経済評論家の渡邉哲也は『この残酷な世界で日本経済だけがなぜ復活できるのか』(徳間書店)で「自国通貨建ての債務では国は破綻しない」と書く。国家には原則として通貨発行権、すなわちカネを刷る権限があるからだという。日本の場合は、日銀が円紙幣を無尽蔵に刷り、それを国債の償還に充てることができる。
これは形式的には正しい。カネを大量に刷ればやがて物価高を招き、政府が返す一万円は借りたときの一万円に比べ価値が薄まるから、実質的には借金を一部踏み倒すのと同じである。それでも形の上では債務不履行したことにならない。カネを刷り続ける限り、及ぼす影響はともかく、少なくとも財政破綻することはない。現にこれまでもそうしてきた。
さてそれでは、この手段で財政破綻を避け続けることは、一般国民にとって望ましいだろうか。とてもそうは言えない。今述べたとおり、政府がカネを刷れば刷るほど、国民が保有している現金の価値は薄まる。実質的に税金を取られるのと同じである。しかも通常の税と異なり、国会での審議もなく、税率はロシアンルーレットのように不透明かつ不平等である。
カネの量を増やすと、バブル景気をもたらす副作用もある。これは安倍政権が掲げる「アベノミクス」そのものであり、経済が一時好転したように見せかける効果はあっても、企業の生産力が強くなるわけではないから長続きせず、むしろ反動で不況が襲う。
渡邉はユーロ加盟国の金融危機に言及し、「共通通貨のため自国通貨建てでありながら自国でお金を刷れないという構造にあることが最大の問題」と書く。しかしもし自由にカネを刷れたなら、問題を当面先送りできても、将来危機が深刻になるだけである。ギリシャやスペインがカネを刷れずに緊縮財政を強いられていることは、長い目で見れば国民にとってむしろ幸いなのである。
残念ながら、日本円にはユーロのような歯止めがない。財政が破綻すれば政治家や官僚は責任を免れないから、政府は増税の一方で、さらに盛大にカネを刷り続けることだろう。これは国民の財産を侵し、経済を疲弊させる。
正しい選択は、潔く財政破綻を宣言し、国債の元利払いを一切やめることである。むろん金融や経済への影響は小さくなかろうが、清算を先延ばしすればツケは大きくなるばかりである。
(2013年9月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)
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