バイデン米政権は、運転手や配達員などの仕事をインターネットを通じて単発で請け負う「ギグワーカー」について、従業員ではなく、独立した請負業者とみなすことを容易にするトランプ前政権時代の規則を撤回すると決めた。
ギグワーカーが従業員とみなされれば、連邦法で定める最低賃金や残業代の対象となる。ウォルシュ労働長官は声明で「本質的な労働者の権利を保護し、労働者保護の侵害を阻むのに役立つ」と述べた。
労働者の「保護」とは、経済ニュースでよく聞かれる、耳触りの良い言葉の一つだ。けれども、多くの人が忘れていることがある。政府による保護は、自由の束縛と表裏一体にあることだ。
そもそもギグワーカーの利点は、自由で柔軟な働き方にある。短い空き時間を利用して仕事ができる。育児や介護などの都合でまとまった時間が取れない人でも、働くことができる。
最近では、コロナ対策と称する政府の経済規制のせいで残業代が減ったり、パートやアルバイトができなくなったりした人たちにとっても、ギグワーカーの仕事は貴重な収入源になっている。
つまり、ギグワーカーは経済的弱者に対するセーフティネット(安全網)の役割を果たしている。政府が納税者の金を使って提供する、非効率な対策よりずっとスマートだ。
もちろんギグワーカーには、正社員として務める従業員の賃金に比べ収入が少ないとか、福利厚生の対象にならないといった欠点もある。しかし、それは利点の裏返しであり、どちらを取るかは個人の選択に任せればいい話だ。
政府が労働者の「保護」と称して規制をかければ、むしろ労働者を不幸にする。ギグワーカーが最低賃金や福利厚生の対象となれば、利用者からみればコストの上昇につながり、ギグワーカーを使わなくなってしまう。
政府もそんな理屈はわかっているはずなのに、あえてギグワーカーを「保護」し、規制の網をかける背景には、政治的な理由があるとしか考えられない。
ギグワーカーの台頭で既得権益を脅かされる集団は、大きく三つある。まず、旧来型産業の経営者。次に、労働組合の幹部。そして、それら経営者や労組とつながりの深い政治家・高級官僚だ。ギグワーカーの「保護」を表明したウォルシュ長官は労組出身で、まさに既得権益の権化といえる。
ギグワーカーは「多くの場合」、独立した請負業者ではなく完全な従業員になるべきだというウォルシュ長官の発言に対し、作家シェルドン・リッチマンは「なぜすべての場合ではないのか」と皮肉り、「どの場合が従業員だと決める権限を、なぜ官僚に与えなければならないのか」と批判する。
日本のメディアでも「ギグワーカーの保護策を急げ」(日本経済新聞)といった主張が目立つ。政府による保護とは自由の剥奪であり、労働者を不幸にすることに気づいていない。
<関連記事>
0 件のコメント:
コメントを投稿