新型コロナウイルスの発生を受け、「未曽有」という言葉が流行している。率先して使っているのは政府だ。菅義偉首相は今年初め、年頭所感で「皆さまとともに、この未曽有の国難を乗り越え、ポストコロナの新しい社会をつくり上げてまいります」と述べた。
未曽有とは「未(いま)だ曽(かつ)て有らず」のことで、「今までに一度もなかったこと」を意味する。けれども冷静に考えて、新型コロナは今までに一度もなかったような危機といえるだろうか。
コロナによる国内の累計死亡者数は1万2394人(5月24日時点、東洋経済オンライン)。日本人の死因トップである、がんで一年間だけで約37万人(2019年)が死亡しているのとは比べ物にならない少なさだ。死因が別にあっても、新型コロナに感染していればコロナ死としてカウントされることを考えれば、実際の死亡者数はもっと少ないだろう。
外国の死亡者数は日本より多い。最多の米国は累計約59万人に達し、死因も今年に入り、コロナは心臓疾患やがんを上回り、トップになった。その点からは、日本よりも深刻といえるだろう。
かりに米国にとってコロナが「未曽有の国難」だとしよう。だからといって、ロックダウン(都市封鎖)のような「未曽有の対策」を行うことが正しいわけではない。
米経済学者ドナルド・ブドローは「コロナが危険で前例のないものだとしても、ロックダウンは少なくとも同じくらい危険で前例がない」と指摘し、こう述べる。「コロナの未知の恐怖だけに注意を向けるために、ロックダウンで生じうる未知の恐怖を不問に付すのは、政策として認めることができないのと同じくらい、科学として正当化できない」
ブドローの指摘は正しい。コロナの予防や治療に科学が必要なのと同じくらい、コロナ対策にも科学的思考が欠かせない。ロックダウンは経済に打撃を及ぼし、社会にドメスティックバイオレンス(DV)や自殺といった深刻な副作用をもたらしている。科学的に正しい対策とは言いがたい。
日本は米欧のようなロックダウンこそないものの、度重なる緊急事態宣言によって同様の副作用が生じている。国内のコロナ感染状況が米欧に比べ「さざ波」でしかないのであればなおさら、経済・社会を疲弊させる誤った政策はやめるべきだ。
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