いかねない」と述べた。朝日新聞は「特定重要物資や事前審査対象になる設備の指定など、政令や省令に委ねられた項目が138カ所に上った。これでは、どんな経済活動がどの程度規制されるのかがはっきりしない」と批判した。いずれももっともな指摘だ。

これに対し、読売新聞は「ルールを明確に定めて丁寧に周知することが不可欠である」としつつも、「官民が連携し、国民生活の安定的発展に不可欠な産業と技術を守らなければならない」と強調した。産経新聞に至っては、「むやみに経済の自由を奪うべきでないのは当然だが、重要物資を特定国に委ねるリスクや、先端技術が海外で悪用される可能性に目を覆い、経済合理性ばかりを優先させるわけにはいかない」と断じ、導入が見送られた機密情報の取り扱い資格制度「セキュリティー・クリアランス(適格性評価)」などについても「さらなる検討を進めるべきだ」と規制強化に前のめりだ。

興味深いことに、左派・リベラルとされる朝日・東京が経済的自由の規制や介入に慎重で、右派・保守とされる産経・読売が前向きという、本来の「左派」「右派」のイメージとは逆の主張となっている。

つねづね感じることだが、日本の右派・保守メディアは、経済的自由を守る防波堤として、はなはだ頼りない。中国や北朝鮮の社会主義体制(経済面ではほとんど、あるいはかなり形骸化しているが)を攻撃する都合上、市場経済の尊重を唱えてはみせるものの、深い信念に基づく主張ではないから、ここぞというときに馬脚を現す。それがたとえば今回の経済安保だ。

現代の高度な産業は、役人が作文した国家安全保障戦略の主張とは異なり、グローバリゼーションと相互依存なしには成り立たない。先端技術の集積である半導体は、とりわけそうだろう。読売の唱える官民連携は多くの産業をダメにしてきた常習犯だし、産経の主張に従って経済合理性を後回しにすれば、産業は競争力を失い、安全保障に役立つどころか国のお荷物になる。経済安保が国を滅ぼすという、洒落にならない事態にもなりかねない。

自由主義と小さな政府を標榜する米シンクタンク、ケイトー研究所のシニアフェロー、スコット・リンシカム氏は、米半導体メーカーに多額の補助金を支給する米政府の政策に対し「効率的で競争力のある国内産業を生み出すどころか、かえって肥大化させ、政府の援助に依存し、国際競争力を失わせかねない」と歯に衣着せず批判する。

日本の右派・保守メディアから、こうしたまっとうな意見が聞かれないのは寂しい限りだ。「自由のためにたたかう」(産経)という「信条」を貫くよう、奮起を促したい。

<参考資料>
  • Should the U.S. Government Subsidize Domestic Chip Production? | Cato Institute [LINK]

2023-07-20

『教養としての近代経済史』

中央銀行のジャブジャブの金融緩和で株価、不動産価格が高騰。しかし実質賃金は低下し庶民の暮らしは悪化。

政府はスキさえあれば市場経済に介入し、増税・規制で民間の活力を奪う。

歴史は繰り返すのか?

今こそ世界恐慌の歴史を学ぼう!

ビジネスマンなら知っておきたい 教養としての近代経済史 狂気と陰謀の世界大恐慌
 

2023-07-18

忘れられた恐慌

今、経済恐慌が起こったら、政府はどうするだろう。ただちに「経済対策本部」のような組織を立ち上げ、財政支出や金融緩和など、思いつく限りの対策を打ち出し、実行するに違いない。今の世の中では、政府が経済に介入するのは当然で、とりわけ不況時には介入が義務だと信じられているからだ。

ウォレン・ハーディング

しかし、かつてはそうではなかった。不況は政府が介入しなくても自然に回復するし、むしろ介入しないほうが早く立ち直ると認識されていた。事実、恐慌を放置し、それによって深刻な景気後退を短期で脱したケースもある。代表例は、第一次世界大戦(1914~1918年)終結後まもなく、戦時景気の反動で米国を襲った1920年恐慌だ。

1920年恐慌といわれても、聞いたことのない人が多いことだろう。無理もない。10年以上続いた1930~40年代の大恐慌などに比べると、きわめて短期間に終ってしまい、後世の記憶にほとんど残らなかったからだ。いわば「忘れられた恐慌」である。しかし瞬間風速でみた不況の厳しさは、大恐慌をしのいだ。

失業率は4%から12%近くに跳ね上がり、国民総生産(GNP)は推定で1920年の915億ドルから1921年の696億ドルまで24%落ち込んだ。卸売物価指数は1年間で36.8%、消費者物価指数は15.8%下落した。このデフレは大恐慌のどの時期よりも厳しい。また1920年1月から翌年8月にかけて、ダウ・ジョーンズ工業株平均は119.6ドルから63.9ドルまで下落した。47%もの急落である。

このとき新任大統領として登場したのが、「常態に帰れ」をスローガンに当選したウォレン・ハーディング(在任1921~1923年)である。

ハーディングといえば日本ではほとんど無名だが、米国でも愛想はいいが無知で凡庸な人物というイメージが流布している。しかし愚かではなかった。市場経済への介入に反対する古典的な哲学を抱き、政府が身を縮めれば不況は自然に良くなると確信していた。

大統領選中の1920年5月の演説で、こう語っている。

「現在アメリカに必要なことは英雄的行為ではなく療養です。インチキ政策ではなく常態です。改革ではなく復旧です。……手術ではなく安静です」(ポール・ジョンソン『アメリカ人の歴史』)

ハーディング政権が行った政策は、その言葉どおりのものだった。戦争中に膨らんだ財政規模を縮小し、金利を人為的に低く抑えることをやめたのである。連邦政府の支出を1920年の63億ドルから1922年には32億ドルとほぼ半減させた。すべての所得層に対して税率を引き下げ、政府債務を3分の1まで削減した。中央銀行である連邦準備理事会(FRB)は静観し、金融を緩和しようとしなかった。

こうした自由放任政策の結果、1921年の晩夏には早くも経済回復の兆しが見えた。翌年には失業率は6.7%まで低下し、1923年にはわずか2.4%になった。GNPは1922年に741億ドルまで回復した。ハーディングの考えどおり、政府が過保護な介入を控えたことで、市場経済は自らを癒やしたのである。

米作家ジェームズ・グラント氏は、1920年恐慌を描いた著書『忘れられた恐慌』で、こう述べる。

「この物語の主人公は、価格メカニズム、アダム・スミスの見えざる手である。市場経済では、価格が人間の努力を調整する。価格が投資、貯蓄、労働の経路を決めるのである。価格が高ければ生産は促進されるが、消費は抑制される。1920年から21年にかけての恐慌は、物価の急落によって特徴づけられた。しかし、物価と賃金が下落したのはそこまでだった。消費者を買い物に、投資家を資本投下に、雇用主を雇用に誘うのに十分な低さになってから、物価と賃金は下落を止めた。物価と賃金の下落によって、米経済は回復したのである」

興味深いのは日本との対比だ。同じく1920(大正9)年に戦後の反動恐慌に見舞われた日本政府は、自由放任に徹した米国とは対照的に、財政や金融をさらに膨張させた。これに対し米チェース・ナショナル銀行のエコノミストなどを務めたベンジャミン・アンダーソン氏は、のちにこう辛辣に批判した。

「大銀行、寡占企業、政府が結託して市場の自由を損ない、商品価格の下落を阻み、世界の物価は下落しているのに7年間にわたり国内の物価水準をそれより高く保った。この間、日本は繰り返し不況に見舞われ、あげくの果てに1927年(昭和2年)には激しい金融恐慌が起こり、多数の銀行と企業が破綻した。馬鹿げた政策だった。日本は1年分の在庫の損を避けるために、7年を失った」

日本政府は1990年代のバブル崩壊後、財政支出と金融緩和で同じ過ちをさらに大規模に繰り返し、30年を失った。その過ちを反省してもいないから、また恐慌が起こっても、ハーディング大統領のように賢明な対応はまったく期待できない。

<参考資料>
  • ポール・ジョンソン『アメリカ人の歴史』第3巻(別宮貞徳訳、共同通信社、2002年)
  • James Grant, The Forgotten Depression: 1921: The Crash That Cured Itself, Simon & Schuster, 2015. [LINK]
  • Benjamin Anderson, Economics and the Public Welfare: A Financial and Economic History of the United States, 1914-1946, Liberty Fund, 1980. [LINK]
  • Not-So-Great Depression | Cato Institute [LINK]
  • The Forgotten Depression of 1920 | Mises Institute [LINK]

2023-07-17

フラット税が暴政になる時

所得税などの税率を累進課税でなく、一律にするフラットタックス(フラット税)は、うまく使えば減税につながる仕組みだが、必ずそうなるとは限らない。むしろ増税になってしまう場合もある。その皮肉なケースを紹介しよう。舞台は米占領軍支配下のイラクだ。

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倒されるサダム・フセイン像


今から20年前の2003年3月20日、米軍がイラクの首都バグダッドを空爆し、イラク戦争が始まった。独裁者サダム・フセイン大統領の政権は3週間で崩壊し、米国率いる連合国暫定当局(CPA)による統治が始まる。米ブッシュ(子)共和党政権から派遣されたポール・ブレマー代表が2004年1月、イラクに導入したのがフラット税だ。所得税、法人税の税率を15%とした。当時のワシントン・ポスト紙によれば、ブレマー代表は導入を控えた秋、米議会での証言で「イラクの新しい税制は見事なまでにわかりやすい」と自画自賛した。

フラット税の税率15%は、2000年の米大統領戦で出版業者スティーブ・フォーブス氏が提案した17%よりも低い。この税制改革により、フラットになった所得税・法人税のほか、不動産税、自動車販売税、ガソリン税、高級ホテル・レストラン税を残し、他のすべての税を廃止した。

ところがイラクの市民にとっては、増税だった。なぜなら二十数年続いたフセイン政権下で、イラク人は関税以外に税金を払っていなかったからだ。中東諸国でよくあるように、多くの産業が国有化され、政府は石油収入で財源を賄っていた。「フセイン政権は中東の他の国々と同様、徴税をほとんど強制しなかったため、イラクには納税の歴史がない」とポスト紙は書く。

もともと豊かとはいえず、戦争でさらに貧しくなったイラクの庶民には重い税負担だ。税負担を和らげるはずのフラット税は、状況次第で暴政になりうるのだ。一方でブレマー代表は、連合軍当局、軍隊、その請負業者など占領軍関係者を課税から免除した。

税金を取るのが仕事の政府当局が、フラット税の美名を利用して、巧みに税を搾り取ろうとするのは理解できる。だが困ったことに、米国の減税派論客とされる人々までが、イラクのフラット税導入をほめたたえた。

「非常に良いニュースだ」と、全米税制改革協議会議長のグローバー・ノーキスト氏はポスト紙に語った。作家アミティ・シュレーズ氏は「このような低税率は、イラクを香港並み〔の豊かさ〕にするだろう」と英フィナンシャル・タイムズ紙に答えた。保守系シンクタンク、ヘリテージ財団研究員(当時)のダニエル・ミッチェル氏は同財団のホームページで、「イラク経済の回復に役立つ」「米国の対外援助を削減する」などと予想されるメリットを列挙した。残念ながらその後、それらのメリットが実現したという話は聞かない。

ノーキスト氏らが日ごろ展開する減税論には大いに賛成だが、イラクの件については、フラット税という形式に目を奪われて、冷静な判断ができていないように思える。重要なのは税の形式ではない。減税という中身だ。

フラット税を推奨する議論で気になるのは、「税率は高すぎないほうが税収は増える」という点をメリットとして強調することだ。「ラッファー曲線」と呼ばれる説で、高すぎる税率は税収を減らすという。

この説がかりに正しいとして、そこで忘れられている問いがある。「税収が増えるのは、増税ですよね?」という素朴な問いだ。増税になるのに、それを良いことであるかのように語るのはおかしい。

フラット税を支持する減税派はおそらく、「税収が増えたら減税を求める」と答えることだろう。そうするべきだ。だがそれなら初めから、フラット税という形式にこだわらず、減税だけに焦点を絞るのがいい。

<参考資料>
  • U.S. Administrator Imposes Flat Tax System on Iraq - The Washington Post [LINK]
  • Tyranny, Thy Name is Flat Tax | Mises Institute [LINK]
  • If a Flat Tax is Good for Iraq, How About America? | The Heritage Foundation [LINK]

2023-07-15

フラット税より人頭税を!

減税につながるとして注目される税制改革のアイデアに、「フラットタックス」(フラット税)がある。所得税について、所得が増えるほど税率が上がる累進課税をやめ、原則同じ税率にするものだ。しかし、フラット税が本当に減税につながるかどうかは、いろいろ疑問がある。


フラット税の導入を唱える人々は、いくつかの利点をあげる。①簡素で理解・申告しやすい②税理士や弁護士に費用をかけなくて済む③他の税金がなくなる④経済成長を促す⑤公平である——などだ。

しかしこのうち、まず①と②は減税とは関係ない。どんなに税がシンプルでわかりやすく、申告の手間が省けたとしても、払う税金の額が減らなければうれしくないし、富裕層や自営業であれば「これなら税理士を雇って節税できたほうがマシだった」と憤ることだろう。

米経済誌フォーブスを発行する富豪スティーブ・フォーブス氏は1996年と2000年の2回にわたり、一律17%のフラット税を公約に掲げ、米大統領選の共和党予備選に立候補したが、いずれも敗退に終わった。同氏のフラット税案は、富裕層など一部の人には減税となるが、子供税額控除や住宅ローン利子控除といった控除が廃止されるため、それらの控除を享受している人々には増税を意味し、不興を買ったのだ。

フォーブス氏の場合もそうだが、フラット税の導入を唱える人はたいてい、同時に各種控除の廃止を主張する。それによって税制をシンプルでわかりやすくするとともに、控除を受けられない納税者との「不公平」をなくすためだという。

だが「不公平」だから控除をなくすというのは、まるで「一部の奴隷が片足しか鎖につながれていないのは不公平だから、他の奴隷と同じように両足ともつないでやろう」というグロテスクな提案と同じだ。個人の財産権を守る自由主義の原則からは、控除をなくすのではなく、少しでも多くの人に広げるのが筋だろう。控除が廃止されたあげく、フラット税の導入後、税率が引き上げられるという踏んだり蹴ったりの展開だって十分考えられる。

③の「他の税金がなくなる」かどうかも不透明だ。フラット税の多くの案では、法人税と配当への所得課税、所得税と相続税などの二重課税をなくすことがセットにされている。実際になくなれば納税者にとって朗報だが、政治交渉の過程で二重課税の廃止が取り下げられてしまうかもしれない。

④の「経済成長を促す」について、フラット税導入後、経済が成長した例として、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国、ロシアなどがよく言及される。だがそれはフラット税だから成長したというよりも、減税したから成長したと考えるべきだろう。重要なのは税の形式ではなく、減税という中身だ。極端な話、一律15%のフラット税と、1%、2%、3%の累進課税なら、この累進課税のほうが納税者にはありがたい。

⑤の「フラット税は公平」という主張は、もっともらしく聞こえるだけに始末に悪い。累進課税に比べ、一律の税率は公平だと錯覚してしまう。

けれども、よく考えてみてほしい。税は行政サービスの対価だとされる。そうだとすれば、所得の多い少ないにかかわらず、同額でなければならないはずだ。大富豪のイーロン・マスク氏の所得が私の1万倍だとしても、同じパンを買うのに1万倍の値段を払わなければならないのは理不尽である。

もし公平を追求するのであれば、フラット税よりも優れた税がある。全国民に同じ額ずつを課す「人頭税」だ。

フラット税と違い、所得を計算する必要すらない、究極のシンプルだ。所得の少ない人でも払える金額でなければならないから、サブスク方式で月1万円でどうだろう。「高すぎる」という声が多ければ、5000円、あるいはゼロにするのも悪くない。

<参考資料>
  • Tyranny, Thy Name is Flat Tax | Mises Institute [LINK]
  • Flat Tax Folly | Mises Institute [LINK]
  • Rothbard: The Myth of Tax "Reform" | Mises Wire [LINK]
  • The Flat Tax Versus the Flat, Flat Tax | Mises Wire [LINK]

2023-07-13

税の抜け穴を守れ

税法の想定しないやり方で節税を図る「税の抜け穴」は、政治家やメディアによってしばしば非難される。「ずるい」「不道徳」といったイメージを植え付けられ、税の抜け穴を使った節税は「過度な節税」だと批判される(何を超えたら「過度」かという基準ははっきりしない)。


世間一般の認識を前提にすれば、税の抜け穴とは、泥棒が逃げるためにずる賢く準備した、秘密のトンネルのようなものだろう。しかし税が盗みだとしたら、イメージは一変する。泥棒は市民ではなく、政府のほうだ。税の抜け穴とはさしずめ、市民が強盗から逃れるために確保した、貴重な非常口ということになる。

税が一部免除される各種の控除も、税の抜け穴ほどではないが、問題視されることがある。控除を批判する人々によると、控除は特定の集団や産業を優遇する不公平な補助金であって、経済をゆがめる。また、節税のために市民が膨大な時間や労力を浪費する原因となる。控除をなくせば、そうした非効率がなくなり、経済にとって良いことだという。

これらの批判は正しくない。まず、税の免除とは市民が自分のお金を政府に渡さず、自分の手元に残すことだから、政府から恵まれる補助金とは違う。補助金が仲間の市民の犠牲の上に成り立つのに対し、税の免除はそうではない。補助金を受け取る人は税という略奪品の獲得に参加しているが、税を免除される人は略奪から逃れているにすぎない。

次に、控除が経済をゆがめるというが、それ以前に、税そのものが経済をはるかに大きな規模でゆがめている。経済のゆがみをなくしたいのなら、税そのものをできるだけ減らさなければならない。そのためには、控除をなくすのではなく、同様の控除を他にも広げるべきだ。たとえば、住宅ローンの所得控除はマンションなどの購入熱をあおり、経済をゆがめている。このゆがみをなくすには、賃貸住宅にも同様の控除を広げればいい。

それから、節税が時間や労力の浪費だという人々は、人間とは何かを理解していない。経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスが主著『ヒューマン・アクション』で説くように、人間の意識的な行動には目的がある。たとえ一見、不合理なようでも、その人なりの価値判断に基づいて行動している。

もし節税が本当に不合理ならば、誰もそのような無意味な目的にわざわざ時間や労力を使おうとはしないだろう。ところが実際には多くの人が節税に励む。そうである以上、人々は時間や労力というコストにもかかわらず、節税を他の選択肢よりも高く評価していることになる。どこにも不合理な点はない。

節税が不合理な行動だという主張を理解するただ一つの方法は、経済とは雇用を生み出すための機械でしかないと考えることだ。これは政府の経済介入を推奨するケインズ主義の考えである。この考えに立てば、公共事業などの財源が減る一方で、せいぜい税理士の雇用創出にしか役立たない節税は、たしかに不合理でしかないだろう。

だが、このケインズ主義の考えは、経済が価値を生み出すかどうかを完全に見落としている。たとえ穴を掘って再び埋めるような、何の価値も生まない事業であっても、お金が使われ、人々が雇用され、賃金が支払われればそれでいいのだ。しかし、それでは長期の経済発展は望めない。

個人の私有財産を擁護する資本主義の原則に立てば、税の抜け穴や控除はなくすべきではない。守り、むしろ増やすべきだ。控除が広がれば広がるほど、それが一部の人だけの特権だという誤解も消えていくだろう。

お金は政府に渡すのではなく、個人の手元に残したほうが合理的に使われ、経済を発展させる。税の抜け穴や免除はその助けとなる。ミーゼスが喝破したように、資本主義は税の抜け穴を通して呼吸しているのである。

<参考資料>
  • ミーゼス『ヒューマン・アクション』(村田稔雄訳、春秋社、2008年)
  • A Flat Tax Is Not More "Efficient" Than a Tax System with Loopholes | Mises Wire [LINK]
  • What Ludwig von Mises Taught Gottfried Haberler and Paul Samuelson about Tax Loopholes | Mises Wire [LINK]

2023-07-11

税は盗みである

税金について考える際、まず理解しておかなければならないことが一つある。それは「税は盗みである」ということだ。

驚いたかもしれないが、事実だ。オンライン国語辞典で、「強盗」の意味を調べてみよう。「暴力や脅迫などの手段で他人の金品を奪うこと」とある。課税とはまさしく、政府が「暴力や脅迫などの手段で他人の金品を奪うこと」に他ならない。税の支払いを拒否すれば、政府から脅されるし、暴力によって逮捕・投獄される。したがって、課税は強盗である。すなわち、税は盗みである。


もちろん課税は、合法である。だからといって、その本質が盗みであることに変わりはない。合法かどうかと、倫理的に正しいかどうかは、別の話だ。たとえば、政府が人を殺すときには、それは殺人ではなく、「戦争」や「騒乱の鎮圧」という高尚で合法な行為とされるが、倫理の原則に照らせば、その本質が殺人であることに変わりはない。税も同じことだ。

税は盗みだという身も蓋もない真実に対し、税を肯定する側は様々な反論を試みるだろう。主に予想される三つの反論を検討してみよう。

第一に、「国民は公共サービスを利用することによって、税金を払うことに同意しているのだから、税は盗みではない」という反論はどうだろうか。

もし「政府の福祉」や「政府の学校」などの公共サービスを利用しない人が、その分の税金(社会保険料を含む)を支払わなくてよいのであれば、公共サービスの利用は、そのサービスに対する支払い(納税)に同意することを意味するかもしれない。しかし実際には、政府は国民が公共サービスを利用しようとしまいと、納税を強制する。したがって、政府サービスを利用しているかどうかは、納税に同意しているかどうかを示さない。

また「政府の領土」にとどまり続けることも、税への同意を示すものではない。というのも、政府は国内の土地すべてを所有しているわけではない。むしろ多くは私有地である。自分の土地に住んでいる人に対し、「金を払うか、さもなければその土地から出ていけ」と他人が要求することはできない。政府にはそのような横暴が許されているけれども、その横暴を国民が辛抱しているからといって、それは同意を意味しない。

第二に、「政府は法律によって財産権を定義する。政府が法律で決めれば、あなたが税金として支払うお金は、そもそもあなたのものではなく、政府のお金である」という反論はどうだろうか。

たとえば、あなたが19世紀の米国南部の奴隷だとしよう。あなたが主人の同意なしに主人から逃げようとしたとする。これは「奴隷の身体は奴隷自身のものではなく、主人のものである」という当時の法律の趣旨に違反する。だからといって、逃亡は倫理的に間違ってはいない。同様に、政府が法律で決めさえすれば人のお金を他人(政府)のものにできるという考えは、正しくない。

第三に、「税金は、政府が法と秩序を提供する対価だ。政府は泥棒ではない。泥棒は価値あるサービスを提供しない」という反論はどうか。

私があなたに刃物を突きつけ、1万円を奪ったとしよう。それと引き換えに、私のサイン入り色紙を1枚置いていく。後日、刃物を持っていない私を見たあなたは、私を泥棒と呼び、金を返せと要求する。私は答える。「泥棒とは人聞きの悪い。たしかに君はその色紙を欲しがらなかったが、それは1万円よりずっと価値があるんだ」

この返事にあなたは当惑するだろう。私が引き換えに良いものをあげたかどうかは問題ではないし、その色紙が本当に1万円以上の価値があるかどうかも問題ではない。重要なのは、私があなたの同意なしにあなたのお金を奪ったということだ。かりにその後、私が有名人になり、メルカリで3万円の値段が付いたとしよう。それでも、私が泥棒であることに変わりはない。

同様に、たとえ政府の提供する「法と秩序」に高い価値があったとしても、本人の同意なしにお金を奪うのは、盗みである。

リバタリアニズム(自由主義)の思想家、マレー・ロスバードはこう断じる。「純粋な意味では、そして簡潔に言えば、課税は窃盗である。とはいえ、それは犯罪者として一般に認められる者でも望むべくもない、とてつもなく巨大な規模の窃盗ではある。それは、国家の居住者の、あるいは被治者の、財産の強制的没収である」(『自由の倫理学』)

そう、税は盗みである。この事実を理解すれば、目から鱗が落ちるように、政治・経済の現実がはっきりと見えてくる。

<参考資料>
  • ロスバード『自由の倫理学』(森村進他訳、勁草書房、2003年)
  • Taxation Is Robbery | Mises Institute [LINK]
  • Is Taxation Theft? | Libertarianism.org [LINK]

2023-07-09

ケイトー研究所に何が起こったか?

軍需産業の出資を受けていないシンクタンクでも、戦争は影を落とす。

4月下旬、ウクライナ戦争をめぐる論戦をウォッチしているリバタリアン(自由主義者)にとって、ショッキングな「事件」があった。米シンクタンク、ケイトー研究所のテッド・ガレン・カーペンター主任研究員の辞職である。
カーペンター氏といえばケイトー研究所で長年、外交問題の専門家として論陣を張ってきた人物だ。米国の海外軍事介入に対する厳しい批判で知られ、今回のウクライナ戦争でも、バイデン政権に戦争への関与をやめるよう求めるとともに、支援を受けるウクライナのゼレンスキー政権についても「偽りの民主主義」だと公然と批判してきた。

今回の辞任について、カーペンター氏から公式の説明はないようだが、ネット上には、同氏のものとされる「37年間を経て、ケイトー研究所における研究者としての私の役割は終わりを迎えた。ウクライナ政府やそれに対する米国の支援を批判することが、キャリアにとって致命的となる可能性があるという厳しい現実を知った」というコメントが出回っている。

少なくとも、ケイトー研究所の上層部とカーペンター氏の間に主張をめぐる対立があったことは、想像に難くない。同研究所は1974年、リバタリアン思想家で反戦平和を強く説いた故マレー・ロスバード氏らによって設立されたが、近年は反戦に距離を置く。今でもリバタリアンのシンクタンクという色彩は強いものの、こと外交政策に関しては、ベテランであるカーペンター氏、ダグ・バンドウ氏の2人を除いては、戦争を推進する政府側の立場に近づいていた。

20年前のイラク戦争時には、戦争に反対したチャールズ・ペナ、アイバン・エランド両研究員が辞職している。戦争支持派である幹部のトム・パーマー、ブリンク・リンゼイ両氏との対立の結果だとみられている(リンゼイ氏は現在ニスカネン・センターに移籍)。

トム・パーマー氏は、自由主義について優れた著作はあるものの、昨年、日本人中心のオンライン会議で同氏のウクライナ戦争に関する講演を聴いたところ、ウクライナ政府と米国の軍事支援を納得のいく根拠もなしに支持しており、あきれた記憶がある。あれがリバタリアン本来の見解だと誤解されたら、天国のロスバード氏はさぞ無念だろう。

幸いカーペンター氏はケイトー研を辞職後、ロスバード氏の流れをくむ反戦派シンクタンクであるランドルフ・ボーン研究所(アンチウォー・ドット・コムの運営団体)、リバタリアン研究所それぞれの主任研究員になり、変わらず健筆を振るっている。

戦争は政治の延長だというクラウゼヴィッツの指摘を人々が忘れ、一切の妥協を許さず、平和よりも勝利を求める熱狂が世論を支配する昨今、それに反する主張を行うのは、カーペンター氏が職を失ったように、様々な困難が伴う。しかしこんなときだからこそ、戦争という最大の自由侵害に勇気あるノーを突きつける、反戦派リバタリアン・シンクタンクの活躍に期待したい。

2023-07-08

軍産複合体とシンクタンク

軍需産業が出資する米シンクタンクは戦争研究所だけではない。米クインシー研究所が最近公表した調査によれば、主要シンクタンクの多くが軍需産業を資金源としている。しかも軍需産業とつながりのあるシンクタンクのほうが、メディアで多く取り上げられる傾向がある。
クインシー研究所によれば、資金提供者が特定できた27のシンクタンクのうち、77%にあたる21が軍需産業から資金提供を受けていた。残念ながら、資金提供者の開示は任意であるため、シンクタンクの資金源のうち軍需産業からの資金が占める割合を知ることはできない。

続いて同研究所は、2022年3月1日〜2023年1月31日の11カ月間、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ウォールストリート・ジャーナル各紙に掲載されたウクライナ戦争報道を調べ、33の主要シンクタンクのいずれかが言及されるたびに数え上げた。最も多く言及された15のシンクタンクのうち、軍需産業から資金援助を受けていないのはヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)だけだった。軍需産業とつながりのあるシンクタンクが引用される頻度は、つながりのないシンクタンクの7倍にも達した。

引用回数の第1位は、ともに157回の戦略国際問題研究所(CSIS)と大西洋評議会だった。両シンクタンクは、軍需産業のレイセオン社とロッキード・マーチン社から数十万ドルを受け取っている。両社はウクライナ戦争の結果、国防総省からすでに数十億ドルの契約を獲得している。

大西洋評議会は長い間、北大西洋条約機構(NATO)の頭脳の役割を果たしている。メディア監視団体FAIRが指摘するように、NATOのロシア国境への拡大は、ロシアがウクライナ侵攻を決定する重要な要因となった。

CSISはニューヨーク・タイムズの記事(2016年8月7日)で、資金提供元である軍需産業の優先度を反映した報告書などを作成したことが明らかになっている。CSISはまた、軍需産業の「推奨を押し進めるために、国防総省高官や議会スタッフとの会合を開始した」とされる。

クインシー研によれば、因果関係は不明ながら、「軍需産業と資金面でつながりのあるシンクタンクは、軍需産業を利するような政策を支持することが多い」。例えば、大西洋評議会のある記事(2023年2月6日)は「クレムリン(ロシア)とのいかなる妥協」にも反対するよう述べ、別の記事(同1月16日)では、ウクライナには「ロシアの重要インフラを破壊し、モスクワなどの都市を暗闇に陥れる権利がある」と主張している。

第5位(101回引用)のアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)は今年に入り、「ネオコン・ファミリー」の一員であるフレデリック・ケーガン上席フェローのコメントがウォールストリート・ジャーナル紙にたびたび引用された。それによれば、「戦車と装甲兵員輸送車は必要不可欠」であり、米国がそれらの供与に同意すれば、「ウクライナは現在保有する戦車兵器の多くを反攻作戦に投入し、リスクを冒す余裕が生まれる」という。AEIは、米国がウクライナに戦術核兵器を供与することまで提案している。

なお調査を実施したクインシー研究所自身は、大富豪ジョージ・ソロス氏の「オープン・ソサエティー財団」や、「ロックフェラー兄弟財団」などから出資を受けている。

冷戦時代、アイゼンハワー米大統領は、軍部と軍需産業とが結びつき、政治・社会に大きな影響を及ぼす体制を「軍産複合体」(Military-industrial complex=MIC)と呼び、警戒を促した。しかしその後、軍産複合体は解体されるどころか、議会(Congress)、情報機関(Intelligence)、メディア(Media)、学会(Academia)を取り込み、さらにシンクタンク(Think tank)を組み入れて肥大化した。「MICIMATT」(ミシマット)と呼ばれる。

「ミッキーマウス」のように読むと覚えやすいらしいが、全然かわいくない。それどころか、人類の安全を脅かす怪物だ。

2023-07-07

シンクタンクにご用心

朝日新聞デジタルは6月30日、「ウクライナ軍、ほぼ全戦線で主導権を握ったか 米シンクタンク分析」と題する記事を掲載した。「米シンクタンク『戦争研究所』(ISW)は29日、ロシア軍の侵攻を受けるウクライナ軍が、ほぼ全戦線で主導権を握ったとの見方を示した」という書き出しで、記事のほぼすべてが米シンクタンク、戦争研究所の主張をそのまま紹介したものとなっている。
戦争研究所は朝日に限らず、ウクライナ戦争を報じる日本の大手メディアに毎日のように登場している。日本だけではない。本国の米メディアでの露出も当然多い。たとえばCNNテレビは7月6日、「ウクライナの反転攻勢が思惑通りに進まない理由」という記事で、「ワシントンを拠点とするシンクタンク、戦争研究所(ISW)の分析によると、前線の戦略的要衝の一部では防衛線が何重にも敷かれ、ウクライナ軍は突破に大変難航しているという」と同研究所の見方を紹介する。

ウクライナ軍の優勢を伝えた朝日の記事からわずか1週間後、CNNでは一転して苦戦を伝える一貫性のなさはともかく、戦争研究所が引っ張りだこである様子はよくわかる。同研究所は、ウクライナを支援しロシアを敵視する西側政府に都合のよい「分析」をこまめに提供し、メディアに重宝がられてきた。

ところで、この戦争研究所、どのような組織か知ったうえで報道に接している人は、果たしてどれだけいるのだろうか。

まず、理事会メンバーを見てみよう。同研究所のホームページによると、以下のとおりだ。

  • ジャック・キーン(元米陸軍大将)=会長
  • キンバリー・ケーガン=創設者・所長
  • ケリー・クラフト(元国連大使)
  • ウィリアム・クリストル(評論家)
  • ジョー・リーバーマン(元米上院議員)
  • ケビン・マンディア(マンディアント社)
  • ジャック・マッカーシー(A&Mキャピタルパートナーズ社)
  • ブルース・モスラー(クッシュマン・アンド・ウェイクフィールド社)
  • デビッド・ペトレイアス(元米陸軍大将)
  • ウォーレン・フィリップス(CACIインターナショナル社)
  • ウィリアム・ロベルティ(元米陸軍大佐、アルバレス・アンド・マルサル社)

タカ派で知られたリーバーマン元議員、アフガニスタン駐留米軍司令官や米中央情報局(CIA)長官を務めたペトレイアス氏をはじめ政府・軍関係者のほか、企業関係者が多くを占めるが、シンクタンクの性格を象徴するのは、ケーガン所長、クリストル氏の2人だ。

ウィリアム・クリストル氏は、ネオコンを代表する知識人の1人である。ネオコンとは「新保守主義者」と訳され、軍事行動によって力ずくでも米国の価値観や民主主義を海外に広げようとする特異な思想を抱く。クリストル氏は1990年代半ば以降、雑誌「ウィークリー・スタンダード」を創刊し編集長を務めたほか、シンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)を設立し、2003年に始まったイラク戦争を強く後押しした。

一方、キンバリー・ケーガン(旧姓ケスラー)氏は歴史学者出身。エール大学の学生時代、夫フレデリック・ケーガン氏(アメリカン・エンタープライズ研究所=AEI=上席フェロー)と知り合った。フレデリック氏の兄は、ウィリアム・クリストル氏と並ぶネオコン論客ロバート・ケーガン氏(ブルッキングス研究所上席フェロー)であり、ロバート氏の妻は対ロシア強硬策を主張するビクトリア・ヌーランド米国務次官だから、キンバリー氏は言論界と政界にまたがる「ネオコン・ファミリー」の一員ということになる。

次に、戦争研究所の出資者を見てみる。現在の出資者にはゼネラル・ダイナミクス(軍事用重機)やゼネラル・モーターズ(子会社で軍用車を製造)が名を連ねるほか、過去にもレイセオン・テクノロジーズ(ミサイル)、ノースロップ・グラマン(戦闘機、軍艦)、パランティア・テクノロジーズ(データ解析で敵の位置情報を把握)といった軍需産業が出資していた。

戦争が長引くほど儲かる軍需産業に出資を仰ぎ、好戦的なネオコン知識人によって運営されるシンクタンクが、戦争をあおらない客観的な分析をするとは考えにくい。ところがメディアはそうした戦争研究所の実態について一言も語らず、その主張を垂れ流す。まともとは思えない。

2023-07-06

ハイパーインフレにどう備えるか

ハイパーインフレは二つの意味で怪物に似ている。「そんなものが出るはずはない」と多くの人が笑う。そして実際に出現すると、笑った人も笑わなかった人も餌食になる。


現代の経済学の教科書の多くは、ハイパーインフレは物価が1カ月に50%以上上昇したときに起こると述べている。しかし毎月50%の物価上昇ということは、年間インフレ率が1万2900%近くになることを意味する。例えば、コーヒー1杯の値段が1年以内に300円から約3万9000円に上昇することになる。これは完全に異常だ。

インフレが異常な領域に突入しないうちに歯止めをかけるには、月50%の物価上昇というハイパーインフレの基準は高すぎる。もっと低く、例えば月3%の物価上昇が続いた時点でハイパーインフレと呼ぶべきだろう。

ハイパーインフレを止めることはできるのか。答えは、理論的にはイエスだ。中央銀行がマネーサプライ(通貨供給量)の拡大を止めればいい。しかし、これは現実にはたやすくない。多くの人々が政府からの財政支出に依存しており、その財源の多くは事実上、中央銀行が国債を購入する財政ファイナンスによって賄われている。だから人々は少なくとも当初は、たとえ物価上昇率が拡大しても、金融緩和が続くことを好む。

しかし金融緩和による通貨価値の下落は、ある臨界点を超えると、経済・社会に大きな混乱をもたらす。

通貨が安くなると、国内に入ってくるあらゆるものの価格を押し上げる。米国の場合、ヘリテージ財団のエコノミスト、ピーター・セントオンジ氏が論じるように、ドル安で最初に跳ね上がるのはガソリン、暖房用燃料、食料品などの値段だ。次に、自動車、鉄鋼やコンクリートなどの建設資材、衣料品、家具、テレビ、コンピューター、医療機器などが続くだろう。

そしてクライマックスである資本流出が始まる。外国人が神経質になれば、ドルだけでなくドル建ての資産も売り始める。とくに流動性の高い株式、社債、国債などだ。米国株は約40%、社債は約3分の1をそれぞれ外国人が保有している。外国人が逃げ出せば、どちらの相場も急落する。そうなれば確定拠出年金(401k)はほぼ半分になり、企業の借入コストはありえないレベルにまで上昇する恐れがある。米国債も3分の1は外国人が所有しており、その額は8兆ドルを超える。外国人が国債を投げ売りし始めれば、米国債の元利払いは年間数千億ドルも高騰する可能性がある。

こうした混乱を鎮めるために、中央銀行である連邦準備理事会(FRB)がさらに何兆ドルもの資金を経済に流入させれば、物価上昇は一気に加速する。ハイパーインフレの怪物が人々のドアをノックし、最後にはドアを蹴破るだろう。

独エコノミストのトルステン・ポライト氏は「いつ起こるかはわからないが、私の考えでは、不換紙幣制度でハイパーインフレが起こる可能性は非常に高い」としたうえで、「ドルやユーロなどの政府通貨を信用しないことだ。可能な限りお金を持たないこと」とアドバイスする。

同氏によれば、当座の支払いに必要な預金以外は、お金を再配分するのが最善である。例えば、コインや延べ棒の形で現物の金や銀にする。あるいは株式を購入する。専門家でない場合は、世界分散株式投資の上場投資信託(ETF)や投資信託でもいい。

「生産資本(すなわち株式)に投資し、貴金属を現物で(すなわちコインや延べ棒として)保有することは、多くの人々にとって、簡単かつ実行可能で低コストな投資戦略だ。お金の購買力が絶えず、さらには加速して破壊される影響から、少なくとも部分的に逃れるのに役立つだろう」とポライト氏は述べる。

2023-07-05

マイルドインフレの破壊力

インフレは、速度別に分類されることがある。緩やかな順にいうと、「マイルドインフレ」(クリーピングインフレともいう)は物価上昇率が年数%、「ギャロッピングインフレ」は年10%超〜数十%程度、そして「ハイパーインフレ」は1カ月に50%以上とされる。


このうち最も緩やかなマイルドインフレは、オンライン百科事典のウィキペディアにもあるように、経済が健全に成長しているとみなされ、望ましい状態といわれることが多い。実際、日銀を含む世界の中央銀行の多くは、年2%のインフレを実現するという目標を掲げている。

誰もが恐ろしいと思うハイパーインフレに比べ、マイルドインフレはその名のとおり穏健で、良いことだと信じている人が多い。政府やメディアもそう信じ込ませようとしている。しかしマイルドインフレはある意味で、ハイパーインフレよりも悪質だ。

マイルドインフレの物価上昇は、大したことはないように見えるかもしれない。しかし時間の経過とともに、お金の購買力は想像以上に低下する

年2%のインフレだと5年後には9%、10年後には18%の購買力が失われる。

年5%の場合、5年後には22%、10年後には39%の購買力が破壊される。

年10%になると、5年後には38%、10年後には61%の購買力が消滅する。

ハイパーインフレは誰が見ても異常で、経済に悪影響を及ぼすとわかる。これに対しマイルドインフレは良いことだと信じられ、政府によって推奨さえされているから、なかなか歯止めがかからない。ハイパーインフレよりも長期間続く可能性が大きい。その結果、上記のように、知らないうちにお金の価値がかなりの割合で奪われていく。

ハイパーインフレが劇薬だとすれば、マイルドインフレはじわじわ回る毒のようなものだ。しかも経済にとって「良い薬」だとして飲まされるのだから、なおさら怖い。

「お金の価値が多少減っても、マイルドインフレで経済が成長し、収入が増えればいいじゃないか」と思うかもしれない。しかし、政府が信じ込ませようとしている説とは違い、インフレと経済成長は関係ない。言い換えれば、デフレ(物価の下落)と経済の縮小は関係ない

米国、英国の歴史上、それぞれの黄金時代といえる19世紀後半の経済的な繁栄は、デフレの下で実現した。また、米ミネアポリス連銀のエコノミストが日米欧17カ国について、少なくとも過去100年のデータを調べたところ、デフレ期の90%近くが不況でなかった。

こうした事実にもかかわらず、政府・中央銀行は「デフレは悪」との迷信に基づいてマイルドインフレを目標に掲げ、金融緩和によってお金の価値を日々破壊し続けているのである。

2023-07-04

物価上昇はなぜ「インフレ」か?

「インフレ」とは学校で誰もが教わり、メディアでもしばしば目にする経済の基本用語であるにもかかわらず、正しく理解している人は少ない。たとえば、そもそもなぜ「インフレ」という言葉が「物価の上昇」を意味するのだろうか。


英語のinflation(インフレーション)という名詞の元になった動詞inflate(インフレート)をオンライン英和辞書で調べると、最初の意味に「〈気球・肺・救命具などを〉ふくらませる、(空気・ガスで)膨張させる、拡張する」とある。グーグルで「inflate」と入れて画像検索してみると、風船を膨らませている写真がぞろぞろ出てくる。これがinflateという言葉の本来のイメージなのだ。

しかし「膨らませる」という語がどうして「物価の上昇」を意味するのだろう。「膨張」と「上昇」は似ているようで全然別の言葉だ。物価は「上昇する」のであって、「物価が膨張する」はおかしい。

じつは経済学の世界でも、かつてinflationは文字どおり「膨張」の意味で使われていた。何が膨張するのか。世の中に出回るお金の量、経済用語でいう通貨供給量(マネーサプライ)だ。

手持ちのお金の量が増えれば、多くのお金を払ってでもほしい商品を買おうとする人が増えるから、商品の値段は上昇する。つまり通貨量の膨張は原因で、物価の上昇はその結果だ。インフレという言葉はもともと通貨量膨張という原因を指したのに、いつの間にかその結果にすぎない物価上昇を意味する言葉に変わってしまったのだ。

「言葉の意味の移り変わりはよくある話」と思うかもしれない。だがこの変化には「実害」がある。

以前は政府・中央銀行が通貨量を膨張させると、それだけで不当な行為として非難を浴びた。お金全体の量が増えると、人それぞれが保有するお金の価値が薄まってしまうからだ。

商品の供給量が変わらないか減っているときは、他の条件に変化がない限り、お金の量が増えると物価が高くなるので、お金の価値が薄まったことに気づきやすい。人の目が欺かれやすいのは、生産活動が盛んで商品の量が増えている時期だ。お金の量が同じだけ増えても物価は上昇せず、影響が目に見えにくい。だが実際にはお金の所有者は見えない損失を被っている。本来なら商品の量が増えたおかげで物価が下がり、同じ金額で買える商品が増える、つまり、保有するお金の価値が高まっていたはずだからだ。

言葉の指す内容がすり変わるにつれ、それまで通貨量の膨張そのものに向けられていたインフレ批判が、その一つの結果にすぎない物価上昇に向かうようになってしまった。この違いは大きい。なぜなら「物価上昇さえ招かなければ通貨量をいくら膨張させても問題ない」という言い逃れの余地が生まれるからだ。

事実、現在ではこうした詭弁が経済学者や評論家によって広められ、「日本は物の供給能力が余っているのでお金の量を増やしてもインフレにはならない」などという主張のおかしさに誰も気づかない。お金の量を増やすことそのものが、インフレなのに。通貨量膨張を指す言葉が消えると同時に、私たちはそれを批判する発想そのものを失ってしまったのだ。

経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、こうした変化について次のように嘆いている。

「これまでインフレーションという語で表わしてきた内容を表せる適当な用語が、もはやなくなってしまった。命名できない政策と闘うことは、不可能である。政治家や著述家が、貨幣の巨額追加発行という便法に疑問をもっても、公衆が、認め理解できるような用語を使うことは、もはや、できなくなっている」(『ヒューマン・アクション』)

物価が上昇してから、ようやく批判を始めても、もはや手遅れだ。

2023-07-03

コストプッシュインフレの嘘

「コストプッシュインフレ」という言葉を時々目にする。最近も日銀の植田和男総裁が会見で足元の物価高について質問され、「この原因は海外発のコストプッシュインフレーションでそれは日本の金融政策で直接どうこうするということはなかなかできない」と答えていた。

野村証券の「証券用語解説集」で「コストプッシュインフレ」を調べると、「生産コストの上昇により起こるインフレのこと。具体的には、原材料や資源価格の上昇による資源インフレ、賃金の高騰による賃金インフレなどがある」とある。

わかりやすいようで、わからない。コストプッシュインフレは「生産コストの上昇により起こる」というけれど、じゃあ、その「生産コストの上昇」はなぜ起こるのか。つまり、原材料や資源価格の上昇、賃金の高騰はなぜ起こるのか。それを説明してくれなければ、まるで「暑いのは気温が高いから」といわれたようなもので、どうにも腑に落ちない。

コストプッシュインフレに対する疑問はまだある。原材料・資源の値上がりと同時に物価全般が上昇したら、何となく、原材料・資源の値上がりのせいで物価全般が上昇したように見える。だがよく考えると、Aという現象(原材料・資源の値上がり)とBという現象(物価全般の上昇)が同時に起こったからといって、AがBの原因だとは限らない。もしかすると他にCという現象が起きていて、それがAとBに共通する原因かもしれない。

経済ジャーナリストのヘンリー・ハズリットは、賃金と物価の関係について次のように説明する。

「物価と単位労働コストがほぼ同じ上昇を示したり、あるいは特定の年や期間にどちらか一方がより大きな上昇を示したりしたことを示す数値がある場合、これは何が起こったかを説明するものであって、何がその変化の『原因』であったかを説明するものでは必ずしもない。賃金の上昇が物価の上昇を引き起こしたのか、あるいはその逆なのかという疑問に対する答えは、数字からだけでは判断できない」

そのうえでハズリットは、物価上昇の原因は別にあると指摘する。マネーサプライ(通貨供給量)の増加だ。物価上昇に結びつくまでにはタイムラグもあるし、マネーサプライの増加率が物価に正確に比例して反映されるわけでもない。それでもマネーサプライが増えなければ、物価全体は上昇しない。

そうでなければ、たとえば値上がりした原材料・資源の購入にお金を多く支払う分、他の製品・サービスは買えるお金が減って値下がりし、全体では物価に変化はないはずだ。

日銀が本気で物価高を止めたければ、コストプッシュがどうのこうのと言い訳をせず、通貨の供給量を減らせばいい。つまり、金融緩和をやめればいいだけの話だ。

2023-07-01

黒船来航と避戦外交

1853(嘉永6)年6月、米国の東インド艦隊司令官ペリーが、軍艦4隻を率いて浦賀(神奈川県横須賀市)に来航した。そのうち2隻は巨大な蒸気艦のミシシッピー号とサスケハナ号で、当時の世界最大・最先端の戦艦だった。黒船来航である。

幕末外交と開国 (講談社学術文庫)

ペリーはフィルモア大統領の国書を提出して開国を要求した。ペリーが再来日した翌年、幕府は日米和親条約を結んだ。英国、ロシア、オランダとも同様の条約を結び、二百年以上にわたる「鎖国」に終止符を打つ。

幕末開国について、これまでは次のような理解が支配的である。①徳川幕府は無能無策だった②そこにペリーの強力な軍事的圧力がかかった③このため日米和親条約は極端に不平等な条約となった——。

幕府無能無策説は、幕府を倒して成立した明治政権下で強くなった。前政権を打倒した正統性を補強するため、幕府の無能無策を喧伝したのである。歴史学者の加藤祐三氏は「この政治的キャンペーンを、現代人がそのまま事実と受け取るのは愚かである」と指摘する(『アジアと欧米世界』)。

日米和親条約の内容や締結の経緯を詳しくみると、幕府無能無策説には疑問符がつく。たとえば、19世紀は戦争の時代である。戦争に敗北すると「敗戦条約」を結び、賠償金を払い、領土を割譲した。アヘン戦争の南京条約がその典型だ。さらに厳しい場合には、条約さえ結ぶことなく、国家の主権の三権(立法・司法・行政)をすべて失い、植民地となった。インド、インドネシアがその例である。

しかし日本は圧倒的な軍事力を擁する米国と戦争にならず、そのおかげで、賠償金支払いや領土割譲を強いられることなく、植民地にもならなかった。日米和親条約はたしかに不平等な面はあったものの、戦争を伴わない「交渉条約」であり、アジア諸国の多くが経験した植民地や敗戦条約に比べて、不平等性ははるかに弱かった。

そうした結果を導いたのは、一つには江戸幕府が事前に情報を収集・分析し、それに基づいて、戦争を回避する「避戦」の方針を早くに固めたことにある。もう一つ、米国側にも戦争を避けたい事情があった。それぞれみていこう。

まず米国側の事情である。ペリーの任命の形式は、米外交では異例だった。条約締結の使節派遣は通常、国務省の所轄である。ペリーの場合は、フィルモア大統領により、海軍省所管の東インド艦隊司令長官に任命された。海軍の作戦行動の一環として、日本との条約交渉を行うよう指示を受けている。

米憲法では交戦権(宣戦布告権)は大統領にはなく、上院に属する。ペリーは出航前に、大統領による「発砲厳禁」の至上命令を、国務長官代理コンラッドからあらためて受けた。英国のように内閣が交戦権を持つ国とは違って、米国はもともと「砲艦外交」を行うことはできなかったのである。

しかもフィルモア大統領は選挙を経ていない。タイラー大統領の副大統領として当選し、大統領が途中で死去したため、憲法に従って、その残任期間だけ大統領に昇格した。タイラーはウィッグ党(共和党の前身)で、議会の多数派は民主党だった。議会と協議のうえで使節派遣を行う余地はなかった。

ペリーはそれ以外にも制約を抱えていた。最先端技術の蒸気船は、石炭補給路を断たれれば、巨大な漂流物となる。また当時の国際法では、二カ国が戦争状態になった場合、第三国が中立宣言をすると、交戦国の船は中立宣言をした国(植民地を含む)の港には入港できず、物資の補給が断たれる。

次に、日本側の対応である。幕府は対外策の決定に、日本に来航する異国船と接して得た直接情報と、間接情報として長崎に入る海外情報を生かしていた。海外情報には中国船・オランダ船が長崎にもたらす書籍類と、幕府が提出を義務づけた風説書(最新情報)とがある。

ペリー来航が予想もしない青天の霹靂であったなら、突然に姿を見せた黒船艦隊に、ただ慌てふためくばかりだったに違いない。しかし幕府は事前に情報を得ていた。アヘン戦争から十年後、オランダ商館長にクルチウスが着任し、1852年4月7日付で風説書を長崎奉行に提出した。ペリー来航の一年以上も前である。

風説書には「北アメリカ共和政治の政府が日本国へ使節を送り、日本国との通商を望んでいる」とあった。そのうえで「帆船4隻が唐国に集結しており、さらにアメリカ海軍は数隻の蒸気船を増派する予定」で、「ミシシッピー号にペリー司令長官が乗っている」と述べていた。

老中首座(現在の総理大臣)でまだ三十代の若さの阿部正弘は、この秘密情報を有力大名に共有したうえで熟慮を重ね、戦争回避の原則を立てた。戦力からみれば、海軍を持たない幕府が、米国の巨大艦隊に対抗する方法は皆無といえる。軍事的対決を回避し、外交により対処するしかない。

幕府の避戦の方針は、ペリー来航の十年以上前から徐々に培われていた。アヘン戦争における中国敗戦の情報を日本の教訓としてとらえ、外国船が沿岸に近づいた場合の対応を変更した。1842年、それまでの強硬な打払令(文政令)を撤回し、天保薪水令に切り替えたのである。発砲せず、必要な物資を与えて帰帆させる穏健策だった。

ペリーが初めて浦賀沖に来航したとき、幕府側は天保薪水令に従い、大砲などで攻撃しなかった。そして、浦賀奉行所のオランダ通詞(通訳)の堀達之助が与力の中島三郎助とともに小さな番船で旗艦サスケハナ号に近づくと、「I can speak Dutch!(自分はオランダ語が話せる)」と英語で叫んだ。甲板に立つ水平には英語しか通じないだろうと推測し、あえて英語を使った。あらぬ誤解や小競り合いを避けるためである。最初の出会いで発砲外交を避けることができたのは、その後の平和な交渉を象徴する出来事だった(加藤祐三『幕末外交と開国』)。

また、ペリー艦隊が補給線を持たず、戦争になる可能性は小さいことを、ペリーとの交渉にあたった林大学頭の家臣が明白に指摘していた。このような情報分析を踏まえ、また米国側の戦争を避けなければならない制約もあって、幕府はペリー側と穏健に交渉を進めることができたのである。

地政学リスクが高まる昨今の世界情勢では、日本が戦争に巻き込まれる可能性を否定できない。それどころか、最近の日本政府は自分からあえて戦争に巻き込まれようとしているようにすら見える。江戸幕府の避戦外交から学ぶべき点は少なくない。

<参考文献>
  • 加藤祐三・川北稔『アジアと欧米世界』(世界の歴史)中央公論社
  • 加藤祐三『幕末外交と開国』講談社学術文庫
  • 加藤祐三『開国史話』神奈川新聞社