水とダイヤモンドの逆説は、他の経済事象にも当てはまる。たとえば、いわゆるエッセンシャルワーカーの賃金が安い理由だ。
コロナ騒動をきっかけに、医師、看護師、保育士、教師、ゴミ収集業者、コンビニエンスストアの店員、トラック運転手など生活維持に不可欠とされるエッセンシャルワーカーへの注目が高まり、医師など一部を除き、その賃金が低いとして問題視されている。
昨年ベストセラーになった『ブルシット・ジョブ』で、著者のデヴィッド・グレーバー氏は「わたしたちの社会では、はっきりと他者に寄与する仕事であればあるほど、対価はより少なくなるという原則が存在するようである」と述べた。
具体例として、社会に不可欠な看護師やゴミ収集人、整備工、教師や港湾労働者の得る対価が少ないのに対し、必要かどうか疑わしいハゲタカファンドの経営者や法律コンサルタントの収入は高いと指摘する。
エッセンシャルワーカーの賃金が低い背景には、政府の規制など特殊な要因もある。しかし、かりに規制が撤廃されたとしても、看護師や保育士の所得がファンド経営者や法律コンサルタントより高くなるとは考えにくい。なぜだろうか。
ここで水とダイヤモンドの逆説を思い出そう。エッセンシャルワーカーの仕事は水と同じように、生命の維持に欠かせないにもかかわらず、その対価は安い。一方、ファンド経営者や法律コンサルタントの仕事はダイヤと同じように、なくても命に別状はないにもかかわらず、その対価は高い。なぜなら、エッセンシャルワーカーの数は、高収入を得る一流のファンド経営者や法律コンサルタントの数に比べ、はるかに多いからだ。
エッセンシャルワーカーが人手不足であれば、それを反映して賃金を引き上げられるよう、政府の規制をなくさなければならない。けれどもグレーバー氏のように、エッセンシャルワーカーの収入が高所得のビジネスより少ないのはおかしいと主張するのは、おかしい。(この項つづく)
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