2016-10-31

人口爆発は怖くない

Jonathan Newman, Inferno and the Overpopulation Myth(映画『インフェルノ』と人口過剰の神話)より抜粋。

18世紀英国の経済学者マルサス(Thomas Malthus)は、人口が急成長する可能性を問題視した。もし人口が生存の手段より速く増加したら、貧困や悪をもたらすのは必死と考えたのである。しかし恐れる必要はない。

地球上には人の住んでいない土地がたくさんある。マルサスは先入観(biased perspective)から、大都市の過密地域ばかり見ていたに違いない。

人口増加が意味するのは、物を食べる人が増えることだけではない。考え、働き、物をつくる人が増えることでもある。人口が増えれば増えるほど、さまざまな技能(variety of skills)が発達し、より効率よく生産できるようになる。

マルサスの時代、人間は生きるのがやっとだった。しかし21世紀の現在、世界人口の増加にもかかわらず、極度の貧困(extreme poverty)は減少している。一人あたりGDPは産業革命以降、劇的に増大している。

今では世界中のコンピューターがインターネットで結ばれ、ポケットに収まるほど小型化した。人間の生産性(human productivity)は五十年前でさえ想像できなかったほど向上している。マルサスが現在の世界を見たら、自説を放棄するに違いない。

2016-10-30

コイル『GDP』

GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史
GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

大きな政府のイデオロギー

GDP(国民総生産)の数字がわずかに増えたり減ったりするだけで、政治家や評論家は一喜一憂してみせる。あまり真に受けないほうがいい。本書を読めばわかるように、GDPは国民の経済的な豊かさを必ずしも示さないからである。

GDPは1920〜30年代の英米で生まれた。米国では経済学者クズネッツが政府の依頼を受け作成する(この業績によりのちにノーベル経済学賞を受賞)。大恐慌で国民所得が半減したという衝撃的な報告をまとめ、ルーズベルト政権が経済対策を推し進めるうえで大きな力となった(p.19)。

ただし、クズネッツと政府には意見の対立があった。クズネッツは国民の経済的な豊かさを測定するには軍事費を差し引くべきだと主張した。政府はこれに反対した。「政府の軍事支出が国の経済を縮小させてしまっては都合が悪いからだ」(p.20)

結局クズネッツは政治的争いに敗北し、政府が勝利した。クズネッツは政府のやり方を「政府支出が経済成長の数字を増大させることを同語反復的に認めているにすぎず、人々の豊かさが向上するかどうかは考慮されていない」(p.22)と批判した。

現在、GDPは軍事費に限らず、社会保障などあらゆる政府支出を価値あるものとみなして加算する。だから政府支出を増やせば、仕組み上、経済成長率は高まる。それは政治家には好都合でも、人々の経済的な豊かさを示すとは限らない。

著者はGDPを必ずしも否定するわけではない。それでも本書は、中立公正であるかのように見えるGDPが、実は大きな政府を肯定し、促進する政治イデオロギーと密接に結びついている事実に気づかせてくれる。

2016-10-29

貿易協定は自由貿易にあらず

Carmen Elena Dorobăț, Trade Agreements or Political Independence: A False Choice(貿易協定か政治的独立か――偽りの選択)より抜粋。

政府間の貿易協定(trade agreements)は、自由貿易と同じではない。それどころかその意図は、貿易をやりにくくしてコストを上げ、消費者を犠牲にして特定の親密な利益団体を厚遇することにある。

だから貿易協定の交渉や批准には長い時間がかかる。政治工作(political maneuvering)や妥協によって、異なる産業・農業団体の相反する利益を満足させなければならないからだ。それでいて政府は自由貿易の理念を守ったと得意顔になる。

自由貿易が広まり、持続するのは、大衆の求めによって下から起こったときだけだ。政府の上からの(top down)介入は、たとえ「善意」からであろうと、自由貿易を広める助けにはならない。

それどころか貿易協定を押しつけ、国民に抵抗された場合、自由貿易の目的に大きな悪影響を及ぼす。自発性を損なうし、経済にひずみが生じ、それは関税や規制(tariffs and regulations)をなくしたせいだと非難される。

政府は貿易交渉にかかわらないのが産業と消費者(industry and consumers)のためだ。政府が消費者と企業の代わりに契約したり、消費者と企業の契約に加わったりすると、将来必ず、無数の介入を許すことになる。

2016-10-28

水野和夫『過剰な資本の末路と、大転換の未来』


それは資本主義の害悪か

資本主義を批判し、その終焉を望む言論が流行している。しかし、そうした言論の多くに共通した誤りがある。政府の政策や規制がもたらす害悪を資本主義の弊害だと取り違え、資本主義を非難することだ。本書もその誤りを犯している。

著者は米金融市場における派生商品取引の膨張を取り上げ、資本主義を批判する。しかしそもそも派生商品取引が広まったのは、著者自身が記すとおり、政府が金とドルの交換を停止した結果、ドルの下落をヘッジする必要が生じたからだ。

福島原発事故が大惨事となったのは、「より合理的に」という発想から無駄なコストを削り、津波対策を怠ったからだと著者はいう。だがそれは政府とその影響下にある東京電力の近視眼的判断であり、資本主義の合理精神にむしろ反する。

著者は、資本主義は過剰や過多をもたらすとして、空き家の増加を例にあげる。しかし空き家問題の主因は「更地にすると固定資産税の負担が増す」「建築基準法の規制で建て替えが認められない」といった事態を招く政府の税制や法制だ。

一方で著者は、資本主義は必要なところに物やサービスを届けられないとして、世界における栄養不足問題を例にあげる。だがアフリカなどの飢餓の多くは、政治的混乱のせいで食料のサプライチェーンが整備されないため起きている

原発事故を繰り返してはならない、世界から飢えをなくしたいという著者の願いには共感する。しかしもし資本主義を終わらせれば、その願いがかなえられることは決してないだろう。経済的な資源を本当の意味で効率よく使い、社会を豊かにするのは自由な資本主義であり、政治家や官僚ではないからだ。

2016-10-27

民泊に牙むく縁故資本主義

*Brittany Hunter, New York Declares War on Homesharing(ニューヨーク、民泊に宣戦布告)より抜粋。

ニューヨーク州のクオモ知事(Governor Cuomo)は老舗ホテル業界に屈伏し、米国で最も厳しい民泊規制法案に署名した。ニューヨーク市内での民泊は事実上禁止される。

ニューヨーク市のホテル業界はここ数年、記録的な落ち込みを見せてきた。これはAirbnb(エアビーアンドビー)のような民泊サイトの人気と直接関係がある。……業界は経営革新に奮起するのでなく、縁故主義(cronyism)に走り、知事に圧力をかけ競争を制限させた。

ニューヨーク市ではすでに、集合住宅の住民が30日未満の短期滞在のために部屋を貸し出すことを禁止している。今回の新規制では、住民が自分の住居を民泊サイト(homesharing websites)に載せるだけで、1000~7500ドルの罰金の対象となる。

ホテル業界(hotel industry)は新規制成立を競争相手に対する勝利とみなすかもしれないが、本当の犠牲者はニューヨーク市の住民だ。米国一物価の高い街に住んでいるのに、民泊で収入をカバーできなくなるのは非常に痛い。

専門家はこうコメントする。「州当局はAirbnbを叩きつぶしてホテルの労働組合(hotel unions)を喜ばせようと、死に物狂いだ。おかげで20億ドル分もの経済活動が失われた。それは生活費の捻出に必死な市民に恩恵をもたらすのに」

2016-10-26

長沼伸一郎『経済数学の直観的方法』

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)
経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)

現代経済学は裸の王様

現代の経済学は数学を多用する。記号や数式で埋め尽くされた論文を見ると、まるで物理学のように高度な科学だと思うかもしれない。だが本書を読むと、必ずしも著者の意図ではないものの、きらびやかに飾り立てた「社会科学の女王」が裸の王様にすぎないことがわかる。

著者が指摘するとおり、経済数学は「物理や天体力学の世界で成功した数学技法で使えそうなものを寄せ集めて作られた」。だから宇宙の神秘を背後に感じさせる物理数学と違い、全体を見ても「何か明確なストーリーが見えてこない」。

19世紀後半、ワルラスやパレートは経済学に微積分を応用し、「ニュートンの業績に比すべきもの」と称賛された。だが著者によれば、同意する理系研究者は少ない。オリジナリティが感じられないうえ、肝心の微分方程式をほとんど駆使できていないからだ。

天体力学には天体が3個以上になると問題が解けなくなる弱点があり、「太陽と地球」「太陽と木星」のように2個ずつの問題に分けて近似値を求めた。太陽の引力だけが桁外れに大きい特殊要因のおかげで、惑星間の引力を無視できた。

しかし経済学の場合、個々の現象をつなげた誤差は巨大になりかねない。このためケインズは数学の使用に否定的だった。「彼の方が遥かに数学に熟達していて、問題の本質を見抜いていた」と著者は書く。ケインズは数学科出身だった。

著者は経済数学を否定しているわけではない。肯定したうえでその攻略法を説いている。しかし物理学の学識を生かし、経済学と距離を置いた立場で自由に書いているために、飾りにすぎない数式を身にまとった現代経済学のお粗末な正体をはしなくも暴いた。一種の奇書といえる。

2016-10-25

ゼロ金利政策の病理

*Emile Woolf, Six Things to Consider About Inflation(インフレについて考えるべき6つの事柄)より抜粋。

中央銀行は、金利を押さえ込めば生産活動が活発になると期待する。しかしそれはセイの法則(Say’s Law)を無視している。セイの法則が示すとおり、消費するためにはまず生産しなければならない。

セイの法則の反対は、ばかげた「需要管理」(demand management)である。需要を刺激すれば、その需要を満たす生産を魔法のように生み出すという。もしそれが正しければ、今ごろベネズエラやジンバブエは世界一豊かな国として羨望の的だろう。

金利を押さえ込むと、長期のインフラ投資計画(infrastructure investment plans)が手控えられる。民間のインフラ関連企業はコストの見通しが立たなければ、事業に踏み出せないからだ。金利がいつ上昇するかなどが不透明だと、動きが取れない。

資金配分を誤るリスクは、民間建設会社には大きすぎる。公共工事の混乱ぶり(cock-ups)を見るがいい。飛行機が着陸しないスペインの空港。車の走らないポルトガルの高速道路。英国で計画中の新高速鉄道(HS2)……。

ゼロ金利政策で促進されるのは、最小限の資本で済む短期の生産計画だ。安い製品ならリスクを小さくできる。だからみすぼらしいアウトレット店が郊外の目抜き通り(high street)に立ち並ぶ。するとインフレなど起こっていないように見えるのだ。

2016-10-24

ウルフ『シフト&ショック』


清算主義は悪か

「清算主義」は、「自由放任」と同じく、経済学者やジャーナリストの多くが非難する言葉の一つである。しかし清算主義とは、不況で非効率な企業が淘汰されれば、経済全体がより健全になるという常識にすぎない。それを否定しては資本主義は成り立たない。

本書も清算主義を批判する。著者によると大恐慌時、フーバー政権のメロン財務長官が清算主義を提言したが選挙で支持されず、代わって自由放任主義を否定するルーズベルトが大統領に選ばれたという。だがこの説は事実に反する。

メロンは清算主義を主張したが、フーバー大統領はこれを無視し、公共事業や金融緩和など介入政策を盛んに行った。しかし経済はむしろ悪化。ルーズベルトはこの政策を「もっとも向う見ずで放蕩に満ちたもの」と批判し、当選したのだ(マーフィー『学校で教えない大恐慌・ニューディール』)。

著者は「過食で心臓発作を起こした患者の治療を拒否して、ダイエットをするように勧める医者はいない」と述べ、政府の景気対策を擁護する。だが景気対策は税金が原資だから、実際は治療と称して患者から血液を搾り取るようなものだ。

著者は「民主主義の下では、政府は国民の基本的な安全を守らなければならない」という。しかし経済危機は政府自身の介入がもたらす人災だ。著者が主張する公共投資や公的融資の拡大はむしろ経済を不健全にし、国民の安全を脅かす。

2016-10-23

大企業は規制がお好き

Peter G. Klein, How Regulation Protects Established Firms(規制が既存企業を守る仕組み)より抜粋。

既存の大企業(established companies)はしばしば規制の強化を求める。ロビー活動を行い、与野党双方の政治家にたっぷり献金する。政府が経済で大きな役割を果たしてくれると、好都合なのだ。

規制(Regulation)があると、企業の多くは必要以上に規模が大きくなり、官僚化する。

規制は政府にコネのある大企業の助けになる。興味深いことに、それを当事者が堂々と語っている。政府と密接につながり、第四の権力と呼ばれるゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)のトップがである。

ゴールドマンのブランクファイン(Lloyd Blankfein)最高経営責任者(CEO)は語る。「金融業界は新規参入で既存企業に割り込むのがとても難しい。理由は簡単、規制が多いからだ。…規制は厄介だけれど、堀の役目を果たしてくれることがある」

規制は新規参入に対し効果抜群のバリア(very effective barrier)になりうる。複雑きわまる規制が理解できない? 政府にしかるべきコネがない? 暗黙のルールを知らない? お気の毒さま、あなたはその業界に向いていない。

2016-10-22

松戸清裕『ソ連史』


他山の石としてのソ連

もしあなたが「ソ連は社会主義だから滅びた。資本主義の日本には関係ない」と考えているとしたら、それは誤りだ。ソ連が滅びたのは、本書が描くように、政府が市場経済の原理に無知だったからである。日本に無縁の話ではない。

最高指導者フルシチョフは、食肉・牛肉・バターの生産量で米国に追いつき、追い越せと号令した。これは「非現実的」だった。畜産物の政府買付価格は安くて生産コストに満たず、農民が生産増大に積極的に取り組もうとしないからだ。

農民の生産意欲を高めるには買付価格の引き上げが必要である。それまで何度も引き下げた小売価格を上げざるをえない。平均30%引き上げたところ、国民は強く反発した。ある州では数千人が抗議し、軍の発砲で数十人が死傷した。

またフルシチョフは、安価で供給されるパンを餌に家畜を飼う都市住民が少なくないことが、パン不足を招いているとみて、都市住民による家畜の飼育を禁止した。この結果、都市は食肉不足に陥る。農家の付属地削減で野菜も不足した。

環境破壊は「資本主義の病」という神話に反し、社会主義のソ連で環境は大規模に汚染されていた。利潤の最大化への無関心が逆に罰金や悪評を厭わぬ態度につながったとも、生産計画達成のため環境対策を後回しにしたともいわれる。

今日、貧困や格差を解決するため、資本主義に代わる「対抗文明」を訴える人々もいる。しかし著者はソ連の歴史を踏まえ、「善き意図が善き結果につながるとは限らず、『対抗文明』のほうが優れたもの、善きものとなるとは限らない」と慎重に述べる。ソ連史を他山の石として学ぶ意義は大きい。

2016-10-21

政府は貨幣に手を出すな

*Larry White, Classical Liberalism's 700-Year Fight Against Monetary Oppression(貨幣の弾圧に対する七百年にわたる古典的自由主義の戦い)より抜粋。

1978年のモンペルラン協会会合でミルトン・フリードマン(Milton Friedman’)は、貨幣に政府の介入は避けられず、経済学者の正しい役割は賢明な介入を擁護することだと述べた。貨幣の脱国営化しか正解がないと信じれば「失敗は必至」だと強調した。

するとハイエク(F.A. Hayek)が立ち上がり、歴史上、金本位制だけが政府に対する唯一の抑制だったと発言。貨幣に関するあらゆる独占と政府支配に反対する持論を繰り返した。ハイエクによれば、貨幣発行の民営化こそ唯一の答えである。

フリードマンは1980年代、ハイエクの貨幣脱国営化論(denationalization)に近づく。1984年の記事で、中央銀行の金融負債凍結、金融政策委員会の廃止とともに、通貨発行への民間競争導入を提言し、国民の通貨需要の伸びに応えるよう求めた。

フリードマンが考えを改めたきっかけは、経済学者ロコフ(Hugh Rockoff)らの研究で、民間貨幣が詐欺に使われやすい事実はないとわかったことと、公共選択論が明らかにしたとおり、中央銀行はあらゆるルールをかいくぐろうとすると実感したことだ。

1986年、フリードマンはシュワルツ(Anna Schwartz)と共同執筆した記事で、タイトルにある問題を掲げ、より古典的自由主義に沿った回答を示そうとした。そのタイトルは「政府が貨幣に果たすべき役割はあるか」といった。

2016-10-20

佐伯啓思『自由と民主主義をもうやめる』

自由と民主主義をもうやめる
自由と民主主義をもうやめる

詭弁による自由主義批判

詭弁の一種に、相手が主張していないことを自分の都合のよいように表現し直し、論破することで、あたかも相手の主張を論破したかのように見せかける手法がある。「藁(わら)人形論法」という。本書で著者は、その詭弁を用いている。

戦後、日本的価値に代わってアメリカ型の自由民主主義が持ち込まれたとして、著者はこう批判する。「自由が無条件に大事だと言ってしまうと、とんでもない『悪』をなす自由も認めることになります」。これが藁人形論法である。

自由至上主義者といわれるリバタリアンでさえ、「とんでもない『悪』をなす自由」を認めたりしない。前提として、「正当な理由なく他人の生命・身体・財産を侵害してはならない」という明確なルールがある。非侵害公理と呼ばれる。

その意味で、自由を「無条件に」許すべきだと主張する自由主義者など存在しない。つまり著者は、相手が主張していないことを自分に都合よく表現し直し、あたかも非常識な主張であるかのように見せかけている。正しい議論ではない。

「アメリカ型」の自由を罵る著者が復権を叫ぶのは、「日本的精神」である。それは何かといえば、「海ゆかば」に歌われた、「天皇のために生き、天皇のために死んでい」く精神だという。もし著者がそうしたければ、それは自由である。

2016-10-19

自由貿易に条約はいらない

*Claudio Grass, Why They Keep Trade Deals Secret(貿易交渉が秘密にされる理由)より抜粋。

TTIP(環大西洋貿易投資パートナーシップ)について、欧州ではその内容だけでなく、交渉がきわめて秘密主義である(extremely secretive)ことに対し、世論が対立している。 

TTIPは自由貿易協定ではない。新たな「管理貿易」(managed trade)である。交渉を秘密にしたことで、その背後にある意図が疑われ、米国と欧州の市民にとって本当に利益になるのか疑念が広がったのは間違いない。

実際のところ、自由貿易に条約は必要ない。純粋な自由貿易は、一国が単独でなしうる政策(unilateral policy)である。他国の許しを得て、貿易障壁を除いてもらう必要などない。

どうやらTTIPは主として、大企業とロビイスト(big business and its lobbyists)によって書かれた合意である。その目的は大衆に販売される製品の質を犠牲にして、欧米市場の企業の中で有利な地位を占めることのようだ。

秘密主義は不信を招く。密室で有力な特別利益団体と無数の会合を繰り返す官僚たちによって、TTIPは近代史上最大の貿易協定と称賛されている。しかし、それは最も「非民主的」(undemocratic)な協定になるかもしれない。

2016-10-18

宮下規久朗『欲望の美術史 』


清貧の幻想

芸術家は己の純粋な創造意欲のみに従って創作し、物質的な見返りなどに頓着しないと思われがちだ。しかし「それはまったくの幻想」と著者は指摘する。むしろ金銭に執着し、貪欲な人物のほうが才能に恵まれ、多産であることが多い。

イタリアの画家ジョットもティツィアーノも、大工房を構えて旺盛に制作しつつ蓄財に努め、莫大な富を築き上げた。フランスのラ・トゥールは、あくせくと有力者に取り入り、税の支払いを拒むなど「吝嗇にして強欲そのもの」だった。

報酬を巡る芸術家と注文者のトラブルもよくあった。著名な宗教画家エル・グレコは報酬のことでしばしば注文主と争った。「一種のクレーマー」と著者は記す。作品の売り上げに対する税金の支払いを拒否し、裁判を起こしたこともある。

西洋の芸術家だけではない。明治時代、河鍋暁斎は鴉(カラス)を描いた自作に百円という破格の値段をつけた。あまりに高すぎるのではと非難された暁斎は、これは鴉の値段ではなく、長年の画技修業の価なのだと答えたという。

「芸術家に見られる金銭への執着は、多くの場合、自らの腕と芸術への矜持に由来するもの」と著者は述べる。勝手に清貧のイメージを押しつけ、商魂や蓄財、税逃れはまるで芸術家失格であるかのように非難するのは、間違っている。

2016-10-17

ローマを滅ぼした物価統制

Richard M. Ebeling, How Roman Central Planners Destroyed Their Economy(ローマの中央経済計画が経済を滅ぼした顛末)より抜粋。

301年、ローマのディオクレティアヌス帝は有名な物価統制令(Edict of Diocletian)を発する。穀物、肉、卵、衣料などの商品価格を定めた。これらの商品の生産に従事する者の賃金も公定した。公定価格を上回る価格で売った場合、死刑になった。

物価統制令が出ると、農家や手工業者の多くは商品を売る意欲(incentive)を失った。彼らが公正な市場価値と考えるよりも公定価格はずっと安かったからだ。そこでディオクレティアヌス帝は、商品を売らずにしまい込んだ者も死刑にした。

考古学者(archeologists)は、ローマ帝国政府が定めた価格表を発見した。千を超す種類の商品や労働サービスに対する法定価格・賃金が列挙されていた。

当時の記録にいわく、「皇帝はあらゆる商品(vendible things)の価格を自分で決めた。ほんのささいな違反も死刑だ。値段が安すぎるので誰も食料を売らなくなり、飢餓が広がった。多数が命を落としてようやく、物価統制令は有名無実化した」

ローマ帝国が弱体化し、滅んだのは、自由で豊かな社会を築くために欠かせない思想を失ったからである。それは個人の権利と自由な市場に関する哲学(philosophy)である。

2016-10-16

佐藤優『国家と神とマルクス』


プレゼントは反資本主義?

知識人の多くは左右を問わず、資本主義を非難する。しかしそのほとんどは本気でない。資本主義に対して的外れな攻撃を繰り返しながら、資本主義の恩恵を手放すつもりはさらさらない。なかには、恩恵に気づいてすらいない人もある。

著者は白井聡との対談で、資本主義の弊害をどう克服するかが重要だと強調し、「商品経済に巻き込まれない領域を自分で、個々の人が少しだけ作っていく」よう提案する。そして自分が日常生活で定めている原則なるものを披露する。

その原則とは、「本のやり取りに関して、自分から特定の本を薦め、相手がその本を読みたいと言ったときは、代金を取らないで送る」というもの。欧州のインテリもやっているという。さすがインテリ。庶民は平凡にプレゼントと呼ぶ。

プレゼントは資本主義社会で珍しいものではない。インテリが嫌うバレンタインデーのチョコレートはその代表だ。デパートでチョコを買って贈るのは、本屋で本を買って贈るのと何ら変わらない。著者の考えをあてはめれば、バレンタインデーのチョコ売り場は反資本主義の砦になってしまう。

色とりどりのチョコのように、専門書から文庫本まで多彩な書物が普通の市民にも買えるのは、資本主義の恩恵である。その恩恵に気づきもせず、あるいは気づかないふりをして、著者は資本主義を「ろくでもないシステム」と謗るのだ。

2016-10-15

現金は廃止できない

*Fabio Andreotti, Why There's a War on Cash in Europe(欧州で現金との戦いが起こった理由)より抜粋。

スイス人はドイツのようなハイパーインフレの経験はないが、政府権力に対する猜疑心が何事にも強い保守的な態度(conservative stance)から、現金廃止に反対している。

現金廃止政策に賛成する人々がよく忘れるのは、貨幣は強制からは生まれないということだ。経済学者メンガー(Carl Menger)が述べたように、〔金銀など〕ある商品がきわめて自然に貨幣になったのは、国家権力とは無関係な経済取引の結果である。

現金(physical cash)を廃止すれば、すぐに金銀その他の商品など他の支払手段が現れ、政府の電子通貨より広く使われるようになるだけだ。…言い換えれば、現金を廃止することはできないのだ。

現金は違法行為に利用されているというのも嘘だ。専門家の調べによると、マネーロンダリングの大半は、異なる法域のペーパーカンパニー(shell corporations)を通じ、現金を使わず行われている。

作家ドストエフスキー(Fyodor Dostoyevsky)は「貨幣とは鋳造された自由である」と述べた。今はこう言い直したほうがいいだろう。「現金とは鋳造された自由である」

2016-10-14

シヴェルブシュ『三つの新体制』


ムッソリーニが称えたニューディール

歴史の教科書では1930年代の世界恐慌への対応について、米国のニューディール政策と日独伊のファシズムを対照的に取り上げる。しかし本書によれば、ニューディールとファシズムは異質なものではない。その本質は似かよっていた。

第二次世界大戦で米国と独伊が敵同士となったり、ドイツによるユダヤ人迫害が国際問題になったりするまで、ファシズムは自由放任的な資本主義に代わるモデルとして世界的に注目されていた。とくにムッソリーニの人気は高かった。

ニューディールを指揮したルーズベルト大統領は「イタリアを再建しようという彼〔ムッソリーニ〕の誠実な意図に、また彼のこれまでの業績に深い感銘を受けている」(p.28)と語った。ルーズベルト政権にもムッソリーニ信奉者は多かった。

ムッソリーニもニューディール政策を高く評価し、こう書いた。「アメリカは何を欲するのかという問いへの答えはこうである。自由な、すなわち無政府的な経済に戻ること以外のすべてのもの。〔……〕コーポラティズム〔ムッソリーニの経済体制〕への道を進んでいる」(p.22)

ヒトラーもルーズベルトに親近感を抱き、こう述べた。「義務感、犠牲の覚悟、規律が国民全体を支配すべきであるという考え方において大統領と一致している。大統領が合衆国の個々の市民全体に課したこれらの道徳的要求は、ドイツの国家哲学の核心でもあり、それは『私益に対する公益の優先』というスローガンに表現されている」(巻末注 p.12

ニューディール時代の米国は、一党独裁ではなかったことや、個人の自由が完全には抑圧されなかったこと、秘密警察が存在しなかったことなど、独伊との相違点も多く、完全に同列のファシズム国家と呼ぶことはできないかもしれない。

それでも、きわどいところにあったのは間違いない。そうした事実を知らないまま、ニューディール政策をほめそやすのは危険である。

2016-10-13

所有権、ノーベル賞で脚光

*Peter G. Klein, The 2016 Nobel Prize: Incentives, Property Rights, and Ownership(2016年ノーベル賞――インセンティブ・財産権・所有権)より抜粋。

所有権(Ownership)は、生産資源の支配で最後に物を言う。…資源の所有者は助言者を雇うことはできるが、最終決定を下すのは所有者自身である。

今回ノーベル経済学賞を受賞したハートの研究(Hart’s work)は、資産の所有権に関するある考え方に基づく。所有権とは、事前の合意で想定しない場合、資産の使い方を決める権利と定義される。

未来に起こりうるあらゆる出来事を予想し、どうするか前もって合意することは不可能である。つまり、実行可能な契約はすべて「不完全」(incomplete)である。見落としや考えの食い違いは避けられない。

だから所有権は食い違いを埋めるために必要である。もし甲(party A)が資産の所有者ならば、乙(party B)に契約上一定の権利があったとしても、不測の事態が起こった場合、判断を下すのは甲である。

ハートとホルムストロームはウィリアムソン(2009年受賞)と異なり、ハイエクのような思想家(thinkers)の影響は小さいし、今風の数理経済学の流儀で論文を書くけれども、その業績は細心の研究に値する。最近の受賞者にはなかったことだ。

2016-10-12

マーフィー『学校で教えない大恐慌・ニューディール』


大恐慌を起こした「大きな政府」

俗説によれば、大恐慌発生時の米大統領フーバー(共和党)は自由放任を信じ、経済対策をやらなかったため不況を深刻にしたという。本書が示すとおり、それは嘘である。フーバーは「大きな政府」を信じ、それが大恐慌を引き起こした。

フーバーは株価暴落直後の1929年11月、金融業者や実業家をホワイトハウスに集め、賃金水準の維持を呼びかけ、同意を勝ち取った。物価の下落によって実質賃金は大きく上昇する。企業は雇用を抑え、失業率の上昇をもたらした。

フーバーは農民を助けるためとして、1930年に施行したスムート・ホーレー関税法で何千もの輸入品に高い関税をかけた。この結果、外国人は米国の輸出品を買うドルが少なくなり、純輸出産業だった米国農業は皮肉にも最も苦しんだ。

フーバーは就任後最初の2年間で政府歳出を42%も増やした。これは自由放任の神話とは裏腹に、教科書的ケインジアンの景気刺激策である。しかし失業率は下がるどころか、20%以上に上昇。フーバーはケインジアン政策を放棄した。

フーバーの政策は自由放任からかけ離れていた。規模は小さいものの、むしろルーズベルトのニューディール政策とよく似ている。皮肉にもルーズベルトは大統領候補時代、フーバーの政策を「もっとも向う見ずで放蕩に満ちたもの」と批判した。

主流派経済学に異を唱えるオーストリア学派経済学の入門書としても、すぐれた一冊である。

2016-10-11

政治は洗脳

The Pith of Life: Aphorisms in Honor of Liberty (English Edition)
The Pith of Life: Aphorisms in Honor of Liberty (English Edition)

*Jakub Bozydar Wisniewski,The Pith of Life: Aphorisms in Honor of Liberty(『自由の箴言』)より抜粋。

「数理経済学者」(mathematical economist)とは、数学ができなくて数学者になれず、技術が不得手で自然科学者になれず、現実が嫌いで保険ブローカーになれず、自己陶酔的で会計士になれなかった人物である。

経済学のわからない倫理学者は、貨幣があらゆる悪の根源だと信じる。経済学のわかる倫理学者は、不換貨幣(fiat money)が多くの悪の根源だと信じる。

経済学が教育だとすれば、政治は洗脳(brainwashing)である。

経済学は陰鬱な科学(dismal science)かもしれないが、政治は陰鬱な迷信である。

企業家は貧しい人に奉仕して(serving the needy)儲ける。政治家は貧しい人を作り出して儲ける。

2016-10-10

祝田秀全『銀の世界史』

銀の世界史 (ちくま新書)
銀の世界史 (ちくま新書)

経済は昔からグローバル

保守にもリベラルにも人気のある「国民経済」という言葉は、「丸い三角形」と同じくらいナンセンスである。経済の本質はグローバルであり、国境によって区切られる合理的理由はないからだ。むしろ政治に切断された経済は衰亡する。

著者は「綿工業から始まった資本主義は、成り立ちの段階から世界的であった」と正しく述べる。最初に各国別の資本主義があり、それらがしだいに結びついてグローバル資本主義に発展したのではない。最初からグローバルだったのだ。

18世紀中頃、英国マンチェスターで綿工業が始まる。綿花は熱帯性の植物で、欧州では手に入らない。原綿は遠く大西洋を越えて、カリブ海の西インド諸島や北米大陸南部から運ばれた。資本主義は一国では成立しないのである。

当時、黒人奴隷制が西インド諸島の耕地で大規模に行われたことを著者は強調する。もし資本主義に奴隷労働が不可欠と言いたいのだとしたら、それは誤解だ。もしそうなら、資本主義が発達するほど世界で奴隷が増えるはずである。

日本も徳川家康の時代、世界経済に積極的に参加する。朱印船でベトナム、カンボジア、タイ、フィリピン、台湾などに渡った日本人はおよそ10万人。日本人は農耕民族だからグローバル経済に向かないという俗説が嘘だとわかる。

話が近代日本に及ぶと、明治政府の帝国主義を勇ましく肯定したりするのはいただけない。それでも全体では、グローバル経済のダイナミズムを知ることができる。

2016-10-09

科学の驚異、市場の驚異

*Donald J. Boudreaux, Science Needs Markets(科学には市場が必要)より抜粋。

科学の理解を深めることには賛成だ。しかし現代社会の繁栄が科学だけによってもたらされたと考えるのは、間違っている。この驚くべき繁栄には、私的所有権に基づく自由な市場(free, private-property markets)が欠かせない。

自由な市場は繁栄をもたらし、多くの人々が科学の研究に打ち込むことを可能にするだけではない。科学の知識を現実に役に立ち、多くの人が入手できる商品・サービスに変えるのに必要な企業家のエネルギー(entrepreneurial energies)を解き放ち、導く。

冷蔵庫やスマートフォンに組み込まれた優美な科学は理解し、称えるにふさわしい。しかし中央の指令を受けない資本主義の市場が日々発揮する不思議な力(daily magic)は、科学と同じくらい、理解と称賛に値する。

市場は世界中の何十億もの人々による生産の努力を絶え間なく調和させ、空前の巨大な生産力をもつ市場経済(market economy)をもたらす。市場経済だけが、科学を絶えず大衆に役立たせることができる。

科学者はしばしば、市場の驚くべき成果(stupendous achievements)を無視する。科学の専門知識があれば、経済の役割を正しく理解できると思い込む。それは誤りだし、最も非科学的な考えである。

2016-10-08

内田樹『先生はえらい』


先生、なんだかヘンですよ

「理屈と膏薬はどこへでも付く」という。筋の通らない屁理屈でも、とりえあずもっともらしく述べることはできる。しかし読者をあまり馬鹿にしないほうがいい。たとえ若い中高生でも、いい加減な話に騙される人ばかりではない。

著者は「交換をするのは、交換によって有用な財が手に入るからではなく、交換することそれ自体が愉しいから」と書く。もしそうなら、人は買った物をすべて店のゴミ箱に捨てて帰るはずだ。しかしもちろん、そんな人はめったにいない。

オランダ人がビーズ玉と交換にインディアンからマンハッタン島を手に入れた逸話について、著者は「これは愉しいですよね、オランダ人にしてみたら」と述べる。交換の愉しみは有用な財の入手とは無関係というさっきの主張と矛盾する。

原始時代の交換について著者は、魚を食べたことのない山の民が「魚で不足がちのたんぱく質を補給しなきゃね」なんて思うはずがないという。だが人間は栄養学の知識がなくても、栄養のある食物には色や匂いで本能的に食欲を感じる。

著者は商品が継続的に買われるためには、300万円のロレックスの時計のように、値段の根拠が不明確でなければならないという。もしそうなら、値段の根拠が明確な例として挙げられた1万円のスウォッチは市場から消えているはずだ。

少し考えればぼろの出るおかしな主張ばかり。先生、えらいと思ってほしければ、もう少しがんばって。

2016-10-07

ロールズの負の遺産

*Jerome Foss, The Political Theorist Behind Today’s Identity Politics(現代の集団利益政治をもたらした政治哲学者)より抜粋。

米国におけるイデオロギーの二極化、公務員による憲法の無視、人種間の緊張といった問題は、政治に関する国民の考え方に一因がある。それに強く影響を及ぼしたのは、ハーバード大学の政治哲学者ジョン・ロールズ(John Rawls)である。

ロールズが自由を善とみなしたのは、機会や富(opportunity and wealth)の格差拡大につながらない限りにおいてである。この考え方は、学問と政治の世界でともに人気を集めた。

人々に自由を与えつつ格差(unequal conditions)を防ぐにはどうしたらいいか。その答えは、政府(とくに司法府)からみて不公平に扱われている人々を、政府自身が守ることである。

特権に恵まれていないと司法府がみなす人々を守るには、彼らを権利のある個人ではなく、人種、階級、性といった特定の下位集団(subgroups)として見なければならない。その結果、ロールズ理論は集団の利益を代弁する政治を助長する。

通常、最高裁は憲法判断を求められると、憲法に列挙された個々の権限を参照する。ロールズはそうではなく、立法が世の中を平等・公平にしたいという誠意(sincere desire)に基づいているかどうかによって判断するよう求めた。

2016-10-06

田原総一朗他『日本流ファシズムのススメ。 』

日本はどこへ向かうべきか? 日本流ファシズムのススメ。 エンジン01選書
日本はどこへ向かうべきか? 日本流ファシズムのススメ。 エンジン01選書

ファシズムとリベラルの通底

「安倍政権はファシズム」と一部のリベラル言論人は批判する。しかし彼らがどこまでその批判を貫けるか、心もとない。なぜならリベラルが信奉する社会民主主義とファシズムには、「反資本主義」という大きな共通点があるからだ。

ルーズベルト米大統領が大恐慌からの脱却を図るとして実施したニューディール政策は、リベラルな経済政策の代表例と一般には信じられている。しかし本書で宮台真司は、ニューディールは全体主義的で、ファシズム的だと指摘する。

ファシズムは市場経済を全否定する社会主義と違い、市場を温存しながら、政府が市場内部のプレイヤーとなる。国民を束ね(ファッショとは束の意味)、統合をもたらそうとする。これはまさにニューディールで行われたことである。

一方、市場を温存しながら、政府が経済を間接的に支配しようとするファシズムの考えは、社会民主主義に共通する。宮台は触れていないが、事実、スウェーデンの社会民主労働党は創設時、ムッソリーニの思想の影響を受けている

宮台は、政府による市場の制御は正しいという認識の下、「批判を覚悟で、ニューディーラー的なファシストでありたい」と宣言する。佐藤優もファシズムを入口から拒否するのはよくないと同調する。ファシズムの誘惑は甘く忍び寄る。

ファシズム肯定の主張にはまったく同意できないが、リベラルとファシズムが決して縁遠いものではないことを示した点で、ある意味貴重な本といえる。

2016-10-05

租税回避は悪くない

*Marco den Ouden, Tax Avoidance Is Both Smart and Honorable(租税回避は賢明かつ称賛に値する)より抜粋。

トランプ氏は1984年、1991年、1993年に所得税(income taxes)を払っていない。カジノ事業で失敗したからだ。しかしそれが事業というものだ。損をするリスクもある。損をした期間は税を払わない。悪事でも非難されるべきことでもない。

海外子会社を使って税を避ける企業は、税負担を最小限にしようと現行の法制度(existing legislation)を利用しているにすぎない。どこが悪いのか。文句があるなら合理的な事業判断をした人や企業でなく、税法を作った政府に言えばよい。

テレビ討論会でのクリントン氏のように、税逃れを責める政治家は、さまざまなものを並べ立て、トランプ氏、企業家、一般国民(you and me)に自己犠牲の精神が十分ありさえすればそれがすべて買えるという。

クリントン夫妻ですら、基金や慈善団体(trusts and charities)を使い、納税額を最小限に抑えている。どこが悪いのか。何も悪くない。

アメリカ建国の大きなきっかけは、ボストン茶会事件(Boston tea party)という納税者の反乱だったことを忘れてはならない。租税回避はアメリカの伝統なのだ。

2016-10-04

佐藤優『いま生きる階級論』

いま生きる階級論
いま生きる階級論

小さな「悪」だけ叩く偽善

マルクスによれば、資本家は労働者を搾取する。一方、マルクスは言わなかったが、著者によれば、官僚は国民から税金を収奪する。労働は嫌なら断れるが、課税は断れない。ならば課税は搾取より悪質なはずだが、著者はそう言わない。

著者はマルクスに基づき、こう述べる。企業の儲けは、労働者を安い賃金で搾取することで得られる。ただし労働者は無理やり安い賃金で働かされるわけではない。もし嫌なら断って、搾取されない自営業など他の仕事を探すことができる。

これに対し官僚は、著者によれば、税金を「搾取」するのではない。国家が独占する暴力装置を背景に有無を言わさず「収奪」する。搾取は逃れる余地があるのに収奪にはないから、資本家(企業)よりも官僚(政府)の害が深刻なはずだ。

著者は述べていないが、企業の売上高経常利益率は大企業でも5%程度。これに対し国民負担率(税と社会保障の合計)は40%超。企業の利益は搾取の果実というマルクスの主張は間違っているが、かりに正しいとしても、政府の収奪はケタ違いに苛烈だ。

ところが著者は、官僚を口先では批判するものの、税ができるだけ少ない社会にしようとは言わない。官僚以上に収奪の罪が重いかもしれない政治家には、何も触れない。大きな悪を不問に付し、小さな「悪」だけを叩くのは偽善である。

2016-10-03

私は政治が嫌いだ

*Bryan Caplan, 7 Reasons I Can't Stand Politics(私が政治に我慢ならない7つの理由)より抜粋。

政治は大言壮語(hyperbole)するから嫌いだ。人は事実に即した真実を注意深く語るか、さもなければ沈黙すべきだ。

政治は世間受け第一(Social Desirability Bias)だから嫌いだ。人は現実をありのままに述べるべきで、甘い考えに迎合してはいけない。

政治は数字に無知(innumeracy)だから嫌いだ。人は量的に重要な事柄に注意すべきで、大衆を刺激する表現に気をとられてはいけない。

政治は自信過剰(overconfidence)だから嫌いだ。人は絶対大丈夫などと言ってはいけない。

政治は身内びいき(myside bias)だから嫌いだ。人は部外者にも公平に接し、身内にも監視を怠らないよう努めるべきだ。人間の性(さが)はその反対に傾きがちだから。

政治は「勝てば官軍」("winning proves I'm right")と思い込むから嫌いだ。勝つのは意見に人気があるからにすぎないし、人気のある意見はたいてい間違っている。

以上の政治の悪に関する言い訳(excuses)が嫌いだ。もし政治の大言壮語に社会的利益があるというなら、注意深く考え、これこれのケースには正当化できると結論づけてほしい。アバウトに擁護されても困ってしまう。

2016-10-02

佐藤優『いま生きる「資本論」』


権威は商売になる

マルクスの経済学が誤りであることは、今日マルクスに好意的な人々の多くですら認めている。ところが不思議なことに、マルクス経済学を「やさしく解説」する本は盛んに出版される。なぜか。それはマルクスの権威が商売になるからだ。

本の売りはマルクスの権威なのだから、その主張の正しさは二の次だ。むしろところどころ批判したほうがもっともらしい。ただし全否定すると肝心の権威まで崩壊してしまうから、それはやらない。事実上全否定でもそうは書かない。

本書はそうした勘所を押さえたマルクス本である。著者はまえがきで論語からハイデガーに至る古典を列挙し、マルクスの『資本論』はこれら同様、「危機の時代を読み解き、その解決策を見出すために、とても役に立つ」と持ち上げる。

ところが本文に入ると、経済学者・宇野弘蔵の見解に基づき、マルクスの肝心の主張を否定する。いわく、賃金は景気次第で上がりも下がりもするから、労働者が窮乏化するとは限らない。恐慌は技術革新によって乗り越えていける――。

しまいに著者は「資本主義の暴発をできるだけ抑え、このシステムと上手につき合っていく必要がある」と言う。資本主義の延命に反対したマルクスが聞けば激怒するだろう。しかし死人に口なし。著者はマルクスの権威だけを利用できる。

2016-10-01

トリクルダウン理論は捏造

*Steven Horwitz, There is No Such Thing as Trickle-Down Economics(トリクルダウン経済学など存在しない)より抜粋。

「トリクルダウン経済学」(trickle-down economics)なる言葉の意味は不明確だが、こんなことかと思われる。「市場経済の信奉者によれば、もし富裕層に減税や補助金支給を行えば、富裕層が手にした富は(どういうわけか)貧困層に“したたり落ちる”」。

「トリクルダウン経済学」の問題は、自説(their own views)を言い表すのにその言葉を使ったことのある経済学者が誰もいないことだ。「Aグループに物を与えるのはよいことだ。Bグループにしたたり落ちるから」などと主張する経済学者は存在しない。

それだけでなく、議論そのものがばかげている。与える物が何であれ、仲介人(middleman)を飛ばし、Bグループに直接与えればいいではないか。

市場を擁護する者はけっして、富裕層に対する富の直接移転(direct transfers)や補助金を支持しない。それは一種の縁故資本主義であり、真の自由主義者が拒否するものだ。

貧困層を助けるには、自由を最大限広げ、政府の介入しない市場(unhampered market economy)を通じて価値を創造・維持することだ。富裕層に補助金を与えるのではない。経済の自由があらゆる人にもたらす生活水準の向上は、したたるどころの話ではない。