ノーマン・ボーローグは、「緑の革命」の父として知られる米国の農学者だ。1914年、アイオワ州の田舎で生まれた。
ミネソタ大学で植物病理学と遺伝学の博士号を取ると、1944年、メキシコに渡る。当初の仕事は現地の農家に生産性向上の技術を教えることだったが、まもなく自分で新しい穀物を開発することに夢中になる。
肥料によって太く高く成長した小麦は、実ると自身の重みで倒れ、腐ってしまう欠点があった。ボーローグは何千回も実験を繰り返した後、背の低い小麦の交配に成功する。メキシコ小麦との交配には、日本の稲塚権次郎が育成した「農林10号」が使用された。
この新品種の小麦は害虫に強く、厳しい気候でも育った。背が低いので成長も速く、従来の品種より少ないエネルギーで育てることができた。数年のうちに、ボーローグの小麦はメキシコの小麦の95%を占め、同国での収穫量は六倍に増えた。
メキシコで成功後の1963年、ボーローグはインドとパキスタンに関心を向ける。両国は大規模な飢饉の瀬戸際にあった。ボーローグはメキシコ米国国境での足止めや、ロサンゼルスの人種暴動をなんとか乗り越え、両国に小麦の種子を届けた。
保護主義政策も立ちはだかった。インドの官僚は、メキシコの小麦はこの国で推奨されることはおろか、認可さえされるべきでないと譲らなかった(リドレー『人類とイノベーション』)。
折しもインドとパキスタンの間で戦争が勃発したが、ボーローグのチームは砲火を横目に植え付けを続けた。二年後、小麦の生産が大きく伸びる。両国政府は、大規模な飢餓を避けられたのはボーローグのおかげだと称えた。その後、ボーローグは新種の小麦を中国やアフリカに広げた。
1970年、ボーローグは世界の食糧不足の改善に尽くしたとして、ノーベル平和賞を受賞した。受賞スピーチでこう語っている。「人間は過去によくやってきたように、うわべだけ後悔しながら、ただ飢饉の犠牲者を救済しようとするのでなく、将来的な飢饉の悲劇を防ぐことができるし、そうしなくてはならない」
ボーローグは農業に革命を起こし、十億人もの人々を飢餓から救った。人の命を守るのは政治ではなく、イノベーションなのだ。(この項おわり)
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