新型コロナウイルスワクチン接種を証明する「ワクチンパスポート」の導入論が高まっている。メディアでは「自由な移動・渡航へ布石」(日本経済新聞)などと肯定的な論調が多いようだ。
けれどもワクチンパスポートに限らず、自由な移動のために何か条件が必要というのは、おかしな話だ。条件があるなら、自由ではない。
そもそもコロナ前から、国外への移動は、あたかも「原則禁止、政府が許可」のような扱いになっている。人々もそれを当然と思っている。しかし本来、国外への移動は、国内での移動と同じく、人にとって基本的な権利だ。「原則自由」が正しい。
パスポート(旅券)の歴史を振り返れば、そのことがよくわかる。かつてパスポートは、なくて当たり前の時代があった。
古代から、ある種のパスポートは存在した。たとえば、王が旅行者の身元を保証し、目的地への安全な通行を求める文書だ。発給するのは国家とは限らず、地方の聖職者や役人が自国民、他国民を問わず、通行手形や推薦状のような文書を発給していた。パスポートと呼ぶようになったのは、16世紀前半の英国が初めてといわれる。
啓蒙時代に入り、移動の自由を唱える運動が盛んになる。自由思想を掲げた1789年のフランス革命でパスポートが廃止されたが、すぐに復活してしまう。
パスポートの廃止が本格的に広がったきっかけは、産業革命だ。鉄道網の急速な発展に伴い、欧州に観光ブームが訪れた。パスポートとビザ(査証)に廃止の圧力が高まり、フランスは1861年、ともに廃止した。他の欧州諸国も追随し、20世紀初めには欧州全域でパスポートはほとんどなくなった。
その流れを一変させたのは、1914年に勃発した第一次世界大戦だ。安全保障を理由に各国でパスポートがただちに再導入された。当初は一時的な措置とされたが、すぐに恒久化される。第一次大戦はもちろん、第二次世界大戦が終わってもパスポートは廃止されず、今に至る。
パスポートとは本来、戦時下の制度だった。他の多くの戦時制度と同じく、戦争が終わってもしぶとく生き残り、人々の自由を縛り続けている。
フランス革命の掲げた近代的自由を正しいと考えるのなら、移動の自由を縛るパスポートの廃止を求めなければならない。移動の自由を口実にワクチンパスポートまで義務付けたら、「自由は隷属である」というオーウェルの世界が現実味を帯びる。
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